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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
四章

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42/57

42、軍へ




「アサ」

 優しい声で名を呼ばれ、亜佐は目を開いた。

 部屋はもう明るい。いつの間にかカーテンも開けられ、眩しいくらいだ。

 その朝日の中で、ベッドの縁に座るロイリが少し心配そうに亜佐を見つめていた。

「おはよう、アサ」

「おはよう……ございます……」

 出した声が風邪を引いた時のように掠れている。その原因を思い出して、亜佐はようやく目が覚めた。

「昨日は無理をさせてすまなかった。辛いところはないか?」

 顔にかかる髪をかき上げるように頭を撫でる彼に、「大丈夫です」と口の中でもごもごと答えた。

 全身が筋肉痛のように痛むのは、ずっと体を強張らせて変に力を入れていたからだろう。

 ロイリはいつの間にか、脱ぎ散らかしていた軍服をきっちりと着込んでいる。いや違う。彼は一度部屋に帰ってシャワーを浴びて、もう仕事へ出かけるところのようだ。髪が少し湿っていた。

「もう行くんですか?」

「ああ。今日は一日ゆっくりしているんだぞ」

「分かりました」

 上半身を起こしてロイリへ手を伸ばす。彼は何をして欲しいのか当たり前のように分かっていて、亜佐の手に自分の頬を擦り付けてから指を絡め、唇にキスをした。

 枕元に畳んで置いてあったカーディガンを、何も身に着けていない肩にかけてくれる。

「行ってくるよ」

「行ってらっしゃい。お気をつけて」

 カーディガンを胸元で手繰り寄せて笑顔でロイリを見送ろうと笑ったが、行ってくると立ち上がった彼はいつまでたっても手を離そうとしない。

 深いため息をついてから、ロイリはボソリと呟いた。

「……仕事に行きたくない」

 思わず盛大に吹き出して、慌てて口元を押さえる。もちろん手遅れで、ロイリは唇をへの字に曲げて亜佐を見下ろした。

「……ごめんなさい。あなたもそんなこと言うんだなと思って」

 押さえた口元からまた笑みが漏れてしまい、もう諦めて笑顔を向けた。

「私も前の世界にいる時、よくそう思っていましたよ。布団の中でギリギリまでズル休みの理由を考えて」

 「結局行くんですけどね」と言うと、ロイリも唇を緩めて笑った。

 もう一度ベッドに腰を下ろして、彼は亜佐の頭をゆるく抱きしめる。時間は大丈夫なのか心配になったが、どうしてもこの温もりを手放したくなかった。

「……長期休暇を取ろうか」

 思いついたようにロイリが呟いた。

「あれだけ働いたんだから、少しくらい休んだって罰は当たらない。今まで馬車馬のように働いてきたのは、きっとこのためだ。そういう神の思し召しだ」

「……あの神様は、きっとそんな難しいこと考えていないと思いますけどね」

「いいんだよ、そういう事にしておけば」

 困ったように笑って、ロイリの胸を押してその顔を見上げる。

「あまりマレク大佐にご迷惑をかけないように……」

「分かっているよ」

 額にキスを受け止めながら、亜佐は指先でカーディガンの裾を弄る。「でも……」と口に出して、逡巡に気付いたロイリが微笑んでくれたので言葉を続けることにした。

「もし長期休暇が取れたら、すごく嬉しいです」

「うん……お前がそう言ってくれるなら、俺も嬉しい」

 もう一度唇が触れる直前、小さい遠慮がちなノックが聞こえた。ノックというよりは催促か。

 時計を見ると、いつも彼が家を出る時間を三十分も過ぎていた。

「今出たらギリギリ遅刻はしないよ」

 ロイリは言いながら立ち上がって亜佐の頭をくしゃりと撫でると、ようやくいつも通りの顔に戻った。

「行ってくる」

「はい。どうかお気をつけて」

「ああ」

 踵を返して、彼は部屋を出て行く。

 閉まった扉を見つめて、じんわりと滲み出してきた涙を頬を強く叩いて止め、亜佐はシャワーを浴びるために重たい体をベッドの下へゆっくり下ろした。







「アサ様、先程ロイリ様からお電話がありました」

 部屋に入るなりそう言ったベルタに、亜佐は驚いて顔を上げた。

 先程昼食を食べたばかりで、机に向かいながら昼寝をするかうつらうつら迷っていたところだったが、一気に眠気が吹き飛んだ。

「ロイリは何て……」

「アサ様を軍に連れて行かれるそうです。一時間後に迎えに行くので、準備をしておくように、と」

 びくりと体が震えて、手に持っていた万年筆が滑り落ちた。

「そ……れは」

 保護施設へ入る準備をしろということだろうか。背中を血が駆け下り、頭がぐらりと揺れた。

 まさか、そんな、早すぎる。

 そんな亜佐の様子に気付いたのか、ベルタは少し大きく頭を横に振った。

「夕方までには終わるそうです」

 深く息をついて顔を手で覆った。驚いた。心臓に悪い。

「外出用のお召し物を用意いたします」

「……お願いします」

 冷や汗が滲んだ額を撫でて、亜佐は机の上を片付けるために立ち上がった。

 外出用の服に着替えて薄手の防寒着も用意してもらいロイリを待つ。彼は約束の時間よりも少し早めに屋敷についた。

 ベルタに連れられて玄関を出ると、ロイリは車にもたれかかって腕を組み視線を足元に落としている。どんな姿も絵になる男は亜佐に気付いて顔を上げ、そして浮かびかけた何かの感情を無表情で打ち消したようだった。

「ベルタ」

 ロイリは亜佐ではなくベルタを呼ぶ。そばに寄った彼女の耳に唇を寄せ、二言三言何か伝えたようだ。その後ろ姿でも、ベルタの体が強張ったのが分かった。

「頼んだぞ」

 その言葉に彼女は返事をしない。できないのかもしれない。ロイリはそれでも構わずにベルタから離れると、また亜佐を見た。

 手を差し出され、吸い寄せられるように近付く。亜佐の手を取って、ロイリはそっと後頭部を引き寄せた。キスをしなかったのは、ベルタ以外の使用人が何人か見送りに来ていたからだろう。

 ふたりにしか聞こえないような声でロイリが問う。

「体は大丈夫か?」

「はい、平気です」

「どこか辛くなったらすぐに言え」

 頷くと、ロイリは後部座席の扉を開けてくれた。礼を言って乗り込もうとした亜佐の手を誰かが後ろから掴む。

 驚いて振り返った先にいたのはベルタだ。

「……ベルタさん?」

 どうしたのかとその顔を見上げる。彼女も自分の行為に戸惑ったような顔をしたが、この腕を離そうとはしない。

「ベルタ」

 たしなめるように言ったロイリの顔を見て、ベルタはまた亜佐に視線を戻す。

「あ……」

 震える唇が何か言おうとしたのか開いたが、結局音にはならなかった。

 腕が離れる。思いつめた顔が俯けられる。

「ベルタさん」

 一歩近付いて、今度は亜佐が彼女の腕に触れた。

「三時のおやつ、食べる時間がないだろうから、お夕飯の後にデザートで出してもらってもいいですか?」

 ベルタが目を丸くした。

 大丈夫、ちゃんと帰ってくると目で訴える。帰ってくる。帰ってこれるはずだ。

 ベルタが目を細めて、少し口元を歪ませた。笑ったのだと分かった。

「かしこまりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「はい。行ってきます」

 頭を下げて、不安げな他の使用人たちにも「行ってきます」と挨拶をして、ロイリの待つ車に乗り込んだ。

 運転席に乗り込んだロイリの顔をバックミラー越しに見る。しかし彼は亜佐をちらりとも見ず、少しの間を置いて車を発進させた。

 窓の外のベルタに手を振って、彼女の姿が見えなくなってからもう一度ロイリを見る。

 どうして軍に呼び出されたのか教えてくれるだろうかと待ってみたが、彼は押し黙ったままだった。

「何をしに行くのか教えてもらえないんですか?」

「……俺が口を出して、お前の決断を迷わせたくない」

「……決断?」

 一体何を決断するのか。

 亜佐の決断で何か変わるのか。

 ロイリはそれ以上喋ろうとはせず、また無表情を貼り付ける。亜佐は窓の外に視線をやり、映画の中にいるような街並みが流れていくのを、ただ眺めることしかできなかった。

 



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