32:ふたりの思い出
桜華が泣き止むまで待っていた。
流石にずっと立ちっぱなしは辛かったから、ソファーに座って抱きしめてあげたけれど。
背中をさすってあげて、時折悪戯っぽく桜華の髪を弄んで。
何年って溜めた思いをぶちまけて落ち着くまでボクは待った。もう日付が変わっている。
その間もずっと思い出を泣きながら話す桜華を、ボクはただうんうんって相槌を打ちながらずっと聞いていた。
十年来の想いが終わる日なんだ、時間はいくらでもかかるのだろう。
たった一人……それもボクなんかの為にずっと想ってくれていた十年だ。それだけでもずいぶんと価値のあるように思える。ボク自身は自分に魅力を感じないけれど、周りからしたらそうでも無いのだろう、ということを思い知らされた。
それだけでも、ボクは自分で自分の事を下げるようなことを言えなくなるんだろう。
前を向いて、想ってくれている人のために自信をもって生きていかないといけないのかも知れない。
それが、想われた側の責務なのかも。
「今日くらい一緒に寝たい」
日付が変わって、泣き止んだ桜華が一言ぽつりと言った。
桜華はおすましな癖に一際甘えん坊だ。
ボクの後ろについて回るときもよく服の裾を掴んで離さなかった。
今日は久々にそれが発動している。
服の裾をちょこんと摘まんで、いじらしくそんなことを言うのだ。
「しょうが無いなあ」
ボクは苦笑してそう答えた。
暑いけれど、桜華がそれで落ち着いていつも通りに戻ってくれるなら、ボクはいくらでも我慢する。
だって、女の子の一世一代の告白を袖にしたんだよ。でもそれでもここに慰めることが出来るのはボクしかいないわけで。
「私の最後のワガママだから」
「無理難題じゃ無ければいつでも聞くよ。友達の頼みだもん」
「うう……ひどい。友達を強調されると流石に辛い……すぐに吹っ切れるわけじゃないんだから……」
またぽろりと涙を零す桜華。
うん、ボクも失言だと思った。流石にそれは言われたら辛いかも。
「もう少し動揺してくれると思ったのに」
「あはは、流石にそれは無いかな。動揺したら、ボクが桜華に気があるみたいになるじゃん」
「ん……やっぱり、完全に脈無しなんだね」
「うん、そうだね。だって、桜華のことは最初から妹分としてしか……ううん、ボクが女の子になってからは頼れるお姉さんだったけど……そういう風にしか見てないから」
「そっか……燈佳がお兄ちゃんだったね、そういえば」
ボクと桜華の関係は不思議なものだ。今でこそボクが妹分で桜華が姉貴分だけれど、前はボクが兄貴分で、桜華が妹分だった。
やんちゃというわけでは無かったけれど、ボクは冒険が大好きで、小さい時はよく遊びに来ていた桜華を引っ張って外を歩き回っていたんだ。
内気な桜華は外にいるより家にいる方が好きだったみたいだけど、ボクの友達を紹介したりなんかして一緒に遊んで、泥だらけになって怒られたりもした。
「そういえば、ボク達って何かと手繋いでいろんな所に行ってたね」
「そうだね。私、燈佳が手を引いていろんな所に連れて行ってくれるのが楽しみだった」
「冒険に出て、迷子になって怒られるまでがワンセットだけどね」
「それでも、小さい時は燈佳の家に遊びに行くのが楽しみだったんだよ。今度はいつ行くのってせがんだくらい」
そうなんだ。そう思ってくれてたのは素直に嬉しいなあ。
ボクだって、桜華と会うのは楽しみだった。年に数回しか会えない幼なじみ。そんな幼なじみには、ボクが凄いと思っているところを一杯知って欲しかった。
小さい頃はちゃんと友達もいたし、どちらかというと場の中心だったから、桜華をみんなと引き合わせるのは容易だった。
だけど……。
「だから、私、燈佳がふさぎ込んだって聞いて、心配になって休みの日は殆ど毎日そっちに行ってたんだよ?」
暗黒の中学時代。別にそれ自体はもういいんだ。
それ以上に、至る所に迷惑を掛けていた自分が腹立たしい。
自分一人が世界の不幸を背負った気になっていた。今考えればそれ自体が中二病と呼ばれる物だったのかも知れないけれど。
「うん、ありがと、それとごめんね、顔出せなくて。父さんと母さん以外まともに見られなかったから……」
本当にボクが外を出歩けるようになったのはここ半年の事だ。
前は少しでも外に出れば吐いていた程の重傷だった。だから、多分その時期に桜華と会っていたとしてもみっともない所を見せるだけだったと思う。
一応ボクなりの歓迎の意を込めて、お菓子とかそういうのは用意しておいたけれど。
「一応、来るって言うことは聞いてて、顔だそうとは思ってたんだ……。だけど、やっぱり部屋から出ようと思ったら足が竦んでね……」
「うん、大変だったね」
「そうだね」
「私も受験前の辺りから流石に来れなくなって……。でも燈佳が天乃丘に進学するって聞いて志望校変えたの」
「そうだったんだ」
まあ、そうでもしないと同じ学校には行けないか。私立だし。それに一応天乃丘は進学の難しい学校だ。裏道はあるみたいだけれどね。
「本当は、鴨羽女子に行くつもりだったんだよ」
「それは、ボクの為にえらいな方針転換を」
鴨羽女子は天乃丘に比べたらランクが数段落ちる。公立の女子校だし、自宅からも随分と近い。天乃丘も決して遠いわけじゃ無いけれど、徒歩十分と二十分少々じゃ全然違う。
「ううん、だって、本当だったら鴨羽にもいけずに海外に行ってた可能性もあるんだもん。燈佳が天乃丘に合格してなかったら、多分パパとママについていってた。そういう意味じゃあ燈佳が天乃丘に受かってくれて嬉しい。この家にいる意味が出来たから」
「そっかー。ボクも自宅から通うのは薄々無理だと分かってたんだよね。ここまで特急で一時間だし……」
「遠いよね……。だから、私、燈佳の手を引いて先を歩けて嬉しかったの。例え病気でダメになっていたからだったとしてもね」
立場が入れ替わってしまったしまったことに対して桜華は喜んでいたのだろう。
今までしてもらった事を返せる。そう考えるならボクだって喜んでやるかも。
ボクが引っ込み思案の桜華を引っ張って、外を歩き回ったように、桜華だってボクを引っ張り回したいと常々思っていたのだ、多分予想だけれど。
それが今回の事で、実現した。
桜華のやったおまじないがボクに来た。これはもしかしたらもう、必然なのかも知れない。
変わりたいと漠然と思った男の子と、立場が変わりたいと思った女の子。
その二人の変わりたいという思いを実現するならどうする?
ボクなら男の子を女の子にしてしまう方がまだ現実的に見える。そうするだけで、元々女の子だった方の立場は元々男の子だった人よりも優位に立つ。知識とかそういう面で。
女の子になってしまった男の子の容姿が、庇護欲をかき立てるような弱々しいものだったとしたら、それはより明確になるだろう。
被害を代わりに受けたのかも知れない、けれど、もしかしたらこれは必然だったのかも知れない。
まあ、立場が変わって恋をした元男の子が、他の男に恋するなんてまでは予想できなかっただろうけれど、ね。
「ボクも新鮮だったよ。桜華があんなにぐいぐい来るなんて思わなかったから。それにちょっと変態チックな所もあるとは思わなかった」
「だって……男の子ならエッチなことに興味あると思ってたんだもん。お風呂場でしてたのも声聞けば襲ってくれるかなって……。私、燈佳とならいつだって歓迎だし」
「あ、あはは……。ボクだってそう言うこと覚えたのつい最近なんだけど……男の時ですら一回もしてなかったし……」
「そうなんだ……。あれ、じゃあ自分のおちんちんから精子出るのみたことないの?」
「ああ、うん、まあ、はい……。というか直接的にいうのやめよ? 恥ずかしい」
臆面も無く言ってくる桜華にボクはたじろぐ。
どうしてそう言うこと直接言えるんだろう。ボクには無理だ……。精々おっぱいって言えるくらい。性器の隠語を口に出すのも憚られる!
それから暫く桜華はボクの膝の上でごろごろしていた。もう大分落ち着いたみたい。
そしてぽつりと、
「はあ……燈佳に振り向いて欲しくて頑張ったけど、全部裏目にでちゃった」
「ん、ごめんね……ボクだって漠然と女の子を好きになるんだと思ってたんだよ。男だったから」
「好きになったんなら仕方ないよ。もしかしたら私だって男の子になったら女の子を好きになったかもだし」
「ね、不思議だよね」
「不思議だね。燈佳が男の子を好きになったって知っても、別に気持ち悪いって思わないんだもん」
言いたいことは分かる。元々の性別だった人を好きになったことが、気持ち悪いと思えない。だって、ボクにも忌避感がない。でも忌避感はなくても瑞貴に嘘吐いているという罪悪感はある。いつかこれを言える日が来るのかな……。
「ねえ、燈佳……」
「なに?」
「最後にもう一回だけキスしていい……?」
「それはダメ。後は瑞貴にするから」
そこだけは譲れない。
本当は不意打ちの一回目ですら許されなかったのに! 実際するとき瑞貴になんて説明しよう……。それで嫌われたらやだなあ……。
でも……、
「今日は一緒に寝るって、それで我慢してよー……。そういえばボク、寝たら、何されても気付かないんだよなあ……」
これくらいはいいと思う。寝込みを襲われたことに関しては関知しなければいいんだから。
「ん……分かった……」
「そろそろ寝よ? もう二時だよー」
「そうだね、明日はプールだしね、寝坊しちゃダメだね」
「うん! じゃあ、部屋行こうっか」
ボクは桜華を促して、部屋に行く。
一人用のベッドに二人は狭いけれど、一緒に入って、本来なら背中を向ける所を、桜華と顔を合わせる。もう顔が近いからって気持ち悪いと思うことも無くなってる。凄い進歩だ。
「それじゃ、おやすみ。変なこと、しないでよ?」
「うん、おやすみ」
それから暫く。目を瞑って寝たふりを続ける。ボクは寝てる時なら関知しないと許可を出した。桜華の最後のお願いくらい聞いてあげたいんだけど、やっぱり起きてるときに許可を出すのは不義理だろうし。
「燈佳……?」
確認の声に返事はしない。
それが、今から行われる事への最大限の配慮だ。
「ごめん、ね。最後だから……」
吐息が鼻にかかる。そして、ボクの唇が桜華の唇と重なった。
触れ合うだけじゃあ飽き足らず、桜華は舌を伸ばしてボクの唇をこじ開けてくる。
歯を歯茎を舐められ、閉じた口腔へと舌が侵入しようとしてくる。
迷った。触れ合うだけかと思ったのに、まさかここまでされるなんて……。
でもそれが、桜華の望みなら叶えてあげようと思う。ボクは寝ているんだからこれは関知出来ない事だ。
そっと、口を浮かせて桜華の舌の侵入を許した。
桜華がボクの体に腕を回して、抱きしめてくる。いじらしさに返してあげたくなるけれど、我慢。これは桜華がボクと決別するための最後の儀式だから。
「んっ……ちゅ……」
舌を絡ませて、唾液を混ぜ合わせ、淫靡な水音を響かせて、桜華が満足するまで寝たふりを続ける。
キスって凄い……。正直舐めてた。それだけで、お腹の奥が熱くなってきて、ショーツに湿り気を感じる。
桜華が足を絡ませて、丁度ボクの膝が桜華の股間に当たる……何をしたいのか分かるけれど……。それはしちゃダメだと思うんだ……。
「燈佳……ふえ……とうかあ……」
一人咽び泣く桜華を慰めることはもうできない。
ボクはもう桜華が好きだった燈佳じゃない。さっき慰めたのも、女の親友としての燈佳だ。
変だ……。胸が凄く痛い。罪悪感に押しつぶされそうな程に……。
ボクだって普通でいたかった。出来るなら桜華と恋をして親が望んだように仲良くやっていければいいと思う。だけどどうしようもなくボクは瑞貴が好きなんだ……。
ボクだって……、どうしていいかなんて、わからないよ……。
ボクだって……、本当は声をあげて泣きたいんだ。
でも、振った手前、それはダメだ。
今のことも関知してあげないのが、優しさなんだ。
だから……だから、ごめん、ね。桜華ちゃん。
どうか、幸せを掴んで……。
ボクは胸の中で丸くなって泣いている桜華を抱きしめること無く、眠りについた。
それが今ボクに出来る優しさなんだ……。