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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

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176/216

『いつきひめ~妖刀夜話・終章~』・3(了)



「姫川、おつー」

「おつかれ、桃恵さんはもう帰り?」

「そそ。部活真剣にってキャラじゃないしねー、万年帰宅部。てかアキだっての。もえもえ言うな」


 今日も一日授業を終えて、クラスメイトは各々の予定に合わせ教室を出ていく。

 部活に所属する生徒達は授業中とは比べ物にならない元気さで部室へと向かい、そうでない者達は「帰りどこよる?」なんて遊びの算段を立てながらはしゃいでいる。

 クラスの中でも派手な女子グループに入っている桃恵萌は後者らしく、同じくギャルっぽい女子数人と駅前へ繰り出すそうだ。


「そだ、姫川もどう? 服とかアクセとか見に行くんだけど、なんならいい感じのコーデしたげるよ?」

「遠慮しとく。そういうの苦手だし」

「わお、クールな返し。もったいないなぁ、すっぴんでそれなんだからお洒落したらすっごい映えるのに。絶対可愛いし、男共にもモテるよ? 興味ない?」

「う、ん。正直、趣味じゃないかな」


 桃恵達のするようなギャル風の恰好が、ではなく、そもそもみやかは着飾ること自体にあまり興味がない。

 シャンプーやリンスに拘ったり、眉を整えたりくらいはする。

 ニキビができないよう肌のケアはしっかりしているし、睡眠も充分とって、太りたくないから暴飲暴食は控え、毎日の軽い運動も欠かしたことはない。

 中でも腰まである長い髪はしっかりと手入れして、艶にも手触りにもそれなりの自信がある。

 みやかとて一応は女子高生。最近は仲のいい男子も出来たし、身嗜みにも気を使ってはいた。

 しかしそれは生活習慣を整える程度のもの。

 桃恵達のように、積極的に化粧をしたり髪を染めたり、或いは今向きのファッションや派手なアクセを付けたり、というのは正直苦手だ。

 メイクはしないし、アクセも最低限。衣服はスカートよりもパンツルックの方が動きやすくて好きで、レースやリボンで飾るよりシンプルな方がいい。

 ギャル風の派手で露出多めの恰好をけなすつもりはないし、実際桃恵萌の着崩した制服姿は可愛いと思う。

 とはいえ、自分がやりたいかどうかは別の話。結局のところおしゃれしたり着飾ったりというのは、みやかの趣味ではなかった。


「姫川、それちょっと違うよ」

「え?」

「お洒落ってのは、趣味でやるもんじゃないってこと。寒い冬でもミニスカート、お風呂上りに化粧水と乳液。30分早く起きてでも化粧を整える。みんな、“これだっ!”て自分でいるための努力なの。だからお洒落は趣味じゃなくて、心意気。見てほしい人の前で、いつだって最高の“かわいい”で在りたい。そういう心意気の表れがお洒落なわけよ」


 びしっ、みやかを指さして、きっぱりと言い切る。

 正直、驚いた。

 外見は完全に白ギャルで、教室で普通に化粧をし、立ち振る舞いはお世辞にも淑やかとは呼べない。

 本人には言えないし、聞いたみやかもそんな噂を流した人達に、苛立ちと嫌悪感を覚えたが。

 一部の女子に「援助交際をしている」なんて言われてしまうくらい、桃恵萌は今風で軽い、遊んでそうな少女だった。

 けれどお洒落は趣味でなく心意気だと語る彼女からは、そんな軽さは微塵も感じられない。

 にっ、と不敵に笑う彼女は、なんというかひどく男前だった。


「……ごめん。少し、失礼だったね」

「あ、いや、そんなマジに謝られるとこっちも困るんだけど。マジメだねー、姫川は」


 手をふりふり、気にしないでと桃恵は口元を緩めた。

 本当、この子は服装で損をしている。

 教師陣には不真面目だと思われているし、男子達は大きく空いた胸元と谷間に鼻の下を伸ばして、挙句の果てに援助交際の噂だし。

 けれど先程の言葉からするに指摘されても今の恰好はやめないんだろうな、とも思う。

 軽い言動とは裏腹に案外頑固そうだ。若さゆえの反発ではなく、納得できないことには従わないと突っぱねる姿が容易に想像できる。


「そういう桃恵さんも、実は真面目だね」

「マジメっつーか、一途? ほら、前も言ったっしょ? 気になる男がここに入学するって聞いたから追って来たって。やっぱさ、かわいくいたいじゃん、折角だし」


 外見とは裏腹に真面目で、結構乙女でもあるらしい。

 ちなみにその男子の名前は教えてもらえなかったが、今はまだ見ているだけで交流は持てていない、とのこと。

 照れたように頬を掻きながら「あー、ハズい。今の忘れて」なんてぼやく彼女は、とても女の子らしく見えた。


「ま、いいや。校門くらいまでは一緒に帰る?」

「嬉しいお誘いだけど、次の機会にさせてもらっていい? 今日はちょっと葛野君と話があって」

「……へぇ?」


 しまった、やっちゃった。

 気が抜けていたせいか、言ってはいけないことを言ってしまった。

 桃恵は、みやかと甚夜の関係に甚く興味があるらしく、隙を見せるとすぐに食いついてくる。

 知っていた筈なのに、今のは失言だった。

 後悔したがもう遅い。女の子っぽい雰囲気は一瞬にして消え、桃恵が浮かべるのは、にたぁ、と嫌な笑顔である。


「なによぉ、それ早く言ってよ。そしたら引き止めなかったのにさぁ。なに、どんな話? そだ、あたしも付いて行っていい?」

「……え、と。服見に行くんじゃ?」

「そんなんいつでも行けるって! 詳しく聞かせてよ。なになに、やっぱり葛野と仲いいの? てか、もしかしたら前からの知り合い? なんか事件に巻き込まれて助けてもらったとか? 馴れ初めとか普段の会話とか知りたいんだけど、取り敢えずコーヒーおごるからいろいろ話聞かせてよ」

「あー……ごめんね、桃恵さん!」

「だからアキって、ちょ!? 姫川メチャ速い!?」


 質問攻めにされたが一つも答えず、中学時代女子バスケで鍛え上げた脚力をもって全力疾走。

 桃恵を置き去りに、謝りながらみやかは一目散に逃げ出した。

 非常に申し訳ないが話せることなど殆どないし、彼を待たせているのは事実。また明日謝るので許してくださいと、廊下を一気に走り抜け屋上へと向かう。

 一段飛ばしで階段を駆け上り、屋上へと繋がる鉄の扉に手をかければ、鍵は既に開いている。

 長く話し込み過ぎたようだ。

 ぎぎぃ、と鉄の音を響かせ扉を開ければ、夕暮れの空の下で佇む人影一つ。

 葛野甚夜はゆるりと佇み、みやかが来るのを待ってくれていた。


「ああ、姫川」

「ごめん、遅くなって」

「いや」


 久しぶりに全力で走ったから息が少し上がっていた。

 二度三度深呼吸してから、短く挨拶を交わし合う。待たされたことを怒っていないのか、あまり待っていないのか。

 感情表現の苦手なみやか以上に表情の変わらない彼だ、その内心を探るのはとても難しい。

 でも多分怒ってはいないだろう。

 そう思ったのは胸中を覗いたのではなく、その程度で不機嫌になるような人じゃないと知っているからだ。

 それでも待たせたことには変わらない。もう一度謝ろうと口を開きかければ、彼が小さく首を横に振って、気にしないでいいと示してくれる。

 こくんと頷き返し、それでおしまい。いつまでもこうしてお見合いをしいても仕方ないと、二人は扉付近の壁に背中を預け、並んで夕暮れを眺めた。


「……それで、話って」

「昨日の続きだ。夜刀守兼臣の話。そしていつきひめの話を、君に知っていてほしかった」


“君にとってどうかは分からない。だが、私にとっては伝えたいことだ”

 昨夜の別れ際、甚夜はそう言っていた。

 確かにいつきひめの話は、みやかにとっても有意義なものだった。しかし夜刀守兼臣の話というのは想像もつかない。

 説話に語られる妖刀。それを詳しく知ったところで、グループワークの郷土研究に使える知識が一つ増える程度ではないだろうか。

 そう思いながらも余計な茶々を入れなかったのは、多分彼の表情が真剣で、あまりにも穏やか過ぎたせいだろう。

 しっかりと耳を傾けないといけない。

 みやかは視線を夕暮れから彼へと向け、相変わらず甚夜は空を見上げ。


「では、聞いてくれるか? 君には直接関係ない、君に繋がる幾多の物語を」


 鍛冶師と鬼女。

 そしていつきひめの話を、ゆっくりと語り始めた。




 ◆




 人の知ることの出来る範囲には限りがある。

 どれだけ聡明な人間でも、どんなに努力しても、人は自分の見ているものしか見えていない。

 だから葛野甚夜には、兼臣と夜刀がどのような出会いを経て、いかにして心を重ねていったのかは語れない。

 彼が知るのは書物で学べる知識と、妖刀や鬼を喰らうことで得た限られた記憶のみ。

 けれど長くを生きる彼だからこそ伝えられるものもある。

 姫川みやかに聞いてほしかったのは、そういう話。

 鍛冶師と鬼女の出会いから始まり現代まで続く、流転する想いの物語だ。






 戦国時代の刀匠、兼臣かねおみ

 彼は山賊崩れに襲われ、逃げ込んだ『いらずの森』で鬼女と出会う。

 炎を操るその姿。おそらくは鬼女の<力>だったのだろう。

 後代に伝わる言葉から想像するに、差し詰め<火女>といったところか。

 ともかく彼は高位の鬼に命を救われ、心から感謝した。


 しかし兼臣の生まれは山間の集落『葛野』。

 古い時代、鬼や妖異の存在は現実的な脅威だった。

 鬼は人を攫い食い、時には疾病を招く。

 特に山間の集落では、都に住む者や地方の農民に比べ、妖異に対する畏怖や嫌悪が強い。

 山民にとって鬼の存在は説話や伝承の類ではなく、飢饉や水害などと同じく現実的な脅威。

 だからこそ葛野の民は鬼を恐れ、忌み嫌う。

 彼等にとって鬼とは、鬼であるというだけで悪なのだ。


“鬼は鬼というだけで近付いてはいけない。そんな馬鹿な話があるだろうか”


 あやかしの姫に触れた彼には、それがどうしても受け入れられなかった。

 兼臣は人目を盗み、何度もいらずの森へと踏み入る。

 無論鬼女に会うためだ。森の中でひっそりと暮らす彼女の元へ、彼は毎日のように通い詰めた。 


“鬼に近付けば人からは離れる。だから、帰れ”


 あやかしの姫は、いつもそう言っていた。

 鬼と懇意にし、人から迫害されるようなことになってはいけないと、繰り返し兼臣を窘める。

 鬼であるというだけで虐げる集落の者達、鬼でありながら人を気遣うあやかしの姫。

 どちらを好ましく思うかなど分かり切っている。

 結局、いくら止めようが兼臣は鬼女を訪ね、根負けしたのか彼女も何も言わなくなる。

 神域の森の奥深く、密やかに逢瀬を重ね。

 いつしか彼らは恋に落ちた。


 歳月は流れ、兼臣は妻を娶った。

 艶やかな黒髪と病的なまでに白い肌。佇まいはまるでどこぞの令嬢で、とてもではないがタタラ場の女には見えない。

 実際、集落の女ではなかった。

 刀を売りに江戸へと出かけた時、偶然知り合った女だという。

 兼臣は武家からもお抱えの刀工にと誘われる程の鍛冶師。あの美しい女とも、そういう伝手で知り合ったのだろう。

 妻の名は夜刀やと

 多少ぶっきらぼうなきらいはあるし、どうにも旦那は尻に敷かれているようだが、夫婦の間に流れる空気は大層柔らかい。

 集落の男達は、若く美しい嫁の存在に多少の嫉妬はありながらも、粗方は納得して祝福した。

 鍛冶師と鬼女。

 兼臣と夜刀、仲睦まじくい日々を過ごす彼らは、集落一番の夫婦と呼ばれるようになった。



 和やかに続く日々の中、兼臣は刀を打つと決めた。

 鍛冶師なのだから飯を食うには打たねばならない。そういう生活の為の鍛冶ではなく、彼は妻の為に刀を打ちたいと思った。

 兼臣は心血を注ぎ、全霊をもって鉄と向き合う。

 そこには妻である夜刀の協力もあった。

 精神的な支え、雑事で手を何立と言ったこと以上に。

 刀を打つ為、彼は妻の血……鬼の血を分けてもらったのだ。


『兼臣、それが』

「ああ、お前の血を練り込んで打った太刀だ」


 鍛え上げた一振りの刀を眺めながら、満足そうに兼臣は頷いた。


“俺はこの手で妖刀を打とうと思う”


 鬼の<力>を宿した刀が造りたいんだ。

 妻に血を貰う時、彼はそう零した。

 らしくない言葉に戸惑いながらも従ったのは、心底彼を愛していたから。

 刀は楽しく打てればそれでいい。

 そう言い続けていた彼が初めて描いた理想の刀だ。望みを叶えてやりたかった。

 そうして造られた彼女の血を練り込んだ太刀は、見目麗しく切れ味鋭く、まさしく名刀と呼ぶにふさわしい出来であったという。


『ふむ。流石にいい出来だ。だが本当に鬼の<力>を持った刀になるのか?』

「さあ? 鬼が百年を経て<力>を得るんなら、この鬼の血の流れた刀が百年後<力>を持ってもおかしかないと思うが……実際のところどうなるかは分かんねえな」

『……適当だな』


 人に遥か先は見通せない。

 鬼ならば百年後も生きていられるが、彼は結局この刀の行き着く先を知らずに死に絶える。

 だからこの刀は、彼にとって意味のあるものとはならない。


「だがよ、出来たら面白いと思わねぇか?“鬼”と“人”。異なるものが混じり合って新しいものが生まれる。俺はな、それが見たいんだ」


 そうと知っている筈なのに。

 何故か、兼臣は満足そうに笑ってみせた。


「お前はいつだったか聞いたな。鬼と人は互いに疑い、憎しみ合うことしか出来ぬのか、と」


 それは結婚する前、まだ然程親しくもなかった頃。

 ぼやくように零した呟きだった。

 彼が覚えていたことに夜刀は驚く、それくらい些細なもので。

 しかし兼臣は、ずっとそのことを考え続けていたらしい。


「なあ、夜刀よ。俺は刀を打つしか能のない馬鹿な男だから、お前の疑問に答えることは出来ん。だが俺とお前は夫婦になれた。ならばきっと、いつかは鬼と人が共に生きることのできる日が来るんじゃねぇかって思ってる」

『本当に、そう思うか?』

「ああ、勿論。だから俺はこの刀を打った。これは鬼と人が共に在って初めて造ることが出来た。もしこの刀が百年後<力>を得ることが出来たなら、それは俺の考えが間違いじゃなかった証明だ。……残念ながら俺にゃあ、それを見ることは叶わんが」


 兼臣はまっすぐに夜刀の目を見た。

 彼が百年を生きることはできない。故に、この刀が本当に妖刀と成れるか、知る術はなく。

 けれどここに、千年を生きる者が。

 夫が死んだ後も続く長い長い日々を、一人で越えていかなければいけない者がいる。


「悪い、夜刀。代わりにお前が見てきてくれねえか? 俺の刀が果たして鬼の<力>を得ることが出来たのかを。そして、もし得ることが出来たなら疑わないで欲しい。人は馬鹿で、時々間違いを犯すが。鬼は自分を曲げられず、ぶつかり合うこともあるが。それでも俺達は共に生きられるのだと」

『……兼臣』

「お前の血を練り込んだ刀。そうだな……後三口程打ってみるか。四口の刀に刻む銘は全て大銘を夜刀守、小銘を兼臣としよう。夜刀守兼臣……俺とお前の名を持つ刀が、鬼と人が百年後どうなるのか。お前に、確かめてほしい」


 つまり夜刀守兼臣とは、夫から妻へ贈った約束だった。

 兼臣が死んだ後、夜刀は一人で生きていかねばならない。

 そんな彼女が孤独に負けてしまわないよう、寂しさに泣いてしまわないように、百年後の約束を贈った。

 いつかこの刀は妖刀に成るかもしれない、成れないかもしれない。

 俺はお前よりも先に逝く。

 これから続く長い長い歳月を、傍で支えてやることはできない。

 ならばせめて、刀を打つ。

 道行の途中、夜刀が寂しさに足を止め、全てを投げ出してしまわないように。

 二人の名を冠した愛し子のような刀の結末を、彼女に見てきてほしいと願ったのだ。


『分かった……任せるがいい。お前の想いの行く先は私が見届ける』

「済まんな、面倒を押し付けるようで」

『なに、夫の願いを叶える……これも妻の務めだよ』


 夜刀は笑った。

 泣きそうな、けれど強さを感じさせる、あまりにも透明過ぎる笑み。

 胸には、小さな決意があった。


 人の命は百年もない。いずれ彼は私を置いて逝ってしまう。

 悲しむだろう、泣くだろう。彼がいない日々に耐えられず、一緒に死んでしまいたいなんて考えてしまうかもしれない。

 でも、彼がそう願ってくれたように、私は生きようと思う。

 そしていつか、妖刀の辿り着く先をこの目で見て、天寿を全うし、幽世で彼に言うのだ。


“大丈夫。私達の愛し子は、ちゃんと貴方が願った通りの場所に辿り着けた”


 彼の願いも、優しさも。ちゃんと真っ直ぐに伝わったから。

 それに報いる生き方をしよう。

 夜刀守兼臣とはそういう約束。


 しかし後代、夜刀守兼臣はこのように語られる。


「戦国時代の刀匠、兼臣は鬼を妻としその血を用い、人為的に妖刀を造り上げた」


 夫婦の間で交わされた想いは、誰に知られることもなく───




 ◆



 それからも日々は続く。


「おお、土浦。来たか」


 鍛冶場で鎚を振るっていた兼臣は、一段落ついたところで振り返り、子供っぽい無邪気な笑顔で弟子を迎え入れた。

 土浦つちうら

 六尺を軽く超える背丈、筋肉質な体。

 土浦は人であったが、生まれながらにして大柄で、膂力にも優れていたため鬼子と呼ばれ、葛野の集落の爪弾きにあっていた。

 その為齢を重ねても働き口はなく、「ならば俺が面倒を見よう」と兼臣が殆ど無理矢理自分に弟子にしたのだ。

 古い時代、鬼や妖異の存在は現実的な脅威だった。

 鬼は人を攫い食い、時には疾病を招く。それ故に鬼と見做されたものへの迫害は寧ろ正義として扱われた。

 そういった観点からすれば、村八分にあっている土浦を受け入れた兼臣もまた異端と呼んでもいいだろう。

 もっとも本人は深く考えておらず、力仕事を任せるには丁度いいくらいの理由だったのだが。


「見てくれ、二本目だ。今度のは少し波紋に拘ってみてな。のたれ刃に葉の組み合わせ。まるで少女のように涼やかな刀身じゃねえか」


 自身が打った刀を見せつけながら満足そうに兼臣は頷く。

 彼は稀代の名工ではあったが同時に奇怪な変人だった。

 古くから続く産鉄の集落、その中でも随一の鍛冶の腕を持ちながら、その時の気分でしか仕事をしない。

 水へし小割り。積沸かし。鍛錬に皮鉄・心鉄造り。素延べ火造り土置き焼き入れ。拵えを作る以外の全ての工程を自分一人で行う頑固者。

 土浦が出入りしているせいで「あの男の鍛冶場には鬼が出入りしている」と陰口を叩かれていたが、それでも平然と笑っている。


『兼臣、それ以上はやめておけ。弟子が困惑している』


 もっとも、気にする意味などない。

 土浦の件はともかく、夜刀を娶っている以上、誤解とも言い難かった。

 二人は相変わらずの仲睦まじい夫婦。鬼と人は分かり合える、それを自ら証明し続ける。

 その空気が心地良かったのだろう。集落では陰鬱な顔をしていた土浦も、この火事場にいる時だけは眉間に皺を作ることはなかった。


「いや、でもよ夜刀。お前も見てくれ。こいつは我ながら美少女になった」

『……そんなだから、お前は変人だと言われるんだ』

「何故呆れたような目で俺を見る。って我が弟子よ、お前までっ!?」

「ああ、いや。つい」


 土浦は苦笑いを浮かべ、納得いかねえと兼臣は仏頂面。夜刀が窘め、今日も鍛冶を始める。

 幸福の日々。彼はいつまでもこんな日々が続いていくのだと、信じて疑わなかった。





 ───けれど、崩壊は知らぬ間に忍び寄る。





 いつまでも若い妻。

 誰かが零した疑いは、次第に凝り固まっていく。


「鬼じゃ。やはり兼臣は鬼女を嫁にしておった」

「こうなると土浦も鬼で間違いあるまい。おそらくはあやつが手引きしたのだ」

「考えてみれば急に現れたこと自体がおかしかった」

「まさしく。兼臣は鬼に操られたのだろう」

「だがどうする」

「決まっておろう。鬼が集落におっても災いの種にしかならん」

「しかし兼臣も殺すのか。あれの鍛冶の腕は葛野随一、殺すのは……」

「兼臣も鬼から離れれば目を覚ますわ」

「なるほど、ならば」

「ああ」





 ───鬼共を、殺すぞ。





 ある日、兼臣の鍛冶場は集落の民に襲撃された。

 狙いは当然ながら夜刀である。

 兼臣は妻を守る為体を張り、しかし数の暴力には勝てず。

 夜刀には夫の故郷を、共に育った民を傷つけることはできず、<力>を使わずただ逃げた。

 逃げて、逃げて。

 それでも、逃げきれず。


「おい、嘘だろ……東吾とうご。そんな、わけ。夜刀が」

「嘘なものか。貴様の妻は炉に落ち焼け死んだ。安心してくれ皆、土浦に夜刀。集落に入り込んだ鬼どもは死に絶えたのだ!」

「う、そだ。なあ、うそだって。頼むから、嘘だって言ってくれよ……っ!」



 

 ……そこから先に話は語るまでもないだろう。

 幸福の日々は長らく続いた。

 しかし夜刀との間に娘が生まれ、四振り目の夜刀守兼臣に取り掛かる頃、事態は動き出す。

 葛野に潜り込んだ鬼を討つ。

 集落の男達はそう言って夜刀を、土浦を殺そうと画策したのだ。


 集落の男達は幼馴染をそそのかし、土浦を殺そうと呼び出したそうだ。

 結果は失敗。

 鬼となった土浦は男達を、そして幼馴染を殺し葛野から逃げたらしい。


 兼臣は、鬼に騙された憐れな男として落ち着いた。

 葛野の民は「鬼と共に暮らしたなら、あれも鬼の仲間だろう」と言ったが、集落の長が庇いだて、長の責任で監視すると明言したことで事なきを得た。

「済まない、このくらいしかしてやれなんだ」

 その呟きに、長の行動はなんの裏もない善意だと知れた。


 夜刀の最後は誰も知らない。

 製鉄の炉に突き落とされ身を焼かれたと、集落の鍛冶師“東吾とうご”は言う。

 彼は兼臣と仲の悪い男だった。庇いだてする理由もなし、おそらくは本当だろうと集落の民は納得した。

 東吾は刀の出来に拘る生粋の鍛冶師。

 案外、伝え聞く干将莫邪のように、鬼を鉄に溶かして名刀を鍛えるつもりだったのかもしれない。

 まことしやかに囁かれるが真相は分からずじまい。


 ただ夜刀と土浦、鬼と呼ばれた二人が葛野の集落から姿を消したことだけは、疑いようもない事実。

 こうして兼臣と夜刀の恋の話は、一先ずの終わりを迎えたのである。




 ◆





 後味の悪い話だ。みやかは僅かに顔を顰めた。

 兼臣と夜刀。二人は種族を越え想い合ったのに、それを理解できない無粋な集落の者達に引き裂かれた。

 妖刀も決しておどろおどろしいものではなく、尊い約束だったというのに。


「……悲しいね」

「そう、だな。だが当時としては当たり前だったんだ。姫川も、梓屋が赤マントと結婚したいなどと言い出したら止めるだろう?」

「それは、そうかもしれないけど」


 葛野の民からすれば、自分達の故郷で口裂け女や赤マントが普通に暮らしている、という感覚だったのかもしれない。

 恐ろしいというのも分かるが、やはり悲しいと思ってしまう。

 物語としての悲恋なら楽しむが、ひきこさんの友人ができてしまった今では、少し嫌な気分になる。

 想像してしまったのは、心ならずも富島柳と吉岡麻衣が引き裂かれる姿。

 脳裏に浮かべた光景は、有り得ないことではないのだ。


「さて、ここからは君にも関係のある話だ」

「私に?」

「ああ、いつきひめというのは兼臣と夜刀の直系の子孫だからな」


 陰鬱だった気分が一瞬にして吹き飛ぶ。

 あまりにも軽い言い方に耳を疑うが、至極真面目な甚夜の様子を見るに、聞き間違いではないようだ。

 それでもなかなか受け入れられず、みやかはおずおずと聞き返す。


「あの、今、なんて?」

「だから、いつきひめは兼臣と夜刀の直系の子孫だ。騒動の後、葛野の集落には社が建てられた。土着の神であるマヒルさまを崇める神聖なる社。そこには長と兼臣、そしてもう一人の鍛冶師“東吾”という人物で話し合い、巫女が常駐するように決められたそうだ。いつきひめの名は“佳夜かよ”。夜の文字がどこから来たのかは、想像に難くないな」


 その娘はおそらく、兼臣と夜刀の間に生まれた子供だったのだろう。

 とはいえ、郷土関係の書物によると、初代のいつきひめの名は“夜刀”になっている。

 時期的に彼女が就くのは不可能。おそらくは兼臣の感傷だ。名前だけでも夜刀の存在を残しておきたかったのかもしれない。

 更に言えば初代の巫女守は兼臣。佳夜の巫女守は東吾と記されている。

 その辺りの事情は甚夜のあずかり知らぬところ。彼にとって重要なのは、いつきひめに繋がる流れである。

 

 いつきひめはマヒルさまに祈りを捧げ、鉄を生み出す火を崇める巫女。

 即ち葛野において姫とは火女であった。

 火の神に畏敬を抱くのは産鉄民として至極当然の成り行きであり、日々の生活を支える鉄、その母たる火と通じ合う巫女の存在は、古い時代には神と同一視された。

 だからいつきひめは社に住み、俗人に姿を晒すことはない。

 火女は社から一歩も出ず、御簾の向こうに姿を隠し、ただ神聖なるものとして集落の中心に在り続ける。


 けれど多分、最初の意味は違った。


 いつきひめは斎の火女。

 同時に“居着きの緋目”、集落に居着いた鬼を意味する言葉。

 彼女は夜刀の末裔。

 だからそれが周囲にばれないよう、御簾の向こうに隠れ、巫女守がその身を守護する。

 いつきひめは長と巫女守以外に姿を晒さず、社から出ない。

 それは神聖さを保つ以上に、夜刀との間に生まれた愛し子を守るための取り決めだった。


 そこには葛野の長と、東吾という鍛冶師の協力もあった。

 巫女守(いつきひめを守る者)が鬼切役(集落に仇なす鬼を斬る)を兼任するというのも、そこに起因する。

 兼臣は協力者である長達に願った。


『佳夜を社の巫女という形で生かしてほしい。もしもの時は俺が責任を取る』


 そもそも鬼切役とは、いつきひめ──鬼の血を持つ火女が集落に仇なす鬼となった時、被害が広がらぬよう即座に斬り捨てる為の役。

 その覚悟をもって、夜刀の子を守る。

 兼臣の決意が生んだ役職だった。

 もっとも、父親に娘を殺させるのは忍びないと、巫女守に収まったのは結局東吾だった訳だが。


「説話では、夜来は初代のいつきひめに古い刀匠が贈った刀とされる。刀匠はいつきひめの夫であり、自身の打った最高の刀を巫女へ贈ろうとした。しかしながら夜来を打つよりも早く巫女は逝去してしまった。結果担い手を失くした夜来は、御神刀として社に奉納されることとなった、という話だ。ここまで言えばわかるだろう?」

「兼臣が、妻である為に贈った刀……。葛野君の持ってる刀が、夜刀の死後に完成した、四本目の夜刀守兼臣?」

「正解だ。まかり間違っても関連性を疑われぬよう夜来───鬼を祓う“やらい”という名を与えられていた為、私も長い間知らなかったがな」


 故にその<力>は、『鬼と人の両特性を持つものにしか抜けず、千年の時を経ても滅びない』。

 鬼と人が共にある未来を願った夫婦の想いが形になったもの。

 それが葛野の宝刀、夜来の真実である。


「え、じゃあ私、鬼の子孫なの?」

「いや、それは違う。直系は既に江戸の頃絶えている。……彼らの最後の末裔は、白雪。白夜と呼ばれたいつきひめだ」

「白夜……」

「説話“姫と青鬼”で語られた姫のことだな。彼女は青鬼の妹に殺され、いつきひめの系譜は一度終わりを迎える。そこで当時の長が新たないつきひめとして、ちとせ……千夜ちよを立てた。彼女は後に国枝くにえだ航大こうだいと結婚。京都にある荒城稲荷神社へと移り、甚太神社では彼女の娘がいつきひめを勤めた。つまり君は、途中一度も断絶がなかったのなら、ちとせの子孫ということになる」

「いや、あの、ちょっと待って。……葛野君、詳し過ぎない?」


 ぽんぽんと出てくる新しい情報に、流石に混乱してくる。

 一息つくために彼へ投げかけた疑問。しかしそれは更に混乱を助長する結果になってしまう。


「詳しくて当然だろう。そもそも、説話で語られる青鬼は私のことだからな」


 白雪の死も、ちとせがいつきひめになった経緯も、国枝利之との結婚も全て甚夜自身が見聞きしたもの。知らない方がどうかしている。

 なにせ彼こそが説話に語られる、『惚れた女を殺され憎しみから鬼に堕ち、妹への復讐の為葛野を旅立った鬼』なのだから。


「……え、え?」

「ちゃんと言った筈だが、私は百を越えていると。確か、百八十七歳、だったかな。君の先祖であるちとせも知っている。とても可愛らしい娘だったよ」


 本当にとても可愛らしい、磯部餅を焼くなどという約束も何十年経っても覚えていてくれる、優しい娘だった。

 懐かしさに目を細める。

 あの娘の面影は、みやかには残っていない。

 それでも込み上げるものがある。遠い遠い未来で出会えた、彼女の子供。愛おしく思わない訳がなかった。


「えと、冗談……だよ、ね?」

「さて、どうだろう」


 信じられないといった面持ちのみやか。それも仕方がないだろう。

 残念とは思わない。寧ろ普段のクールな表情が崩れていて、なんとなしに微笑ましかった。

 穏やかな心地は今も続き、甚夜は小さく笑みを落とす。

 みやかには直接関係ない、しかし彼女に繋がる幾多の物語にも、ようやく一先ずの終わりが見えてきた。


「話を戻そう。兼臣と夜刀の娘、佳夜。その末裔である白夜の死をもって、鬼と人の混血であるいつきひめの系譜は絶えた。現代に伝わるのはちとせ、特別な力のない純粋な人間の巫女の系譜だな。彼女達は婿養子を取る形で姫川の苗字を守り、代々娘には夜の名がつけられた」


 新たな血筋が立ったと同時に、古い慣習は幾つか失われた。

 最たるものは『社に常駐し、御簾越しにのみ民と会う』というものだろう。

 新しいいつきひめに鬼の血は混じっていない。姿を隠す意味もなく、今では普通に外を出歩いている。

 逆に『いつきひめは代々夜の名を冠する』という習わしは残った。

 元々は夜来の管理者が夜の名を賜る。しかし甚夜に託された後もいつきひめは夜の名を継いできたようだ。

 続いてきた理由は、長の取り決めか、ちとせがそうしようと言ったのか。

 それは甚夜には分からないが、いつきひめの一族が古くからの想いを現代へ繋げるために、そのしきたりを守り続けてきてくれたことだけは間違いない。


「それは、お母さんから聞いたことがある。お母さんは夜宵やよいで、私も美夜香みやかだし」

「そうだな、君達は夜を継いできた。伝統といえばそれまでだが、いつきひめは遠い昔にあった筈の想いを、現代にまで紡いできた一族。君はその末裔ということだ」

「……なんかそれ、すごい恥ずかしい」

「そうか? 素晴らしい話じゃないか」


 いつきひめは時代を越え、かつての想いは現代へと至る。

 夜刀守兼臣もまた数多の物語を紡ぐ。

 妖刀に封じられた甚夜と、いつきひめであったやよいはふとした偶然から出会い、僅か数日ではあるが交流をもった。

 幼かったやよいも成長し、いつしか母となり、みやかが生まれ。

 今こうして、甚夜は姫川の娘と向かい合う。


「これで、話は終わりだ。いつきひめと夜刀守兼臣は、兼臣と夜刀の出会いから生まれ。数多の想いが積み重なり現代へ至った。だからどうというものでもないが、今代のいつきひめである君には、聞いてもらいたかった」


 みやかには直接関係ない話。それでも聞いてもらいたかったのは、単なる自己満足だ。

 知らなくてもいいこと。しかし知らないままというのは少し悲しい。

 受け取るのも、聞いた後どう考えるのかもみやか次第。

 けれど知っていてほしかった。


「君達の一族がどれだけ尊く美しいか。君に出会えた時、私がどれだけ嬉しかったことか。……知っていて、欲しかったんだ」


 彼は眩しそうに目を細め、ほぅと暖かな安堵の息を吐き。

 それでおしまい。長い長い夜刀守兼臣といつきひめの話は、此処に締めくくられる。

 夕暮れの赤の中、彼の目元が僅かに光を反射したのは気のせいだろう。

 甚夜は穏やかにみやかのことを見詰めている。その目は本当に優しくて、だから多分、気のせいだった。


「なんというか、知らないことばかりで驚いたけど。……ありがとう、でいいのかな? きっと葛野君にとっては、大切な話だったんだよね」


 正直に言えば、半信半疑。特にクラスメイトの男子が百歳を越えているなんて、にわかには信じられない。

 しかし彼の語る話に嘘はなく、出会えて嬉しかったという言葉に偽りはない。

 そう信じられる。それくらい彼は真摯で、暖かな想いがまっすぐに伝わった。

 今が夕暮れ時でよかったとみやかは思う。

 顔が熱い。きっと真っ赤になっている。

 けれど夕暮れの中ならば「顔が赤いな」と指摘されても、「夕日のせいだね」と返せるだろう。


「ああ、そうだな」

「だから、ありがとう。でも、どうして話してくれたの?」


 いつきひめのこと、夜刀守兼臣のこと。

 宿題の資料にしては深すぎるし、みやかがいつきひめだからといって、自身が鬼であるということまで明かす必要はない。

 隠し事を晒してまで伝える意味が、今一つ見えてこなかった。


「いや、君が言っていたからな。“姫川の娘”と呼ばれるのが気になったと」


 軽く答える甚夜に、謎は更に深まる。

 訳が分からなくて僅かに眉を顰めると、彼はまるで子供を窘めるように小さく苦笑する。


「まあ、言い訳だよ。私は決して君を軽んじていた訳ではないが、伝わらなかったのならば、ちゃんと意図は説明するべきだろう」


“あの子を見ていると、どうにも懐かしい心地になってな。しかし、そんなに甘いか?”

“すごく。出会って間もない頃から、薫は天女で私は姫川の娘だったし”

“気になってた、か。済まない、配慮が足りなかったな”


 そういえば、図書室で昨日そんな会話をした。

 それがちょっとだけ気になってた、とみやかは言い、彼は“姫川の娘”と呼んだのは決して君を軽んじた訳ではないと返した。

 思い出しはしたが、やはりいつきひめの話とは繋がらない。みやかの疑問を察したらしく、甚夜は何気ない調子で補足を加える。


「姫川というのは、当時の長が与えた姓だ。君達の一族はそれを絶やさぬよう守ってきてくれた」


“時の流れは残酷だ。百年の後、ここはお主の知っている場所ではなくなっているだろう。人も景色も、鬼程長く在ることは出来ない”

“だが瞬きの命とて残せるものもある。せめてもの侘びだ。いつか再び訪れた時、涙の一つも零させてやろう。楽しみにしているがいい”


 国枝航大との間に子をもうけ、にも拘らずその末裔の苗字が『姫川』なのだから、結婚してからも母方の姓を名乗り続けてきたのだろう。

 甚夜に涙を流させる。

 それだけの為に、長は巫女に姫川の性を与えた。

 以来いつきひめの一族は、その苗字と夜の名を代々重ねてきた。


「姫川の由来はおそらく長野県北部、白馬岳東麓に源とする河川だろう。古事記に曰く、奴奈川姫ぬながわひめという美しい姫が住むとされる川だな」

「……う、うん。それで?」

「白馬村・小谷村を流れ、日本海に注ぐ姫川。その源である姫川源流一帯は、古くから絶景としても名高い場所。そして、姫川源流に咲く花々は、白馬岳の雪解け水が育て上げる」


 フクジュソウ、ミズバショウ、カタクリ、キクザキイチゲ、バイカモ。

 長い冬が終わり、春が訪れる頃。清澄に流れる姫川と一斉に芽吹く可憐な花々は、春の息吹を感じさせる、まさしく絶景と呼ぶべき見事な眺めだ。

 それが彼女に似ていると思った。


「つまり姫川とは、雪解けの果てに生まれる絶景を意味する言葉だ」


“姫と青鬼”の話である

 いつきひめは志半ばに倒れ、巫女守は守るべきを守れず。

 本当に、好きで。誰よりも、大切で。

 叶うならばいつまでも傍にいたいと願っていたのに。

 遠い昔心底恋い慕った少女との物語は、流れる歳月の中、雪のように溶けて消えた。


「だから、軽んじたつもりはなかった」


 それでも季節は巡る。

 みなわのひびは弾けて消えて、懐かしい景色にはもう戻れない。

 冬が終われば雪は溶けてしまうだろう。

 同じように、いつかの恋も、重ねた日々に溶けて消えて。

 けれど溶けた雪は水になる。 

 暖かな陽光の中で雪は解けて見ずになり、水は空へと昇り。

 曇となり風に流れ。

 雨になって、降り注いで。

 春が訪れる頃、溶けて消え去ってしまった雪は、小さな蕾を芽吹かせる。 

 だから、想いはきっと雪のようなものだ。

 溶けて消えた想いはいつか、巡る季節の中で鮮やかに咲き誇る。


 そんな可憐な花に、此処で逢えた。


 恋い慕う雪が溶けて消えても、今ここに春の花が咲く。

 いつか失くしたものが還ることはなくとも、長い長い歳月の果てに、あの頃の想いが美しい景色を作り出す。

 かつてのいつきひめの系譜、白雪が絶えても。

 溶けた雪が咲かせる花のように、かつてあった筈の想いを紡ぎ、未来へと繋げてくれた人がいる。

 甚夜にはそれが嬉しかった。あの頃から連綿と続く想いの咲かせた花が、本当に美しく見えた。

 だからつい呼んでしまったのだ。


「巡る季節の中で咲いた美しい春の花。君はまさしく“姫川の娘”と、そう思ったんだ」


 私にとっては『天女』と比肩する形容だったが、伝わりにくかったな。

 付け加えた言葉は多分耳に入っていなかった。

 甚夜が言ったことを要約すれば、「君は春の花のように美しい」という意味であり、 彼はそんなことを冗談で言う男ではなく、今での態度はあまりに真摯だった。

 つまりお世辞でもなんでもなく、彼は本気でそう思っているということで。


「あ…ああ……」

「姫川、どうし」

「ご、ごめん。ちょっと、今は、こっち見ないでいてくれると、嬉しい、かな……」

「それは構わないが。まあ、ともかく知っていてくれると嬉しい。君を姫川の娘と呼んだのは」

「分かった! 分かったから、お願い。もうちょっと、落ち着くだけの時間を下さい……」


 みやかの顔は真っ赤。もはや夕日のせいにしても誤魔化し切れない程である。

 夜刀守兼臣、そしていつきひめの話からなんでこんなことになっているのか。

 やはり訳が分からない。

 ただ、彼の言葉は本心で。

 照れに照れて両手で顔を隠している少女の口元が、ほんの少しだけ緩んでいたのだけは、疑いようのない事実だった。




 いつか橙色の空の下で語り合った。

 白雪と甚太は、最後までいつきひめと巫女守であろうと誓った。

 そして今、以前とは違う夕暮れの中、甚夜はみやかを見詰める。

 歳月は流れ、心は変わり、遠い景色もかつての誓いも何処かへ消えてしまったけれど。


 あの頃の想いは、ちゃんと繋がっている。

 踏み越えてきた時間は消して無駄ではなかったと、そう信じることが出来た。


 夕日に照らされた二人の影は一つになって、瞬き始めた星がもうすぐ夜を連れてくるだろう。

 あの頃に見た景色と、今此処で見る景色。

 違うものを見ている筈なのに、何故か懐かしい気持ちになって。

 甚夜はもう少しだけ此処にいようと、未だに悶えているみやかを微笑ましい気持ちで見守っていた。




 ◆




「うん、よく調べてある。素晴らしいレポートだったよ」


 後日、完成した郷土研究レポート『産鉄の集落としての葛野』は納得のいく出来となった。

 説話から見られる葛野の当時の様子。

 刀匠である兼臣とその逸話を絡めた話。

 なによりいつきひめなどのタタラ場であった頃の葛野の在り方。

 他のグループよりも一段深く踏み込んだ内容は教師陣からも高評価。苦労しただけに喜びもひとしお、なかなかの結果に落ち着いた。


「よかったー、大変だったけどいい感じになったねー」


 ようやく肩の荷が下りたのか、薫はほへーと気を抜いてだらけている。

 放課後の教室で、机に突っ伏す親友。周囲の目もあり普段なら窘めるが、正直その気持ちは分かる。時間のかかる宿題が終わりほっとしているのはみやかも同じだった。


「そだ、折角だから打ち上げ代わりにどっか遊びに行こうよ!」

「お、いいな」


 薫の提案に柳はすぐさまのっかかり、彼が行くのならと麻衣も同意する。

 更には薫に甘い甚夜も当然のように了承し、一気に打ち上げ賛成派が四人。勿論みやかにも異論はない。

 グループワークを通して以前よりも仲良くなったような気がする。とんとん拍子で話は決まり、学校帰りに何処かで軽く食べ、そこから遊びに行く流れとなった。


「みやかはどの店がいい?」

「適当なファミレスでいいんじゃない? あ、と。甚夜は、和食系の方がいいのかな」

「いや、特にこだわりはない。まずは駅前に出てから決めるか」

「そうだね、それで」


 だから、甚夜が「みやか」と呼ぶようになったのは、グループワークを通して仲良くなっただけの話だ。

 姫川と呼ばれる度に夕暮れの語らいを思い出して恥ずかしくなるので、「お願いだから名前で呼んでください」とみやかが懇願したというような経緯は存在しない。

 みやかが名前で呼んでいるのも、彼に合わせただけ。決して他意はないのである。


「……みやかちゃん、葛野君と何かあった?」

「え、な、なにかって?」

「名前で呼び合ってるし、妙に仲いいし。あと和食勧めてるし。葛野君て和食が好きなの?」

「知らないけど、お年寄りならそういうものの方がいいかなって」

「お年寄り?」


 自称百歳を越える鬼の彼だ、そちらの方が馴染み深いかと気遣っただけで、実際に甚夜が和食好きなのかどうかは知らない。

 そう言えば薫も彼が百歳だと聞いている筈なのに、信じていないのか思い当たらないのか、きょとんとした様子でみやかを見返していた。

 ああいや、この子の場合単純に忘れているという可能性もあるけど。


「二人とも、そろそろ行くぞ」

「ほら、行こっか?」

「あ、うん、そうだね……んー?」


 いいタイミングで甚夜から声がかかった。

 薫は納得しきれていないようだが、追及されても困るし、そそくさと甚夜らについて教室を出る。

 歩きながら話し合い、取り敢えずの行き先は駅前のハンバーグレストラン。なんでもそこのチーズハンバーグが麻衣のお気に入りだとか。行こうというのが誰の提案だったかは、分かり切ったことだろう。


「悪い、ちょっと待ってもらっていいか? 行く前にコンビニ寄りたいんだけど」


 宿題が終わったおかげで随分と気楽になった。道すがらの雑談も弾む。

 お疲れさま、お腹減った、どこ行く? カラオケ、ボーリング?

 わいわいと騒ぐ中、柳は財布に金がないらしく、先にコンビニで下ろしたいとのこと。


「わー、すごい富島君、大人だねっ」

「いやいや、高校生になったんだからお金の管理も覚えなさいって親に渡されただけだよ」


 毎月のお小遣いで生活している薫には、自分の銀行のカードを持っている柳が大人っぽく見えたらしい。きらきらと目を輝かせ、尊敬の視線を送っている。

 こんなことで大人扱いされるとは思っておらず、柳は少し困った様子。それでも成績優秀やらサッカー部のエースやらの見当はずれな賞賛よりは嬉しいようで、返す声は苦笑交じりでも明るかった。


「ついでだし、私達も行く?」

「そうだな」


 特に買い物がある訳でもないが、外で待っているよりはいいだろうと、柳を追ってコンビニに入る。

 各々適当に商品を眺め、立ち読みで時間を潰していると、店内に「わわっ……!?」と可愛らしい女の子の声が響く。

 驚いてそちらを見れば、なんというか、柳の想像から外れない状況だった。


「麻衣、お前ってやつは……」


 流石のぽんこつっぷりである。

 柳がコンビニATMの機械へ向かう僅かな隙、一分にも満たない間に、麻衣は他のお客にぶつかり尻餅をついていた。


「す、すみません、でした……」

「いえいえ、こちらも余所見をしていたものですから」


 相手の方も同年代くらいの、すらりとした綺麗な少女だった。

 地に触れそうな長い黒髪、病的なまでに白い肌。小柄で線が細く、場所がコンビニでなく来ている服がいかにも安っぽい既製服でなければ、どこぞの令嬢かと思ったかもしれない。

 ぶつかった時に落としたのか、床には彼女の買ったであろうお菓子類が散乱してしまっていた。


「麻衣っ、大丈夫か!?」

「あ、ご、ごめんね、やなぎくん」

「だからもう、あれほど歩く時はちゃんと前を見ろって」


 柳が差し出した手を取って、ふらふらと麻衣は立ち上がる。

 そちらは柳に任せればいいだろう。近くにいた甚夜は落ちてしまったお菓子を拾い集める。しょうゆせんべい二袋、プリン五つ。なかなか偏ったセレクションだ。


「どうぞ。お怪我はありませんでしたか?」

「ええ、大丈夫です。拾っていただいて申し訳ありません」


 菓子の入ったレジ袋を受け取ると、少女は丁寧に頭を下げた。

 年の頃は十五かそこらだが、折り目のついた礼儀正しい振る舞いだ。しかし袋の中身をみられたのが恥ずかしかったのか、甚夜の目を見ると曖昧にはにかんでみせる。


「……本当に、すみませんでした」

「そんな、気にしないでください」


 改めて麻衣が謝り、少女は謝罪を微笑みで受け入れる。

 プリンは落ちた衝撃で多少崩れてしまったが怒ってはいない様子だった。

 それでは失礼します。

 そう言って少女は優雅に一礼し、静々とした振る舞いで出口へと向かう。颯爽という言葉が似合う、涼やかな歩き方だ。


「相手がいい人だったから良かったものの、ちゃんと気を付けなさい」

「う、うん……ごめんね、やなぎくん」


 柳に注意されて麻衣はしゅんとしてしまっている。

 そんな彼女の頭をポンポンと撫で、結局一人にするのが不安だったらしく、柳は麻衣の手を引いて再度ATMへ向かう。

 不運にもぶつかってしまって、けれど互いに怪我はなく。

 落ちた荷物を拾って、ちゃんと謝って、相手もそれを許してくれて、はいおしまい。

 不注意ではあったが大事にはならなかった。

 だから謝ったのなら、後は当たり前のようにすれ違って、それで終わりの筈だった。


「ああ、そうだ。少し、よろしいですか?」


 しかし何故か、思い出したように少女は言う。

 呼び止めたのはぶつかった麻衣ではなく、甚夜の方だ。

 声の調子に怒りはない。だから対して警戒もせず彼は振り返り、彼女の姿を目に留め、そして息を飲む。


『ああ、兼臣……ようやく、妻の務めを果たせたよ』


 少女が零した感嘆の吐息。見た目からは想像もできない、あまりにも深く静かな笑みに目を奪われる。

 すぅ、と彼女は手を伸ばし、しかし甚夜は身構えもしなかった。

 まるで悪意のない。言葉の通り、愛しい子を抱くような優しい手つき。拒んではいけないと訳もなく察した。


『お前の言う通りだった。鬼と人は共に在れる……それを、彼は示してくれた』


 戦国時代の刀匠、兼臣は鬼女を妻にしたという。

 妻の名は夜刀。夫婦は仲睦まじく、けれど終わりは悲恋だったと伝えられる。

 鬼はただそれだけで悪。

 集落の民は鬼を滅ぼす為に動き、夜刀は製鉄の炉に突き落とされ身を焼かれたと、集落の鍛冶師“東吾”は言った。

 製鉄炉に落ちれば、死体が残る筈もなく。

 夜刀の最後を見たのは、この鍛冶師だけ。

 他には誰一人として、鬼女の死を、その屍を見た者はいない




 だから、例えばの話である。




 もしも東吾という鍛冶師が、心の底では兼臣のことを認めており。

 夜刀は製鉄炉に焼け死んだ“ということにして”、その最後を誤魔化していたとしたら。

 千年を生きる鬼女は、兼臣との約束通り、夜刀守兼臣の行く末を遠い未来まで訪ねに行くだろう。

 そうすれば、長い長い歳月の果て。

 夜来と名を変えた愛し子の如き刀を振るう、人と共に生きる鬼と。

 何かの偶然ですれ違うことも、あるのかもしれない。


『大丈夫。私達の愛し子は、ちゃんとお前が願った通りの場所に辿り着けた』


 赤い瞳は、あやかしの証明。

 けれど涙に揺れて滲んで。

 そっと彼女の手が触れたかと思えば、頬に掠めるような口付け。


『私達の愛し子、その担い手。……君に、逢えてよかった』


 僅かな名残さえ感じさせず少女は離れ、今度こそ去っていく。

 甚夜は茫然と小さくなる背中を眺めていた。

 みやかにあれだけ講釈を垂れておいて、驚きに身動き一つとれないでいる。

 けれど、そういうものかもしれないとも思う。

 想いが雪のようなものならば。

 巡る季節の中で溶けだして、遠い何処かに花を咲かせるというのなら、こんなこともあるだろう。

 道の途中、ふと目に留まった小さな花の美しさに、ほんの僅か時間を忘れるくらい。


「おー、悪い悪い。お待たせ」

「じゃあ、行こっか。……あれ。甚夜、どうかした?」


 ようやく柳がいくらか金をおろし、さあ駅前のハンバーグレストランに行こうというところで、みやかは甚夜の様子がおかしいことに気付く。

 彼はぼんやりと出入り口を眺めている。その表情はやけに穏やかで、まるで眩しいものを見るように、彼の目は優しく細められている。


「……想いは、巡るものだと思ってな」

「え?」

「いや、済まない。少し考え事をしていただけだ」

「そう? それならいいけど」


 それも本当に一瞬、すぐにいつも通りの彼へ戻り、五人は改めてコンビニを出る。

 所詮はすれ違い、甚夜は小さくなる背中を追うことはしなかった。

 復讐に身を窶した鬼と、仲睦まじい夫婦の約束。

 二つの物語は交わらず、逢えてよかったと言った彼女の心は知りようもない。

 けれど彼女は何も聞かず去っていた。それで満足したというのなら、追って根掘り葉掘りは無粋が過ぎる。


「私ね、カラオケ行きたい! 麻衣ちゃんの歌絶対可愛いと思うんだー」

「梓屋さん、今いいこと言った。よし、飯食ったらカラオケな」

「え、あの……え?」


 なにより向こうの話に囚われて、こちらが疎かになるのは勿体ない。

 放課後、夕暮れ、皆で寄り道。

 何気なく、ありふれた、けれど夫婦の約束に勝るとも劣らない景色だ。


「なんだかなぁ……どうする、止める?」

「いいんじゃないか別に? 折角の機会だ、多少は羽目を外すのも悪くないだろう」

「う、ん。そう、かな?」


 だから昔語りの後には、ちゃんと今を楽しもうと思う。

 想いはきっと、雪のようなものだから。

 こうして過ごした何気ない日々が、いつかどこかで花を咲かせることもあるだろう。








『いつきひめ~妖刀夜話・終章~』・了


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