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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編
180/216

『 My Dear? My darlin' ! 』・4(了)




 秋津は、退魔ではあっても妖刀使いの南雲や勾玉の久賀見とは若干趣が異なる。

 彼等はそもそも退魔の家系ではなく、職人の一派。

 秋津染吾郎というのは明和から寛政(1750~1800年頃)にかけて活躍した金工の名である。

 彼は非常に腕の良い職人だった。

 あまりにも腕が良すぎて、作った細工には、比喩ではなく魂が宿ってしまう程に。

 魂を持つ、生きた細工を作り出す稀代の金工。

 秋津染吾郎は退魔ではなく職人として技術を突き詰め、遂には細工に宿る魂を付喪神へと変え、操る術を生み出した。

 それが秋津の開祖。

 以来、彼の弟子達は“秋津染吾郎”を襲名すると共に、付喪神を作り出す技術を継承してきた。

 時代が下れば比重は職人よりも付喪神使いとしての立場に傾く。

 それぞれの秋津染吾郎が、己の得意とする細工をもって付喪神を扱うようになった。

 例えば初代は金工だが、三代目は木彫りの根付や張り子。四代目は念珠を得意とした。

 なにを作っても構わない。そこに魂を込められるのなら、付喪神は生まれるのだから。


「おいで、犬神」


 そして現代に至り、桃恵萌は手作りの携帯ストラップを付喪神へと変え操る。

 犬、猫、天然石のドール。変わり種ではパンダやマリモ。これも時代の変化だろうか、彼女が生み出したのは今までの秋津染吾郎とは趣の違う付喪神たちだ。

 しかし変わるものがあれば、変わらないものもある。

 変わらずにあろうと努力してきたからこそ、繋がる想いがあった。


「桃恵さん、それ……」犬神を操る萌に対し、柳は驚きから目を丸くしている。

「だから何度も言うけどアキ、十代目秋津染吾郎だって。付喪神使い……なんて言われてる退魔なの、あたし。というか、富島こそなんなのその力?」

「俺は、都市伝説保有者アーバンレジェンド・ホルダー。都市伝説の力を行使できる能力者だよ。ちなみに、保有都市伝説は<ひきこさん>」

「へぇ。世の中、いろんな人がいるもんだわ」

「それは俺も思うな」


 会話しながらも二人は迫りくる怨霊をいなしていく。

 人一人を片手で引き摺り、肉塊に変えるまで動き続けるのがひきこさんという怪異。その力を宿す柳の動きは、常人とは一線を画している。

 膂力も速力も人の枠には収まるものではなく、数に飽かした思考のない攻撃で彼を捉えるなどできる筈もない。

 見た目が女子高生というのはやりにくいが、手加減をするつもりはなかった。


「次いくよー! “ねこがみさま”!」


 一方、萌の体術はあくまでも人のもの。同年代の女子よりは動けるだろうが、スポーツをやっている高校生程度でしかない。

 しかし彼女は付喪神使い。

 あみぐるみの猫の付喪神は、姿こそ愛らしいが挙動は俊敏だ。猫らしくしなやかに跳躍し、その爪で怨霊達を斬り裂いていく。


「なんかゆるキャラみたいな猫に負ける幽霊って微妙だなぁ」

「なんで? かわいいっしょ?」

「いや、かわいいけど」


 先程使った犬神も、デフォルメされてアニメちっくな姿をしていた。

 萌が強いのは事実、けれど気の抜けた掛け声や操るファンシーな付喪神に緊張感を保てないらしく、柳は微妙な顔だ。


「まあ、今はそんなことを言っている場合でもない、かっ!」

「そーそー、さっさと終わらせよ?」


 後ろには麻衣達がいるのだ。気を取り直して亡霊を見据え、一足で距離を詰める。

 渋谷七人ミサキは女子高生の集団亡霊。幸い直接的な戦闘力は低い。予想外の援軍を得られた今が好機と、柳は一気に攻め立てる。

 カミソリが斬り裂き、力任せに地面へ叩き付け、一。

 犬神がねこがみさまが飛び掛かり、二。

 七体一対の集団亡霊は、着実に数を減らしていく。


「……富島っ」

「ぐぅ…だい、じょうぶ……」


 しかし状況は決して有利ではない

 都市伝説『渋谷七人ミサキ』、そして古典妖怪である『七人ミサキ』も、本来切った張ったの立ち回りをする類の怪異ではない。

 彼の怨霊の特性は、遭遇をトリガーに引き起される死に至る呪い。

 即ち彼等の存在そのものが高位の呪詛である。

 だからなのか、時間が経つごとに体の動きが悪くなっている。傍観するみやか達や距離を取って戦う萌はともかく、矢面に立つ柳はそれが顕著だ。

 まるで熱に浮かされたよう、頭がぼーっとしてくる。

 それが一瞬の隙となった。

 狙いすましたかのように亡霊は襲い掛かり、しかし柳はふと体が軽くなったのを感じた。


「あぶなっ」


 体調が戻れば、この程度の敵に遅れは取らない。

 カチカチ、と独特の音を響かせて掌から生まれ出るカッターの刃。

 亡霊の首を掻っ切り、三。

 柳は危機を一蹴し後ろへ下がり、驚きの目で萌を見る。


「今の、桃恵さん?」

「まぁね。ふふーん、結構やるっしょ?」


 言いながら携帯ストラップの一つを揺らす。以前昼食の時に見せてもらった、天然石のドールだ。

 素材は寅目石。邪悪な力を払い除けることができると信じられ、魔除けにも使われるパワーストーンの一種である。

 人形の元来の目的とは「人と同じ形を持つものに、災厄を移す」こと。

 故にドールの付喪神の力は「呪詛に対する身代わり」。

 柳を苛む呪詛を代わりに受け、天然石のドールはひびが入ってしまっている。


「呪いはこの子が代わりに受ける。でも、長いことはもたないよ?」

「ああ、それは大丈夫。もっと怖いのが来たから」

「へ?」

「多分、一瞬で終わるよ」


 富島柳はひきこさん。だから、敵意には敏感だ。

 研ぎ澄まされた刃物のような敵意が近づいてくる。けれどそいつは、柳達に危害を加えるつもりはない。

 

「来い、<犬神>」


 短い呟きに、疾走する三匹の黒い犬。

 先程萌が使役した付喪神と同じ、しかし今度の容貌は獰猛の獣そのものだ。

 犬神は怨霊へと荒々しく襲い掛かり、四。

 次いで姿を現す一人の男。

 正直、可愛そうだな、と思った。

 これで渋谷七人ミサキの勝ちの目は完全にゼロとなった。


<疾駆>。

 視認するのも難しい速度、白刃が夕暮れの燈を映し、気付いた時には亡霊は両断されている。

 僅か一息で五、六。

 葛野甚夜は夜来を振るい、いとも容易く亡霊を斬って捨ててみせた。


「済まない、少し遅れたようだ」


 慢心はなく、しかしゆったりと、穏やかとさえ感じられる立ち振る舞い。

 みやかのメールを受け、遅れながらも辿り着いた甚夜は、一切の油断なく最後の亡霊を見据えている。

 詰みだ。勝負にはならず、逃げても追いつかれ、突く隙など欠片も存在していない。

 彼が追い付いた時点で怪異の末路は既に決定していた。


「やば、刀一本で鬼を屠る剣豪……マジで、すごい」


 甚夜は冷静に切っ先を亡霊へ向けた。

 それを、萌はまるで憧れの芸能人に会えた時のような、キラキラと輝いた熱っぽい目で見詰めている。

 だって、昔から知っていた。

 いずれ葛野の地に訪れるであろう鬼神を討つ為戦い続ける、刀一本で鬼を屠る剣豪の物語。

 常勝とはいかない。勝利も敗北も積み重ね、大切なものを失いながらも必死に足掻き、決してあきらめることはしなかった。

 桃恵萌はそんな彼の物語を、幼い頃は「赤ずきん」や「シンデレラ」、夜眠る前の童話の代わりに聞いて育った。

 おとぎ話の英雄が、絵本を飛び出して目の前に現れたようなもの。興奮しない筈がなかった。


「ちょ、ちょっと待って葛野!」

「どうした、桃恵」

「わ、悪いけどさ。あたしに、最後の見せ場は譲ってくんない?」


 本当は、彼の雄姿をもっと見ていたい。

 けれど、ここはちゃんと挨拶をしないといけないだろう。

 彼が葛野甚夜であるのなら、秋津染吾郎としての姿を見せないと。だから萌は甚夜を呼び止め、ぐっと前へ踏み出す。

 心配ではあるが、彼女には絶対の自信が感じられた。ならば、といつでも動けるよう腰を落とし彼は静かに頷く。


「……分かった。無理はしないでくれ」

「勿論、こんなやつらあたしの敵じゃないって!」


 萌は懐から短刀を取り出す。

 そうだ、あのような怪異、敵ではない。

 彼女の手には秋津染吾郎が代々受け継ぎいできた短刀が、最強の付喪神がある。

 百を超える歳月、守り抜いてきた想いが。

 たかだか十年かそこらで育まれた都市伝説に、負ける筈がないのだ。






 中国がまだ唐と呼ばれていた頃、九代皇帝玄宗が瘧かかり床に伏せた。

 玄宗は高熱の中で夢を見る。

 宮廷に跋扈し、自身に取り憑く悪鬼。或いはこの病も彼らの仕業か。ざわめく悪鬼に体を蝕まれていく。

 しかしどこからともなく恐ろしい形相をした大鬼が現れて、悪鬼どもを難なく捕らえ喰らってしまう。

 玄宗が大鬼に正体を尋ねると大鬼は言った。


“かつて官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれた。その恩に報いるためにやってきた”


 夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、彼の絵姿を描かせた。

 その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だったという。


 玄宗は自身の命を救ってくれた大鬼を神として定め、疫病除けの神として祀られるようになる。

 この話は後に日本へ伝わり、鬼を払うという逸話から端午の節句に彼を模した人形を飾る風習が生まれた。

 桃恵萌が取り出したのは五月人形の持っていた短剣。

 即ち、その付喪神は───




「おいでやす、鍾馗しょうき様」




 ───鍾馗。厄病を払い、鬼を討つ鬼神である。




 現れたのは力強い目をした髭面の大鬼。

 金の刺繍が施された進士の服を纏い、手には萌の持つ短剣と同じ意匠の剣がある。

 夕暮れの中顕現した大鬼。恐ろしいまでの威圧感に、渋谷七人ミサキも、みやか達も驚きを隠せない。

 しかし誰よりも驚いていたのは甚夜だろう。


「これは……染吾郎の」


 彼の親友が操る付喪神、その中でも最強の切り札。

 何故此処に、なんて考えるまでもない。

 つまり、彼女は。

 秋津染吾郎を継ぐ者なのだ。


「へへ、こんな雑魚にはもったいないけどね。ちょーっと、あたしの格好いいところも見てもらおうと思ってさ」


 甚夜の呟きが嬉しかった。

 驚きの中に混じる僅かな懐かしさ。その響きに、彼が秋津染吾郎を大切に想っていてくれたのだと知る。 

 ああ、報われた。 

 お父さんの、お爺ちゃんの。顔を見たこともない誰かさんの、途方もない努力が、ここに繋がった。

 萌は怨霊を前にして、それでも満面の笑顔。声も喜びに弾んでいる。


「ということで、悪いね。これで、終わりっ!」


 そして踏み出す。

 鍾馗には、特別な力は何もない。射程距離も短く精々2メートル程度。

 だがこの付喪神は秋津染吾郎の切り札である。



 一瞬のことだった。



 大鬼が剣を振るったかと思えば、既に亡霊は掻き消えている。

 甚夜や柳はともかく、みやか達には何が起こったかさえ分かっていないだろう。

 鍾馗には特別な力はない。

 しかし、強い。

 桁外れな、純粋な強さ。それこそが鍾馗の本質である。 


「……見事だ。三代目秋津染吾郎を彷彿させる。いや、それをも超えると思わせる一撃だった」


 世辞ではない。

 記憶の中にある鍾馗よりも、更に強い。

 甚夜の素直な賞賛を受け振り返った萌は、満面の笑顔で右腕を突き出し、勝ち誇るようにピースサインを見せつける。


「とーぜんっ、あたしらの想いがいっぱい詰まってんだから!」


 きっと強いのは当たり前だ。

 だって、あなたに伝えたい言葉をあたし達は守ってきた。失くさず、運んできた。

 だから秋津染吾郎は強い。

 敵を貫く力より、時代を超える想いの方が強いに決まっているのだ。






 ◆






“さ、平吉。行く前に、伝えとかなあかんことがある”


 いつかの夜のことである

 穏やかさはそのままに、鍾馗の短剣を手にした染吾郎は、愛弟子である平吉をまっすぐ見据える。


“僕になんかあったら、君が四代目秋津染吾郎や”

“ま、僕やってそう簡単にやられるつもりはないけどな。そやけどマガツメは鬼の首魁、いつか鬼神になるゆう規格外の相手や。何があってもおかしない”


 年老いた染吾郎は、親友の為にマガツメと対峙する道を選んだ。

 しかし全盛期を過ぎた今の己では、討ち果たせるかどうか。

 もしかしたら無様に命を散らすこととなるかもしれない。

 だからこそ、平吉に後を託す。


『自分が死んだら、お前が秋津染吾郎を名乗れ』


 幼かった弟子は、驚くほどに成長した。

 今や彼以上にその名が相応しい男はいない。

 そう思えたからこそ、秋津染吾郎の名を譲ろうと思えた。


“これが一つ目の話。二つ目は、ちょいと伝言をな”

“そや。いつ伝えるかは、君に任せるけど”


 そして、もう一つ。

 親友への言葉を、大切な弟子に預けていく

 普段は冷静ぶっているが、あれで案外情の深い男だ。自分に何かあれば甚夜は苦しむだろう。

 だからそうならぬように、“秋津染吾郎”はあいつに伝えよう。


“いつか、あいつにこう伝えたってくれ”


 思わず笑みが零れる。

 伝言を聞いた時、あの仏頂面がどんなふうに歪むのか。

 それを想像して、染吾郎は────






 ◆






「ごめんね、送ってもらって」

「いや」


 渋谷七人ミサキを討ち果たした後、甚夜はみやかを家まで送り届けた。

 麻衣は柳が、薫は萌が送った。夏樹と久美子は妹の里香が迎えに来たので問題ない。

 全員が無事に家へ着き、今回の怪異は被害者の一人も出さず解決し、取り敢えずは一件落着でいいだろう。


「でも、秋津染吾郎……か」


 道すがら甚夜に秋津のことを少しばかり教えてもらったみやかは、ふぅと小さく息を吐いた。

 秋津染吾郎。

 かつて稀代の退魔と謳われた付喪神使いであり、桃恵萌はその当代らしい。


「なんだろ、甚夜に会ってから私の常識がすごい勢いで崩れていってる……」

「君だっていつきひめだろうに」

「それも、今まで知らなかったしね」


 みやか自身いつきひめという古くから続く巫女の家系ではあるが、あくまでもそういう血筋というだけで、特別な力は何もない。

 しかし今もああやって説話に語られるような能力を宿す人がおり、それがクラスメイトだというのは、なんとも不思議な感覚だった。


「まあ、私も驚いたのは事実だが」


 どことなく嬉しそうに彼はそっと微笑みを落とす。

 そう言えば、三代目がどうこうと彼は言っていた。百歳を超える鬼というのが本当なら、どこかで彼は秋津染吾郎に会ったことがあるのかもしれない。

 そう考えれば、あれは一種の再会ともいえるのだろうか。


「では、な。そろそろ帰らせてもらうよ」

「あ、うん。じゃあ、また」

「ああ。……と、メールか。夏樹も無事についたらしい。携帯電話とは中々便利なものだな」


 みやかのメールに記載された情報を頼りに、彼は裏道まで来てくれた。

 今更ながら携帯電話の有用性を感じたのか、感心したように彼はそんなことを言っていた。

 真面目な口調の甚夜がやけに面白くて、みやかはくすりと笑う。

 そのまま玄関で軽い別れの挨拶、薫や夏樹らの「無事に家に着きました」というメールを確認してから甚夜も帰路についた。


「やっほ、待ってたよー」


 途中、街路灯の下で桃恵萌は待っていた。

 一人になるタイミングを見計らっていたのだろう。にぱっ、と明るい笑顔で手を振りながら、懐く子犬のように少女は甚夜の下へ駆け寄る。


「ああ、桃恵。今日はありがとう。みやか達を助けてくれて」

「いやー、あれはどっちかっていうとあたしが巻き込んだっていうか……ま、まあともかく! ちょっと時間貰えない? 話したいことがあるんだ」

「構わないよ」


 話したいことがあるのはこちらも同じだ。

 入学前から甚夜のことを知っていた。

 桃恵萌の言葉の意味を理解した今だからこそ、彼女の口から話を聞きたかった。


「それじゃ、近くの公園にでも」

「ああ」


 軽やかに歩く桃恵萌の、十代目秋津染吾郎の後を付いていく。

 甚夜は知らぬことであるが、彼女が十代目を名乗るまでには紆余曲折があった。



 そもそもは職人の一派であった秋津は、ある時を境にその在り方を変えた。

 宇津木平吉。

 四代目秋津染吾郎は、弟子を取らず自身の息子・仁哉じんやに己が技を継承し、五代目の名を与えたのである。

 以降、秋津染吾郎の名と付喪神使いの業は、親から子へ、子から孫へ。彼の血脈に受け継がれていくこととなる。

 三代目を心から敬愛していた彼が、どうして秋津の在り方を捻じ曲げてまで、息子を秋津染吾郎としたのかは分からない。


『いつか、お師匠の伝言をあいつに持っていくのは、俺と野茉莉の子孫であってほしい』


 平吉が心情を吐露したのは、誰よりも愛した妻・野茉莉の前でだけ。

 彼の真意は誰にも分からないままだった。


 四代目より秋津は一派から家系へと移行し、しかし残念ながら彼の願いが叶うことはなかった。

 昭和。太平洋戦争の時期、七代目秋津染吾郎は妻子を戦争で失った。

 彼がその後誰かを娶ることはなく、しかし秋津の業を途切れさせる訳にもいかず、戦後に戦災孤児を引き取り弟子とした。

 それが桃恵。萌の祖父に当たる人物である。

 故に平吉と野茉莉の血を継いだ染吾郎は七代目で絶え、以降の秋津は桃恵という男の血族となった。

 尊敬する師匠に背いてまで在り方を変え、だというのに彼の想いは途切れ。

 けれど繋がるものもある。

 桃恵は、八代目秋津染吾郎は、途切れた想いを紡いでいく道を選んだのだ。


『私達は、遠い未来。“彼”に、言葉を伝えるために在り続けたんだよ』


 穏やかに、どこか誇らしげに語る師の横顔を覚えている。

 会ったこともない“彼”の話を、師匠は眠る前の童話代わりに、繰り返し繰り返し聞かせてくれた。

 戦災孤児だった桃恵という少年にとっては、七代目は父のような存在であり。

 彼から受けた恩に報いる為、遠い未来まで“秋津染吾郎”を繋げていこうと誓った。


 だから桃恵萌と三代目染吾郎に直接の繋がりはない。

 平吉や野茉莉の血は流れていない。

 けれど、想いは此処に。

 大切な心は、伝えたい言葉だけは、零さずちゃんと運んできた。


「はい、とうちゃーく」


 道すがら萌に事情を聴きつつ、彼らは住宅地にある、「みさき公園」と呼ばれる小さな公園へ辿り着く。

 渋谷七人ミサキを相手取った後に、みさき公園。なんか変な感じだと、萌は朗らかに笑っていた。


「で、もう分かってるだろうけど、あたしが葛野のこと知ってた理由。ちっちゃな頃から聞いてたんだよね、刀一本で鬼を屠る剣豪の話を」


 公園の中央で、二人は向かい合う。

 夏の夜、多少は涼しくなったとはいえ、息苦しくなるような熱はまだ残っている。

 そして甚夜の胸にも、篝火のように、あの頃の熱情が揺れていた。


「それは、先代が?」

「そ。何度も聞かせてくれたの。三代目染吾郎の親友だった、一匹の鬼。マガツメと対峙する時、葛野甚夜の隣に立つのは秋津染吾郎であろうと、お父さんもお爺ちゃんも。お爺ちゃんのお師匠さんも、めっちゃ頑張ってきたんだから」


 野茉莉と平吉の血が途切れても、想いだけは絶やさぬよう紡いできた。

 遠い未来でも、葛野甚夜という男の親友である為に。

 秋津染吾郎は気の遠くなるような歳月を乗り越えてきたのだ。


「親友だったんでしょ? 三代目と」

「ああ、そうだな。思えば、私が焦り足元を見失いそうになった時、いつも染吾郎が窘めてくれた。それにあいつは中々の酒豪でな。なにかあると二人で杯を酌み交わしたものだよ」


 京都で店を開く時、手伝ってくれたのは彼だった。

 毎日のようにきつね蕎麦を食べに来て。

 弟子や娘の成長が寂しくて、二人で酒を呑んだことがある。

 野茉莉、平吉、兼臣、染吾郎。ああ、ちょうどその頃だったか。林檎飴の天女がふらりと訪れ、ちとせと再会したのも。

 懐かしい、今は遠き間遠の日々。穏やかに息を吐き、甚夜は目を細めた。

 失くしてしまっても、忘れたことはない。

 幸せな情景は今も彼を支えてくれている。


「へへ、そっか……ええと、それでね。最初の三か月くらいは声かけられなかったのよね。葛野甚夜、って人が入学するって聞いて追っかけてきたけど、本当に本人かは分からないし。じっと観察してたわけ」

「そして、確信が持てたから接触した?」

「そそ。あなたが葛野甚夜だって、染吾郎の親友だって分かった。だから今度は、話の通りの人物か見極めようと思った。話ではいい奴だったけど、実は勘違いで悪党でしたー、なんてイヤじゃん? 長い時間経ってるんだし、やさぐれたりとかさぁ。そんで姫川に頼んで、紹介してもらったの」


 だから入学当初はみやかや夏樹から話を聞く程度にとどめ、三か月たった今積極的に交流を持とうとした。

 それが彼女の隠し事。こうして甚夜に明かしたということは、見極めの期間は終わったのだろう。


「で、結果はどうだった?」

「勿論、合格だって! 不器用で、優しくて。ちょっとだけ弱くて、でも誰よりも強い。昔から知ってる通りのあなただった」


 本当に、思っていた通りの。いや、それ以上だった。

 派手なギャル風の女の子を色眼鏡で見ず、女性として敬意を払って接して。

 馬鹿なたとえ話にも乗って、真摯に向き合い話してくれた。

 秋津染吾郎のことは別にしても、萌は甚夜のことが気に入っていた。


「だからさ、あなたになら。あたし達が運んできた大切な言葉を渡せる。……聞いてくれる?」


 だから、伝えられる。

 三代目秋津染吾郎から預かった、いつかの伝言を。


「ああ、聞かせてくれないか」


 しっかりと、重々しく頷く甚夜に、少女は柔らかく微笑んだ。

 一転表情を引き締め、桃恵萌───十代目秋津染吾郎は甚夜の前に跪いた。


「お目にかかれて光栄です。葛野甚夜さま。この度先代より鍾馗の懐剣を受け継ぎ、十代目秋津染吾郎を襲名いたす運びと相成りました。三代目、そして四代目の意向により、遅ればせながら甚夜さまにご挨拶をさせていただきたく馳せ参じた所存です」


 制服を着崩した今風の少女が、跪いてしっかりと挨拶をする。

 何となく奇妙ではあるが茶化したりはしない。彼女の、彼女達の想いに報いたいからこそ、甚夜は堂々と立ち、真っ向からそれを受け止める。


「そうか。稀代の退魔と謳われた秋津染吾郎、その名を継いだ君へまずは賛辞を贈ろう」

「は、ありがとうございます」

「もしも話しにくいようであれば、今迄のように砕けてくれて構わないが」

「お気遣い感謝いたします。ですが、未熟なれど私は秋津染吾郎。その名跡に恥じぬ態度があると存じます」


 言葉は丁寧だが頑とした否定。

 ゆるぎないその態度は、飄々とした染吾郎とは全く違うのに、懐かしいと感じる。

 

「甚夜さま、三代目より言伝を賜っております」


 面を上げた萌は、まっすぐに甚夜を見詰め、悪戯っぽく口の端を釣り上げた。

 おもむろに立ち上がり、腰に手を当てて。

 飄々と、どこかの誰かとよく似た微笑みを浮かべて、彼女は言う。






「『どや。人って、しぶといやろ?』……と」






 多分、茫然としてしまっていたのだと思う。

 あまりに簡素過ぎる、けれど親友らしい言葉に、うまい反応もできず彼女へ聞き返す。


「それだけ……か?」

「はい、それだけ。私達は、たったそれだけの言葉を。そうやって呆気にとられるあなたの顔を見る為だけに、百年を超えてきたのです」


 昔の話である。

 年老いて尚も戦おうとする染吾郎に、苦言を呈したことがあった。

 人は老いる。齢を重ねれば技は練れるだろう。それでも肉体の衰えは誤魔化せない。

 全盛期の幾分の一の力で戦いに臨む彼が心配で、「やめておけ」と甚夜は止めた。


“あはは、心配してくれるんは有難いけどな。ほんでも人はしぶといで。僕もそうそう死なん”

“人は鬼ほど強くはないし、長く生きることはできん。そやけど僕らは不滅や”


 しかし秋津染吾郎は、きっぱりとそう言いきって見せた。

 当時の甚夜には、どうしてもそうは思えなかった。

 人は脆い生き物だ。体は些細なことで壊れ、小さな擦れ違いで心は移ろいゆく。

 変わらないものなんてない。

 人の在り方はとてもではないが不滅とは言い難い。……簡単に、いなくなってしまう。

 だから彼の言葉を信じられず、黙り込んでしまった。


“お、その顔、そうは思えんって感じやね。ならええよ。僕が人のしぶとさを証明したるから”


 けれど染吾郎はそんな甚夜を笑い飛ばした。

 あれから百年以上が経ち、彼の言葉が届き、その意味をようやく思い知る。


「は、はは。まったく、あいつは……」


 呆れなのか、感心したのか、零した呟きの意味は彼自身分からない。

 だが今なら信じよう。

 遥かな歳月の果て、お前は証明してみせた。

 人は鬼ほど強くはないし、長く生きることはできない。

 だが、お前達は不滅だと。

 いつかの親友の言葉は確かに真実だったと、こうやって再会した今なら心から信じられる。


「人は、しぶとい……か。そうだな。ああ、本当にそうだ」


 甚夜は込み上げる笑いを止めることが出来なかった。

 本当に、歳月というやつは不思議だ。

 長くを生きる身、失くすものは多くとも、思いがけない再会に心躍らせる瞬間もある。

 人と共に年老いることのできぬ体を恨めしく思う時もあったが、だからこそ出会えた人達がいる。


「あいつの言葉は確かに受け取った。ありがとう、十代目秋津染吾郎。君という……君達という友を持てたことは、私の誇りだよ」


 口を付いた感謝には何の飾り気もない。

 心をそのまま取り出すような、ひどく素直なものだった。


「こちらこそ、受け取ってくれてありがとう。あたし達の今迄にはちゃんと意味があったって、あなたは信じさせてくれた」


 それは桃恵萌にとっても同じ。

 葛野甚夜のという男の親友であったことは、秋津染吾郎にとっても誇りだ。

 ようやく今までは報われた。彼は、そうと思わせてくれた

 萌には、こうやって甚夜と向き合える今が、たまらなく嬉しかった。

 時代を超えて再会した親友は、ありがとうと言って、ありがとうと返して。

 星は瞬く夏の夜空の下、二人は暫くの間、意味もなくただ笑い合っていた。




 ◆




「とまあ、そういう訳よ」


 翌日、桃恵萌は朝一番、教室に入るや否や姫川みやかの下へ行き、甚夜とのあらましを説明した。

 百年を生きる鬼と、稀代の退魔の友情。

 秋津染吾郎の名を継いだ萌は、かつて甚夜の親友だった男の言葉を伝える為、彼に接触を図った。

 そして昨夜、ようやく“伝えたかった言葉”を彼に渡せた。

 甚夜を観察するうちに、みやかが粗方の事情を把握していると知ったのだろう。萌は殆ど隠し事なく自身の思惑を伝えたのだ。


「だから、ありがとね。姫川のおかげで、けっこースムーズにいったし。やっぱ、事情くらいは説明しておくのがスジだと思ってさ」


 それを聞いて、みやかは驚きと共に愕然としまった。

 よく少女漫画などでは、likeとloveの違いがネタにされる。

 同じ好意でも「好き」と「愛している」には明確な違いがある。だから彼に対するこの気持ちはlikeかloveか、という葛藤は恋愛系のストーリーの鉄板だ。

 それを踏まえて考えれば、桃恵萌の甚夜に対する好きはきっとMy Dear。

「好き」でも「愛している」でもない。そもそも彼女の好意は、彼女だけのものではなかった。

 そこにあるのは、時代に分かたれた親友の想い。

 遠く離れた友へ贈る手紙、その冒頭に記すMy Dear Friend(親愛なるあなた)という定型句こそが、彼女の好意の真実だったのだろう。

 ……つまるところ、みやかはずっと見当違いのところで悶々としていた訳で、多少恥ずかしい気持ちになってしまうのはどうしようもなかった。


「よかったね、彼に会えて」


 みやかは、ふわりと柔らかく微笑んだ。

 ほっとしたからだろう。彼女の喜びを我が事のように感じてあげられる。

 あれ、でも。何故ほっとしたのか。


「うん。ずっと好きで、逢いたいって思ってたから。ほんとに、会えて……あたし達の大好きを伝えられて、よかった」

「そっか……。でも、甚夜のこと追っかけてきたって、そういう事情だったんだ。ちょっと勘違いしてた」

「あはは、我ながら勘違いさせるようなことはしてたと思うけどねー。大好きなのは確かだし……だから、まあ。もう勘違いでもないか」

「え?」


 もう勘違いでもない、ってどういう。

 聞き返そうとしたが、できなかった。「あっ、ごめんね、姫川」と声を上げた萌は、急に立ち上がって教室の入口へと走って行ってしまう。

 見れば、そこには葛野甚夜の姿がある。彼が登校してきた途端、彼女は飼い主に懐く子犬の如く、一直線に彼の下へ。


「おっはよー!」

「ああ、桃恵。おはよう」

「固いなぁー。萌、でいいよ? 代わりに甚て呼ぶから。甚夜とかじんじんだと他とかぶるしね」

「そうか。……なら、萌。改めてよろしく」

「うん、よろしくねー、甚。今度は、アキじゃなくて萌として」


 そういえば、彼女は甚夜に対して「萌じゃなくてアキって呼んで」とは言わなかった。

 彼女がアキという呼称に拘ったのは「ももえもえ」という響きが気に入らないのと、「十代目秋津染吾郎」であることに誇りを持っていたから。

 なのに、何故三代目と親友だった彼に、アキと呼ばせなかったのか。


「実はさー、今日朝一発目の挨拶は、染吾郎って呼ばれるかと思ってたんだ」

「それは流石に失礼だろう。君はあいつの代わりではない。できれば、染吾郎としてではなく、桃恵萌として接したいからな」

「やだなーもう、嬉しいこと言ってくれちゃって。あたしもさ、そりゃ裏はあったけど、それだけって訳じゃないから。そこんとこ誤解しないよーに」


 はにかむ彼女は自然と彼の傍へ寄る。距離が近い。というか、昨日以上にボディタッチが増えてる?

 あれ? 彼女の好意は、三代目秋津染吾郎のもので。つまりMy Dearなわけで。なのに、あれ?


「今は染吾郎と甚夜は親友だった、だけど。これからは、あたしと甚は親友だ、って言えるようになりたいしさ」


 明確に、面と向かって“友達でいましょう宣言”。

 彼女の言葉は、普通の男子ならば傷つくかもしれないものだ。

 けれど甚夜は眩しそうに目を細め、萌の方は照れたように微笑んでいる。


「そんじゃ、またお昼にねー」

「ああ」


 一頻り話して、小さく手を振った萌は再びみやかの下へ戻ってくる。

 鼻歌混じりで、見るからにご機嫌。なんだろう。友達でいましょうと言って、相手もそれを受け入れて。なのに、二人とも幸せそうで。

 傍から見ていると全く理解ができない。


「ごめんねー。途中で行っちゃってさ」

「……ううん、別に」


 戻ってこれば、先程と変わらぬ調子でみやかと雑談。

 しかし、やはりご機嫌らしく、どことなく語調も弾んでいる。

 二人はあくまで友達。今まさに萌が宣言したのだから、そこは間違いない。

 安心してもいい筈だ。いや、二人がそういう関係になったからって不安になる必要もないのだけど。


「ええと、あのさ」


 みやかは萌に声をかけ、しかしそこで止まってしまう。

 いや、いったい何を聞くつもりだったのか。


“あなたの気持ちはMy Dear? それとも……”


 なんて質問としておかしいし、だからと言って直接的なことを聞く勇気もなく、黙り込んだみやかはただじっと萌を見詰めている。


「ん、どしたの、姫川?」


 返ってきた萌の微笑みは、どこか大人びている。

 穏やかな湖面のような、透き通った笑み。素直にきれいだと思う。内緒だけど、同じ女だというのにちょっと見惚れてしまった。

 でも彼女の笑顔が昨日よりも魅力的になった理由は、やっぱりみやかには分からなくて。

 どうやらもうしばらく悩ましい日々は続きそうだった。




『 My Dear? My darlin' ! 』・了




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