平成編『都市伝説・ダブルフェイク ザ 花子さん』・1
・時系列 平成編『四月・入学・悲喜交々』と『手を繋いで、君と一緒に』の間。
・正確に言うと鬼人幻燈抄ではなくアルカディアに投稿している、藤堂夏樹が主人公の『都市伝説シリーズ』の番外編になります。その為、ノリが結構違います。
平成二十一年(2009年) 四月
「たいへんたいへん! あのね、隣のクラスの男の子が『トイレの花子さん』を見たって!?」
兵庫県立戻川高校へ入学してから数週間。
新しい環境にも多少は慣れ、姫川みやかはクラスメイトと屋上でのんびり昼食を食べていた。
いたのだが、いきなり飛び込んできた親友、梓屋薫の第一声により寛いだ空気は吹き飛ばされる。
ああ、頭が痛い。
なにせ怪人赤マントの事件が解決したその翌日だ。しばらくは平穏な日々が続くと思ったのに、まさか一日もたず都市伝説が現われるとは。
どうやら彼女の高校生活は、前途多難程度では片づけられない程刺激的なものになるらしかった。
* * *
《トイレの花子さん》
暗くなる頃、学校の校舎三階の女子トイレで、扉を三回ノックし、『花子さんいらっしゃいますか?』と尋ねる。
それを一番手前の個室から奥まで三回ずつ繰り返す。
すると三番目の個室からかすかな声と返事が聞こえてくる。
『はーい……』
扉を開ければ、誰もいなかったはずのトイレの中に、赤いスカートのおかっぱ頭の女の子が姿を現す。
彼女はトイレの花子さん。
非業の死を遂げた少女の幽霊であり、呼び出した人間をトイレの中に引きずり込み、殺してしまうのだという。
1980年代、全国の学校で騒がれた少女の都市伝説で、学校七不思議などにも数えられるトイレの怪異。
1970年代前後は空前のオカルトブームであり、UFOやノストラダムスの大予言などが大流行し、妖怪マンガやホラーマンガが市民権を得て、怪談などが連日テレビやラジオで流されていた時代である。
トイレの花子さんはブームが落ち着きかけた頃に登場し、後の1990年代、学校の怪談ブームの先駆けとなった。
花子さんは非常に有名なホラーだが、剥げ落ちたトイレのマークを直したり危険な行為に対し「危ないからやめなさいね」と注意したり、実は意外と優しかったりする。
反面トイレでマナーを違反する相手には厳しく、特に自身を呼び出す相手には殺人を以って返すこともしばしば。
二面性こそあるものの、基本的にはこちらから呼び出さない限り危害を加えないという穏やかな都市伝説である。
* * *
「でね、噂ではC棟の三階の女子トイレで、なんか怖いのが出たんだって! それがトイレの花子さんだって話なの!」
「薫、なんかふわっとし過ぎてない?」
「うーん、隣のクラスの男の子が話してたのを聞いたって人から聞いただけだし」
どうやら薫は「トイレの花子さんが出た」という話を耳にした後、そのまま勢いでここまで来たらしい。
取り敢えずみやかとしては、女子トイレの怪異の第一発見者が隣のクラスの男子である事実に関して追求したい。それは下手すると都市伝説以上に危険な状態ではなかろうか。
「件の男子生徒の処遇については後で考えるとして」
その辺り甚夜も同意見のようだ。
まだ会ってから一か月そこらだが、薫には妙に甘い彼のこと。処遇という言い回しをしたのは多分、「この子に妙な真似をされては困るな」とか多少のお仕置きくらいは考えているのかもしれない。
「そういう噂があるのなら捨て置く訳にもいくまい」
しかし優先すべきを間違えはしない。
穏やかな表情は一変し、目付きが刃物の鋭さに変わった。
「二人とも、C棟三階のトイレには近付かないよう頼む。後は、何か噂を耳にしたら」
「うん、葛野君にも伝える……で、いいんだよね?」
「そうしてくれると助かる」
葛野甚夜という少年をみやかは未だに把握し切れていないが、口裂け女や赤マントの件のおかげで、良識があり性格も寛容ということくらいは分かった。
なにより都市伝説絡みなら彼が専門、判断には従うべきだろう。
手早く昼食を終えると甚夜はすぐに立ち上がり、「では、な」と軽く挨拶して屋上を去る。
「あ……」
みやかはそれを黙って見送った。
もう少し月日を重ね仲良くなれれば違う対応もできたかもしれないが、入学して一か月程度の付き合いではそこまで上手くも立ち回れない。
ただのクラスメイトで、助けてもらった側。引け目は踏み込む一歩を躊躇わせた。
「葛野くん、大丈夫かなー?」
「う、ん。どうだろ」
「とりあえず私達はクラスの女子に話でも聞く? 口裂け女の時も赤マントの時もお世話になったんだし、ちょっとくらい力になりたいもんね」
けれど薫には何の裏もなく、素直に助けてあげたいと言う。
そうやってまっすぐ誰かに向き合えるのは、この親友の凄いところだと思う。
ぐっと両の拳を握り締める親友に同意してみやかも小さく頷く。
トイレの花子さん。
呼び出したものをトイレの中に引きずり込み殺す少女の幽霊。
それが現実のものとなったのならば。
過った想像にうすら寒い何かを感じずにはいられなかった。
◆
ただ少女の予感とは裏腹に気の抜けた方向へ事態は進む。
みやかは口裂け女や赤マントの件からトイレの花子さんもまた危険な怪異だと考えた。
だが今回は少しばかり毛色が違った。
「さて」
放課後になり甚夜は特別棟にまで足を運び、現場を……とは流石にいかない。
調査目的だとしても男が女子トイレに出入りしてはそちらの方が問題だ。しかしトイレの花子さんの危険性が読み切れていない以上、姫川の娘や朝顔に頼るのも気が引ける。
となると下校時刻を待ち、生徒や教師が完全にいなくなってから調べた方が無難だ。
今後の方針を決め、何処かで時間を潰そうかと考え居ていると、廊下を小走りに一人の男子生徒が近付いてきた。
「おー、いたいた。じいちゃん」
よっ、と軽く手を挙げて話しかけるのは、藤堂夏樹といって入学以前から付き合いのある少年だ。
暦座キネマ館の藤堂芳彦・希美子夫妻のひ孫にあたり、幼い頃は一緒に暮らしていた為今も「じいちゃん」と慕ってくれている。
夏樹らの家族が東京に引っ越して以来会う機会は減ってしまったが、甚夜にとってもかわいい孫のようなもの。クラスメイトという奇妙な形とはいえ、こうやって接する機会が得られたのは素直に嬉しかった。
「ああ、夏樹。どうした?」
「いやあ、実は。なんというか、依頼人? 的な感じの子が来ててさ。今、手ぇ空いてる?」
勿論、芳彦の係累である夏樹は甚夜の目的も粗方知っている。
例えば妹への復讐以外にも、昔話を色々と聞かせてもらっているので、かつての赤線地帯での恋物語や未来視の少女の話、江戸の頃の蕎麦屋に明治の子育て苦労など。
またマガツメの情報を得る為に、様々なオカルトな事件に首を突っ込んだり、依頼を受けて解決しているのもちゃんと把握済。
だから芳彦や祖父の甚悟がそうであったように、時折こうして不可思議な依頼を持ってきてくれるのだが、今回は少しタイミングが悪かった。
「微妙に空いてないんだ。しばらくトイレの花子さんの噂を追うつもりでな」
普段なら受けるのだがトイレの花子さんも放っておけない。
みやかや薫、本人らは知る由もないが、甚夜にとっては二人とも縁の深い少女だ。女子トイレに出没する怪異を放っておいて、あの子たちが犠牲になるような事態はあまり考えたくない。
勿論夏樹も大切な孫のような存在。
花子さんの件が片付いたら改めて依頼を聞こう。そう思ったのだが、寧ろタイミングがいいとばかりに夏樹はにっかりと笑った。
「あ、それならちょうどよかった。こっちもトイレの花子さん絡みだし」
成程、それは確かにちょうどいい。
トイレの花子さん絡みなら、依頼人は多少なりとも情報を持っている筈。こいつはがぜん興味が出てきた。
「ほう、どういった話だ?」
「うん。なんというか、あれだ」
ただ、実を言うと、この藤堂夏樹という少年は普通の高校生ではなかったりする。
彼は藤堂芳彦の直系。
岡田貴一や井槌、溜那や向日葵、それに甚夜自身も含め、特別な力を持たないにも関わらず数多の怪異に一目置かれていた男のひ孫である。
しかも、そういう芳彦の血を最も色濃く継いだのが夏樹だと井槌は評していた。
「依頼人、“トイレの花子さん”なんだよ」
故に何気なく、さらりと、それが普通だというように夏樹は語る。
いい加減慣れてきたつもりでいた甚夜でさえ若干戸惑うくらいの自然体だ。
「……すまない、もう一度言ってもらえるかな?」
「だから依頼人……依頼都市伝説? とにかく、トイレの花子さんに力を貸してやってほしいんだ」
そうしてちらりと横目で見た先には、ゆらり揺れる影。
とっ、と軽やかな靴音を響かせて、廊下に現れたのは美しい女童。
小学生くらいの、幼げながらに人目を惹く、整った顔立ちをしている。
白いワイシャツと赤い吊りスカート。黒く艶やかな髪のおかっぱ頭の女の子は、唇に軽く指をあてて柔らかく口元を緩めた。
『おお、お前が噂の鬼なのですか? 夏樹少年に色々聞いているのです、よろしく頼むのですよ』
つまり、今回は口裂け女や赤マントの件とは毛色が違う。
藤堂夏樹という少年は、昔から怪異を引き寄せる体質らしく、今迄も数多の都市伝説と関わりを持っている。
だからこれはトイレの花子さんの事件であるのは間違いなく。
ただし何故か知らないが、肝心の花子さんは機嫌よさそうに夏樹の隣で微笑んでいた。
鬼人幻燈抄『都市伝説・ダブルフェイク ザ 花子さん』
時間は一週間ほど前、赤マントの前に遡る。
「ねえねえ、聞いた? C棟の三階でトイレの花子さんが出たって!」
……まあ、なんである。
藤堂夏樹が戻川高校に入学してまだ一か月も経たぬうちに、クラスの女子がそんなことを騒ぎ出した。
学校の怪談系都市伝説の中でもあまりにポピュラーすぎる女の子の幽霊。
トイレの花子さんが、この学校にも現われたのだという。
「だってさ、なっき。なんか懐かしーね。うちの小学校にもあったなぁ」
「ああ、どこにもあるんだな、こういう話」
もっともその程度では今更過ぎる。
芳彦四鬼衆は言わずもがな、根来音久美子や妹の里香。中学の頃は口裂け女とも出会ったり。
曾祖父の影響か、同居人が同居人の為か、藤堂夏樹は昔からオカルトな事件に縁が多かった。
そういう彼を驚かせるにはトイレの花子さんではちと外連が足らないし、夏樹が都市伝説に遭遇したなんて、幼馴染の根来音久美子にとっては騒ぎ立てるほど珍しい話でもない。
「そういえば花子さんって恋人いるんだよね? 太郎くんだっけ? むむ、花子さんに負けるとは」
「そこ勝ち負けで考えるところか?」
「えー、でも花の女子高生だし、もうちょっと色めいた感じがあってもいいと思うんだけど」
花子さんの噂で教室のざわめきは少しだけ大きくなり、しかしそんなものどこ吹く風、雑談をしながら久美子はしゃなりと微笑んで見せる。
可愛い女の子だけにちょっと似合っているのが若干癪だった、なんとなく。
「そこは、分からないでもないな。はい、あーん」
「むぐ。……うん、やっぱりおばさんの卵焼き美味しぃ」
夏樹の方もいつも通り、トイレの花子さんの話を聞いても普通の態度だ。 都市伝説には慣れている。もはやこの程度で驚いたりはしないしできないのである、悲しい話だが。
しかし聞いていないのにクラスメイトはこちらにも話を持ってくる。どうやら単なる噂だけではなく、目撃譚が出ているらしい。
一人だけならともかく、多数が女子トイレで怪奇現象に見舞われ、明確に見たという者まで出てきた。
いくつになっても学校の怪談はいい話題のタネ。しばらくはトイレの花子さんで盛り上がるのだろう。勿論、夏樹や久美子の反応が非常に薄かったのは言うまでもない。
「なっきは冷静だねー」
「ぶっちゃけ女子トイレに出る幽霊って俺にはあんまり関係ないだろ。部活とかやる気ないから放課後残る用事もないし」
「それもそっか」
「でもま、みこも三階のトイレはあんまり使わないようにな?」
「うん、分かってるって」
噂になったなら、何かがいるのは間違いない。
そして都市伝説というヤツは、決してただの与太ではないと身をもって知っている。
まあつまり、こんな騒ぎ彼らにとっては日常の範疇に過ぎないのだ。
……だから、まあ。
ある意味、こういう展開は予想済みだった。
根来音久美子は、入学したばかりでもクラスの男子に人気が出るくらい可愛らしい。
色白ですらりとした体付き、ふんわりと軽い髪はナチュラルミディで整えられている。
派手さはないが、世にいうアイドルとは趣の違う、『クラスの可愛い女の子』を体現したかのような女の子である。
高校の制服もよく似合っている。最近になって「色白ですらりとした体付き」は変わらないのに、ちょっとばかり胸部の盛り上がりが大きくなってきた。
そういう彼女と懇意にしているのだ、夏樹は男子の一部から微妙に嫉妬めいた視線を向けられていた。
「みこ、帰ろー」
「おっけ。そだ、今日なっきの家行っていい?」
「おう、勿論」
同じクラスの男子は兎も角、他のクラスで関係の薄い奴らは無遠慮だ。
「あの子かわいいな」「でも隣にいる男、地味だぜ」「なんであんなのと?」
そんなことを言うのはごくごく一部だが、得てしてそういう奴らこそ目立つもので、夏樹の耳にはそれがしっかり届いた。
周囲に気付いているのかいないのか、こてんと久美子は小首を傾げる。
それを素直に可愛いと思うから、余計な雑音は聞き流す。噂に左右されて距離を置くなんてごめんである。
授業が終わり、放課後。入学からそろそろ一か月経つが、部活見学をするつもりもなく、いつものように二人で下校する。
廊下を歩いているだけで向けられる、男子の多少のやっかみくらい慣れたものだ。
「どしたの?」
「いやあ、なんというか、な」
そう、思っていたのだが。
なにやら、おかしい。いつもと雰囲気が違う。向けられる男子の目は、当然久美子へ。
だけど普段よりも好色そう、というか。なんかエロっぽい視線が多いような……?
「と、わわっ?」
なんてことを考えながら歩いていると、前方への注意が疎かになり、どんっと強い衝撃が走る。
すれ違いざま、他のクラスの男子とぶつかり、相手がカバンやらなにやら荷物を落としてしまった。
「わ、悪い!」
「もー、なにやってるのなっき。大丈夫?」
ぶつかった男子はすっ転び、カバンの中身がぶちまけてしまった。
久美子は夏樹のおでこをこつんと優しく叩き、けれどちょっと呆れ気味。
これは申し訳ないことをした。慌てて相手の荷物を拾おうと手を伸ばし、二人はそこで固まった。
廊下には、男子のカバンの中身が広がっている。
教科書とか筆箱とか。
あとは、写真。
数枚の女の子の写真が、一緒になって落ちた。
そこに映っているのは可愛らしい女の子。
間違いようがない。藤堂夏樹の幼馴染、根来音久美子の体操着姿だった。
「え、これ……」
「っ!?」
拾い上げた久美子の手から写真をひったくり、件の彼は荷物を手早く集め逃げ出す。
写真の目線はカメラの方に向いていなかった。明らかに盗撮写真だ。
反応したのは夏樹よりも久美子が早かった。
「ちょっと、待てー!?」
逃げた男子を捕まえようと幼馴染の少女はすぐさま駆ける。
自分のえっちぃ写真を名も知らぬ男が持っていた。
そりゃあ気分は悪いと思うが、いきなり行動に出るのは脊髄反射過ぎないだろうか。
彼女は、か弱い女の子なのだ。
もしものことがあったらどうするつもりだ。男は校舎の中に逃げ込み、階段へ。放っておけず夏樹も久美子の後を追いかける。
「は、ひっ。脚が重いっ」
「泣きごと言わないの! あなたの可愛い久美子ちゃんのえっちな写真がよく分からない男子の手にあるんだよ!? もっと真剣になってくれたら帰りにジュース奢ってあげる!」
「お前元気だなぁ!?」
一階、二階、三階。
流石に一気に登るのは運動をしてない身にはなかなか辛い。
ていうかなんで久美子は息も乱していないのか。夏樹は荒い呼吸で、なんとか二人についていく。
けれど、少しずつ男子との距離は広がる。
やばい、このままじゃ逃げられる。
そして廊下を走り抜けていく男子が。
つるり、と。
何かに足を取られて再びすっ転んだ。
「へっ?」
いきなりすぎて夏樹は思わず間抜けな声を漏らしてしまう。
久美子も驚いて目をまん丸くしていた。
まあ、相手は転んで気絶して、取り敢えず動きが止まった。二人はスピードを緩め、男子のところまで行くとカバンから数枚の写真を取り上げる。
「うわぁ、こんなにいっぱいいつの間に? なんか、気持ち悪いなぁ」
やっぱりオンナノコ、あからさまに嫌そうな顔をしている。
久美子ちゃんせくしーぶろまいど計三枚。
制服姿に体操服、あとは着替え中の姿。ぷんぷんと怒りながらびりびりに破く。更にはカバンの中にまだ残っていないのか、しっかりと検分していた。
勿体ない、なんて夏樹は勿論思わない。
思春期のオトコノコ、興味がないとは言わないが、基本彼は真摯に紳士である。
「ていうかなんで廊下びしょびしょなんだ?」
大事な幼馴染の写真を持っていた男には、内緒ではあるが、多大なる引っ掛かりがある。
そういう内心は恥ずかしいので隠して、なぜか水浸しになっている廊下を見る。
この男子が転んだ理由は、水で足を滑らしたかららしかった。
しかも此処だけ。奇妙に思って周囲を見回してみると、ひらり、赤いスカートが揺れた。
『ふふっ、いくらわたしの宝とはいえ、女の子を傷付けるのは男の子としてダメなのです』
とっ、と軽やかな靴音を響かせて、廊下に現れたのは美しい少女。
小学生くらいの、幼げながらに人目を惹く、整った顔立ちをしている。
白いワイシャツと赤い吊りスカート。黒く艶やかな髪のおかっぱ頭の女の子は、唇に軽く指をあてて柔らかく微笑んでいる。
『あなた達も、廊下を走ってはいけないのです。危ないですので。今日は見逃しますけど、普段なら怒っちゃうのですよ?』
少女は起こると言いながら、可愛らしく、穏やかに窘めるような物言いだ。
時刻はもう午後四時を回っている。
此処は三階。
ああ、そうか。
つまり、と夏樹は状況を理解した。
『でも、この子は探していた子ではなかったです。むむむ、やっぱりそう上手くはいきませんねえ……って、あれ?』
取り敢えず、何やら喋っている女の子を抱え上げる。
軽い。体力のない夏樹でも十分持ち上がるので、しっかりと横抱きにする。
え、なになに? と不思議そうにしている少女を余所に、久美子へ一言。
「みこー、“トイレの花子さん”捕まえたー」
『あなたなに言ってるのです!?』
なんかもう、パターンと言えばパターンだが。
早速トイレの花子さんを捕まえてしまった。
◆
『まったく、みだりに女子に手を触れるなんて、とんでもない男の子なのです!』
放課後の空き教室。
ぷんぷんと怒るトイレの花子さんの前で、藤堂夏樹は正座をしていた。
なんかノリで抱き上げてしまったのがお気に召さなかったご様子。
いやまあ考えてみれば女の子を抱っことか普通に事案である。花子さんの容姿が可愛らしく、年齢が幼女と呼んでも差し支えないくらいなのだから、そりゃあもう犯罪臭は物凄い。
流石に反省し深々と頭を下げる。ちなみになんでか分からないが一緒になって久美子も正座だった。
「なあ、みこ。別にお前は正座しなくていいじゃね?」
「えーでも、花子さん怒らせたら駄目じゃない? 結構怖い話多いよ?」
「そこら辺は大丈夫だと思うけど」
実際、すっ転んだ男子生徒も気を失っただけ。特に怪我はなく、それでも夏樹らに保健の先生を呼ぶよう指示したところから、安易に人に害為すような都市伝説ではないと思う。
それにこんなあどけない子が人を殺したりなんかしない、と信じたい。
いや、外見に関係なく危ない都市伝説は結構あるのだが。
ともかく夏樹は改めて花子さんに向き合い、もう一度しっかり謝罪する。
「でも、すみませんでした。確かに考えが足りなかった。あと、デリカシーも」
『むむむ。まあ反省したのなら、いいのです。水に流すのですよ、花子さんだけに』
「ありがとう。ところで花子さんちゃんは」
『言いにくくありません? そこは親しみを込めて、花子さんで構わないのです』
「あ、やっぱり“花子さん”で呼び捨て扱いなんだ?」
いや、そこはいいとして。
彼女が最近噂の少女の怪異に間違いなく、かといって別に危険そうな印象もない。
となるとその目的が気になってくる。
「最近うちの学校でよく花子さんを見る、って話なんだけどさ。しかもトイレ以外で。そうやって頻繁に姿を現すのって、なんか理由でもあるのか?」
『もちろんなのですっ!』
花子さんは、ぐっ、と両の拳を握り締める。
ぷるぷると肩を震わせて怒る様まで愛らしいのだから、ちっちゃい女の子ってずるいと思う。
いや、そういう趣味ではありませんが。
『先程の写真をみたでしょう? 実は今、ああやって女の子たちの……え、えっちぃ写真を撮って売ったりしてる人たちがいるのです。悲しいことに、この学校の生徒に』
どもっちゃう花子さん可愛い。
ではなく、それが事実なら胸糞が悪い。
実際大切な幼馴染の写真までも横行していたのだ。正直許せないという気持ちは夏樹にもあった。
「じゃあ、花子さんは」
『学校の生徒達はわたしの宝。愛しい子供達。でも、女の子の嫌がることをする男の子は叱ってあげないといけないのです。だから、探しています』
成程、これが噂の真相か。
『空恐ろしい声で“どこに…いるの……”と誰かを探している』というトイレの花子さん。
探していたのは盗撮の犯人。
彼女は、女子生徒を守る為にトイレを抜け出し徘徊していたのだ。
「えーと、犯人を捕まえて、警察に突き出すってこと?」
被害にあった久美子としては、その真意を聞き俄然花子さんに入れ込んでいる。
しかし肝心の少女の怪異は、柔らかく首を横に振った。
『もちろん、叱っても変わってくれないなら、そうなるのです。でも、更生してほしい。悪いことをしたとしても、わたしの愛しい生徒達に変わらないのですから』
「花子さん……」
『守るべきはまず被害者。そこはわたしも譲らないのです。けれど、駄目なことは駄目と教えて。できるなら大きな騒ぎにはしたくはないのです。あなたは納得できないかもしれないですが、わたしはみんなみんな守ってあげたい』
切なげな吐息にちょっとだけ胸が締め付けられる
その優しさは、多分上手くはいかないと思う。
女の子を盗撮するような人間が反省するとは考えにくいし、優しくすればつけあがるのが悪いヤツというものだ。
だけど指摘はしない。
きっと、少し寂しそうに微笑む花子さんこそが、一番よく知っていると思うから。
「そっか。……んーん、大丈夫! 花子さん、私にも協力させて!」
久美子も感じ入るものがあったのだろう。
一瞬過った陰鬱さを吹き飛ばすように、底抜けに明るい笑顔で助力を申し出る。
『むむむ、仕方ないのです。危なくなったら逃げる、というのを約束してくれるのなら、構わないのですよ』
返ってきた微笑みは、本当に嬉しそうで。
だからこの幼馴染の選択は、正しかったのだろうと思えた。
「……ところでちょとくらい仕返しはしてもいいよね?」
『当然なのです。もし女の子をなめてる男の子だったら、ケツの穴にカマドウマ突っ込んでやるのです』
いや、やっぱり間違っているような気もしないでもなかった。
◆
『では、二人とも、頑張りましょう』
「おー!」
「おー」
ともかく夏樹と久美子はトイレの花子さんに協力し、翌日から盗撮犯探しに乗り出した。
そこまではよかったのだが、二人とも怪異に多少縁こそあれど別段特殊な力は所有しておらず、こういった調査に慣れている訳でもない。とりあえず手分けして放課後残っている生徒に聞き込みを始めたが、下校の時間になってもまるで情報なし。箸にも棒にも掛からぬ結果となってしまった。
「だめだー、一応男子に聞いたんだけど、写真のこと全然教えてくんなかった」
『わたし達もなのです。こんなに真剣に頼んでいるのに』
考えてみればそりゃそうである。
女子に「盗撮写真について教えて」なんて言われて口滑らせる奴がどこにいるか。知らない奴は答えようがないし、知っていたら余計に黙るのが当然だ。
花子さんなんて見た目完全に小学生。なんで高校にいるの? 誰かの妹? とかそんな感じで適当にあしらわれる始末。聞き込みどころの話ではない。
「なっきの方は?」
「一応クラスの友達に聞いてみたんだけどさ、女子の盗撮写真が出回ってるって噂はあるんだけど、現物とか誰から買えばいいのかとかは全然。そもそも、そいつも話聞いただけって感じだったし」
「そっかー」
夏樹の方も状況は芳しくない。
情報集めは難航し、ついでに現状も結構ヤバい。廊下で同級生のかわいい少女と、小学生くらいの愛らしい幼女と情報交換中。結構真剣な話なのに周囲の視線が痛いのなんの、流石の夏樹も精神がゴリゴリと削られていく。
『夏樹少年、大丈夫ですか? 顔色がよろしくないのです』
そんな様子に気付いた花子さんは、夏樹の服の袖をくいとひっぱり、前屈みになったところで、そっと優しく額に手を当ててくれた。
熱はないですね、なんて言う彼女は、純粋に心配してくれているのだろう。
それは有り難いのだが、周りから不純な意見が聞こえてくる。「なにあれ」「やだ、ロリコン……」「あいつにだけ隕石落ちねーかな」とかなんとか。
すげえ針の筵である。廊下じゃなくて空き教室で相談すればよかった。今更ながら自身の失策を呪ってしまう、もはや完璧に手遅れだけど。
「……ちょっと視線が気になるだけ。熱はないし体調もいいから、そんな心配しなくても大丈夫」
「あー、花子さんいるしね」
久美子は理解してくれたようだが、肝心の本人は不思議そうな顔をしている。
勿論周囲はこの小さな女の子がトイレの花子さんだなんて想像もしていない。
幽霊みたく透けているでも、分かり易く怪異としての特徴がある訳でもなし。ぱっと見は本当にただ可憐だけの少女だ。
だからこそ視線を集めてしまうのだが、そこに文句を言っても仕方がない。
『わたし、なのですか?』
「ああ、いやなんでもない。よし、気持ちを入れ替えてしっかり犯人探しをしようか?」
「でも正直手詰まりじゃない?」
「んー、そうなんだよなぁ」
その指摘は正しい。
聞いて回ったが相手にもしてもらえず、だからといって打開策もまるで浮かばない。所詮は素人、盗撮犯探しは中々に難題だ。
どうすればいいのだろう。
やはり自分達だけではどうにもならない。ここは大人の助けを借りた方がいいのかもしれない。
しかし学校が色々と不祥事を起こす昨今、教師陣はあんまり期待できない……とそこまで考えて、夏樹はふと思い出す。
大人の助けを借りる、それ自体は悪くない案だ。
とはいえ入学してまだ一か月、頼れる教師などはまだいない。
ただ新しいクラスメイトには、親身になってくれる大人が、しかも厄介ごとの専門家はいるではないか。
「なっき、なにかいい案でも浮かんだの?」
雰囲気の変化を感じ取った久美子の問い掛けに、夏樹は力強く頷いた。
「ああ。やっぱりここは、本職を頼ろうと思ってさ」
◆
「と、いう訳で。盗撮犯探しを手伝ってほしいんだ」
説明を聞き終えて、甚夜は思わず渋い顔を作った。
確かに彼は江戸時代から現代にいたるまで、あやかし関連の事件を請け負っている。
一時期はそれで生活を支えていたのだから、本職というのも間違いではない。ただ都市伝説の解決は幾らか経験していても、都市伝説自身の依頼は流石に初めてである。
もっとも明治の頃は妖刀が客として訪ねてきたこともあった。それを考えれば人でない何かの持ち込む依頼など今更、渋い顔の理由の大半は、相変わらず過ぎる夏樹の怪異に対する適性である。
昔から都市伝説に好かれる性質ではあったが、よもやここまでとは。
というか口裂け女や赤マントとは毛色が違い過ぎて若干頭が痛くなってくる。
「あー、なんだ。夏樹」
「うん、分かってる。分かってるから何も言わないでいてくれると嬉しい」
なんでか俺に寄ってくる都市伝説ってこんなのばっかりなんだよ。
表情を見るだけで胸中は簡単に読み取れたが、その辺り本人も複雑な心境であるらしいので追及はしない。
代わりに廊下で片膝をつき、トイレの花子さんと視線を合わせる。
「私は葛野甚夜。一応、夏樹とは古くからの知り合いだ。君は、トイレの花子さんでいいのかな?」
『おお、態々視線を合わせるとは中々に紳士的な態度。その通りなのです。私はトイレの花子さん、親しみを込めて“花子さん”と呼ぶがいいのです』
何ともノリの軽い少女である。
まあ人と同じく怪異も千差万別、悪意を撒き散らす奴がいれば比較的穏やかな者もいる。ならば時には「ふふーん」と自慢げにびしりとポーズを決める都市伝説がいても不思議ではないのだろう、多分。
「では、花子さん。これは君からの依頼ということだが」
『……はい、間違いないのです。夏樹少年に、お前は非常に頼りになると聞きました。生徒の為にも、どうか力添えを願いたいのです』
先程までの軽妙さは鳴りを潜め、花子さんはしっかりと頭を下げる。
真摯な振る舞いは真実生徒の為を思い動いている証拠、彼女の性質が善良であるのは疑いようもない。
「発案は俺なんだ。今一つ捗らなくてさ。できればじいちゃんの手を借してほしい」
夏樹もまた真剣な目で助力を請う。
なにかと都市伝説と縁があり、厄介ごとに巻き込まれやすい性質ではある。しかし物の道理をちゃんと弁えている、何より優しい子だ。
藤堂芳彦、喜美子夫妻のひ孫、それでなくとも幼い頃から面倒を見てきた可愛い子供。甘いという自覚はあるが、「誰かの為に」とこの子が願うのならば助力を惜しむつもりはなかった。
「お前にそう頼まれると弱いな」
「じゃあ」
「こちらとして無関係という訳でもなし。私でよければ手伝おう」
甚夜の返答に二人の顔が明るくなった。
そこまで喜ばれるような大した男でもない。だが当てにしてくれているというのならば、期待に応えられるよう最大限努力はしよう。
『おお、本当なのですか! 感謝するのです』
「そいつは解決してからにしてくれ。……しかし、どうにも妙な話になったな」
トイレの花子さんを探るつもりが、トイレの花子さんからの依頼を受ける羽目になった。
不満はないが、なんとも奇妙な方向に事態が転がったものだ。甚夜は「さっすが、じいちゃん」と笑う夏樹を横目に、小さく肩を竦めた。