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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
江戸編

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『花宵簪』・3



「そしたら始めよか」


 秋津染吾郎。

 探していた男が目の前におり、しかし話を聞けるような状況ではない。

 彼の目は完全に敵を見るそれだった。


「行きぃ、犬神」


 短い声とともに走り出す三匹の黒い犬。

 陰陽師、などと噂されていたのは知っていた。ならばあれが奴の式神なのだろう。

 たかが犬と侮るなかれ。

 犬は群れを作る傾向が強く、その習性上、狩りも集団が基本である。

 一度大きな群れが出来上がると人間ですら襲われる危険が高まり、時には命すら脅かされる。

 犬を模っている為だろう。犬神の動きは正しく集団を主とする獣の狩りだ。

 後ろに回り込むもの、距離を取って備えるもの、正面から飛び掛かるもの。見事に連携を取りながら襲い掛かってくる。


 だとしても、飼い犬如きに後れは取らぬ。

 動きは速く、連携もいい。

 だがそれだけ。見切れない程ではない。

 身を低く屈め、右足を軸に体を回す。間近まで迫った犬神は纏うように振るわれた一刀に切り裂かれる。

 いや、“切り裂かれる”よりは刀とぶつかった衝撃で“はじけ飛んだ”という方が正しい。

 頭部が完全に潰れ、犬は断末魔の声もなく地に伏した。


「おー、ええ腕やね」


 しもべを失いながらも染吾郎は面白そうに笑っている。

 なんだ、あの余裕は。疑問が過り、一瞬の後、奴の余裕の意味を知る。


「まあ、そんな程度じゃ僕の犬神は倒せへんけどね」


 たった今打ち砕いた筈の犬に黒い影が集まり、十秒も経たぬうちに元の体躯を取り戻す。それに驚愕するよりも早く、甚夜の喉元に向かって黒い犬は飛び掛かった。

 体を捌き再び斬り捨てる、更に残る二匹も牙を剥く。二匹を相手取っているうちに、またも犬神は蘇る。


 襲い来る犬神を丁寧に捌きながら、じっくりと観察する。

 速度と連携、そして再生能力。大口を叩くだけはある。犬神はなかなかに厄介だ。

 再生するのならこいつらを相手にしても無駄。さっさと飼い主を組み伏せるとしよう。

<隠行>

 喰らった<力>で姿を消し、静かに間合いを詰める。


「お、それがあんたの<力>?」


 一目で<力>だと理解するのは、既に高位の鬼と立ち合ったことがある証拠。

 その上で生きているのならば、力量は推して知るべしといったところだ。


「残念、姿を消しても逃げられへんよ」


 言葉の通り、犬神は正確に甚夜の位置を察知し攻撃を仕掛ける。

 唸り声を上げながら飛び掛かり、爪が牙が急所を狙う。

 刀でそれを防ぎつつ、後ろに下がる。表情こそ変わらないものの内心驚きはあった。


「犬やからね。鼻も耳もええ」


<隠行>は姿を消す<力>。姿を隠し気配を隠すが、音は消せない。

 犬は音源の方向の識別能力が高く、人の四倍はあるという。確かに犬神が犬の特性を持っているのなら、姿を消したところで意味はない。

<力>を解き、襲い来る犬を迎え撃つ。

 刀を振るい、斬り伏せ、再び蘇る。

 先程からそれの繰り返しだ。染吾郎はその様子を遠くから眺めている。悠々と、表情には余裕さえある。

 状況はあまり良くなかった。このままでは嬲り殺される。何か打開策を考えなくては。


「あはは、折角の<力>も無駄やったなぁ」

「そうだな。ならば次の手を打とう」

「ん?」


 まずは間合いを詰めねばならない。

 夫では駄目だった。ここは妻の<力>を借りるとしよう。

 甚夜は何気なく一歩を進み、次の瞬間には。


<疾駆>


 誰よりも何よりも速く駈け出す。

 犬神の横を難なく通り過ぎ、染吾郎の懐まで潜り込んでいた。


「は?」


 あまりの速度に相手は対応できていない。

 この男には聞かなければならないことがある。殺す訳にはいかないが、こちらの命を狙ったのだ。多少の痛みは我慢してもらおう。

 敢えて両足で地面を踏ん張り、無理矢理に速度を殺す。腰の回転は抑え、刀ではなく拳で腹部を狙う。


「こ、のっ……!」


 染吾郎の驚愕が見て取れた。

 既に間合いは踏みつぶした、犬神を呼び戻すことも叶うまい。

 数瞬遅れて体を動かすも、防御の姿勢を取るより早く拳が突き刺さり、染吾郎の体躯はその衝撃に三間程吹き飛ぶ。

 地面を転がり、砂埃を巻き上げながら止まった。

 直撃。死んではいないが、しばらくは立ち上がれだろう。

 今の内に拘束してしまおうと甚夜はゆっくりと距離を詰める。一歩、二歩、着実に歩みを進め、けれど途中で足が止まった。


「あい、たたたたた」


 加減したとはいえ、間違いなく直撃したのだ。

 だというのに、染吾郎は痛いと言いながらも平気な顔で立ち上がる。

 明らかに人の耐久力ではなく、どう見ても人でしかなく。その奇妙さに甚夜は眉を顰めた。

 奇妙さを覚えたのは染吾郎も同じらしい。

 高位の鬼でも通常一つしか<力>を持ち得ない。二つの<力>を行使する鬼の存在に疑惑の視線を投げかけていた。


「なあ、あんた。なんで二つも、ってあぶなぁ!?」


 間合いを潰し不意打ちの一刀。隙をついたつもりだったが、不恰好ながらも染吾郎は何とか避ける。

 動きは止めず刀を振るう。染吾郎は随分と頑丈だ。殺さぬように拳で打ったが、力を加減すれば峰打ちでもよさそうだ。


「ちょい、まち」


 誰が待つか。 

 相手は体術に長けている訳ではない。距離を詰めればこちらが優位だ。

 刀を振るう。当てるのではなく少しずつ逃げ場を潰すように追い立てる。

 一、避ける。二、退がる。三、掠め、そこで染吾郎はよろめきタタラを踏んだ。


「悪いが終わらせるぞ」

 

 勝機。

 一歩踏み込む。刀を小さく振り上げ狙うは肩口。峰打ちとはいえそれなりに力を込め、打ち据えるように振り下す。

 体勢を崩し避けられない状況。空気を裂く音と共に袈裟掛けの一刀を放つ。


「残念、はずれ」


 しかし空振り。

 否、刀身がすり抜けた。

 たった今打ち据えた筈の染吾郎が嗤う。ゆらゆらと揺れる輪郭。これは、一体。


「幻影……?」

「蜃気楼や」

 

 声が聞こえる。

 弾かれたように体が動く。声の方に振りむこうと体を回し、


「がっ……!?」


 背中に走る衝撃。迂闊。気付けば犬神は甚夜を取り囲んでいた。

 対応を取ろうにも今度は此方の体勢が崩れている。

 構えようと体を起こし──今度は腹に犬神が突進する。

 避けようと足に力を籠め──爪が大腿の肉を抉る。

 刀を振るい斬り伏せようと──肩口に食い込む獣の牙。


「なめ、るなっ!」


 横薙ぎ。一匹を葬り、それでも猛攻は止まない。

 鈍い痛みが全身を襲う。残る二匹が休む間もなく責め立てる。


「すまんな。こんでおしまいや」


 最後に、犬神の牙が喉に突き立てられた。

 上体が反り、膝が砕け、甚夜は仰向けに倒れる。犬はまだ追撃を止めない。その姿は死体を漁る野犬のようにも見えた。


「僕の犬神、なかなかのもんやろ……ってもう、聞こえてへんかな?」


 あはは、と朗らかに笑いながら染吾郎は地面に転がる甚夜を眺めている。

 しばらく時間が経ち、犬神たちも大人しくなった。

 おそらく鬼は息絶えたのだろう。そう思った染吾郎はゆったりと踵を返す。


「ほなね」


 軽い挨拶を残し、歩き始める。

 感慨はない。鬼なぞ今迄飽きる程葬ってきた。高位の鬼であったとしても己の術ならば対等以上に渡り合える。染吾郎は退魔のものとしての実力に、相応の自負を持っていた。

 その為勝利に微塵も疑いを持たず、


「確かに、『なかなかのもん』だな」


 だから、呼び止められるなど思ってもみなかった。


「……なんで、無事なん?」


 振り返り、立ち上がった甚夜を睨み付ける。

 犬神はいつの間にか消えていた。

 それがおかしい。犬神は、無限ではないが、ある程度の再生能力を有している。

 あの一瞬で打ち倒すなぞ不可能だ。百歩譲って無事なのはいい。何故犬神が消えている?

 染吾郎の焦燥を余所に、甚夜は悠然とした立ち振る舞いである。左手を握ったり開いたりと動かしている。


「いや、実に見事なものだ。犬神は高位の鬼に匹敵する」


 ならばこそ、こんな真似も出来る。

 そう付け加え地面に左手を付き、染吾郎を見据え呟いた。


「行け<犬神>」


 地面から黒い影が湧き上がる。

 それは次第に凝り固まり、三匹の犬となる。

 先程の染吾郎の焼き直し。見せつけるように、今度は甚夜が犬神を操って見せた。 


「ちょ、反則やろそれ!?」


 犬神は消えたのではない。『奪われた』のだ。 

 それを理解した時には、既に三匹の黒い犬は駆け出し、染吾郎を取り囲む。

 この数合で理解した。式神を操る手腕は見事だが、奴の体術はお粗末。事実、犬神の連撃をどうにか躱すも次第に追い詰められていく。


「この、待ちぃ」

「待つと思うか」


 襲い掛かる犬神、合間を縫うように甚夜は間合いを侵す。

 大振りはいらない。相手を逃がさないように、誘導するように、要所要所でちょっかいをかければそれで十分。

 唸り声と共に爪を振るう犬神。辛くも避けるが染吾郎は態勢を崩し、よたよたと進んだ先も既に塞がれている。

 犬神を奪われた時点で、この展開はある意味で当然。

 囲まれ、隙を狙う獣共。目の前には切っ先を突き付ける鬼。

 逃げ場はない。取り敢えず状況は硬直し、ようやく話す準備が整った。


「さて、話を聞かせてもらおう」

 

 身動ぎでもすれば殺す。

 刀も殺気も向けたまま話もないだろうと自分でも思う。だが奈津のことがある以上、こちらに余裕はない。

 どんな手を使ってでも、洗いざらい白状してらう。


「……殺さへんの?」


 刃を向けたまま、優位に立ちながらも止めを刺そうとしない甚夜に、染吾郎は苦々しく言葉を漏らした。


「お前には聞きたいことがある。話すのなら斬りはしない」

「話すことなんてない、ゆうたら?」

「喰らって記憶を奪うしかなくなるな」


 無駄に斬るつもりはないが、黙秘するならば仕方がない。

<同化>を使えば相手の記憶を取り込める。取りたくない手段ではあるが、この男と奈津を比べれば、どちらを重視するかなど考えるまでもなかった。


「ふーん、選択肢はないってことやね。ま、ええわ。それなら答えよか? どっちにしろ逆らえへん訳やし」

「よく言う」

「ん?」

「手の内の全てを晒した訳でもなかろうに」


 甚夜はこの状況を『追い詰めた』とは思っていなかった。

 犬神は喰ったが、先程の異常な耐久力、蜃気楼とやらのからくりを見破れた訳ではない。

 何より彼の余裕。こちらを出し抜く手の一つや二つある、それ故の態度だろう。

 

「お互いさまやろ。君やって手加減してたんやから」


 確かに鬼と化さず、力も加減した。

 だから秋津染吾郎も必要以上の手の内を見せず、素直にやられてみせた。

 殺す気が無かったのも見切っていたらしい。つくづく厄介な相手だ。


「質問なら答えたるよ。代わりに、この子ら消してくれん? なんや落ち着かん」


 染吾郎は体から力を抜いている。今更逃げる気はないだろう。

 言われた通り<犬神>を消す。すると声を上げて笑われた。


「あはは、素直やなぁ。そないやと簡単に騙されるで?」

「騙す気はないのだろう?」

「僕はね。っと、質問はちょっと待ったって。犬神拾てくるから、ああ、別に警戒せんでええよ。逃げる気ぃないから」


 犬神を拾ってくる?

 意味の分からない言葉に眉を潜める。染吾郎は丁度先程まで甚夜が倒れていたところまで歩き、腰を屈め何かを拾い上げた。


「お疲れさん、後でちゃんと供養したるからな」

「それは」

「犬張子ってやつやね」


 掌にあるのは、小さな張子の犬だった。

 犬張子は犬の形姿を模した紙製の置物である。

 犬は一回に複数頭の子供を生む。出産自体も他の動物に比べ親への負担が軽いと考えられた。

 また古くより邪霊や魔をはらう呪力があると信じられ、その為出産前の妊婦や子供の健康を祈るお守りとして犬張子は普及していた。


「付喪神って知っとる?」


 耳慣れぬ言葉に押し黙れば、染吾郎は壊れた張子の犬を優しく撫でながら、仕方ないとでも言わんばかりに肩を竦める。


「器物百年を経て、化かして精霊を経てより、人の心を誑かす。物には想いが宿る。優しくされたら嬉しいし、忘れられたら寂しく思うて当然や」


 そう語った彼は、ふっ、と肩の力を抜いた。

 先程までの張り付いた笑みではなく、まるで子を慈しむ父のような顔をしていた。

 

「想いは力。負の想念が肉をもって鬼になるなら、物の想いが形になっても不思議やないと思わん?」


 それが犬神の正体。

 その是非は別にして、想いには力がある。

 凝り固まった負の想念が鬼となるのならば、古い器物が想いを宿すのもまた道理。

 先程の黒い犬は、張子の犬に宿った想いが鬼と化したものなのだろう。


「つまり、お前は物に宿る想いを鬼に変えるのか」

「そや、僕は付喪神を生む。つまり陰陽師みたいな式神使いやのうて、付喪神使いや……なんや、語呂悪いな」


 付喪神使い。世の中には奇妙な人種がいるものだ。

 自身が鬼であることは棚上げにして、ほう、と感心したように甚夜は息を吐く。


「三代目と言ったな。お前は退魔の家系の出か」

「家系、やないよ。“妖刀使い”の南雲なぐもやら“勾玉”の久賀見は家で技を継いでいくんやけど、秋津は一派やから」


 壊れた張子の犬を懐に仕舞い込む。

 そうすれば親の慈愛も鳴りを潜め、作り笑顔が再び浮き上がる。


「元々秋津染吾郎は普通の職人やった。でも、あんまりにも腕が良くてなぁ、染吾郎が作ったもんにはみぃんな魂が宿ってしもた、比喩やなくてね。で、それが高じて物の魂を付喪神に変え、操る術を生み出した。隠居した後は弟子が染吾郎を継いで、その三代目が僕。つまるとこ、秋津染吾郎はそもそも職人としての名で、退魔の名跡やないんよ」

「成程、だからか」


 鬼を討つ者でありながら、鬼と言葉を交わす。

 初めは違和感があった。しかし彼の話に合点がいった。

 結局は染吾郎にとってより重きは退魔ではなく職人としての自分なのだろう。

 だからこそ、自身に危険がないのなら鬼だからといって無意味に反目はしない。

 甚夜と敵対したのは、初めに彼が染吾郎を嗅ぎ回ったから。降りかかる火の粉を払おうとしたに過ぎないのだ。


「そ、僕らはどこまでいっても退魔の出来る“職人”でしかないんやろうなぁ……話が逸れてもたね。えーと君」

「甚夜だ」

「うん。で、その甚夜さんは何が聞きたいん?」


 随分と長い前置きだったが、ようやっと本題に入ることが出来る。

 この男が付喪神使いなる不可思議な技の持ち主であると知れた。ならば知っている筈だと、刀を鞘に納めぬまま甚夜は問うた。


「昨日、お前は女に簪を売ったな」

「簪? 昨日、かんざし……ああ、別に売った訳やないけど。確かにあげたわ」

「女は身に着けた途端、まるで別人のようになった。あの簪はなんだ」


 言葉に抑揚はなく、表情は冷静そのもの。

 しかし感情の昂ぶりを隠せていない。甚夜の目は赤く染まっている。

 嘘は許さぬと睨み付けるが、染吾郎には心当たりがないのか「何って言われてもなぁ……ごく普通の簪やけど」と呑気にぼやいている。


「あ、そか。分かった」


 刀を突き付けられてもこの気楽な態度、大した胆力ではある

 しばらく頭を捻り、うんうんと唸っていた彼は、はたと甚夜の胸元に目をやった。

 ようやくなにか気付いたらしく、にへらと笑みを浮かべる。


「その女の子、なんとかしたるよ。そやから取り敢えずその物騒なもん引っ込めてくれん?」

「……嘘はないな?」

「さあ? 嘘かも知らんしほんとかも知らん。どっちにしたって僕の言うこと信じるしかないんちゃうかな?」


 飄々とした染吾郎に思わず舌打ちをする。

 他に取れる手段がない以上、この男の言に間違いはなく、それが尚更腹立たしい。

 まったく食えない男だと、甚夜は溜息を吐いた。





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