表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼人幻燈抄  作者: モトオ
平成編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

175/216

『いつきひめ~妖刀夜話・終章~』・2




 みやかの家は江戸の頃から続く由緒正しく歴史のある神社。祀る神は火を司る土着の女神、『マヒルさま』である。

 甚太神社は葛野がタタラ場であった頃に崇められた神を祀る社。

 とはいえ、みやかは今迄然程の興味もなく、詳しい謂れについては触れてこなかった。

 知っていること言えば、甚太神社という名前がかつて葛野を守護していた守り人の名にあやかって付けられたということ。

 巫女を“いつきひめ”と呼び、この神社に生まれた女児は皆名前に『夜』の文字が宛がわれる、ということくらい。

 つまり歴史的なことに関しては、まったくと言っていいほど知らなかった。


「それじゃ、確認するね。私達のグループのテーマは『鉄師の集落としての葛野』。主にタタラ場だった頃の葛野市ついて調べる。それでいい?」


 そういう訳で知識面ではあまり役には立たず、一応グループリーダーに選ばれはしたが、やれることといえばスケジュールの調節と話し合いの時の音頭をとる、後は出た意見をまとめる程度のもの。

 スケジュールの調節に関しても甚夜、みやか、薫は帰宅部。柳と麻衣は放送部で、放課後に時間を拘束される訳でもないので、殆どやることはない。

 結局リーダーとは名ばかり、みやかの仕事は単なる司会進行役だった。


「うんっ。でも、まず何から調べればいいんだろう?」

「とりあえずは図書室辺りだろう。幸いこの高校は蔵書量も多い」

「なら麻衣の出番だな。頼んだ、文学少女」

「う、うん。頑張るね」


 放課後、早速五人で教室に残りグループワークを開始する。

 テーマは『鉄師の集落としての葛野』。

 かつて葛野市がタタラ場であった頃に実在した刀鍛冶、『兼臣』に焦点を当て、鉄師の集落としての葛野市の歴史に触れるというものである。

 レポートに記す内容としては、戦国から江戸にかけて葛野が日の本有数のタタラ場として隆盛を誇った時代について書き、その時代に活躍した兼臣という鍛冶師をクローズアップする。

 彼にまつわる説話として有名らしい『鬼を妻とし、人為的に妖刀を造り上げた』というものを取り上げ、その辺りの逸話をいくつか紹介する。

 勿論、殆どの者は妖刀の存在など信じない。

 だから落としどころとしては『このような逸話が生まれる程、葛野は優れた鍛冶の集落だった。そして現在の市の名産品として包丁などの鉄製品があるように、当時の技術は今に伝わっているのである』というところだろうか。


 もっとも、それは教師に提出するための表向きの内容。

 みやかからすれば夜刀守兼臣に関しての話と、甚夜の言う「いつきひめなら知っておいた方がいいこと」の方が重要だ。

 特に後者は正直かなり興味がある。

 勿論、言い出した彼が何を知っているのか、何故知っているのかということも含めて。

 葛野甚夜。

 都市伝説と戦う不思議な少年。

 同年代とは思えない雰囲気を纏う彼が何者なのか、それなりに交流を持った今でもみやかは殆ど知らなかった。


「図書室かー、苦手だなぁ」

「梓屋は、あまり読書はしないのか?」

「えーと、マンガなら少女少年拘らずなんでも……あはは、マンガは読書じゃないかな?」

「そうでもないと思うが。何であれ文字に触れるのはいいことだ」

「だよね! そうだ、今度葛野君にお勧めの貸してあげる!」

「はは、楽しみにしているよ」


 案外、みやかの親友の方が彼については詳しいのかもしれない。

 五月の芸術鑑賞会の時も思ったが、最近二人は妙に仲がよく、そもそも出会って間もない頃から甚夜は薫には甘い。なにかと薫を気に掛ける彼は、少しだけ奇妙にも感じられた。

 恋人同士見えるとか、彼に下心があるとかそういう話ではない。

 みやかが甚夜に懸想をしていて、二人の関係に嫉妬しているというような、少女漫画よろしくのドロリとした感情の絡み合いも、当然ながらまったくない。

 ないのだが、一番の親友とクラスで一番仲のいい男子の奇妙な親しさは。少し、本当に少し、若干、僅かに、爪の先程度ではあるが、ほんのちょっとだけ気になる。


「あんまり、薫のこと甘やかさないでいいよ? 嫌な時は嫌って言っても」

「えー、みやかちゃん、ちょっとひどくない?」

「なに、子供は無邪気な方が可愛い。多少の我儘も愛嬌というものだよ」

「さりげに葛野君の方がひどいっ!?」


 女子高校生を完全に近所の悪戯好きの子供扱いである。

 この辺からも、恋愛感情からの甘い対応ではないと分かる。分かるが、だからこそ薫のことを「天女」と形容する甚夜の態度の意味が図り切れない。

 だから、もしかしたら。

 今回の郷土研究のテーマを受け入れたのは、それを通してもう少しだけ彼のことを知れたら、と思ったからなのかもしれなかった。


「じゃあ、それぞれ資料を集めてからもう一度集まろうか?」


 まあそれも面倒な宿題を片付けてからの話だ。 

 軽く雑談をしながら辿り着いた図書室、みやかの号令で五人は別れ、それらしい資料を集めに行く。当たり前のように柳と麻衣は二人で行動をしているが、そこを指摘するのは野暮の極みというものだろう。

 みやか本人も本棚にずらりと並んだ堅苦しいタイトルを、順々に確かめる。

 小野陶苑・著『鉄師考』。産鉄民の歴史と考察が主題の書物だが、古い本であるため文体が難しい。しかし資料としてはよさそうなので一応手に取る。

 後は『タタラ場を読み解く』。これは数年前有名なアニメ映画でタタラ場を舞台としたものがあったため、流行りに乗って書かれた本だ。

 映画の方は、村を襲ったタタリ神を退治した結果、右腕に呪いをかけられた主人公が解呪の為旅立ち、山犬に育てられた人間の少女と出会う……といった感じでタタラ場が主題という訳でもないのだが。ともかく読みやすそうだし、これも確保しておこう。


「あ……葛野君。見つかった?」

「それなりには」


 三冊目を探していると、同じ本棚に移動してきた甚夜と不意に目が合う。

 求める本の内容は一緒なのだから、探す場所が近いのも当然だろう。

 だからといって敢えて違う本棚へ行くのも変だ。自然と二人横に並び、上から下へと書籍のタイトルを追っていく。


「あれ、薫は? さっきまで一緒じゃなかった?」

「いっぱいあっても読めそうにないから、取り敢えず一冊だけでも、だそうだ」


 ちらりと甚夜が見た先を辿れば、大人しく着席し、難しそうな顔で本と格闘している薫の姿がある。

 勉強は苦手だし宿題も嫌いだが、人任せにして手抜きするつもりもない。かといって多くの資料をさばききれる自信もないので、せめて比較的簡単な本を一冊だけでも。

 真面目とは言い難いし決して優秀ではないけれど、ずるいことはしない。なんとも“らしい”親友の選択に、みやかはくすりと微笑む。

 隣にいる甚夜も似たような心持ちらしく、手元の本に視線を落としながらも、まるで父親が娘の成長を喜ぶような、妙に優しげな表情をしていた。


「……葛野君、薫と仲良くなったね」

「そう見えているのならば嬉しいな。彼女には、よくしてもらっているよ」

「薫も随分懐いてるけど、葛野君も妙に優しいというか、甘いというか。やっぱりそれって、昔の知り合いの人に似てるから?」


 野茉莉や染吾郎、兼臣や平吉らと過ごした騒がしい日々。ちとせとの再会、三橋屋の店主の無茶に付き合わされもした。

 林檎飴の天女との触れ合いは、遠く懐かしい、優しい記憶を呼び起こす。

 特別扱いしているつもりはなかったが、指摘され振り返ってみれば、確かに孫と接するような甘さが多少はあったかもしれないと自覚する。


「かも知れん。あの子を見ていると、どうにも懐かしい心地になってな。しかし、そんなに甘いか?」

「すごく。出会って間もない頃から、薫は天女で私は姫川の娘だったし」


 それがちょっとだけ気になってた、とみやかは言う。

 純粋な疑問だ。怒るとか不満だとか、その手の感情はない。

 昔から大げさな感情表現が苦手で、不愛想とかクールだとか言われてきた。こうやって話している時でさえ表情は殆ど変わらず、声の調子も平静。

 そういう面白みのない自分を知っているし、変えられるとも思っていない。

 だから周囲と比べて落ち込んだりはしないし、多少の対応の違いに不平不満は感じなかった。

 ただ本当に、ちょっとだけ気になって、ぽろりと零した。

 多分、仲良くなれたからだろう。これくらいで険悪にならないと信じられるくらいには、みやかはこの少年に気を許していた。


「気になってた、か。済まない、配慮が足りなかったな」

「ううん。別に怒ってる訳じゃないから、そこは勘違いしないでね?」

「そう言ってもらえると有難い。ただ弁明ではないが、“姫川の娘”と呼んだのは、決して君を軽んじた訳ではないんだ」

「そう、なの?」


 少しだけ戸惑いながら聞き返せば、甚夜は穏やかに、ゆっくりと頷いた。

 その態度に、でまかせや言い訳の類ではないと分かる。けれど強面の彼はみやか以上に冷静で、まだまだ人生経験の足らない少女では、その胸中を推し量ることはできなかった。


「それなら、うん、信じる。だから葛野君も、あんまり気にしないでほしいかな」

「重ね重ね、済まない。いや、ありがとう、だな」


 落とすような笑み。甚夜の笑い方は、同年代とは思えないくらい大人びている。

 軽んじた訳ではない。

 なら、どう思った? 聞いてみたくはあったが、この話題を続けるのは、彼を責めているような気分になる。

 藪をつついて蛇を出す結果になっても困るし、踏み込み過ぎは禁物だろう。

 取り敢えず落としどころとしてはこの辺りで十分。切りもいいことだし話を切り上げ、二人は再び資料になる本を探す。

 各々適当に集めてからは、話し合いもしたいことだし、既に皆下校し誰も居なくなった1-Cの教室へ場所を移す。

 机を合わせ、五人揃って借りてきたばかりの本に目を通す。

 勿論短い時間で全てを読み切れる訳ではない。流し読みをして、レポートに使えそうな部分をピックアップするのが主な作業だ。




「葛野は古くから産鉄の地として有名でした。近隣を流れる戻川からは良質の砂鉄が取れれ、近くには森があるのでタタラ炭も容易く入手できる。立地の良さがタタラ場として栄えた理由の一つですね。

 同時に葛野は高い鋳造技術を誇り、刀鍛冶においては『葛野の太刀は鬼をも断つ』と讃えられた、日の本有数の鉄師の集落でもあります。

 古い時代、山は神や怪異の住処でした。山間の集落であった葛野にとっても鬼や天狗といった山の怪異は脅威であり、それすらも打ち払うと評価されたことは、葛野の刀の品質の高さを証明していると思い……あ、えと。あの、思い、ます」


 そんな中で頼りになるのは、既に郷土関係の本をいくつも読破していた文学少女、吉岡麻衣の存在だった。

 今更資料など読まずとも頭に入っているようで、持ってきた本は開かず脇に置き、葛野の歴史について語って聞かせてくれる。

 みやかと薫は、あまりに淀みのない彼女の語りに正直かなり驚いていた。どうやら麻衣は好きなことになると結構喋るタイプらしい。

 滑らかに舌は動き、しかし注目の視線に気付いたのか、最後には顔を真っ赤にして俯いてしまう。


「麻衣ちゃん、すごい……」

「そ、そんなことは」


 薫の感嘆の声に麻衣の頬は更に赤くなる。

 彼女らの遣り取りを眺めている柳は、何故か自分が褒められている時より嬉しそう、というよりも物凄いドヤ顔だった。

 まあ誇らしくなる気持ちも分かる。読書の趣味は知っていたが、まさかここまで頼りになるとは。

 みやかは素直に感心して、今回のグループワークの最大戦力を称賛する。


「ううん、正直かなり頼りになるよ。ごめんね、麻衣。続けてもらっていい?」

「はい、みやかさん。で、では。鉄師の集落としての葛野を紐解くうえで、非常に重要なのが“姫と青鬼”という説話です」


 誰もが聞き入っている中、僅かに、傍目に分からぬ程度の小さな反応を示したのは甚夜である。

 姫と青鬼。

 大和流魂記という江戸時代後期の説話集に記載されたこの物語の内容は『妹に想い人を殺された青年が憎しみから鬼となり、未来に再び戻ってくるという妹を止めるため旅へと出る』というもの。

 とどのつまりが、甚夜の過去を描いた説話だ。

 しかし現代では鬼が実在したとは考えられず、これはあくまで寓話であり、裏には違う解釈が存在しているとされていた。


「これは大雑把に言うと姫を殺され、青鬼が葛野を去る話です。ここで言う青鬼は、民俗学的な解釈で考えると青丹あおにのことだと思います。“青”とは上等な砂鉄のことで、“丹”は辰砂……赤色硫化水銀のことを指し、その二つを合わせて青丹と呼びます。

 つまり青鬼あおおに青丹あおにの転訛。それが葛野から去ってしまったというのは、戻川から青丹……砂鉄が取れなくなって、タタラ場としての機能が少しずつ衰退していったことを示しているのだと思います」

「はー、なるほど……あれ、じゃあお姫様が死んだ、赤鬼に殺されたっていうのは?」

「妹が赤鬼なるくだりは、そもそも赤鬼自体が製鉄を意味する隠語でもあることから、砂鉄から鉄塊ころを生み出すタタラ製鉄が廃れ、江戸後期に少しずつ製鉄の集落としての在り方の変化していったことを意味しているんじゃないかと。姫というのは、製鉄は女性のま……ま……? あ、ちが、え、えと」


 途中までは調子よく語っていたが、薫の質問に麻衣は恥ずかしそうに俯いてしまう。

 今度は視線が集まったことに対する照れではないのではない。恥ずかしそうなのは間違いないが、顔を赤くし目を潤ませ、体をもじもじとさせて先程とはまた違った雰囲気を醸し出している。

 いきなりのことで聞いていたメンバーは不思議そうにしているが、その変化の意味に気付く者もいた。


「あー、なんだ。古い時代、タタラの鉄師というのは、製鉄の工程を人の一生に例え“一代ひとよ”と呼んだ」


 産鉄の集落、タタラ場として栄えていた頃の葛野で育った男、葛野甚夜である。


「一代は、特に女性の一生を指す。タタラ場における鉄塊というのは、集落総出で産み落とす子供、命だった。つまり姫はタタラ製鉄そのもの。“姫が死んだ”というのは、タタラ製鉄が機能しなくなったことの隠喩ではないか、と吉岡は言いたいのではないかな」

「そ、そう! それです!」


 珍しく大きな声で麻衣が同意する。

 周りは意外なところから詳しい知識が零れていたことに驚き、ほっとした様子の麻衣には気付いていない。

 ちらりと視線で少女は「ありがとうございます」と伝え、甚夜は「気にするな」と小さく頷く。


 ちなみに吉岡麻衣が語ろうとした内容は、甚夜よりもはるかに詳しい製鉄に関する話である。

 彼の言う通り、タタラ製鉄は女性の一生に例えられ、一代と表現される。

 またタタラ場の製鉄所は高殿、製鉄炉は火処ほどと呼ばれた。

 火処は鉄を生み出す場所。製鉄は女性の一生に、その作業は出産と例えられる。

 製鉄を産鉄と呼ぶのは、つまり女性が子供を産むように、鉄はタタラ場から生まれてくるとされたから。

 そして火処は秘所に通じ、火処ほど女陰ほとに通ずる。


 まあつまり。

 もっと言えば、かつて製鉄炉はホト……女性器と例えられ、真処(ま○こ)とも称されたのである。


 そういう意味もあって、姫というのは真処から子宝、粉宝こなだから=鉄塊を生むタタラ製鉄の寓意ではないか、と麻衣は言いたかった。

 言いたかったのだが、流石に同年代の男子の前で「ま○こ」と口にするのは、思春期の少女にはハードルが高かったらしい。


「か、葛野君……詳しい、ね?」


 だから途中で話を代わってくれて本当に助かったと、麻衣は思い切り安堵していた。

 恥ずかしさからか、それとも甚夜の外見のせいか、若干おどおどした調子だが少女は頑張って声をかける。

 ガタイがよく目つきの鋭い強面の男。いじめを経験した麻衣から見ると、厳つい容貌はかなり怖く見えるのかもしれない。

 せめて少しでも苦手意識を抱かぬよう、甚夜は努めて穏やかな声音で返した。


「そういう吉岡も、青鬼の話なんぞよく知っていたな」

「私は前に、図書室で大和流魂記を読んで」

「ほう、大和流魂記。江戸時代後期の説話集、だったか。天邪鬼と瓜子姫や狐の鏡程度なら私も知っているが」

「それも載ってるよ。他にも、寺町の隠形鬼とか、幽霊小路とかも好き」

「寺町の隠形鬼……ああ、江戸の頃の、姿の見えない通り魔だな」

「うん、スタンダードな怪談。姿の見えないものに対する恐怖って、今の時代の怖い話にも、通じるものだと思います」

「確かに……と、流石に話が逸れすぎたな。あと、君の守り人が怖い目をしている」


 思いのほかの会話は盛り上がった。

 途中から麻衣の固さも取れていき、反面微笑ましくながめていた柳の表情の方が若干固くなる。


「やなぎくん……?」

「いや、なに言ってるのか俺には全然分からないなぁ。葛野も妙なことを言わないように」


 話を振られても慌てず、平然と返す辺り柳は流石である。

 もっともみやかに薫、つまり麻衣を除く女性陣にはその内心はもろバレな訳であるが。

 この二人、なんで付き合わないんだろう。絶対両想いなのに。

 少女達の感想は奇しくも全くの同一だった。


「話を戻そう。吉岡の言葉の続きを取るようで申し訳ないが、いいか?」

「う、うん。どうぞ……」

「ありがとう。では、『姫と青鬼』における姫には、舞台が葛野であることを考えれば、先程語った内容以外にも意味がある。葛野において姫は火女ひめ、火の女を意味したからだ」


 葛野は産鉄によって成り立つ土地。

 鉄を打つに火は不可欠であり、自然と信仰の対象は火の神になる。

 この火を司る女神は『マヒルさま』と呼ばれ、火処(製鉄の炉)に消えることのない火を灯し、葛野に繁栄を齎すと信じられていた。

 マヒルさま、火の神に畏敬を抱くのは産鉄民として至極当然の成り行き。

 日々の生活を支える鉄、その母たる火と通じ合う存在は、古い時代には神と同一視された。


「火と通じ合う存在、ってどういうこと?」薫がこてんと首をかしげる。

「火の神と繋がる術を持った者。巫覡……まあ、巫女のことだな。古い時代、葛野では姫は火の女、マヒルさまに仕える女を指した。いわゆる“お姫様”ではなく、心身を清め神に添う巫女……いつきを意味する言葉だったんだ」


 だから、と甚夜はみやかへ視線を送る。


「葛野ではマヒルさまに繋がる術を持つ巫女の家系を、斎の火女。“いつきひめ”と呼んで崇めた、という訳だ」

「え、いつき……ひめ?」

「ああ。姫川の家の神社で巫女をそう呼ぶのは、葛野がタタラ場であった頃の名残だな。そして姫川は今代のいつきひめ。世が世なら俗人では声をかけることさえ許されない尊き御方だぞ?」 


 甚夜が冗談めかしてそう言えば、「ははー、みやか様」なんて薫が頭を下げてきたのでとりあえず冷静にチョップしておいた。

 薫ほど顕著ではなくとも、柳や麻衣もかなり驚いている様子だ。


「ってことは、姫川さんの家って、相当歴史ある神社なんだ?」

「う、うん、一応江戸時代から続いてるって聞いてる」

「それで、今のいつきひめが姫川さん。はぁ、なんというか、身近なところにそういう話ってあるんだなぁ。マジで驚いた……何が一番驚いたって、葛野が麻衣並みに歴史に詳しいってとこだけど」


 柳の言葉はこの場にいる全員の気持ちを代弁していた。

 驚きの理由は知らなかった話を聞かされたから、というのもあるが、半分くらいは語った少年に向けられたものだ。

 筋肉質でガタイがよく、目つきも鋭く若干強面。読書とは縁遠そうな彼が麻衣と同じように歴史を語る姿は、はっきり言って意外だった。それに関してはメンバー全員が同じ意見である。

 しかし一番動揺していたのは、やはり姫川みやかだろう。

 今代のいつきひめだというのに初めて知る内容ばかり、衝撃的な事実に目を白黒とさせていた。


「いたた……でも、ほんとびっくり。全然知らなかったや。だから甚太神社って巫女さんのこといつきひめっていうんだね……って、あれ? なんでみやかちゃんも驚いてるの? みやかちゃん、“いつきひめ”なんだよね?」

「え、と。そんなに興味なかったから、私、詳しい謂れは知らなくて……」


 なんというか、自分の家のことなのに、他の人の方が詳しいというのは非常に居た堪れない。

 注がれる薫の視線から目を逸らしつつ、誤魔化す為にもみやかは話を続けるよう促す。


「そ、それじゃあ、いつきひめってそんな昔から。少なくとも、江戸時代にはそう呼ばれてたんだ?」

「ああ。そして葛野の民は、火の神と繋がるいつきひめを信奉し、鉄とそれを齎す火に感謝して暮らしていた。その意味でいつきひめは集落の長よりも権力が高く、彼女が住まう社も集落で一番安全な場所に建てられた」

「あ、それ知ってる! もともとみやかちゃんの家の神社って、この高校の場所にあったんだよね?」


 戻川高校入学前にみやかから聞いた話を思い出し、はいっ! と大きく右手を上げて薫が答える。

 その通りだ、と先生よろしく甚夜が頷けば、ちゃんと発言できたのが嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべていた。


「梓屋が言うように、巫女の身の安全を考え、戻川が氾濫しても被害の少ないこの場所にかつては社が建てられていた。だから甚太神社の造営は江戸の頃だが、いつきひめの社自体はそれ以前、戦国の頃には既にあった。つまりタタラ場であった頃、この高校は集落の中心だった……どうだ、教師受けの良さそうな与太だろう?」

「おお、確かに。先生らの好きそうな感じだよな。姫川さんがいつきひめってのも含めて、俺らのグループのレポート、結構いい出来になるんじゃないか?」

「ほんとほんと。後は、まとめるのはリーダーに期待だねっ」


 聞かされた話に、グループワークのメンバーは皆感心していた。

 戻川高校が建てられる以前にあったという社、姫川みやかの家の神社との関係。

 なにより、いつきひめ。

 学校の宿題どうこうではなく、普通に興味深い話である。柳と薫などは若干本題から外れた話で盛り上がっている。


「あの、葛野君。もしかして、姫と青鬼の話って寓意だけじゃなく」

「ああ。実在の事件を下敷きにした説話、だろうな。勿論、吉岡の語った内容も間違ってはいないが」

「つまり実際に起こった出来事に寓意を含ませたもの……もう一度、大和流魂記借りてきます。読み直したら、また新しい発見があるかも」


 麻衣も知らなかった歴史に目を輝かせ、時折甚夜へ質問をしたりと案外楽しんでいる。

 勿論、教師の評価が高そうな内容なのも有難かった。

 昼食時の雑談から決まったテーマだったが、今回のレポートはなかなかいい出来になりそうだ。

 思った以上に意見交換は進み、リーダーであるみやかを中心に今日の話をまとめていく。

 夕暮れが藍色に染まる頃には、レポートの冒頭の草案は出来上がっていた。


「うん、こんなものかな。まだ初めの部分だけ、でも意外としっかり書けた」

「お疲れさま、みやかちゃん。流石に今日は疲れちゃったや、もう帰ろーよ」

「そう、だね。皆もそれでいい?」


 みやかの問いかけに、それぞれが肯定の言葉を返す。

 日は暮れてしまったが、ちょうど切りのいいところまで済んだ。

 あまり遅くなってまた都市伝説に遭遇しました、では笑い話にもならないし、今日はこのまま解散となった。

 麻衣は柳が家まで送り、甚夜はいつも通りみやかや薫と下校。遅くなった時は、いつも彼が家まで送ってくれる。

 そういう意味では、薫だけでなくみやかのことも特別扱いはしてくれているのだ。それが嬉しく、ちょっと恥ずかしいような。しかし不思議と嫌な気分ではなかった。


「じゃあねー、みやかちゃん、葛野君。また明日!」

「うん、またね」

「ちゃんと暖かくして寝るんだぞ」

「心配してくれるのは嬉しいんだけど、葛野君の中で私って何歳くらいに思われてるんだろ……」


 薫の方が高校と自宅までの距離は短い。

 その為いつも先に送り、次にみやかの家へと向かう。必然的に二人きりでの帰り道となる。

 最初の頃は少し緊張もしたけれど、今はそれもない。

 お互いテンションを上げて喋る方でもなく、ぽつりぽつりと言葉を交わし、時折笑みが零れる。

 穏やかな遣り取りがみやかには心地良かった。


「宿題、結構進んだね」

「ああ。君にとっても面白い話だったろう?」


 それは確かに。

 いつきひめならば知っておいた方がいいこと、と彼は最初に言っていた。

 まさしくその通りで、今日の内容は葛野の歴史であると同時に甚太神社、いつきひめの基礎知識とでも呼ぶべきものだった。

 みやかもまたいつきひめ。これくらいはちゃんとは知っておくべき内容かも知れない。


「うん、そうだね。でも意外だったかな。葛野君が、ああいう話に詳しいのって。結構本読むんだ?」

「夏樹の曾祖母は華族でな。屋敷の書斎を借りてはよく読んでいた。が、今回の話はその類ではない」

「え?」

「なにせ私はとうに百歳を越えている。実は、全部この目で見聞きした話なんだ」

「ふふ、なにそれ」


 明らかに冗談だった。

 ただクラスメイトが言ったなら「へぇ」と顔色一つ変えず流しただろう。

 しかし冗談を言いそうもない彼の言だから、余計に面白く感じられてみやかは微笑む。

 冗談を言い合える友達、それも男の子の。

 中学の頃は、異性でこういう相手はいなかった。

 だから余計に帰り道の些細な遣り取りが楽しい。

 感情表現が苦手で表情もほとんど変わらない。

 けれど穏やかに細められた目は、みやかの和やかな心地をよく表している。

 はしゃぐこともじゃれ合うこともしない、そっと触れ合うような交流。

 多分、この何気ない帰路は結構なお気に入りだった。


「それじゃ、ここで」

「では、また明日」

「うん、また」


 自宅に帰り、互いに小さく手を振り合ってお別れ。僅かな名残惜しさはきっと気のせいだと思う。

 軽やかに背を向け、家へと戻る。玄関先で長居させて、お父さんやお母さんが出てきて甚夜と鉢合わせ、みたいな状況は避けたい。

 せっかく出来た男の子の友達、からかわれるのはちょっと癪だ。

 気付かれないようすぐ家へ戻ってしまおうと、玄関口に手をかける。


「ああ、そうだ」


 すると甚夜が、思い出したようにみやかの背中へ声をかけた。


「どうしたの?」

「いや、明日は話の続きをしようと思ってな。出来れば、聞いてほしいんだ」


 一応はリーダーなのだから勿論聞くけれど、今のセリフはそういうニュアンスではないように思えた。

 宿題などは関係なく、姫川みやか個人に聞いておいてほしい。彼はそう言っている。


「……みんなが集まる前に、時間作った方がいい?」

「君は本当に聡いな。そうしてくれると有難い」

「構わないけど……大切な話?」

「君にとってどうかは分からない。だが、私にとっては伝えたいことだ」


 遠まわしで、分かりにくく。けれど真剣なんだということは理解できる。

 茶化したり軽く扱ってはいけない、その類のものだ。みやかはしっかりと頷いて了承の意を示す。


「うん、じゃあ放課後に……屋上とか」

「分かった、また鍵を借りておく。その時に聞いてほしい」


 どうやらこの対応で間違いなかったらしい。

 甚夜はどこか安堵するようにゆっくりと息を吐いた。

 そしてあまりにも穏やかな、どこか遠くを見つめるような眼差しで。


「兼臣と夜刀、夜刀守兼臣。なにより、いつきひめの話を」


 それをずっと君に伝えたかったのだと、祈るような真摯さで彼は言った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ