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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
二章

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26/57

26、あと数ヶ月




 ロイリがフレデリカを連れてもうすぐ帰るという連絡をくれたのは、まだ夕飯前の早い時間だった。

 慌てて部屋いっぱいに散らかしていた楽譜の山を片付ける。終わると同時にふたりは部屋を訪れた。

「こんな時間にごめんね、アサ。お腹空いてない?」

「さっきお菓子をつまみ食いしたから大丈夫です」

 ロイリのように頬にキスはしないが、フレデリカは会うたびに亜佐を抱き締める。今日も扉を開けて出迎えた亜佐をその場で抱き締めながら、フレデリカは背中や腰を撫で回した。

「二週間ぶりかしら。なかなか来られなくてごめんね。また少し丸くなったわねぇ。そろそろ食べごろかしら?」

「まだもう少し太らせないと美味くない」

 部屋に入れず扉の向こうで憮然と腕を組んでいるロイリが言う。冗談だとは分かっていたが、ふと気になった。人間を構成する全てが美味しいとフレデリカは言っていたが。

「人間の肉って、美味しいんですか?」

 フレデリカが目を口もあんぐり開けて亜佐を見下ろす。

「……食べるなんて冗談だからね?」

「分かってます」

「ああ、驚いた。あなたも冗談を言うのね」

 冗談ではなく純粋な疑問だったが、フレデリカが結局質問に答えなかった理由は深く考えない事にした。

 ようやくフレデリカが退いてロイリが部屋に入ってくる。目が合って、今朝のことを思い出して思わず逸らした。

「……ただいま」

「はい、お帰りなさい」

 視線は元に戻せず、ロイリがどんな顔をしているのかは分からなかった。彼が隣を通り過ぎてから、扉を閉めてソファに向かう。

 腰をかける亜佐にフレデリカがはしゃいだ声をかけた。

「そうそう、アサ! 双子の一歳の記念写真を撮ったのよ! 後で見てくれる?」

 久しぶりの写真だ。亜佐は両手を合わせて喜ぶ。

「はい、もちろん」

「初めて写真屋で撮ってもらったんだけど、もう可愛いのなんの……ああ、難しい話をしてからにしましょうか」

 彼女はお喋りを思い止まってくれたようだ。

 ロイリが息を吐いて話を始めた。

 昨日の夜に起こった事、夜にキスをしなかった事、朝までそれほど衝動は強くなかった事。

「……早いわね。私が見てきた中でも一番早いかも」

 フレデリカは難しい顔で分厚い手帳に何か書き込みながら、うんうんと唸っている。

「まだ一日一回に減らすのは怖いわ。そうね……二日に一回、朝の分をなくしましょう。ロイリ、なくした日の夕方に、必ず私のところに顔を見せに来て」

「了解」

「上手くいったら一日一回にしてみましょう。順調に耐性はついてきているわ。焦らずに行きましょうね」

「分かった」

 亜佐は俯いて、膝の上で重ねている手を見つめる。耐性がつくのは早くて二年から十数年と聞いていた。少なくとも二年は一緒にいれると思っていたのに、フレデリカが言うにはそれよりも早いらしい。

 ロイリと離れなければならない未来が突然現実味を増す。

「アサ? 大丈夫?」

 フレデリカの声にはっと顔を上げた。慌てて「何ともありません」と笑顔を作ったが、彼女はさらに心配そうな顔をする。

「何か不安があるのなら言ってね」

「はい。大丈夫です」

「アサ」

 ロイリが組んでいた腕を解いて、背もたれに預けていた体を起こした。

 真っ直ぐに亜佐を見る。

「すぐには無理だが、もう少し間隔があいたら……少し早めにお前を保護施設へ入れられるよう、上と話をしている」

 目を開いてロイリを見た。ゆっくりと頭を横に振ったが、彼は話し続ける。

「私兵と警護のおかげで外からの脅威は今のところ問題ない。しかし内部の吸血人を完全にお前から引き離すことは不可能だ」

 ロイリの目線は亜佐の頬だ。化粧で隠している頬の痣を見ている。

「アサ」

 ロイリの手が頬に触れる。身を乗り出して亜佐に手を伸ばしている彼は、静かに言った。

「お前の安全のためだ、アサ。お前のためなんだ」

「……はい」

 もう、一緒にいられるのは、あと数ヶ月だ。嫌だ。嫌だ、嫌だ。

 彼の手に触れて、頬から離す。触れ合っているところから、心の中で渦巻いているわがままや癇癪が漏れ出しそうで怖かった。

 ロイリがまた背もたれに体を預けたのを見計らったように、フレデリカが少し明るい声を上げた。

「アサ、少しだけ血をもらってもいい? 研究に使わせて欲しいの」

「はい」

 笑顔を作る事すらできない。フレデリカの鞄をじっと見つめる。ロイリが立ち上がった。

「出てる」

 彼が部屋を出ていったのを見届けてから、フレデリカは鞄から注射器を取り出した。

「ごめんなさいね、本当に少しだけ。最近貧血はない?」

「はい、全く」

「ちょっと痛いわよ」

 針から顔を背けて唇を引き結ぶ。ちくりと痛んで、もう泣き喚いてしまいたい気分だった。

 血と注射器をケースに戻しながら、フレデリカがぶっと吹き出した。

「今のあなたの顔、仕事に行く私を見送る長男の顔にそっくりよ」

 亜佐は思わず頬を撫でる。一体どんな顔をしているのか。

「寂しい、離れたくない。でも仕方がない事だと理解してる。どれだけ泣き喚いたってどうにもならない事も分かってるから、じっと我慢している顔」

 フレデリカは意地悪そうに笑って、亜佐を覗き込んだ。

「そんなにロイリと離れるのが寂しいの?」

 真ん丸に目を見開いてフレデリカを見つめてから、亜佐は力を抜いて目を伏せた。

「……はい、寂しいです」

 その顔に彼女の視線を感じる。何もかも見透かされてしまいそうだ。それでもいい。これが紛れもない本心だ。

 彼と離れるのは寂しい。想像しただけでも心臓が押し潰されそうなくらい、寂しい。

「ロイリの事、好きになった?」

 返事をせずに視線を上げて笑う。フレデリカなら分かってくれるだろう。

 彼女は驚いた顔をした後に、にこりと笑った。何もかもを悟ったように、きれいに笑った。

「彼には内緒にしておくわ」

 彼女は唇に指を当てて、荷物を片付け始めた。

「……保護施設に行ったら、フレデリカさんには会えますか?」

「私とはいつでも会えるわよ。呼んでくれたら飛んでいくから」

「よかった。嬉しい」

 語尾が震えて、唇を強く噛んだ。

 フレデリカの手が髪を撫でて、すぐに離れた。

「ロイリを呼ぶわね」

 立ち上がって扉に向かったフレデリカは、扉のすぐ向こうにいたロイリと何やら話し出す。

 今のうちに滲んでいた涙を乾かそう。鼻をすすって目を瞬かせていると、扉の向こうからフレデリカが「アサ!」と呼んだ。

「それじゃあ、帰るわね」

 手を振る彼女に、慌てて立ち上がって頭を下げる。

「はい、ありがとうございました」

「またすぐに来るわ」

 手を振り返すと、フレデリカはニコリと笑って扉の向こうへ消えた。

 寂しさを噛み締めながらソファに座る。その背もたれにロイリが触れた。

「いい?」

「どうぞ」

 視線を逸らした事を気にしているのか、頬に触れた手を押し返した事を気にしているのか。駄目なんて言わない。

 返事を聞いて、ロイリがすぐ隣に座った。

 彼を見上げて尋ねる。

「保護施設ってどんなところですか?」

「……軍の施設内に建つ、寮を改装した建物だ。外には出られないが、屋上に広場があってちょっとした運動ならできる」

 彼の指が亜佐の額を撫でる。

「まだ完全に耐性がつかないうちに保護施設に入ったら、どうやって会うんですか?」

「こっそり、になるだろうな。フレデリカと協力して、持病の投薬やら何か理由をでっち上げて会うことになると思う」

「耐性がついた後は、もうあなたに会えないんですか?」

「……難しいな」

 ため息とともに吐き出された言葉に、耐え切れずに目を伏せた。

「俺に会えないのは寂しい?」

 分かっているだろうに、そんなことを聞くなんて酷い男だ。

「寂しい」

 手を伸ばして、彼の指を握り締める。臆病者にはこんな時ですらそれが精一杯だった。

「寂しいし、怖い」

 ロイリが少し笑って、しかしすぐにその顔が歪められた、ように見えた。強く抱き締められ彼の表情は見えなくなった。

「それがお前のためだ。こんなところで危険な目にあうより、同じ人間がいる安全な場所で暮らした方がいい」

 体が離れて、強く肩を押される。背中がソファの座面に沈み、伸し掛かった彼のキスはいつもより荒い。

「ロ……イリ」

 愛しい人の名前を呼んでその首に腕を回そうとしたが、手首を掴まれソファに押し付けられた。

「アサ」

 キスの合間に彼が名前を囁く。息苦しくて返事はできない。

 すぐに唇が離れて、彼は悲痛に歪んだ顔も荒れた吐息も隠さずに言った。

「吸血人にこんな事をされるより、同じ人間と愛し合って幸せに暮らすほうがいいんだ。結婚だってできる」

「……吸血人と人間は、結婚できないんですか?」

「できない。こんな風に触れ合うことすら本来は許されていない。……そもそも、結婚は子供を産み育てる環境を作るための契約だ。吸血人と人間の間には子供ができないから、必要ない」

 子供はできないのか、とぼんやり思う。ハーフか何かが産まれると思っていた。

「お前はたくさん子供を産むのが夢なんだろ?」

「そう、です。……でも」

 欲しいのは好きな人との子供だ。誰でもいいわけではない。

 ロイリは前髪をかき上げて何度か深く呼吸をして、体を起こした。

 彼に続いてのっそりと上半身を起き上がらせる。

「保護施設には今三百人ほど保護されている。少し男が多いくらいだったか。お前なら引く手数多だろう」

 そんなものいらないと、声に出せなかった。ロイリは亜佐の手を持ち上げて指にキスをして、優しい声で呟いた。

「どこにいても、お前の幸せを願っているよ」

 残酷に突き放す言葉を吐きながら、彼は亜佐の手を離さない。言っている事とやっている事がちぐはぐだ。

「ロイリ」

 視線を落としてそろりと尋ねる。

「私がいなくなったら、寂しいですか?」

 少し間を置いて、彼の手が頬に触れ、唇を滑って顎を持ち上げた。

 赤い目が亜佐を覗き込む。

「寂しいよ」

 さっきとは違う優しい手が体を抱き締めて、彼の胸の中にすっぽりと収まった。答えるように背中に手を回す。フレデリカが言葉にしてくれたおかげで、この胸に渦巻くドロドロしたものがよく分かった。

 寂しい。

 この人と離れたくない。

 でも仕方がない事だと理解してる。頭のどこかで諦めている。

 どれだけ泣き喚いたって縋り付いたって、どうにもならない事も、ただロイリを困らせるだけだとも分かっている。

 分かっているのに。

 まだまだ子供だなと、自嘲すら漏れなかった。

「夕飯、まだだよな?」

「まだです」

「一緒に食べようか」

「はい」

 そう言いながら、ロイリはまだ亜佐を離さない。

 そのまま体を預けて彼の鼓動を聞いていると、ふと写真の事を思い出した。

「……フレデリカさんに写真を見せてもらうの忘れてた」

 ロイリが笑ったのが少し震えた胸の動きで分かった。

「またすぐに来るだろ。アサが見たがってたって伝えておくよ」

「はい、お願いします。ロイリは見ましたか?」

「いいや。あいつ、気を遣ってるのか俺には子供の写真を見せない」

「そうなんですか……」

 ふたりの関係を思い出して、無意識にロイリの胸に額を擦り付ける。

 それでも、フレデリカに対して嫉妬の感情は浮かんでこなかった。

「……私、フレデリカさんみたいなお母さんが欲しかったな。フレデリカさんの子供になりたかった」

 今度はロイリは声を出して笑う。

「フレデリカさんに言ったら駄目ですよ。こんな大きな子供がいるような歳じゃないって怒られる」

 「分かった」と笑って、ロイリはようやく体を離した。亜佐の髪をすくい上げ、弄ぶ指を見つめる。

「……今日は短かったですけど、大丈夫ですか?」

 彼は顔を上げて、それから少し笑った。

「夜にする」

 持ち上げた髪にキスをして、彼はソファから立ち上がる。

「着替えてくる。待ってろ」

「はい」

 扉が閉まるのを見届けてから、亜佐はソファの上で小さく丸くなった。




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