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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
三章

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29、死ねない理由




 目を覚ましたりまた眠ったり、亜佐は随分長い間夢と現実を行き来していた。

 何度も怖い夢を見た。そのたびに泣きながら起きて助けを求めて手を伸ばすのに、ロイリもベルタもここにはいない。

 ようやくはっきりと目が覚めたのは、左手の痛みのせいだ。

 目を開けて、見えるのものがいつものベッドの天蓋ではなく見たこともない建物の天井で、亜佐はようやく自分の置かれている状況を思い出した。

 生きている。

 手も動く、足も動く。体中が痛んだが、それはきっと固い木製のベンチに寝転がっているからだ。

 そっと起き上がる。辺りを見回して、人影がないことに安堵と不安が同時に巻き起こった。ここがどこだか分からない。少なくともクラウゼの屋敷では見たことがない。

 長椅子がいくつも並んでいて、亜佐はそのうちのひとつに寝転んでいた。

 椅子が向いている先には小さな舞台と、そして大きなステンドグラスだ。描かれているのは天使のような少年、いいや、きっとこの世界の神様だ。ここは教会に似た場所のようだ。それも、放置されて少し時間が経っている。

 天井近くにある高窓からは、紫色の空が見える。夕方の、恐らく十八時すぎ。半日眠っていたようだ。

 両手で顔を覆う。

 エレオノーラ、まさかこんな強硬手段に出るとは思わなかった。あの優しかったバンドラーが、エレオノーラに手を貸しただなんてまだ信じられない。

 そして、ベルタ。

 声を押し殺して泣く。

 彼女に何かあったらどうすればいい。もし、もし、最悪の事態になっていたら。

 泣いて泣いて、泣くしかできない自分に絶望して泣き止んだ。

 違和感を感じて左手を見る。いつの間にか包帯が巻いてあり、包帯とその下のガーゼを捲ると親指の付け根がザックリと切れていた。

 傷を確認した途端、ズキズキと脈打つように痛み始める。治療してくれたのは一体誰だ。

「……う、わっ!」

 その時、椅子に置いた手に何かが触れ、驚いて振り向く。すぐそばに籠が置いてあることに、今さら気付いた。

 恐る恐るかけてある布を捲ると、七つのパン、そして七つの果物が入っているのが見えた。

 紙を破ったようなメモも入っていたが、果物から出た水分でインクがぼやけ、全く読めない。

 籠の底には短いナイフも入っていた。恐る恐る持ち上げ、取っ手の部分に彫られている名前を読む。

「バン……ドラ……。バンドラーさん……」

 どうやらこの食べ物は、彼が置いてくれたようだ。

 殺そうとしたわけでは、ないのかもしれない。いいや、でも。

 また溢れそうになった涙が思わず引っ込んだのは、遠くから聞こえた動物の鳴き声のせいだった。

 犬の遠吠えに似ていた。

 辺りを見渡す。

 この教会の礼拝堂のような広間には扉はふたつだ。恐らく外に続いているであろう両開きの大きな扉と、こじんまりした扉だ。

 小さい扉には鍵はない。

 ナイフを握りしめて、そっと両開きの扉に近付く。外を見る勇気はなかったし、もう暗くてよく見えないだろう。

 鍵はついておらずかんぬきの板がそばに立てかけてある。音を立てないようそれをはめて、また元の椅子に戻った。

 かごの中のパンをひとかけ千切って口の中に放り込む。そして椅子の上で小さく丸くなった。

 暖かくなり始めた時期で本当によかった。

 一日眠っていたせいで眠れないかもしれないと心配したが、憔悴しきっている体はあっという間に眠りへと落ちていった。



 次の日、陽が高くなった頃に、亜佐はようやく外へ続く扉を開いてみた。

 深い森の中のようだ。庭があったのだろうが、草に覆われていて森との境目がなくなっている。

 ナイフのカバーを外して握り締め、そっと体を滑り出させ辺りを見渡す。

 獣道のような小さな道があり、そこには細い車輪のような跡が残っていた。この跡を辿っていけば麓に降りられるかもしれない。

 教会を振り返り、そしてその時初めて気付いた。

 入り口の扉から少し離れた場所に、大きな獣が横たわっていた。

「ひっ……!」

 悲鳴を上げてから、自分の口を両手で押さえる。起こしたかもしれないと思ったが、それはすぐに杞憂だと知った。

 獣の胸元が切り裂かれて真っ赤に染まっている。

 そろりと近付いて様子をうかがう。舌を垂らし絶命しているのは見たことのある獣だ。この世界に落ちてきてロイリと出会った直後に遭遇した、あの獣だった。

 慌てて建物に入り、かんぬきをかける。

 あんな大きな獣を倒すような、もっと大きな、もしくは獰猛な動物がいるのかもしれない。

 車輪の跡を辿っていくのは不可能だ。もし途中で獣に出会ったら成すすべもない。絶望が体を支配し始めて、首を振る。

「……諦めるな」

 言い聞かせるように呟いて、もうひとつの扉へ向かう。

 扉の向こうは暗くて埃っぽい廊下だった。いくつか扉が並んでいて、全て覗いてみたがどうやら居住スペースのようだ。

 キッチンでロウソクとマッチを見つけ大喜びした。

 マッチは湿気っているものも多いが、どうにか着くものもある。これで夜の暗闇を怖がらなくてもいい。

 さらに水の流れる音が聞こえて顔を上げた。外から聞こえるようだ。

 キッチンからも外に出られる扉がついていて、亜佐はそっと開いて顔だけ出す。目の前は小さな沢だった。姿勢を低くしておっかなびっくり近付いて、細い川を覗き込んだ。透き通っている川だ。小さな魚も泳いでいる。

 少し迷って、しかし喉の渇きに耐えられず手で掬って飲んだ。

「……美味しい」

 思わず口に出してしまって、慌てて辺りを見渡した。動物はいない。

 キッチンに戻って戸棚を漁る。グラスや水差しが残されている。これを川で洗えば充分使える。

 グラスをぐっと握り締めた。

 これで当分は大丈夫だ。水もある。少ないが食べ物もある。明かりも確保できた。

 クラウゼの屋敷では、すぐに誰かがベルタが倒れていることや亜佐が居ないことに気付くだろう。

 もしエレオノーラが隠していたとしても、警護の人たちや一度様子を見に来てくれると言っていたフレデリカが異変に気づいてくれるはずだ。

 きっと探しに来てくれる。

 殺そうと思えば殺せたはずなのに、バンドラーはわざわざ傷の治療をして食べ物まで置いていった。

 七日頑張ろう。七日間頑張れば、きっと助けが来てくれる。

「ロイリ」

 彼にはまだこの血が必要だ。

 絶対に死ねない理由を口にして、亜佐は唇を噛み締めて前を向いた。




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