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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
明治編
73/216

『徒花』・3




 鬼との遭遇から数日、何の進展も見せぬまま無為に時間は過ぎる。

 あの鬼こそが辻斬りの犯人なのだろうが、結局それ以外に大した情報は得られなかった。近頃は新たな被害者も出ることはなく、辻斬り事件は収束に向かっているようだ。

 そうなれば甚夜に出来ることは何もない。怪異は怪異のままとなり、残るのは日常だけ。蕎麦屋の店主として過ごすしかなくなる。

 

「……しまったな、酒を切らした」


 昼飯時の客を粗方捌き終えた甚夜は、厨房の酒が無くなっていることに気付いた。

 ここでの酒は自分が呑むものではなく、調理酒の方だ。鬼そばは連日それなりに盛況。調味料の減りも速く、予備がなくなっていたのをすっかり忘れていた。


「父様、私買ってこようか?」


 店内の掃除を手伝ってくれている野茉莉がそう提案してくれる。

 野茉莉は尋常小学校を卒業後、更に上の高等教育を受けることも出来たが、それを是としなかった。基礎的なことさえ学べれば後は父の手伝いをしたいと言った。

 甚夜としてはそんなこと考えなくてもいいと思っていたのだが、その決意は固く今ではしっかり店を支えてくれている。

 

「ん、そうか? なら……いや、自分で行ってくる」


 買い物位なら任せてもいいだろうとも思った。

 しかし辻斬り事件の後、流石に一人で行かせるのは心配だ。幸い客は全てはけたし、しばらく暖簾を外しておけばいい。


「なら一緒に行きたい!」


 その申し出にも戸惑った。

 先日やり合った鬼は甚夜こそが狙いであるような口振りだった。衆人環視の中でことを起こすとは思えないが、それでも連れて行くのは危ないかもしれない。


「すぐに戻る。留守番していてはくれないか?」

「そっかぁ。……うん、分かった!」


 元々この子は聞き分けがよく、あまり我儘を言わない。成長してからはそれが顕著だ。

 今もこうやって多少の不満を飲み込んで、野茉莉は素直に引き下がる。けれど上目遣いでこちらを見る娘は、笑顔なのにどこか寂しそうだ。

 そうなれば詰みだ。そんな顔を見せられては無視するなど甚夜には出来ない。

我ながら甘い。思っていても愛娘が純粋に自分を慕ってくれているのが分かるから、無下にするのも気が引ける。

 家に残すのも危ないのは変わらないし、いざという時はこの身を挺すればいいだけの話だろう。精一杯の言い訳しながら野茉莉の頭を撫でた。

 

「いや、やはり一緒に行くか」

「え、いいの?」

「ああ、偶にはな」


 喜兵衛の店主もおふうを案じ、こうやって色々と頭を悩ませていたのだろうか。

 最早わからないことではあるが、楽しそうな野茉莉の姿に甚夜はあの仲の良かった親娘のことを思い出していた。




 ◆




 馴染みの酒屋で目的のものを買い、娘と二人家路を辿る。

 右には酒瓶、左には野茉莉の手。帯刀せぬからこそ、こんな風に歩ける。きっとそう在れる今は決して悪くはないのだろうと思う。

 それでも割り切れないものもある。



 ─────寧ろ問おう、何故斬らぬ。刀は人を斬る為のもの。儂にはぬしの言こそ理解できぬ。


 ─────ですが私は武士です。武士に生まれたからには、最後には誰かを守る“刀”で在りたい。


 ─────私は殺されたかった。最後まで、幕府の為に在った一個の武士として。



 五月の心地よい空の下、愛娘と触れ合い、ゆったりと町を眺め。

 ありふれた幸福に浸かりながら、しかし脳裏に過るのはかつて聞いた言葉の数々だ。

 最近は昔のことをよく思い出す。

 剣に生き、剣に至ろうとした人斬りがいた。

 最後には刀でありたいと友は願った。

 最後まで江戸の世に拘り続けた武士は、江戸と共に消えていった。

 生き方はかけ離れていたが、それは大切にしたものが違っただけ。彼等は皆一様に、守るべきものの為に己が刀を振るった。

 そこには彼等の誇りが、想いがあった。

 

 だというのに、新しい時代は、その全てを押し流そうとしている。

 

 分かっている。どう取り繕おうが刀は人を斬るもの。それを忌避し、禁ずることを間違いとは思わない。寧ろ長い目で見れば、廃刀令はこの国の為になるのだろう。

 けれど刀と共に生きてきた。

 その生き方を、今更どうやって曲げろというのか。


「へへー」

「どうした、野茉莉」

「なんかね、嬉しくて」

「嬉しい」

「最近は父様といっぱいお出かけできるもん」


 左手の暖かさ。冷たい鉄鞘よりも遥かに心地好い。

 にも拘らず寂しいと思ってしまうのは、まだ割り切れないからだ。

 そしておそらく、そういう者は新時代に必要ないのだろう。

 



『刀を振るう鬼よ。この先に貴方の居場所はない。鬼も刀も、時代に打ち捨てられて往く存在だ』




 いつかの預言は此処に真実となる。

 握りしめた手は暖かいのに、今が幸福だと間違いなく言えるのに、取り残されてしまったような寂寞が過りほんの僅か胸が締め付けられる。

 人混みをやけに遠く感じてしまうのは何故だろうか。

 沈み込む心地に合わせて景色は陰りを見せ、しかし感傷は一瞬でかき消された。


「こんにちは、おじさま」


 追想に囚われていた心が涼やかな声に引き上げられる。

 驚きから僅かに眉が動く。人混みの中で声を掛けてきたのは、波打った栗色の髪が特徴的な童女だった。


「お久しぶりですね。お元気そうでなによりです」


 向日葵。

“マガツメ”の長女を名乗る幼い鬼女は、既に敵対している間柄だというのに、親しみの籠った笑顔を向け丁寧にお辞儀をした。

 澄まして、けれど隠しきれない親愛を滲ませて微笑む向日葵は、容姿よりも大人びて見える。

 だが彼女は敵だ。そんなものを向けられても、返せるものなど何もない。


「おじさま……まだそう呼ぶのだな」

「え? でも、おじさまはおじさまでしょう?」


 きょとん、とした様子で聞き返す。その姿はまるで何も知らぬ娘子のようで、正直に言えばやりにくい。

 見目は九歳くらいの女童、向日葵の言葉を信じるならば中身もまだ十二歳だ。娘と同じ年頃であることを考えれば、幾ら鬼で敵対する相手とはいえ、あからさまな態度は取りづらかった。


「父様、誰?」

「初めまして野茉莉さん、私は向日葵と言います。おじさまとは、ちょっとした知り合いなんです」


 にこやかな挨拶。野茉莉もぺこりと頭を下げる。ここだけを切り取れば微笑ましいと言えなくはない。

 しかし相手は“マガツメ”なる得体の知れぬ鬼の配下。自然と甚夜は野茉莉を背に隠し、庇うように立っていた。


「……もしかして、嫌われています、私?」

「そういう言う訳ではないが、やりにくいのは事実だな」

「むぅ。少し悲しいです」

「そう言ってくれるな。……で、何の用だ。偶然会った訳でもなかろう」

「それは、確かに偶然じゃないですけど。……言伝を頼まれただけです。用があるのは私ではありません」


 少し拗ねたような素振りで、奇妙なことを言う。

 問い返そうとするも向日葵の表情がすっと消え、纏う気配は一変した。


「葛野甚夜殿。夕暮れに差し掛かる頃、山科川の土手にて待つ。その時には帯刀を願う。……果し合いをしたいそうですよ」

「それは」

「多分、以前も会った相手だと思います」


 その物言い、おそらく言伝を頼んだのは古門で襲い掛かってきた赤い大太刀を振るう鬼だろう。

 そういえばあの鬼は、甚夜が刀を持っていなかったことに失望したと言っていた。態々帯刀を願うとは、よほど刀での戦いに拘っていると見える。


「あと、もし来なかった場合は……」


 向日葵は先程までの冷たさを消して柔らかく微笑む。幼げな雰囲気が戻れば、張り詰めた空気も緩んだ。

 声の調子は無邪気で、けれど突如、目の端に高速で動くなにかを捉える。 

 空気を切り裂き飛来する赤色、咄嗟に甚夜は野茉莉を抱え身構えた。


「がっ」

「ご、ぼぉ」


 肉を裂く嫌な音が聞こえ、遅れて断末魔にもならぬ苦悶が漏れ、最後に絹を裂くような悲鳴が上がる。

“なにか”は甚夜達を狙ったのではない。

 雑踏に困惑と動揺、恐怖が波紋のように広がっていく。

 ただ歩いていただけの通行人に赤黒い刀が突き刺さり、一瞬にして四つの死体が出来上がっていた。


「父さ……」

「野茉莉、見るな」


 娘の目を腕で隠し、鋭い視線で刀が飛んで来たであろう方向を睨む。

 其処はただの人混み、鬼の姿を見ることは出来なかった。

 剣呑とした空気を纏う甚夜に、しかし向日葵は先程と変わらぬ穏やかな様子で言葉を続ける。


「……貴方の大切な者を悉く屠る、とのことです」


 物々しい言葉を柔らかな声で吐く。

 年端もいかぬ娘子が、ひどく歪に見えた。



 

 ◆




「果し合い……随分と、古風なことをする鬼もいたものですね」


 向日葵と別れ一度鬼そばへ帰り、甚夜は支度を整えていた。

 着物は普段のまま、しかし腰には長年を共にした夜来がある。


「受けるのですか?」

「ああ」


 兼臣の問いに短く答える。

 そっと左手で鉄鞘に触れる。帯刀しなくなってからまだ数日。だというのに、その手触りが懐かしく、安堵を覚えた自分に気付いた。


「何故」


 野茉莉たちに危害を加えるというのなら、果し合いに応じない訳にはいくまい。そう思いながらも、何処か言い訳めいたものを感じる。

 それを見抜いているのか、兼臣は端正な顔立ちを微かに歪め、悲しそうな───憐れむような目でこちらを見ていた。

 彼女も刀に拘って生きてきた。甚夜の心情は察しているのだろう。だから割合素直に、胸の片隅にある引っ掛かりを吐露した。


「未練だろう」


 認めたくないことではあった。

 しかし刀での勝負を願われ、心が浮き立った。

 命の遣り取りを前にして、親しいものを人質に脅しをかけていたというのに、刀を振るう理由が与えられたことを喜んでしまった。


「どれだけ幸福に浸ろうと所詮はその程度の男。結局、こういう生き方しか出来んのだ」


 刀に縋る男。なんという無様。

 だがそうやって生きてきた。他の生き方なんて知らなかった。

 おそらくこれからも、刀を捨てるなど甚夜には出来ない。


「ええ。きっと、そうなのでしょうね」


 弱々しい声は、彼女もまた同じだから。

 兼臣は刀を捨てられない。それが彼女そのものだから、捨てることなんて認められる訳がない。

 例え時代が流れ、刀が誰からも必要とされなくなっても、彼等は決してそれを捨てられない。

 生き方は変わらない。変わったのは時代だ。なのに、曲げられなかった生き方は明治の世に在って、何よりも歪に曲がって見える。

 正しさも信念も、結局はその程度のもの。

 一個人の想いなどより大きな流れの前では何の意味も持たず、それでも生き方を曲げられない者もいるのだ。

 だから甚夜は夜来を携えて、以前と変わらぬ装いで店を出た。

 彼は新時代を迎えても、変われない男だった。

 

 そしておそらくは、あの鬼も。

 



 ◆




 四月。山科川に沿って立ち並ぶ桜の木々は今が盛りである。

 夕暮れの中朱に染まる花弁は昼の桜にはない風情で、いずれ訪れる夜を知っているからこそ儚げな美しさを醸し出している。

 しかし並木を眺められる土手に立つ甚夜の表情は、冷たい鉄のように揺るぎが無い。


『よくぞ来てくださった』


 眼前には、赤黒い皮膚の鬼が。

 優美な景色にそぐわぬ異形が堂々と立つ姿はどうにも奇妙と思えてしまう。

 待ち構える鬼の手に、あの時の大太刀はなかった。


「人に帯刀を願いながら自分は丸腰か、侮られたものだな」

『これは失礼。しかし、私に刀は必要ありません』


 本格的に舐められているのか。

 甚夜の表情が微かに歪み、目敏く見付けた鬼は静かにそれを否定する。


『私はただ、貴方と殺し合うことだけを願って生きてきた。先の一合で強さも十二分に理解した。どうして貴方を侮ることができるのか』


 空気が変わる。

 敵意ではなく、憎悪でも殺気でもなく、ただただ純粋な戦意。

 この鬼は心底甚夜と戦いたがっている。

 理由など知る筈もない。ただ鬼の目に侮りはなく、寧ろひどく真摯だ。

 受けてやらねば互いに遺恨となる。訳もなくそれを理解した。


「確認するが、お前が辻斬りに相違ないか」

『如何にも』

「そうか……ならば、名を聞かせて貰おう」


 斬り捨てるならば名を聞くのが流儀。甚夜は表情を変えずゆっくりと抜刀する。

 しかし鬼は僅かに肩を震わせ、申し訳なさそうに目を細めた。


『貴方には、既に名乗っております。忘れたというなら、所詮私はその程度の男なのでしょう』


 答えは返ってこない。

 既に名乗っていると言うが、このような鬼は記憶になかった。やはり何処かで。考える暇もなく、ゆるゆると鬼も動き始める。

 鬼はゆったりとした挙動で右の手を突き出し、ぐっと拳を作った。力を込め過ぎたのか、爪が食い込み、血がしたたり落ちる。

 なにを。疑問に思い、しかしすぐに鬼の意図を知る。

 血液は流れ、次第に凝り固まり、ついには一本の太刀になる。それでも滴る血は止まらず、太刀を覆うように纏わりつき、


『<血刀>(ちがたな)』


 赤い刀身をした大太刀が鬼の手に握られていた。


「成程、刀はいらぬか」

『ええ。刀など必要ない。私こそが刀だ』


 血液を刀に変える。刀に拘る鬼らしい<力>だ。

 鬼は無造作に、だらりと大太刀を放り出すような構え。

 対する甚夜は脇構え。

 互いに獲物を手にした。ならば疑問はあるが、もはや遠慮はいるまい。


 後は、斬り合うのみだ。


 言葉もなく、二体の鬼は駆け出した。

 構えからは想像も出来ぬ程に鬼の歩法は丁寧だ。左足で地を蹴り一足で間合いを侵す。お手本道理の挙動だった。

 

 それとほぼ同時、唐竹に振るわれる赤い大太刀。

 受けには回らない。右斜め前に踏み込み、右足を中心に体を回し、斬撃を避けながら鬼の左側に移動する。

 放つ横薙ぎの一刀。しかし鬼はそれを、何を考えたのか左の掌で受け止めた。

 当然皮膚を裂き肉を斬り血が飛び散るが、斬り落とすまではいかなかった。


 刀身を握られ動きを止めるのはまずい。甚夜は追撃を警戒し後ろへ退がる。鬼は苦痛に顔を歪め、そのまま左腕を振るった。

 距離は既に離れている。そこからでは当たらない……そう思ったのが間違いだった。

 体から離れた後も<力>の影響を受けるらしい。掌から流れ出る血液が刃となり甚夜へと襲い掛かったのだ。


 些か驚きながらも、太刀を小刻みに振るい、血の刃を叩き落とす。

 その隙を逃すまいと鬼は更に攻め立てる。身の丈ほどもある大太刀で袈裟掛けに斬り下す。

 教本通りの丁寧な一太刀。だから至極捌きやすい。

 赤い刀身、その腹を横から叩き付け、軌道を逸らし返す刀で斬り上げる。

 鬼の胸元を切っ先が掠め、鮮血が舞った。飛び散る飛沫。追撃を咥えようとして。


 鬼が傷口に触れ、そこから太刀を取り出す。


 突如として増えた太刀が甚夜を狙う。予想外の反撃を夜来で防ぎ、甚夜は鬼を静かに観察する。

 剣術の腕はそこそこだが、<力>の方は厄介だ。

 血液の量と刀の質量が一致しない。おそらくは血を刀に変えるというよりも、血を触媒に刀を生み出す<力>と言った方が正鵠を射ている。出血多量で動けなくなるのを待つのはちと難しそうだ。

 

 だが、と甚夜は思う。

 この鬼に見覚えはない。なのに、この鬼の太刀筋は何処かで見たような気がした。

 お手本通りの丁寧な剣。嘘のない、実直な太刀筋。

 一体何処で。いや、そんなことを考えている時ではない。

 疑念が一瞬体を止めた。その隙を狙い鬼は赤い大太刀を振り上げ、上段から唐竹割り。尋常ではない速度の振り下しが襲ってくるも、甚夜は咄嗟に鉄鞘を抜き、それを盾にして防いでみせた。


 間髪を入れず、甚夜は一歩を踏み込み鬼の太刀を跳ね除ける。

 流石に高位の鬼。膂力は高いが、剣術の方は然程だ。 

 甚夜はすぐに体勢を整え、左足で地を蹴り更に一歩踏み込み、左手の力で相手の肩口から斜めに切り下す。

 この距離ならば確実に捉えた。

 しかし振り抜くことは出来なかった。

 甚夜の一手を鬼が上回る。

 鬼は、甚夜の一刀が届くよりも早く突きを繰り出していた。


「………………っ!」


<不抜>は使えなかった。

 甚夜は壊れない体を土浦程早く構築できない。攻撃を読んで待ち構えるならばともかく、咄嗟に発動できる程熟練していなかった。

 何とか体を捻るも、左肩が抉られた。距離が詰まる、痛みはあるが止まっている訳にはいかない。

 甚夜は体を落し、鬼の鳩尾を当身で狙う。が、既に見せた技。鬼は甚夜の挙動から反撃を読み、すぐさま後ろ退いていた。

 そして互いに間合いが離れ、硬直状態に陥る。

 

「お前……」


 鬼は戦闘態勢を崩さない。だが甚夜は動揺していた。

 先の刺突はそれほどに甚夜を驚かせた。

 技巧としては決して優れてはいない。同じ突きでも岡田貴一が放ったものは鳥肌が立つほどに滑らかだった。あの紫電の刺突と比べれば驚くような技でもない。

 それでも甚夜は動揺した。


 先程の突き、術理は恐ろしく単純だ。

 甚夜が鬼の太刀をはねのけようとした瞬間に力を抜く。

 その上で右足を後ろにして半身になり、両手を体に引きつけ、切っ先を相手に向けて突きを放つ。

 端的に表現すれば甚夜の力を“すかして”反撃に移っただけ。

 しかしその動きにこそ甚夜は驚愕した。


「何故だ」


 思い出すのは遠い過去。

 先程の鬼の動きはかつて甚夜が友人に教えたものだ。

 稽古をつけてくれと頼む友人。彼は真面目で実直な、武士らしい男だった。

 実直なのは美徳だが、戦いにおいては急所と成り得る。だから甚夜は敢えて奇をてらった技を見せた。少しでも友人の力に為れればという心遣いがそこにはあった。


『これは、以前貴方に見せて貰った技でしたね』


 その言葉に胸が締め付けられる。

 勘違いであってほしかった。

 丁寧な口調。

 実直な太刀筋。

 既に名を知っている筈だと言った訳。 

 刀に拘ろうとする心。

 そして、今見せた技。

 もう、言い逃れは出来ない。誤魔化すことは不可能だ。

 甚夜は、鬼の正体を理解した。理解してしまった。


「何故、お前が」


 表情が歪む。

 肩を振るわせながら、甚夜は悲痛な叫びを絞り出す。


「何故お前がこんなことをしている直次っ……!」


 鬼の名は三浦直次在衛。

 かつて、江戸で同じ時間を過ごした、甚夜の友だった。




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