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砂糖菓子でできている  作者: 未礼
二章

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20/57

20、彼女の嫉妬




 亜佐の生活はピアノが中心になった。

 弾いては書き留め、さらに弾く。

 時々庭を散歩して庭師のバンドラーとのんびりと世間話をし、その日もこの時期に取れる美味しい果物の話をして盛り上がった。そのあとピアノを弾いて、アドルフがサロンを訪れたので少し話をして、夕方にサロンから自室へ戻る途中だった。

 亜佐とエレオノーラが廊下で鉢合わせしないように、女中達で話し合いをしてくれたらしい。

 無線機を導入するかどうかという話までいったらしいが、今のところ細やかな伝達と耳のいいベルタの足音を聞き分けるという人並外れた特技のおかげで、あれからエレオノーラと鉢合わせすることはなかった。

 今歩いている廊下は彼女はほとんど使わない。

 そうベルタから聞いていたので、ベルタと果物の話をしながら角を曲がった時、目の前にエレオノーラが立っていたことに亜佐は声も出ないくらい驚いた。

 今日は誰も女中を連れていない。ずっと待ち伏せしていたのだろうか。足音が聞こえなければ、さすがのベルタもその存在に気付けなかったようだ。

 こうやって目の前に立たれると、この国の女性の身長の高さに驚く。エレオノーラはベルタよりも大きい。頭一つ大きく見上げるほどのフレデリカと、ほとんど同じなのではないだろうか。

 きつい香水の匂いに頭をクラクラさせている亜佐の首根っこをベルタが掴んで、少し後ろに下がらせた。

 エレオノーラは扇子で口元を隠し、見下すような視線で亜佐を見下ろしていた。

「ロイリ様が頻繁にお前の部屋を出入りしているようだけれど、一体何をしているのかしら」

 どうやらそれを聞きたくてわざわざここまでやってきたらしい。

 どうしてロイリが亜佐の部屋を訪れていることを知っているのだろう。エレオノーラの部屋は別の建物にあるはずなのに。

「軍から口外するなと言われています」

 誰かに何か聞かれたらこう言えとロイリに言われていた言葉をそのまま返す。エレオノーラの顔が忌々しげに歪んだ。

「お前がこの屋敷にいる理由を教えなさい」

「口外するなと言われています」

「アドルフ様もお前に頻繁に会いに行っているようね。ロイリ様も、最近はお前ばかり! お前は一体何なの……!?」

 彼女の目に宿るのは明らかな嫉妬だ。いい加減諦めてくれと小さく息をつく。

「口外するなと言われています。私ではなくロイリに聞いてください」

 彼女のきれいな形の眉が吊り上がった。呼び捨てが気に障ったのかもしれない。

「この家畜め!」

 吐き捨てられた汚い言葉に、亜佐は思わず笑ってしまった。ネズミから家畜。牛や豚だろうか。少し進化しているではないか。

 その亜佐の態度がさらにエレオノーラを激怒させた。彼女の扇子が振り上げられる。斜め後ろからベルタが腕を伸ばしたが、怒りに駆られたエレオノーラのほうがほんの少し早かった。

 バチンと鈍い音が響く。ベルタの腕にかすってほんの少し減速した扇子が、亜佐の頬を張った。

 思ったよりも痛い。思わず頬を手で覆う。叩かれると分かった瞬間、腕で顔を庇わずになぜか両足に力を入れた自分を叱りたい。おかげで吹き飛びはしなかったが。

 エレオノーラは扇子を壁に向かって投げつけた。

「汚らわしい! 捨てておきなさいベルタ!」

「……はい、奥様」

 赤い花柄のドレスを翻して、エレオノーラは地面に穴が空きそうなほどヒールを鳴らして去っていった。

「いた……」

 ようやく声を出して、舌で頬の内側をなぞる。血の味はしない。

 ベルタの手が亜佐の頬にそっと触れた。

「赤くなってますか?」

「赤く腫れています」

「ロイリになんて言って誤魔化そう……」

 この間のエレオノーラの暴言もロイリには伝えていない。ピアノに興奮してすっかり忘れていたのもあるが、ああいう事を裏で告げ口をして良い結果になった試しがないからだ。彼女はこの家の主人の妻で、自分は世話になっている居候の身だということも気後れさせていた。

 ただ、ロイリには言わないでとベルタにお願いした時に彼女は返事をしなかったので、ベルタ経由で話が伝わっているかもしれないが。

「冷やしましょう」

 はいと頷きかけて、ふと地面に落ちた扇子が目に入る。

「片付けないと……」

 ベルタに拾わせるのは忍びない。

 屈もうとした亜佐の腕を、ベルタが掴んで引いた。

 そして扇子へ近付くと、彼女は力いっぱい足を振り下ろして扇子を踏み付けた。木の砕ける音がして、亜佐は体を跳ねさせる。

 ベルタが足を上げると、美しい造形の扇子は見るも無残に真っ二つに折れていた。

「ああ、もったいない……」

「誰かが片付けます。お部屋へ」

 有無を言わせない強い言葉に従うしかない。前回と同じように、亜佐よりベルタのほうが怒っているようだった。

 彼女の後ろを歩きながら頬に触れる。確かに少し腫れていて熱を持っていた。

 実用性の乏しいごてごてと装飾された鏡の前を通り過ぎる。一瞬映った頬が思っていたよりも赤くなっていて、これは少しの間痣が残るだろうと亜佐は小さくため息をついた。







 頬に何かが触れる感触で目が覚めた。

 突然枕元のランプが灯って、腕で顔を覆って眩しさから逃れる。

 しかしその腕を掴まれ押しのけられ、見えたのは難しい顔をしたロイリだった。

「……おかえりなさい」

 彼は返事をしない。いつもと様子が違う。原因は分かっていた。

 腫れは引いたが赤紫の痣が残っている頬にロイリの手が触れた。

「誰にされた?」

「……転んで打っただけです」

 ロイリに心配をかけるからそういう事にして欲しいとベルタにはお願いした。例によって彼女は返事をしてくれなかったので、ばらしてしまうかもしれないが。

 納得できないという顔をしながらも、ロイリはそれ以上聞いてこなかった。

「痛みはないか?」

「強く押さえたら少し痛いくらいです」

「……キスをしても大丈夫?」

「してもらわないと困ります」

 ロイリが笑って、少し後悔する。もう少し可愛くねだればよかった。

 彼の唇が降ってくる。受け止めながら灯りを消そうと伸ばした手を掴まれた。

 頭上でひとまとめに押さえつけられた両手はびくともしない。

 何をされても抵抗すらできないこの状況に本来なら恐怖を感じなければならないのに、亜佐の心臓の辺りを疼かせるのは負の感情ではない。

 唇が離れて、呼吸が激しく乱れていることに気付いた。

 胸を上下させて息を整える。そんな亜佐をロイリはじっと見下ろしている。視線は頬の痣だ。

「……可愛い顔が台無しだな」

「またそうやってからかう……」

「からかってなんかない。本心だ。お前は可愛いよ」

 何も言えなくなって、うつ伏せになって枕に顔をうずめる。こういう時に、素直に礼が言える可愛げが欲しい。

 声を出して笑いながら、ロイリはベッドにごろりと寝転がった。

 珍しい。早い時間に部屋を訪れた時はこうやって話をすることもあるが、遅い時間、特に亜佐が寝ていた時などは、キスが終わるとすぐに部屋を出ていってしまうのに。

 仰向けのまま、ロイリの指が亜佐の前髪に触れる。

「眠い?」

「全然」

 首も横にぶんぶんと振る。眠気なんていくらでも我慢できるから、少しでも長くここにいて欲しい。

 ロイリは緩く微笑んで、亜佐の頭を撫でた。

「明日は休みを取った」

「朝から晩までですか?」

「そう」

 ロイリと出会ってもうどれくらいだ。なのに彼が丸一日休みを取っているところを見たことがなかった。

 半日しかなかったり、朝や夕方に少しだけ顔を出したり。軍人はそんなものなのかとベルタに聞いたら、あの人はただの仕事馬鹿ですと返事が返ってきた。

 そんな人が、ようやく休みを取るらしい。

「明日はピアノを聞かせてくれ」

「はい、もちろんです」

「ようやく聞けるな」

「そうですね」

 ロイリと同じように仰向けになる。

「だいぶ指の感覚も戻ってきました」

「そう」

「最初は指を攣って攣って大変だったんです」

「……うん」

「ピアノを弾いてない間にすごく指が太くなったなって思ってたんですけど、弾き始めたらなんとか元通りに……」

 亜佐は言葉を切る。ロイリが目をつむっていたからだ。

 亜佐が黙り込んでも目を開く気配はない。

 少しの間その顔を見つめていると、力の抜けた唇が少し開いて、そこから寝息が漏れ始めた。どうやら本格的に寝入ってしまったようだった。

 相当疲れていたのだろう。起こすのは忍びない。明日は休みだというし、ベッドは充分広いし、このままここで眠ってもらうことにした。

 起こさないようにそっと布団をかけて、少し離れたところに寝転ぶ。

 寝顔を見られたことは何度もあるが、見たのは初めてかもしれない。

 当たり前だがまつ毛まで金色だ。日焼けなんて知らなさそうな白い頬には、確か何度か触れたことがある。

 今触れると、起きてしまうだろうか。

 悩んで悩んで、結局勇気が出なかった。

 おとなしく灯りを消して、彼の隣に潜り込む。

 まぶたが重くなって持ち上がらなくなるまで、ずっとその整った顔を見つめていた。




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