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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
二章

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24/57

24、神様




 夕食を食べる直前まで、ロイリは亜佐から離れなかった。

 お喋りをしたり、おやつを食べたり、昼寝をしたり、効果的に体力を作る運動の仕方を教えてもらったり。

 夕食も一緒に食べようと準備をしていた。その時軍から電話があり、少し待ったが結局来たのは先に食べていてくれという伝言だけだった。

 いつもと同じようにひとりで食事を取り、シャワーを浴びて寝間着に着替えロイリを待つ。ずっと一緒にいたせいで、少し離れているだけだというのに寂しい。

 九時を過ぎた頃、ようやく待ちに待ったノックの音が聞こえた。上擦らないように慎重に「どうぞ」と返事をする。

 それを聞いて部屋に入ってきたロイリは、一瞬動きを止めた。

 小首を傾げる亜佐に視線をやって、それから彼は珍しい満面の笑みを顔に浮かべた。

「アサ、おいで」

 驚いてその広げられた両手を見つめる。

 一体どうしたのか全く分からなかったが、戸惑いながらも言われたとおりに近付いて、遠慮がちにその胸に体を寄せた。

 ロイリは両腕を亜佐の背中に回し強く抱き締める。そして唇を耳元へ近付けて、ようやく聞き取れるような小さな声で呟いた。

「部屋に誰かいる」

 体が凍り付いたのが分かった。どういうことだ。誰かがこの部屋のどこかに潜んでいるということか。

 振り返ろうとした亜佐の頬を掴んで、ロイリは額にキスをする。そしてそのまま手を引いて、何もないような顔をしてソファへと歩き出した。

 気付かないふりをしろということらしい。

 顔を動かさないように、目だけで部屋を探る。人が隠れられる場所といえば、ベッドの下かクローゼットくらいだろう。しかしクローゼットはベルタが亜佐の寝間着を出すために開けた。それから亜佐はこの部屋を出ていない。

 亜佐をソファに座らせて、ロイリはすぐ隣に腰を下ろした。

 背もたれに腕を回して、その指先が亜佐の肩を抱く。

「夕飯、一緒に食べられなくてすまなかった」

「……いいえ、お仕事でしたら仕方ないです」

 肩を撫でたり髪を弄んだりする指に妙に緊張する。

 彼はズボンのポケットから手帳とペンを取り出した。さらさらと何か書いていく。

「今日は人間が三人も落ちてきたらしくて、てんてこ舞いだったようだよ」

「三人も……そんなにたくさん」

 その手帳を膝の上に置かれる。持ち上げないで何気ないふりをしながら文字を読んだ。

『ベッドの下、恐らくエレオノーラの差し金、キスはしない』

「皆無事保護できたらしい。昔に比べて人間の落ちてくる頻度がかなり上がった。さすがに一日に三人も落ちてくるのは稀だが」

 ロイリの言葉が頭に入らない。ベッドの下からなら、風呂上がりにバスローブから寝間着に着替えるところが見えただろう。

 もしかすると男かもしれない知らない人に裸を見られた。最悪だ。

 唇を噛み、泣きたいのを我慢する。

 ぎゅっと握り締めた手にロイリが触れた。涙で赤くなった目を向けてもロイリを困らせるだけだ。じっと俯いたままでいると、彼は亜佐の手を取り自分の膝の上に置いた。その手を指でなぞりながら話を続ける。

「吸血人は昔、動物の血を飲んでいたという話はしたな」

「……はい」

 確かロイリと初めて会った時、馬の上で聞いたはずだ。

「しかし今、たとえ動物のものだとしても吸血人は血を飲まない」

 どうしてそんな話をするのか、彼の声にじっと耳を傾ける。

「人間の血を飲むようになってから、吸血人にとって動物の血を飲むことは下劣な行為になったんだ。当時存在した奴隷階級の吸血人は人間の血を飲むことを禁止されていて、動物の血しか与えられていなかった事も関係している」

 頷きながら、難しい話を理解していく。 

「人間の絶滅を経て、吸血人は血を全く飲まなくなった。そのせいで不具合が起きた。寿命が伸びないんだ」

 ようやく彼を見上げた。そしてその血のように赤い目を覗き込む。

「医療技術は確実に進歩している。なのに寿命は五百年前とほとんど変わらない。おまけに出生率も下がっている」

「血を飲まなくなった事と、それが関係していると……?」

「多くの研究者はそう見ている。だが、長い間動物の血を摂取していなかった我々の体は、それを受け入れられなくなってしまった」

「……飲んだことはありますか?」

「ないよ。悪食家くらいだろう、飲むのは」

 彼の膝の上に置いていた手をぐいと引かれる。体が前のめりになって、ロイリの顔が近付いた。

「俺たちは人間の血しか飲めない」

 赤い目がぎらりと光って、一瞬亜佐が映り込む。

 硬直した腕を離して、ロイリはふっと吹き出した。

「今、本気で怯えただろ」

「……だって、ロイリが怖い顔をするから」

「すまない」

 あやすように頭を撫でて、ロイリは前を見た。

「人間の血で起こる依存症のほうがよっぽど寿命を縮める。飲む者、飲まれる者の両方に専門家がつかなければ、依存症の知識のない現代人は五百年前のように大混乱を起こす」

「でもそれじゃあ、どんどん吸血人は減ってしまって……」

「何もしなければ、人間と同じように絶滅だろうな。……この世界は、未熟な神によって作られた出来損ないの世界なんだ」

 また話が飛んだ。いや、もしかすると繋がっているのかもしれない。

「この国の国教の話は誰かから聞いたか?」

 首を横に振る。

「俺も昔は神なんて信仰上の記号としか見ていなかったが、お前たち人間と関わるようになってその存在を信じざるを得なくなった」

 ロイリは背もたれに体を沈めた。

「この世には九つの世界が存在し、九人の神がそれぞれを治めている。……ずっと昔からある神話だ。今まで人間は数百人落ちてきたが、どれだけ調べても八つの世界しか存在が確認できない」

 八つの世界とそしてこの吸血人の存在する世界。合わせて九つ。神話の通りだ。

「九人の神は兄弟で、この世界は末子のまだ幼い神が統治している世界なんだ」

 この世界に来るまでは、神様だなんて信じていなかったしこの話も胡散臭く感じただろう。しかしこの世界には吸血鬼がいるのだ。神様くらいいたって別におかしくない。

「末神はとにかく悪戯好き派手好きで、変装して地上に降りてきては動物の角を増やしたり尻尾を増やしたり、おかしな能力をつけたり消したり。そのせいで絶滅した種族が多数いる」

「人間、も……?」

「そうだと言われている。その血に治癒なんていう能力をつけられたせいで、絶滅した」

 なんて無茶苦茶な神様だ。

「そのせいでこの世界の多数を占める吸血人が絶滅しかかっている。神の役目は世界の繁栄。どれだけ知能のある生物を育てられるか。そこで末神は焦って、兄神達の世界から人間を連れてきては血を作り変え、空から落としている」

 ロイリは亜佐の手を持ち上げ、そして離した。膝の上にぽとりと落ちた手を、亜佐はまじまじと見つめる。これで最初の人間が落ちてくる話と繋がった。

 亜佐をこの世界に落としたのが神様だとしたら、あの赤い雨が降る空間で亜佐を手招きしていたのは、神様だったのか――。

 ロイリが手をパンと打つ。驚いて顔を上げた亜佐を見下ろして彼はにこりと笑った。

「と、そんな話がこの間の研究発表会で大真面目に議論されていた。……万が一それが本当だとしても、人間をいくら連れてきて落としたって世界はよくならない。幼い神はそれに気付かない」

 規模の大きな話だった。世界だとか神様だとか、自分が関わっているかもしれない事が不思議だ。

「おとぎ話みたいですね。寝る前に枕元で聞きたかった」

 ロイリが声を上げて笑う。今日はよく笑うような気がする。

「おやすみ前のお話を聞かせるより、おやすみのキスがしたいかな、俺は」

 彼の手が頬に触れる。冗談で言っていると思った。なので頬に触れていた手が後頭部へ回され、強い力で引き寄せられた時、亜佐は思わずロイリの口を手で塞いでいた。

 彼の顔が近い。触れている彼の顔が熱い。

「駄目……」

 しかし拒絶の言葉は思ったよりも弱々しい。むしろねだっているようにも聞こえて、亜佐は顔を赤くする。

 ロイリは目を細めて亜佐の手首を掴んで、逃げられないようにして手の平をべろりと舐めた。思わず飛び上がる。体を引いたが逃げられない。

 彼の唇が指に押し付けられ、手の甲にも手首にも音を立てながら這う。

 ベルタに見られるのは不本意ながらもう慣れてしまった。しかし今はどこの誰だか分からない人に見られている。それなのに、こんな事をして。

「ロイリ……」

 縋るように彼を見上げる。恥ずかしさと恐ろしさと、あと唇にもキスをして欲しくて堪らなくてどうにかなってしまいそうだ。

 ロイリは微かに唇を震わせて、そして亜佐から離れて立ち上がった。

「そろそろ帰るよ。我慢できなくなる前に」

「……はい」

 離れたくない。何てもちろん言えない。

 扉の前までついていくと、振り返った彼にまた抱き締められた。耳元で低い声が囁く。

「ベルタを寄越す。俺は夜中に来るか、朝早めに来るから」

 離れたロイリを不安げに見上げて頷く。そんな亜佐の前髪をかき上げてキスをすると、ロイリは笑った。

「おやすみ。愛してるよ、アサ」

 またしても硬直した体を抱き締めて、両頬にキスをしてロイリは笑顔を残して出ていった。

 彼の言葉を頭の中で何度か反芻して、よろよろと扉に手をつく。

 分かっている。

 彼は、愛し合っているが額や頬にキスする事しかできないふたり、を演じていただけだ。

 分かっているはずなのに、心臓が暴走している。体の中心が疼いて、息ができずに思わず胸元を押さえた。

 切なくて苦しくてたまらない。

 踵を返してソファに近寄りゴロリと寝転ぶ。

 どうして苦しいのか考える、までもない。ずっと考えることを避けていた事だ。

 彼を親鳥や保護者だと考えていた、その時期は短かった。それ以上の思いが心に浮かんでいたが、目をそらし名前をつけることは拒んでいた。可哀想なことに、この思いはハッピーエンドを迎えることができないからだ。そう、絶対に。

 でも、もう駄目だ。

 ロイリの言葉と笑顔で――たとえそれが偽物だと分かっていても、もう目を逸らせないくらいその気持ちが大きくなっている事に気付いてしまった。

 じわりと涙が滲んだ時、突然ノックの音が響いて亜佐は驚いて飛び起きた。

 そう言えばこの部屋には誰か潜んでいるんだった。

「はい」

 縋るように返事をすると同時に扉が開く。ベルタだった。

「アサ様、フレデリカ様からお電話です」

「……フレデリカさんから?」

 連れ出すための嘘だろう。とにかく早くこの部屋から出たくて、不自然に見えない程度に急いで部屋を出た。

 通されたのはすぐ隣のベルタの部屋だった。

「どうぞこちらに」

 ベルタが指したのはソファだ。やはり電話は部屋から連れ出すための口実だったようだ。

 向かいに座ってベルタは声を落とした。

「出て行くとすれば窓からです。ロイリ様と警備の者が外で張っています」

「はい……」

「恐らくエレオノーラ様の差し金です」

「今日ロイリが話した私達の関係が、本当かどうか確認するため……?」

「恐らく」

 勝手に部屋に忍び込み会話を盗み聞くなんて悪質だ。もし、相手に危害を加える気があったなら、今こうやって無事ではいなかったかもしれない。

 急に恐ろしくなって体を縮こませた。

「……申し訳ございません、気付きませんでした」

 頭を下げたベルタに、何度も首を横に振って見せる。

「いいえ、むしろ気付いたロイリが人並外れているというか……」

 ロイリの事を思い出す。考えることが多すぎて、頭がぼんやりしていた。

 そんな場合ではないというのに、気付いてしまったこの気持ちをどうすればいいのか考える。答えが出る事なんてないと分かっていても。

 どれくらい時間が経ったのか、ベルタが立ち上がる気配ではっと顔を上げた。寝ていたわけではないが意識が明後日の方へ飛んでいた。どうやら誰かがノックをしたようだ。

 少し開いた扉から見えたのはロイリではなく警護の軍人だった。よく話をしてくれるロイリの部下だ。彼は真面目な顔でベルタと少しやり取りをした後、にっこり笑って亜佐に手を振った。

 大丈夫だよと言ってくれているようだ。立ち上がって笑顔を返して彼を見送る。

 ベルタは亜佐に寄って声を潜めた。

「出ていったのを確認しました。エレオノーラ様の情夫のフットマンでした」

「情夫……」

 不倫相手、と言う事だろうか。嫌悪感が湧き出る。こんなにも人を嫌いになったのは初めてかもしれない。

「もう戻っていただいても結構ですが……」

 珍しくベルタが言い淀む。

「……大丈夫ですか?」

 思わず頷いた後、小さく首を横に振った。もしかすると顔色が悪いのかもしれない。

「あの……何か飲みたい、です」

 ひとりになるのが怖かった。ベルタはきっと分かってくれているだろう。

 そっと彼女の手が肩に触れて、ソファに座るよう促した。

「お茶を入れましょう。少しお待ちください」

「……ありがとうございます」

 ベルタが入れてくれたお茶で温まって落ち着いてから部屋に戻る。ベルタは亜佐が寝付くまでそばにいてくれた。

 夢も見ずに目覚めると、もうカーテンの向こうは明るい。

 結局ロイリは、夜中も早朝も亜佐の部屋を訪れなかった。




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