39:ボクは聖人君子ではないけれど
わあああとかひゃあああとか、いやあああとか大きな声をあげて、ぐんぐんと速度を上げていくウォータースライダーの早さを楽しむ。
ばっしゃーん! と水切りをしながら着水。
暫く水に潜って体のほてりを取りながら、冷たさを楽しんだ後に、
「ぷはっ」
底の浅い水面から顔を出す。
はああ、ドキドキしたけれど、なんとも言えない心地よさだ。まるで一種の開放感を味わったような、そんな感じ。
「お、おい、燈佳……!」
「ん、なあに?」
「なにじゃない、いいから早く隠せ!!」
隠す……何を……?
胸の辺りがひんやりというか、風が直に当たってる感じが……?
「きゃあああ!!」
気付いた。水着の上がぺろんとめくり上がっていた。
惜しげも無く晒されるボクの胸……。幸いスライダーの着水地点だから人が少なかったから見たのは瑞貴だけだけど。
慌てて屈んで体を水の中に隠すついでにめくれあがった水着を下ろす。応急処置だけどしないよりマシだ。
「み、見た……?」
自ら顔だけ上げて瑞貴に問う。多分答えは見てないって返ってくるはずだ。
「み、見てないぞ……!」
「嘘つき……」
見てなかったら隠せなんて言えるわけないし。でもよかった。見られたのが瑞貴だけで。もしかしたら遠目に見られたのかも知れないけれど……。
「……すまん。見えた」
「ん、素直にそう言えばいいのに。ごめんね、桜華みたいに大きくなくて」
とっかかりが少ないからね、仕方ないね……。
素直にワンピース風に偽装できるセパレートタイプにすれば良かったと物凄く後悔してる。
「え、あ、いや……」
すごい、顔が真っ赤だ。瑞貴ってエロイ風を装ってるのに、なんだかんだでその場面に遭遇したら初心丸出しなんだよね。
それがとても可愛いと思ってしまう。
でもなあ……。見られるならもう少し大きくなってからがよかった。
多少膨らみはあるとは言え、殆ど真っ平らだし……。
「気にしてないけど、流石にちょっと恥ずかしいから直してくるね、みんなの所に戻ってて」
「お、おう……。いやまて! 燈佳……下もどうにかした方がいい!」
え……? お尻に手をやれば……水着が食い込んでいましたとさ……。
「直すからみないで!!」
「お、おう……」
そうか……女性用の水着で滑るとこういうことが起こりえるのか……。行く前に一度慣らしをしておかないとダメだったか……。
ざっくりと直して、ボクはトイレへと向かった。
水着を直すのと、ついでにいうと水で冷えたのと音のせいで用を足すのもついでだ。
みんなの所に戻ろうと、していた所で、
「ねえ、君一人? 俺たちと一緒に遊ばない?」
そんな声が聞こえた。
やっぱり、この時期この場所だとナンパする人っているんだなあ……。
「はあ? 人待たせてるんだけど、どっか行ってくれない?」
大変だなあ……。
ボクはその光景を尻目にみんなの所に戻ろうと思ったんだけど……。
なんというか、まあ巡り合わせってあるんだろうなあ。
絡まれてるのは渡辺さんだった。正直、関わりたくはないんだけど、困ってるみたいだし……。
「あっ、渡辺さん、お待たせ。トイレ混んでたんだよ」
「はっ……? あっ……あー……」
突然現れたボクに渡辺さんが困惑している。けれど、ここは無理を押し通すしかない。
目の前には二人組の男がいる。どっちも似たような髪型で似たような小物をつけた要するにチャラ男風な男達だ。筋肉とか何もついてなくて、なんていうかとても見窄らしい。
やっぱり男の人は多少なりとも筋肉が無いとダメだよ。そうしないと脱いだとき格好良くない。
「おー、こっちの子も可愛いじゃん、ねえ彼女も一緒にどーよ?」
あ、しまった……。ボクまで絡まれた!?
「あんた、先に行ってれば良かったのに、何やってんの……」
「ほら、渡辺さんが困ってる感じだったし。ごめんね、お兄さん達、ボク達友達と一緒に来てるから、遊べないの」
両手を合わせて謝るけれど、やっぱりナンパの人達は簡単に引き下がってくれるわけもなく。
ずいっと距離を縮めてきて軽薄そうな笑みを浮かべている。とてつもなくその笑みが不愉快だし、押しの強そうな感じが不快だ。
断ってるんだから簡単に引き下がればいいのに。
「どうせ、女の子達ばっかりでしょ? 俺たちと遊んだ方が絶対楽しいって!」
「うーん、残念だけどボクも渡辺さんも彼氏と一緒に来てるんだ、ちょっと怖い人達だから、早く帰った方がいいと思うけど……」
集合場所にしていた所が、ここから見える位置にあって良かったと本当にそう思う。
状況に気付いた瑞貴が、立川くんと一緒にこっちに来てくれているのが見える。
「冗談も程ほどにしてさ、俺等と遊ぼうって」
伸ばされた手を躱す。ちょっと所かかなりしつこい人に絡まれたね、渡辺さん。
別にボクが助ける義理もなかったんだけど、これで二学期以降大変なことになってたらボクだって寝覚めが悪いし。
ボクは聖人君子ではないけれど、顔見知りが困っていたら見捨てるって事はできないんだ。
「……いいよ、私が一人相手すればいいだけでしょ? コイツは関係無いし。そもそも一緒に遊ぶような間柄じゃないし」
「何々、実はそっちのちっちゃい子が善意で助けに入ってきてくれただけで、無関係なのぉ?」」
「そうだよ。ただのクラスメイトだ。そもそも高校生をナンパとか立派な犯罪なんだけど、お兄さん達分かってる?」
「そんなのバレなきゃいいじゃん」
クズだなあ……。この手合いのクズはネトゲにもいるけど、リアルに遭遇すると本当にゴミみたいな人達だなあ……。
スマートなのは引くことなのに。強引にガツガツこられたら、相手だって強情になるよ。この手合いは断られたら引くこと、それで間違いないね。
好感度がゼロの相手の好感度を少しでもあげたいと思うなら、顔がいいか、態度がいいか、そのどっちかしか無い。
もしこれが、罰ゲームでお茶の一時でもーなんていわれたら、また違っていただろうし。勘違いチャラ男は一回死ね。
「あー、えっと、俺等の連れに何か用?」
「あ? なんだお前」
瑞貴が背後からナンパ男達に声を掛けた。
凄く呆れた顔をしている辺り、ボクが何をしたのか理解しているのだろう。
ごめんね、迷惑をかけて。
「こいつら、俺の連れだって。だから、さっさとあっちに行ってくれないかな?」
「その証拠出してみろよ!?」
今にも掴みかからんばかりの勢いのナンパ男達だけれど、伸ばされた腕はついぞ瑞貴には届かなかった。
「いってえ!!」
「どこかへ行けと言っているだろう」
傍から見てもギリギリと締め上げるように腕を掴んでいるのは立川くんだ。
こういうときガタイの大きい人が側に居ると安全だなあ。
ナンパ男達は若干涙目になってるし。
まあ、一目見たら立川くん怖いしね。
「ちっ、行くぞ!!」
「あ、ああ……」
そそくさと退散する二人。全く、そうやって少しでも勝てないと思ったら逃げるんだからダメなんだと思う。少しでも芯があれば惹かれる所はあると思うのに。
「燈佳、お前何してんだよ……」
「ご、ごめんね……顔見知りがいたからつい」
「だからといって……、よりにもよって……」
言いたいことは分かる。
だけど、どうしてもボクに見捨てるという選択肢はなかった。
「……渡辺。燈佳に感謝しろよ」
「なんで? 勝手に割って入ってきただけでしょ?」
「はあ……言うと思ったけどなあ……。正直、俺はお前のそういう所が気にくわない。俺に興味があるのは分かってるけど、それで俺の近くにいる奴らを毛嫌いする理由がわかんねー」
ボクに感謝はいらないんだけど、瑞貴は虫の居所が悪いみたいだ。
そっぽを向いて、頭を掻きながら、言葉を探している様は、なんていうかわざと相手を傷つける言葉を選んでいるような雰囲気がある。
「俺、自分の周りにいる友人知人達を攻撃されるのが一番嫌いなんだよ。だから、仲のいい燈佳を毛嫌いするお前に関心は持てない」
「な、なんで、急にそんなこというの……」
「燈佳に止められてたけど、丁度いい機会だったからな。正直俺は今まで燈佳が受けた仕打ち、全部お前のせいだと思ってる。入学式の日から因縁つけてさ……笹川さんを崖から落としたり、裏サイトに書き込んでレイプ未遂起こさせたのも、発端はお前だろ?」
「なにそれ……最後の、私、知らない……」
「最後の、ね。てことは他の部分はやったようなもんなんだな」
ボクは別にもう気にしてないのに。というかそれのお陰で瑞貴を好きだって思えるようになった出来事だからあながち悪いというわけでもないし……。
でも、渡辺さんの顔が青ざめている。どうやらやっと事の重大さ気付いてくれたらしい。
「私、しらない……ただ、ムカツクって書き込んだ、だけ、だし……そんなことになってるなんて思いも……」
「お前なあ……ネットに人の悪口書き込む重大さ、きちんと考えろよ。俺や燈佳はネトゲでそう言うことに耐性はあるから、笑って見過ごしてやってるけど、鵜呑みにするバカがほいほいあらわれるって事も考えろ」
瑞貴が本気で怒っている。それがボクを守るためだと言うことが分かると自然と嬉しさがこみ上げてくる。
でも、渡辺さんは今にも泣き出しそうだ。そろそろ止めてあげないと。
「瑞貴、もういいよ。このままだったら折角遊びに来てるのに、嫌な思い出だけが残っちゃうよ」
「燈佳……。正直俺は燈佳のやり方は甘いと思ってる。こういうのはきっちりした方がいい。別に人のことは嫌いになってもいいんだぜ?」
「ありがと、でもね、最初の因縁はあれだけど、だってあれって、ボクに関心を持ってくれたって事だし。ボク中学は二年の半ばから行ってないから、どうであれ人に関心持って貰うのは悪くないなって思ったんだ。だから、さっきナンパに絡まれてた時もどうにかならないかなーって思ったわけだし」
そう言ってボクはへらっと笑って見せた。
そうやって見せるのが一番だって、この四か月弱の生活で分かったんだもん。
「分かった分かった。渡辺言い過ぎた、すまん。でもこれだけは覚えておいてくれ、俺は現状でお前に関心を向けることは絶対無い。好きでも嫌いでも無い、関心を持たない。意味は分かるな?」
それは冷酷なまでの絶縁宣言だ。
関心を持たないとは、つまり、あなたに対してなんの興味も抱きませんよって事だ。
好きか嫌いか、これは反対方向を向いているようで実は行き先の違う別の方向で、根源的な所の反対方向にあるのは無関心だ。
瑞貴はそれを渡辺さんに突きつけた。
告白する前に振られるとはまさにこのことだ。
「行こうぜ、燈佳、健ちゃん。ナンパ野郎から助けただけでもありがたいと思ってくれれば別によかったんだけど、それすらも断ったしな」
ああ、意外と瑞貴ってありがとうとか、ごめんなさいとかしっかりしてるもんね。そこがダメだったのかー。ボクも嫌われないように気をつけよう。
「えっと、じゃあ、ボク達行くね。ボクはなんとも思って無いから、あんまり気落ちしないでね」
立ってるのがやっとな渡辺さんを置いて行くのは忍びなかったけれど、友達と来ている感じだったし、多分大丈夫だろう。
正直ナンパ男達より酷い仕打ちを受けたような気がするけれど……。
慰めたらまた時間掛かりそうだし、ボクが慰めるより友達に慰めて貰った方がいいかも。
意気消沈してるならナンパにも合わないだろうし、トドメを指したのはある意味ファインプレーだったのかなあ。
「はあ……疲れた。ガラにも無いことやるもんじゃねえ……」
「ああ、やっぱり無理してたんだ。ボクの為にありがとね」
「まあ、いつか言おうと思ってたからな。ありがたいと思うなら頭の一つでも撫でてくれ!」
「そんなんでいいの……」
安いお礼だなあ。
まあ、それくらいなら別にいいけどね。
「よしよし、おつかれさま」
「いちゃつくなら余所でやってくれないか……」
「う、うわあ! そうだった立川くんいたんだった!」
「影は薄い自覚はあるが、流石にこの場で二人の世界を作らないでくれ、居たたまれない」
忘れてたよ全然喋らないしすっかり存在感がっ!
「うむ、俺は居るのは知っていたぞ。知っていたがあえて、言ってみた」
「たちが悪すぎる。榊に悪いだろ、それ」
「なんでボク!?」
まあ、いいんだけど。
それから、一度桜華と緋翠ちゃんが戻ってくるまでボク達はダラダラした。
くるにゃんはそこら辺の子供用プールでぷかぷか浮いて、子供達に流されていたのだった。それを楽しく思えるってすごいな、くるにゃん!