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17、政略結婚




 ロイリがくれたお土産はパイのようなお菓子だった。

 中のカスタードは砂糖たっぷりで、外にも粉砂糖がこれでもかとかかっている。これは甘いものが苦手な人には地獄のような食べ物だろう。

 亜佐は甘い甘いと言いながら四つぺろりと平らげて、ベルタの入れてくれた紅茶を飲み干した。

 隣に座るベルタはお上品に、ふたつ目のパイをかじり始めたところだった。

 話は全く弾まないが、やはり誰かと一緒に食べるのはとても楽しい。いつもなら何か楽しい話をしなければと焦るところだが、この世界に来て少し神経が図太くなったのかもしれない。

 本来の目的を忘れ甘いものを食べた時に得られる幸福感に浸っていると、突然部屋をノックする音が聞こえて亜佐とベルタは顔と見合わせた。

 ロイリは仕事だ。足りなかった、はずはない。今朝は特に長くキスをした。医務室に血のストックもある。だとしたら誰だ。

 ベルタが亜佐に手のひらを向けて立ち上がった。返事をしながら扉を開ける。

「やあ、ベルタ。アサはいるかい?」

 開いた扉からひょいと顔を覗かせたのはアドルフだった。亜佐はホッとして立ち上がった。

「こんにちは、アドルフさん」

「こんにちは。久しぶりだね、アサ。具合はどうだい?」

「とてもいいです」

 アドルフは嬉しそうに笑う。

「それはよかった。出張続きであまり気にかけてあげられなくてごめんね。ロイリとはうまくやってるかい?」

「はい、仲良くしています」

 ふいに今朝のキスを思い出してしまって、少し頬が赤くなったかもしれない。アドルフはにやりと笑った。

「ああよかった。あの朴念仁、頑張ってるみたいだね」

 さすが実兄は容赦がない。困ったように笑うことしかできない亜佐に、声を上げて笑ってアドルフは部屋を見渡した。

「お茶の時間だったかい。……あれ? 誰が来てた?」

 ふたり分のティーカップを見てアドルフが問う。亜佐はしまったと飛び上がった。ベルタが仕事中にお茶をしている事を知られるわけにはいかない。どうにか誤魔化せないかと頭をフル回転させたが、いい案が浮かぶより先にベルタが口を開いた。

「私の分です」

 アドルフが驚いたように目を開く。慌てて駆け寄って、ふたりの間に割って入った。ベルタを庇うように立つ。

「私が誘ったんです! ベルタさんは仕事中だから駄目だって言ったんですけど、私が無理やり……!」

 ぱちくりと目を瞬いて、亜佐とベルタを交互に見て、それからアドルフは笑った。

「そんな事でベルタを怒ったりしないよ」

 ホッと息をつく。入ってきたのがアドルフでよかった。もしエレオノーラやベルタの上司なら、怒られるどころでは済まなかったかもしれない。少し浅はかな行動だったと反省する。ノックがあった時は、ベルタのカップをどこかに隠さなければならない。

「ベルタ、君、アサには甘いね」

 ベルタは少し目を細めて何も言わない。亜佐は首をすくめて「たっぷり甘やかしてもらってます」と言った。

「ははは、こんな時くらいたっぷり甘えたらいいんだよ。私も少しだけお茶にお邪魔してもいいかい?」

「はい、もちろんです」

「これ、お土産だよ」

「ありがとうございます」

 アドルフが手に持っていた紙袋を喜んで受け取ろうとしたが、彼の手がぴたりと止まってしまった。その顔を見上げて、そして視線を追いかける。それは机の上のパイに向けられていた。

「あー……しまったな」

 渡された紙袋の中を覗き込むと、ロイリから貰ったパイと同じデザインの箱が入っていた。

「嬉しい。とっても美味しかったから、もっと食べたかったんです」

 せっかく買ってきてくれたのだからと気を使ったのもあったが、半分以上は本心だ。

「そう言ってくれると助かるよ。城下街ですごく人気でねぇ。特に甘党の女性に」

「私、甘いもの大好きです」

「ああ、よかった。ベルタ、君も甘いもの好きだったね?」

「大好きです」

 へらっと笑いながらアドルフが席につく。亜佐も隣に座ったが、ベルタは少し頭を下げた。

「新しいお茶とカップをお持ちします」

 回れ右しようとしたベルタの腕をアドルフが掴む。ベルタの顔を覗き込むように、アドルフは小首をかしげた。

「すぐに行くからいいよ。それよりも年頃のお嬢さんとふたりきりにしないでくれ。緊張するから」

 今度は亜佐が声を出して笑う。緊張の『き』の字も見えない。既婚者の余裕だろうか。何となく、アドルフはロイリと違って女の扱いは手馴れていそうだった。

 「かしこまりました」と少し戸惑い気味にベルタが椅子に座ったのを確認して、アドルフは亜佐に向き直った。

 彼は相変わらず亜佐の国の話を聞きたがった。聞きながら、時々手帳にメモを書き残している。何かのアイディアになるのかもしれない。

 亜佐はベルタが皿に分けてくれたパイをかじりながら、アドルフの質問攻めの合間に気になったことを聞いてみた。

「アドルフさんは、何の会社の社長さんなんですか?」

「うーん、そうだね、簡単に言うと軍事企業だね。兵器を作ってる。主に銃器」

 思ったよりも物騒な会社だった。アドルフの印象はすっかり物腰柔らかやでおっとりした人になっていたので、彼がそんなものを作っているだなんて想像できなかった。

「意外そうな顔をしているね」

「すみません……お菓子とかおもちゃとか、こう、夢のあるものを作ってらっしゃるイメージがあって」

 アドルフはベルタと目を合わせてから、腹を抱えて笑い出した。ベルタが紅茶に口を付ける。その直前に見えた口元に少し笑みが浮かんでいたように見えたのは気のせいかもしれない。

「とてもお優しいから」

 馬鹿にしているわけではないと分かってもらうためにそう付け足す。アドルフはうんうんと頷いて、笑い過ぎたせいで目元に浮かんでいた涙を指で拭った。

「元々は父の会社だよ。私が立ち上げたわけじゃない。父は本当は、長男である私を軍人にして次男のロイリに会社を継がせたかったみたいなんだけどね。見事に私に軍人の才能がなくてね」

 足を組んで、アドルフは姿勢を崩す。

「私は銃を握るより数字を数えていたほうが楽しかったし、経営学を学んでいたロイリは箔をつけるために入った軍学校で頭角を現していた。それじゃあ取り替えっこしようかと、ロイリと話し合ったんだ。まあ、私も兵器の事を知りたかったから数年軍にいたんだけどね」

 アドルフも元軍人なのか。頭の中で彼に軍服を着せてみる。なぜ似合わないのだろうか。

 顔はよく似ているが、中身は正反対の兄弟のようだった。

「二十七まで軍にいたっけ?」

「そうです」

 机に肘をついて小首をかしげたアドルフに、ベルタは頷いてみせる。そうだ。アドルフとベルタ、ふたりとも軍にいたのなら、もしかするとこのふたりもその頃からの知り合いなのかもしれない。

 アドルフは懐かしそうに話し続ける。

「二十七で退役してすぐに会社を継いで、小さな軍事兵器の会社を呑み込んで大きくして、まぁうまいことやってる。……エレオノーラは呑み込んだ会社を経営していた男爵家の五女だよ」

 ほうと息をついた。どうやら彼の美しい妻は元貴族のお嬢さまらしい。彼は目を細めて亜佐を見ている。

「それじゃあ……その時に出会って、結婚されたんですか?」

 アドルフは少し困ったように笑った。

「うーん、そんなにロマンチックなものではないな。残ってる五女と結婚してやるから、姻戚関係になった私に会社を寄越せって言ったんだよ」

 じっとアドルフを見つめる。彼もにこにこ笑いながら亜佐から目を離さない。さっきから彼の視線に違和感を感じる。

 ロイリと中身は似ていないと言った事を撤回しなければならない。感情を切り離して物事を考えられる人だと、ロイリを評したフレデリカの言葉が蘇る。きっとこの兄弟は似ている。

「政略結婚……って言うんでしたっけ?」

「おや、よく知っているね。君の世界にもあるのかい?」

「昔はあったけど、今はほとんどありません」

「それじゃあ、みんな愛し合ってから結婚するんだね」

 きっと政略結婚をしてから愛し合う夫婦も数え切れないくらいいるのだろう。でも違う。アドルフは、エレオノーラを愛していない。

 背筋が冷えて、自分が恐怖を感じていることに気付いた。アドルフが怖いのではない。家のため家業のためにと、好きでもない人と結婚し一生添い遂げなければならないことが恐ろしい。

 その時、またしても扉がノックされた。ベルタが対応する。開いた扉の向こうから聞こえた声に、アドルフが顔を上げた。

「おっと、秘書に見つかってしまった」

 彼が立ち上がる。

「君の話を聞きに来たのに、ついつい自分の話をしてしまったな。また時間を見つけて来るから、話し相手になってくれるかい?」

「はい、もちろんです」

「ありがとう」

「こちらこそ、お土産ありがとうございました。美味しかったです」

「どういたしまして。また美味しそうなものを見つけたら買ってくるよ。……ベルタ、君の分も」

 扉を開いているベルタの顔を覗き込んで、アドルフは柔らかく微笑んだ。その後亜佐を振り返る。

「アサ、私が帰ってきたことはエレオノーラには内緒にしておいて」

 子供のように笑って唇に人差し指を押し当てるアドルフに「分かりました」と頷いた。彼の視線を追いかける。亜佐の返事を聞いてひらひらと手を振って、アドルフはそばに立つベルタを見ずに部屋を出ていった。扉が閉まる直前に、秘書の怒った声とアドルフの相変わらずおっとりした声が少しだけ聞こえた。

 ベルタが椅子に座る。どうやらお茶会を続けてくれるらしい。甘い甘いパイをかじりながら、亜佐は尋ねた。

「仕事を抜け出してこっそり来たのかな」

「あの方ならやりかねませんね」

 その声に何かを感じて、亜佐は視線だけでベルタを見る。彼女は相変わらず無表情だった。

 アドルフの視線を思い出す。ベルタを見る優しげな視線と、エレオノーラの話をする時にわざとベルタから逸らされる視線。もしかすると。

「……政略結婚か。私なら耐えられません」

「上流階級の方々は家の決めた相手と結婚する方が多いですね。私どものような一般市民は、恋愛結婚と見合い結婚が半々くらいです」

「ベルタさんは、恋愛結婚の方がいいですか?」

 ベルタはちらりと亜佐を見る。質問の意図を見極めようとしているようだ。

「もちろん、愛し愛される方と一緒になる方が幸せです。ただ」

 強い語気でベルタが続ける。

「その愛する方というのはロイリ様ではございませんので」

 椅子から転げ落ちそうなくらい亜佐の体が飛び跳ねた。

「な、なな、何で……」

「何となく、あなたが勘違いをなさっているのではないかと思いまして」

 細められた目から視線をそらす。やっぱり、先日のフレデリカとの内緒話が聞こえていたのかもしれない。亜佐は小さく縮こまる。

「ロイリ様のことは敬愛しております。ですがそれは男性としてではありません」

「はい……ごめんなさい」

「いいえ。……ですので、どうぞご安心ください」

「はい」

 そう返事をして、顔を赤くする。何を安心するのか聞こうとしたが、彼女が立ち上がるほうが早かった。

「お茶のおかわりをお持ちします」

「……お願いします」

 ベルタを見送って大きな息をつく。とにかく、ベルタはロイリに特別な感情を抱いているわけではないらしい。これで彼女に変な気を使わなくても済むことはよかった。

 フレデリカは勘違いをしていたようだ。勘違いを正したほうがいいのか迷ったが、これ以上コソコソとするのはよそう。そういう話になったときに、違うらしいと言えばいい。

 まだ熱を持っている頬を撫でながら、亜佐はなぜか思い浮かぶ今朝の長いキスを、必死に頭の中から消そうとしていた。




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