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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
江戸編

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『貪り喰うもの』・4




 鬼は様々な方法で生まれてくる。


 鬼が戯れに人を犯し、結果生まれる鬼。

 憎悪や嫉妬、絶望。負の感情を持って人から転じた鬼。

 想念が寄り集まり凝固し、無から生ずる鬼。

 その出自は多岐に渡り、しかし一様にそれは同じ鬼と括られる。


 そんな中で茂助は鬼の父母を持つ、純粋な鬼として生まれてきた。

 とは言え父母と共に過ごした記憶はあまりない。

 鬼は同朋を大切にするが同時に総じて我が強い。父であることより、母であることより、己であることの方が大事だという者がほとんどである。

 故に子が生まれても自身の生き方が制限されるならば簡単に捨てるのが鬼だった。


 茂助の両親もまたそういう鬼らしい鬼で、名前を付けることすらせず彼を捨てた。

 不満はない。それが鬼なのだと彼自身理解していた。

 だから憎むことはせず、ただ自分にはそういう生き方は出来ないとも思っていた。


 人に化けて生きる道を選んだのは、つまりそういう鬼としての生き方が肌に合わなかったから。

 争う事をしてまで通す程の我を持ち合わせていなかった茂助にとっては、揺らがぬ自分に囚われた鬼より、状況によって容易く変節する人である方がまだ生き易かった。

 

 人の目からも鬼の目からも隠れ、大きな喜びはなくとも小さな幸せを得て。

 誰に目を付けられることなくひっそりと、ただ穏やかに生きて穏やかに死んで往きたい。


 願ったのはただそれだけ。

 人に化けて彼は生きる。茂助という名前はその時に自分で付けたものだ。

 町人として裏長屋に住まい、貧しいながらものんびりと過ごす毎日は気に入っていた。

 一所に留まれば自然としがらみは生まれる。邪魔くさいと思うこともあったが、それも仕方のないことだろう。

 怪しまれない程度に近所と交流し日々を過ごしていく。


 そんな折、茂助は一人の女と出会った。

 

 同じ長屋に住んでいた娘で、仲のいい家族に囲まれた、屈託ない笑いを浮かべる女だった。

 女は朴訥とした、穏やかな茂助の人柄を気に入ったらしい。

 顔を合わせるうちに親しくなり、さり気無く独り身の彼を気遣ってくれた。

 茂助もまた邪気のない彼女に魅かれていった。


 次第に二人は親密さを増し、二度目の春が訪れる頃には恋仲となっていた。


 傍から見ても微笑ましい二人の姿を長屋の皆は祝福する。

 だが茂助には罪悪感があった。

 人の姿をしていても、正体は鬼。

 今こうして笑い合う瞬間さえ自分は彼女を騙している。その引け目は彼を長らく苦しめた。


 在る日のこと。

 茂助は女に自身の正体を明かすことにした。

 俺は彼女を妻に迎え入れたい。

 それならば彼女を騙したままでいいはずがない。


 人の目からも鬼の目からも隠れひっそりと生きることを願った彼が、初めて見せた気概だった。

 求婚を前にして、茂助は女に自身の正体を語って聞かせた。

 もし彼女が自分を拒絶しても恨むことはすまい。

 人と鬼は分かり合えぬもの。たとえうまくいかなかったとしても、それは当然のことと諦められる。

 覚悟を決めて彼女に全てを明かし、しかし返ってきたのは予想外の反応だった。



 ────それで?



 覚悟を決めて打ち明けたというのに、あんまりな返答である。

 もう少し何かないのか。もうちょっとこう、真面目な対応というか、深刻な感じの。

 ちゃんと鬼である事実を受け入れて貰えたのに、女の言葉が大雑把過ぎて今一つ実感が湧かない。

 それを伝えれば何を言っているのだと笑った。

 そして何でもないことのように女は言う。 



 ────私が好きになったのは最初から鬼でも人でもなく、あんただよ。



 その姿はやはり邪気がなく、緊張していた自分が馬鹿みたいだと茂助は笑い、それがおかしかったのか女もまた笑った。


 こうして二人は夫婦になった。


 だからと言って劇的に毎日が変わる訳でもない。

 相変わらず彼は穏やかに、ひっそりと日々を過ごしていく。

 ただ傍らにはいつも妻がいる。

 当たり前に過ぎ往く歳月はほんの少しだけ柔らかくなった。

 大きな喜びはなくとも小さな幸せが此処には在る。

 退屈ではあったが穏やかな日々はこれからも続いていく。

 鬼でありながら人として生きる道を選んだ茂助の願いは、確かに結実した。




 そう、退屈ではあったが穏やかな日々はこれからも続いていく。

 続いていく、筈だった。




 ◆




 瑞穂寺の境内は放置されていたせいで荒れ放題だった。

 草木は野放図に伸びて、とてもではないが寺社仏閣の神聖さを感じることは出来ない。

 春の宵は空気が冷たい。吹く風に雑草が撫でられ、ざあっと鳴った。

 随分と物悲しく聞こえる。草木以外に音を出すものがないという事実は打ち捨てられた場所の寂寞をより強く感じさせた。

 じゃり、と静寂に響く。

 踏み締めた砂が音を立てたのだ。茂助は瑞穂寺に消えた鬼を追い、既に敷地まで入り込んでいた。

 その姿は頼りない町人ではなく、浅黒い肌と異形の右目を持った鬼となっていた。既に<力>は使っている。姿を消し、足音を殺して本堂へと進む。

 握り締める短刀は以前の刀を甚夜に折られてしまったため新しく購入したものである。今度は簡単に砕けぬよう大枚を叩いた。

 短刀は葛野という土地で鍛えられたもので、鬼さえ裂くという触れ込みだった。それが真実かどうかはこれから分かるだろう。


 

 本堂に近付くと、僅かながらに女の声が聞こえる。

 だが心には微塵の動揺もなかった。

 もとより義侠心で動いていた訳でもない。女が鬼に襲われ死体が一つ増えるくらい、正直に言えばどうでもよかった。

 大事なのは今この場で“あれ”を殺すこと。

 それ以外は心底どうでもいい。甚夜にはすぐ戻ると伝えたが、仇敵を目にした今、そんな約束はどこかに吹き飛んでしまっていた。

 土足のまま本堂を歩けば板張りの床が鳴った。

 足音を殺しても木の板が鳴るのは止められず、しかし憎い仇は気にも留めない。

 鬼は獣のような様相をしていた。

 人と犬を掛け合わせたような、奇妙な体。二足歩行をするためか、腕と足は獣のそれではなく人に近い。浅黒い地肌も相まって全身が沈み込む闇色で染まり、影がそのまま浮かび上がったのではないかという出で立ちである。



 ぺちゃ……ごりっ……



 水音のような、家鳴りのような、気色の悪い音。

 それが咀嚼する音だと気付いたのは、赤眼の狼の腕に、頭部の無い豊満な女の死骸があったからだ。

 生々しい赤い肉から血が滴っている。もう一口。今度は首から胸にかけてが消えた。起点を失くした腕がどさりと床に落ちる。鬼は一片たりとも残す気がないのだろう。落ちた腕を拾い骨ごと平らげた。



 ───だが、そんなことはどうでもいい。



 いったい、どれだけの時間探していたのだろう。

 長いような、短いような。

 だが「それ」に出会った瞬間、頭が真っ白になった。

 変わらず鬼は女を貪り喰う。


 ───どうでもいい。

 

 短刀を構え近付く。


『はヤく……帰らナきャ………』

 

 鬼はぶつぶつと呟いている。


 ────どうでもいい。

 

 何を焦っているのか。 

 悲壮感さえ漂わせ鬼は一心不乱に血を臓物をまき散らしながら女を喰っている。

 まるで親に怒られて嫌いな野菜を食べる子供のようだ。


 ────なにもかも、どうでもいい。


 お前か、お前が妻を殺したのか。

 茂助の目にはただ憎悪の色だけが在った。あの鬼が何故辻斬りをしたのか、女を喰らうのか。理由なぞ関係ない。

 そんなことよりも重要なのは妻を汚し奪った事実。それが茂助にとっては全てだった。

 

 もう限界だ。憎悪に突き動かされ、姿を消したまま一直線に走り出す。

 相手はまだ気付いていない。後頭部を串刺しにして頭蓋を砕き中に詰まった肉を掻き回してやる。

 逆手に持った短刀を振り上げ、あと一歩で間合いに届くというその時。



 鬼が振り返った。



 憎むべき宿敵を前にして忘れていた。

 茂助の<力>では姿を隠せても発する音までは消せない。

 音を殺すことも忘れ激昂したままに走り出して、相手が気付かない訳がないのだ。

 向けられた赤銅の瞳にすっと血の気が引いた。足が竦み思わず立ち止まってしまう。

 

 落ち着け。まだだ、まだ大丈夫だ。

 相手の鬼は俺が見えているんじゃない。ただ音がしたから振り返っただけ。なら位置を移動して斬りかかれば問題ない筈だ。


 幾分冷静になった頭で次に取るべき行動を考える。

 振り返った鬼が動かない。それがいい証拠だ。やはり相手はこちらの居場所を把握できていない。今度は足音を殺し、ゆっくりと背後に回ろう。

 そうして一歩を歩き、ぎしりと床が鳴り、鬼の姿がぶれた。


『がっ……!?』


 次の瞬間には鬼の姿は消え失せ、茂助の脇腹から胸までが深くえぐり取られていた。

 臓器をいくつも持って行かれ、その傷は心臓にまで達し、立っていることさえままならずがくりと床に崩れ落ちる。

 鉄錆の味が口内に広がった。痛すぎて笑ってしまいそうなのに、痛みが遠い。揺れるように霞むように視界が濁る。


 助からない。


 血を失くし冷たくなっていく体に、ゆっくりとそれを理解する。

 茂助には鬼の姿が消えたように見えた、しかし実の所大したことはしていない。

 鬼はただ一直線に走り抜け爪を振るっただけ。消えた茂助の姿が見えていた訳でもなく、ただ音のした辺りを攻撃してみたら当たった、それだけのこと。

 だが茂助の目には鬼が消えたとしか見えなかった。それほどまでに鬼は速かったのだ。

 力を維持することも出来なくなり、血を流し伏す異形の鬼の姿が晒される。

 体からは白い蒸気が立ち上った。遠からずこの体は消え去るだろう。いや、それよりもあの鬼に殺されるのが先か。


 俺は、このまま殺されるのか。妻の仇も討てないまま。


 死への恐怖よりも後悔の方が勝った。もっと冷静になれていれば違う結末もあったのかもしれないのに。

 そう思っても、もはや取り返しはつかない。茂助はこのまま無様に殺されるしかない。

 悔しさに歯を食い縛る。

 しかし、いつまで経っても鬼はとどめを刺そうとはしない。いったいどうしたのだろう。不思議に思い顔を上げると、鬼は転がる茂助には目もくれず食事の続きをしている。

 

 ぐちゃぐちゃ。


 腹にたっぷり詰まった臓物を頬張り、細っこい足を齧りごくりと飲み込む。肉の一片すら残さず女の死体を完食し、満足がいったのか鬼は茂助の横を通り過ぎて本堂から出て行った。その背中を黙って見送るしか出来ない。

 俺には、殺す価値すらないか。

 どの道放っておけば消える身だ。わざわざ殺すまでもないと思ったのかもしれない。


『はは、情けねえや』


 力なく茂助は笑う。

 確かに此処は憎悪の行き着く場所だった。

 身に余る憎悪の行く末は、己が身の破滅。

 ただ、それだけのことだ。



 ◆



「……ここか」


 多少遅れて甚夜もまた瑞穂寺に辿り着いた。

 うらぶれた寺。薄月の照らす境内はいやに静かで、落ち着いた風情だというのに薄気味が悪い。

 一種独特の雰囲気を醸し出す廃寺を、神経を研ぎ澄ましゆっくりと歩いていく。

 もしも辻斬りがいるのならば広く場所の使える本堂だろう。当たりを付けて目的の場所を目指す。


 板張りの床を土足で踏めば古い建物特有の軋む音。長い間手入れされていない為、床にはうっすらと埃が積もっており、そのおかげで分かる。

 ところどころに見られる足跡。つまり、ここは誰かが定期的に使っているのだ。


 鯉口を切る。いつどこから襲ってきても対応できるよう意識を周囲に向け、少しずつ進む。

 そうして本堂に入った瞬間、肌にべったりと張り付く濃密な空気を感じた。

 嗅ぎ慣れた匂い。死体の発する独特の鉄錆と硫黄が混じり合った香だ。飛沫する肉の脂に気分が悪くなる。

 本堂を見回せばところどころに血の跡。

 床には力なく伏す異形の鬼が。

 

 それは同じく辻斬りを追っていた茂助である。

 鬼の姿に戻った彼は左半身を抉り取られ、ただ打ち捨てられていた。びくびくと体が痙攣している。

 白い蒸気は立ち昇るが、まだかろうじて意識は保っているようだ。

 

 だが駆け寄ることはしなかった。

 茂助を抱え起こす、その瞬間を狙った罠が張られているかもしれない。いつでも抜刀出来るように力を込め一歩ずつ距離を縮める。

 どうやら罠の類はないらしい。

 何事もなく茂助の傍まで辿り着くが、表情には出さないものの苦々しい気分だった。

 昔ならばこういう時、何も考えずに飛び出し抱え起こしていただろう。

 今は違う。罠を警戒して、血を流し伏す者に駆け寄ることさえしなくなった。そんな己の変化に嫌気がさす。


「茂助」


 小さく呼びかける。

 荒い息。異形の鬼は体を転がし何とか仰向けになり、虚ろな瞳で甚夜を見上げた。


『いやぁ、情けない姿を晒したようで』


 笑ったのは強がりだろう。

 苦渋に歪む表情を見れば分かる。妻の仇を討つことだけを考えてきた。ただその為に生きた。

 だというのに仇は討てず、自身もまた辻斬りの手によって死に往く。どれほどの悔恨かなど想像するのもおこがましい。


「辻斬りか」

『はい。ここで、女を貪り喰ってやがった。あのくそ野郎……あいつが、妻の……仇です』


 途切れ途切れの言葉だった。声を出すもの苦痛なのだろう。それでも憎々しげに表情を歪め恨み言を口にする。

 だが甚夜はそれを聞きながら別のことを考えていた。

 

 貪り喰っていた?


 その言葉に強い違和感を覚える。

 何かがおかしい。奇妙な引っかかり。

 喉に痞えるようですっきりとしない。いったいこの違和感は。


『すみません、甚夜さん。一つだけお願いが』


 一際強くなった語調に飛んでいた意識を取り戻す。

 今は考えるよりも茂助と向かい合ってやらねばなるまい。


「聞こう」


 白い蒸気は立ち上る。声も弱々しく、死はそこまで近付いている。男の遺す最後の言葉だ。聞き洩らさぬよう体を屈め、顔を近づける。

 届いたのは今にも泣き崩れそうな、悔いに満ちた声だった。


『どうか、どうか、妻の仇を』


 そう言って、手にあった短刀を甚夜へ差し出す。

 泣きたくなった。

 本当ならば己の手で成したかっただろうに。

 甚夜もまた憎悪に身を委ねた一人。志半ばで果てる茂助の気持ちは、例え想像することさえ罪深いとしても、感じ取れてしまう。

 出会ってから期間は短いが、気の合った相手……いや、友人だ。最後の願い。それくらいは叶えてやろう。

 甚夜は茂助の体に左手で触れた。


「ああ、わかった。だが代わりにお前の力を貸してほしい」


 死に逝く俺に何を。

 疑問には思ったが、茂助は間を空けずに言葉を返した。


『勿論です。折角の友の頼み、俺が役に立つならなんにでも使って下さい』


 甚夜は静かにこくりと頷いた。


「お前の願い、確かに聞き届けた」


 右手はしっかり短刀を握り。

 無表情に、無感動に、甚夜はそう告げた。




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