13:ひとかけらの悪意
放課後になった。
あの後、瑞貴くんと緋翠ちゃんからすぐ、変な態度を取ってごめんって謝られた。
緋翠ちゃんはちょっと目元が赤かったけれど、大丈夫かな。瑞貴くんは相変わらず不機嫌だったけど、もし変なことされそうになったら大声出せよって念を押された。ちょっと心配しすぎだと思う。
ボクだって物事の真贋を見極めることくらいできるんだから。安心してほしいよ。
それに、ちゃんと断る事を伝えると、露骨なまでに嬉しそうにしてたから、やっぱり断る方向で正解だ。
教室には誰もいなくなっていて、ボク一人だ。
少し心細いけれど、学校に慣れた今ならなんとかなる、気がする。
時間の指定は無かったけれど、きっと手紙の主も人がいなくなる時間を待ってるのだろ思いたい。
だって、こういう一大決心的なイベントに人の邪魔が入るのって嫌だし。流石にそう言うのはボクだって分かる。
何でもかんでも疎いわけじゃなくて、知識として知ってはいるけれど、その気持ちがいまいちピンとこないだけなんだ。
でも流石に遅い。放課後になって一時間くらい待ってる。
持ってきた本は読み終わったし、ソシャゲーはあんまり好きじゃないからやってるのも少ないし。
髪に櫛も通して身だしなみもちゃんとしたし……。途中でトイレに行きたくならないように放課後になってすぐトイレに行って飲み物は最低限にしか飲んでないし。
端的に言うと、暇。
「遅いなあ……。やっぱり悪戯だったのかなあ……」
それならそれでいいと思う。
やっぱりボクにそんな魅力がないってだけだから。
だから、早く済ませたいな。こっちの答えはもう決まってるし。
流石に今、この状況でみんなとメッセージのやりとりをするほど剛胆ではない。
「榊さん」
物思いに耽りながら、ぼんやりしていると、教室の入り口から声を掛けられた。
そちらの方に目をやると、天乃丘の夏服を着た男子が一人。
「待たせてすまない」
「ううん、気にしてないけど、手紙くれた人?」
「ああ、うん」
その男子生徒はどこにでもいる普通の男子生徒だ。
これと言って特徴が無いのが特徴。
身長は百七十くらいで、やせ形。同性からもやしって揶揄されても已む無しな感じ。まるで男の時のボクが少しだけ成長したみたいな人だった。
でも、見た事の無い人だ。ボクと関わり合いが会った人じゃ無い。
「あ、俺、一組の小林政明っていうだけど……」
「あ、うん。小林くん。ボクは榊燈佳……って知ってるよね。名前書いてあったから」
「知ってるよ。大丈夫。それで、手紙見て貰えたかな?」
「うん、見たよ。伝えたい事ってなにかな?」
ボクは自分の席から立ち上がって、小林くんに向き直る。
瑞貴くんや桜華ちゃんは、十中八九告白だろうって言ってるけど。
「榊さんは頼めばヤらせてくれるって聞いたんだけど……それって本当?」
……え?
なにそれ……。やらせてって、何を……?
でも、男の子が女の子にやらせてっていう、それは……
「こんなに可愛い子が童貞食いって聞いて、びっくりしたんだ。だから俺の最初の相手になってほしくて」
「なに、それ……」
どういうことなの。
言ってる意味はわかる。だけど、どうして……
そんな、ボクはそれこそオナニーの単語は知ってるけど、やり方すら知らないし、そもそも、セックスなんてしたこともない。
だから、そんな噂が流れてるなんて知らなかったし。
「そんな驚いた顔しなくても、みんな知ってるんだからいいじゃん」
「ボク……したことないんだけど……。それどこから流れてきた情報なの」
「え……? おかしいな。掲示板にはそう書いてあったのに」
掲示板……。思い当たるのは所謂、学校裏サイト。この学校にもあったんだ。
あんなゴミの掃きだめに書いてある事を真に受ける人がいるなんて。
違う。ボクが誹謗中傷になれすぎてるせいなんだ。下手にオンラインゲームでサーバートップに立ったせいで、やっかみとかに慣れて、それが嘘だと見抜けているから、今の小林くんの話を聞いて、嘘だと断ずることができたんだ。
情報の真贋が見極められない普通の人に取って、そういう所に書いてある噂は本当の事なんだ。
「それは、嘘だよ。小林くん」
ボクが事実を突きつけると、見る見るうちに表情が変わっていく。
まるで竜の逆鱗に触れてしまったかのように、小林くんは歯を食いしばり、目元がつり上がっていく。
何が地雷だったの……。違う、女に指摘されるのがダメだった……?
「うるさい。どうせ俺が冴えないからって、煙に巻いてるんだろ。どうせ瀬野とは毎日の如くやってんだろ!? いいだろ、ちょっと位相手してくれてもよお!」
「ひっ……いたっ……」
激昂と同時に肩を強く握られた。痛い……男の人の力は凄く強い。
そうだよ、瑞貴くんでさえ、ボクを軽々と持ち上げてしまうんだから、簡単に押さえつけられてしまうのか……。
まだボクの心が恐怖に支配されないうちに、早く逃げないと。
「やめ、て!」
小林くんの拘束を振り払って、ボクは鞄を持って教室から逃げようとする。
だけど、すぐに手をつかまれた。ぎりぎりと万力の様に締め上げるその力強さに驚いて、それに顔付きが怖くて、ボクの心は恐怖に支配されていく。
今度はがっちりとつかまれていて、振りほどけない。
「いや……。離して……! 今やめればボク、何も言わない、から!」
完全に無防備だった。先月痴漢されたばっかりだというのに、どうしてボクはこんなにも学習できないのか。
「誰か! 誰か助けて!!」
「この階にはもう誰もいないよ。それを確認してから来たんだから」
「うそ……」
「だって、そうじゃないと、助けを呼ばれた時に俺が困るだろ?」
ぎらぎらに欲望に滾った目が、ボクを射竦める。嫌な汗が背中に浮いてきた
この人は知ってるんだ……。ボクの視線恐怖症の事。じっとりねっとりと見据えればボクがダメになるって分かっているのかも知れない。
「きゃっ……!」
体格の差、力の差で簡単に組み敷かれてしまった。
荒い息が顔にかかる。気持ち悪い。
いやだ……怖い。誰か……。
「いや……やめて……。おねがいだから、みずき……たす、けて……」
恐怖でもう大声を出せない。
明確な力の差がここまで出ているとどうしようも無い。
抵抗ができないように組み敷かれている。
今からボクを犯そうとする様がありありと分かる。
嫌だ、嫌だ! 助けて……助けてよ、瑞貴!!




