48:育まれる想い
こんこんと戸を叩く音で目が覚めた。
あれ……ボク……。
何で部屋に……?
胸に抱いたシャツがはらりと落ちて、思い出す。
あっ……。ボク……一人でしちゃったんだ……。
常夜灯に照らされた室内、シーツにできた小さな染みが、行為の後を物語っている。
慌てて、ボクはシーツの上に落ちた瑞貴のシャツを拾い上げる。
また、こんこんと戸を叩かれた。
「燈佳、起きてる?」
桜華の声だ。
えっと、今何時だろう……?
時計の蛍光色を探して、時刻を知る。
十一時を少し回ったくらいだ。
そんなに眠っていたわけでは無かったみたいだ。
そして、もう一度、こんこんと戸を叩かれた。
「あ、今起きた、えっと、何?」
部屋が暑い……。肌には玉のような汗が浮かんでいるし、体中がべたべたして気持ち悪い……。
それに、室内が酷い臭いに満たされている……。水洗いはしたけれど、やっぱり臭いは落ちていなかったみたいだ……。
「すぐ部屋に戻ったから心配だったんだけど、開けてもいい?」
「あ、うん」
まだ、お腹に甘い疼きがのこっていて、すぐには立ち上がれそうになかった。
あっ……、まずい……。
まだ、頭がぼんやりしていたらしい……。
だけど、時既に遅し、天岩戸は何の障害もなく開かれてしまった。
廊下の明かりが部屋に差し込む。
ボクの素肌が光に照らされて、桜華と目が合った。
「あっ……、このニオイ……それに……」
桜華がしかめっ面をする。
「ご、ごめん……」
部屋で漏らした訳じゃないけれど、その、漏らした後の物が酷いニオイを放っている。
桜華の家なのに、汚物の処理もせずに部屋に籠もって本当に悪いことをしてしまった。
「ん、別にいいんだけど……、その格好、一人でしてた?」
言われて気付く。
手には男物のシャツを握りしめ、胸に抱き、ボクは何も身につけていない。
もはや何を言っても今は詭弁でしかない。手遅れである。
「気にしないで、私もママに見つかったことあるから」
「あう……」
「……片付けておくから、お風呂にはいってきたら? その後何があったか教えて?」
ボクは小さく頷いてベッドから抜け出す。
腰に力が入らなくて、桜華に支えて貰って着替えを取り出し、部屋を出ようとしたところでやっと考える力が戻ってきた。
「へ、部屋の片付けは自分でするよ!!」
「ううん、浴衣とか見た限り結構酷いし、早めに対処しないとダメになっちゃいそう」
「そ、そうなの?」
「うん、だから、燈佳は先にお風呂にはいってくる」
促されるまま、お風呂場に押し込まれた。
……裸じゃんボク。まだ覚醒していないのか。
少し熱めのシャワーを浴びて、思考の覚醒を促す。
それと汚れた体を洗って、触れた所がまだ敏感になっている事に気付いた。
甘い痺れに流されるままに、もう一度。絶頂を迎えて、自己嫌悪に陥る。
「これは、辛い、なあ……」
桜華も、こんな気持ちだったのか。お風呂場で一人慰めるとか……。
体の泡を洗い流して、お風呂から上がる。
……脱衣所に置いてある、洗濯機が回っていた。
もしかしなくても、さっきの声、聞か、れ、た……?
嘘でしょ……。人の気配に気付かないとか、ボクどんだけそっちに気を取られていたの……。
「お、桜華……」
リビングにはばっちり櫛とドライヤーが用意されている辺り、ボクの予想は確定で違いない。
最悪だ……。
「どうしたの?」
上機嫌だ。明らかに上機嫌である。
一目見て分かった。上機嫌以外の何物でも無いと。
「も、もしかして、声聞こえた……?」
「可愛い声でするんだね……。思い人が私じゃないのが不満だけど」
終わった。
ボクの人生終了のお知らせです。
「燈佳?」
しばし呆然と立ち尽くしていると、桜華が心配そうに声を掛けてきた。何とか我に返った。
「何でも無い。泣いたりするより、一人でしてるの見られる方がよっぽど恥ずかしいよ……桜華はよくボクがいるのにガラス一枚向こうでできたね……すごいよ……」
素直な感想を漏らす。
いや、気付いてやってたって言ってたし、今でもたまにしてるし、ホント凄い……。
「私、今日あの声でするね? あんな可愛い燈佳の声、忘れられない」
「言わなくていいよ!?」
「恥は掻き捨てだし?」
ちょいちょいと桜華が手招きをしている。
櫛とドライヤーがリビングにある時点で予想出来ていたけど、これ、根堀葉堀聞く気だ。絶対髪が乾いても、手の込んだ結い方して時間潰してくるパターンだ!!
「そういえば、ゆっくりと解しながらだったら、指挿れても大丈夫だからね?」
「指……」
どこに、なんてことは聞かなくても分かってる。
初めては痛いっても聞くし、慣らす目的のためにやっておいた方がいいのかなあ……。
まだカラーを落としていない自分の指を見つめながら、ボクは桜華の横に座った。
「まあ、大体の事は、瀬野くんが燈佳の所に向かったときに聞いてたけど、無事で良かった……」
ドライヤーの温風が、髪に当てられる。夏のこの時期、ドライヤーは熱いからあんまり好きじゃないんだけど、優しく髪を持ち上げられて慈しむように扱われると文句も言えない。
「渡辺さんもやっぱり、天乃丘に来るべくして来たんだね」
「そうだね、何か問題がある生徒の受け入れ先って噂だし」
ボクに怪我もなかったから、そんな軽い認識だ。
下手したら一大事だったのにね、心が穏やかだ。
「それと……、えっとニオイで大体分かったけど、燈佳、盛大に漏らしたのね」
ああ、やっぱり……バレていた。
水洗いは一応したけれど、ちゃんとは取れてなかったんだ。瑞貴はずっと気にならないよって言ってたけど、やっぱり臭かったよね……
ああもう、恥ずかしい……。
「だ、大丈夫、それくらいで嫌いにはならないし、私もお漏らししたことあるから!」
なんの慰めにもなってないけれど、その不器用さに苦笑が漏れた。
だからボクだって、ちょっと意地悪をしよう。
「桜華、ボク、桜華が一人でする気持ち少し分かった。でも、これってとっても辛いね」
「ん、そうだね、分かってくれたら、私にしてくれてもいいんだよ?」
あれ……これ意地悪になってないパターンだ!
「むぅ……瑞貴がいいって言ったら考える……」
「ホント!?」
「ふわっ!!」
び、びっくりした。声を荒げない桜華が珍しく声を荒げるなんて……。
そんなに驚く情報はいってたかな……。
「心も欲しいけど……体だけでもしてくれるなんて、嬉しい……。早く瀬野くんに許可取らなきゃ……」
うっとりとした声音に、ボクは早まったことを行ったんじゃ無いかと思う。桜華マジヤバイ……。
「でも、そう言うことを言うって事は、瀬野くんに告白されたの?」
「ううん、されてない。けど、年内までには俺から言うからって、今日は弱みにつけ込むみたいでダメだって。これって遠回しな告白、だよね……?」
「……おめでとう。でも、浮かれたらダメだよ、もしかしたらゴメンナサイかも知れないから」
うぅ、舞い上がる気持ちを急落させてくるなんて、本当に酷い。
「うん……その時は慰めて? 都合がいいかもしれないけど、さ」
「全然! 私はいつでもいいよ、なんなら今すぐ男の子に戻って、甘い一時を過ごそう!! さあ早く、くるみを呼んで男の子に戻ろう? 燈佳のやりたいえっちしよ? 私はどんなことされても大丈夫だから」
「桜華のテンションがまだ高かった……」
「だって、燈佳がえっちな事に興味を持ってくれたのが嬉しくて!」
桜華のテンションがヤバイ方向に振り切れてる。鼻息荒いし……。
は、早く話の筋を無理矢理にでもどうにかしないと……。
あっ、相談してみよう。
「桜華……」
「えっと、なに?」
「少し胸貸して。本当は振った手前甘えるなんてやっちゃダメだけど……」
「ううん、いいよ」
ぽふっとボクは桜華の胸に顔を埋めた。
香りの強いボディーソープの甘い香りが鼻一杯に広がる。ボクも同じ匂いがしてるのかな……?
桜華に抱きついて、ボクは思いを吐露する。
「ボク、瑞貴にも緋翠ちゃんにも男だって事正直に伝えたい……」
頭を優しく撫でられて、
「いいと思うよ」
たった一言、ぽつりと桜華はそう言った。
その肯定が嬉しかった。
「二つ目のお願い事もさ、瑞貴に告白するときに使うよ」
「そっか……ありのままの自分を知って貰うんだね?」
「うん……。嫌われないかな……?」
それが一番怖い。
ボクが男だって知らない人だったから言わなくてもいいやって。
どうせ友達で、男女の仲になるなんて思って無かったし。
本当に、こんなにも愛おしい気持ちを抱くなんて思わなくて……。
「大丈夫じゃないかな。瀬野くんはそれくらいのことで人を嫌うような人じゃないのは、燈佳が一番知ってるでしょ?」
「うん……、でも万が一って事があるし」
「気を強く持と? 大丈夫だって」
「がんばる……」
「最悪いつも通りに過ごすのが一番だよ?」
「が、がんばる」
子供をあやすかのように背中をぽんぽんと叩かれた。
それが心地良く、もう暫くこうしていたかったけれど、これ以上甘えるのは行けないと思って、離れた。
桜華が残念そうにしていたけれど、これ以上はボクがダメになりそうだったの!
「あのね、燈佳」
「なあに?」
髪を結われながら、ボクは返事をした。
「一人でするときは、声、我慢しなくていいからね、是非! 私に聞かせて!!」
引く。どん引きする。
「言うに事欠いてそれ……? しかもボクが日常的にするみたいな言い方だし……」
「しないの?」
なんの疑問ももって無いような、曇りのない質問だった。
答えに詰まった。だって、あの気持ちよさはちょっと忘れられない。真っ白になって天にも昇るような気持ちだったし……。
「す、するかもだけど、声は出さないよ!」
「声、我慢しない方が絶対気持ちいいから。私がそうだし! 先輩の意見は聞く物だよ!」
「……桜華が壊れた」
「私、燈佳が思っているより、えっちなこと大好きだよ……?」
「うん、知ってた……」
知ってたけど、理解したくなかった。
おすましの仮面の下がこんな変態さんだったなんて。
でも、なんか、醜態を見られたせいか、前よりも近づけた気がするんだ。