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12、首の傷




「なぜ横になっていないんだ」

 扉を開けて、ソファに座っている亜佐を見たロイリの開口一番はそれだった。

 あれから寝ようと努力してみたが、眠気は一向にこなかった。寝返りを打ってみたり色々試してみたが耐え切れず、倒れるほどのめまいが治まったこともあってソファに移動してぼんやりとしていた。

「全然眠くないんです。めまいはもう治まってます」

 立ち上がってベッドに移動しようとした亜佐を、ロイリは手で制す。

 亜佐の斜め向かい、夕方にフレデリカが座っていたソファに彼は腰を下ろした。

 キスの前に何か話をするのだろうかとロイリの顔を見たが、彼はなかなか話し出さない。いつかと同じように沈黙に耐えきれず亜佐が話題を探して目を泳がせ始めた時、ロイリはようやくぽつりと尋ねた。

「……怪我はどうだった?」

 頷いて右手の袖を捲り上げる。傷が見えるわけではないが、包帯を引っ張ってみせた。

「もうだいぶ塞がってきているそうです。順調に治ってるって」

「……首は?」

「大したことないですよ。血も出なかったし、一週間くらいできれいさっぱりなくなるそうです」

 わざと明るい声を出したが、それに反比例するようにロイリが俯いた。

「すまなかった」

「……痛くありませんよ」

「そういう問題じゃない」

 彼は額と目元を片手で覆った。

「直前で踏み止まることができた。しかしお前の頸動脈を食い千切っていた可能性だって充分にあった。今回は、運が良かっただけなんだ」

「ロイリ、私は」

 そこまで言って、どう言葉を続ければいいのか分からなくなって押し黙る。

「お前のためにと、思って動いているはずなのに……全部裏目に出る。自分がこんなに馬鹿だなんて知らなかった」

 弱く笑って、すぐに唇を引き結んだ。

 どう言えば彼が元気になるのか考えたが、そんな言葉はないと悟る。

 ロイリはいつまでもソファから立ち上がらない。怖がらせないようにしているのか、それとも怖がっているのは彼の方かもしれない。

「こっちに来てください」

「……怖くないか?」

「怖くないですよ」

 ロイリは立ち上がって、亜佐のすぐ隣に腰を下ろした。彼の手があごに触れる。少し顔をそらされて、彼は首の傷を確認したようだ。小さく息をつく音が聞こえた。

「キスであれだけ怖がっていたのに、どうしてあんなことをされて怖くないんだ」

 あなたが死ぬこと以上に怖いことはないと、口に出したら彼の負担になるだろうか。ロイリに嫌われたくない。どんな目にあっても、彼のそばにいたい。

 ああ、と亜佐は唇を震わせる。このわけの分からない感情の名前がようやく分かった。それは。

 ロイリが亜佐の腕の包帯に触れてはっと我に返った。彼は傷を避けて包帯を撫で、そして包帯の少し上に触れた。今日の注射の跡が残る場所だ。

 しまったと隠すように袖を下ろして、彼がどんな顔をしているのか見ようと顔を上げたが、すぐに唇を塞がれて目をつむった。

 力を抜いて、彼の舌を受け入れる。

 聞こえるのはロイリの荒い吐息と喉の鳴る音だけだ。

 彼の手が後頭部と背中に回され、苦しいほど抱き寄せられる。その拘束から右手だけ何とか抜いて、彼の肩に触れた。

 未だに息を吸うタイミングが分からず息が苦しい。弱く肩を叩く。ロイリは止まらない。

 もう一度叩くと、ようやく唇が少し離れた。顔を背けて、けほけほとむせて息を吸う。

「アサ、もう少し」

 彼の手が頬に触れて、「待って」という言葉を呑み込むように再び唇が重なる。

 それからも貪るという表現が正しいキスをして、ロイリはようやく離れた。

 昨日と違って電気がついているせいで、彼の上気した頬も赤らんだ目元もよく見える。自分は一体どんな顔をしているのかと、途端に羞恥心が蘇って亜佐は俯いた。

「……大丈夫か?」

 俯いたまま頷く。頬に触れると熱い。きっと真っ赤だろう。

「帰るよ」

 顔を上げる。彼はふらふらとソファから立ち上がるところだった。

「体は大丈夫ですか……?」

「うん」

 あまり大丈夫そうには見えなかったが、引き止めることもできそうにない。立ち上がって扉のそばまで見送ろうとすると、ロイリに止められた。

「もうベッドに入れ。俺が出ていった後に倒れられたら困る」

「……はい」

 彼が見張る中ベッドに潜り込む。ロイリはうんと頷くと、そのまま踵を返した。

 「おやすみなさい」と背中に声をかけると、彼は肩越しに振り返った。

「ああ、おやすみ」

 ロイリは部屋の電気を消し、そのまま静かに出ていった。

 亜佐は自分の髪に触れる。

 一度も、頭を撫でられなかった。

 仕方がない。気にするなと言われてじゃあ気にしません、で済むような話ではない。

 フレデリカに言われた通り、ご飯をしっかり食べてキスも二回して禁煙もやめ、そして暴走することがなくなったらようやく過去の話になるのだろう。

 分かってる。急ぐようなことではない。

 分かっているのに、亜佐はわけの分からない寂しさを、ひとり布団の中で噛み締めていた。




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