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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
三章

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30/57

30、死にたくない




 廃墟となった教会のほとんどの物が埃にまみれていたが、唯一扉の付いた本棚に仕舞われていた本だけはきれいな状態だった。

 子供向けの聖書のようだ。いつかロイリが話してくれた末っ子の神様の話が面白おかしく書かれていて、亜佐はすっかり夢中になって読んでいた。

 ロイリがいない一週間は読書をして過ごそうと思っていた。ちょうどいい。その通りに過ごせている。ただ少し、場所が違うだけだ。

 そう前向きに考えるようにしていた。

 ベルタの事、七日目に助けが来なかった時の事を考えても、ただ神経がすり減るだけだ。大丈夫に決まっていると自分に言い聞かせる。

 しとしとと雨の降る二日目は、痛みの早い果物をふたつとパンを半分食べた。

 朝早くに水をたくさん汲んできて、空腹はそれで紛らわせた。

 人間は水さえあれば一週間は生きられるとどこかで聞いたことがある。体力を温存していれば、七日くらい何ともない。

 しかし次の日、三日目の朝。

 ある出来事が亜佐の心をぽっきりと折った。

 大切に大切に食べていた食べ物にカビが生えたからだ。

 硬めに焼いてあるパンなので日は持つと思っていたのに、どうやら果物と触れていた場所から水分が染み込んでいたらしい。

 パンを四個半と果物の残り全てを捨てなければならなくなった。無理をして食べて、こんな所で体調を崩したらもう最悪だ。

 残り日数は今日を入れて五日。食べ物の残りはパンが二個。その二個も、いつカビが生えるか分からない。

 亜佐は悩みに悩んで、三日目にパンを全て食べ切った。

 カビが生えて食べられなくなるよりは、確実にエネルギーにすることを選んだ。

 三日目は久し振りに満腹感を得たが、落ち込んだ心を立て直すことはできず早めに眠った。

 四日目と五日目は本を読んで空腹を紛らわせた。

 六日目にはもう紛らわせないほどになっていた。

 お腹が空いたというよりは、胃の辺りがきりきりと痛む。

 無理をして本を読むが、だんだんとこの世界の神様に腹が立ってきた。神様の悪戯を、この世界で初めての人類ヨニとイーダが尻拭いしていく。彼らはまるで我が子を見守るように「仕方のない神様」と笑ってそれを許すのだ。

 亜佐には到底許せそうもなかった。世界中の猫の尻尾を細長いものから丸いものに付け替える暇があるのなら、勝手に連れてきて勝手に落とした人間の面倒くらい最後まで見てくれればいいのに。

 そして、ここまでは頑張ると決めていた七日目。

 また朝から雨が降っていた。

 動きたくないと軋む体を引きずって水を汲みに行き、それを飲んでから十三巻ある聖書の最後の本を手に取る。

 今日はロイリが出張から帰ってくる日だ。何時に帰ってくるのだろう。もう帰ってきているかもしれない。もしかすると予定が延びているかもしれない。もしかすると、亜佐がいなくなったことを聞いて早めに帰ってきているかもしれない。

 痛む腹と戦いながら本を読む。

 一週間食べなくても大丈夫なんて言ったのはどこのどいつだ。

 最後のパンを食べてから四日、もう辛くて辛くて死んでしまいそうだ。

 クラウゼの屋敷で体脂肪を増やしていてよかったと今なら思える。ベルタとのお茶会のことを知ったロイリやアドルフが頻繁にお土産に菓子を買ってきてくれたお陰だ。

 ベルタの入れてくれたお茶が飲みたい。飲みやすい温度まで下げてから出してくれる、あのお茶が。

 くずぐずと鼻をすすりながら本を読み終える。神様の馬鹿野郎と地面に放り投げて、硬い椅子に寝転がった。ヨニとイーダが最後まで仲睦まじく、たくさんの子供に囲まれて幸せだったことだけが唯一の救いだった。

 眠気があるが、寝たらそのまま死んでしまいそうな気がして怖い。

 飽食の時代に生まれた先進国出身の人間が、餓死だなんて。

 ぼんやりと天井からぶら下がっている電球を眺める。

 やはり伝えておけばよかった。

 ロイリに、あなたを愛していますと。

 ベルタもフレデリカもアドルフも好きだ。でもあなたのことは愛していると。

 そうすれば後悔だらけのこの人生の、後悔がひとつだけ消えて死ねただろうに。

 亜佐ははっと顔を上げて、慌てて首を振った。

 何を弱気になっている。まだ七日だ。

 死ぬ訳にはいかない。亜佐が死ねば、ロイリも死ぬ。

 ロイリを死なせない。命をかけて守ってくれた人を死なせたくない。

 それに。

 それに。

「死にたくない……」

 まだ死にたくない。まだ生きていたい。

 あちらの世界では生き急いでいるようだとよく言われていた。そうだ。確かにいつ死んでもいいように、駆け足で生きていた。

 それなのにこちらの世界では、たっぷり寝てたっぷり美味しいものを食べ、好きなようにピアノを弾き周りは優しい人が多い。そんなぬるま湯に浸かり続けて、きっと死ぬのが嫌になった。

「死にたくない」

 どんな理由でもいい。生きていたい。

 愛する人と生きたい。たとえそばにいられなくても。

「死んでたまるか……!」

 ベルタの無事な顔が見たい。彼女のお茶を飲みたい。フレデリカの子供自慢が聞きたい。エレオノーラが正当に裁かれるのを見届けたい。アドルフとベルタがふたりで幸せになるところを見てみたい。

 体を起き上がらせて、水を飲む。

 水差しはもう空だ。窓の外を見るが、分厚い雲に覆われた空では今は何時なのか判断できない。

 とにかく、暗くなる前に水を汲みに行こう。

 水差しに手を伸ばした、その時。ロイリの声が聞こえたような気がして体を止める。

 今まで何度もあった幻聴だ。

 幻聴だと分かっているのに、つい期待して耳を澄ませてしまう。

 そして亜佐は顔を跳ね上げた。

 幻聴ではない。雨と風の音の間に、微かに人の話し声が聞こえた。

「ロイリ」

 よたよたと椅子から立ち上がる。それと同時に、外に続く大きな扉がガタンと揺れた。

 閂をかけたままだ。何度か扉を強く叩くような蹴るような音が聞こえて、とうとう閂の留め具が壊れた。

 蹴破るように扉が開き、入ってきたのは。

「ロ……」

 ――ロイリ、ではなかった。

 数人の、見たことのない吸血人の男たちだった。

 男たちは亜佐の姿を見て一瞬驚いたようだったが、すぐにその顔ににやにやとした笑みを浮かべた。

「おや、先客か?」

 彼らは薄汚れた身なりに、腰にナイフや銃を抜き身で差している。その似たような姿には覚えがある。

 盗賊と呼ばれる男たちだ。九人もいる。

「こんな廃墟でお祈りなんざ、熱心なことだなお嬢ちゃん」

「ちょっと雨宿りさせてもらえるか?」

 ふらりと後ずさる。どうすれば逃げられるか、空腹で回転しない頭では考えられない。

 亜佐に近付いてきていた盗賊のひとりが、ふと顔を上げた。 

「おい待て、この甘い匂い……」

 盗賊は顔を見合わせる。不味い。人間だとバレてしまう。

 逃げようと駆け出したが、すぐに足が絡んで地面に倒れた。

 あっという間に男数人に押さえつけられる。

「そっち押えろ!」

「怪我させるなよ!」

 男の顔が近付く。顔を覗き込む赤い目に、言いようのない恐怖を感じた。

「やっぱり人間だ!」

 彼らは歓喜の声を上げる。

「落ちてきたばかりか、お嬢ちゃん。それともどこかから逃げ出してきた?」

「どうする?」

「売っぱらうに決まってるだろ! 若い女だ。いくらになるか……」

 下卑た笑いを浮かべながら、盗賊たちは金の話をしている。

 どうにか逃げる事はできないかと辺りを見渡す亜佐は、盗賊のひとりがじっと自分を見下ろしていることに気付いた。

 目が合って、男はぺろりと舌なめずりをした。

「なあ……怪我をさせなけりゃ何したっていいんだろ?」

 その言葉の意味を知って全身の血が足へ流れ落ちる。

 腕を押さえる手を振り払って尻餅をついたまま後ずさった。囲まれているので当然逃げ場はない。

「おい、やめとけ。生娘だったらどうする」

 リーダーらしい男がそう窘めたが、男は気にも止めない。

「はは、どうなんだい? お嬢ちゃん。俺が確かめてやろうか」

 スカートの中に手が入り悲鳴を上げるが、リーダーの男がその手を掴み、ねじり上げた。

「止めろって言ってんだろ。大事な商品に触んな」

「ああ!?」

 一触即発の雰囲気に、全員の視線がふたりに集まる。

 その一瞬の隙を付いて、亜佐は腰に差していたバンドラーのナイフを抜き、カバーを外して男たちに突き付けた。

 しかしそれに気付いた彼らから漏れたのは笑いだ。

 次に亜佐はそのナイフを自分の頬に押し当てた。

 盗賊は笑いを引き動きを止めたので、こちらが正解のようだ。

「傷をつけたら価値が下がるの?」

 震えきった声に、リーダーらしき男が鼻で笑う。

「やめとけ。血が出たら、その匂いに俺達が狂って余計に酷い目にあうぞ」

「それくらいで狂わないでしょう」

「……お前、どこかから逃げ出してきたな」

「下がって、私から離れて」

 リーダーの男が目配せして、盗賊たちが亜佐から数歩離れる。

 しかしまだ彼らの顔には余裕が浮かんでいる。小娘ひとりどうにでもできると思っているのだろう。

 そして亜佐も、これからどうすればいいのか全く何も思い浮かばなかった。

 ナイフを持つ手が震えて、本当に頬が切れてしまいそうだ。

「ロイリ……」

 口の中で名前をつぶやく。怖い、怖い怖い。恐怖で気を失いそうだ。

「ほら、嬢ちゃん。ナイフを寄越しな。何もしないから」

 リーダーの男が手を差し出す。

「こいつらにも手を出させない。大人しくしてりゃ、金持ちの貴族に売ってやるよ。死なない程度の血と引き換えに、贅沢暮らしができるんだ」

「近付かないで!」

 一歩足を踏み出した男に、悲鳴のように叫んだ。そろそろ恐怖が許容範囲を超える。

「助けて……」

 縋るように叫んだ。

「ロイリ……!」

 助けを求める声に、大きな銃声が覆い被さった。

 四度礼拝堂に響き渡る。

 何が起きたのかとっさに理解できない亜佐の頭上に血飛沫が雨のように降り注いで、一瞬意識が遠のく。

 ふと気付くと、四人の男が亜佐の足元に倒れていた。

 扉を振り返る。

 黒いレインコートを着た大柄な男が、硝煙を吐く銃を構えていた。

 ああ、まるで初めて会った時のようだ。

 赤い目が亜佐を見つめている。


 そこにいたのは、ロイリだった。




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