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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
四章

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44、同じ未来




 軍からクラウゼ家までの三十分間、ロイリはずっと黙ったままだった。

 その眉間には深いしわが刻まれ、何か考えているような、思いつめたような顔だ。

 亜佐は話しかける事もできずに、不安だけがどんどん大きくなっていく。何か、重大な選択ミスをしてしまったのだろうか。

 屋敷に着いて、ロイリが開けてくれたドアから車を降りる。彼はこのまま軍へとんぼ返りかもしれない。

「ロイリ」

 彼の名前を呼んだ声を遮るように、玄関扉が音を立てて開いた。出てきたのはベルタだ。

 彼女は亜佐の姿を見て、安堵に顔を歪ませた。

「お帰りなさいませ」

「はい、ただいま帰りました」

 彼女に駆け寄り、その手を取る。

「もう少しここでお世話になる事になりました」

「……はい」

 そう、もう少し。マレクの話通り事が進めばあと二ヶ月。その後は、もうベルタと会うことは叶わないかもしれない。

「……あんなお別れだけは、嫌でしたので」

「私もです、ベルタさん」

 ベルタがそう思ってくれるのが嬉しかった。そしてこうやって、微笑みを見せてくれるのがとても嬉しかった。一年でこれだけ仲良くなれたらしい。

 会話を待っていてくれたロイリが、亜佐の腕を引いてふたりを引き剥がした。

「すまんベルタ、あまり時間がない。後で説明する」

「了解です」

 その手を引いたままロイリは玄関から中に入る。すぐに出発はしないようだ。

 引きずられるように部屋に辿り着いて、部屋の中に押し込まれた。扉を閉めたロイリを振り返ることができずに、ただ体を小さくする。

 不安が爆発しそうだった。

「ロイリ……私の決断は、間違っていましたか……?」

「間違っていた」

 強く肩を引かれる。振り向いた先のロイリは様々な感情が混じり合った顔をしていて、直ぐにはその胸中を読み取ることができなかった。

「誓約書を交わしたのは口外しないと誓うものだけだ。今ならまだ間に合う。明日軍に連れて行くから、もう一度話をしよう。保護施設に入ると言うんだ」

「……嫌です」

「アサ、言うことを聞け。ピアノは俺が何とかしてやる。だから」

「嫌だ!」

 何度も首を横に振って、必死に彼を見上げる。どうして、なぜ、せっかく一緒にいられると言うのに。

 肩を掴む指に力が込められる。このまま骨を砕かれるんじゃないかと恐怖を感じたが、それでも亜佐はロイリを見上げることをやめない。

「危険なんだ、アサ。外は危険だ。特に宮廷は今、常にテロリストに狙われている。軍人も一般人も何人も死んでいるんだ。お前はそんな場所へ行こうとしているんだぞ」

 ロイリを睨み付ける。自分は危険な場所で働いていて、それを全く教えてくれなかったくせに。今日死ぬかもしれない明日死ぬかもしれない、そんな覚悟すらさせてくれなかったくせに。

「いざ王族に血を分け与えたとして、彼らが実験通り短期間で耐性を付けるとも限らない。長期的に血を取られることになるかもしれない。血だけでは足りずに、俺がお前にしたような事をされるかもしれない」

「それでも、あなたもピアノも存在しない世界でなんか生きていたくない。死んだほうがマシだ」

 「駄目だ」とロイリは首を振る。何十センチも大きいはずの彼が、まるでこの体にしがみついているように見えた。

「愛しているんだアサ。お前を失いたくない。失うくらいなら、手の届かないところに閉じ込めるほうがよっぽどいい」

 視線を下げて、亜佐を見ずにロイリは言い捨てた。その睫毛は震えていて、唇は固く閉じられている。これ以上言葉を発するのを恐れているように。

 まただ。前にもこんなやり取りをした気がする。危険だからと、亜佐をこの部屋に閉じ込めようとした。

 何の相談もなしに、彼はひとりで考えて勝手に決めてしまう。

 亜佐はロイリの胸倉を掴み上げ、力任せに引いた。

「っ、アサ……!」

 驚いた声を無視してベッドに歩み寄る。簡単に抵抗はできただろうが、ロイリはされるがままにベッドに転がってくれた。

 その上に伸し掛かり、もう一度胸倉を掴み上げる。

「ロイリ、私を守るって言ったじゃない。最後まで守ってよ」

 初めて会った日、雨の中、馬の上で、守ってくれると約束した。

 だったらもう最後まで。

 誰かに、もしくは死に無理やり引き離されるまでは、そばにいて守ってほしい。

 ロイリはパチパチと目を瞬いて、それからまるで怯えているようにも見えていた顔を、ようやく微かにだったが緩めてくれた。

「……懐かしい台詞だ」

「覚えていたんですね」

「忘れられるか」

「平手打ちもしますか?」

「うん、頼む」

 笑って、両手で彼の頬を包み込んでキスをした。

 ロイリの呼吸が落ち着くまで、その胸に頬を寄せて心臓の音を聞いている。

「ロイリ、本当に私に保護施設へ行って欲しいですか?」

 彼の体の上に寝転んだまま、亜佐は這い上がってその顔を覗き込む。

「……行って欲しい」

「私とあなたの上司が話をしている時、ずっとそう願ってた?」

「……そうだ」

「嘘つき」

「……お前は人の心が読めるのか?」

「違いますよ。人の顔色を窺うのが少し得意なんです」

 今までずっとそうやって生きてきたおかげだ。

 ロイリは何か隠す時、右下に視線をやり震えるようにまぶたを伏せる。

 長い間逡巡して、ロイリはようやくまぶたを上げて亜佐を見た。

 その唇が開き、まるで罪を告白するように言葉を紡ぐ。

「あの時……お前があの話を受けると言った時」

 そろりそろりとロイリの手が頬に伸びて、結局触れずにシーツに落ちる。

「俺は一瞬、喜んでしまった……ああ、これからもお前に会える、と」

 ロイリは両手で自分の顔を覆う。

「お前のそばにいられる。お前に触れられる、キスができる、抱き締められる。お前の事を考えれば保護施設に入る方がいいに決まってるのに、それなのに、俺は自分の欲望のためにお前が宮廷へ来ることを望んで、叶った事を喜んだ」

 亜佐はロイリの片手を引いて自分の頬に当てる。彼は残った手でまた目元を隠してしまった。

「俺はずっとお前の警護をするわけじゃないんだ。数年で異動になるだろう。宮廷以外への異動なら、また会うことは難しくなる」

「保護施設にいるのと宮廷にいるの、どちらがまだ会いやすいですか?」

「……宮廷だな」

 うんと頷いて、もう片方の手も彼の顔から引き剥がした。

「ロイリ、私……守ってもらう分際でこんな事言うのもどうかとは思うんですけど」

 握っている彼の手を、さらに強く握り締める。

「あなたのそばにいたいんです。だから私を守ってください。あなたなら、それくらいできるでしょう?」

 ずっと一緒は無理なのは分かっている。でも、叶うのなら、出来るだけ、可能な限り、そばにいたい。

 隣に立って手を繋いで、同じ方向を見てみたい。そしてそこにピアノがあるのなら、大抵の事なら耐えられる。

 ゆっくりと見開かれたロイリの目が、潤んでいるようにくるくると輝く。

 血潮のように美しい瞳に、微笑む亜佐の顔が写っていた。

 今、彼も想像してくれているのだろうか。

 その脳裏に、同じ風景を浮かべてくれているのだろうか。

 並んで立つ未来をロイリにも望んで欲しい。

「……うん、分かった」

 背中に手が回され、ぐるりと視界が反転した。シーツに背中を預けて、亜佐はロイリを見上げる。

「ごめん。分かったよ、アサ」

 乱れて顔にかかった髪を、ロイリは指で一房ずつ払い除けてくれた。

「俺がお前を必ず守るよ。ずっと守ってやる。だから、俺と一緒に生きてくれ」

「……はい、もちろんです」

 この朴念仁に、ようやく分かってもらえたらしい。

 手を伸ばしてその頭を掻き抱いて、耳元で「バカ」と呟く。笑い声と謝る声が聞こえた。

「……お前は普段は綿菓子みたいにふわふわしているくせに、こういう時は頼もしいな」

「あなたは普段はあんなに強くて頼もしいのに、時々不器用になりますね」

 亜佐は声を上げて笑って、わざとロイリの頭を撫でる。

 大人しく撫でられている彼の柔らかい金の髪を指で弄っていると、ようやく実感が湧いてきた。

 これからも彼のそばにいることができる。

 彼のそばでピアノを弾く事ができる。

「……嬉し泣き?」

「そうです」

 ボロボロと涙は落ちるが、顔中に浮かんだ笑顔は消えない。

 こんなにも幸せな涙を流したのは生まれて初めてだった。

 ロイリは困ったように笑って、涙を拭ってから亜佐の頭を抱き締めた。ゆっくりとあやすように頭を撫でる手に、やっぱり撫でるより撫でられる方が好きだとぼんやり思う。

 ふたりで体を起き上がらせて、ロイリは亜佐の目尻に残った涙を舐め取った。

 「甘い」といつもの言葉とじっと見下ろす視線と、胸倉を掴んだり守れだなんて言った己の所業が、今さら恥ずかしくなってくる。

 そしてロイリの言葉を思い出す。「俺と一緒に生きてくれ」だなんて、まるで、まるでプロポーズのようだ。

「何を百面相しているんだ」

 笑う声に慌てて頬を両手で覆った。

「いえ、あの」

「何?」

「なんか、さっきのあなたの言葉……プロポーズみたいだなって思って……」

 ロイリが目を丸くする。その顔を見て今すぐ穴に埋まってしまいたくなったが、穴を掘る前にロイリに手を取られそれは叶わなかった。

「みたい、じゃない。俺はそのつもりで言った」

 一瞬の間をおいて、彼の言葉を理解した脳内にまるで爆発したような衝撃が走った。

 懐かしい感覚だ。確かロイリに初めてキスをされた時も、頭の中でドカンと音がした。衝撃を受けると、人間の脳内は本当に爆発するらしい。

「今の法律では吸血人と人間が婚約をしたり籍を入れることはできないが、それに準じた関係になりたいと思っている」

「は……は……はい」

 プロポーズ。プロポーズをされたらどうするんだっけと亜佐は混乱する頭で考える。結婚情報誌を買って、ふたりで式場を決めて、結婚式をして、夫婦になる。そのどれもがこの世界ではできないことだが、ロイリはその夫婦と同じような関係になりたいという。

「もう手放さない。お前の言う通り、閉じ込める代わりに俺がそばで守ってやればいい。警護隊だとかそういうものだけでなく、俺個人としてもだ。俺の人生を捧げて、絶対にお前守ってみせる」

 強く握り締められた手を、「はい」と握り返す。

「だからこんな風にお前に触れたり、お前に愛を囁けるのはこの世で俺だけだ」

「はい……約束です」

 涙が詰まって頭がぼんやりして、まるで夢を見ているようだった。

 ロイリの指が耳に触れ、ほわほわと飛んでいた意識を彼に戻す。

「耳飾りを贈ろう」

「耳飾り?」

「この国では婚約をする時に耳飾りを贈るんだ。父が母に贈ったものを形見として持っている。確かクラウゼの紋章が入っているはずだから、それにしよう」

 亜佐は驚いて声を上げた。

「そんな大切なものを……」

「大切なものだから、お前に贈るんだよ」

 真摯に見下ろしてくる瞳を見て、ようやく気付く。いや、知っていたが、改めて思い知らされた。

 こんなにも大切にされている。

 こんなにも想われている。

 こんなにも愛されている。

 胸が苦しくなって、息を大きく吸い込んでから詰まった言葉を吐き出した。

「……嬉しいです」

 熱い熱い頬に、同じくらい熱いロイリの手が触れる。

「同じ未来を見よう」

「はい、必ず」

 笑って頷いて、そっとキスをして、ふたりは誓いの言葉をお互いの体に封じ込めた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] とっても好きです。特に最後の誓いの言葉をお互いの体に封じ込めたという表現がとても美しくて大好きです。好きなあまり衝動的に感想を書いてしまい自分でもびっくりしています。 [一言] 大好きです…
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