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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

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『In Summer Days』・2




【皆で海に】


「わー、可愛い赤ちゃんだなぁ。お母さん、この子名前なんて言うの? 何歳?」

「翔。一歳になるよ」

「いいなぁ、ボクも欲しいなぁ。モノは相談、この子くれない?」

「あはは、流石にそれはないわ」


 近所の『みさき公園』を通りがかった時、若い女の子……男の子? にそんなことを言われた。

 高校生、大学生。それくらいだろうか。整った中性的な容姿、声も判別がつきにくい。

 こういった反応を見せる辺り多分女の子なんだろうけど、流石に愛息子をくれと言われてもあげる訳にはいかない。


「ちぇ、残念だなぁ。それじゃあ、お散歩の邪魔しちゃってごめんねー。またね、翔くん、翔くんママさん」

 

 勿論、相手も冗談だ。

 気にした様子もなく、ちょっとだけ名残惜しかったのか、何度も息子に手を振って去っていく。

 中性的で不思議な感じの子だったが、子供が好きなんだろう。子供好きに悪い人はいない。

 八千枝は息子を褒められたのが嬉しくて、自然と鼻歌混じりになった。


「赤ちゃん、もう一人欲しいなぁ」


 去っていった中性的な若者……吉隠は、そうぼやいた。







 この春から教職に復帰した白峰しらみね八千枝やちえは、教師という仕事の関係上昼間ほとんど家におらず、愛息子の翔との触れ合いの少なさを気にしていた。

 ならば仕事を辞めればいいだろうと思われるかもしれないが、そこは切実。ぶっちゃけて言うと、家計の為仕方ない部分がある。

 パートタイムではあまり稼げないし、夫に関してはその、明言は避けるが、あれもんでそれもんで、つまり収入がちょっとばかり低い。

 子供が生まれた今、八千枝の稼ぎがないというのは致命的。まだ物心つかない息子を可哀そうとは思うが、彼女は再び教職に復帰した。

 幸いにも昼間は八千枝の母が翔の面倒をみてくれている。しかし母として、息子と共にいられないのはやはり寂しく、夏休みに入り多少仕事が減った今、普段の分を取り返そうとしていた。

 高校は寧ろ夏季休業時の方が忙しい。ただ八千枝は中学教師、復帰したばかりで部活の顧問などもしていない。申し訳なくはあるが、同僚達よりは余裕があり、その大半を息子との時間に充てていた。


 そういった経緯で、今日は一歳になる息子、翔と駅前のデパートへ買い物。

 ベビーカーには日除けを完備、自身もUVケアは完璧。子供が日差しで辛い思いをするのは嫌だし、お肌の曲がり角が近付いている身、夏は結構な天敵である。

 途中公園で、男の子とも女の子とも付かない、中性的な若人に止められたが、息子を褒められご満悦。

 鼻歌混じりに向かうのは、駅前にある全国展開する有名デパート『須賀屋』だ。

 なんでも東京に本舗を構え、江戸時代から続く老舗だとか。

 まあ特に思い入れがある訳ではないが、デパ地下は結構な頻度で利用する。決して料理が下手なわけではない。ただ、ああいったところの惣菜には手作りでは出さない味があるのだ。


「アキちゃんすごいだいたーん!」

「でしょ? もうカムヒアってなもんよ。てーか、みやかもちょっとは冒険しようよ。これとかいいじゃない?」

「それ水着よりも布、というか、ほぼ紐なんだけど。私は麻衣とあっちのを見てくるね?」

「は、はい、みやかさん」

「ダメー、そっちはワンピースばっかだよ? よっしーも、富島君を釘付けにするようなの選んじゃおうよ」

「く、釘付け?」

「久美子、いいこと言った。あんだけの良物件なかなかいないよ? ちゃんと唾付けとかないと」

「やなぎくんは、物じゃないよ」

「いや、別に馬鹿にした訳じゃ……麻衣ってさ、いざってときは案外強いよね」

「そりゃあ、ひきこさんに立ち向かうくらいだしねー」


 なんだか気分が乗って訪れたデパート須賀屋三階、婦人服売り場。

 夏ということもありその一角が水着売り場になっている。この年齢ではああいった極彩色に取り囲まれるのは若干辛く、けれど聞こえてきた声にふと目を向ければ、見覚えのある顔がちらほら。

 向こうも気づいたようで視線が合うと、少しだけ恥ずかしそうにお辞儀をしてくれた。


「こんにちは、白峰先生」

「はい、こんにちは。姫川は、友達と買物?」

「はい。同じクラスの子達と、海に行くことになって。水着を見に来ました」


 みやかが梓屋薫と一緒にいるのはいつものこと。しかし今日は見た目遊んでいる風のギャル、物静かな女の子とバラエティに富んだメンバーである。

 それに、新しい友達と皆で海。一年とはいえ受け持った大切な生徒、高校でもうまくやっていると知れて少し安心した。

 まあ赤マントの噂を追ったりと、ちょっとだけ心配になる点はあるが、そこらはあの保護者っぽい男の子が手綱を握ってくれると信じよう。


「あ、せんせー! 先生も買い物?」

「おー、梓屋。あんたは元気だねぇ」


 八千枝のことを見つけると、薫はぱたぱたと小走りで駆け寄ってくる。

 よく言えば無邪気、悪く言えば落ち着きのない。ともかく、高校生になっても相変わらずのようだ。

 多少騒ぎすぎるきらいもあるが、「翔くんもこんにちはー」なんてベビーカーにいる息子にもしっかり挨拶をする辺り、いい子であることは間違いなく、やはり八千枝にとっては大切な生徒の一人だった。


「あんたも新しい水着?」

「はいっ、今度みんなで海に行くんだー。あ、先生も一緒にどう?」

「あはは。遠慮しとくよ。お誘いは嬉しいけど、息子もいることだしね」

「そっか、残念」


 むー、と唇を突き出し、ちょっと肩を落とす姿に、社交辞令ではなく本当に誘ってくれていたのだと分かる。

 こういうところは、本人は意識していないようだが、梓屋薫の得難い才能だ。

 できればこのまま変にひねくれず、まっすぐ成長してほしいと八千枝は思う。


「あ、そだ。みやかちゃん! アキちゃんがねー、あっちで似合うの選んでくれるって!」

「……その、大丈夫なやつ?」

「うん、多分。麻衣ちゃんのもフリルのワンピースだったし」

「それなら、お願いしようかな。それじゃ先生、失礼します」

「せんせー、またねー!」


 薫に案内されて、更衣室の方へ二人てこてこ歩いていく。

 高校生になっても二人は仲がいいようで、何となく微笑ましい気分になる。

 花柄フリルのチューブトップに、黒のフリンジビキニ。ギャル風の女の子は両手に水着を持って、みやかが来るのを待っていた。

 両方ともフリルなどで胸元をカバーできるデザイン。外見とは裏腹に、結構気を遣うタイプらしい。


「おすすめはフリンジビキニの方かなー。みやかは肌白くて細いし、黒が絶対映えるって」

「ちょっと、過激じゃない?」

「今時こんくらいフツーっしょ」


 二つを見比べ真剣に悩むみやか。その隣では大人しそうな女の子と薫がどれにしようか、なんてのんびり商品を眺めていた。

 女の子四人、ああでもないこうでもないとはしゃぎながら水着を選ぶ。

 カラフルな売り場ということを差し引いても華やかな光景である。


「若いっていいねー」


 その景色が、なんだかとても嬉しく感じられて。

 八千枝は息子の翔の頭を撫でながら軽やかに呟いた。




 ◆




「納得いかない」


 そうして当日の朝。

 もきゅもきゅと朝ごはんを食べながら不満げにしているのは、藤堂夏樹の二つ下の妹、里香である。

 水泳部に所属する元気で可愛らしい妹は、しかし今朝は思い切り機嫌を損ねていた。

 というのも里香は夏樹にとても懐いており、海へ一緒に連れて行ってくれないことが納得できないらしい。


「いや、だからな? クラスの皆で行くんだから、連れていける訳ないだろ?」

「えー、甚さまだって来るのにー」

「いや、じいちゃんもクラスメイトだから。信じられないことに」


 夏樹の妹なのだから、当然甚夜とも面識がある。

 その分余計にハブられてる感が強いらしく、仕方ないと分かってはいるがふくれっ面。「甚さまに頼めば……」とか呟いているが絶対やめてくれ。涙目で頼まれたら、なんだかんだ甘い彼が断り切れる訳ないのである。

 ちなみに里香は甚夜のことを「甚さま」と呼ぶ。

 なんで様付け? と聞けば「大先輩だし」と返ってきた。あれである。この妹と鬼では鬼の方が先輩のようだ。


「って、やば! 悪い、行ってくる。埋め合わせは今度するからさ」

「いってらっしゃーい、お土産はいらないから怪我しないで帰ってきてねー」

「おー」


 ということで夏樹は一気に朝食を食べ終え、荷物を抱え、待ち合わせ場所の駅前へと急ぐ。

 家を出た瞬間、午前中とはいえ、強すぎる日差しに目が眩んだ。

 噎せ返るそうになるくらい濃い緑の香り、降り注ぐセミの声。見上げれば雲一つない重厚な青空、午後は多分かなり暑くなる。正しく絶好の日和というやつだ。

 今日はクラスメイトが集まって海へ遊びに出かける。

 リーダーは姫川みやか。

 もっとも発案は梓屋薫なのだが、細かい計画を立てるのは苦手らしく、親友に丸投げしたらしい。

 メンバーはその二人に、甚夜と桃恵萌。富島柳と吉岡麻衣。夏樹も誘われ、それならと幼馴染の根来音久美子にも声をかけ、計八人。

 ああ、いや。最初は電車で行く予定だったのだが、萌の知り合いが車を出してもらえることになり、最終的には九人になった。

 結構な大人数、件の知り合いは態々ステップワゴンを借りてくれたらしく、なんともありがたい話である。

 件の知り合いは四十を超えているらしく、今回の保護者ということになるのだろうか。

 年齢的にはじいちゃんの方が上でも、生憎と彼はどう見ても高校生。頼りになるのは間違いないが、世間的には保護者としては微妙である。

 そういう意味では年相応の外見をした大人の付き添いは、案外いいのかもしれない。


「初めまして。三浦ふうと申します。今日はよろしくお願いしますね」


 ……なんて考えながら到着した駅前。

 大型のステップワゴンを準備してくれた四十を超えるという萌の知り合いは、どう頑張ってもくらい中学生にしか見えない、すらりとした立ち姿がきれいな娘さんだった。

 彼女は三浦ふう。

 なんでも萌の行きつけの花屋の店長らしく、みやかとも面識があり、今回運転手役を買って出てくれたとのこと。

 正直助かるのだが、「三浦ふう」という名前には、なんか聞き覚えがあった。


「なっき、おはよ」

「……おはよう、みこ」

「どしたの? なんかてんちょーさん、じっと見ちゃって」

「ああ、いや」


 久美子に声をかけられるも、夏樹の視線は三浦ふうなる女性に注がれている。

 小柄な、梓屋薫よりも更に小さい女性。立ち振る舞いは落ち着いていて、容姿はあまりに若々しいが、年上と言われればそんな気もする。

 しかし四十をこえているとは思えない彼女の若さ以上に、気になる点があった。


「ごめんね、てんちょー。使っちゃってさ」

「いえ。折角の夏ですから、私も海に行きたいと思っていたんですよ。むしろこんなおばさんが混じってしまって、こちらこそ申し訳ありません」

「えー、三浦さん全然若いよ。ね、みやかちゃん?」

「うん。最初見た時、学生かと思った」

「あらあら、皆さんお世辞がお上手ですね」


 もえもえと店長、みやかと薫がきゃいきゃいとお喋りをしているうちに、夏樹は甚夜の傍まで寄ってそっと耳打ち。

 そう、彼には聞き覚えがある。

「三浦」に「ふう」という名前の、花に関わりのある女性。どちらも子供のころ甚夜に聞かせてもらった昔話の登場人物なのだ。

 

「なあ、じいちゃん。確かさ、三浦って蕎麦打ち教えてくれた人だったよな? んで、その人の娘さんが鬼女で、名前が」

「ああ、おふうだな」

「あ、やっぱり」


 どうやら正解だったらしい。

 おふうというのは随分と昔に甚夜が語ってくれた、行きつけの蕎麦屋の娘の筈だ。

 全てを失い鬼女となりながら、三浦という武士に救われ親娘となった。

 そして花について教えてくれた、大切な女性の名前。

 夏樹が覚えていたのも、彼女のことを口にする甚夜の目が、あまりにも優しかったからだった。


「今日はよろしくお願いしますね、葛野君」

「ああ、こちらこそ。三浦さん」


 まるで初対面のような挨拶。返す甚夜も態々「三浦さん」と呼んだ。

 おふうのそれは鬼女であると悟られない為……ではない。悪戯っぽい微笑み、つまりちょっとしたからかいであると夏樹は判断した。

 事実、甚夜も小さく笑みを落とした。なんと言おう、口にしないでも分かり合っているというか、二者の間には不思議な雰囲気がある。

 それをみやか達も感じ取ったようで、なにやら怪訝そうな顔をしていた。


「悪い、遅れた」

「ご、ごめんね、みんな」


 そうこうしているうちに柳と麻衣が到着し、これで全員揃った。

 みやかは今一つ納得し切れていない様子だったが、問い詰めても仕方ないと思ったのだろう。

 頷き一つ、気を取り直して、音頭をとる。


「それじゃ皆そろったことだし。三浦さん、お願いします」

「はい。皆さん、車に乗ってもらえますか?」


 ちょっといきなり面食らうこともあったが、折角の海だ。楽しまなければ損だろう。

 ようやく全員揃って、荷物を抱え車に乗り込み、皆で海へ出発である。






【みんなの水着】


 日帰りの予定の為、みやか達は県内の海水浴場を選んだ。

 兵庫県明石市、林崎。

 東西に延びた海岸線、夏休みということもあって家族連れや若いカップルも多い。

近場ではあるが、砂浜から明石海峡大橋や淡路島が一望でき、景観は良好。水質も綺麗な海水浴場だった。


「あたしら更衣室行ってくるから、男子は荷物お願いねー」


 萌に言いつけられた男子達は、車内で手早く着替えを済ませ荷物を運ぶ。

 まあこういう場合女の子が優先されるのは仕方ないだろう。

 それに、老齢の甚夜はともかく、夏樹と柳はお年頃。クラスの女子五人の水着姿が見られるのだ、多少の扱いの悪さなんぞ大した問題ではない。


「なんか新しい水着を買ったって話ですよ富島君」

「ああ、そんなこと言ってたな。ていうか藤堂、なんで敬語?」

「うるさい。冷静にしやがって。くそう、これだからモテるやつは」

「理不尽すぎるだろ……」


 特に緊張した様子のない柳に、悔しそうな夏樹の暴言がぶつけられる。

 もっとも、甚夜から見れば夏樹も十分モテている。メリーさんの電話、口裂け女、コインロッカーベイビー、トイレの花子さん。多種多様な女性から好意を向けられているのだから。

 勿論、口にはしない。それを嫌がるような彼ではないが、言えば微妙な顔をするだろうことは容易に想像がついた。


「夏樹、照れ隠しの冗談はそこまで。みやか達が来る前に準備を整えてしまおう」

「うん、じいちゃん。その通りではあるんだけど、そうはっきり言われると恥ずかしいというか……て、準備?」


 水着の女子五人に緊張しての冗談は、ものの見事に看破されてしまっていた。

 甚夜の言う“準備”が理解できず夏樹は一瞬戸惑うが、柳の方は「ああ、そうだな」と動き出す。

 手荷物の中から取り出したレジャーシートを敷き、風で飛んでいかないよう持ってきたクーラーボックスを重しにする。

 その間に甚夜がパラソルをレンタルしてきて、砂浜に突き刺して、しっかりと固定した。

 今度はミネラルウォーターが冷えているのを確認、タオルも用意している。柳の手には麦わら帽子が。


「こんなものか」

「ああ、取り敢えずは。なんか、悪いな葛野」

「いや、気にしているのは私も同じだからな」


 妙にお互い分かり合った感じで、流れるように準備を終えた二人。結局夏樹は見ているだけだった。

 貴重品は車の中、休息場所も陣取った。粗方用意は整い、ちょうどそのタイミングで、女子五人とおふうが着替えを終えて砂浜にやってきた。


「お待たせー。お、ちゃんと色々してくれてんじゃん」


 まずは桃恵萌。

 クラスの中でもトップクラスのスタイルの持ち主だけに水着姿も圧巻だ

 ブルーの布地にブラックのレースをあしらったホルターネックビキニ。着こなした萌は高校一年生とは思えないくらいの色気を醸し出していた。


「ごめん。準備殆ど任せちゃって」

「なっき、お待ちどうさまー」


 久美子はパンツタイプ。萌には劣るがスタイルはよく、活発そうな印象の水着は彼女によく似合っている。

 みやかは黒のフリンジビキニ。胸元の膨らみはあまりないが、すらりとした細身、スタイル自体は決して悪くない。前の二人とは違うが、十分すぎるくらい綺麗な体をしていた。

 最後に来た薫や麻衣は、二人ともワンピースタイプで露出は少なく、顔立ちも体付きもまだまだ幼いといった印象。とはいえその分可愛らしいとも言える。


「へっへー、どうよ、甚」

「ああ、綺麗だよ。善からぬ輩が寄ってこないか心配になるくらいだ」

「意外とさ、平然と褒めるよね。いや、嬉しいけどさー、もうちょっと照れてくれても」


 さらりと褒める甚夜に、萌は少し頬を赤く染めながらにやけている。

 とはいえちょっとだけ不満そうに唇を突き出すのは、あまりに冷静だからだろう。

 せっかくのセクシーな水着、甚夜が慌てふためき意識してくれるのを期待していたのかもしれない。


「みやかも、よく似合っている。梓屋は、随分可愛らしいのを選んだな」

「ん、ありがと」

「うん、アキちゃんに手伝ってもらったんだー」


 みやかはあまり表情が変わらず、しかしそっぽを向いてしまった辺り、やはり照れているようだ。薫の方は頭を撫でられ、無邪気に喜んでいる。

 それからも甚夜と柳は他の女子達のことをちゃんと一言ずつ褒めていく。

 こいつら、なんか手慣れてんな畜生。

 ちなみに夏樹はというと、幼馴染の久美子から「ねえねえ、なっき。私にはなんかないの?」と問われても、たどたどしく「あー、似合って、るぞ?」と返すのが精一杯。とてもではないが彼らのような振る舞いはできそうもなかった。


「お前は、着替えなかったのか?」

「ええ、おばさんが若い子に混じるのはどうにも」

「そう言われると、私が空気を読めていないみたいじゃないか」

「あら、甚夜君は高校生なのだからいいでしょう?」


 おふうだけは水着に着替えていなかった。

 泳げないし、荷物の番をしているから気にしないでとのこと。

 有難い反面、申し訳なくもある。けれど一番気になったのは、やけに甚夜と親しげなところだろうか。

 楽しそうに話している訳ではないが、おふうといる時は、ふっと息を抜く瞬間がある。

 恋人のような距離の近さ、友人のような気安さとも違う、表現しにくいなにか。普段から冷静な彼だけに、それが意外に思える。


「ねえねえ、みやか?」

「なに、萌?」

「あの二人さ、なんアヤしくない?」

「あやしいって……親しそうだとは思うけど」

「だよね?」


 萌は二人のゆったりとした遣り取りをじぃっと凝視している。

 色々と相談に乗ってくれたりしてくれたてんちょーである。あからさまな敵愾心こそないものの、彼女の目には警戒がありありと浮かんでいた。

 正直に言えば、みやかもちょっとだけ気になる。ただ甚夜の過去の話は殆ど知らず、あの二人が花屋の店主と元庭師ということもあり、その関係で交流があったのかな、くらいは思った。

 なんにせよ追及するほどでもない。前傾になって見つめ続ける萌を窘めつつ、みやかは視線を切った。

 もやっとした胸には、気付かないふりをした。 


「言わない方が、いいんだろうなぁ」

「……ですよね」

「あれ、吉岡さんも?」

「葛野君に、江戸時代の話を色々してもらったので」

「あぁ……」


 現状を正確に把握できるのは当事者よりも寧ろ外野である。

 藤堂夏樹と吉岡麻衣は甚夜の過去を聞きつつ、みやか達ともクラスメイト。彼女らの疑問点には気付きつつも、詳しく教えるとなにやら一悶着ありそうな予感だ。


「よし、見なかったことにしよう」

「はい」


 夏樹の提案に麻衣はしっかりと頷く。

 彼らが選んだ最善は、問題の先送りであった。






【保護者と被保護者】


 一頻り話し終え、さあ早く遊ぼうと薫が声を発するより早く、柳が麻衣に声をかける。


「麻衣、大丈夫か? 疲れてないか?」

「ありがとう、やなぎくん。実は、車で長かったから、ちょっとだけ」

「だよな。葛野がパラソル準備してくれたから、そこでまず休んでから行こう」


 そう言って麻衣の手を引き、レジャーシートに座らせる。自然に手を繋げる辺り、彼らの親密さはいつものメンバーの中でも頭抜けていた。

 相変わらず柳は甘い、というだけでもない。

 麻衣は幼い頃から体が弱かった。気管支が悪く、喘息があるらしい。

 薬を手放せず、運動をするのは勿論、外で遊び回るのも難しい。だからこうやって友達と海に来るのは初めてのこと。今ではだいぶ良くなったと知ってはいるが、それでもやはり心配はしてしまう。


「吉岡、首に直接日を当てるのはよくない。これを使ってくれ」

「タオル……? あ、ありがと、葛野君も」

「飲み物も用意してある。脱水にならないよう、しっかりと水分補給しないとな」


 今日も随分と暑く、日差しの照り付ける砂浜は焼けるように熱い。

 熱射病にならぬようタオルを麻衣の首元へ。加えてクーラーボックスからスポーツドリンクを取り出して渡す。

 勉強の面倒をみてもらったり、昔話をせがまれたり、なんだかんだ二人は以前よりも親しくなった。

 その分、甚夜も体の弱い麻衣を心配し気遣うようになり、結果がこれ。

 流れるような動きに夏樹はようやく理解した。

 先程、甚夜と柳の言った「準備」とは、皆の休憩場所を確保するという意味ではなかった。

 こいつら、最初から体の弱い吉岡麻衣への気遣い、彼女の為に色々と用意していやがったのである。


「なに? なんなのあれ? 過保護すぎない?」

「あ、はは……」


 萌の発言にみやかは曖昧な笑みで返す。

 彼女達も麻衣の体が弱いことは知っている。柳や甚夜が普段から気遣っていることも理解していた。

 だから別段嫉妬も不満も感じない、寧ろ友達のことを考えてくれている二人には感謝さえしている。

 とはいえ度が過ぎるというかなんというか。


「あの、やなぎくんも、葛野君も。そんなに気を遣わなくても、大丈夫、だよ?」

「む……確かに、あまり構われても落ち着かないか」

「ああ、そっか。じゃ、なんかあったら遠慮なく言えよ? 無理したってなんにもならないからな」

「うん、分かってる。ありがとうね」


 甲斐甲斐しく麻衣の世話をし、素直に言うことを聞く二人の男。

 人並み以上の容姿を持った少年とガタイのいい目付き鋭い強面が、地味で大人しそうな女の子を完全にお姫様扱い。

 しかも夏の海水浴場、多くの人の視線がある中で、である。

 なんぞこれ。

 みやかに萌に夏樹。それに通りすがりの多くの人がそう思ってしまったのは、仕方がないことであろう。





【傷跡】


 桃恵萌は「お洒落は心意気」と語るように、こと容姿に関してはいつものメンバーの女子の中でも、特に気を遣っている。

 そのかいあってか確かに彼女は人並み以上、スタイルも高校一年生ということを考えれば飛び抜けており、遊んでいそうな外見もあって街ではよく男に声をかけられる。

 姫川みやかは、本人はあまり意識していないが、スレンダーではあるものの大人びた雰囲気と切れ長の瞳、かわいいよりキレイ系で、萌とは趣は違えど十分に人目を惹く。

 にも拘らず、彼女達に声をかける男は一人もいなかった。

 普通のナンパは当然、性質の悪い、素行の良くない男達が寄ってくることもない。

 当然と言えば当然だが、一緒に来ている男子の影響である。


「いやー、見事に声かけてくるヤツいないね。こんな美少女が二人でいるってのに」

「萌はともかく、私は別に美少女じゃないと思うけど。あと、正直来られても困る」

「それはあたしもだって。前も言ったっしょ、純情一途なの、これでも」

「うん、分かってるよ」

「ま、実際頼りになるわ。いるだけでナンパ避け。というか、甚を見ても声かけてくるような勇気ある男がいたら褒めてあげたい」

「……そこは、私も同意見かな」


 一緒に男子が来ていたところで、女性を無理矢理付き合わせようとする不良なんていくらでもいる。

 だがそういう男でも流石に“あれ”には喧嘩を売りたくないらしい。


「ん、どうした?」


 視線の先にはクラスメイトの男子、葛野甚夜の姿がある。

 実年齢はともかく一応高校一年生。今日は一緒に海へ来た。

 どうやら彼も案外海を楽しんでいるらしく、今は柳と一緒に一頻り泳いだ後。いや、楽しむというか二人してトレーニングのような勢いで遠泳していたのだが。

 ともかく、そういうことをするくらいだから、当然ながら彼も水着姿になっている。

 それが問題だった。

 水着自体は普通のトランクスタイプ。そこはいい。ただ彼の体が少しばかり凄すぎたのである。

 ガタイがいい、といってもそれはあくまで通常レベル。部活で体を鍛えている男子程度のものだと思っていた、少なくとも今までは。

 しかし水着姿の彼を見て、それが思い違いだと知った。

 服を脱いだ彼の体は尋常ではなかった。

 筋トレでパンプアップしたものではない。実戦で使い続け、限界まで絞り込まれたしなやかな筋肉。

 元々目付きが鋭く若干強面な彼だ。はっきり言ってただそこにいるだけで威圧感がある。

 極めつけは刀傷、銃創、鋭利な爪でえぐり取られたような傷跡。

 全身に刻み込まれた死闘の名残は、彼が普通の生き方をしてこなかったと如実に示している。

 そういう男の連れに手を出すようなナンパ男はいなかったらしい。ぶっちゃけて言うとやばい男の同類ということでビビられていた。


「萌は……あんまり、驚いてないね。怖い、とかは思わない?」

「んー、十分驚いてんけどね。怖くはないかなぁ。あたしの場合、ちっちゃい頃から話を聞かされてるから」


 人をあやかしへと変える酒、『ゆきのなごり』に纏わる事件。

 三代目秋津染吾郎と共に挑んだ百鬼夜行。

 大正の世を揺るがす退魔、南雲の当主。

 人造の鬼神、コドクノカゴを巡る死闘。

 幼い頃から彼の逸話を聞かされて育った。全身の傷を見ても、ああ成程、と納得こそすれ恐ろしいとは思わなかった。


「ああやって傷を負って、それでも諦めずに戦い抜いたからさ、甚は此処にいる訳で。どっちかっていうと、尊敬とか……感謝?」

「感謝?」

「そ。ここまで来てくれて、あたしと会ってくれて、ありがとーってカンジかな」


 十代目秋津染吾郎である彼女には、多分いつきひめである自分とは違うなにかが見えているのだろう。

 ギャル風の容姿をした萌は、最近とみに大人びた微笑みを見せて、同じ女でも綺麗だなと素直に思ってしまうくらいだ。


「みやかは、怖い?」

「いつもお世話になってるから、あんまり」

「ならいいじゃん、それで」

「そう、だね」


 初対面から守ってもらってばかり。物凄い傷に驚きはしたが、怖いというのは失礼だ。

 なら確かに萌の言う通り、それでいいのかもしれない。二人は泳ぎ終えた甚夜の方に近付いていく。


「おつかれー。ていうか、泳ぎもすっごいね」

「体力はそれなりにあるからな」

「んじゃさ、次はあたし達とあそぼーよ。ビーチボール持ってきたんだ」

「ああ、私でよければ」

「なら皆にも声かけてくんねー」


 言うや否や、萌はすぐさま行動に移る。

 ああいったところは見習いたいとみやかは感心する。

 残された二人はアクティブな少女の姿を見ながら小さく笑う。何となく微笑ましいような、変な気分だった。





【海の家のカレーとラーメン】


 皆でビーチバレー、ひと汗かいた後はちょっと休憩。

 海の家で少しお腹に入れておこうとなった。

 屋根と古びたテーブルとイス。いかにも安っぽいが、それも味だと文句は出ない。

 各々適当に注文する。正直大しておいしくはないのだが、こういうのも思い出の一つだろう。

 ただ流石に九人全員は座れなかった為、幾つかのテーブルに分かれた。

 みやかと萌、そしておふうは三人で集まった。

 面識のある三人の方がおふうも気を遣わなくていいだろうという萌の判断だ。


「てんちょー、なにした?」

「お蕎麦にしてみました」


 父親は蕎麦屋を営んでいた。だからだろうか、なにかというと蕎麦を選んでしまう。

 楚々とした仕草、口をつけてみるがあまり美味しくはない。けれどなんとなしに暖かい。熱い出汁ではない、懐かしい温度が胸を通った。


「みやかのカレーはどう?」

「ちょっと粉っぽい。こういうところだと、どうしてもね」


 みやかの頼んだカレーライスは、缶の業務用カレー粉をあまり炒めず使っているからか、見事にコクがない。

 割に値段だけが高い、まさしく観光地のメニューである。


「ていうか意外とがっつりいくね」

「お米食べないとご飯食べたって感じしないし」

「細っこいのに発言男子じゃん」


 味付けをしないフランクフルトは流石に外れがないらしく、萌は結構おいしそうに頬張っている。

 ただし一本四百円、コンビニでその値段だったら確実に買わない。 

 それでも売れるから、海では色々な店が出されている。祭りの屋台と同じ、味がどうこうではなく、値段が高くてもなんとなく買ってしまうのである。


「あはは、おうどんのお出汁、インスタントの味がする!」

「こっちの焼きそばもなんか薄いというか、単調? 微妙だなぁ」


 柳、麻衣、薫、夏樹。四人は麺類のカウンターで注文し、そのまま近くの席に陣取った。

 おそらくは粉を溶かすタイプの即席ダシのうどんを啜りながら、薫は楽しそうにはしゃいでいる。

 柳の食べる焼きそばはウスターソースだけで味付けをされているようで、不味くはないが然して美味くもなかった。


「じいちゃんと富島の隣に立つと俺の精神力が非常に削られる件について」


 皆で食事している最中、チャーシューの代わりにハムの入ったラーメンをすすりながら、納得いかないと夏樹が半目で言う。

 いきなりの発言で皆困惑しているようだが、彼にとっては結構切実だった。


「いきなりなんだよ、藤堂?」

「素直な心境。こう、男としてのプライド的なもんがガリガリとね? 筋肉ないし見るからに貧弱だから、俺」

「葛野はあれだし、俺はまあ元々運動部だしなぁ。体格はそりゃいいと思うけどさ」


 ついでに言えば、鬼と都市伝説保有者。実際戦えば強いとは思う。

 見た目からして尋常ではないレベルで筋肉質な甚夜。サッカーで鍛えたからか均整の取れた体付き、そのうえ首から上は整っている柳。

 対して中肉中背、容姿も目立たない夏樹。“貧弱”という彼の意見は残念ながら正しく、並んでみれば殊更体格は貧相に見えてしまう。

 その辺り嫉妬というほど強烈な感情ではないが、中々にコンプレックスを刺激されるようだ。


「藤堂君はあんまり鍛えてないって感じだもんね」

「薫ちゃん、そういうのは……」


 自覚がある為夏樹からの反論はなく、薫の無遠慮な物言いを麻衣が遠慮がちに窘める。

 実際クラスでも夏樹と久美子の組み合わせは「なんであんな地味な奴とかわいい子が」と不思議がられている。今更すぎて怒りもわいてこなかった。


「ふふーん、あずちんもまだまだ甘いね」


 それを少し離れたテーブルで聞いていたのが、残る葛野甚夜と根来音久美子の二人。

 珍しい組み合わせではあるが、折角の機会だからと、お互い示し合わせたように同席した。

 共に藤堂夏樹と親しい者同士、少し話したいこともある。自然と向かい合わせの席を選んでいた。


「なっきはあれで、今のままでいいの」


 悪意はないとはいえ、幼馴染を侮るような発言。しかし久美子は腹も立てず、勝ち誇ったように口元を緩ませている。

 なんだかやけに楽しそうな様子で、食べていたかき氷のスプーンを突き付け、不敵に笑い甚夜へ問いかけた。


「じんじんはどう思う?」

「君の言う通りだ。夏樹の良さに気付かないとは、男を見る目はまだまだだな」

「さっすが! だよねー」


 うむうむと満足そうに久美子は何度も頷く。

 当然だ。外見はいたって普通、けれど夏樹がどれだけいい子か甚夜はよく知っている。

 身内の贔屓目はあるかもしれないが、柳と比べても十分すぎる程だと考えていた。


「でも弱そう、てのはあんまり否定できないかも。じんじんとかすっごいマッチョだし」

「力の有無や、効率よく誰かを傷つける手段を“強さ”とは呼びたくないな。あの子は十分に強いさ」

「ほほう、その心は?」

「夏樹は自分が悲しい時、誰かの為に意地を張って笑える。誰かが悲しい時、そいつの為に泣いてやれる。……私は、あの子を強いと思うよ」


 そういう優しい子だから、恐れられ遠ざけられる、報われない誰かにさえ手を差し伸べてあげられる。

 芳彦、希美子夫妻のひ孫だからではない。なんの力もないけれど、誰よりも強い。そういう夏樹だから、大切にしてやりたいと思う。

 久美子にとっても同じだ。

 イケメンでも成績優秀でも運動神経抜群でもない。

 だけど何の裏もなく、怖がらず、無邪気に笑いかけてくれる。そういう馬鹿な彼だから、久美子は彼の幼馴染でありたいと願ったのだ。


「じんじん、分かってるなー」

「……だから、君や里香が何者か、聞くつもりはない。君はクラスメイトで、夏樹の幼馴染で、私の友人だ。何かあれば頼ってくれると嬉しい」


 あの子が話さなくていいと判断したのなら、それでいいのだと思う。

 夏樹の幼馴染、根来音久美子。

 妹である藤堂里香。

 彼女達はなにやら秘密を抱えている。そうと知りながらも、甚夜は別段動くつもりはなかった。

 何者であれ夏樹は受け入れ、彼女達は傍にいたいと願った。そこで物語は完結している。

 ならば、脇役である甚夜が口を出すことではない。

 それを根来音久美子には伝えておきたかった。


「……うん、ありがとー」

「なんならお爺ちゃんと呼んでくれても構わないぞ? 夏樹は孫のようなものだからな」

「あはは、それは流石に気が早いかなー。まずはご両親の挨拶からで」


 真面目な雰囲気は一気に吹き飛び、続くのはなんてことのない雑談ばかり。

 蕎麦を啜りながら甚夜が語るのは、幼い頃の夏樹の話だ。

 一緒に日曜の特撮番組を見たり、甚夜の昔話を聞きたがったり、じいちゃんお疲れさまと肩を叩いてくれたり。

 久美子の方もあんな所に行った、こんなことがあったと思い出話を聞かせてくれて、話は大いに盛り上がった。


「お、じいちゃんにみこ、えらい楽しそうだな」


 談笑する二人に興味が湧いたのか、食べ終えた食器を片付けた夏樹は、二人のテーブルに顔を出す。

 いったい何を話してたんだ? と問われて、甚夜と久美子は同じように考え込んだ。

色々と話したから、何と聞かれれば答えに困る。

 ただ飛び散らかる話題の中、共通するものはあって。

 強いて答えるのならば、こうなる。


「私がなっきをどんだけ大好きかばっちり言っておいた!」

「夏樹がどれほどいい子なのか、しっかりと語っておいた」

「お前ら一体なにやってんの!?」


 当然ながら夏樹には訳が分からなかった。






【砂上の楼閣】


「砂のお城作る!」


 女子高生らしからぬ提案をしたのは、やはりというかなんというか、梓屋薫だった。

 流石に子供っぽい……と誰かが言うより早く同意してみせたのは、それもやはりというかなんというか、薫に甘い甚夜である。

 ここに幼げな娘と全身傷だらけの強面が共に砂のお城を作るという、非常にシュールな絵面が出来上がってしまった。


「みやかも、一緒にやらないか」

「あ、うん。というか、なんで砂のお城?」

「これくらいなら吉岡や彼女も参加できるしな」


 ちらりと甚夜が見た先を追えば、柳が砂を運び、麻衣が形を整え、砂のお城づくりに加わっていた。

 運動量の多いビーチバレーには参加できなかった麻衣も、薫のお手伝いが出来てどことなく嬉しそうだ。

 また水着に着替えていないおふうも、少しならと手を貸してくれていた。

 ああ、薫の意見だから付き合っているだけかと思えば、どうやら麻衣達の為でもあったようだ。

 そういう意味では、激しく動かない砂のお城を作るという提案は決して悪いものでもなかったのかもしれない。


「……そっか。なら、私もちょっと手伝おうかな」

「ああ、頼めるか?」

「うん」


 皆で何かを。それが薫の意図なのか、何も考えずに言ったのか。

 どちらなのかは分からないけれど、上手く回っているのだから別にそこはどうでもいいだろう。

 みやかも参加し、高校生が集まって砂の城づくり。違和感はまだ拭えないものの、やってみると案外楽しい。

 甚夜も真面目な顔で作業をしている。 

 真面目な堅物だと思っていたが、カラオケに付き合ったり、こうやって海にも来てくれたり、意外と付き合いがいい。

 ああ、いや、正確に言えば“面倒見がいい”だろう。

 薫や麻衣が無理をしないようさり気なく気遣いつつ、飲み物を勧めたりしている。彼の主目的はそっちの方で、後は余計な茶々が入らないように、くらいか。

 実際変な目で見ていた若い男のグループを一睨みで退散させていた。こういうところが過保護だと言われる所以なのだが、改める気はなさそうだった。


「やったー、完成!」


 そう言って出来上がったのは、残念ながら城と呼ぶには少し拙い、ガタガタの砂の山。

 それでも満足はいったのか、薫は一仕事終えたとばかりにぐいと額の汗を拭い、麻衣ときゃいきゃい喜びを分かち合っている。

 そんな二人を眺める甚夜も、表情は相変わらず変わらないが、安堵するように微かな息を漏らす。みやかには彼のその表情がまるで父親のように見えた。


「甚夜ってさ。絶対子供が出来たら親馬鹿になるよね」

「あー、よく言われる」

「ふふ、そうなんだ」


 自覚はあるらしく、甚夜は肩を竦めた。

 実際京都に住んでいた頃は、親馬鹿な蕎麦屋の店主で有名だった。みやかの指摘はまさしくであり、否定できないしするつもりもなかった。

 ちらり、薫の手伝いをしていたおふうと目が合う。

 くすりと彼女は小さく笑い、受けた甚夜も苦笑を落とす。


 ああ、彼女も知っている。野茉莉の世話に右往左往していた頃の姿を。

 あれから随分時が経って、少しは成長できたつもりではいたけれど、きっとおふうからすれば今も子供の世話に振り回されている情けない男に見えているのだろうと思う。

 それが恥ずかしいようで、同時に嬉しくもある。

 変わるものは多く、でも変わらないものもあって。

 言葉はなくとも伝わる何かが、あの時と変わらない一瞬が、二人の間には確かに存在していた。





【日が暮れて】


「あー、疲れたぁ」


 散々遊んで、夕暮れが訪れる。

 観光客も随分と数を減らし、そろそろ帰る時間になった。

 元気良くはしゃいでいた薫も流石にへとへとといった様子。ぐっと両手を組んで背伸び、疲れ切った体をほぐす。


「静かだねー」


 聞こえていた波の音は消え、海は随分と静かになった。

 風はないが、日が傾き暑さは多少マシになった。海の近くだからそれなりに涼しく、熱の抜けた砂浜の感触が心地良かった。


「夕凪だな」

「ゆうなぎ?」

「海辺では、天気のいい昼には海風が、夜には陸風が吹く。だから海風が陸風へ切り替わる、ほんの少しの時間だけ風が止んで、海は波のない穏やかな顔になる。それが夕凪」


 夕凪の海は鏡のように澄み渡って、本当に綺麗なんだ。

 そう付け加えた甚夜は、眩しさに、懐かしさに目を細める。

 薫はつられるように海を見詰める。

 夕日を映しオレンジに染まる水面は、昼の青とはまた違う趣きがある。綺麗だと思うのに、どこか物悲しく感じられる。

 きっと鏡のようだから、昔を微かに映してしまうのだろう。


「さて、そろそろ帰る準備をしよう。梓屋も着替えてくるといい」

「あ、うん、そうだね」


 促されると元気よく更衣室の方へ駆けていく。

 いつか出会った天女。まだ半年に満たぬ付き合いだが、本当にいい子だ。

 歳をとったからか、ああいったまっすぐな気性は夕凪の海よりも余程眩しく見えた。

 入れ替わるように後片付けを終えたみやかが甚夜の下へ訪れた。お互いあまり感情が顔に出ない性質、しかし今日は流石に頬が緩んでいる。


「お疲れ、甚夜。今日はありがとね、参加してくれて」

「なにを。私も楽しませてもらった。みやかこそ疲れたろうに」

「それほどでもないから大丈夫」


 計画するのは確かに大変だったけど、楽しんでくれたのならそれで十分。

 そこまで言えれば可愛げもあるだろうが、恥ずかしさに口を噤んでしまう。

 我ながら情けないとみやかは小さく嘆息する。とは言え今日一日は楽しかった、だからプラスマイナスで考えれば気分はプラスに傾く。

 ああ、来てよかった。

 穏やかな海もとても綺麗で、まるで心に染み渡るようだ。


「また、皆でこうやって集まれるといいね」

「そこはリーダーの手腕に期待している」

「なら、ちょっと頑張ろうかな」


 いつも助けられている側だから、頼られるとちょっとくすぐったい。でも悪い気はしなかった。 

 そっと風が流れ、ざざ、と海が鳴いた。

 夕凪の瞬間が終わり、涼やかな陸風が夜を連れてくる。


「行くか」

「ん」


 それがほんの少し名残惜しく、ふと合った視線に知らず笑みは零れて。

 時にはこんな日もいいかもしれない。

 終わる夏の一日に、そんなことを思った。






【帰り道】


「済まなかったな、おふう」

「いいえ、これくらい。皆さん楽しんでくれたようですし」


 遊び疲れて、帰りの車ではみんな眠りこけている。

 起きているのは運転手であるおふうと助手席の甚夜のみ。子供達の安らかな寝息を聞きながら、二人はゆったりと時間を過ごしていた。


「甚夜君も、楽しめましたか?」

「それなりには」

「ならよかった」


 会話が盛り上がることはない。だからこそよかった。

 黙っていても空気は重くならず、時折ぽつりと呟けばほんの少し表情は和らぐ。二人の距離はそういうものだ。 

 お互いに長くを生きた。色恋や友愛は別に、お互いがお互いに気を許し合える。弱い自分を見せてもいいと知っているから、緩やかに呼吸ができる。


「変われば変わるものだ」

「だから言ったでしょう?」

「ああ。“それしかない”なんて、嘘だったな」


 強くなりたくて、それだけが全て。

 そう思っていた頃は遥かに遠く、大切なものはいつの間にか増えた。


『多分、今の甚夜君は私が何を言っても納得できないと思います。でも、貴方の言う弱さを忘れないでくださいね。きっといつか、その弱さを愛おしく思える日が来ますから』


 いつかおふうが教えてくれたことをまだ覚えている。

 守りたいものが増えたから、失くすのが怖くて。

 濁った剣では切れ味は鈍り、斬れなかったものもある。

 力だけを求めていたのに、積み重ねた歳月の前に、彼は弱くなった。

 けれど今は、その弱さが嬉しい。

 こうやって過ごす無意味な日々を、愛おしいと感じられるのだから。


「まったく、敵わない」

「ふふ」


 穏やかに笑みが落ちる。

 多分は傍で聞いていたら噛み合わない会話。それがぴったりと嵌る感覚が心地よい。

 そこで終わり、二人の間に言葉はなくなった。

 しかし穏やかな何かだけは残って。

 こうして夏の日は過ぎていった。




「……ん」


 途中、姫川みやかはふと目を覚ました。

 二人の穏やかな空気に少しだけ触れて。

 なんとなく、なんとなくだけど起きるのが憚られて、目を閉じて寝たふり。

 起きて声をかけなかったのは何故だろう。

 考えて、分からなくて、放棄した。

 そのうちにすとんと意識は落ちて、彼女はもう一度眠りについた。




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