『終の巫女』・4
一人の少女の話である。
物心がつく前に父母を亡くし、昏い地下牢に繋がれ。
人としての在り方を奪われ、あやかしへと身を落した。
大正の頃、妖刀使いの南雲が引き起こした、人造の鬼神に纏わる事件。
数奇な運命に弄ばれた彼女について聞かれた時、葛野甚夜はまず一番にこう答える。
『笑顔の綺麗な女の子だ』
他事など全ておまけに過ぎない。
様々なことを乗り越えて。
少女は彼の知る限り、誰よりも綺麗に、誰よりも優しく笑えるようになった。
「だから、じいや。だいじょうぶ……今度は、わたしが助けるから」
そして平成に至り、守られるだけだった少女は、誰かを守る側になった。
かつて自身を救ってくれた「じいや」の窮地に溜那は駆け付ける。
楚々とした立ち振る舞い、幼いが整った容姿。とてもではないが戦いをするようには見えない。
けれど彼女は吉隠を前にして平然と、やはり淑やかな佇まいのままでいる。
「りゅう、な……」
「じいやは休んでて。私がいるから」
「そう、か。なら、安心、できる、な……」
<御影>で体を無理矢理動かしていたが、とうに限界は越えていた。
溜那の優しく綺麗な微笑みに気が抜けたのか、甚夜はだらりと脱力しそのまま崩れ落ちた。
高齢で男。だとしてもハッカイの呪いを受けたのだ、無事で済むはずがない。
地に伏すや否や、口から一気に血が吐き出される。一緒に居る少女が心配しないよう、顔色も変えず血を飲み込んでいたのだろう。
その気遣いと意地っ張りさ加減がいかにも彼らしくて、溜那は緩やかに微笑んだ。
「じ、甚夜……?」
「ちょっと寝てるだけ、心配ない」
みやかは甚夜を案じ、しかし先程までの彼に対する酷い態度を思い出し、その引け目から傍に寄れずまごついている。
内心を知ってか知らずか溜那はそっけなく言い、改めて眼前の敵、吉隠に向き直った。
「ありゃ、溜那ちゃん。久しぶりだね」
「ん」
一応のことこくりと頷くが、その態度に親しみはない。
溜那の目は冷たい。吉隠は彼女にとっても因縁のある相手、当然含むところはある。
とはいえ、まず優先されるべきは甚夜とよく知らない女の子の安全。
片手を突き出し、少女の動きを制し、溜那は若干得意げな顔で言い切る。
「ここは私に任せて逃げて」
夏樹が実家に置いて行った少年漫画で見た場面である。
読んでからちょっとやってみたいと思っていたが、ここで絶好のシチュエーションが巡ってきた。
満足げな溜那だが、本人は至って真面目。吉隠を舐めている訳でもない。言葉の調子とは裏腹に、彼女の目は冷静さを保ったままだった。
「いやぁ、溜那よ。もうちっと真面目にやろうぜ?」
「……せっかくのいい場面。井槌はうるさい」
それでも見る人が見ればふざけているように感じられるのだろう。
次いで現れた大男に窘められ、溜那は口を尖らせている。
まあ、仕方ない。こういう役回りは慣れたと大男───井槌は肩を竦めていた。
「おう、吉隠。相変わらずくそったれたことやってるみてえじゃねえか」
「井槌まで。なんだか、懐かしい顔が揃うね」
まるで同窓会だなぁ、なんて吉隠は苦笑する。その軽口には乗ってやれなかった。
背丈百九十はあるだろう、えらくガタイのいい大男。
無地の服を雑に着こなし、ぼさぼさの髪も相まって、粗野な印象を受ける。
ただ表情は、どこか困ったような。井槌はなにやら気まずそうに吉隠を見詰めていた。
みやかには状況がよく理解できていなかった。
藤堂夏樹や吉岡麻衣は色々と知っているようだが、彼女は甚夜の過去については詳しく聞いていない。
その為、だから吉隠は勿論、溜那や井槌のことも知らず、彼らになんらかの因縁があることくらいは察せども、ただ戸惑い眺めているしかできない。
「みやか、さんっ……」
「よかった、姫川さんも無事か。怪我とかは大丈夫? てか、葛野!?」
だから井槌という男性の陰に隠れていた級友を見て安堵した。
吉岡麻衣に富島柳。彼女の日常がちゃんとここに在ってくれる、それが嬉しかった。
「麻衣……富島君も。どうして、ここに」
「私達、白み……捏造された都市伝説に襲われたところを、井槌さんに助けられたんです」
昨夜、柳達は白峰八千枝に遭遇した。
彼女はコトリバコと産女の合成。真っ向から対峙すれば、二人の命も失われていただろう。
しかし井槌の手によって彼らは救われた。といっても『あれはまずい。逃げるぞ』と無理矢理引き離しただけなのだが。
ともかく二人は生き永らえ、こうしてみやかの下まで辿り着けた。それは確かに井槌の功績ではあった。
「なんだ、その子達も助かったの? 井槌ってば、なんでそうボクの邪魔するかなぁ。元同僚なんだし、もうちょっと手心加えてくれてもよくない?」
「ふざけろや。元同僚のよしみってんなら、馬鹿な真似は止めんのが筋だろうが」
「あはは、残念」
そっと吉隠が片手を挙げる。
空気が変わった。音のない夜にざわめきが響く。公園の暗がりから、数多の視線が。
<織女>は負の感情を操り、物理的な干渉に変える。吉隠はそれを「捏造された都市伝説の製造」という形に発展させた。
故に、手駒はそれなりにいる。
気付けば周囲は都市伝説の怪人に溢れている。
口裂け女、赤マント、リゾートバイトの化け物、ひとりかくれんぼのぬいぐるみ。
他にも老婆や隙間から除く女の姿。多種多様な怪異に取り囲まれている。
「ひぃ……」
「麻衣、後ろに」
闇夜から姿を現した化け物共に、麻衣は小さく悲鳴を上げた。
柳は咄嗟に彼女を庇うよう前へ出る。しかし彼の保有する都市伝説は直接戦闘には向かない。果たして<ひきこさん>ではどこまで戦えるか。
「っ……!」
みやかは、甚夜の傍へ。先程は引け目から近くに行けなかった。けれど脅威を前にして、意識せずに体は動いていた。
気を失ったままの彼を抱え起こそうとするも、脱力しているうえに元々筋肉質な男性、非常に重く動かすことが出来ない。
でも見捨てることはできず、自然と庇うような立ち位置に移動した。
「だいじょうぶ。さっきも言った、ここは私に任せて」
溜那はこの窮地にそぐわぬ和やかな微笑みを浮かべた。
本当に嬉しそうで、とても綺麗で。みやかは自分よりも年下の少女の笑顔に一瞬見惚れてしまう。
柔らかな空気のまま数多の都市伝説を一瞥する。
この程度、如何程のものか。ゆったりとした所作は言外にそう語っているようだった。
「ってことで、嬢ちゃんらはそいつを連れて逃げてくれや。ここは俺らが引き受けるからよ」
「ちがう、井槌も」
「俺もかよ」
「ん。いると思いきりやれない」
「ひでえ……」
殆ど足手まとい呼ばわりに井槌は顔を引きつらせるが、同時に納得もする。
実際単純な力量で言えば溜那の方が上、その発言はあながち間違いでもなかった。
大正の頃、吉隠の策略によって彼女はあやかしと為った。
しかし甚夜と兼臣によって救われ、歳月が流れた今、人造の鬼神としての力をある程度制御している。
人の姿をした状態でも生半な鬼では追い縋れない。それどころか、異形へと化し全力を出せば、能力値では井槌どころか甚夜をも上回る。
彼女が「思い切りやる」というのならば、いても邪魔になるだけだ。
「つーことで、逃げるか」
「いいんですか、あの子に任せて?」
「ああ。真面目に俺らがいると邪魔んなる」
見た目年下の女の子を置いてこの場から逃げる。
柳にはそれが耐え難いらしく、顔は苦渋に微かながら歪んでいた。
だが彼らは葛野甚夜の古い知人だと言い、溜那もまた半端じゃない実力の持ち主だと聞いた。
邪魔をするのは本意ではない。窘められ、納得し切れてはいないが柳は素直に従う。
井槌の方も気絶している甚夜を米俵のように担ぎ上げ、さっさと逃げる準備をしていた。
「よっこらせ、んじゃ後は頼まぁ」
「いやいや、女の子にあと任せるってキミたちひどくない?」
「自分を知ってると言ってくれや。俺ぁ芳彦四鬼衆の中でも下っ端だからよ」
情けない話だが、かつて暦座に出入りした四匹の鬼の中で、井槌の実力は一番下。
それでも十把一絡げの都市伝説に後れを取るつもりはない。溜那の言葉は確かに事実、しかしその発言の真の意味は、この子供達を守ってやってくれということ。溜那なりの気遣いだろう。
「おっしゃ、逃げんぞ。安心しろや、俺は昔っから逃げんのにも盾になんのも慣れてらぁ!」
だからみやか達に声をかけ、一目散に逃げ出す。
狙うは囲みの薄い一角。それでもかなりの数の都市伝説はいるが、問題はない。
「じゃま」
幼げな声とともに一蹴。
溜那が軽やかに躍り出て、怪人共を纏めて叩き潰す。その隙に井槌らは囲みを抜け出し、その背後を守るように少女は立つ。
追撃はさせない。いっそ場違いなくらい緊張感のないゆったりとした立ち姿に、彼女の決意が表れている。
「うわぁ、こういうのって裏切られたって言うのかなぁ」
「ちがう、因果応報。おまえが、私をこう変えた。それが巡り巡って返ってきただけ」
「あはは、耳に痛いや」
少女は先程までと何ら変わらぬ振る舞い、しかし右腕だけが歪過ぎた。
骨格が肉が形状を変え、異常なほどに筋肉は膨張し、身の丈の二倍近くまで肥大化した右腕。腕の皮膚だけはくすんだ白色になっている。
ちょうど、人造の鬼神としての腕が、普段の溜那にくっついているような奇妙な出で立ちだった。
「……それに、じいやにひどいことをした。お前は、許さない」
子供達の手前、平気なふりをしていた。
けれど溜那の胸中は決して穏やかではない。大切な者を傷つけられた、それを見逃せる筈がなかった。
冷たい表情、目には苛烈な怒りが宿る。
体躯を切り刻むほどに鋭く研ぎ澄まされた視線、それを受けながらも吉隠は平然としている。
その余裕さえ気に喰わない。溜那は右腕を振り上げ、眼前の仇敵を葬ろうと踏み出し、しかし足を囚われる。
「……?」
足元を見れば、ところどころ皮膚が破れ、筋肉がむき出しになった女の怪異。
白峰八千枝はその身を斬り裂かれながら、それでも蠢き溜那の足首を掴んでいた。
産女は子への愛情をもって死に抗う。甚夜に斬り裂かれながらも、愛しい子供の為に、預けられる優しい誰かを探している。
女子供に対する極大の呪詛、コトリバコはまだ残っている。
「ありがと、翔くんママさん」
吉隠は朗らかに笑い。
八千枝に足を掴まれ動けない溜那へと、数多の都市伝説はいっせいに襲い掛かった。
◆
口裂け女は古い歴史を持つ都市伝説。
現代に語り継がれるまで、様々な派生型を生み出してきた。
そもそもは人を殺さない女の怪異。しかしいつしか鎌を持つ者、メスやハサミを持つ者。赤のコート、或いは白のコートを纏う者。かの都市伝説には様々なタイプが存在する。
梓屋薫と桃恵萌、二人の少女を襲った女も、そういう数多の口裂け女の一つ。
曰く、口裂け女には姉妹がいる。俗に「口裂け三姉妹」と呼ばれる、三人一組の怪異である。
「っと、しつっこい!」
姫川みやかが学校を休んだ日の放課後、薫と萌は二人で下校した。
麻衣と柳、夏樹と久美子はそれぞれ一緒に帰宅し、みやかの両親から「娘が出ていったきり戻らない」と連絡を受け甚夜は、午後の授業をサボって探しに行った。
必然的に薫と萌は二人になり、少し駅前に寄ってから家へ帰る途中、人通りの少ない通りで三人組の女に襲われた。
それが口裂け三姉妹。しかもただの怪異ではなく、捏造された都市伝説の怪人だった。
「アキちゃん!」
「あんま動かないでよ、守り切れなくなる!」
敵は複数、薫を守りながら。不利は否めない。
吉隠の造り上げる怪人は、都市伝説に古典妖怪の特性を付加した捏造の怪異。当然ながら口裂け三姉妹にも、余計な混ぜ物が入れられている。
今回は悪狐ではない。三姉妹に付加された古典妖怪は『鎌鼬』。
鎌鼬は三位一体。常に三匹で行動する。
一匹目がまず人を転ばし、二匹目が傷付け、最後の三匹目が薬を塗る。だから鎌鼬に斬られても傷は痛まず出血もしないという。
その特性を獲得した口裂け三姉妹は、見事なまでの連携で萌を追いつめる。
鎌鼬に斬られても死ぬことはない、少なくとも伝承ではそうなっている。だがそれを口裂け女達に期待はできない。
なにせ彼女らの鎌は、確実に首を落とそうと振るわれる。空気を斬り裂く音は背筋が冷える程だ。
「こん、のぉ!」
けれど引かない。
萌の手には秋津染吾郎の切り札、鍾馗の短剣がある。
十把一絡げの怪異に後れを取るほど、秋津の想いは安くない。犬神、ねこがみさま。付喪神で足止め、一気に踏み込み、鍾馗の一撃で葬り去る。
一角が崩れれば後は勢い任せ。暴れ狂う髭面の大鬼、その刃はいとも容易く口裂け女を斬って捨てた。
「アキちゃん、すっごい!」
「まねー。染吾郎が量産型の都市伝説に負けますかっての。あーでも量産型がいるなら“高機動型口裂け女”とか“口裂けキャノン”とかみたいなのがいたり?」
「キャノンって、何撃つの?」
「そりゃあれよ……えーと、べっこう飴?」
口裂け女を撃退しほっと一息。薫の賞賛を軽く受け流し、くだらない雑談を交わす。
しかし萌は気を引き締め直し、真面目な顔で携帯電話を取り出した。
今の都市伝説は、たまたま遭遇したのではない。明らかに、萌や薫の命を狙っていた。
このタイミング。吉隠の存在。他の皆が心配になってくる。
「なんかマジでヤバいなぁ……皆無事だといいけど」
小さく呟き、コール。
友人達の無事を祈りながら、萌は今宵を乗り切るために、それほど良くない頭を働かせていた。
◆
「追手は来てねえみてえだな。大丈夫か、あーと」
「姫川です。姫川みやか」
「おお、古結堂の嬢ちゃんの。俺は井槌だ。ま、よろしく頼まぁ」
井槌の先導で窮地を脱したみやか達は、軽く自己紹介をしながら甚太神社へ向かっていた。
先程の少女が溜那、体の大きな男の方が井槌。
なんでも二人とも藤堂夏樹の実家「暦座キネマ館」で働いており、夏樹や甚夜とも旧知の仲らしい。
更に言えば彼等もまた鬼。だから溜那のことは心配しないでいいと、井槌は豪快に笑っている。
「さて、逃げたはいいが何処に行くかね」
「それならうちに。お父さんもお母さんもある程度事情を知ってますから」
「お、いいのか」
「はい。その、甚夜も早く寝かせてあげないと」
「だな。悪い、甘えさせてもらうぜ」
萌ならともかく、麻衣や柳の家はごく普通の家庭。いきなりこの人数で押しかけたら迷惑になる。
その点みやかの家は神社、そこそこ広いし、なにより両親は甚夜の古い知り合いで事情の説明も楽だ。
それに、彼を早く休ませてあげないといけない。表情はあまり変わっていないが、みやかは内心ひどく焦っていた。
「葛野君……」
荷物のように担がれている甚夜は、かなり揺れているにも拘らず目を覚まさない。
ハッカイの呪いを肩代わりしたのだ、それも当然ではあるが、麻衣は先程からずっと心配そうにしている。
みやかも気持ちは同じだが、彼がこうなったのは自分のせい。なにより一度抱いてしまった馬鹿な考えに、罪悪感が沸き上がる。だから素直に身を案じてはあげられなかった。
「悪い、姫川さん。桃恵さんと梓屋さん、今一緒にいるらしい。二人にも神社に来てもらってもいい?」
「え?」
「……あの吉隠とかいうやつの狙い考えたら、そっちの方がいいと思うんだけどな」
走りながら、柳は薫達と連絡をとっていたらしい。
どうやら無事ではあるが、あちらも都市伝説の襲撃にあったとのこと。つまり吉隠は、みやかだけではなく甚夜と交流のある者達を悉く葬ろうしている。
一か所に集まれば狙われやすいが、逆に萌と柳、そして井槌からすれば守りやすくもあるだろう。
クラスメイトが心配なのもあり、みやかは戸惑いながら頷いた。殆ど柳の意見に流されるまま。普段ならもう少し頭も回るが、今は色々なことが起こりすぎて、上手く考えが纏まらなかった。
「みやか、どこ行って! ……すみません、なんか物凄い人数なんですが。ていうか刀さんどうした!? 血を吐いてるじゃねえか!?」
家に戻ると心配した父、啓人が玄関で迎え入れてくれた。
必死の形相にどれだけ心配していたかが分かる。分かるのだが、娘を怒ろうと勢いよく出てきたはいいが、その後ろにいる人達のせいで父の表情はなんか微妙なものに変わっていた。
「あ、の、こんばんは」
「夜分にお邪魔して、申し訳ありません」
「おー、ここが姫川の嬢ちゃんちか。いやー、甚太神社。人間ってなすげえなぁ」
麻衣に柳、甚夜を荷物のように抱えた井槌。
娘が連れてきたメンバーは、中々個性的である。というか、刀さんを抱えた大男だけなんかおかしい。
反応に困っている父を無視して、みやかは勢いよく捲し立てる。
「ごめん、お父さん。神社の拝殿借りるね。あと、おふとん。甚夜のこと休ませてあげたいの」
「いや、そりゃ構わんけど。休むならうちでも」
「ううん、もしもがあるから」
「お、おお?」
もしも吉隠の襲撃があったとすれば、広いところの方がいい。
殆ど説明もなくみやかは家に戻り、柳に頼んで布団を持って行ってもらう。
麻衣には簡単な飲み物食べ物の類。僅か五分で準備を整え、すぐさま家を出て今度は神社の拝殿へ。あまりの勢いに啓人は説教などする暇もなく、ただそれを眺めている。
「じゃあごめんね。お母さんにも伝えといて」
「伝えるって何を」
「無事で、ちょっと帰らないから。後は、神社にはしばらく近づかないでって。いってきます」
ばたん、と勢いよく扉を閉めて、娘はよく分からない連れと共に去っていた。
布団やら食べ物を持ってさっさとズラかる。山賊の如き所業である。
「なんだったんだ……」
よく分からないが、多分先程の甚夜の様子を見るにまともな状況ではないのだろう。
鬼喰らいの鬼が関わる、厄介な出来事。想像もつかないが、娘は真剣だった。
更には近寄るなという言葉。何か危ないことに巻き込まれているのは明白である。
「……まあ。俺が出張ってもしゃあなくはあるしな」
けれど神社まで行って事情を聞こうとも、叱咤や説教の類をしようとは思わなかった。
反抗期の娘ではあるが、良識はちゃんと持っている。あの子が近寄るなと言ったのは、親を慮って。同時に、自分達でどうにかしようとしているから。
なら親の出番はない。
心配ではあるが、何か言うとしたら、全て終わってから。
そう考えられるくらいには、啓人はみやかを信頼していた。
◆
甚太神社はそれなりの規模がある為、拝殿の中も結構な広さだ。
別室に甚夜を寝かせた後、みやか達は顔を突き合わせて今後の対策を考えていた。
柳が夏樹や久美子に連絡を取り、その無事を確認した。今から呼びつける訳にもいかないし、彼らは自宅で待機ということになった。
「……じゃあ、藤堂君の方も?」
「ああ、襲われたみたいだ。こっちは大丈夫だからとは言ってたけど」
彼らも襲われた。当然、吉隠の手の者だろう。
それでも大丈夫と言う辺り、ちゃんと対策はあるのだと思いたい。不安そうなみやかに対し、井槌は気の抜けた調子である。
「あー、心配ねえよ。夏樹は芳彦先輩の血を一番よく継いでるからな。いざって時に助けてくれる奴もいるさ」
井槌は夏樹とも古くから交友がある。そういう人が大丈夫だと言うのなら、信じてもいいのかもしれない。
少しだけ安堵し、けれど状況は決して良くはない。
吉隠は動き出し、都市伝説の怪人はおそらく、みやか達を優先的に狙ってくる。
しかし肝心の甚夜はまだ寝込んでおり、別室では麻衣が彼の世話をしてくれている。
拝殿ではみやかと井槌、柳の三人で頭を悩ませている。みやかは甚夜を心配してはいても引け目から傍には行けず、柳はそんな彼女を難しい顔で眺めていた。
「おじゃま、します」
その時、拝殿の床がぎしりと鳴った。
驚いてそちらに視線を向ければ、先程の少女。溜那がそこにいた。
甚夜とは違い初めから携帯を持っていたらしく、連絡を受けた彼女も神社へ一度足を運んだ。
見たところ傷はなく、服の右袖が破れているところを除けば別段変わった様子はない。とてとてと歩く彼女は、先程まで戦いに興じていたとは思えぬ程。汗もかかず涼しげな表情である。
「おう、溜那。帰ってきたか」
「ん。ごめん、逃がした」
「まあ仕方ねえさ。あいつはそういうとこ抜け目ねえしな」
都市伝説の怪人は全て潰してきたが、吉隠は逃がしてしまった。
正確に言えば、捏造怪人を囮にまんまと逃げ果せた、と言うべきか。彼女の無事に安心はするも、結局元凶はそのまま。室内の空気も重苦しいままだった。
「あの、先程はありがとうございました。助けてくれて。それで、その。大丈夫、でしたか?」
「ん?」
「あ、いえ。あそこには、せんせ……コトリバコが」
みやかはおずおずと溜那へ話しかける。
危機を救ってくれた少女。無事だったのは純粋によかったと思える。しかしあそこには白峰八千枝が、コトリバコの存在があった。
女と子供を殺す究極の呪詛。その範疇にいるであろう溜那は、全ての都市伝説を蹴散らし、こうして平然と帰ってきた。それが不思議だった。
「呪いはきかない。私はコドクノカゴだから」
「え?」
「黒い紙を黒く塗っても黒いまま。それといっしょ。どんな呪いでも私は塗りつぶせない」
それも当然、彼女はコドクノカゴ。魔を受け入れ魔を宿す、その為の器。
他ならぬ吉隠によって死者の念を注ぎ込まれ完成した、人造の鬼神である。
故に呪い、特に死者の無念を利用した呪詛の類は、溜那には意味を為さない。
そもそも彼女自身が極大の呪詛を受けて生まれた存在である以上、“まっとうな”呪いでは彼女を殺すには至らないのだ。
「ま、特異体質とでも思っといてくれや」
「そう。あと、あなたに言っておかないと」
溜那の目はまっすぐにみやかを見ている。
当然ながら、二人に面識はない。先程出会ったばかり、挨拶もそこそこ。個人的に話すような内容はなく、だから一瞬戸惑う。
けれど少女が口にした言葉が、がつんとみやかの頭を殴った。
「伝言。『ごめんね、姫川。男の子にも、ありがとう』って。最後に、そう言ってた」
吉隠以外の都市伝説は全て蹴散らしてきた。
だから、コトリバコと産女の合成、その最後も溜那は見た。
母の愛が際限なく被害を広げる最悪の怪異。幸運にも彼女はその呪いで誰かを殺すことなく、無為のまま消えていった。
最後に残した言葉は、子供へではなく生徒へ。
悲しませてしまったかつての教え子への謝罪と、終わらせてくれた男の子へのお礼だった。
「そ、う。です、か……」
「ん」
溜那は、みやかと八千枝の関係を知らない。
だから内心を察することはできない。それでも何かを感じ取ったのか、伝言の後はみやかの顔も見ずに離れた。
正直、有難かった。多分ひどい顔をしている。隠すように手で覆い、俯いて嗚咽を漏らす。
でも零れそうになる涙は我慢した。
今はそういう状況じゃない。泣くのは後でいいし、聞き分けのない子供ではいたくない。ぐっと唇を噛んで堪え、目元を大雑把に拭い、みやかは顔を上げる。
悲しみは無理矢理に押さえつける。強がりでもそれでいい。今は当面の問題にだけ目を向けようと、必死に奥歯を噛み締めた。
「じいやは?」
「今は別室で寝てる。流石に辛そうだな」
甚夜はみやかの代わりにコトリバコの呪詛を受けた。
老齢の男性とはいえ“ハッカイ”は強烈で、未だに目を覚まさない。先程の一合で討ち取れればよかった。
けれど吉隠を逃がしたというのなら。
「……たぶん、吉隠は、今晩中にここへ来る」
溜那は、よく通る綺麗な声でそう言った。
空気が一段冷えて、ごくりと誰かが息を飲んだ。
「でも、こう言ったらなんだけど、態々? なんか葛野が動けないんだから、こっちには手を出さず違うところで暴れそうなもんだけど。それに、日を置いての方がいいと思うし」
疑問を呈したのは柳だった。
聞いた話だけで接したことのない彼に、吉隠の心根までは分からない。それでも甚夜らの語る話から感じた印象は、直接的な行動よりも回りくどい嫌がらせを選びそうなタイプである。
そういう相手ならば、もっとじっくりと責め立てる方が“らしい”とは思う。
溜那は一度頭を捻ったものの、やはり答えは変わらず、ふるふると可愛らしく首を横に振る。
「ううん、あれはじいやのことを警戒してるし、性格が悪いから。じいやが動けないうちに全部を終わらせる」
「警戒はともかく、性格が悪いからってのは?」
「趣味の話。手遅れになってから現実を突きつける。そういうのが好み」
吉隠の目的は甚夜。白峰八千枝を殺し、姫川みやか達を狙ったのは、あくまでも彼を苦しめるための手段に過ぎない。
そういう意味では、ここまでは吉隠の思惑通りに事態が動いている。
八千枝の死にみやかは甚夜を責められ、コトリバコにより動けない状態。
あとは彼が目覚める前にみやか達を蹂躙すれば、吉隠は最高の成果を得られる。
望んだのは無様に這いつくばり、むせび泣く情けない姿。
かつての仇敵の絶望を以って、吉隠の八つ当たりは終わりを迎える。
だから必ず、今晩の内に此処へ。正確には、みやかや柳らの命を奪いに来る。
それはつまり、溜那や井槌ならばどうにでもなると踏んでいるのだ。
「なあ、実際にやり合ってどうだ? 吉隠のやつを倒せるか?」
「……ちょっと難しい」
「お前でも?」
「持久力の問題。吉隠は、負の念を“溜め込む”。強い弱いより、長引いたら多分私が先に力尽きる」
吉隠の<力>は二つ。
負の感情を物理的な干渉力に変える<織女>と、自分以外の対象一人を死なせない<戯具>。
後者はともかく、前者は厄介だ。おそらく事を起こす前に、奴は入念に準備を整えている。例えば全力で戦っても<織女>が途中でガス欠にならぬよう、数多の人を殺し負の感情を集める、その程度のことはやっているだろう。
だとしたら持久戦になれば不利。能力で劣っているとは思わないが、捏造された都市伝説を相手取りながら吉隠と戦えば少し辛い。向こうの戦い方次第では、力の強弱以前に最後までもたない可能性がある。
「最低でも、余計なのを誰かに相手してもらわないと、多分どうにもならない」
「ああ、だから“手が足りない”。マガツメの娘はよく見てらぁ。ん? つっても、岡田のヤツは一対一であいつを追い込んだそうだが」
「……あの頃とは違う。あれは、もう化け物。普通じゃなくなってる」
みやかには今一つ納得はできなかった。先程の一幕を見たところ、吉隠の体術は甚夜よりも下。ならば化け物と表現するほどではないような気もする。
それでも、実際に対峙した溜那の声は重々しい。みやかには分からない何かを感じ取っているのか、口元を真一文字に引き締めていた。
「そんならさ、あたしや富島で援護したらどうにかなる?」
「みやかちゃん、おじゃましまーす」
話の途中でそんなことを言ったのは、遅れてやってきた萌だった。
口裂け三姉妹を退けた萌と薫は、柳からの連絡を受け甚太神社へと訪れた。その後ろには、もう一人。連絡はなかったが、みやかも知った顔の姿があった。
「……三浦さん?」
萌の行きつけの花屋の店長、三浦ふうである。
みやかの疑問に薫が先回りし、「あ、来る途中で偶然会ってね。甚くんのこと心配してたから一緒に来てもらったんだ」と明るい調子で答える。
年下相手でも丁寧に頭を下げた店長は、なんとも表現しにくい、緩やかな笑みを浮かべている。
「こんばんは、姫川さん。厚かましくもお邪魔させていただきました」
「あ、いえ。それはいいんですけど」
「甚夜君が、大変だと聞いて。なにかお力に成れればと」
彼女はそう言ってくれるが、普通の人である店長には、そもそもみやかや薫にも、出来ることなど殆どない。
ただ、おふうもまた甚夜の旧知であるならば、吉隠が狙う対象には成り得る。
だとすれば此処に来てくれたのは案外都合がいいのかもしれない。
「といっても、私に何ができるという訳でもありませんが」
「なに言ってんのてんちょー、出来る出来ないじゃないっしょ、こういうのは。ね、みやか?」
「……うん、そうだと思う。三浦さん、来てくれて、ありがとうございます」
そうだ、出来る出来ないの話ではない。
大切なのはもっと違うこと。それを改めて知り、みやかの目には少し力が戻った。
ちゃんと、大切なのは何か、思い出したのだ。
「で、どう? あたしや富島で捏造された都市伝説は引き受ける。そんで、吉隠と一対一それなら」
「やってみないと分からない」
「裏を返せば、やる価値はあるんじゃない?」
「ん」
萌は挨拶もせず溜那に向き直り、けれど相手も然程気にした様子はない。
お互い余裕はないと知っている。ゆっくり話すのは後でいい。だから文句など出てくるはずもなく、曖昧にではあるが、前向きな意見を返してくれた。
「いやあ、そこは俺も数に入れてくれると有難いんだが」
「なら、早速だな」
井槌も案外乗り気なようで豪快に笑っている。
少しだけ空気が緩み、その中で柳が立ち上がり外を睨みつけた。
<ひきこさん>は敵意に敏感。だから彼が一番早く反応し、遅れて気付いた面々も弾かれたように拝殿の外へ飛び出す。
「みやかに薫、てんちょーも。出てきちゃ駄目だよ」
「萌……」
「だーいじょうぶ。甚と一緒に待ってて。まだ寝てるんでしょ? その間に終わらせてくるから」
にっかりと萌は笑い、彼女も戦場へと躍り出る。
境内にはやはりというか、吉隠の姿があった。
「あ、よかった。溜那ちゃんに井槌。それに子供達も。皆お揃いだね」
現れた吉隠の周囲には、都市伝説の怪人は僅か二体。
対峙するのは井槌を中心に溜那、萌と柳。数の上ではこちらが上だ。
戦力は集中している。にも拘らず吉隠の態度は崩れない。
溜那と一度はやりあった。それでいてあの余裕。相応の自信がある証拠だろう。
境内の空気はぴんと張りつめている。溜那や井槌はともかく、いくら力はあっても萌や柳は高校一年生。まだこういった場には慣れていないのか、強大な敵の圧力に押され、微かに冷や汗を流していた。
「おう、余裕じゃねえか。見たところ、連れは少なねえようだが」
「あはは、さっき溜那ちゃんに大分やられたから。ちょっと心許ないし、ボクも全力でやらないといけなくなっちゃったや」
睨みつけられても、響く笑い声は実に朗らか。
それが、辛かったのかもしれない。井槌はかつての同僚に、痛ましく顔を歪めながら語り掛ける。
「なあ、吉隠よ。なんでお前はこんなことをする?」
「なんでって……甚太くんは叡善さんを殺して、ボクたちの計画を邪魔して。ボク自身も斬られて。恨みつらみはあって当然じゃない?」
「だから、ガキどもを殺すってか?」
「まあそこだけ見たらそうだけどね。そっちの方が愉しいし」
愉しい、という表現に奥歯を強く噛み締める。
吉隠の言葉に嘘はない。共に肩を並べたことがあった。一緒に酒を呑んだことも。その時と同じような明るさ、吉隠は心底愉しそうだ。
「目が覚めた時、みぃんな亡くなってたら、どんな顔するだろう? 想像するだけで笑えてくるよね」
「お前は、そんなことの為に」
「そんなことってひどいね。娯楽っていうのは、そもそも無駄だし意味なんてないものだよ。寧ろそっちの方が健全だと思うな」
例えば漫画を読むのもゲームをするのも、旅行に行ったりスポーツをしたり、皆でどこかへ出かけたり。
時間の無駄で、大した意味もなく。けれど愉しいのが娯楽だ。
それと同じ。確かに非合理で、為したところで得られるものはない。態々やる必要性は欠片もなく、非常に手間だ。
だとしても、だからこそ、愉しいのだと吉隠は言う。
捏造した都市伝説をばら撒き、白峰八千枝を殺し、「お前のせいだ」と周囲の親しい人に責められ、果てに全てを失い。
かつて苦渋を味わわせてくれた男の無様は、この上ない娯楽だと朗らかに笑っていた。
「井槌、むだ」
「……分かってる。分かっちまったよ」
話は通じない。こんなにも、遠い。
本当は少しだけ期待していた。大正の頃は志を同じくした。ならば、説得にも応じてくれるのではないか。
一緒に酒を呑んで、飯を食って。ああ、キネマも見に行ったか。そういう過去があったから、まだどうにかなるのではと勘違いしていた。
けれどもう無理だ。こいつは既に、或いは出会ったその時にもう。越えてはいけない線というやつをきっちり超えてしまっている。
「まわりは任せる。私は」
「おっけ、お願い」
ずいと一歩、溜那が前に出る。
それに合わせて萌と柳、井槌はそれぞれ都市伝説の怪人を睨みつけた。
けれど相変わらず吉隠は笑顔で。
「なら、始めようか」
軽い物言いと共に、纏う気配が一変した。
黒い瘴気が吉隠を包む。彼の鬼の<力>は<織女>、その特性は“想いを操る”こと。
想いというのはなにも美しいものばかりではない。
後悔無念、悪意殺意、嫉妬憎悪。負の感情もまた、想いであることには変わりない。
<織女>は、自身の、そして他者の想いを取り込んで物理的な干渉へと変換する<力>。
例えば自身の憎しみ、或いは無惨に死んでいった者達の無念。
物理的な威力を持つにまで至った、負の感情。それが黒い瘴気の正体であり、想いを形にするという<力>の本質。
つまり<織女>とは、比喩表現ではなく、悪意で誰かを傷付ける<力>なのだ。
「ねえ、なんかこれおかしくない?」
「あ、ああ……」
けれど今目の前で起きている現象は、何か妙だ。初めて見る萌や柳もその異常さを察した。
井槌もまた、体をこわばらせ警戒している。唯一表情を変えないのは溜那だけ。
「吉隠は化け物だ」と彼女は言った。
或いは溜那はあの鬼の変化に初めから気付いていたのかもしれない。
『そもそもさ、ボクは前に鬼喰らいに負けてる訳で。だったら当然、勝つための手段は探すよ。どんなに策を巡らせても、最終的に物を言うのは“げんこつ”だと思うからね』
故に、自身の力を高めることは忘れていない。
ただ単純な体術を鍛えるのではなく、<織女>を突き詰めた。
通常の戦い方では剣術に長けた鬼喰らいには届かない。だからより強く、人でも鬼でも届かぬ、圧倒的な“何か”を願い模索した。
その結末が此処にある。
負の感情で体躯を満たし、<織女>で捻じ曲げ、その存在を人でも鬼でもないものと為る。
即ち“己を都市伝説へと変える”。
マガツメでもコドクノカゴでもない。新しい神話の主、現代の鬼神への変化をこそ、吉隠は目指した。
「……ごめんなさい。ちょっと読み違えてたかも」
“それ”を目にした溜那は、困ったようにそう零した。
まず目についたのは六本の腕。上半身の吉隠とほとんど変わらないが、六本の腕が生えた異形となってしまっている。
続けて下半身に目をやれば、蛇。ラミアやエキドナなどのような、人間と蛇を組み合わせた姿。
その異形も然ることながら、眼前の鬼は彼女でさえ動揺するくらいに凶悪な気配を放っている。
あれは、まずい。
言葉にしなくても、誰もが理解した。
『なんかヤな感じだけど、蛇と巫女。ボクと一番相性のいい都市伝説って、やっぱり<かんかんだら>なんだよねぇ』
今の吉隠は、真実“化け物”なのだと。
* * *
《かんかんだら》
好奇心から立ち入り禁止区域に足を踏み入れた三人の中学生が遭遇した怪異。
封じられた、堕ちた巫女の都市伝説。
かんかんだらは蛇と巫女の合成。上半身は腕が六本あるものの人間の女性の姿、下半身は蛇の姿をしているとされる。
非常に危険な化け物であり、特に彼女の下半身を見た者は決して助からないという。
その始まりは遠い昔、未だ怪異が力を持っていた頃のこと。
ある地方の村は、人を食らう大蛇に悩まされていた。村人は大蛇を恐れ、神の子として様々な力を代々受け継いでいた巫女に退治を依頼した。
優しく美しい巫女は村人の安寧を願い、大蛇の討伐に赴く。
村人達が陰から見守る中、巫女は大蛇を退治すべく懸命に立ち向かった。
しかし彼の怪異は非常に強力、僅かな隙をつかれ、巫女は大蛇に下半身を食われてしまった。
それでも諦めることはなかった。
自分はこのまま死ぬ。だけど村人達の為にも負ける訳にはいかない。せめてあの大蛇だけは、倒さねば。
決意を胸に、最後の力を振り絞り、巫女は村人を守ろうと様々な術を使い、必死に怪異へ食らいつく。
けれど優しい巫女の心は容易く踏み躙られる。
他ならぬ、村人たちによって。
『大蛇様、お願いです。この巫女を生贄と捧げますので、どうか村の者には手を出さないでください』
下半身を失っては勝ち目がないと決め込んだ村人達は、事もあろうに、巫女を生け贄にするから村の安全を保障してほしいと大蛇に持ちかけた。
強い力を持つ巫女を疎ましく思っていた大蛇はそれを承諾、食べやすいようにと村人達に腕を切り落とさせ、達磨状態の巫女を食らった。
『なぜ、こんなことを』
『うるさい。負けるお前が悪いのだ、この役立たずが』
身命を賭し守ろうとした村人に裏切られ、巫女は蛇に喰われ無残な最期を迎える。
こうして、村人達は一時の平穏を得たのだ。
後になって分かったことだが、これは全て巫女の家族が思案した計画だったという。
美しく能力も高い巫女に嫉妬した家族は、彼女の存在を邪魔に思っていた。だから人では到底倒せない大蛇だと知りながら、巫女を其処へと遣わしたらしい。
この時の巫女の家族は六人。異変はすぐに起きた。
大蛇がある日から姿を見せなくなり、襲うものがいなくなったはずの村で、次々と人が死んでいく。
村の中で、山の中で、森の中で。
死んだ者達はみな、右腕か左腕のどちらかが無くなっていた。
裏切られた巫女は怨念から大蛇と同化し、<かんかんだら>と呼ばれる存在へと変じていた。
結局村人と巫女の家族の殆どが死亡。
生き残った四人は、巫女の家で怨念を鎮めるためのありとあらゆる事柄を調べ、結果どうにかかんかんだらを鎮めた。
村人にとってかんかんだらは、自身を救おうとしてくれた巫女ではなく、危害を加える化け物でしかなかったのである。
自身を疎んだ家族と村人によって怪異となり、巫女の力を以って封じられた。
かんかんだらは優しく美しい巫覡の、慈愛の行き着く先を語る哀れな都市伝説。
人を愛し、人に切り捨てられた巫女の成れの果てである。
* * *
吉隠はミヅチの巫女。
蛇と巫女の都市伝説である<かんかんだら>とは非常に相性が良く、だからこそ強大。
異形と化しても、彼の鬼は相変わらず笑顔のままで。
『さ、終わらせようか。寝てる甚太くんが目を覚ます前に』
高らかに雄叫びを上げた。




