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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編
178/216

『 My Dear? My darlin' ! 』・2





「こんなもの……かな?」


 みやかは自室の鏡の前で服装をチェックする。

 今日はホワイトのハイネックノースリーブに、薄いスキニージーンズ。

 スカートよりもパンツルックの方が動きやすくて好みに合っている。トップスもレースやリボンで飾るよりシンプルがいい。

 うっすらと茶色がかった腰まである長い髪を櫛でしっかりと梳いて、前髪も軽く直す。

 よし、と一言。鏡の中にいる自分の姿を確認し、満足げに頷く。


「あっと、そろそろいかないと」


 服装といい髪といい、普段より気合が入っている。

 なにせ今日はクラスメイトと買物、それも男の子と二人きりだ。こういうのは初めてで勝手が分からない。取り敢えず並んで歩いても恥ずかしくないよう、身嗜みだけはしっかり整えておいた。

 遅刻するのも嫌だから余裕を持って出かける。約束の時間には少し早すぎるかもしれないが、慌てるよりはいいだろう。

 外は雲一つない晴天、今日も暑くなりそうだった。





 夏休みを前にした日曜日、お気に入りの服に身を包んでみやかは駅前へ向かう。

 梅雨が終わり陽射しは強まり、しかし盛夏には少しだけ早い。初夏の暑さに少しだけ汗ばみ、その分涼やかな風を心地よく感じる。

 腕時計をちらりと見れば10時43分。ちゃんと時間前に来れた。

 待ち合わせは11時に駅前の噴水。ちょっと早かったな、と思っていたが件の人物は既にそこで待っていた。

 デニムジーンズに黒のインナー、薄手の長袖ジャケット。意外と小奇麗にまとめているのが少し意外だ。

 向こうもみやかに気付いたらしい。ここだ、と言うように軽く手を上げる。

 返すように片手を上げて、ゆっくり彼の元へと歩いて行く。


「ごめん、待った?」

「いや」


 短い遣り取り。お互いそれほど明るい性格でもなく、挨拶はそれで十分だった。

 クラスメイトの男の子と待ち合わせして買い物。

 邪推したくなるようなシチュエーションだが、実際のところそんな色っぽい話ではない。このくらいの接し方で当然だろう。

 どちらからともなく促し、二人は目的の場所へと向かうことにした。


「すまんな、付き合ってもらって」

「いいよ、別に。というか発案は私達だし」


 あと、いつも助けてもらってるから、そのお礼。

 それくらい言えれば可愛げがあるだろうに、素っ気ない返ししか出来な自分が少しだけ恨めしい。

 彼らの向かう先は駅前にあるデジタルショップ。今日の目的は携帯電話である。


『あー、なんだ。……すまん。携帯電話は持っていないんだ』

『え、と。買わないの?』

『あれば便利だとは思うんだが、種類が多すぎて何を選べばいいのか、どうにも』

『でもあった方が便利だよ?』


 事の発端は数日前。

 もうすぐ夏休み、「折角だからいつものメンバーでどこかへ遊びに行こう」という薫の提案は、全員から好意的に受け入れられた。

 そこまではよかったのだが、甚夜は電子機器が苦手らしく、ケータイ自体を持っていないとのこと。

 連絡手段がないというのは、いざという時に困る。みやか達が都市伝説関係の事件に巻き込まれた時の為にも、携帯電話を買うと決めたのだが、やはり一人で選ぶのは自信がない。


『なんなら一緒に買いに行く?』

『手数をかけて済まないが、正直何を買えばいいのかよく分からない。そうしてくれると助かる』


 今までの恩もある。

 少女達は笑顔でそれを受け入れ、日曜日に駅前で買い物をしよう、ということで落ち着いた。

 ……前日になって「ごめん、いけなくなっちゃった!」などと薫が言い出したため、男の子と二人きりというシチュエーションに緊張しすぎて、昨夜のみやかの睡眠時間が著しく減ってしまった点に関しては敢えて触れる必要もないだろう。


「そっちこそ、私でよかったの? 正直あんまり詳しくないけど」

「私よりはマシだろう」

「それはね」


 実際この男に負けているようでは、女子高生は名乗れない。

 彼も文句はないようだし、取り敢えず駅前のデジタルショップへ。店に入れば、ずらりと陳列された色とりどりの携帯電話、それを見た甚夜が若干眉間に皺を寄せていた。本当に苦手なんだなと、みやかは思わず吹き出してしまう。


「どうする?」

「そう、だな」


 二人並んでサンプルを手に取ってみる。どの会社のケータイも機能に大差はない。結局は本人の趣味が決め手になる為、いくつかお勧めを上げてから好きなデザインを選んでもらう。

 結果、甚夜が手にしたのはみやかが全く勧めていないもの。

 シルバーフォン……高齢者向けの、本当に電話機能しかついていないケータイだった。


「おい待て高校生」

「……駄目か? 使い易そうだと思ったんだが」

「いけなくはないけど……ごめん、やっぱりないわ」


 そんなケータイ愛用する男子高校生がいてたまるか。

 予定変更。結局デザインも色もみやかが選ぶことになった。

 つい先日、スマートフォンという新しいタイプの携帯が発売されたが、普及率はまだ悪い。

 タッチパネルを甚夜が使えるとも思えないし、既存のタイプを勧めた方がいいだろう。

 色は奇抜なものよりは無難なブラック。

 都市伝説相手に飛んで跳ねて斬った張ったが当たり前みたいな彼だ、機能の多い機種よりもバッテリーが長持ちで生活防水もしっかりしているものにした。

 薄型は脆そうに見えて好みではないようだ。なら多少大きめでも頑丈そうな二つ折りにしておこう。

 一台一台吟味し、みやかが最終的に選んだのは、二つ折りタイプの黒い携帯電話。アウトドア向けということで、多少大きい反面耐久性が売りらしい。


「……どう?」

「ふむ、中々良さそうだ。これにしよう」


 どうやら彼のお眼鏡にもかなったようだ。

 みやかはほっと一安心。礼を言った甚夜は、そのまま契約手続きへ向かう。

 しかし契約には当然、身分の証明が必要であり、彼は百八十七歳という証明した方が問題ある年齢なわけで。その辺りどうするつもりなのか心配になって、こっそり耳打ちをする。 


「……そう言えば、戸籍ってどうなってるの?」

「高校入学の時に用意してあるから大丈夫だ」


 よし、全力で聞かなかったことにしよう。

 用意してある、つまり完全に偽造である。突くと絶対聞いてはいけない話が出てくる。彼は同い年のクラスメイト。何の問題もないのである。

 みやかが自分を誤魔化している間に契約手続きも完了。それなりの時間はかかったが、取り敢えず目的は達成された。


「助かった。ありがとう、みやか」

「あとは使い方。分からないところは聞いてね」


 容姿は兎も角中身はお爺ちゃん、初めての携帯電話では戸惑うだろう。

 だから他意はない。

 他意はないが、連絡先を交換しておくべきだ。みやかは取り敢えず買ったばかりの携帯を借りて、彼がいつでも相談できるよう、まず一番に自分のアドレスを登録しておいた。

 新品だからちょっと緊張していたのかもしれない。なんだかいつもより登録に時間がかかってしまった。


「ほら、私のアドレス入れておいたから。困ったら気にせず連絡してくれていいよ」

「ああ、その時は頼らせてもらう」


 ケータイ一つで大仰な、と思わなくはないが、まっすぐな感謝の言葉は素直に嬉しい。

 デジタルショップを出る頃にはみやかも落ち着きを取り戻し、軽い雑談をする程度の余裕は出てきた。

 案外早く決まったので時間は結構余っていた。

 折角駅前まで来たのだから、此処で帰るのはなんだか勿体ないような気もする。


「一応今日の予定は終わったけど、これで“はいさよなら”も素っ気ないね。……お昼ご飯でも食べてく?」

「そうしようか。まだ日は高い、すぐに帰るのも勿体ないな」

「だよね、よかった」


 脈絡のない提案だったが甚夜も案外乗り気のようだ。

 ほっと一息、それじゃあ行こっか、とみやかは微かな笑みで軽やかに歩き始める。

 並んで歩く彼も肩の力を抜いてくれている。そうやって雑談しつつ二人で適当な店を探していると、その途中で大きめのCDショップに通りがかった。


「ちょっと覗いていい?」

「ああ、構わない」


 なんだか少し浮かれていたのかもしれない。

 昼食のお店はまだ決まっていなかったが、これも散策の楽しみとCDショップを冷やかす。

 特に目当てはないが新譜を見ておきたかったし、彼の趣味嗜好にもちょっと興味があった。

 普段なら視聴コーナーに行くが、二人でそれはつまらない。新作コーナーに並べられたマキシシングルを見ながら、メインは彼との会話の方だ。


「そう言えば甚夜って音楽聞くの?」

「正直あまり聞かないな」

「へえ……興味ない?」

「贔屓の歌手がいないだけだ。流れている曲を綺麗だと思うことはある」


 つまりBGMとしてなら聞くけれど、敢えて自分から買うこともしない程度だろうか。

 イメージ通りと言えばイメージ通りだ。彼がアイドルやバンドに熱をあげている姿なんて想像つかない。


「君は?」

「私は雑食だから、視聴で気に入ったのがあれば。あとはCMとか有線で流れてるのを適当に。最近のはラブソングが多すぎてあれだけど」


 みやかは一応女子高生、普通にドラマを見るし音楽も結構聞く。付き合いでカラオケに行く機会もあるので、どちらかというと女性ボーカルのCDを買うことが多い。

 勿論好みに合うから買うのだが、最近のトップ10に入るような曲は、殆どが愛だの恋だのを歌ったものだ。

 いい曲ではあっても、こうまで多いと他に歌うことはないのかと思ってしまう。


「最近も何も、江戸の頃もうたに愛をしたためて異性へ送ったものだ。今更だろう」

「……そう考えると、昔と今ってあんまり変わってないのかな」


 むう、と唸るみやかがどうにも幼く見えて、甚夜は落とすように笑った。



 ラブソング談議に花を咲かせ、しばらく店内を見て回り、今度は甚夜がDVDコーナーで足を止める。

 横顔は、興味を引かれた程度ではない。

 いやに真剣な表情で彼は一枚のモノクロパッケージのDVDに手を伸ばす。


「夏雲の唄……」


 まるで古いアルバムを取り出すような、懐かしむような言い方だった。


「知ってるの?」

「ああ、古い活動写真だ」

「へぇ……もしかして、見たことある?」

「一応は」


 少し興味がわいて、みやかも同じものを手に取って見る。タイトルは『夏雲の唄』。裏を見てみると、大正時代の映画をリメイクしたものらしい。

 どうする、買う?

 声をかけようと思って、しかしみやかは口を噤んだ。

 遠くを見るように透き通った目。彼は時間を忘れたように、穏やかな顔つきで夏雲の唄を眺めている。

 邪魔するのも悪い、かな。そう思ってしまうくらいだ。


「甚夜?」


 とはいえ流石に長すぎる。

 黙ったまま固まってしまった彼が少し心配になって、みやかは遠慮がちに呼びかける。

 しかし反応はない。二、三度繰り返すが結果は同じ。

 今度は彼の服の袖口を引っ張りながら、先程よりも大きめに声を出す。


「……ねえってば」


 そこでようやく気付いたらしく、甚夜はみやかの方へ向き直った。

 纏う空気の穏やかさは変わっていない。こういう老成した雰囲気は、彼が見た目通りの年齢ではないということを改めて意識させる。


「ああ、済まない。少し、懐かしくてな」

「ふうん。それ、面白いの?」

「いいや。物語としては陳腐だな。ただ大切な人と共に見た。だからだろう、映画と言うとこれを思い出す」


 落とすような笑みは、普段の表情からは想像できないくらい優しくて。

 顔には出さないが、不覚にも少しドキッとしてしまった。


「へえ……どうするの、買う?」

「そう、だな。買ってみるか」

「いいんじゃない? ……あれ、でもDVDプレイヤー持ってた?」

「ん? ビデオデッキならちゃんとあるが」

「……一応言っておくけど、DVDはビデオデッキじゃ見れないから。いや、そんな“何故だ?”みたいな顔されても」


 どうやらDVDとビデオの違いが分かっていなかったらしい。

 本当に、彼はこの手の機械関係には弱い。刀持っているとすごく頼りになるのに、こういうところは抜けている。


「なんだかなぁ……。あーもー、分かった。お昼食べたら電気屋に行こ? 安いプレイヤー見てあげるから」

「……世話になる」


 素直に頭を下げる甚夜が面白くて、みやかはくすくす笑っている。

 なんというか、安心した。

 百歳を超える鬼で、都市伝説なんか簡単に倒してしまって。

 けれど彼は決して超人ではない。出来ないことだってあって、こうやって助けになってあげられたりもする。

 それをちょっと嬉しいと思うこの心は、いったいなんという名前なのだろうか。


「うわぁ、暑い……」


 会計を済ませ店を出れば、飛び込んでくる日差し。あまりの強さに目が眩んだ。

 冷房の効いた店内とは温度が違い過ぎて、殊更暑さが骨身に染みる。


「じゃ、まずはご飯ね」

「ああ、詫びと言っては何だが、昼は奢ろう」

「ホント? じゃあ牛丼、ごぼうサラダ付きで。あ、吉田屋でいい?」

「ああ、久しぶりに悪くない」

「そう? それなら決まりね」


 牛丼は流石に女の子らしくなかったかな?

 言ってから甚夜の反応が気になって、横目でその表情を覗き込む。彼はいつものように無表情だが、多分嫌がってはいない、と思う。

 もう少し分かりやすいと有難いのだが、それは我儘というものだろう。

 日はまだ高い。食事をとって、電気屋に寄ってからでも十分に時間はある。

 それなら折角の機会だ。高校生の何たるかを分かっていない彼に、現代の娯楽をレクチャーするのも悪くないかもしれない。

 さて、どこに行こうか。

 普段動きのない甚夜の表情が驚きに崩れる様を想像すると、それだけで何となく面白い。みやかは機嫌よさげに鼻歌混じりで、そんな彼女を穏やかに彼は眺めながら、炎天の下軽やかに街を歩く。

 日曜日は、クラスの友達と買物。

 百年を生きる鬼と、遠い約束を紡ぐ巫女の末裔。普通の友達とは言い難い関係の二人は、まるで普通の友達のように休日を楽しんでいた。








 日曜日は、クラスの友達と買物。

 そういう過ごし方をしているのは勿論彼等だけではない。


「アキー? どしたの?」

「いやぁ、ちょっち面白いもの見ちゃってさぁ」


 花屋の店長に一頻り愚痴った後、美容液だの新しい服だのを入手すべく桃恵萌はいつものグループと駅前まで買い物に出かけていた。

 そして偶然、本当に偶然仲良さげに歩くみやか達の姿を発見し。


「ほほぅ?」


 なにやら楽しそうに、いやらしく口元を歪めていた。




 ◆




「で、それから電気屋に行ってDVDプレイヤーを見て、本屋に寄って」

「ふうん」

「喫茶店で休んで。意外にもケーキ食べてた。甘いもの結構好きみたい。なんだか昔は砂糖を使ったお菓子ってご馳走で滅多に食べられなかったんだって。一番の好物は、磯部餅らしいけど」

「そっか。ところで、ちょっといい?」

「どうしたの、薫?」

「……みやかちゃん。それって、ふつーにデートだよね?」

「はあ!?」


 翌日の昼休み、みやかは薫と二人で昼食を取りながら、甚夜との買い物の話を一応報告しておいた。

 本来なら三人で行く筈だったのだから、顛末は気になるだろう。そう思ってのことだ。

 しかし何故か薫はじと目でこちらを見ている。その反応は予想外だった。


「え、え? ただの、買い物だけど」

「えー、でも。その本、昨日買ったんでしょ?」

「あ、うん。『都市伝説大辞典』。あいつ、新しい都市伝説については詳しくないみたいだし。こういうので勉強しておけば、知識面ではちょっとは力になれるかなって」

「やっぱりデート……」

「だから違うってば」


 一緒に買い物して、一緒にご飯を食べて、ただそれだけ。

 デートとは全く違う。大体、後半は一緒に遊ぶ、という状況ですらなくなってしまったのだから。


「一応言っておくけど、誤魔化しとか照れ隠しとかじゃないよ? 最後の方は調査みたいなものだから」

「調査?」

「そう。最近、『どこからともなく赤ん坊の声が聞こえる』って噂があるんだって」


 からかうようにニヨニヨと笑っていた薫の表情は、一転真剣なものに変わる。


“火がついたように泣き叫ぶ赤ん坊の声を、「マンマ…」と言うか細い声を聞いた。”


 その噂を聞いたのは、喫茶店の後に本屋とゲームセンターに足を運び、次いで訪れたボウリング場でだった。

 みやかはボウリング場で偶然中学時代の友人と出会った。

 他の高校に進学した同じ女子バスケ部で、高校で出来た新しい友人と遊びに来ていたらしい。

 男子と一緒のみやかを一頻りからかい、近況を報告し合った後、一応そっちの高校で変な噂とかはないかと質問してみた。

 すると彼女は『どこからともなく赤ん坊の声が聞こえる』という話を教えてくれたのだ。


「駅前で遊んでいると、周りが煩いのになんでか赤ん坊の声がはっきりと聞こえてくる。薄気味悪いからさっさと離れちゃって詳しいことは分からない……そういう人たちが結構いるらしいよ」

「うわー、なんかヤな感じ。やっぱり、都市伝説、だよね?」

「多分。駅前で赤ん坊の声だと“コインロッカーベイビー”辺りが有名かな。甚夜も気になったみたいで、後半は一緒に少し調べてたの」


 しかし残念ながら空振り。

 甚夜も頭を悩ませていたが結局分からずじまい。楽しかった日曜日は、今一つすっきりしない終わりになってしまった。


「結構遅くまで駅前にいたけど、赤ん坊の声は聞こえなかった。まだ被害は出てないみたいだし、ただの噂ならいいけどね」

「そうなの?」

「うん、聞いた話だと。向こうの高校でも、誰かがいなくなったり死んだりみたいな、直接的な話にはなってないみたい」


 みやかが友人に教えてもらった話では、今回の噂は『赤ん坊の声が聞こえる』までで止まっている。

 それで誰かが死んだ、いなくなった、化け物を見たなどの現実の被害とは直結していなかった。

 ただの噂ならよし。そうでなくとも、薄気味悪い声が聞こえた時点で逃げれば、それ以上何も起こっていないという事実は非常に安心できる点だ。


「取り敢えず、今分かっているのは『夕暮れ』に『駅前』で『赤ん坊の声が聞こえてくる』。だけど『聞こえた時点で逃げれば何も起こらない』ってところかな」

「そっか、ちょっとほっとしたや。駅前に行く時は気を付けるねー」

「おっけー、あたしも気にしとくわ」


 みやかが現状を整理し伝えれば、薫は気楽な調子でそう言い、メロンパンを食べながら萌も同意する。

 現時点で被害が出ていなくても、用心に越したことはない。

 三人の少女は顔を見合わせ頷き合い……いや、ちょっと待て。


「……ねえ」

「ん、どしたの姫川?」

「桃恵さん、いつからいたの?」

「ちょっと前。コインロッカーベイビーがどうこうの辺り。あと、アキね」


 もふもふとパンを食べつつ、にっかりと笑う。

 教室で話しているのだ、当然致命的なことには触れていない。だから聞かれても「こんな噂があるんだって、気を付けようね」で済む話ではある。

 あるのだが、いきなり話に参加されているのは正直かなり驚いた。

 というか、態々みやかの机まで椅子を持ってきて陣取っている。何故気付かなかったのか。


「その話さ、あたしも聞いたよ」

「え?」

「噂をじゃなくて赤ちゃんの声の方ね。学校帰りにいつもの奴らで駅前ぶらついてたら、なんかすっごい泣き声聞こえてきてさぁ。ママ、ママって言ってるから迷子かと思ったけど見当たらないし。なんかヤバくね、と思ってみんな帰らせた。それも夕方、っていうか殆ど夜くらの時間だったかなー。多分マジもんのオカルトだよ、それ」


 いつもの奴ら、というのはクラスでも一際派手な女子グループだろう。

 見た目ギャル風で、こういった話を鼻で嗤いそうな彼女達が聞いたというのなら、余計に真実味を増してくる。

 もう少し話を聞かせてもらおう。みやかは萌に質問しようとしたが、彼女の浮かべた悪戯っぽい笑みに遮られる。


「ところでさぁ、あたし日曜駅前にショッピングに行ったんだけどねぇ。すっごい面白いもの見ちゃったんだぁ……なになに、葛野とデートだったの?」


 日曜には、クラスの友達と買物。

 そうやって過ごすのは当然みやか達だけではなく、偶然居合わせた萌に楽しそうな二人の姿はしっかりと目撃されていた。


「……デートじゃないよ」


 機先を制され、取り敢えず目を逸らしながら淡々と答える。

 しかしその程度では萌の興味は尽きないらしい。なんとも楽しそうに次々と問いを投げかけてきた。


「えー、でもめっちゃ仲良さそうだったじゃん」

「ほんと、ただの買い物。あいつ、携帯持ってないらしくって」

「あー、そりゃ苦手だろうしねぇ。でも、本当にデートじゃないの?」

「違う」

「付き合っては?」

「いない」

「姫川の片思いとか」

「まったくありません」


 萌は何度も何度も確認し、むむ、と腕を組んで考え込む。

 豊かな胸がいい感じに押しつぶされていて、ふくよかさとは縁のないみやかからすると多少羨ましくもある。

 そしてきっかり一分考え込んだ後、ほっと安堵したように萌は息を吐いた。


「よかったぁ、なら気兼ねなく頼めるわ」

「……もしかして、何か用事?」

「そそ、実は今日お願い事がありまして。姫川には前言ったっしょ? あたしがこのガッコ受験したの、気になる男の子追って来たんだって」

「そういえば……」


 確かに、そんな話をしていたような気がする。

 その時は、案外乙女な子なんだなぁと思っていたが、この流れはもしかすると。


「だからさ」


 萌は満面の笑顔で、両手を合わせて拝むようにお願いをする。


「紹介してよ、葛野のこと」


 まさしく予想通り。

 なのに、みやかはぽかんと大口を開けて驚いてしまった。


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