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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
二章

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25/57

25、自覚




「おはよう」

 次の日の朝、ロイリは扉を開けて、いつも通りの顔でいつものようにそう挨拶した。

 亜佐は呆然とその顔を見る。

 昨日の事が怖かったとか、夜にキスをしなかったけれど大丈夫なのか心配だったとか、思いを自覚してしまってまともに顔を見ることができないかもしれないとか。

 そんな事は彼の顔を見てどうでもよくなった。

 涙が溢れてぼとりぼとりと落ちていく。

「アサ」

 慌てたようにベッドに座る亜佐に駆け寄って、ロイリは涙に触れた。

「ごめん、怖かったな。もっと早くに来てやれればよかったんだが」

 首を振る。怖かったがそうじゃない。この涙は、きっと自分のための涙だ。どう足掻いたって幸せになることなんてできない自分を哀れんだ涙だ。

 この人が好きだ。

 いつか見た赤い雨の降る夢の中で、神様だかなんだかよく分からない人が言ったように、この人を愛している。

 多分これが愛しているという感情だ。

 こんなにも愛しくて、こんなにも触れて欲しくて、こんなにも愛されたくて仕方がない。

 彼に手を伸ばし、コートをぎゅっと握り締めた。

 ロイリの赤い瞳が微かに揺れる。

 涙を拭った親指を彼が舐めた。それよりもこっちに欲しいと、亜佐はロイリのコートを引いて少し唇を開いた。

 吸い寄せられるように彼の顔が近付いて、唇が触れる。丸一日ぶりのキスだというのに、ロイリは時々肩を掴んでいる指に力をこめるくらいでいつもと変わりない。

 むしろ取り乱し始めたのは亜佐の方だ。体から力が抜けて、震える手でロイリの胸にしがみつく。彼はすぐに気付いて、ゆっくりとベッドに体を横たえてくれた。

 いつもより少し長く求め合って、ロイリが離れる。もう少しして欲しかった。物欲しそうな目に気付かれないよう顔を逸らして息を整える。

 まだのしかかったままの彼の指が赤いであろう目元を撫でるので、堪らず目を閉じた。

「時間があいたから、もっと酷くされると思ってました」

「酷くして欲しかった?」

「違います……」

 ロイリを睨みつけると、彼は「ごめん」と笑いながら亜佐の頭を撫で、体を起こした。

「衝動がなかったとは言えないが、抑え込むのにそこまで苦労はしなかった」

「それなら、よかったです」

 そう言って、無理やり笑顔を作った。

 少しずつ少しずつ、この体が必要なくなっていく。残っていた涙がひと粒だけシーツへ落ちた。

 涙を拭ってくれた彼の顔を見上げる。隈ができているほどではないが、少し疲れが見て取れた。

「あまり寝てないんですか?」

「……分かるか?」

「疲れた顔をしてます」

 ロイリは頬を撫でながら「大丈夫だ」と軽く言った。否定しないということは、本当にあまり寝ていないのだろう。

「今日、フレデリカを連れて帰ってくる」

 少し乱れたネクタイを直しながら、ロイリは亜佐を見下ろした。

「少しずつ間隔をあけていく相談をしよう」

「……はい」

 彼に続いてベッドを降りて、見送るために扉に向かう。

 ロイリは扉を開く前に、亜佐を振り返って声を潜めた。

「ベルタにも言っているが、部屋を出るときは警護をそばにつけてくれ」

 うんと頷く。いつも遠くからついてきていた警護の軍人を、隣に立たせろということだろう。

「エレオノーラは報告を聞いて、今のところは俺達の関係を疑っていないようだ」

 また頷く。できればもう関わりたくないが、この屋敷で世話になっている以上そうはいかないこともあるだろう。

「万一何かされたり言われたり、何か気付いたことがあれば俺かベルタに言え」

「はい」

「絶対だぞ」

 真剣な顔をして念を押した彼を安心させるように、亜佐は小さく笑ってみせた。

 少しの間あまり部屋から出ないほうがいいだろうか。

「昨日忍び込んでいた人は、ここで働いてる人なんですよね?」

「……そうだな」

「じゃあ、もしかしたら廊下で会ったりするかもしれないんですね」

 どんな人なのか亜佐は知らない。廊下ですれ違って挨拶をして、内心笑われたり後ろ指さされるかもしれないと思うと癪だ。

 しかしロイリは、少し間をおいてから言い切った。

「いいや、それはない」

「屋敷の外で働いてる人ですか?」

「そうだ」

 ロイリは亜佐に手を伸ばす。その手がぴたりと宙で止まった。離れていく彼の爪の隙間に、赤茶の何かがついているのが見えた。

 彼は優しく笑っている。

「……ロイリ」

「お前は何も心配しなくていい」

「待って」

「行ってくる」

 くるりと踵を返して、ロイリはいつもの挨拶をせずに部屋を出ていった。

 亜佐は立ち尽くす。あれは、血だろうか。

 閉まっていなかった扉がノックされ、ベルタが顔を出した。扉を大きく開いて、朝食の乗ったワゴンを押す彼女を部屋に招き入れる。

 礼を言ってテーブルに朝食を並べ始めたベルタのそばに立って、亜佐は聞いてみるか迷って結局口を開いた。

「昨日の、部屋に忍び込んだ人はどこにいるんですか?」

 手を止めて、ベルタは亜佐をちらりと見る。

「……あなたが気になさる事はありません」

「ロイリの爪に血がついていました」

 ベルタは返事をする気はないらしい。

 負けじと震える声で続ける。

「まさか……、こ」

 殺したのかと、声に出すこと事ができなかった。

 ようやく亜佐を真正面から見て、ベルタはいつもの無表情で言う。

「殺してはいません」

 殺してはいない。なら、一体どんな目にあわせたというのか。

「お願いですから……酷い事は……」

 言いかけて、口をつぐむ。守られてばかりいる立場で、こんなことを言う権利はない。危ない目にあうのは亜佐だけではないのだから。

 俯いて唇を噛む。頭上からベルタのため息が聞こえた。

「勘違いなさらないでください。あなたのためにしている事ではありません」

 いつもより強い口調でベルタが言う。

「ロイリ様はご自身のために。私は、私の主のために動いています。ロイリ様が人間の血を飲んだことはこれ以上ない程のスキャンダルです。知っているのは軍上層部の数人と、ここにあなたの警護に来ている彼の部下だけ。これ以上広めるわけにはいきません。こんなところでこんな事で、足をすくわれるわけにはいかないのです。あの方はこんなところで立ち止まっていていいような方ではない!」

 初めて聞く声にビクリと体を震わせる。ベルタははっと我に返った顔をして、それから気まずそうに顔を逸らした。

「……あなたは特殊な血を持っていて、保護施設で行えないようなような非人道的な実験のためにここに秘密裏に隔離されている、と皆が噂しています。私が否定していませんので、信憑性が高い噂として流れています」

 亜佐の前に片膝を付いて、ベルタは亜佐の手を取った。

「あなたはそれを否定せず肯定せず、今まで通り過ごして頂ければいいのです。何も心配なさらないでください。私が命に代えてもお守りします」

 ベルタは亜佐の手を額に押し付ける。そして手を離して立ち上がった。その顔を見ていられず。彼女の礼儀正しく重ねられた手に視線を落とした。

「はい。余計な口出しをしてごめんなさい」

 本当に何もできることはないのかと呆然とする。ただただ邪魔をしないようするしかないのか。

 涙が溢れ出る。鬱陶しい。涙腺が詰まってしまえばいいのに。

「顔を洗ってきます」

 洗面所へ向かう背中に、ベルタが声をかけた。

「声を荒げてしまって申し訳ございませんでした」

 声は出せそうになかったので大きく首を横に振って、そのまま洗面室の扉の向こうへ逃げるように駆けていった。




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