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13、刷り込み




 頭が重い。体が重い。全身に力が入らない。

 これは血が少ないせいなのか、それとも夜中に飲んだ睡眠薬のせいなのか。両方かもしれない。

 窓の外は明るい。今日も仕事のロイリがそろそろ訪ねてくる時間だ。そう思っているとノックの音が聞こえて、亜佐は掠れた声で返事をした。

 入ってきたのはロイリで、頭を持ち上げる。

「そのままでいい」

 彼の言葉に首を横に振って、上半身を起き上がらせた。ベッドのそばで亜佐を見下ろしながら、ロイリが眉根を寄せる。

「顔色が悪い。眠れたか?」

「はい。睡眠時間は、充分取れました」

「めまいは?」

「ありません。体が少し重たいだけです」

 ロイリは目を細めて、それから天蓋のカーテンを結っている紐を解いた。オーガンジーのカーテンがふわりと亜佐を隠し、ゆらゆらと揺れる様子を眺めているとロイリの手が伸びてくる。彼の手が背中を支え、ゆっくりと枕元のクッションの山に亜佐の体を沈めた。

 唇が降ってきて受け止める。まだ四回目だというのに、随分とキスをしてきたような気がする。慣れたのはいいことだ。慣れたといっても、やはり息継ぎは難しいが。

 ベッドがギッと音をたてる。ロイリの吐息が熱く荒くなる。

 ――離れたくない。そう思ってしまったら、もう駄目だった。彼の首に腕を回す。どこにも行かないで欲しい。

 長い時間求め合って、そして唇を離した。焦点がぎりぎり合う距離で、ぼんやりと彼の赤い目を見つめる。

「アサ」

 低い声が耳に心地良い。

「手、離して」

 夢心地だった頭が、その言葉で我に返った。慌てて彼の首に絡めていた腕をほどいて、しどろもどろに謝る。

「ご、ごめんなさい……」

 恥ずかしくて死にそうだ。赤いであろう顔を隠すように口元を手の甲で覆って、起き上がった彼のそばで体を小さくする。顔を見ることができない。

「……アサ」

 名を呼ぶ声に顔を上げるか迷った時だった。静かにノックする音が聞こえて、亜佐は飛び上がるほど驚いた。

 恐らくベルタだ。何もしていないとは言え、ふたりでベッドの上にいるところを見られたくない。待ってくださいと声を上げようとしたが、ロイリに先を越された。

「入れ」

 慌てたがもう遅い。朝食の乗ったワゴンを押しながら、ベルタが「失礼します」と入ってきた。カーテン越しに彼女の姿が見える。彼女からも、顔を赤くして縮こまっている亜佐が見えるはすだ。

 もし、フレデリカの言う通りベルタがロイリに気があるとしたら、こんなところ見たくもないだろう。

 ロイリがゆっくりとした動作でベッドの端に腰を掛けた。

「アサ。昨日フレデリカに言われたように、今日と明日は部屋から出るな」

「分かりました」

「何かあればベルタに言え」

「はい」

 早く赤みが引けばいいのにと頬を撫でながら返事をする。ロイリは立ち上がって亜佐を見下ろした。その表情は読みにくい。心配しているようにも見える。そんなに頼りないだろうかと、顔を引き締めてもう一度「大丈夫です」と言った。

 ロイリが頷く。

「行ってくる」

「……はい」

 彼はまた亜佐に触れようとしない。

 きりりと痛んだ胸を押さえて立ち上がろうとする亜佐を、ロイリは手のひらを向けて止めた。

「ここでいいよ。ちゃんと寝てろ」

「少し動きたいんです」

 立ち上がるのを邪魔する手のひらを押し返して、亜佐は立ち上がった。ロイリは眉をひそめて、そして諦めたように踵を返した。

 重い体を引きずって、ゆっくり歩く彼の後ろを追いかける。思っていたよりも辛いが、それでも少しでも彼のそばにいたかった。

「部屋を出るなよ」

「……ロイリ」

 念を押すだけ押して、ろくに亜佐の顔も見ずに出ていこうとするロイリの服を思わず掴んだ。彼は振り返ったが、亜佐は顔を上げることができない。

 行かないでと、口を動かした。音にはしなかった。きっと何と言ったか分からないはずだと顔を上げたが、ロイリは目を丸くして亜佐の唇を見ていた。

 誤魔化すように笑顔を作る。

「何時に帰ってきますか?」

 声が震えてしまった。

 ロイリは亜佐に手を伸ばして、そしてすぐに引く。触れてくれるのかと思った。引かれた手をぼんやり見つめる。

「早かったら十八時まで、遅くても二十時までには帰る」

「分かりました。お気をつけて」

「ああ」

 亜佐から視線を外して、ロイリは今度こそ部屋を出て行った。

 閉まった扉を少し眺めて、振り向いてめまいにふらつく。いつの間にかそばにいたベルタが素早く支えてくれた。彼女の腕に軽々と抱き上げられながら、唸るように言う。

「ベルタさん……私、昨日気付いたんですけど」

 ゆっくりとベッドに下ろされてから、いつものように表情のない彼女を見上げた。

 昨日気付いて、今もずっと思っていることだ。

 ロイリのそばにいたくて、離れていると不安な、このわけの分からない気持ちの原因は。

「私、ロイリのことを、親鳥だと思ってるみたいなんです」

「……親鳥」

 予想外の言葉だったのだろう。復唱してから、彼女は目を点にした。珍しい表情だ。

「刷り込みって知ってますか?」

「……確か、鳥のヒナが孵った時、最初に見た動くものを親だと思うという?」

「そう、それです」

 彼女はますますよく分からないという顔になる。

「私がこの世界に落ちてきて、初めて見たのはロイリでした。彼がいなかったら死んでいたか、死んだほうがましだと思うような目に遭っていたと思います」

 見知らぬ世界、命を脅かす吸血鬼の盗賊たち。それらから守ってくれたのは、ロイリだけで。彼がいなければ、赤子の手をひねるように簡単にあっけなく殺されていただろう。

「だから私は、ロイリに依存しきっている。彼がいないと餌も食べられないようなヒナみたいに」

 親の姿が見えなくなると、不安で泣き出す子供のように。

 額を押さえる。

「あの人がそばにいないと怖い」

「……納得しました」

「何だか、自分で言ってて情けなくなってきた……」

 ベルタの顔を見ようと顔を上げて、その拍子にめまいでひっくり返る。

「アサ様」

「大丈夫です……」

 窓から射す朝日が眩しくて、腕で顔を覆う。

「ごめんなさい。少し寝てから食べるから、朝ごはん、ラップをして置いておいてください……」

 言ってからふと気付く。

「あ……この世界にラップなんかないか……」

 笑ったような息遣いが聞こえたような気がして目を開く。

 くるくる回る視界の焦点を定めた頃には、ベルタは窓のカーテンを締めるために後ろを向いていて、その表情を見ることはできなかった。




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