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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
二章

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21/57

21、私の嫉妬




 頭を撫でる感触、頬と唇にキスをされる感触。

 もしかしたら夢かもしれない。

 心地の良い眠りを邪魔したのはカーテンの隙間から差し込む朝日だ。目を開けて、ぼんやり辺りを見渡す。ロイリの姿はなかった。

 頬に触れる。夢で見たキスの感触が残っているような気がする。

 ロイリが寝ていた場所に手を這わせた。シーツはもう冷たい。ほのかに残る煙草の匂いに頬を寄せた時、扉がノックされて入ってきたのはベルタだった。

 慌てて上半身を起こす。

「おっ……おはようございます」

 なんて恥ずかしい事をしていたんだと思わず顔を赤らめる。ベルタは「おはようございます」と挨拶を返してから、まじまじと亜佐を見た。

「ロイリ様から手は出していないと聞いていたのですが」

「違うんです。大丈夫です。出されてません」

 頬を覆って赤みを隠して、ベッドから足を下ろした。

 今朝は少し寒い。つい先日フレデリカから完治のお墨付きをもらった腕の傷が、少し疼くように痛んでいる。

「ロイリはいつ部屋に帰ったんですか?」

「一時間ほど前ですよ」

 カーテンを開けながらベルタが答えた。 

 時計は七時前を指している。いつもより少し寝坊だ。起こしてくれてもよかったのにと考えてから、いざ起こされていたらきっと恥ずかしくて照れていただろうと頭を振った。

 朝食を食べ終わって顔を洗って着替えても、ロイリが来る気配はない。もしかするともう一度寝直しているのかもしれない。

 食器を片付け終わったベルタが時計を見る。

「様子を見て参りましょうか?」

「いえ、せっかくの休みだから、のんびりさせてあげてください」

 昨日のキスは夜中だったし、朝のキスも昼前までなら大丈夫だろう。

 楽譜の束を手に持つ。

「サロンへ連れて行ってもらってもいいですか?」

「かしこまりました」

 一緒に廊下へ出て歩き出す。いつも後ろを歩くベルタが、今日は前を歩いていることに気付いた。どうやらエレオノーラを警戒しているようだった。

 何とか遭遇せずにサロンにたどり着き、ピアノの前に座って、何を弾くか考える。

 もしロイリが寝ているのなら、三階までは聞こえにくい静かな曲のほうがいいだろう。

 そう考えて弾き始めたのは子守唄だったが、つい熱くなって弾いてしまった。

 子守唄らしからぬ盛り上がりの中弾き終え手を膝の上に置くと、後ろから拍手が聞こえて亜佐は驚いて振り返る。

 いつの間にかそばのソファにロイリが座っていた。

「ビックリした。いつの間に……」

「ごめん。ノックはしたけど、集中していたようだからそっと入ってきた」

 彼は目を真ん丸にしたまま言う。

「ベルタから聞いてはいたが……見事だな」

「ありがとうございます」

「本当に、驚いた」

 感心しきった顔で言われて、少し照れてもう一度礼を言う。

「それだけ上手く弾いてくれるのなら、買ってやった甲斐があるよ」

「いえ……私はまだまだです」

「それじゃあもっと上手くなってくれ。それが礼でいいよ」

「上手くなるように練習します。でもお礼は別にします」

「……お前も強情だな」

 笑ったロイリが手を差し出す。引き寄せられるように近付いて、その手を取った。

 隣に座ろうとしたが、腰に手を回され叶わない。こうやって座っているロイリの前に立つと、亜佐の方が背が高くなる。

 いつもより顔が近く、真っ直ぐに彼の顔を見ることができなかった。

「昨日はベッドを狭くしてすまなかった」

 首を横に振る。

「いいえ、お疲れだったみたいだから……起こさなくても大丈夫でしたか?」

「大丈夫だよ。起きたらお前が目の前にいて、とうとうやってしまったかと焦った」

「……大丈夫です。何もされてません」

 ますます赤くなった顔を隠すように俯く。

 ロイリは声を出して笑って、そしてさらに腰を引き寄せた。

「キスをしようか」

「……この格好で?」

 いつも受け身だったが、この格好なら亜佐が腰をかがめて亜佐からキスをしなければならない。

「そう。舌は俺が入れるから」

 うろたえながらも頷く。

 ロイリの肩に両手を置き、ゆっくりと腰をかがめる。目をつむらないといけないと思うが、そうするととんでもない場所にキスをしてしまいそうだ。体が強張っているせいで、余計に。

「意外と難しい……」

 呟くと、ロイリが喉の奥でくっくと笑った。目を薄く開いたまま、その唇に唇を押し当てる。彼の手が頬に触れて、言っていたとおり舌が侵入してきた。

 ぼんやりと焦点の合わない彼の顔を眺める。徐々に赤らんでくる目元と、時折切なげに寄せられる眉間が色っぽい。

 もっと近付きたい。

 彼の首に腕を回して、片膝をソファに乗せる。呼応するようにロイリの腕に力がこもり、亜佐の体を膝の上に引き上げた。

 ロイリの太ももを跨ぐように座って、彼の体を背もたれに押さえつける。

「ふ……、っ」

 口の端から息と、時々くぐもった声が漏れる。

 どうしてこんなにも心臓が疼くのか、どうしてこんなにも気持ちがいいのか、考えるのが怖かった。

 彼の手が太ももに触れる。スカートをたくし上げるように這い上がって、下着に触れてから手を離した。その手で亜佐の肩を押す。

 唇が離れた。

「アサ、これ以上は……」

 ふたりを繋いでいた唾液がぷつりと切れてロイリの顎を汚す。指で拭うと、ロイリはそれを舐め取って、他の指にもキスをした。

 肩で息をしながら見つめ合う。

 「アサ」と艶やかに濡れた唇が動き、それにもう一度触れたくてたまらない衝動に負けそうになった時。

 扉の向こうからガタンと大きな音が聞こえた。 

「奥様! お待ちください!」

 ベルタの声だった。すぐ近くだ。亜佐は慌ててロイリの肩を押して離れようとしたが、彼の手は腰を掴んだまま離さない。

 ノックもなしに扉が開く。鬼の形相で入ってきたのは、エレオノーラだった。

 彼女は亜佐を抱き締めたままのロイリを見て、その顔を驚愕に染める。

「ロイリ様……」

「エレオノーラ、ノックをしていただけますか」

「も、申し訳ございません……。その、ピアノの音がしなくなったので、もういらっしゃらないのかと……」

 亜佐は顔を真っ青にして、腰に回されているロイリの手に触れた。この関係をエレオノーラに知られるのはまずいのではないか。

「ロイリ、下ろしてください……」

 こそこそと言ったが、ロイリは亜佐を見上げてすぐにエレオノーラに視線を戻した。

「おふたりが、そのようなご関係でしたなんて」

 エレオノーラが震える声で言う。

「ロイリ様、わたくしは、あなたを本気で……」

 その目から涙がぽろぽろと流れ落ちた。

「エレオノーラ」

 ロイリの声に、彼女は手で顔を覆って踵を返す。ロイリは亜佐を抱き上げてソファに下ろすと、彼女を追って部屋の外へ出て行ってしまった。

 少しの間をおいて、亜佐はぽかんと開いていた口を何とか閉じてひとつずつ考える。

 エレオノーラはなぜ入ってきた? 恐らくあの鬼の形相を見る限り、昨日の鬱憤を晴らすために何か因縁でもつけに来たのだろう。それはロイリがいたので失敗した。

 なら「あなたを本気で」のその後、一体何を言おうとしたのか。愛している?

 さっと背中から血の気が引く。いくら愛のない政略結婚だと言っても、夫婦は夫婦だ。そんな事が許されるわけがない。

 そうだ、そもそもロイリが相手をするわけがない。

 そう、思っているのに。ふと思い浮かんだのは少し前、夜の遅い時間にロイリの部屋を訪れたエレオノーラだ。そして今、亜佐を見向きもせずにエレオノーラを追いかけていったロイリ。

 まるで浮気現場を目撃されたような修羅場だった。浮気相手は亜佐だ。

 ぐるぐると頭が回転する。

 何も考えられずに固まっていると、数分後にロイリだけが帰ってきた。

 彼の顔はこれ以上ないくらいしかめられていた。

「すまない」

「……大丈夫でしたか?」

「大丈夫だ、何でもない。気にするな」

 ソファにどすりと座って、ロイリは深いため息をついた。額を撫でながら、彼は黙っている。何を考えているのか分からない。

 ロイリが亜佐を振り返って、ふわりと香ったのは香水の匂いだ。体が固まった。

 ――嫌だ。

 顔に出たのかもしれない。ロイリは目を開いて、腕を伸ばす。

「……アサ」

 頬に伸ばされた手を払いのけた。

「……その香水の匂い、嫌いです」

 じっと彼のシャツを見る。生成りのシャツに、薄っすらとついているのは赤い口紅だ。

 亜佐の視線を追いかけて、ロイリはようやく口紅に気付いたらしい。

「……着替えてくる」

 返事を聞かずに彼は部屋を出ていった。

 閉まった扉を呆然と見つめる。

 胸に抱き締めたのだろうか、エレオノーラを。さっきまでこの体を抱き締めていた腕で。

 胸に湧いたのは明らかな独占欲だ。エレオノーラに対する醜い嫉妬の感情が思考を支配しかけて、亜佐は首を振る。

 優しくされて、必要だと言われて。

 さっきみたいにまるで恋人同士のようなキスをして、それで彼が自分のものだとでも思っていたのだろうか。

 もやもやする。胸元が気持ち悪い。苛々する。

 ピアノの前に座ってみたが、どうしても弾く気にはなれず。

 熱かった体はすっかり冷えて、ずきずきと小さく痛む腕を手のひらで撫でた。




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