異世界プロローグ3
「僕たちは全滅するよ……。」
キラは嘯くが、私になにができると言うのか。
私だって皆と同じ恐怖で凍えて動けないでいるのだ。
「大丈夫。きっと動ける。姉御はこの状況をすでに経験しているはずだから。でないと――」
分かってる! 全滅するんでしょッ!
分かっているけど――考えが纏まらない。
思考は混濁されている。
脈は依然早くなっていって、心臓のポンプは忙しなく動いている。血流は激しさを生み、それにより身体は熱を帯びてくる。
私の意識とは関係なしに身体を冷やそうと汗が流れ出している。
短く繰り返さる呼吸。心拍数の上昇。
こ、この感覚……。
――体験している?
そうだ、これはPkerとの戦闘で抱いた恐れや絶望、いやもっと以前から……。ようへい達と別れた時の、不安や感傷。それに焦燥感。それらが混じり合ったこの感じ。
思い出す。たしかに私はこの状況に酷似した経験をしている。
そして気づく。自然に呼吸が落ち着いているのを。脈が安定していっているのを。
目を瞑り少し深く息を吸うことを意識した。
よし、動く。
けどこの状況をひっくり返すって――
どうすればいいの……。
「不自然だとは思わなかった? 魔術師を襲うときはジグザグに攻撃を仕掛けてきた。まるで魔法があることを前提とした動きだ。狼の一連の行動に不可解なことが多い。こういった戦い方に慣れている。否、慣れすぎていると云うべきか。つまりは、僕たちのような者と幾度となく戦ってきた。これは逆説的に云えば――魔法が存在している」
けど魔法は発動しなかった。スキルだって――
「なぜ詠唱できないのかは分からない。けどシステムは受け継がれている――
「ステータスは受け継がれている」
もしかしてこの状況で詠えっていってるの?
いやいやいやいいや、あり得ない。それに詩はスキル、いや詠唱をしているから魔法に分類される……かな?
どっちにしても、ステータスアップの効果は発動しない!
「パッシブスキルは確認できているんだけどね。まあ、現段階の能力値でも十分なんだ。チャンバラごっこだろうが狼の攻撃を凌げる。たしかにスピードは速いだろうけど――」
「この狼そこまで強くない」
キラは周囲を見渡して言った。
前衛は身を屈めている。後衛の目には光が感じられない。
人形、人の型を模った空っぽの箱。
戦う意志がない。
「だからね、僕は別にステータスアップの効果を期待して云っているんじゃないんだ。上げてほしいのはステータスなんかじゃない。むしろ表記されていない部分――
「士気だよ」
なにを言っているの?
ステータス以外の能力?
「これは途方もない話をしているわけではない。歌はね、人の心に直接働きかける。例えば、歯医者は不安や痛みを和らげるために音楽を流すし、軍歌は兵の気持ちを鼓舞するために流している。現実でも効果があるからこそ、吟遊詩人はシステム上でステータスアップと云うゲームデザインがされているはずだ。科学的にも歌には3つの効果が証明されている。1つは、ハロー効果。2つ目は、雰囲気価値。そして3つ目は、右脳を刺激する。メロディは右脳に入り感情を揺るがす。音楽は――」とキラは1つ目、2つ目、3つ目の時に指を広げて見せながら、
「群衆を一つの方向へと導く」
と帰結した。
ほ、本気で詠えって言っているの?!
でもあれはゲームでの話で、現実で効果なんて――
狼達との睨み合いは未だ続いていた。だがいつまでも続くとは限らない。終焉は目前まで来ているかもしれない。狼はすぐにでも反撃の機会を伺っている。
私の煮え切らない態度に、キラは「うーん」と唸ると、
「ねぇ、姉御――」
「一つ聞くけど、利き手はどっち?」
と唐突に聞いてきたのだった。
なによ突然と私は困惑したが、これはキラ特有の緊張を解そうとする遣り取りかもしれない。
たしかにその問いにより一瞬の間があり、それは私を非現実にさせるのには十分だった。
緊張がほんの少し緩んだかもしれない。考える隙間ができる。
右利き、左利きという区別がない。楽器演奏者にはこういう傾向が多いと思う。どちらも熟せないといけないからだ。もちろん、演奏中は右利きの方が多いかもしれないが、日常生活では左手でも熟せる――文字を書けるなど高度なことも――人が多いと聞く。ご多分に漏れず、私も両利きだ。
「あっ、両利きってのなしで」
キラは意地悪く追加した。私はドキッとする。ふとした会話でキラは人の心が読めるんじゃないかと思うときがある。
「両方を器用に熟せる人はいるだろうけどね。人は反射を行うとき、必ず利きが存在する。転びそうになり手をつく時や、なにかが飛んできた物を掴む時などね。これは生存本能によるもの。両方へ伝達するより片方に伝達する方が速いからね。両利きが存在するなら、きっと意志が衝突して動けないはずさ」
キラは右手を握り、「仮想」とそして左手を握り、「現実」と言いながら見せた。
「かりに仮想と現実、この二つが天秤に両方同じ重さで乗っているとしよう」
キラは均衡が取れているように左右の手を交互に揺らした。今がその状態だ。神楽により一時は傾いたが、ソウの行動により元の均衡状態に戻った。キラは左手だけをそっと下へ傾ける。「こちらに重きを置いたら――」
そうか。良いか悪いかは別として神楽は現実と認識した。
逸早く受け入れたからこそ、逃げ出すという判断ができた。
もし全員が現実だと選択してしまったら――それを考えゾッとした。
「いまは現実へと向かっている。でもできるならば――」
キラは右手をギュッと握り込み、強く言い放つ。
「システムはまだ生きている。それを活かせ。Pker戦で見せたあの力。瀕死状態では動けないはずなのに立ち上がったあの――システムを超えた力。この世界に何らかの負荷が掛かっているなら、その制限を壊せ。みんなを仮想の延長線上だと思い込ませろ!」
「逆転劇を起こせ!」
つまり――あの状況を再現し、あまつさえ歌で皆を仮想だと煽動しろと言っているのか。
なにが緊張を和らげるだ。キラはそんな玉なんかじゃなかった。
逆転――キラの言葉が重く圧し掛かる。だがその奥に熱い思いが込み上げてくる。
まったく人をノせてくれるじゃない!
いいわ。やってやる。思い出させてやる。
だがどうやって? なんてものは考えない。
私のできることなど端っから詠うことしかないんだから!
私はティアドロップ型のギターピックを人差し指と中指で挟み目の高さまで持ってくる。
「キラ、アンタが言ったんだから責任とってよね!」
と凄んで見せたが、キラは両手を天に仰ぐようにお道化た。
動画再生数は4000。二人に一人は見ている計算になる。だが、ここにいる攻略組は全員見ていると確かな自信がある。だってこれは――私たちがCランククエストを初攻略した動画だからだ。
開幕、上がっていた情報と違った敵の数に序盤から敵のスピードに翻弄された――あの罠クエスト。
ソウが魅せたあの狼への攻撃。あれだけでは皆の感情と映像が結びつかなかったのだろう。
音楽は感情を、記憶を鮮明に蘇らせる。なら、
如何に私たちがあの状態を立ち直したか、
思い出させてやる。
既視感とまではいかない。順序は全く逆だ。
けど、それでもいい。順序は関係ない。
過去の思い出ほど時系列に意味はない。
強烈なインパクト。必要なものはただそれだけ。
だから、
次の一手、いや次の一曲で、
想い出す!
私は親指と人差し指に軽く挟み直し弦に叩きつけた。
静寂の中、不自然な電子音がこの場を制す。
LOではある種の弦を弾くと開始するようにプログラミングされている伴奏が流れ出す。
脳内にイントロに合わせたバックミュージックが響く。
歌のスキルは発動している。
けど、私は考えない。スキルの有無など関係ない。
するべきことをする、なすべきことをなす。
ただそれだけ。
頭を空っぽにして弾く。
ピックを持つ手に僅かながら力が入っているのを感じる。
高揚している。
身体に風が纏わりついていく。
「こ、この感覚!」
「な、なんだ? 脳に直接――曲が流れている?」
「これって歌のスキルよね?」
「アクティブスキルは発動する?」
方々からハテナが飛び交っている。
ギモンなんてどうでもいい。
それは考えること。
思い出すだけでいい。想いだけで――
このリズムにノッてくれさえすれば、それでいい。
キラが15m以上離れた狼5匹にスリングショットを決める。攻撃を受けた狼達は今不思議な現象から起きている戸惑いから醒めた。そして威力が弱いショットに――攻撃を受けたことへの怒りに狼達はキラに怒りをあらわに襲い掛かった。
攻撃ヘイトが乗った?
序奏から歌詞パートが始まった時に前衛の顔が上がった。そして鮮烈な映像が目に飛び込むことになる。キラの速度を活かした連続攻撃。5匹の猛攻をものともせずに避けながら攻撃をしていく。
前衛はその光景を、ああぁと声を漏らし恍惚とした表情で見やった。
やってくれるわね、キラ。
罠クエストと同じ敵数、同じ攻撃、同じ避け方、同じ状況をまったく再現している。
音楽と映像により喚起された記憶は前衛を立ち上がらせた。神楽を除いてだが……。
その動きに反応した残りの狼達が前衛たちに飛び掛かる。今度は盾で往なしていく前衛。意識的にやった行動ではないのかもしれない。防御はスキルではない。この世界がゲームであった頃より培われた経験が身体に染みついている。無意識に前衛の役割を取り戻していっている。突進に当たったとしても装備に守られた前衛にはカスッた程度のダメージしか入っていないようだ。
前衛たちは防御で牽制しながら徐々に開いた後衛との距離を縮めていった。
適度な距離を保ちつつ前衛、後衛を含めた3グループほどが集まり狼の攻撃を凌げていく。
前衛は盾とそして剣で――まだまだダメージを与えれるほどに上手く斬り付けている訳ではないが――火の粉を振り払えるくらいにはなっていた。後衛も魔法がダメでも杖で狼を叩きつけ振り払っていく。これも後衛がLO時代に乱戦時やソロ時にやってきた、敵の対処としてきた賜物だ。
キラの言ってたとおり、この狼そんなに強くないわ。
この場にあった恐怖は拡散していってる。
状況がいい方向へと流れ込んでいっている。
だが、たった一声――
一匹の遠吠えで一変した。
それは地響きのようだった。脳に腹に響く低い、とても低い音質。あまりに低いゆえに、声の主が近くにいるように錯覚するほどだった。それを決定づけるようにキラと私以外は新たな敵の出現かと周りを確認したほどだ。だが驚くほどに音源はかなり遠い。私はここに来て、かなり耳が良くなったと感じている。ここより1キロ、いや2キロ先に――いる!
狼達の目が一斉に赤く光った。木漏れ日に僅かに刺す陽の光により反射されたからであろう。
なぜそれが私に分かったのか。
それは一点を見つめているのが――
私だから!
一挙に私に向かって押し寄せる狼達。
私、というよりも、ここにいる全員が虚を衝かれて絶句する。
まさか今までそんな素振りもなかった行動だったからだ。
まるで、私を起点に変化が生じていることを分かっているかのようだ。
な、なんで?
直後、私はその禍々しい瞳に魅入られ、再燃したかのようにまた鼓動が速くなる。だが、決して燃えるような感覚ではなかった。
無数の狼の眼。
殺意を宿した視線は私を脅かすのに十分だった。
私は恐怖と絶望で一瞬視界が暗く、いや目の前が暗くなるを通り越して、眩暈がした。もしこのまま地面に膝でも突こうものなら、そのまま立ち上がれないかもしれない。いや、文字通り狼による攻撃により2度と立ち上がれないだろう。
死が頭を過ぎる。
それは考えること。
体内の血液はすぐにでも逃れようと足へと集約していく。と同時に頭に血流が回らなくなり逃げるという命令を出せないでいた。恒常性は脳の機能にあるという。下半身はいまだ熱を帯びていたというのに、芯から冷えていった。身体はこの危機を無意識に察するが、脳は追いついていない。
終いに私は凍り付いたように動けなくなった。
キラは舌打ちをし、「他を助けるのに距離が離れすぎた。今からでは届かない」と現状を淡々と言った。
「ソウちゃん! わたしに構わず、アサヒを助けにいって!」
あかねはソウの背中に訴えかける。位置的にはソウが近い。だが、ソウは動かない。
腰を下ろし構えを崩さない。もうヒラや魔術師への脅威が去ったにも関わらず。
「それはできねぇ。オレはよぉ、お前を守るって約束したろぉ。もう後悔はしたくねぇんだ。それによぉ、いつ何時ターゲットが切り替わるかも知れねぇだろぉ」
タンクはヒラを守るもの。だがいつだってソウはヒラというより、あかねを守っていた。
「姉御、あと10秒で歌の効果がきれる」
硬直したため演奏は途切れていた。また熱量を上げようと小刻みに身体は震える。
ノ、ノドが震えて思うように声が出ない!
ならば、ギターで……。
私はギターを構えようとするも――
う、動けない。
それまで安全な後方にいたから、敵意に曝されなかったから、でも今は違う。
ダメ。ダメ。ダメ。
まさかこんなにも恐怖が人の機能を奪うものとは思っても見なかった。
タンクはいつもこんな状況で戦っていたのか。
否応がなく狼達は鋭い声を発しながら向かってくる。
私は初めて至近距離で狼を見た。
VR世界では美しい白い毛並みも、実際は何かに噛まれたのか所々禿げていて汚らしかった。
あの牙で噛まれて死んじゃうんだ、私……。
あまりの恐怖に生と死の区別があいまいになり、他人事のように感じた。きっとVRMMMOで仮想の死を体験しすぎたのだろう。
そして目が覚めたら、知らない天井って呟くの……。
ちょっぴり現実的な思考をしてしまいハハハと乾いた声が漏れた。
痛いのはイヤだな――と。
私は観念して目を瞑った。
「アサヒ!」
叫び声が聴こえた。すぐに分かる懐かしい声。
ようへいッ!
ようへいは盾を剣をガチャガチャと擦り音をけたたましく立てた。
それはLO世界での挑発の動作だった。
「また燻ってるじゃねぇよ。オマエのメインタンクは俺だぜ! 守ってやる!
「だから、詩え!」
私は漠然とした。私はようへいを見ていた。
いや、もちろん呼びかけられたのだから、それはそれで自然なことなのだが。
異様なのは――PC全員が一時のことを忘れたかのように、ようへいに視線を集めていた。あの狼達でさえ足を止め注視していたのだ。
目が離せなかった。
こ、これは――
敵対心がようへいに集まっている?
地面を蹴る音が一斉にする。
狼達が踵を返したのだ。
先まで私に向っていた殺気がようへいへと移り代わっていた。
ハッと私は我に返る。
私は助かったけど――ようへいはまだ樹に凭れている。だって、両脚が動かないんだから……。
なのに……。
防げるのか? キラが何匹か倒していたが、それでもあと10数匹はいる。狼達の猛攻を――
助からない。
だって、ようへいはVIT装備……。きっと、きっと、最後には腕や足を噛まれ……。
そんなこと一番ようへいが分かってるはずだ。
それなのにどうして……。
私は涙ぐむ。
「アサヒ、泣く必要なんてない。オレはお前に感謝してんだぜ」
ようへいの顔は勇ましいものだった。
とつとつと語る。これが最後だと言わんばかりに。
「オマエに燻るなって云ってたが、アレ本当は俺に云っていたことなんだ。オレはこの成りだから。前に云っただろう? 役立たずは排他されるもんさ」
ようへいは足を擦り、「LOに来たときは本当にうれしかった。自分の足で動けて、だれかに頼られて……。でも、それは最初だけだった。そう、最初だけ……。だってよ、ログアウトしたらまた戻っちまうんだぜ」と再度、足を擦った。
「中学に入った頃さ、玉遊びなんかしてないで勉強でもしろってオヤジに云われた。今は学歴の時代だってさ。けど、オレは練習して練習して、全国優勝のエースピッチャーまで這い上がった。認めてもらえると思った。けど、表彰やカップなぞ将来の役に立たん、そんなもの思い出にしかならん。もう思い出作りはいいだろ、跡を継げるように勉強しろってね。オレは反抗するようにもっと練習してやった。名門高に入ってすぐエースにだってなった。甲子園に行ってプロになって見返してやる。そう誓った。これからだって時に――そう考えてしまったら、もうなんだか凡てがつまらなくなった。こんな治療でうまくいくのか、現実を叩きつけられるんじゃないか。一生、野球なんてできないんだって。オレはギルド前で呆けていた。そして――」
「オマエに出会った」
私をキッと見つめてくる。
なんだろう、涙が止まらない。
世界がぐにゃりと歪んで見える。
「いつだってオマエは元気でお調子者で自分勝手で、だけど気丈で困難なことがあっても乗り越えていった。ゲームをめーいっぱい楽しんでいた。そして思い出した。思い出させてくれた。そんなくだらない理由でやってたんじゃない。子供の頃、白球を追いかけているだけでも楽しんでいたことを。別に誰かのためにとかじゃない! 野球が好きだからやっていたかった。プロじゃなくていい、マネージャーだってなんだっていい、そう思った。スゲー楽なった。それに何より現実世界に、空の下どこかにオマエがいると思えたら――それだけで生きようと希望ができた。オマエのことが、す――」
ようへいはなにか言いかけて言葉を飲み込んだ。
「ううん、オマエに出会えて、よかった。本当に、本当に……、ありが……とう」
最後の台詞は声も掠れ、何かを掴むように空に手を差し出した。さきまでの凛とした雄姿は影を潜め、悲痛に歪んでいるように思えた。
ようへいは頭では死を覚悟したが身体はそれを拒否している。
そうだ。誰だって死にたいわけないじゃない!
それに思い出した。
その手、あの指の感触――
最初に出会った時、ようへいに握手を申し出たんだっけ……。あれは、あかねとミワ、二人に最初は肝心といい格好を魅せたくて――男子と接することもなかったというのに――こういうことには慣れているんだと強がった行動だった。ようへいは生真面目に手汗を拭いていたな。なにが気丈なものか。ようへい、知ってた? 実は私内心すごくドキドキしてたんだよ。
二度目のパーティへ誘う際にも緊張で震えた手を握り返してくれたあの手――
峡谷で空白の地図を埋めようと勧めてくれたあの手――
瞬間、私の凍り付いた箱はビデオデッキへと装い自らが体験した過去を生々しく再生した。
そう、凡て、凡てを、
想い出した。
あの――力強く、優しく包み込んでくれたあの手を。
ようへいは言ってたけど、一人でなんでもできたことなんてない!
ようへいが――オマエがいたから頑張れたんだ!
指の細部まで神経が――毛細血管まで血流がいきわたる。
指がピクリと動く。
手に温もりが宿る。
その小さな火種が全身へと駆け巡る。
私のこころの中のメロディが奏ででる。
熱いッ!
身体が灼けるように熱い!
震えは止まらず加速している。
それは恐怖からではない。
況して震えているのは身体じゃない、このハート――
この魂だ!
頭に血が上る。
「ふ、ふざけないでッ! なによ、それッ! 別れの挨拶みたいにッ! 私のこと知ったかぶって語ってんじゃないわよッ! 私が自分勝手ですってッ? 全然、私のこと分かってないじゃないッ! そんな間違った記憶で死なせはしない。絶対に――
「絶対にそんなことさせないッ!」
自然に大きな声が出ていた。
大丈夫、身体は――動く!
もう演奏は止めない!
私はソロから弾き始める。
システムに登録されていないイントロ。これでは伴奏は始まらない。
だが、それでいい。
そもそもこの曲はキーボードがいない。アドリブにはもってこいの曲だ。
コード感がはっきり示されず、教会旋律には打ってつけだ。
だってこれで自由に演奏できるのだから。
この熱い想いを表現できる。なんてったって今の私は、
ボルテージはMAXだ!
再度、身体に風が纏わりつく。その風は激しさを増していた。
あまりに吹き上げている風に髪が逆立っている。
視界が広がる。
その気流により私の涙は吹き飛んでいた。
ギターソロからサビへ突入したとき、受け継がれたシステムは私の弾いている曲をやっと引き当てたようだ。途端に、バックミュージックが掛かる。
ドラムとベースがけたたましく鳴り響く。
キラはヒューと口笛をした。
「なぜ発動したのか分からないけど――いいんじゃないですか、先輩。その挑発。おかげで、距離が半分ちかく削れた」
そう――狼は踵を返した。だったら、来た道を戻っているということ。
位置的に先頭狼2匹は半分にまで縮まっていた。
「キラ! 止まるな!」
「大丈夫、間に合う」
私は詠う。
キラが駆ける。
私は声の限り叫ぶ。
凄まじい速さでキラが駆けていき、ようへいにしかヘイトが乗ってない狼達を置き去りにしていった。
キラとようへいの距離はあと3mに迫った。
だが、アドバンテージは狼にあった。どんなに速くキラが距離を縮めようとも先頭狼の位置が有利なのは変わらない。2匹はすでにようへいに攻撃を開始していた。
だが、キラは言った。
間に合う、と。
だったら、きっと――
キラは誰もいない場所へ装備していたククリ2本を投げつけた。
ようへいを襲う狼が飛びつく。
さもそこへ狼が突っ込んでくると分かっているように、そのククリは正確に狼の眼を貫いた。そしてもう一本のククリも時間差で飛び掛かる狼の喉元に突き刺さる。
「カタストロフィはすでに発動している」
キラはそう言うと飛び蹴りをして喉に刺さっているククリを引き抜き、その反動で蹌踉つくもう一方の狼の喉を斬ったのだった。
そして、キラはようへいの眼前に立ち構えた。
キラが追い抜いて行った狼達が襲い始める。キラを無視するかのようにようへいだけを狙う。
キラは容赦なく狼達の四肢――腱という腱を斬り、動きを封じていった。
その立ち位置でステップを刻み、次々と襲い掛かる狼を踊るように切り刻んでいくキラ。
まさに乱舞。
キラの周りには動けなくなった狼達が折り重なるように倒れていった。
残り8匹。
もうすでに狼の数は半分以下まで減っている。しかもキラ一人に。
よし、いける。
そう思った時、いつだってそんなときに――
異変は起こる。
急にキラの動きに精彩さがなくなったのだ。
う、動きが遅くなっている?
明らかに初手より攻撃速度が遅い。
攻撃でも受けたのか。瀕死状態にでもなったのか。いや、視覚する範囲では受けたダメージはない。
LOにもスロウを付与する攻撃があったが……。
もしそうだとするなら最悪だ。
《脱兎のフリアント》は移動速度だけしか上がらない。
「システムは受け継がれているか。な、なるほど……、こいつはちょいとヤバいね」
とキラは呟く。
キラの身になにかあったのは確かなようだ。
だが、そんなことお構いなしに狼達は攻撃の手を緩めない。
飛び掛かる狼にキラは2連撃を叩き込む。その型に見覚えがあった。たしかLOでの名称は”双撃”。遊撃士が最初で覚え、それを起点に連続技へと派生していくものだ。
一瞬、スキルが発動したのかと思えた。が、次の行動は攻撃ではなく避けるという消極的なものだった。
キラの”避け”。それはキラに対してのみの攻撃ならそれでよかったかもしれない。狼の咬みつき攻撃はキラを飛び越え、ようへいと移る。いや元来、狼の攻撃はようへいに対するもの。
ようへいはその攻撃を盾で防ぐ。
キラは舌打ちした。
「同じ動作で攻撃したが、威力はチャンバラと変わらないか。まだ何らかのシステムが制限している――」
狼はそのまま盾に体重を乗せ、牙を立てようとする。
「させない」とキラは盾の上に覆いかぶさっている狼に横蹴りで態勢を崩す。だが、当の本人も態勢を崩していた。地に足をつけ踏ん張る。そこからのステップがない。小刻みにされる息遣いが聴こえる。
そ、そうか。システムは受け継がれている。
これは逆説的にはシステム外は受け継がれない。
システムはスタミナに関与していない。
「人に云っておいてこの体たらく」
キラは気持ちを切り替えるように一呼吸吐いた。
「せっかく逆転へのこの流れ。止まれないね。そして姉御は云った、止まるなと。だったら、この――」
「クレイジクレイジーは止まらないッ!」
キラは腹の底から絞り出した。キラにしては珍しい気合の入れ方だ。キラの攻撃が襲い狂う狼に入る。
動きが戻った?
だが、胴に当たった攻撃は浅かった。
いや、戻ってない。
攻撃威力は落ちている。
すかさず細い肢へ攻撃のポイントを移行する。攻撃が通る。
斬って斬って斬りまくる。倒せないまでも狼の速度を斬り削いていった。
でも威力の低下は凄まじい。腱を見事に切っていたのが、すでに打撃属性にまで落ちていた。
キラは斬れないとみると、狼の軸を斬るというより刀身を横に叩いた。狼の飛びつく軌道だけを変える。
ダメージが入っていない。これでは時間稼ぎでしかない。
キラだってそんなこと当然分かっているはずだ。
飛びつく狼の下へ潜り、ノドへ突き刺す。が、奥まで刺さらず途中で止まる。キラは片方のククリを捨てると両手で突き刺したククリの方へ力を入れた。
勢いよく突き抜ける音がし、血がキラの顔に降り注ぐ。
キラは限界に達したのか肩で息をしている。唇は紫に顔色は青い。表情は険しく、片目はほぼ空いていない。肩で大きく息をして酸素を多く取ろうと身体が繕っている。
立っているのもままならい状態だ。
だらりと下げたククリが振り子のように安定を保っている。
体力がなくなった?
態勢を崩されていた狼も立ち直り、足を踏み再度アタックをする準備をした。
ダメだ、次攻撃を仕掛けられたら――
殺られるッ!
空気を震わす――
咆哮。
こ、このタイミングで?!
何が起こるか私たちは身構えた。だが、あっさりその張り詰めた緊張は裏切られる。
方々へ狼達は逃げ帰えったのだった。
腱を斬られた狼は途中で倒れ、また出血の酷い狼も行き倒れた。
「フェーズを移行したのかもしれないね。この状況を判断できていない。システムに妨害され、システムに助けれる――NPCは致命的なミスをする」
キラは息絶え絶えになりながらも、しっかりと片目が開て逃げ去ったその方角を睨んでいた。
そして意識を失い、キラは地に崩れ落ちた。
AIは大ポカをする――か。
ではさきの狼は何だったんだ?
意志を持った動物か、それともシステムに踊らされたゲームの敵キャラクターなのか。
そして思う。
私たちはどっちだろう? 人か、NPCか。
――1章 クレイジクレイジーは止まらない 完――




