『四月・入学・悲喜交々』・2
「えーと、みやかちゃん、ここでいいんだよね?」
「うん、多分」
放課後、葛野甚夜に呼び出されみやか達は屋上へ訪れた。
四階建ての校舎の更に上へ続く階段の先、言われるままに来たはいいが、屋上への扉には「立ち入り禁止」と記されている。
しかし確かめるようにドアノブを回せば鍵はかかっていない。いいのかな、と一瞬迷ったが、もたもたしていても仕方がないとおそるおそる扉を開ける。
ぎぃ、と鉄が軋み、差し込む光に目が眩む。
時刻はそろそろ五時近い。屋上は既に夕暮れの色、夕日の眩しさを手で遮りながらみやかは屋上を見回す。
誰も、いない。
呼び出した張本人の姿はなく、薫と顔を見合わせて、もしかして間違った? なんてアイコンタクトを交わしてしまう。
中央まで歩みを進め、周囲を探してもやはり人影はなく、夕暮れに伸びた二人の影が色濃く映るばかり。
緊張していただけに、どうすればいいのか分からず、みやか達は立ち尽くす
「ああ、もう来ていたか」
鉄のような固い声。十分ほど待ったか、途方に暮れていた二人は、同時に声の方へ勢いよく振り向いた。
不愛想な少年が悠々と歩いてくる。
手に刀はない。刀で戦うイメージが強すぎて、それを奇妙に感じてしまうが、よくよく考えれば学校に帯刀してくる方がおかしい。
的外れな思考を反省し、緊張をときほぐすように一つ深呼吸、みやかは葛野甚夜をじっと見つめる。
「待たせたようだ。こちらから呼び出しておいて、済まなかったな」
「別に。話を聞きたかったのは寧ろ私達の方だし」
そっけない言い方は興味がないからではない。
言葉通り、この機会を望んでいたのは彼よりもみやかの方だった。
あの口裂け女は何なのか、貴方は何者なのか、聞きたいことは山ほどある。その為ならば多少待つぐらいなんの問題もなかった。
「でも、いいの? 屋上、立ち入り禁止って書いてあったけど」
「問題ない。教員に許可は取ってある」
立ち入り禁止の場所に入る許可を貰える。いったいどうやって?
疑問に思ったが、言葉にはしない。けれどみやかの表情から察したのか、「仕事柄色々な人間の背後に回るからな」と彼は言った。
多分、突っ込んで聞かない方がいいのだろう。藪をつついて蛇を出す真似は遠慮したかった。
「それってどういうこと?」
「ん? まあ、“おしごと”の関係でな。多少教員方にも恩を売ったことがあるというだけだよ」
そうやってみやかが躊躇うところを、なんの遠慮もなく踏み込んでしまう辺りこの親友はすごいと思う。いや、単に何も考えていないだけかもしれないけれど。
みやかは改めて甚夜を見る。
身長は180より少し小さいくらい。クラスの男子の中でも背は高い方で、肩幅広くがっしりした体付き。鋭い目つきと厳めしい面構えも相まって、若干怖めの印象がある。不良っぽい、というよりも応援団の硬派な男子みたいな怖さだ。
しかし無遠慮な薫の言動にも気にせず応じてくれる辺り、見た目に反して穏やかで落ち着いている。
「さて、あまり遅くなっても悪い。疑問があるなら可能な限り答えよう」
そうして、本題。
可能な限りと前置きする辺り、やはり隠しておかなければならない秘密があるのだろう。
それは仕方がない。そもそもあんな化け物と戦っているのだ、彼の事情が真面でないくらい分かる。そこを無理に聞き出すつもりは初めからなかった。
けれど怪異に襲われた身として、最低限の事情は知っておきたい。
さて、どう質問しようかとみやかは考え込む。
「朝顔さんって誰?」
考え込んでいたから、何も考えず反射で口を開いた薫に最初の質問を掻っ攫われてしまった。
「ちょっと薫」
「あはは、実は最初会った時に知り合いの人に似てるって言われたんだー。どんな人なのか気になっちゃって」
「……本当に、この子は」
なんて緊張感のない。
もっとあるでしょう。自分を襲ったあの怪異は何なのかとか、そもそも貴方は何者なのかとか。
みやかはほんの少し不満気、しかし本当に可能な範囲ならばちゃんと対応するつもりらしく、甚夜の方は割合素直に答えてくれた。
「朝顔は、そうだな。以前、うちに一週間ほど居候していた少女だ。君に会えた時は、本当に驚いたよ」
「へー、そんなに似てるんだ。ねね、どんな人?」
「そう、だな。……一言で表すのなら、やはり天女か」
へ? と、間抜けな声が漏れる。
返ってきた答えが予想外過ぎて、薫はぽかんと口を開けている。年頃の女の子としてその表情はいかがなものか。
そうは思うが窘めることはできない。なにせ驚いているのはみやかも同じだった。
「出会いは突然、別れの時も、小さな約束だけを残して鮮やかに去っていた。朝顔はまさしく天女のような女性だった」
「え、えーと、それが、私に、似てる人?」
「ああ。瓜二つだ……本当に、あの時と何も変わらない」
それはつまり、薫も天女のように美しいと言いたいのか。
勿論、みやかも親友の容姿を人並み以上だと思っているが、“天女のよう”という形容には首をかしげてしまう。
小柄で幼げな顔立ち、髪をまとめるリボンがよく似合う薫は、キレイよりもカワイイ系だ。
正直、彼女を天女みたいだと言う甚夜は、相当ずれた感性をしていると思う。
薫自身可愛いとは言われても綺麗という褒め方には慣れていないらしく、「あ、はは? え、あの」と顔を真っ赤にして思い切り照れていた。
「……あの、私の親友口説かないでほしいんだけど」
「いや、口説いているつもりはないが。ただ事実を」
「お願い、ほんと止めてあげて」
話が進まないし、照れ笑いを浮かべたままテンパった状態から降りて来られない薫が可哀そうだ。
その様子を確認しみやかが何を言いたいのか察したらしい。素直に済まないと小さく謝られた。
微妙な空気で薫が落ち着くまでしばらく待ち、今度こそようやく本題に入る。
「漠然とした聞き方だから、どう答えるかは任せるね。……葛野君は、何者?」
漠然とした問いは敢えてのこと、相手が答えたい形で答えられるように。
任せると言ったのは、問い詰めたところで全部聞かせてくれるとは初めから思っていないからだ。
誤魔化しや隠し事は当然。だが嘘を教えられては困る。
全ての真実ではなくていいから、こちらが納得できる程度の話をしてくれればいい。そういう含みを察したのだろう、彼は「頭のいい子だ」と苦笑を零した。
「どう答えるかは任せる、か。正直ある程度の追及は覚悟していたんだが、君は随分と物分かりがいいんだな」
「……物分かりがいい、とはちょっと違うんじゃないかな。単に臆病なだけ」
謙遜ではなく、事実。自分のことは自分が一番よく分かっている。
クールだとか落ち着いているとか言われているが、感情表現が苦手で不愛想に見られがちなだけ。
よく考えて行動するよう心掛けているけれど、考えすぎて「石橋を叩き過ぎて割る」結末になることもしばしば。
物分かりがいいと彼は言ってくれる、実際は踏み込む勇気がない。
つまるところみやかは、自身の性格を“臆病”だと評価していた。
臆病だから頭を使って、適切な立ち位置を探っているに過ぎない。
彼の立場からすれば嘘も誤魔化しも当然とみやか自身思うし、何より隠そうとしている部分に踏み込み過ぎて痛い目を見るのも嫌だという理由が大半だった。
「思慮深い、と表現するべきだと思うが……と、これ以上続けても水掛け論だな。さて、まずは私が何者か、だったか。まあ、怪異がいるならそれを討つ者もいる、くらいに考えていてくれればいい」
平然と語られる内容は、つまりあの手の化け物の存在が、彼にとっては当たり前なのだと示している。
彼は強かったし、口裂け女を前にしても動揺の一つも見せなかった。
それは相応の経験があり、都市伝説を相手取ったのも初めてではないからなのだろう。
「葛野君は正義の味方ってこと?」
薫があっけらかんと聞けば、どこか穏やかな、まるで兄が妹を窘めるような優しい目で彼は返す。
「君達も見た通り、私の当面の目的は都市伝説の討伐だ。しかし別段正義の味方という訳ではなく、ごく個人的な理由で動いている。時には金を貰って討つこともあるから、そう意味では仕事でもあるがな」
「……えーと、つまり?」
「立ち位置としてはミステリー小説の探偵みたいなものだ。自分の興味で事件に首を突っ込むし、依頼を受けて解決に乗り出すこともある」
「あ、なるほど」
ようやく理解した、という感じで薫はこくこくと何度も首を縦に振る。
みやかも今の物言いに納得する。解決するのは事件ではなく怪異だが、探偵というのは分かりやすい。
警察のような「公的な立場からの治安維持や犯罪の抑止」ではなく、あくまでも私的な利益に基づいてのもの。本人の気質の善悪はともかく、都市伝説を討つこと自体は、多少の善意はあれど正義故の行いではないのだろう。
だから、彼は“おしごと”だと言った。
つまりあの口裂け女も、偶然彼が先に遭遇したから追っていただけ。そのおかげで助かったのは幸運としか言いようがない。
……というか、浮世離れした印象あるけどミステリー小説読むんだ、と思ってしまったのは内緒である。
「でも口裂け女ってホントにいたんだねー」
「私も、驚いた。都市伝説なんて作り話だと思ってたから」
感心したように薫はうんうんと頷いている。
それに関してはみやかも同意見だ。都市伝説などあくまで作り話で、嘘っぱちだと思っていた。
しかし実際に襲われた今は、流石に信じざるを得ない。思い出すだけで体が微かに震えた。
「ああ、いや、実際作り話も多かったと思うぞ?」
え? と少女二人の声が揃う
都市伝説など創作に過ぎないと思っていたのは以前のこと。口裂け女を実際見たのだから、その実在は疑いようがない。
なのにそいつらを相手取る彼こそが作り話だというものだから、みやか達には上手く意味が飲み込めなかった。
「都市伝説は比較的近年に生まれた、新しい怪異だからな」
少年は語る。
かつて日本が江戸と呼ばれていた頃には鬼や天狗、山姥などの怪異は現実的な脅威として人の世を闊歩していたという。
しかしそれも時代の流れと共に変化する。
明治、大正。諸外国からの技術により日ノ本の国は大いに発展、近代化の一途を辿った。
その反面、昔ながらのあやかし達は姿を隠した。手付かずの森や路地裏の暗がりを好んだ古き魍魎は、都会の眩しさが苦手だったらしい。
代わりに昭和の頃からか、現代社会や都市の隙間に入り込むような形で、新しい怪異が現れ始めた。
「それが、都市伝説?」
「ああ。初めは単なる作り話だったのかもしれない。だが多くの者が信じれば、それは確かに力を持つ」
甚夜は幾度もそれを見てきた。
鬼の生まれ方は様々だ。鬼同士が番いとなり子を為す場合もあれば、戯れに人を犯しその結果として生まれてくることもある。
そして、無から生ずる鬼というものも、存在する。
人の想いには力がある。それが昏ければ猶更だ。
憤怒、憎悪、嫉妬、執着、悲哀、飢餓。深く沈み込む想いは淀み、凝り固まり、いずれ一つの形となる。
無から生ずる鬼とは、即ち肉を持った想念。
そもそも大抵の怪異は人の負の情念が集約、凝固して生まれるもの。
ならば都市伝説とて条件は同じだ。
「噂が流布され、多くの者が信じ、その存在を恐怖する。不特定多数の様々な情念が都市伝説には集約される。ならばそこから、得体の知れない“何か”が生まれても不思議ではないと思わないか?」
初めは創作物であったとしでも、多くの者が恐怖しその実在を信じれば、始まりはどうあれそれは既に“本物”。
広く知れ渡り、恐怖の的となることで、都市伝説は真実怪異となったのだ。
「なら、例えば。誰かが勝手に作った創作の都市伝説でも?」
「それが多くの者を信じさせるに足るものであれば、例外なく怪異として成立する」
だとすれば、八尺様だとかくねくね、メリーさんの電話や怪人アンサーだとか。
オカルト掲示板に投稿されるような都市伝説でさえ、実在する可能性があるということか。
なんというか、恐ろしいのもそうだが非常に頭の痛い話である。
「じゃあ、NNN臨時放送や口裂け女も、そうやって生まれた新しい化け物なの?」
薫が聞き返せば、何故か怪訝そうに甚夜は眉を顰める。
なにか聞いてはいけないことだったのか、とみやかは少しばかり心配するが、どうやらそうではなかったようだ。
「すまない、その“えぬえぬえぬ臨時放送”というのは、なんだ?」
「えっ、知らないの? あ、そういえばあの時も見てなかったっけ」
でも、都市伝説と戦ってるのに?
きょとんとする薫に、面目ないと素直に甚夜は答える。その反応を見るに、本当に知らなかったらしい。
説明下手な親友の代わりに、みやかが変わって説明する。
NNN臨時放送は一時期ネット上で賑わせた、明日の犠牲者を放送する都市伝説。
それを聞くと「ほう、ねっと、か」となんともたどたどしい相槌が返ってきて、その反応になんとなく察する。
「もしかして葛野君、パソコン苦手?」
「……知人の孫につき合わされて、赤い配管工が土管に入ったりコインを集めたりするやつはやったことがある」
多分彼が言っているのはファミコンである。今時ファミコンって。
流石に恥ずかしかったのか、甚夜は誤魔化すように咳払いを一つ。気を取り直して話を続ける。
「おそらくそのNNN臨時放送も、多くに信じられ怪異化した都市伝説の一つだろう。だが、あの口裂け女は多少毛色が違う」
そこで、彼の目付きが変わった。
「あれは、“捏造された都市伝説”。自然発生したものではなく、人為的に造られた都市伝説の怪人だ」
夕暮れは深まり、一段と風が冷たくなったように感じられる。
人為的に作られた。
その意味が一瞬理解できなかった。
まさか、あんな化け物を造るなんてできる筈が。
しかし無表情ながらに鋭く研ぎ澄まされた彼の気配が、決して冗談ではないのだと雄弁に語っている。
「私は、あれを造り出した者を追っている」
みやかは背筋に冷たいものが走るのを自覚した。
あの口裂け女は、確かに彼女達を殺そうとしていた。都市伝説の怪人が実在するのは確かに恐ろしい。
しかしそれ以上に恐ろしいのは、そういう化け物を分かって作り出す誰かがこの街にいるということだ。
高台にある戻川高校、その屋上からは街が一望できる。
夕暮れに染まる景色はきらきらと眩しく、けれど今まで普通に暮らしていた場所が、今では異境のように感じられる。
「とまあ、これくらいか。私は怪異を討つ者。この街には都市伝説の怪人を造り出す元凶がおり、そいつを倒すのが当面の目的。そこだけ把握しておいてもらえればいい」
甚夜が肩の力を抜いてそう締め括る。
その声にはっとなって彼を見れば、いかにも自然体といった気負いのない様子。件の黒幕など歯牙にもかけない、そういう余裕めいた態度に、みやかの抱いた奇妙な不安も少し薄れたような気がした。
話はそこで終わり、一瞬空白が場を占拠する。言葉のなくなった屋上、その中でおずおずとみやかは口を開く。
「……あの、ありがと、葛野君」
まずはお礼。別に態々説明する必要などないのに、みやか達の為に時間を割いてくれた彼へ感謝を伝える。
薫もそれに倣い「ありがとーね」と頭を下げた。
「なに、君の配慮に甘えて隠し事はさせてもらっている。そう感謝されるのは心苦しいな」
「でも思ってたより話してくれたから」
それに、隠し事はあっても、嘘はないように思える。
彼は怪しい人物ではあるが、口先で謀るような真似はしないと信じさせるだけの真摯さがあった。
だからみやかが口にした感謝も、形式だけではなく心からのものだった。
「え、葛野君嘘吐いてるの?」
だというのに、そうやって普通に聞く薫は少し考えてから発言した方がいい。
何度目かは分からないが、みやかは心底そう思った。
「嘘は言わない、ただ隠し事は幾つかある、というだけだ。だから感謝は必要ない。そもそも話したこと自体、私の都合のようなものだ」
薫はよく分からないといった様子、みやかも同じ気持ちだった。
彼が情報をこちらに回すメリットなんてないように思える。なのに、彼の都合。
どういうことなのか考えていると、先回りするように甚夜が肩を竦めて言う。
「通り魔事件で騒がれている最中なんの警戒もなく夜歩きに興じ、結果巻き込まれるような少女もいる。何も知らないよりは、多少は情報を明かし、脅かしておいた方がいいだろう?」
あまりにも納得できる理由だった。
そういえば、薫は通り魔事件が解決してないにも関わらず、「息抜きだー」なんて言って遊び歩いている最中に口裂け女と遭遇したのだ。
多少は怯えて自重してもらった方が、彼にとっても都合がいいということなのだろう。
「言われてるよ、みやかちゃん」
「どう考えても薫のことでしょ」
「えー、でも夜中出歩いてたのは一緒だし」
「わ、私は薫を探すって理由があったから」
「一応言っておくが二人共だからな?」
つんつんと薫に脇腹を肘でつつかれ、いやいや貴女のことだからとみやかが返す。
微笑ましいじゃれ合い、というか、なすりつけ合い。しかし甚夜から見れば二人とも同じようなものらしく、一まとめにされてしまった。
「梓屋。若い時分、夜遊びをしたくなるのは分かる。姫川の娘に関しては、友を案じての行動だ、責めるのも酷だろう。……が、近頃はちと物騒だ。夜歩きはなるべく控えてくれると有難い」
「……ごめんなさい、反省してます」
二人して声を揃えて素直に謝る。
考えてみれば、みやかも白峰八千枝から「ミイラ取りがミイラになったらどうする」と怒られていた。
確かに、今考えてみれば迂闊な行動だった。
そういう無謀な真似をしないように、彼はある程度の事情を教えてくれたのだろう。
有難いやら申し訳ないやら、結局怪しいと思っていた彼は、みやか達の身を案じて話をしてくれていたのだ。それが分かったから、余計に恐縮してしまう。
「そうやって反省し、危ないところには近づかないでいてくれれば十分だ。色々と話したのも見返りを見込んでのこと。あまり気にしないでいい」
「……どういうこと?」
「都市伝説が実在すると知った君達は、あやしげな噂が流れていれば警戒し近付かないし、それを解決できそうな者に報告してくれるからな」
ああ、成程。彼の言う通りだ。
みやか達は都市伝説が実存の脅威であると知った。放置すれば自身に危害が及ぶかもしれないとも。
その状況で都市伝説の噂を聞けば、敢えて近づこうとは思わないし、解決できる人物に話を持っていく。
隠したり嘘を吐いたりはしない。そうすれば、危険なのは彼女達なのだから。
つまり彼は、ある程度の事情を教える代わりに、気楽に使える情報源としての役割を期待しているのだ。
「つまり、女の子たちの噂で気になるのがあれば葛野君に伝えればいい、ってこと?」
「話が早くて助かる。女性の噂話は馬鹿にならないからな、期待しているよ。とはいえ、自分達で調べようと勝手に動かれては困るが」
「流石にしないから……」
あんな化け物に襲われるのはもうこりごりだ。餅は餅屋、専門家に任せた方がいい。
取り敢えず聞きたいことは聞けたし、これで本当にお開き。気付くと橙色の空は藍に変わり、もう夜が訪れようとしていた。
「さて、随分遅くなってしまったな。今日は送っていこう」
「重ね重ね、ありがと。迷惑かけるけどお願いできる?」
「勿論だ」
流石にあの話の後で放り出すつもりはないと、苦笑混じりに返される。
みやかにしてみても彼が護衛を務めてくれれば安心だ。
ちなみに「あ、じゃあ折角だし帰りに皆で甘いものでも食べにいこーよ! 一年間同じクラスなんだし、こう、交友? を深めるためにも!」と提案してきた親友には、チョップをプレゼントしておいた。
なのに「いや、それくらいはいいんじゃないか? 姫川の都合が良ければ付き合おう」と何故だか甚夜は乗り気である。というか、昔の知り合いに似ているからか、薫に対してはこいつ若干対応が甘い。
なんとなく納得のいかないものを感じつつも、みやかが薫に押し切られるのは毎回のこと。結局駅前の方まで足を延ばしてから、三人は賑やかに帰路へとついた。
鬼は嘘を吐かない。
だから甚夜が語った内容は紛れもない真実だった。
しかし当然ながら、いくつかの隠し事はある。
まずは、マガツメの存在。
いつきひめである姫川みやかにとっては無関係という訳でもなく、いずれは話すことになるかもしれない。
とは言え、今はまだ伝えない。それ自体は今回の件とは関わりがないからだ。
そう、マガツメと捏造された都市伝説とは、まったくの無関係である。
あれは未だ動きを見せない。
昭和の頃七緒に聞いた話ならば、来年までマガツメは動きを見せない筈。もうしばらくの間みやかには何も伝えず、事の成り行きを見守ろうと思う。
もう一つ、隠し事がある。
捏造された都市伝説を造り出す元凶を追っている。それは事実だが、元凶の正体に関しては、既に当たりがついていた。
そもそも大抵の怪異は人の負の情念が集約、凝固して生まれるもの。
そして甚夜は、負の感情を操り集約し、物理的な干渉力へと変換する<力>の持ち主を知っている。
「相変わらず、趣味の悪いことだ」
呟きは先を歩く少女達には聞こえない。
不意に鋭くなったその眼光にも、気付く者はいなかった。
◆
「おっはよー!」
翌日。
昨日の林檎のクレープでエネルギーを充電したのか、薫は朝から元気一杯といった様子で教室へと入ってくる。
流石のコミュニケーション能力、クラスの男女問わず既にそれなりの交友を築いているらしく、会って間もない男の子達ともちゃんと会話をしている。
親友のそういう物怖じしないところを、みやかは結構尊敬していた。
「おはよー、みやかちゃん」
「おはよ、薫」
先に登校していたみやかは、既に席へ着き新しい友人と雑談を交わしていた。
本人は感情表現が苦手で不愛想なだけだと思っているが、その態度がクールだと案外好意的に解釈されており、同じクラスの女子からはそれなりに声をかけられている。
おかげで別の中学出身の女子ともそこそこ話すようになっていた。
「ねね、なんの話してたの?」と薫も話の輪に入ると、更に賑やかになる。
「あのね、姫ちゃんの彼氏の話!」
「え、みやかちゃん彼氏さんいたの!?」
「いや、いないから」
朝から盛り上がっていたのは、みやかの彼氏の話。
しかし残念ながら、勿論そんなお相手はいない。 みやかは彼氏いない歴=年齢だ。それどころか中学時代は親しい男子など殆どどころかまったくいなかった。
みやかの容姿は絶世とは言わないまでもそれなりに整ってはいる。
うっすらと茶色がかった長い髪に、158センチと高校一年の女子としては高めの身長。
女性らしい起伏はあまりないが、すらりとした手足に余分な肉のない細身。切れ長の目に、通った鼻筋、ほっそりとした顔立ち。
かわいいよりも綺麗がしっくりくる少女なのだが、実のところあまりモテる方ではない。
年齢に反して落ち着いており、情動に任せた言動も苦手なせいだろう。無愛想に見られることが多く、中学の頃は男子とはあまり交友が無く、当然ながら彼氏などいる筈もなかった。
「なぁんだ、つまんないー。てっきり姫ちゃんとじんじん、付き合ってると思ったのに」
別の中学出身の新しい友人、根来音久美子は机にぐでーと突っ伏した。
ちなみに何故彼氏の話が持ち上がったかというと、どうやら原因は昨夜の件にあったらしい。
昨夜は駅前で遊んだ後、まず薫を家に送ってから、みやかの家へと向かった。それを偶然見ていた久美子が、もしや彼氏かと大騒ぎしているだけである。
「残念でした。そういう根来音さんは、藤堂君と付き合ってるの?」
「んーん? なっきは幼馴染だからね」
あんなに仲がいいのに、やはり付き合ってはいないようだ。下手な恋人同士よりも距離は近く信頼し合っているように見えるのだが。
ともかく薫のおかげでこの話題が途切れたのは助かった。この手の話は正直恥ずかしいし、ここらでそろそろ話題の転換をしておきたい。
「はい、この話はおしまいね」
「そだね。あずちんも来たし他の話を……」
多少強引だったが、久美子もこちらの意を汲んでくれたのか、「何かないかな」なんて言いながら別の話題を探してくれている。
入学前は口裂け女に襲われ、入学してみれば都市伝説を討つ剣士と知り合い。
最近の彼女の周囲はかなり物騒且つオカルティックだった。
こうやって薫や新しい友人と益体もない会話をするのは、なんというか、非常にほっとする。
みやかは安らいだ心持で久美子の次の言葉を待ち、
「あ! そういえば、最近“赤マント”が出るって話あるの知ってる?」
しかし思わず固まる。
いきなり顔を引き攣らせたみやかに、なにごとかと久美子は驚いているが、そちらに気を回している余裕はない。
まるで油の切れた機械のようなぎこちない動きで薫を見れば、同じようにひどく微妙な表情をしていた。
「……みやかちゃん、葛野君は」
「まだ来てない」
「じゃあ、もうちょっと待とっか?」
「そう、だね」
朝から気が重い。
先程までの盛り上がりとは打って変わって、二人の少女の口の端からは乾いた笑みが零れ落ちていた。
≪赤マント≫
昭和初期に語られた、その名の通り赤いマントを身に纏った怪人。
学校帰りの子供を誘拐し、殺害する。かつてはこの都市伝説を警戒し、警察が動員されるまでに至ったこともある。
その原型は「青ゲット殺人事件」と呼ばれる実在の殺人事件。
雪の降る夜に現れた、青い毛布をかぶった男。
とある商店に訪れ男は言う。
『あなたの親戚の婆さんが倒れたので、迎えに来た』
そうしてまず一人目、商店の番頭が連れ出された。
次に青毛布が訪れたのは番頭の自宅。言葉巧みにその母を連れ出した。
それから一時間後再び姿を現し、今度は妻を連れ出した。
最後に、隣家。そこには最初に連れ出された番頭の娘が預けられていた。
様々な理由をつけて連れ出そうとするも、隣家の者は首を縦に振らず、渋々男は帰っていく。いったいなんだったのかと思いながらも、その背中を見送った。
翌朝、連れ出された者たちの死体が次々と発見されることとなる。
この事件は結局解決されないまま迷宮入り。
そしてここからが不気味な話である。
後に青ゲット殺人事件と呼ばれたこの事件は、終戦時の検事総長の執筆した捜査体験記『犯罪の縮図』が出版されたことで広く認知された。
検事総長の記した書物、当然警察の情報も確認しているだろう。
しかし何故か、出版された『犯罪の縮図』という本において、男が被った毛布の色は“赤”に変化していた。
この不気味な事件は後に小説の題材となり、その際見栄えから毛布は「マント」へ変えられ、「人さらい」や「殺人鬼」といった特性が加えられる。
更に現実の暴行魔や2・26事件の赤い外套などの様々な要素を取り込んだ結果、子供を誘拐し殺害する赤マントの怪人が生まれた。
都市伝説としての赤マントは、少女をさらいリョナレイプしたのちに殺すという非常に危険な怪人。その正体は吸血鬼だとも語られる。
ちなみに「赤いマントと青いマント、どちらがいい?」と問いかけてくる、学校のトイレに現れる「赤いマント」とは本来別物。トイレの方に現れるのは正確には「赤いマント・青いマント」であり、この赤マントからの派生した都市伝説というのが有力な説となっている。
しかし逆輸入される形で「赤と青のどちらがいい?」と選ばせ、赤を答えればナイフで血塗れに、青と答えれば血を吸われ真っ青な顔で死を迎えるといった、選択肢を突き付ける赤マントも存在している。
赤マントは歴史の古い都市伝説であるため、他にも「赤い紙・青い紙」「赤いちゃんちゃんこ」などの多くの派生形を持つ。
学校の怪談に登場する「赤と青」を選ばせる怪異のアーキタイプ的存在。
吸血鬼であり、暴行魔にして殺人鬼。少女にとっては絶対の害悪とも呼べる都市伝説である。




