異世界プロローグ1
――きゃああぁあー。
わっ。
急に真っ暗闇から光の世界に切り替わる。あまりの眩しさに目を細めた。風が下から吹き上げ、自分が落下しているのが分かる。視界に移るのは緑色の絨毯。
いや、あれは森?
と思う暇もなく木々へダイブ。枝木を折り進み――バサっと茂みの中へ。アタタと細木を掻き分け立ち上がる。死に戻りがないということは、そんなに高い場所からの落下ではなかったようね。上空を見やると巨木の葉が空を覆い隠すように張り巡らされていた。
うへ。けっこう高所から落ちてきたな……。よく死ななかったものね。
バキっと音がした瞬間、ドンと地面に叩きつける音。私のすぐ横に、ようへいが背中から落ちてきた。
まあ、強制ログアウトでなくてよかったわ。これはワープ系のバグだったのかな? てか、ここどこよ?
そんな疑問を思いつつ私はようへいに近づく。
「うぉー、イテー」とようへいは背部を擦りながら上半身だけくねらせている。
まったく、大袈裟ね。
痛みはシステムで制御されているのに……。アレ? そういや落ちたときの打った腕がヒリヒリしてる?
私は自分の腕をみて固まる。
血がにじんでいたのだ。
一体これはどいういうこと?
LO内で攻撃など受けて血が出ることはない。いや、あるにはあるか。両手斧専用のDOT付スキルだったかな。でもそれは演出上で切り口から血が吹き出る類のものだ。しかもグラフィックは黒塗りで潰されるというR18禁仕様だったはず。
ま、いいか。
倒れているようへいに手を差し伸べる。ありがとう、とようへいは手を取った。が、ようへいの上半身のみが少しだけムクっとなっただけに留まった。
「え?」
うん? なんかようへいが一番驚いているが……。
私もムキになり勢いよく手を引っ張った。が、ビクともしない。微動だにしないどころか力を入れた分だけ相対的に私が逆にようへいに引っ張られる。つまり行為とは裏腹に私がようへいを地面に押し倒した形になった。
一瞬の肌と肌が密着した。肌というよりもっと艶めかしい粘液状のなにかが触れた感じがしたが。
もしかして――。
ようへいの粗い吐息がかかる。いまさらながら、顔が近いことに気付いた。顔に血が上ったように熱くなる。ありもしない心臓がバクバクと音を立ている。また彼の胸の上に重なった私の手から激しい鼓動が伝わる。
いや――
これは、私特有の錯覚だ。きっと、そう、いつもの錯覚! もしくは妄想の類に違いない! LOにはそういった感触は規制されてたのだから。
相手も同じように思っていたのかもしれない――顔が赤い。
ようへいが唇を触ろうとする。
ええい、そんな確認作業をするんじゃない!
もし触ってしまたったらなんだか認めてしまうことになるじゃないか。私だって触ることを思いとどめたのだよ。この意志の弱い私が! 恥ずかしい。
きゃーーという声が聴こえる。
ただそれは悲鳴というより黄色い声に近かった。
「ちょ、ち、違うのよ。これ――は?」
私はようへいをバンと突き放し――ようへいは反動で、イダッと言ったが――両手を振りなにもなかったと必死にアピールするように振り返った。
「キャー、なにこの子?」
「NPCがなんでこんなところに?」
「イベントかなんかか?」
「なんだこのチッケーのはよぉ」
あ、あれ?
大勢のPCがなにかを取り囲んでいて何やら話していただけだった。
私に注目するべくもない。なんか気恥ずかしさで、「なにかしらね」と口に出しつつ、そもそもの騒動の基に割って入っていく。
囲まれていたのは一人の少年。いや、少年というより小学生。そう子供だ。
迷子クエか――私はそう思った。そしてこうも思う。今はそういうクエはできればしたくない。まだこの鼓動が高鳴っているままなんだから。まず心の整理をしたいのだ。
「ごめんね、ぼく。私たちお姉さんはすこし緊急の――」
と私は諭すようにゆっくりと少年を見る。
うん? どこかで見たような顔……。
「はぁ。これは、どうにもヤバいことになっているね」
少年は一人愚痴った。
その口調、その声――はて、どこかで……。
あっ!
「もしかして――キラ?」
「「えーーーーーッ!」」
ミワ、あかねちゃんが大声で驚く。ソウに至っては絶句している。まるで水面から顔をだす鯉のようだ。
「ほ、本当だわ。この目つきの悪さ。この髪型……」
「キラをちっちゃくした感じ」
「どうりで、いけすかねぇガキだと思ったぜぇ」
「ま、待って。でも、どうして?」私は辺りを見渡す。「すでにボスかなにかの攻撃を受けている?」
とレイピアを構えた。MMOにはギミックが様々ある。なにかに変化させ、PCの攻撃を無力化するのだってあった。某有名MMOではカエルだったか。
「あー、構えなくても大丈夫だと思う。だって、これが――
「ぼく本来の姿なんだから」
「「「「えーーーーー」」」」
再度ミワ、あかねちゃんが驚く。そこに私が加わったのは言うまでもない。
本来って――え? ここリアル?
「てか身長――」
「ああ、僕はこういったゲームはあまりしなくてね。設定を触っていたら――伸びていた」
ああ、あれ、かなり表記が小さかったからね。
「まあ、べつにいいかとそのまま始めたけどね」
「な、なるほど」
「アンタって淡泊よね……」
「そう云えば、LO募集事項には学生であると条件はあったけど、小学生も一応――学生よね」
「でも小学生なんて他に見かけなかったよ? 皆が皆、身長をイジっているわけでもないでしょう」
「その点は――僕が‘特別’だったからなんだ」
「とくべつ?」
「E区の存在は知っているかな?」
そういえば最初、ミワたちと合った時に話題になったな。
「でも、あれって……」
「ああ、変なウワサだけが独り歩きしてたね。うーん、どういえば云いだろう――」
「それについては――」とようへいが後ろから、「オレから話させてくれないか?」とシリアスな声で語ってくる。見ると、まだ胡坐をかいて座っていた。
なにカッコつけていやがんだ、コイツは。
「そんなところで座っていないで、こっち来れば?」
素っ気なく言ってやる。
「ああ、ごめん。それが行けないんだ――」
いやに爽やかに拒否ってきた。なんだ、落下ダメージで瀕死状態にでもなったのか? それならあかねちゃんに回復でも――。
「なんせ、この両足は元から動かないんだからな」とようへいは自分の足を叩いた。
一瞬なんのことを言っているのか分からず、キラ以外の全員が目を合わせる。
「な、なに言っているのよ。ようへい、アンタさっきまで一緒に戦ってたじゃない!」
「アサヒ、云っただろ? オレが現実と仮想の違いを知ってるってことを。リアルのオレの足は根本からイってしまってんだよ。そしてE区には、そういった――何かが足りないヤツが入っているんだ。だったら、キラも――」
ようへいは言いにくそうに頬をポリポリ書きながら目を覆った。
「うん。僕の場合は『恐怖心』さ。恐怖がないんだよ」
当のキラは即答。
E区ってほんとにあったのか。
「でも建物の図面では、D区までしか載ってなかったように思えたけど……」
「地下にあるんだよ」
地下?
「つまり、あの施設では隠れて人体実験みたいなのが行われていたってこと?」
「うーん、人体実験っていうのが、姉御には否定的なニュアンスを含んでいる気がするけど――地下に収容されたのは患者への配慮だったと思うよ。べつに隠れて怪しい実験をしてたわけじゃないし。まあ、臨床実験と云えばいいのかな。インフォームドコンセントは受けたしね」
「ああ。この実験に疑惑やそういったものはない。全員が全員自ら進んで参加したものと思う。オレもその口だからな。夏の高校野球前に交通事故で両足を失ったオレには、もう藁をもすがる思いでこのLOに飛びついた」
そうか。だから、ようへいはずっとLO世界に入り浸っていたのか。現実世界に戻りたくなかったと……。それなのに私は――ログアウトして休めって……。
「アサヒには悪いと思っている」
違う、悪いのは私。
「LOにずっといたから、担当医師に強制ログアウトをかけられてね。データ収集にそのつけがまわって――なかなかログインできなかった。あのときはマジで焦った」
「僕は定期的にやってけどね」
いやにあっけらかんとしてる。
「ま、いずれ夢から醒めることがあると覚悟はしてた」
「なぁ、ちょいとよぉ、待ってくないか。もし仮にだがよぉ――この話がほんとだったしてもかなり矛盾があるんじゃないかぁ?」
ソウが会話に割って入る。
矛盾?
私は逆に得心がいったけど――。
「ああ、ヤバいことになってるよね」
とキラが思案気に考え込む。
そういやキラの開口の台詞だったな。
「僕はいまもそれについて頭を巡らせている。これはいったいどういうことなんだろうってね」
「ああ、決定的な矛盾があるよなぁ。俺は東京。キラはたしかよぉ、北海道だったよなぁ? そして洋平は大阪だろぉ? つまりよぉ、ここが現実ならよぉ。どうして俺たちが出会っているのかってことなんだよぉ――。
「いったいよぉ、ここはどこなんだぁ?」
た、たしかにソウの言う通り現実世界で離れた私たちが一同に会しているのは不自然だ。
かといって、VR世界ではないとキラもようへいも言っている――。
どっちが正しい?
はッ!
ちょ、ちょ、ちょっと待って。そんなことより……。
もし現実なら、さっきのあれ――。
ビューっと立ち並ぶ樹々の間から強風が吹いた。
その音に私の思考が中断される。
風音に混じった獰猛な動物特有の喉を鳴らす音が聴こえたからだ。