14:ヒーローは遅れてやってくる
嫌だ。こんな初めては絶対に嫌だ。願わくばもっとロマン溢れるものが良い。
両の手首を片手で易々と押さえつけられ、下腹部に馬乗りにされている。
一番力の入る可動部を押さえつけられた、もう抵抗しても無意味だ。
絶対的なウェイトの差を覆すことは出来ない。
「いや……やめて。ひぅ……たすけて……」
自分の意思に反して漏れる泣き言。嗚咽が漏れて助けを希う。
「なんでだよ、なんで泣くんだよ!! 榊さんは学年一のビッチなんだろ!?」
「ちが……。ボク、そういうの、しらない……うぐ……」
怒りに任せた小林くんの手がブラウスを引きちぎった。ボタンが弾け飛んで透け防止に着ていたキャミソールが露わになる。
嫌だいやだ……。来ないで。気持ち悪い……。
どうして、ボクなんかを性的な目で見るのか分からない。
ボクよりもいい人なんて一杯いるのに。なんでボク? なんでという疑問と犯されたくないという恐怖がない交ぜになっていく。
恐怖からボクは目をぎゅっと瞑った。
「煩い! 大人しく一発ヤられとけばいいんだよ!!」
「煩いのは、お前だ!」
その言葉と共に、唐突に体が軽くなった。
重しが無くなって拘束が緩む。何が起こったのか分からない。わからないけど助かったのであろう事は分かった。
それだけなのに、涙が止めどなく溢れて止まない。
「遅いから心配で来てみれば……! お前何やってんだよ!?」
「何だよ、瀬野、邪魔すんなよ!」
「邪魔だあ? お前は、その涙が見えないのか、ふざけんなよ?」
「はっ、どうせ嘘泣きだろ? 知ってんだよ、女が嘘泣きして同情を引く生き物だっ――あがっ!」
「ふざけるなよ。嘘泣きをするからと言って、本当に泣かせて良いわけが無いだろ。本人同士の同意があれば、俺は文句は言わねえよ。だけど、この状況下で同意はあったのか? ないだろ?」
ボクは大声で言い合いをする二人の声に身を竦ませるだけだ。
二人共が怖い。それに瑞貴くんが小林くんを殴っているのか、時折呻き声が聞こえる。
ダメ。これ以上ボクのせいで、瑞貴くんが悪者になるのはいけない。
恐怖の心を強くあろうという思いで覆ってしまおう。怖くても、泣いていてもいい。笑ってみせるんだ。頑張れ榊燈佳。
「やめ、て……」
及び腰だけど、体は動く。
倒れるように瑞貴くんに抱きついて……。
馬乗りになっている瑞貴くんを小林くんから引きはがす。
「燈佳、離してくれ」
「もういいよ……。ボク、何もされてないから」
「その格好が何もされてないだと?」
「うん……されて、ないよ?」
無理矢理にでも笑ってみせる。例え歪でも。もう瑞貴くんに泥を被ってほしくなかったから。
「燈佳……」
瑞貴くんがへたり込んでるボクに視線を合わせて、ボクをその胸に抱いてくれた。そして、力一杯抱きしめられる。
痛くて苦しいのに、とても嬉しい。その力強さに気が緩んで、我慢していた嗚咽がまた漏れ出す。
「だ、だいじょ……ひぐ……ぶ……うっ……だか、ら……」
「怖いなら泣いていいから」
「ひぅ……だい、じょ、ぶ……」
「強がるな。怖い思いをしたときは素直に言っていいんだから」
優しく甘く、囁くような瑞貴くんの言葉に、強くあろうと思った心が解けていく。
涙が溢れる。怖さからじゃ無くて、その解くような慈しみから来る言葉に感動して。
「うぇ……こわ……こわかった……ふえぇ……」
素直な言葉が漏れた。
それと同時に、止めどなく涙が溢れる。ぐずぐずになって洟まで垂れてきた。
「よしよし。もう大丈夫だ。おい、お前。どうしてこんなことしたんだ」
頭を撫でられて、まるで赤子があやされるかのようにボクは瑞貴くんの胸の中で泣き続ける。
「掲示板に……榊さんならヤらせてくれるって」
「掲示板……? ああ、裏サイトか。お前、それを信じたのか? 馬鹿にもほどがある」
「だって、何人もヤったって」
「はあ……。ネットの情報鵜呑みにしてんじゃねえ、クソッタレ」
「ど、どうしてそれが嘘だと分かるんだ!!」
「あぁん!? んなこともわかんねーからクソッタレの情弱ってんだよ!!」
お互いの怒声にボクはまた肩をふるわせてしまった。
男の人の怒鳴り声が怖い。さっきの小林くんの豹変ぶりを思い出して、またじわりと涙が浮かぶ。
「ああ、ごめんな、燈佳。怖がらせて」
ボクはそれにただ小さく首を振るだけで答えた。
しょうが無い。気持ちが昂ぶれば自然と声も大きくなる。
これは我慢できないボクが悪いんだ。
「また、しょうも無いこと考えてんだろ。今は好きなだけ泣いていいんだぞ……」
「……い、や……みっと……んぐ……ない、から……」
「そうか。おい、お前。そのサイトのアドレス寄越せ。そして目の前から消えろ」
優しく頭を撫でるのとは裏腹に、瑞貴くんは淡々と小林くんを責め立てる。
「あ、ああ……。ごめん……榊さん」
「いい……もう、ボクの前に、あらわれないで……」
小林くんが謝ってくるけれど、それは信用できなかった。根も葉もない噂で人のことをビッチ呼ばわりする人を信用できるはずが無かった。
それに、何より怖い。まさか、周りのみんながボクをそんな風に見ていると思うと、瑞貴くんの胸の中から顔を上げることができなかった。
教室の扉が閉まる音が耳に届いて、室内に響くのボクの嗚咽だけだ。
ううん、ボクの耳に早鐘のような鼓動の音が聞こえてくる。
後なんかちょっと瑞貴くんの股間辺りに硬い感触が……。これって……。
「燈佳……そろそろ離れてくれると嬉しいんだけど」
「ん……。ごめん服汚した」
顔を上げると、真っ赤になった瑞貴くんと、ボクが顔をくっつけていたところは、ファンデーションとか涙とか鼻水とかで酷い事になっていた。
「ちょ! 何この肌色の!?」
「ファンデーション」
「燈佳って化粧してんの!?」
ボクは小さく頷いた。だって、しないと桜華ちゃんが煩いし。ボクもできればよく見られたいから。汗とかで崩れたときはお手洗いでささっと直すし。
「へえ。意外だ」
「それより……」
「どした?」
「非常時に硬くして、へんたい……」
「う、うるせーよ! しょうが無いだろ……。燈佳は可愛いし抱きしめたらちゃんと柔らかいし、それに髪からは良い匂いするし……」
そうなのかな。自分の匂いなんて分からないけれど、多分シャンプーとコンディショナーの匂いだと思う。結構良い奴使ってるから。
「って、うわお! 姫さま、前! 前、閉じて!!」
「うん……? あっ、ひゃあ!」
言われるまで忘れていた。ボク、ブラウスのボタン全部引きちぎられてキャミソールというか、完全にブラまで見えてるし!!
「あの……」
「な、なんだ?」
「家庭科室から裁縫道具借りてきてくれないかな。ボタンつけて帰るから」
「あ、ああ、わかった! ちょっと取ってくる!!」
慌てて逃げるように教室から飛び出していく、瑞貴くんがおかしくて少し笑ってしまった。
まさか、ボクが裏じゃこんなクソビッチみたいな扱いを受けてるなんて思わなかった。
こういうことをする人に思いあたる節はあるけれど、確証が無いままその人を疑っても仕方が無い。因果関係が確認できないなら、犯人の候補に入れつつも、無駄に考えすぎないようにする。
「今日……ボク、家に帰れるのかな……」
道が、外が急に怖くなってきた。
念のため、白川先生に貰った薬は御守り代わりに鞄に入れてるけれど……。
なんか、この姿になってからいいこともあるけれど、それと同じくらい災難にあってるなあ……。