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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
幕末編

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『妖刀夜話~飛刃~』・4




 ぬるりとした感触を覚えている。

 それに恍惚を感じた時点で、もはや逃げ道はなくなってしまった。


 妖刀に取り憑かれた。そのせいで妻を斬り殺した。

 だから斬り続けなければならない。

 己の感情なぞ関係ない。

 この身は妖刀の意思のままに、斬ることを止められない。


 だから、俺は、人を斬るのだ。




 ◆




「ずいぶん遅かったですね。何かありましたか?」

「少し、な」


 先に門を潜り外で待っていた直次と合流し、畠山家を後にする。

 土浦と呼ばれた鬼は、随分と泰秀に固執しているようだった。

 彼等が妖異の力による攘夷を志すのならば、或いはいずれ殺し合うことになるかもしれない。短い会話ではあったがそれを予見するには十分すぎた。

 先程の会話については誤魔化して、二人は蕎麦屋『喜兵衛』へ向かう。毎度のことながら何か話し合いをするにはそこがいい。


「しかし畠山泰秀……随分と胡散臭い、いえ、性質の悪い男でした」


 真面目な気質で普段ならば陰口を叩くことなどしない男だが、今日ばかりは歩きながら眉を顰めて呟く。

 直次には鬼であることは話していないし、先程の会話からそれを悟られたということも、泰秀の真意を理解した訳でもないだろう。

 それでもあの男の、まるで狂信者のような雰囲気に当てられたのか。忌々しいとでも言わんばかりの表情だ。


「ふむ。確かに胡散臭い……だが、面白い男ではあった」

「あのような男が、ですか?」

「そう睨むな。真面ではないが、あれは張るべき我を持っている。ああいう不器用な男は嫌いではないな」


 短い邂逅だったが人となりは何となく理解できた。

 畠山泰秀は目的のためには手段を選ばない類の男だ。

 直次にしてみればそこが受け入れられず、甚夜にしてみればそこが好ましくある。

 鬼を使って時代に抗おうとする男。およそ真面ではない発想、だがそうでもしなければ現状を打破できぬ程に、佐幕派は追い詰められているということでもあるのだろう。

 其処まで逼迫し尚も生き方を曲げられない男だからこそ、甚夜は胡散臭いと思いながらも否定し切れず、それどころか一種の共感さえ抱いている。

 ただし同時に、決して相容れぬであろうとも確信していた。


「最後に言った『富善』。何か心当たりはあるか」

「一応は」


 泰秀を認めるような発言が気に入らなかったのか、直次はどことなく不貞腐れているように見える。

 しかしそれも僅か、一度深呼吸をし、視線を合わせた時には普段通りの彼に戻っていた。


富善とみぜんというのは深川にある料理茶屋です。“町人でも気軽に”とまでは言えませんが、少し無理すれば利用できる程度の値段の店で、結構人気もあるそうです。私はまだ行ったことはありませんが」


 聞いてみれば、どうやら本当にただの料理茶屋らしい。

 とすると泰秀の言葉の意味が分からなくなる。


「では杉野又六がそこに興味がある、というのは」

「それは……すみません、よく分かりません。杉野殿がその店に入り浸っている、ということでしょうか」


 唇を親指でいじりながら直次は思考に没頭する。

 甚夜の方も頭を捻ってはいるが、いくら考えても答えは出てこない。

 

「取り敢えず行ってみますか?」

「そうだな。場所は分かるか」


 とはいえ、悩んでいても仕方がない。

 まずは実際に見てから考えるとしよう。




 ◆




 そもそも江戸の食は粗野とされていたが、幕末の頃にもなると手の込んだ本格的な料理を提供する、趣向を凝らした座敷や庭を持つ料理茶屋が数多く生まれた。

 両国や深川といった盛り場だけでなく近郊の行楽地にも贅の限りを尽くした料理茶屋は増え、文化人の会合に利用されることも多い。

 今では「京の着倒れ」「江戸の食い倒れ」と言われ、江戸は食文化の中心であった。


 その中で富善は、庶民が気軽にとまでは言わないが、江戸を代表する高級な料理茶屋よりは幾分価格の安い店だった。利用し易い為か下級武士や町人の会合など、座敷では様々な人々の交流の場として賑わいを見せていた。


 今も奥の座敷ではどこぞの武士達が集まって宴を開いているようだ。甚夜達の借りた小さな個室までその声は聞こえてきている。

 騒がしい宴の声を聴きながら、甚夜は箸を動かしていた。


「ふむ。旨い……」


 ぶりの塩焼きを一口。

 香ばしい皮。しっかりとした身。脂も適度に乗っており、塩加減も丁度いい。


「……ええ、ですね」


 直次もあら汁を啜りながら曖昧に返す。

 磯の香りが心地よく、これも大変美味なのだが、二人の表情はどこかぎこちなかった。


「酒も、いいものを揃えている」

「いや、まったく。ですが」


 気まずそうに、非常に苦々しい面持ちで直次はぽつりと呟く。


「普通の、料理茶屋でしたね」


 それこそが暗い表情の理由である。

 畠山泰秀の物言いから、何があるか分からないと気を引き締めて訪れた富善。

 しかし実際に足を運んでみればいたって普通の店であり、肝心の杉野又六もおらず、二人は本当にただ食事を取っているだけだった。


 店の者の話では、確かに杉野は此処に時折訪れていたようだが、それは畠山家に仕える者達が宴会を開く時だけであり、足繁く通っていたということでもないらしい。 

 殆ど情報を得ることは出来ず、だが店に入ったからには何も頼まず出る訳にもいかず、取り敢えず二人は適当に注文して食事をとる。

 出された飯は流石に旨い。酒も土佐から仕入れた辛口のものを取り揃えており、値段は安めだが喉越しは悪くない。


「さて、どうしたものか」


 甚夜は無表情のまま盃を煽った。

 酒も料理も旨いのはいいが、杉野又六に関して何の情報も得られなかった。これでは態々来た意味がない。


「出来れば早めに見つけたいものですね。杉野殿は妻を斬り殺したという。だとすれば夜刀守兼臣は“本物”の妖刀だ」

「ああ、次が起こる前に奪いたい。だが」

「肝心の行方が分からない。何か手がかりがあればいいのですが」

 

 二人が黙り込めば奥の座敷での大騒ぎが此処まで響いてくる。声は心底楽しそうで、その分此方の空気が重くなったように感じられた。

 一口酒を呑む。旨い、旨いのだが、どうにも楽しめる雰囲気でもない。

 直次もそれは同じようで無言で箸を動かしていた。


「……そろそろ、出るか」

「……そうですね」


 何の実りもない時間が過ぎ、二人は若干気落ちしたまま二人は立ち上がった。

 外から聞こえる話し声がやけに遠く感じられる。軽く俯いたまま襖を開けて廊下へ出る。すると目の前に人影があり、思わず甚夜は立ち止った。


「けんども武市先生はまっこと遅いのー! 今日はもう来んがか、っぉと!」


 前を見ずに歩いていた二人組の男とちょうどかち合い、ぶつかりそうになってしまう。

 途中で止まり、相手の男も大げさに後ろへ退いた為実際には当たらなかったが、甚夜はすぐに小さく頭を下げた。


「失礼した」

「いやいや、謝るのはこっちじゃき。前ぇ見ちょらんかったわ!」


 がはは、と豪快に笑う灰の袴に黒の羽織を纏った男。

 会話に夢中で前を見ていなかったと自覚しているようで、意外にも素直に謝ってきた。

 二人とも既に相当な量の酒を呑んでいるのだろう、顔は真っ赤に染まっている。


「そうじゃ! おまんら、こっちで騒がんか? 詫び代わりに奢っちゃるき!」

「はぁっ!?」


 酔った勢いなのか、初対面を脈絡なく酒の席に誘う。

 もう一人の小柄な男が突然の提案に驚き声を上げるも、ぼさぼさ髪の土佐弁を喋る彼はただ楽しそうに笑うのみだ。


「そうほたえなや。ここで知り合うたのも何かの縁じゃか」

「いや、ですがね」


 困惑混じりに窘められるも全く悪びれた様子はない。

 くいと親指で指したのは、先程から大層盛り上がっている一室。

 なんでも宴会を開いているらしく、酒も料理もたんまりあるとのことだ。

 ぼさぼさ髪の男は折角だからと気楽な調子、なんの裏もなく善意で誘ってくれているのだと分かる。

 反対にもう一人は気乗りが薄い。それどころか、あからさまに顔を顰めていた。


「あ、いや、折角の御厚意ですが遠慮させていただきます。少しまだ用がありますので」


 流石にそこで「では遠慮なく」と言えるほど直次の面の皮は厚くなかった。 

 こちらとしても見知らぬ者達の中で酒を呑む気にはなれない。共に考えは同じ、巻き込まれる前に離れようと、互いに目配せをして頷き合う。


「ほうか? あー、まぁさっきは済まんかった」

「いや、こちらこそ。そうだ、ついでと言ってはなんだが、一つ聞きたい」

「おう?」

「杉野又六、という男を知っているか?」


 ただ、一応聞いておきたかった。

 ぼさぼさ髪の男は甚夜からの問いに首を傾げ、右に左に頭を動かしている。

 それを何度か繰り返し、ぴたりと動きを止めて一言。


「いんにゃ、知らん!」


 あまりにも清々しい否定だった。

 じっと目を見ても動揺の欠片もなく、嘘は言っていないように思える。


「……そうか。妙なことを聞いた。感謝する」

「こんくらい、なんちゃやないちや!」


 意味は分からないが、おそらく気にするなくらいの意味か。

 とりあえず聞きたいことは聞けた。ここいらが潮時と話を打ち切る。


「では、これで失礼させて貰おう」

「おう! ほんなら、わしもいぬるぜよ!」


 ぼさぼさ髪の男はずんずんと足音が聞こえてきそうな歩き方で、小男の方は一応小さく頭を下げ、二人は奥の座敷へ戻っていく。

 豪放というか、なんというか。気のいい人物であるのは間違いないが、あの手合いに振り回される方は中々に大変だろう。残された甚夜達は何とも言えない気持ちで彼等の背中を見送った。


「騒がしい男だ」

「はは、本当に」


 奥座敷に入って行った瞬間、どっと笑い声が聞こえてくる。

 しばらくの間甚夜はそこで立ち止まっていた。なんとなくだが、あの男のことが気になった。

 彼の土佐訛りに、土佐勤王党とやらを思い出したからだ。


「土佐の生まれ……武市先生と呼んでいましたし、あの方も攘夷を志す一人なのでしょうか」


 直次の方も同じような考えを持ったらしく、目を細めて奥座敷の障子を眺める。

 もしかしたら騒いでいるのは攘夷を志す若者たちなのかもしれない。そう思えば、少しだけ表情は翳った。


「武市とやらは土佐に帰ったのではなかったか」

「勿論、勤王党の拠点は土佐ですが、江戸にも勤王の士はいます。時折江戸へ訪れることもあるのでしょう」

「成程。まあいい、出よう」

「ええ」


 二人は歩き始める。足取りはやけに重かった。




 ◆




「すまない、あの奥座敷にいる連中は?」

「はい? ああ、うちのお得意様です。なんでもお国の為に我らが立ち上がらねばとかなんとか、いつも難しいお話をしながらお酒を召していらっしゃるんですよ」

「ほう、それは。では、武市先生とやらは知っているか」

「ええ。頻繁にではありませんか、何度かうちに来たことがあったかと。お偉い人なんでしょう、皆さんからよく慕われているようでした」

「やはり皆同郷なのか?」

「さあ、そこまでは……殆ど土佐訛りの方だったとは思いますが」


 帰り際、女給に先程の土佐訛りの男らのことを軽く聞いてみれば、案外簡単に教えてもらえた。

 粗方聞き終えてから店を出れば、既に辺りは暗い。

 まだまだ寒い時期、店が暖かかっただけに風の冷たさが身に染みた。


「甚殿、そういえば先程の質問は?」


 大した情報は得られないまま二人は帰路に付く。

 道の途中、直次は思い出したようにそう問うた。


「ん、ああ。先程の男は随分大所帯、店にも慣れた様子だったからな」

「というと」

「武市先生、など呼ぶくらいだ。江戸住みの土佐藩士で、十中八九攘夷派。であるならば杉野某が富善に通っているのは、彼等と接触を図っているからではとも思ったのだが」


 奥の座敷で宴会を開いていたのが江戸にいる攘夷派ならば、先程会った土佐弁の男もその一員だろう。

 もし杉野又六が彼等とか関わりを持っているならば名前くらいは知っているかと思った。

 しかしあの男は知らないと言い、女給に聞いても結果は同じ。流石にそこまで上手くはいかないらしい。

 では、『富善に興味がある』とはなんだったのか。


「攘夷派と接触、ですか。今のご時世有り得そうな話ではありますが」

「だが、どうやら違ったらしい」

「まあ杉野殿は会津藩に仕えていた身ですからね。同じ攘夷と言えど尊王を重きに置く者達とは相容れ…ぬ……」


 そこまで言って、直次は急に固まった。

 立ち止まり口を噤む。いったい何事かと甚夜も歩みを止め様子を窺うが、直次は俯いたまま考え込んでいる。


「そうだ、会津と土佐では考えが違う。ならば、いがみ合って当然。邪魔立ても有り得る……」


 そしてしばらく経ち、何かに気付いたのか、肩を震わせながら言葉を絞り出す。

 

「例えば、ですよ。奥座敷に集まっていたのが攘夷派だったとして、武市先生というのが、武市端山殿のことだとして。であれば、あそこにいたのは殆どが尊王攘夷派だった筈」

 

 つまり幕府を倒そうと志す輩。同じ攘夷派であっても、幕府を守ろうとする会津藩とは相容れぬ者達である。

 逆に杉野又六は畠山泰秀に仕えていた。今も考えが変わっていないのなら、彼もまた佐幕攘夷派だろう。

 だとすれば、勤王を主とする者達と接触するのは考えにくい。寧ろ敵対してもおかしくない立ち位置だ。


「甚殿。あの土佐訛りの男は『武市先生は遅い』と言っていました。おそらく、端山殿は近日中に土佐から江戸へ訪れる予定であり、富善へと訪れることになっていた。それを知った杉野殿が、敵対する佐幕派が行動を起こすとすれば、いったいどのようなものでしょうか」

「……単純に考えれば、邪魔立てだな」

「私もそう思います。そして邪魔立てをするのならば、旗印である武市端山殿へ危害を加えるのが最も手っ取り早い」


 武市端山。

 土佐勤王党の中心人物。

 土佐藩と会津藩は共に攘夷を掲げるが、両者の主張には決定的な違いがある。

 会津は幕府を助け幕藩体制の存続を願っているが、土佐は天皇を立て徳川を政治から廃そうとしているのだ。

 そして武市は分かり易過ぎる勤王派の象徴。

 此処まで情報が出そろえば流石に気付かない訳がない。


「では、杉野又六の目的は」

「意に添わぬ相手へ、刀を手にした男がとる手段。可能性は限られてきます」


 武市端山の存在は佐幕攘夷を掲げる会津藩にとって目の上のたんこぶ。

 出来る限り早急に消えて貰わねば困る人物。

 もしも畠山泰秀の言に嘘が無かったとすれば。




 ───ここで遠い未来において記述されるであろう事柄に触れておこう。




 文久二年・一月二十七日。

 史書に曰く、江戸は深川某所にて土佐勤王党と江戸住みの攘夷派との会合があったとされる。

 武市端山は活動方針として挙藩勤王を掲げると共に絶えず諸藩の動向にも注意し、土佐勤王党の同志を四国・中国・九州などへ動静調査のために派遣しており、坂本龍馬もその中の一人であった。


 龍馬は武市の指示によって諸藩の動向を探っていたが、文久元年・一月にその任務を終えて土佐に帰着した。

 同時にこの頃、薩摩藩国父・島津久光の率兵上洛の知らせが土佐に伝わる。勤王義挙。天皇という御旗の下、幕府に明確な敵対意思を示す行動であった。


 しかし土佐藩はそれに追随しなかった。これに不満を持った土佐勤王党同志の中には脱藩し京都へ行き、薩摩藩の勤王義挙に参加しようとする者が出て来ていた。

 翌年一月二十七日に深川であった会合ではこの事実を知った多くの党員が脱藩を決意し、後に薩摩藩と合流。

 会合に参加した坂本龍馬もまた文久二年三月二十四日に脱藩している。

 

 武市端山。


 後の名で呼ぶならば武市半平太は、土佐勤王党を結成し、坂本龍馬の脱藩を促し、若い志士達の流れを倒幕へと導いた歴史の分水嶺となる人物である。

 そして幕末期において倒幕への流れを決定づけ、坂本龍馬と武市端山が袂を分かつ契機となった一月二十七日に行われた会合を、俗に『深川会談』という。

 

 勿論、それは後の世で史書に記される内容であり、今を生きる二人の預かり知らぬところである。

 それでも現段階で武市端山を代表とする土佐勤王党は倒幕の旗印となる可能性を秘めている。

 あくまでもそれは可能性でしかなく、現在の武市は未だ何も為さぬ男に過ぎない。

 だがその可能性を重く感じる者がいたならば。

 例えば、理外の一手を考える、慧眼の持ち主が見たならば。

 佐幕攘夷を掲げる”誰か”にとって、武市は目障りなことこの上ない筈。

 つまり杉野又六の目的は、


「武市端山の暗殺」


 それ以外に考えられない。


「勿論、普通ならばそこまで考えなしには動かない。ですが、妖刀を手に入れたことでたがが外れ、短絡的な手段に出てしまったら」

「……有り得ない話ではない、か」


 杉野又六は妖刀を手にしたが為、元々あった思想を押さえきれず、殆ど衝動的に暗殺を実行しようとした。

 成程、話は繋がっているように思える。が、それでも所々に疑問は残った。


「しかし分からん。それが事実だったとして、なぜ畠山は態々教えた?」

「畠山殿にとって、杉野又六という男にはもう価値がないからです」


 彼にしては珍しく、確信めいた響きだった。

 脈略のない返答に今一意味を理解できない。その意を問おうと見れば、怒りを堪えるように直次の口元は震えている。


「おかしいとは思いませんか? 私達が畠山家を訪ねたのは偶然です。だというのに畠山殿は私達を座敷に迎え入れ、あまつさえ甚殿を召し抱えようとした」

 

 偶然訪れた浪人を、例え以前から知っていたとはいえ、その場で雇おうとするなど奇妙な話ではある。

 納得して頷くと、直次はやはり怒気を孕んだ表情で続けた。


「今日の様子を見るに、畠山殿は甚殿のことを初めから知っていたようです。浪人としてではなく、怪異を討つ者として。おそらくは以前より貴方を迎え入れたいと思っていたのでしょう。だからこそ貴方を呼びつけた」

「呼びつけた? 私は」


 妖刀を買った者が畠山家にいると聞いたから尋ねただけで。

 そこまで考えてようやく甚夜は直次の言いたいことを理解した。


「妖刀は、囮という訳か」

「おそらく。あれは単に貴方を呼び寄せるための餌にすぎなかった。今回は偶然にも私が甚殿へ伝えましたが、そうでなければ噂を流布つもりだったのでしょう。『会津畠山家の御坊主が妖刀を手に入れた』と。そうすればいずれ怪異を討つために畠山家へ貴方が訪れるでしょうから」

「つまり妖刀をどうしようと畠山泰秀にとってはどうでもいい」

「ええ、甚殿と直接会えた時点でそれ自体は既に用済み。その後何があろうとそれは余分に過ぎないということでしょう。だからこそ杉野殿の行方を教えた」


 だから杉野又六にはもう価値がない。

 武市端山を討てればそれでよし。

 討てなかったとしても目的自体は果たしている。

 泰秀にとっては暗殺が成功すれば儲けもの、失敗しても腹は痛まないということだろう。


「甚殿の言葉です。刀は値が張る。御坊主がおいそれと手を出せるものではない、と。私もそう思います。ならば、金の出所がある筈」

「それが畠山泰秀、か。杉野又六が暗殺を企てることまで想定していたとするならば……成程、確かに性質の悪い男だ」

「ええ。……ああいった男がのさばっているのは佐幕派が相当追い詰められている証拠。徳川は、本当にもう駄目なのかもしれない」


 ぎりっ、と直次の奥歯が鳴ったような気がした。そう錯覚させるほどに彼の顔は苦渋で満ち満ちていた。

 代々幕府に仕えた三浦家の当主だからこそ、現状に悔しさを感じるのか。それとも自身が仕えてきた徳川に対する失望か。


「すみません。感情的になってしまいました」

「いや」

「それで、どうしますか?」


 それは先程畠山家の座敷での遣り取りを見ていたからこその問いだった。

 開国にも攘夷にも興味がない。だがここで妖刀を追い、杉野又六を邪魔すれば結果として尊王派に与したと同義だ。

 しばし逡巡し、甚夜はゆっくりと口を開く。


「例え妖刀を使ったとしても、“真っ当に”暗殺を企てたならば、私は邪魔立てをするつもりはなかった」


 甚夜が刀を追っていたのはあくまでも怪異の真相を見極める為。決して人道や倫理、義心といった綺麗な理由ではない。

 それでも畠山泰秀の遣り様には、どうしても引っ掛かりを覚えてしまう。


「だがこうなってくると話は別だ。どんなお題目を掲げようと、畠山泰秀は自身に仕える者を体のいい捨て駒にした。私はそれを是とは出来ん」


 断っておくが、甚夜は決して善人ではない。

 既にその手で人も鬼も殺している。鬼の<力>を使って人を斬り殺したこともあった。善悪で語るならば殺人を犯した彼は悪に類される。だから鬼を手駒にして開国派や夷敵を滅したとしても、それ自体を非難するつもりはない。

 だが畠山泰秀は、妖異の力を持って何も知らぬ者を利用した。そのやり方が受け入れられない。 

 そこまで考えて、甚夜は首を振った。

 何を今更綺麗ごとで取り繕っているのか。

 そも主義主張や道徳の為に刀を振るえる程立派な男ではないだろう。


「……いや、お為ごかしだな。正直に言おう、私はあの男が気に食わん」


 共感は出来るし、決して嫌いな類の男ではない。

 だがそのやり方が決定的に気に食わない。

 いつか誰かが言っていた。

 甚夜は自身の想いよりも自身の生き方を選ぶ男だと。

 今回のこともただそれだけの話。妖刀を止めると決めた、畠山泰秀を認められないと感じた。ならば、最早そこから食み出ることはできない。

 非難はしない。だが怪異の力は己が手で排除する。

 

「では」

「初めに言った通りだ。妖刀を追うぞ」


 迷いはない。

 無意識に動いた左手は、既に刀へ掛かっていた。




 ◆




 そして数日後。

 文久二年・一月二十七日。

 

 江戸は深川に向かう河川沿いの通り。

 男は一人歩いていた。


 左手に握り締められた刀。

 ぞくりと何かが体を通り抜けた気がした。


 夜刀守兼臣。

 戦国後期の刀匠・兼臣が造り上げた人為的に生まれた妖刀。

 その“力”は既に試した。

 だから確信する。

 この刀をもってすれば勤王を掲げる阿呆共を皆殺しに出来る。



 ──あんた、なんで……。



 耳に残る女の声。

 関係ない。最早己に感情はない。

 妖刀に操られるまま妻を斬り殺してしまった。

 ならばいまさら人斬りを止められる訳がない。

 斬って斬って、ただ只管に斬って。

 その果てに斬り殺される。

 それくらいしかこの刀から逃げる術はないのだ。



 向かう先は『富善』。

 今日は武市端山が訪れるという。

 この好機を逃すわけにはいかない。

 同じく攘夷を志す相手だが、武市は倒幕の士。

 武士の世を壊そうとする国賊にすぎん。

 あの男の影響力は計り知れない。

 放っておけば倒幕派は更に力を増すだろう。

 ……故に、武市端山は斬らねばならない。

 己にはその理由がある。斬る理由がある。だから斬ってもいい。斬らないといけない。とにかく斬らないと。斬らないと、きっと自分は壊れてしまう。



 胸中は淀み、足は淀みなく進む。

 既に心は決まっている

 そうして深川の橋に差し掛かった辺りで、


「断っておくが」


 鉄のような声が響いた。


「私は暗殺という手段を卑劣とは思わない。刀に出来るのは所詮斬るのみ。ならば如何な手段を用いたとて斬ってこその刀だろう。故に否定はせん。だが……」


 宵闇に浮かぶ、六尺近い偉丈夫は悠然と腰のものを抜き、切っ先をこちらに突き付ける。


「悪いな。邪魔はさせてもらう」


 だから理解する。

 この男は、敵だ。



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