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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

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196/216

『マガツメ』・1




 姫と青鬼。

 この話は、私の初恋を基にしている。




 ◆




 ビルの隙間、街の明かりの届かぬうらぶれた路地裏。

 ひゅう、と夜に白刃が翻る。

 武骨な太刀は月明かりに濡れ、振るわれ斬り裂き、今度は血に濡れる。

 事も無げに異形を両断した少年は、ついと視線を滑らせた。


『<剔抉てっけつ>』


 少女もまた異形と対峙する。

 相手は少年が斬った雑魚とは違う。百年を生き<力>に目覚めた高位の鬼だ。

 ゆらり。上から下へ、乱雑に手が振り下ろされる。たったそれだけでアスファルトの地面が抉られた。

 単純な膂力ではない。おそらくあれが眼前の鬼の<力>なのだろう。

 勝ち誇るように表情は歪み。けれどその程度では怯まない。

 高位の鬼。確かに強大であり、人智は十分に超えている。

 だが彼女を驚かせるには少しばかり足らない。

 しなやかに踏み込み、呼応して再度鬼の腕が振るわれる。

 同時にくるりと踊るように体を捌き、軽やかに横へ飛ぶ。

 相手もそれくらいは読む。追いかけ、手は左から右へ薙ぎ払われた。


「ねこがみさまー」


 しかし少女が携帯電話のストラップを揺らせば、もう届かない。

 ファンシーな数体の猫が飛んだり跳ねたり入れ代わり立ち代わり。ねこがみさまが鬼の<力>を遮る。

 それだけでは終わらない。更に数を増やした猫達が今度は鬼自身を襲う。

 にゃーにゃーにゃーにゃー。気の抜ける光景ではあるが一撃一撃は重く、徐々に追い詰められ、


「ごめんね、これでおしまい」


 いつの間にか距離を詰めた少女の拳が腹に突き刺さる。

 痛くは、ない。殴っても女の細腕では鬼の体躯は揺るがない。


「もっぺん、ねこがみさま」


 が、至近距離で生み出される数多の猫。

 痛くはなく、揺るがず。けれどその勢いは止められず逃げ場もない。

 後はそのまま雪崩に押し流される家の如く。押されるような形で鬼は容易く吹き飛ばされた。


『ぬ、が』

「別にあたし、命まで取る気はないよ? 人に危害を加えないならね」


 少女───桃恵萌は痛苦に膝をつく鬼へあっけらかんと語る。

 害意のない鬼は討たぬが秋津の信条。むやみやたらと人を殺す都市伝説や殆ど理性のない生まれたての鬼ならともかく、理知的な高位の鬼ならば滅多矢鱈と命を奪うつもりもない。

 そもそも今回は依頼ではなく単なる遭遇戦。襲い掛かってきたのはあちらの方だが別段悪事を働いた訳でもなく、逃げ帰るならそれでよかった。


『なに、を……!』


 見逃すのは秋津の信条であり、萌の優しさだ。

 それが癪に障ったのか、鬼は怒りに強く奥歯を噛んだ。

 小娘に舐められるなど許せぬ。百年を生きたが故の誇りと自負は鬼を奮い立たせる。


「見逃すことに異論はない。だがこの子の優しさを踏み躙るようなら、容赦はできなくなるな」


 傍らに立つ少年。

 葛野甚夜はそれを一睨みで制した。

 睨まれているだけ。なのに鬼は痛苦に喘ぎ脂汗を流している。

 吉隠を喰らったことでいくつか<力>を得た。

 夜風の<織女>、対象を死なせない<戯具>。

 そしてかんかんだらの特性である<邪視>。

 その能力は「睨みつけた対象に痛苦を与える単純な呪詛」。殺すには至らないが、実力差があればこうやって動きを封じるくらいはできる。


『分かった』


 流石に高位の鬼、考える頭はあるようだ。

<邪視>を解いても立ち上がろうとはしない。甚夜と萌を交互に眺め、勝てぬと踏んだ鬼は悔しそうに体から力を抜いた。


『人を襲いはせん。それでいいか』

「うん、おっけー。でもさ、一応聞かせてよ。なんであたしらにちょっかいかけてきたのん?」

『……マガツメだ』


 鬼の呟きに甚夜の視線が鋭さを増した。

 萌も同じ。秋津にとってもマガツメは因縁のある相手。その名をここで聞き表情が硬くなる。


『秋津染吾郎、鬼喰らいの鬼。マガツメに盾突く者どもを屠りたかった。かの鬼神は、人に虐げられる我らあやかしの希望と伝え聞いた。故に』

「どこで聞いたのかは知らんが」


 冷淡に鬼の言葉を遮る。

 声には若干の苛立ちが混じっていたかもしれない。


「あれは、そのような類ではない。できて精々人の世を滅ぼすまでだ」

『構わん。人工の光に居場所を奪われた我らには十分救いであろう。人に迎合する貴様には分からんかもしれんがな』


 かつて<遠見>の鬼は語った。

 遠い未来、この国は外の文明を受け入れ発達していく。

 しかし早すぎる時代の流れに鬼はついていけない。

 発達し過ぎた文明に淘汰され、その存在を消していく。

 人工の光を手に入れ、人は宵闇すらも明るく照らし、代わりにあやかしは居場所を奪われ。

 そうしていずれ鬼は昔話の中だけで語られる存在になるという。

 平成の世に至ってもそれを良しとせぬ鬼は少なからずいる。

 全てのあやかしが人と共に在ろうと願っている訳ではないのだ。


「そっか。でも、約束は守ってくれるのよね?」

『その程度の仁義は持ち合わせているつもりだ』

「ならおっけ。鬼は嘘を吐かない、でしょ?」

『……慈悲には、感謝はする』

「うん! なんだ、けっこーリチギじゃん」

『ふん』


 それでも萌は鬼を見逃した。

 あやかしは宵闇に消え。辺りに平穏が戻る。するとすぐさま甚夜の方へ向き直り、両手を目の前で合わせいきなり謝ってきた。


「ごめんね、甚。勝手に決めちゃってさ」

「いや、いい。秋津の信条も君の優しさも曲げさせるつもりはないよ」

「へへ、あんがと。……でもさ、ああいうのもいるんだね」


 人にとって現世を滅ぼす災厄。

 秋津には三代目の仇、甚夜には一口で語り切れぬ因縁の相手。

 マガツメは決して善良な存在ではない。

 しかし視点が変われば見え方も変わる。鬼からすれば現世を滅ぼす災厄は、救いの主に見えるのだろうか。


「そう、だな」


 複雑そうに甚夜は小さく息を吐いた。

 愛しくも憎々しい妹との再会は刻々と近づいている。

 ただしマガツメとして、現世を滅ぼす災厄になって。

 思えば遠くに来たものだ。

 歳月も、心も、あの頃からはかけ離れ。

 けれど彼はいつかと同じ場所へ戻ってきた。

 いつかのけじめを付ける為に。



 時は平成二十二年。

 西暦にして2010年……始まりより170年後のことであった。




 ◆




 2010年 1月


 藤堂夏樹は元々東京の生まれで、実家は暦座キネマ館という町の小さな映画館だ。

 大正時代から続く暦座は多くの人に愛され、小説の題材にもなった。この小説は後に映画化され、古くこじんまりした建物ではあるが、暦座はそれなりの知名度を持っている。

 といっても彼自身は有名ではなく、いたって普通の高校生。

 家族には鬼喰らいの鬼とか人造の鬼神とか都市伝説とかいたり、クラスメイトにはいつきひめや秋津染吾郎にやっぱり都市伝説などなど。ちょっとだけ珍しい顔ぶれもいるが、本人は然して気にせず普通の高校生活を送っていた。


「わちゃあ、しまった。弁当忘れた」


 今日も今日とていつも通り、幼馴染の根来音久美子と一緒に昼食を取ろうとしたのだが、折角のお弁当を忘れてしまった。

 彼の母親は料理が上手で、しかも今日に限って大好物のサバの塩焼き入り。

 やっちまった、と夏樹は見るからに肩を落としている。


「やっちゃったねー。なっき、お昼どうする?」


 嫌味なく笑う久美子は、幼馴染の贔屓目ではなく魅力的だと思う。

 彼女は葛野市に引っ越して最初に知り合った友人だ。

 ふんわりと柔らかい髪をナチュラルミディアムに整えた女の子。色白ですらりとした体付き、反して女の子らしい肉付きは豊かで、明るい性格も相まってクラスの男子の人気は高い。

 お互いに「なっき」「みこ」とあだ名で呼び合うくらいに親密で、中肉中背平平凡凡な容姿の夏樹は「なんであんな冴えない奴と?」なんて嫉妬を受けることもままある。

 だからといって久美子と距離を空けるのは嫌なので、その辺りは仕方ないと諦めていた。


「あー、今から購買行くのもなぁ。学食にするわ」

「じゃ、私もそれで」

「悪いな」

「大丈夫大丈夫! 代わりにからあげ一個貰うから!」

「え、なに? 俺の昼のメニューもう決まってんの?」


 軽口を叩き合いながら、なんだかんだと付き合ってくれる久美子に感謝して席を立つ。

 これもいつも通りといえばいつも通り。ただ今日は、何故かやけに教室がざわめいている。

 周りを見渡せば男子が妙にそわそわしており、皆一様に教室の出入り口を凝視していた。

 おい、あれ。なんだあの子。かわいいなぁ。

 どうやらその理由は昼休みの教室に訪れた来客らしい。

 誰か有名人でも来たのか、と夏樹は何げなくそちらを見てぎょっとした。


「ん……」


 年の頃は十四歳くらいか。顔立ちは幼くも整っており、ワンサイドの三つ編みが可愛らしい。

 白のハイネックニット、ミニのプリーツスカートに黒のタイツ。小奇麗に纏めた衣服が清楚な印象を醸し出している。

 出入り口から顔を覗かせているのは、成程、騒ぎになるのも納得の可憐な女性だ。

 幼げな容姿にも拘らず女性と表現したのは彼女の実年齢を知っているから。

 騒ぎの原因は、ぶっちゃけすごく見慣れた顔だった。


「……溜那姉ちゃん?」


 夏樹の実家は暦座キネマ館。当然ながら住み込みで働く溜那とも面識がある。

 幼い頃からなにかと面倒を見てもらっており、甚夜がじいちゃんなら彼女は姉ちゃんといったところだ。


「あ、なつき」


 夏樹の姿を見つけ、溜那はとてとてと教室に入ってくる。

 かんかんだらの一件が終わった後、彼女は東京へ帰らず葛野市に残った。マガツメが現れる日は近い、少しでも甚夜の力になりたかった。

 しかし残念ながら甚夜の住居はワンルームマンション。数日ならともかく溜那を長く住まわせておけるほど広くはない。そこで藤堂の家に間借りすることとなったのだ。

 勿論両親も大歓迎、なにせ夏樹の父にとっても溜那はお姉ちゃんのようなものである。そういう理由で彼女とはしばらく一緒に暮らしており、多少オカルトな事件に巻き込まれつつも穏やかに過ごしていたのだが、ここにきて大問題が発生してしまった。


「お弁当。リビングに忘れてた」


 間違いなく、全くの善意である。

『ん……、なつき、お弁当忘れてる。しかたない、おねえちゃんがとどけてあげないと』みたいな感じで、可愛い弟の為来てくれたのは容易に想像がつく。

 ただ彼女の善意と優しさに夏樹は追い詰められていた。


「……え、じゃあ一緒に住んでるの?」


 クラスメイトの女子の呟きに、教室がしんと静まり返る。

 溜那はコドクノカゴ。

 そもそもは男に犯され魔を孕む為の器として育まれた。そのせいなのかは分からないが、彼女の容姿は幼げながらに人目を引く。

 そういう魅力的な少女が、夏樹に忘れた弁当を届けに来た。

 つまり、同じ家で生活している? 兄妹? まさか、全然似ていない。

 ていうかまたあいつかよ。ふざけんな。

 久美子に続いて溜那。男子の怨嗟の視線が夏樹を襲う。


「あ、ああ。ありが、とう?」

「ん、気にしないでいい。おねえちゃんに遠慮はいらない」

「そっか、じゃあ確かに受け取ったから。気を付けて帰って?」


 できれば早急に。

 これ以上俺にヘイトが溜まらないよう、速やかに帰宅してください。

 忘れ物を届けに来てくれたのは嬉しいし感謝もしているが、男子の嫉妬が致命的なレベルまで高まっている。非常にヤバいのである。

 言葉にはしなくても「早く帰れ」という内心が伝わってしまったのか、むむ、と溜那は不満顔だ。


「最近、なつきは冷たい。昔はいっしょにお風呂はいったりしたのに」

「事実だけどそれを教室で言うのはどうかなぁ溜那姉ちゃん!?」


 まあ自業自得ではある。

 自業自得ではあるのだが、一段と悪くなった教室の雰囲気に夏樹はもう泣きそうだった。




 ◆




 吉隠が倒れ、捏造された都市伝説の事件は取り敢えず決着がついた。

 だからと言って何もかもが片付く訳ではなく、怪異がらみの事件はどこかしらで起こっている。

 それを置いておいても二学期には文化祭、冬休みにはちょっとした旅行やふと遭遇する不思議な出来事など。当然のように一騒動二騒動あったのは言うまでもない。

 それでも甚夜達の周囲は一時期と比べれば随分と落ち着きを取り戻し、年が明け2010年。

 原初の風景より実に百七十年の歳月が流れた。


『今度は、ちゃんと向き合いたいって思うから。もう少しいてほしい……そう思うのは、我儘かな?』


 予言されたマガツメ再臨の年を、甚夜は戻川高校の生徒として迎えた。

 白峰八千枝の件や鬼としての姿を晒したことから退学も考えたが、他ならぬみやかがそれを止めた。

 先生の件はもうけじめをつけたから大丈夫。

 正体が鬼だって意味を軽く考えすぎていた。怖くないとは言えないけど、今度はちゃんと向き合いたい。

 物言いこそは静かだが、彼女のそれは懇願に等しい。

 他の者も鬼としての姿を見てもおおむね好意的だった。


『マジで凄い……話に聞いてた通り!』


 萌に関しては、寧ろ喜んでさえいる。

 師から伝え聞いた姿を直に見られてご満悦といった様子だ。


『そもそも、明治時代に会ってる時点でふつーじゃないって分かってるしねー』


 明治にタイムスリップし、かつての甚夜と交流を持った薫にとっては正体が鬼どうこうはあまり気にならないようだ。

 だからどうしたの? と本気でいってしまう辺り、彼女らしいと言えば彼女らしい。


『別に、怖いとは、思わないよ? ……というか、そもそもやなぎくんも』

『……そういやそうだな』


 意外なのは、気弱な麻衣が特に拒否感なく甚夜の正体を受け入れたことか。

 理由を聞けば「やなぎくんと同じってことだよね?」。

 よくよく考えてみれば、ひきこさんに堕ちた柳と真っ向から対峙し救った彼女にとっては、危害を加えてこないのであれば鬼も然程怖い存在ではないのかもしれない。

 子供達は、甚夜が思っているよりも遥かに強かった。

 多少の迷いは払拭され、彼ら彼女らの心遣いに感謝し、鬼喰らいの鬼は今も高校生をやっている。


「まあ、なんだ。あの子もお前の為を思って届けに来てくれたんだ。そう邪険にしないでやってくれ」

「はい、すみません……」


 そうして昼休み。

 騒然とした教室から離れ、いつものメンバーは特別棟の空き教室で昼食を取っている。その中には騒ぎの発端である溜那の姿もあった。

“おしごと”の関係で一部の教師にもいくらか恩は売ってある。乱用するのは多少卑怯にも思えるが、まさか溜那と一緒に教室で食事という訳にもいかず、今回は使っていない教室を借りた。

 後は昼の時間いっぱいをここで過ごし、ほとぼりが冷めるのを期待するばかりである。


「溜那も。悪いことをした訳ではないが、ほんの少しの気遣いで避けられた騒ぎだ。夏樹を可愛いと思えばこそ、今後は考えてあげてほしい」

「ん……分かった。なつきも、ごめんなさい」

「いい子だ」


 甚夜は今回の騒ぎの原因となった夏樹と溜那にお説教。

 怒ってはいない。頭ごなしに叱りつけるのは趣味でなく、困ったように笑みを落とし、内心を汲み取りつつ優しく窘める程度だ。

 くしゃりと手櫛で髪を梳けば溜那は気持ちよさそうに目を細める。

 なんというか完全に保護者だ。皆の見解は見事に一致していた。


「ところでじんじん? さっきの『一緒にお風呂』の下りちょーっと教えてほしいなぁ?」

「いや、単に子供だった夏樹を溜那がお風呂に入れていたというだけだぞ? 小学生に上がる前だ」

「それなら、セーフ……なの、かなぁ? むぅ、難しい」


 ちなみに久美子は甚夜から先程の件を詳しく聞いていたりする。

 思春期の少女には結構大きな問題らしかった。が、そもそも溜那は夏樹の父親もお風呂に入れてやったことがある。艶っぽい話にはどうあっても繋がらないのだが、どうにも久美子は納得し切れてないようだ。


「むむ」


 そして同じように薫もなにか納得できないことがあるらしく、難しい顔で唸っていた。


「どうしたの薫?」

「みやかちゃん大変。なんだか私のポジションがあぶない気がする!」


 親友の妙な対抗意識にみやかはちょっと苦笑い。

 うん、まあ、言わんとするところは分かる。 

 なんだかんだと甚夜はいつものメンバーの中でも薫のことをよく気に掛けていた、というか大分甘やかしていた。それこそ娘か孫かというレベルで。

 その意味で彼女のライバルはおふうや萌よりもむしろ溜那だったりするのだろう。

 ……いや、別に自分のライバルが彼女達という訳ではないが。


「なんだかなぁ。というか、そういう話なら薫の方が後追いじゃないかな」

「うー、それはそうなんだけどさぁ」


 吉隠に襲われた時、溜那が助けてくれた。冬休みの時にも何度か顔を合わせている。

 けれど実はそれよりも以前に彼女の顔は知っていた。

 最初に会った時は追い詰められていたせいで気付かなかったが、溜那は映画『暦座物語』の特集でテレビに出ていた、館長夫妻の後ろに控えていた女の子である。

 その正体は大正から生きるあやかしで、名目上は甚夜の姪になっているそうだ。


『じゃあ、溜那さんって溜那さんなの!?』

『ん、きみこはともだち』

『すごーい、映画より可愛いきれい!』


 一応映画にも“溜那”という役柄はあり、高校生の新人アイドルが演じている。

 場面は希美子夫人の若かりし頃。大正華族であった夫人の屋敷で働く庭師“爺や”の姪で、箱入りだった彼女の数少ない友人として登場する。

 映画では回想シーンでしか出番がない。当然ではあるが正体には触れておらず、暦座キネマ館に身を寄せたことも語られてはいなかった。

 それでも映画ファンからすると「本物」に会えたというのは嬉しいらしく、冬休みにその事実を知った薫は大騒ぎしていた。

 だから溜那に対してはなんの含みもなく寧ろ好意的でさえあるのだが、どうにも多少の引っ掛かりはあるらしい。


「じいやは、なつきにも甘い」

「そっか。じゃあ藤堂くんと三人でポジション争い?」

「ん、かなりの強敵」


 ただ相性自体はいいようで、溜那と薫はじゃれ合うように会話をしながらお互い真面目な顔で頷き合っている。

 夏樹が「勘弁してください……」と嘆いているのは聞いていない様子だった。


「まあ、あまりくどくど言っても仕方ない。ここいらで終いにしよう。夏樹も許してやってくれるか?」

「あー、そりゃ。別に怒ってたわけじゃないしいいんだけど。ただ教室に戻るのは気が重い……」

「そこは男の勲章ということで飲み込んでもらえれば嬉しいな」

「損だなぁ、男って」

「そう言うな。意地張ってこその男の子だろう」


 本人はくどくどなんて表現するが、説教にしたってかなり甘い。

 将来彼に子供が生まれたら多分親馬鹿になるんだろうな。そんなことをつらつらと考えながら、みやかは甚夜の様子に思わず頬を緩める。


「ほんと、お父さんだね」

「夏樹にしろ溜那にしろ、可愛い子供達ではあるな。だが精々“おじいちゃん”だと思うぞ? 親というには背負うものが少なすぎる」

「そんなもの?」

「ああ。父親ならもう少し口五月蠅くなる。そうしないでいられるのは多少なりとも距離が離れているからだ」


 逆に言えば、口五月蠅くなるのはそれだけ心配しているから。

 例えばみやかの父親のように。言葉の裏は何となく察せてしまった。

 まあ彼からしてみれば啓人も子供みたいなものなのだろう。そう思えば何となく面白くもある。


「どしたのみやか? 気分良さそうじゃん」

「うん、ちょっとね」


 萌の指摘に返す声も心なし弾んでいる。

 きっと今日のお弁当が美味しいせいだろう。 

 日常が当たり前のようにあってくれる。それだけのことがこんなにも心地良い。

 少し間違えていたら失われていた筈の景色だからこそ、今を尊いと思う。ただ直接口にするのは恥ずかしくて、静かな微笑みを浮かべ誤魔化す。


「もう一年経つなぁ、って」

「ああー、あっと言う間だったもんね。なんかやだなー、二年になったらクラス替えあるし。そのまま持ち上がりでいいじゃんね?」

「ふふ、気持ちは分かる、かな?」

「でっしょ? ……まあ、その前にそろそろおっきいイベントあるから、ちょっと気合入れなきゃな感じだけど」

「え?」


 一瞬、萌の目がやけに鋭くなった。

 かと思えば、にぱっと明るく笑う。明らかに誤魔化されている。

 以前はここで気付かないふりをした。けれど色々なことに向き合おうと決めたから、一歩だけ踏み込む。


「……あんまり、無理はしないでね」

「へへ、あんがと。それ、甚にも言ってやってよ。すっごい喜ぶと思うからさ」

「そう、だね。頑張る」

「いや、そこは頑張らないでも言えるようになろーよ。……ごめん、あんま人を言えないわ」


 そこはお互いこれからの努力次第ということで。

 みやかにしろ萌にしろ思春期の少女。 

 心に決めたくらいですぐさま変われるようなら人間苦労はないのである。


「と、そろそろ戻るか」

「だな。……はぁ、気が重いよぉ、じいちゃん」


 その後は和やかに食事を続け、お昼休みも終了間際。

 教室の状況は気になるが戻らない訳にもいかず、全員でいそいそと机を片付ける。

 ゴミなども集め終え、さて戻ろうかという時、溜那がみやかの袖口をくいと引っ張った。


「えと、どうかしましたか?」


 見た目はともかく実年齢ではかなり上。

 一応敬語で問えば、何故か溜那は幼さには見合わぬ優しい笑みを浮かべている。


「……安心した」

「え?」

「大丈夫そうだから」

「は、はぁ?」


 言うだけ言って溜那は満足したらしく、とてとてと今度は甚夜の方に行ってしまう。

 はて、いったいなんだったのか?

 みやかにはその意図が理解できず、こてんと首を傾げた。




 ◆




「お、甚夜。もう帰りか?」

「いや、少し“おしごと”があってな」


 冬の日はすぐに落ちる。

 放課後にはもう夕暮れの様相、黄昏は瞬く間に訪れてしまう。授業が終わればクラスメイト達は部活や図書室で勉強、遊びに出かけたりと各々の予定のため教室を出ていく。

 甚夜も今日は少しばかり忙しい。捏造された都市伝説の事件が片付いても、普通の都市伝説は依然存在しているし、それらとは異なる昔ながらの怪異もある。

 今回は学校とは関係ない伝手からの依頼があり、早めに向かわないといけなかった。


「相変わらず忙しいなぁ」

「仕方ない。放っておくのも気が引けるし、何より生活の為だ」

「あ、そういう理由?」

「今の世の中、水を飲むのにも金がかかるからな。柳も覚悟しておくといい」

「生々しい……」


 二学期、冬休みと男連中で過ごすことも増え、今では名前で呼び合うようになった。

 親しくなれたのは良かったと思うが「一緒に酒を呑めないのは少し寂しいな」と言われた時は柳も反応に困った。そこは成人するまで待ってもらうとして、今はとりあえずガムくらいで勘弁してもらう。


「ほい、眠気覚ましのガム」

「すまないな」


 甚夜はそれを受け取って口に放り込む。

 どうやら本当に時間がないらしい。みやかや薫に対する挨拶もそこそこ、早々に教室を出ていった。

 人知れず怪異を討つ剣士。なんとも不思議な男と知り合ったものだ。

 まあ都市伝説である自分も大概か、と柳は去っていく背中を見送りながら軽く笑う。


「でも、覚悟かぁ」


 実際高校一年もそろそろ終わり。二年生になったら進路等を考えないといけなくなってくる。

 以前男連中でその手の話をしたが、甚夜は「蕎麦屋でもやるか」と軽い調子で言っていた。

 何故蕎麦屋? と思ったが、麻衣が言うには「明治の頃は蕎麦屋を営みつつ裏では怪異の討伐を生業としていた」ということ。

 なんというか、確かに甚夜には似合っている。そういうのも面白そうだ。


「やなぎくん?」

「ああ、俺らも帰るか」


 ただ、いくら<ひきこさん>の力があるとはいえ、自分はそういうのは向いていないと柳は思う。

 もっと安定した職について、しっかり稼げるようにならないと。麻衣の顔を見ていると自然にそういう考えが浮かんできた。他意はない、一応。

 その辺りはこれからの話だ。まだ高校生活も二年残っている、進路もしっかり決めていこう。


「吉岡さん。帰るの? 今度一緒にカラオケ行かない?」

「あ、え。あの」

「はは、可愛いなぁ。考えといてくれなー」


 今はそれよりも、“最近麻衣に声をかける男子が増えてきた問題”について考える方が先決かもしれない。

 二学期、ふとしたきっかけで「お昼の放送の謎の女の子」の正体がばれてしまうという事件があった。

 もともとお昼の放送の女の子の人気は高く、そのせいか麻衣を誘う男子が少なからず出てきているのである。

 これはまずい。よろしくない。

 麻衣が悪い男に騙されるような事態は避けなければ。


「富島ぁ、ぼやぼやしてるとやばいんじゃない?」

「そこ、うるさい」


 クラスでも派手な女子グループが柳と麻衣をにやにやと見ている。

 勿論悪意の視線ではない。だいたい余計な茶々を入れたのは桃恵萌。早く告白でもなんでもすればいいのに。そういう意図が透けていた。


「麻衣も大変だねぇ」

「そ、そんなことないよ?」


 萌のからかいに麻衣ははにかんで返す。

 これ以上からかわれてはたまらない。柳はぐっと麻衣の手を握って、若干大きめの歩幅でずんずんと進んでいく。

 ちょっと戸惑いつつも「じゃあ、また明日」と麻衣は手を振って、させるがままで二人は帰っていった。


「あの二人、面白れー」

「でっしょ? あ、でも変なちょっかいのかけ方したら怒るかんね?」


 大口開けて笑いながらそう言うものだから、一応のこと釘はさしておく。

 麻衣は以前いじめられていた経験がある。二度目はないようにしてやりたかった。

 その辺りこいつらバカだけど基本良い奴だから問題なし。全員「おっけー」と軽く了解してくれた。


「分かってるって。そろそろ私らもいこーよ。あ、今度葛野の奴も誘ってくんない?」

「あー、それは、まあタイミングが合ったらね」


 そう言ってきたのは前に首なしライダーの話を持ってきた女子。どうやらあれ以来彼に興味津々なようで、ことあるごとに「誘って」とお願いされる。

 そういや三学期になっても例のお弁当先輩の攻勢は続いており、意外と人のことを笑ってられない状況だ。

 これはうかうかしていられないか。

 ふむ、と一つ頷いて。


「あ、葛野の話で思い出したんだけどさ。そういや最近、郊外の廃ビルで赤ん坊の声が聞こえるって噂流れてんのよねー」


 ぽろりと零れた話に萌は目を細めた。


「……へえ? それ、どんな話?」

「え? そのまんま、誰もいない筈の廃ビルの中で赤ん坊の声が反響してるってやつ。度胸試しに行った男共が泣きながら逃げてったんだってさ。なっさけなー。あと、ちっちゃい女の子が出入りしてるとかなんとか。ま、でもこの街には<鬼を斬る夜叉>がいるし大丈夫じゃね?」


 そいつは何とも分かりやすい話だ。

 原初の風景より170年。

 全てを失い鬼となった青年は遥かな歳月を踏み越えて平成の世へ辿り着いた。

 同じく秋津染吾郎もまた数多の想いを継ぎ現在へと至った。

 


 そして、マガツメも。

 ようやくいつか抱いた願いをかなえるために動き始めたのだ。








 鬼人幻燈抄『マガツメ』





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