幕間『復讐の果てに』・1
昔々、あるところに悪い鬼がいました。
その鬼は食べれば食べるほど強くなるらしく、人間や、自分の仲間である筈の鬼さえも食べてしまうのです。
力が強いから好き勝手に振る舞い、今日も今日とて生き物を貪り喰います。
そんな中、立ち上がったのは一人の女の子。
彼女は鬼を騙して近づき、不意を打ってまんまと倒してしまいます。
こうして暴れ者の悪い鬼は封じられ、巷には平和が戻りましたとさ。
めでたし、めでたし。
そして、「めでたし、めでたし」の後のこと。
それは復讐に身を窶した鬼人の話であり、復讐を継いだ少女の話でもあり。
後は、どこにでもいる男の子と、誰かの名前を貰った幼馴染っぽい娘だとか。
なんだかんだ因縁ある生まれの女の子との、些細な触れ合いでもあったりもする。
初恋とか、復讐とか、聞けなかった真意とか、考えても分からないこととか。
色々混じりあって、皆で頭を悩ませ合って。
ちょっとだけ優しくなれたような気がする、そんな話。
“鬼喰らいの鬼”と呼ばれた悪鬼が封じられ、しばらくの歳月が過ぎた頃のお話である。
鬼人幻燈抄 幕間『復讐の果てに』
【少年と憧れのお姉さんの話】
昭和五十一年(1976年) 八月
「いってきまーす!」
浅草駅の南側、隅田川の流れる方面にある木造の一軒家が高森啓人の自宅である。
夏も夏休みも真っ盛り。小学四年生になった啓人は、だからと言って普段の生活が変わる訳もなく、宿題は八月の二十五日あたりからやり始めればいいかと毎日毎日遊び呆けている。
啓人はクラスに一人はいる、いわゆる「お調子者」というやつで、真面目に宿題なんてやっていたら、周りに熱でもあるんじゃないかと心配されるような立ち位置だ。
体を動かすのは好きだけど頑張るとかは大嫌いだし、頭悪い訳でもないが好んで勉強もしないので成績もそこそこ。
ちょっとおどけて周りの笑いを誘えりゃそれで十分、後は遊びに真剣でオッケー。
そういう性格だから夏休みと言っても勉強だとか社会学習だとかは全く無縁で、日が暮れるまで遊ぶし夜更かしだってほぼ毎日。
けれど最近、朝は早めに起きる。
夏休み恒例の朝のラジオ体操にはもちろん参加しない。彼の目的は別にあった。
「うおおっ! ちこっと寝坊した!」
昨日の友達に借りた怪談本なんて読んでたのが失敗した。
別に怖くない。怖くなかったよ? ただちょっと物音が気になって眠りが浅かっただけ、とは本人の弁。
男の子の意地として怖いとは死んでも言わない。
朝まで小便を我慢したのもちょっと面倒くさかっただけである。
ともかく、そんなこんなでいつもより家を出るのが遅くなってしまった。急がないと間に合わないかもしれない、啓人は体力測定の時だって見せないほどの全力で走り抜ける。
「うおーい、ケート! 朝からうっせーぞ!」
「酔っぱらった時のおいちゃんよりはマシだっつーの、って時間ねーんだってマジで!」
下町らしく近所仲は良好。近所のおっさんの怒声もなんのその、十歳の情熱を見せつけるように走り抜ける啓人。
ただでさえ暑いというのに暑苦しいことこの上ない。とはいえ、近所のおっさんとは子供の頃からの付き合いだ。そんな彼を見ても「まーた、馬鹿やってるよ」程度のもの。
実際、馬鹿をやっているのは事実だが、本人にとっては大問題であり大の本気である。
「うおっしゃぁ、ついたぁ!」
辿り着いたのは、浅草にある名前も知らない小さな神社。
ここに毎朝参拝に行くのが啓人の日課だった。
と言っても信心深い訳ではない。むしろ「へ、神様? なにそれおいしいの?」を地で行く彼が態々お参りをするのにはもちろん理由があった。
「よーし、落ち着け俺。深呼吸、深呼吸」
しこたま走って荒れてしまった息を整え、汗を拭っていかにも「俺、のんびり来ましたよ?」な感じで体裁を整え、ゆっくりと神社へ入っていく。
いたるところから聞こえてくる蝉の声、むせ返るくらい濃い緑の匂い。満ち満ちた夏を感じながら歩けば、見えた人影に思わず少年は笑顔を浮かべた。
よかった、なんとか間に合ったらしい。
境内には、目的の人物がちゃんとまだいてくれた。
「おや? 啓人くんじゃないっすか」
ふんわりとした優しい笑みで迎えてくれたのは、喋り方こそ妙だが、整った目鼻立ちに落ち着いた雰囲気を漂わせた妙齢の女性だった。
年の頃は二十一、二だろうか。嫋やかに微笑む姿は、大人の女という表現がぴったりとくる。
浅草で骨董屋を営む彼女は、名を柚原青葉といった。
「お、おはよう、青葉さんっ」
「はい、おはようございます。今日も早いっすねぇ。毎日大変じゃないっすか?」
「あっはっは。いつもこんくらいだから別に大変じゃないって。いやー、やっぱり朝の神社は空気がきれいで気持ちいい。まるで、心が洗われるようだね」
髪をかき上げ気取って様子で啓人は言う。
「ふっ……」と恰好をつけてはいるが、小学四年生がそんな真似をして様になる筈もなく、大層滑稽だった。
勿論、それを指摘するほど青葉の性格は悪くない。
寧ろ幼げな男の子を可愛らしく思う。背伸びした子供を微笑ましく見つめれば、「よっしゃ、好感触!」なんて勘違いをして少年の心はいい具合に弾んでいた。
「てか、そういう青葉さんだって毎日早いじゃん。偶然、そう偶然だけど毎朝会うし」
今更語るまでもないが、啓人が毎日朝早く神社へ訪れるのは、別に信心深いからではない。
同じく朝早く参拝に来るお姉さん、青葉が目的だった。
優しく明るい年上の綺麗なお姉さん、なんてそりゃあもうたまらない。おまけに言えば全体は細いのに上半身の一部だけにしっかりとお肉のついた彼女は、男子には抗いきれない魅力的な女性である。
「あはは、私の場合はもう日課っすからねぇ」
朗らかに笑い、青葉は再び神社の社殿を見る。
正確には社の木の格子、更にその奥。安置されている一振りの刀に彼女の視線は注がれていた。
「夜刀守兼臣」
「え?」
「この神社に収められてる刀の名前っす。その昔、鬼を封じた刀、なんすよ」
マンガみたいな設定だが、小学生には心惹かれるものがあったらしい。
へえ、と啓人は目を輝かせて格子の向こうの刀を覗き見る。といっても、暗がりにあってよく見えない。背伸びしたり目を細めたりと必死になっている姿はやはり子供で、青葉は穏やかな心持で目尻を下げる。
「別に御神刀って訳じゃないんすけどね。なんとなくうちの店に置いておくより神社にある方がしっくり来る気がして、ここで預かってもらってるんすよ。もう十七年くらい前の話っすかねぇ」
「うちの店ってことは、売り物?」
「ううん。お爺ちゃんからお父さんへ、お父さんから私へ。代々継いで来たって言ったら大げさっすけど、実家からの貰い物なんすよ。うちは骨董屋だから、置いてある古い物って基本商売品なんで。そういうのと一緒に扱いたくなかったんじゃないっすかね、多分」
自分のことなのに、ひどく曖昧な言い方だった。
彼女自身胸中を計りかねているのだろう。しかしそこらの心の機微は、まだまだ幼い啓人にはよく分からない。
それでも青葉があの刀を特別だと考えていることくらいは感じ取れた。
「じゃあもしかして、青葉さんずっとここに通ってたの?」
「そんなことないっすよ? だってあの刀、神社に戻ったの去年の話っすから」
「へ?」
「置かせてもらったのは十七年前っすけど、一度盗まれてるんすよ。盗んだっていうか、貸した、くらいがいいっすかね。一応面識ある相手ですし。ま、それはともかく、そういう理由で十年くらい行方が分からなかったもんで、実はこの神社に置かれてる期間の方が短いんすよね」
空白の十年は、また別のお話。
ちょっと気弱な文学少年と封じられた鬼の邂逅は、ただそんなこともあったと知っているだけの、青葉とは関係のない物語である。
彼女でさえそうなのだ、啓人とは更に関係ない、有体に言えばどうでもいい話だ。昔持ち出されたなんて話を聞いても、今現在返ってきているのなら大した感想はなかった。
「ふーん、でも返ってきたならよかったじゃん」
「あはは、ほんとっす。こういうのも縁なんでしょうね」
「あー、よく分かんないけど。それよりさ、ここの刀って青葉さんちの家宝ってやつなんでしょ? やっぱり値段てすげーの?」
「どうでしょう。戦国後期の刀匠の作っすから、結構な値だとは思うっすけど」
「おお戦国の刀ってなんかすごい感じが。触ってみたい、とか思っちゃ駄目?」」
「あはは、男の子っすねぇ」
刀が此処に収まった経緯には然程の興味もないが、“家宝の刀”とか“戦国”という響きは小学生的にはどストライクだった。
触って抜いてみたいとも思う。ついでに青葉さんのおっきいのにも触ってみたい。そんなことを考える辺り彼は結構マセガキかつ駄目な人間である。
若干抱いたヨコシマな考えに気付かれぬよう平静を装い、青葉の横顔を覗き見る。
ほっそりとした、綺麗な目鼻立ち。どきりと心臓が跳ねるくらいに、綺麗なお姉さん。
けれど憧れのお姉さんが刀を見る目は、なんでか寂しそうで、まるで片恋でもしているかのようだ。
「……あの刀、やっぱり家に置いといた方がよかったんじゃないの?」
大切なものだと、傍目からでも分かってしまう。
家にあると商売品の一つのように感じると彼女は言うが、それでも手元に置いておいた方がいいと啓人は思った。
毎日のように神社へ通うくらい思い入れのある刀なのだ。本当は人に預けておきたくないのだろう。
けれど青葉は笑顔でそれを否定する。
「んー、そうっすねぇ。そう思う時もあったけど、結局預けたままにしてます。やっぱり、距離を置いておいた方がいいと思うっすから」
「なんで?」
「考えてもよく分からないことを考える為に、っすかね」
そんなこんなでもう十何年っすよ、なんて言う彼女の微笑みはとても綺麗で、思わず顔が赤くなる。
だからそこに込められた想いには気付くこともない。察するには少年はまだまだ子供過ぎた。
「なんか、よく分かんねー」
「あはは、私もよく分からないっす」
「結局青葉さんは、なに、その考えごとするためにここにきてるってこと?」
「そっすね。後は、復讐の為に」
柔らかな表情でいきなり物騒なことを口にする。
綺麗なお姉さんから出てくるとは思っていなかった単語に啓人は目を丸くした。
それが殊更子供っぽく見えたのだろう、青葉は優しく微笑む。
「お爺ちゃんの復讐は終わったから、今度は私の復讐。多分私の年月は、その為にあったんですよ」
何も言えなかった。
綺麗なお姉さんだとは思っていた。けれど今の彼女の綺麗さは容姿とは関係ない。復讐なんて口にしているのに、涼やかとさえ感じられる立ち振る舞い。濁りなく透き通るような彼女の在り方に目を奪われる。
何も言えないでいる少年を尻目に、これでお話は終わり、と区切りを見せつけるように青葉はぐっと背伸びをした。
体をほぐし、未だ固まったままの啓人の肩を軽くぽんと叩く。
「じゃあ啓人くん、私戻るので。七緒が待ってるし」
ナナオ? 七男、それとも奈々夫? え、っていうか男!?
復讐以上に信じられない、というか信じたくない言葉にようやく頭は働き始める。
「え、ナナオ? あの、ナナオ、さんって、誰ですか。もしかして、彼氏……とか?」
「へ? あはは、もう啓人くんてば、違うっすよ。彼氏なんかじゃないっす」
ほ、よかった。
だよなー、と安心して息を吐く少年に、更なる衝撃が突き付けられる。
「お腹を痛めて生んだ私の娘っす、旦那様似のかわいい女の子。啓人くんと同じ小学校ですけど、会ったことなかったっすか?」
にへら、と先程までの雰囲気を吹き飛ばす勢いでふやけた顔を見せてくれる。
娘ってのは、つまり娘で。旦那様ってのは、つまり旦那様で。
え、なに、お姉さんもう結婚してて子供までいるの? それに気付くまで、きっかり一分必要だった。
「あの、青葉さん? あの、青葉さん年齢って……?」
「むむ、駄目っすよ。女性に年齢を聞くなんてデリカシーがないっす。まあ、おばさんは気にしないけど。ちなみに三十一歳っす」
え、その喋り方と外見で人妻子持ち三十代なの? ぶっちゃけ二十ちょいくらいかと思ってましたけど?
再び動けず固まってしまった啓人を放置して、スキップしそうなくらいに軽やかな足取りで家路を辿る。
一人取り残された少年は、涙も流せずただ茫然としている。
曰く、“初恋は実らない”。
都市伝説のように語られるフレーズは確かに真実だったと思い知らされた、十歳の夏のことであった。
【いつかの少女の話】
考えても分からないことを、今も考えている。
『言っただろう、結末は分かり切っていると』
あの時彼が言ったことを覚えている。
私は、鬼喰らいの鬼と対峙し彼を封じることに成功した。
けれど今も分からない。
何故、彼は封印されたのだろうか。
自惚れてはいない。歴戦の鬼である彼に、私ごときの腕では勝てないと知っていた。
あれは意地を通すための行動で、私は結果として死んでも満足だったのだ。
でも結末は、鬼喰らいの鬼は封じられ、私が生き残った。
もしかしたら彼は、私の覚悟を知って、傷つけないために敢えて負けたのだろうか?
馬鹿な。実力には呆れるくらいの隔たりがあった。
たとえ私を傷つけたくないと思っていてくれたとしても、彼なら傷つけず制するくらい片手間で出来る。
傷つけたくないからと、わざと負ける理由なんてなかった。
なら、私に復讐を果たさせてあげたかったから?
それも違う。彼の<力>も祖父から教えられある程度は知っていた。幻覚や姿を消す<力>を使って、「封印されたように見せかける」くらい簡単にできる。
そうして今後私の前に姿を現さなければ、私はお爺ちゃんの仇を討てたと思い込み、彼も特に被害を受けることもなく万々歳だったろうに。
記憶を消す<力>も持っていると聞いた。
そんなものがあるなら一発で解決できたのに、彼はそれさえしなかった。
いや、そもそもの話をすれば。
彼がその気になれば、私を説き伏せ、無意味な復讐自体を回避することだってできた筈なのだ。
お爺ちゃんのこと、七緒さんのこと。どちらもよく話せばそれだけで終わったことで。
なのに私は、彼を封じた。封じることができてしまった。
その理由が今も私には分からない。
彼が敢えて、刃を受けた理由。
私はあれからずっと。
考えても分からないことを、ずっと考えている。
その答えの出る日が来るかは、分からないけれど。
今も、私の復讐は続いている。
【いつかの少年と初恋の人の娘の話】
昭和五十七年(1982年) 八月
「ねーねー、けーちんさ、うちのお母さんが初恋だったて本当?」
「ちょい待てや七緒。お前どっからその話聞いた?」
あれから更に六年、件の妖刀が神社に収められて二十三年の歳月が過ぎた。
そんなこんなで、いつか手痛い失恋をした男の子も大きくなり、今では立派かどうかは分からないがとりあえず高校生。
十六歳になった高森啓人は、今でも時折小さな神社へ訪れる。
相変わらず青葉は刀を眺めにこの神社へ毎日通い詰めているらしい。
らしい、と言うのは直接会う機会もあるが、以前のように彼女目当てではなくなってしまったから。朝に会うことは会うが、昔ほどの頻度ではなくなった。
毎日通っていると知ったのは、青葉の娘である柚原七緒から聞いた話である。
七緒は今年十四歳。中学二年生になり、ぐっと大きくなったように思う。
流石に青葉の娘、幼いながらに美人の片鱗は見えている。将来が楽しみだ、なんて言うと変態っぽいか口にはしないが。
「えーとね、お父さん。お母さん目当てに毎日神社に通ってるガキがいたって聞いた」
「うおぉぉぉい、もろばれかよぉ」
若かりし頃の恥かしい思い出を掘り起こされて、啓人は思わず手で顔を覆う。
いや、あれは仕方なかった。だってあの頃の青葉は三十一歳とは思えないくらい若々しく、体細いのに胸はあれもんだったのだから仕方ないのだ。
というか現在、三十七歳になった青葉は今なお若々しく綺麗なお姉さんと言った感じだ。うちの母親と比べては溜息を吐くのもやっぱり仕方のないことだろう。
「まあ我が母ながら若いしねぇ。絶対何かやってるっすよ、あれ」
「若いっては同意するけど。……つーかあのしゃべり方ずっと続いてるよな?」
「そっすねー。お父さんも何度も言ってるらしいけど直んないの」
青葉は誰に対しても中途半端な体育会系みたいな敬語で喋る。
当時はそれも親しみやすく魅力的だったが、三十代半ばであれはそろそろよろしくないのではと思わないでもない。いや、三十半ばには見えないけれども。
まあ、ともかくあれ。
初恋は叶わなかったけれども、こうやってその娘と親しくなれたのはよかったと素直に思う。
あれから小学校で七緒を探してみると、意外と簡単に見つかった。母親の知り合いということで簡単に親しくなり、六年たった今でも二人は仲良くやっている。
高校生が中学生女子と頻繁に遊んでいるのだ、クラスメイトにからかわれる場面もあったが啓人は気にしない。
なにせ彼の好みのタイプは大人の綺麗なお姉さん、胸部は大きければ大きいほどいい。下心なんて欠片もないのだから気にする方がおかしいというものだ。
という訳で、高校生の夏休み。そろそろ将来なんぞも視野に入れねばならないとは思うのだが、今日も今日とて啓人は七緒と遊び呆けていた。
「しっかし、ここも変わんないよなぁ」
夏真っ盛り、太陽は真上に位置している。
遊び疲れて駄菓子屋で瓶ラムネを購入、休憩がてらに訪れた神社。冷たい炭酸で喉を潤し、 夏の日差しを手で遮りながら境内を見回す。
蝉の喧噪に揺れる空気。こじんまりとした、古ぼけた社殿があるだけの小さな神社は幼い頃から何も変わっていない。
大きくなってから知ったことなのだが、こういう小さな神社には神主などの専任の神職がおらず、一人の神職が何十社も兼任しているところも多いそうだ。
またそういった神社では神職は常駐していない為、いつもは近くに住む氏子が管理している場合が殆どらしい。
ここに家宝の刀を置いているのは奉納だとか小難しい話ではなく、氏子と知り合いだった為お願いして、といった形なのだろう。
青葉がそうまでしてあの刀と距離を置きたかった理由は、高校生になった今でもよく分からなかった。
「そこは亀井のおじさんに感謝だね」
「あー、氏子のおっさんだったっけ」
「そそ、お父さんお母さんとも仲いいんだよ」
お父さんはともかく青葉と仲の良いというのは若干以上に引っ掛かる。
初恋の女性が氏子のおっさんと。なんかエロ漫画みたいな想像をしてしまいちょっぴり自己嫌悪。
実際亀井氏は気のいいおじさんといった感じで、勿論そんなことはないのだが、思春期ゆえの妄想と大目に見てほしい。
「それにね、私、亀井のおじさんの親せきの子と仲いいんだよね! 明後日こっちに来るんだー、もうねすっごいかわいい女の子なんだから」
「へえ、可愛い子」
「あ、けーちんはやよっちゃんに近付かないでね。少女趣味の変態はお呼びじゃないっす」
「誰が少女趣味かっ!?」
「えー、だって彼女いない歴十六年で女子中学生にご執心じゃん」
「ぐっ、外聞悪いの事実だから反論しにくい……!」
「あはは、大丈夫だよー。私はけーちんがどんな趣味でも仲良し、嫌いになったりしないから」
有難いけど素直にありがとうとは言えない、なにこの感じ。
納得いかないところはあるが、朗らかに笑いながらラムネを飲む七緒は本当に可愛らしくて、悪意なんて欠片もないと分かるから何も言えなくなった。
まあ、いっか。
“やよっちゃん”とやらがどんな子かは知らないが、仲良きことは美しきかな。
七緒に仲のいい友達がいると考えれば、自然と笑顔になるというもの。
啓人も冷たいラムネを一気に煽った。
かちん、と瓶の中のビー玉が涼やかな音を立てる。
多分いつか懐かしいと思う夏は、こんな何気ない日の事なのだろうと、らしくないことを思った。
【神社の娘と骨董屋の娘の話】
姫川やよいは神社の娘である。
といっても今いる浅草にある小さな神社の、ではない。
彼女の家は古くから続く由緒正しい、ちゃんと神主の常駐する、それなりに大きな神社の娘だった。
ただこの神社と関係がないという訳でもない。普段ここの管理をしてくれている氏子の亀井という人物はやよいの父の兄、つまり彼女から見れば叔父にあたる。
家族ぐるみで親しくしている為、その関係で年に一度、夏休みになると両親に連れられて浅草へ遊びに行くのが恒例となっていた。
退屈そうな話ではあるが、彼女の表情は寧ろ嬉しそうだ。
というのも、子供のいない亀井のおじさんはやよいを大層可愛がり、色々美味しいものを食べさせてくれたりするからそんなに嫌いではなかった。
なにより二年ほど前遊びに来た時、近くに住んでいる女の子と仲良くなった。
以後も手紙の遣り取りをしていた為、久しぶりに会えるこの機会をやよいも楽しみにしていたのである。
「やよっちゃん、久しぶりー!」
「はい、七緒ちゃんおひさしぶりです」
浅草に付いた当日、叔父の家に荷物を置いて一休み。そのあと両親に確認を取り、やよいはすぐさま手紙で伝えておいた約束の神社へ足を運ぶ。初めてあった場所であるためか、待ち合わせをするのは大抵その神社だった。
訪れた浅草の小さな神社では、短い髪の日焼けした活発そうな女の子が待っていた。
件の文通相手、柚原七緒である。
やよいは今年で十一歳、七緒は十四歳で中学二年生。年齢は三つばかり離れているが、明るく引っ張っていくタイプの七緒と、しっかりしているように見えて好奇心旺盛で案外行動的なやよいは相性が良かったらしい。
一昨年偶然知り合ってから仲良くなるまで然程の時間はかからず、今でも手紙のやり取りを続けている友達同士、今日久しぶりに会えてお互い喜色満面といった様子だった。
「七緒ちゃん、背がすごく伸びました」
「でっしょ? やよっちゃんは……あー、うん」
多少は大きくなったが、元々やよいは同年代でも小柄な方だ。長い黒髪に真っ白い肌、ちっちゃく細っこく、少し垂れた大きな目。幼げで可愛らしいとは思うが、背の低さから小学校低学年くらいに見えてしまう。
そこら辺の自覚はあるらしく、やよいは微妙にへこんでいる。
「……これでも、大きくなったんです。ただ、周りがもっと大きくなってるだけで」
「だ、大丈夫これからこれからっすよ! ほら私も中学になって伸び始めたし!」
「そ、そうですよねっ」
自身を奮い立たせるように、ぐっと両の拳を握りしめる。
その仕草もどことなく幼げ、だなんてことは流石の七緒も言わなかった。
「元気してた?」
「はい。七緒ちゃんもお元気そうで」
「もちろんっ。てか、やよっちゃんホントしっかりしてるなぁ。私が小学生のころそんな返し絶対できなかったよ」
「そう言われると照れちゃいますね」
褒められても得意にはならず、はにかんで笑う。そういうところがやよっちゃんらしいなぁ、と七緒の方も笑顔になった。
実際やよいは十一歳という年齢を考えれば、随分としっかりしている。
家が由緒正しい神社だからだろう、礼儀作法は身についているし、言葉使いこそ子供のそれだが弁えた態度というのをちゃんと理解している。
とはいえやはり小学生。七緒と一緒に遊ぶ時は子供らしい好奇心旺盛な一面を見せてくれる。七緒はこの年下の友人の、ちょっとした子供っぽさを知るのが大好きだった。
「ささ、あっついしウチに来てよ! お母さんがかき氷作ってくれるって!」
「はいっ」
元気よくかけていく二人。
手はしっかりと繋がっている。
無邪気な少女達の、夏休みの一日。
まだまだ暑くなりそうではあるけれど、それだって心地よく感じられる午後の事だった。
【神社の娘と妖刀の話】
「そいじゃねー、やよっちゃん」
「はい、また明日」
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
夏の陽は長い。夕方になってもまだ明るいが、これ以上遅くなっては両親や亀井のおじさんも心配するだろう。
待ち合わせをした神社に戻り、さよならバイバイまた明日。一日中遊んでもまだ元気が有り余っているのか、七緒は大きく手を振って勢いよく走り去っていく。
すごいなぁ、と素直にやよいは感心する。でもあんまりぼーっとしていては遅くなってしまうし、早く帰ろうと踵を返し。
「あれ……?」
視界の端に入り込んだ神社から、奇妙な違和感を覚えた。
この名前も知らない神社は、一対の狛犬と鳥居。石畳の奥には賽銭箱、奥には四畳にも満たぬような小さな末社で構成されている。
人が入れる社がある時点で神主の常駐しない神社としてはそれなりの規模ではある。あるのだが、自身の家が歴史ある神社の為、やはりやよいから見れば小さいというのが感想だ。
しかし綺麗に清掃された境内は清々しく、決して嫌いではない。
浅草へ来るのは年に一回とはいえ、此処には何度も足を運んでいる。今日の昼間も待ち合わせ場所として利用したしており、だから「何か普段と違う」と気付ける程度には見慣れていた。
「あ」
違和感の正体を探そうと凝視すれば、意外にもすぐに原因は見つかった。
理由は実に単純だ。社の木の格子が、ほんの僅かだが開いているのだ。
昼間は確かに閉まっていた。ちゃんと鍵がかかっており、鍵の管理は亀井のおじさんがやっている。
彼が閉め忘れたのだろうか、と考えて、いつか七緒から聞かされた話を思い出す。
『この神社にはね、うちの家宝が保管してるんだよー』
骨董屋である古結堂を営む青葉、そんな彼女の家の家宝。
やっぱりお値段のお高いものなんだろう。それで、そういうものが置いて、鍵が開いているというのなら。
「もしかして、泥棒さん?」
想像しやすいのはそこら辺な訳で。
けれど遠目に見た感じでは、社の中には誰もいない。近くに人影もなく、神社は相変わらず蝉の声が聞こえるだけ。
ということは、泥棒は目的のものを盗んでもういなくなってしまったのだろうか。
どんなにしっかりしていても、そこら辺は小学生。どこかに泥棒がまだ隠れているかもしれないなんて欠片も思わず、特に深く考えず社へ近づいていく。
幸いなことに誰もいない。
社にはおそらくご神体なのだろう、歪な形の石が置かれている。
その前方には白木の刀掛。横にかけられているのは一振りの太刀。これが件の家宝というやつなのだろうと、やよいにもすぐ分かった。
「よかった、盗まれてなかったんだ……」
自分のものではないが、七緒のところの家宝が無事でほっと一息。気が抜けると今度は初めて見る実物の刀に興味が湧いてくる。
時代劇などで見られるような刀とは違い、武骨な鉄鞘に収められながら、どこか不思議な感じがする佇まいもこの刀が特別なものなんだと思わせる点の一つだ。
幼いとはいえ神社の巫女。こういった神秘的に魅かれないと言えば嘘になる。
なにより家宝。なんかすごそうな感じがする。
ちょっと触ってみようかな? でも勝手には悪いことだし。
最初の盗まれていないかどうかの確認という目的を忘れ、むぅとやよいは考え込む。
悩んで、迷って、出した結論はとても子供らしいもの。
「後で戻せば大丈夫だよね?」
いくらしっかりしているとはいえ、やはり十一歳。
結局は好奇心には抗えず、きょろきょろと周囲を見回す。誰もいないことをちゃんと確認してから、おもむろに安置された刀へ手を伸ばした。
夏だからか鉄が熱を溜め込み、触れた感覚は妙に暖かい。それに、結構重かった。
興味から手に取ってみたが、悪戯をする気は毛頭ない。あんまり弄って壊してもよくない、ちょっとだけ抜いてみてすぐ戻そう。
やよいはそう思い柄を握りしめ、刀を抜こうと力を入れた瞬間。
『やめなさい』
いきなり、声が響いた。
「ひぇ!?」
驚きに小さな悲鳴を上げてしまう。
誰? ともう一度周囲を見回しても人影はない。表を見ても夏の夕暮れがあるばかりで、やはり人はいなかった。
じゃあ今のは誰の声だったのだろうか。
考えても分からない。だが場所が場所だけに嫌な想像が広がっていく。
小さいとはいえ神社は神社、そろそろ日も暮れる時間。
なら、もしかして今の声は幽霊とか?
ぞぞっと背中に寒いものが走るが、幽霊にしてはおどろおどろしくないし、声はすぐ近くで聞こえたような。
どこからともなくではなく、耳元ではなく。
けれどかなり近く。例えば、そう例えばではあるが。手元で聞こえたような感じだった。
といっても、そこに誰かがいる訳もなく、あるのは武骨な刀だけ。
やよいは視線を落とし、しっかりと握りしめた夜刀守兼臣を見据える。
すると刀は、力を込めていないのに、カタカタと震えた。
『やめなさい、君のような少女が。妖刀など興味本位で抜くものではないぞ』
またも聞こえる鉄のような声。
今度こそ、やよいはしっかりと悲鳴を上げた。
アルカディア版からの変更点
登場人物の名前変更
高森啓二→高森啓人※江戸編の登場人物「善二」と名前が被っていたため変更。




