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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
四章

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40/57

40、覚悟を




 昼食を食べてからキノスが屋敷を訪れるまで少し時間があった。

 エヴァンスのリクエストに応えて亜佐の世界で流行っていた失恋ソングを弾いたが、彼は「辛い」と呟いて持ち場に戻って行った。

 エヴァンスがサロンの入り口で警備をしているので、ベルタは昼食をとりにいっている。亜佐は静かな曲を弾きながら、ぼんやりもの思いにふけっていた。

 今日のキノスの訪問理由。それを考えて思い悩んでもどうにかなるものではない。それなのに考えずにはいられない。亜佐も、きっとロイリも、わざと口に出さずにいた。

 未完成の楽譜に目を滑らせながら、単調に曲を終わらせる。

 その途端背後から拍手が聞こえて、亜佐は跳び上がるほど驚いて後ろを振り返った。そこにはキノスとマレク、あとひとり見たことのないスーツを着た小柄な男がいた。

 彼らが入ってきたことに全く気付かなかった。思っていたよりも深い思考の淵にはまっていたようだ。

「驚かせてごめんね。早めについちゃって、邪魔するのも何だからと聞かせてもらってた」

 申し訳なさそうに言うキノスに笑顔を返す。

「いいえ、構いません。マレク大佐、お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだね。元気そうで何よりだ」

 数ヶ月ぶりに会ったマレクは、相変わらず精悍で厳しい顔を少し綻ばせて笑った。

 どうしてマレクまで来たのかも気になるが、それよりもこの小柄な男の方が気になる。

 次にマレクがこの男を紹介してくれるものだと思っていた。それなのに口を開いたのはキノスだ。

「噂には聞いてたけど、すごく上手だねぇ」

 知らない人を不躾にじろじろ見ることはできない。戸惑いながらも、キノスに視線を戻す。

「ありがとうございます。聞いて頂いてたのならもっと真面目に弾けばよかった」

「真面目じゃなかったの?」

「はい。私の世界の曲なんですけど、どうしても思い出せなくてデタラメ弾いてたから」

「だったら、もう一曲聞かせてくれないか?」

 そう言ったのはマレクだ。

 意外だなと彼を見る。外見からはあまり想像がつかないが、音楽が好きなのかもしれない。

「ええ、喜んで。何かリクエストはありますか?」

「君が一番得意な曲でお願いするよ」

「分かりました」

 好きな曲はたくさんあるが、得意な曲なら今一番弾き込んでいるものでいいだろう。

 ピアノに向かって、今さら三人の視線に緊張し始める。そう言えばこれは、元の世界で参加するはずだったコンクールの曲だ。それに比べたら三人に見られるくらいどうってことはない、はずだ。

 膝に手を置き深呼吸する。そして持ち上げた手を鍵盤に突き立てた。

 「おお」というキノスの声を認識したのを最後に、脳内に流れる音符と鍵盤の感触に夢中になった。

 一度ロイリに、後ろから誰かが近付いても殺されるまで気付かなさそうだなと苦い顔をされたことがある。それほどまでに周りが見えなくなる。

 ピアノを弾きながら死ねるのなら本望だと言うと、冗談でもそんなことを言うなと珍しく本気で怒られた。

 半分は冗談でも半分は本気だ。だって今までピアノを弾くためだけに生きてきたし、これからもきっとそうだろう。ロイリに出会わなければ半分冗談ですらなかったかもしれない。

 それだけピアノが好きだ。

 ピアノがあればいい。何もかも忘れさせてくれる。

 ――永遠にロイリと会えない寂しさだって、きっと。

 最後のフォルティシモを指で叩き付ける。いつも鍵盤を叩くなと怒られていたのに、ついやってしまった。

 鍵盤から離れた指を呆然と見つめ、キノスの歓声で我に返る。振り返ると、彼は立ち上がって拍手喝采を送っていた。

「すごい! すごいね! カッコいい!」

 立ち上がって軽く頭を下げる。目を丸くしたマレクも表情を変えない小柄な男も拍手で迎えてくれた。

「大したものだな……」

「ありがとうございます」

 彼らの前のソファに座りながら、マレクの感心した顔とまだ拍手を続けるキノスに少し恥ずかしくなる。

「すごいなぁ、本当に、お金払ってもいいくらいだよ! あっそうだ、代わりにこれあげる! この間出張に行ってきて、その時のお土産」

「ありがとうございます」

 笑って紙袋を受け取る。よくロイリやアドルフが買ってきてくれる王都で有名な店のものだ。

 その時扉をノックして、盆を持った女中が入ってきた。彼女がコーヒーを配り終わり出ていく頃に、ようやくキノスは興奮が落ち着いたようだ。

 鞄から手帳とバインダーを取り出しながら彼は言う。

「本当は先にクラウゼ大尉と面談する予定だったんだけどね。手が離せなくなっちゃったみたいで」

「あんなもの下に任せればいいのに」

 腕を組んだマレクが背もたれに体を預けながら、呆れたようにため息をついた。

「器用なやつだ。何でも一通りできるから、何もかもひとりで済ませてしまう。……まあ、最近はようやく下に任せることも覚えてきたな」

 顎をさすりながら思い出したようにマレクは笑った。

「昨日は張り切って部下に仕事を振り分けていると思ったら、君と夕飯を食べる約束をしたからって」

 亜佐も思わず口元を押さえて笑った。

「息を切らしながら帰ってきてくださいましたよ。エヴァンス少尉を振り切ってまで」

「ああ、あれはな、ついていったら酷い目にあうぞ。エヴァンスは上戸だから、付き合って飲んでいたら確実に潰される」

「経験済みですか? マレク大佐」

「二回ほどな」

 その後も軽い雑談が続く。マレクが愛妻家だとか、エヴァンスは年上好きだとか。

 マレクの十五歳になる末娘の話が一息ついた頃に、ずっと黙っていた小柄な男がちらりと懐中時計を見た。

 男は立ち上がって、胸に手を当て頭を下げる。

「失礼」

 亜佐も慌てて立ち上がって頭を下げて、出て行く男を見送った。

 扉が閉まったのを確認してソファに座り直して、噂話が外に漏れないよう小声で尋ねる。

「……どなたですか? さっきの方……」

「ああいや、気にしないでくれ」

 マレクは目を少しふせたまま首を振る。そんなことを言われたって気になるに決まっているが、そう言われたらもう聞くに聞けなくなってしまった。

 スーツを着ていた。軍人ではないようだ。

 もしかすると、保護施設の関係者かもしれない。いや、それなら挨拶くらいしてくれるだろうか。謎は深まるばかりだ。

「すっかり話し込んじゃったね。そろそろ本題に行こうか」

 空気を変えるようにキノスが明るい声を上げてペンを手に取った。

 簡単な健康診断のあと、とうとう本題だ。

「ええと、一番最初の吸血が去年の十月二日、今日が十一月の五日……体液摂取をやめたのが……」

「二ヶ月前の九月一日です」

 なので今日耐性がついていると言われれば、ロイリは十一ヶ月で耐性をつけたことになる。

 バインダーに挟んだ書類に色々と書き込みながら、キノスは「あー……」と声を出した。

「えーとね、クラウゼ大尉と粘膜同士の接触もなかったかい?」

「粘膜同士……?」

 粘膜がどこなのかすぐに頭に思い浮かばなかった。口の中と、あとは。

 キノスが少し声を潜めて言う。

「主に口腔や生殖器が接触するような行為はしなかったかい?」

 意味を理解して、一気に顔に熱が集まるのが分かった。絞り出すように言う。

「し、してません……!」

「分かったよ、ごめんね。粘膜は色々吸収するから、念のために聞いただけなんだ」

 うんと頷いて、赤い頬を隠すように撫でる。もしそういう事をしていたら、気まずそうにそっぽを向いているマレクの前で「した」と言わなければいけなかったのか。

 キノスは指でペンを回しながら、何度かバインダーに挟まれた書類を確認して顔を上げた。

「うん。軍に帰ってクラウゼ大尉と話をしてから最終決定だけど、まあほぼ百パーセント耐性はついているね」

「……はい」

 目を伏せて頷いて、顔を上げて彼らを見据える。

 ロイリにはもう亜佐の体液は必要ない。

 それは、亜佐がこの屋敷にいる必要はないという事と同義だった。

 きっと保護施設の話が出る。何日に入るかという話になるかもしれない。

 そう震えていたのに、キノスもマレクもその事には触れようとしない。

「十一ヶ月で耐性をつけたね。記録に残ってる中でも最速かな」

 バインダーやファイルを鞄に仕舞いながら、キノスは感心したように言う。

「今までは一番早くても二年、しかもその人は貴族で酒池肉林食っちゃ寝食っちゃ寝のノンストレス生活。早くに耐性をつけた人達はそういう人達が多いけど……」

「クラウゼはいいものは食べているだろうが、ノンストレスとは程遠い生活だったしな。こき使った俺が言うのも何だが」

 あははと笑ったキノスが、亜佐を見てにっこりと微笑んだ。

「クラウゼ大尉の精神力が強靭なのか……はたまた」

「キノス」

 マレクが言葉を遮り、腕時計を見た。

「そろそろ時間だ」

「はいはい。……すっかり話し込んじゃったね。アサ、君は聞き上手だからつい色々話してしまいそうになる。長居しちゃってごめんね」

「いいえ」

 彼らに続いて亜佐も立ち上がる。

 部屋を出ると、離れたところにエヴァンスとベルタが控えていた。

 彼らと一緒に玄関までキノスとマレクを見送りながら考える。こういう状況を何と言うんだったか。

 そうだ、まな板の上の鯉だ。

 早く覚悟を決めさせて欲しい。その背に隠しているのは包丁だろう。いっそひと思いに首を落として欲しい。

 もしかするとふたりは気を遣っているのだろうか。キノスは亜佐とロイリの関係を知っている。マレクも、ロイリの様子を見て気付いているかもしれない。

「それじゃあ、今日は失礼するよ。また近い内に会うだろう」

「……はい、マレク大佐。今日はありがとうございました。キノス先生、お土産ありがとうございました」

「どういたしまして。またね!」

 手を振って助手席に乗り込んだキノスに頭を下げる。後部座席にはスーツの小柄な男がもう座っていて、目が合って彼が目礼をしたので亜佐も頭を下げた。マレクはエヴァンスと仕事の話をしている。

 彼らの話が終わる頃、ようやく亜佐は決心をした。

「マレク大佐」

 固い声が出た。釣られたのか、振り返ったマレクも表情を固くしている。

 臆することのないよう揃えた両手を握り締め、その顔を睨むように見た。

「私はいつ保護施設へ行かなければいけませんか?」

 マレクは目を丸くして、咄嗟に言葉が出なかったようだ。

 その逡巡は何だ。もし、もしそれが離れなければいけない亜佐とロイリに対する同情からきているのなら、そんなものはいらない。

 明日かもしれない半月後かもしれない。そんな風に別れに怯えて暮らすより、一緒にいられる日を数えながら大切に過ごしたい。

「入る日が決まったらすぐに教えてください。準備がありますので」

 マレクの顔から逡巡は消えない。何か言おうと迷って、しかし結局小さく頷いただけだった。

「分かった」

「よろしくお願いします」

 亜佐の顔を見下ろしてから、マレクは車に乗り込んだ。

 手を上げた彼に頭を下げて、走り去る車が見えなくなるまで見送る。

 後ろを振り返る。少し顔を強張らせたベルタと、珍しく無表情のエヴァンスがいた。

 中に入りましょうと言うつもりで口を開いたが、息が詰まって音にならない。耐えられずにふらふらとベルタに近付いて、彼女の胸に顔を埋めた。

 分かっていたことだ。好きになったって、愛し合ったって、ずっと一緒にいることはできない。覚悟はしていた、はずなのに。

 背中に腕が回される。いつもロイリがしてくれるように、ベルタの手が優しく頭を撫でてくれる。

「ベルタさん……私が保護施設へ入った後にロイリが近衛師団に入ったら、制服姿を写真に撮ってキノス先生に渡してもらえませんか?」

「……大尉、写真撮られるの大嫌いだよ。アサちゃんが直接見ればいいのに」

 そうポツリと言ったのはエヴァンスだ。彼だって、それが叶わない事はよく分かっているだろう。

「大丈夫。制服姿見せてくれるって約束したから」

「分かりました。縛り付けてでも撮りましょう」

 ベルタの返事に声を上げて笑って、彼女から離れた。

「大尉も馬鹿だなぁ。耐性なんか付いてませーんって言っときゃいいのに」

「私の事を考えてくれているんです。保護施設の方が安全だからって」

 軍の施設のど真ん中、しかも警備も厚いらしい。

 ロイリは亜佐のことを一番に考えてくれている。

「私も、寂しい寂しいばかり言ってないで、ロイリのために……」

 元通りにはならないかもしれない。それでも耐性をつけ亜佐を保護施設へ入れれば、ロイリの足枷はなくなる。

 いつの間にか俯けていた顔を上げる。

「中に入りましょう。キノス先生からお土産を頂いたんです。みんなで食べませんか?」

 そう言って亜佐は、ふたりに笑いかけた。




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