余談『あなたの好きな食べ物は?』・2(了)
2009年 8月
みやかの実家である甚太神社では、毎年八月の十五日に縁日が開かれる。
その夜は様々な屋台が並び大層盛況なのだが、反面祭りの後はゴミが大量に出る為、片付けは一苦労である。
一応テキ屋の方で掃除はしてもらえるが、どうしてもゴミは残ってしまう。それを拾って回るのが毎年の恒例となっていた。
八月も半ば、午前中でも立ちくらみを起こしそうになるくらい日差しが強い。この暑さの中だ、ゴミ拾いも決して楽ではなかった。
「こっちは済んだぞ」
「あ、ゴミ袋一杯になったね。新しいの持ってこなきゃ」
けれど今年は随分と負担が少ない。
というのも、高校で知り合った男子が手伝うと名乗りを上げてくれたのだ。最初は悪いからと断っていたのだが、両親にも「そう言ってくれているのだから」と促され、殆ど押し切られる形で了承してしまった。
有難くはあるのだが、日頃から色々と助けてもらっている手前申し訳なくも思う。
しかし件の男子、葛野甚夜は然程気にしていない様子。不思議に思って聞けば、どうにも彼はみやかの両親と知り合いだったらしく、「久々に顔を見たかった。こちらはそのついでだ」と穏やかに答えた。
それが真実か、みやかに対する心遣いかは今一つ判別がつかない。
とはいえ構わないと言ってくれているのだから、あまり気に病んでも彼の負担になるだけだろう。
彼女としてもそれは不本意。ならばと気持ちを入れ替え、しっかりとお礼を言って手伝ってもらおうと決めた。
「ありがと。おかげで大分綺麗になった」
「それはよかった。もうひと踏ん張りだな」
「うん、そうだね。でも粗方片付いたし、ちょっと休憩しない?」
二時間、随分とゴミは集まった。ここらで一息入れようと、二人で社の軒下へと移動する。日陰に入ると熱さも多少和らぎ、思わずほっと息が零れた。
甚夜の方はというと、炎天下で二時間はゴミ拾いをしているというのに、疲れた様子がないどころか汗一つかいていなかった。
尋常じゃない体力に驚かされたが、考えてみれば日本刀で戦いながら飛んだり跳ねたりするよりは楽なのかもしれない。
けれど疲れない訳ではないだろうし、折角手伝ってくれているのだから、お礼の一つもしないのは失礼だ。
ということで一声かけてから自宅に戻り、台所へ行き冷蔵庫を漁る。
買い置きのジュースはなし、麦茶だけというのもあれだ。今度は冷凍室、確かアイスがいくつか入っていた筈。
しかし残念ながら残っていたのはソーダ味のアイスキャンディだけ。そういえば昨日父がアホほどアイス食べていたのを思い出す。ホントあの父親最悪である。
それでもないよりはマシだ、アイスを二つ休憩のお供に貰っていく。
家から出るとすぐさま降り注ぐ日差し。耳を劈く蝉の声とむせ返るような濃い緑の匂い。あまりの熱気に輪郭さえ覚束ない。境内は夏に満ち満ちている。
本当に今日は暑い。日陰で待っている彼も辛いだろうと足早に近寄り、手にしたアイスの片方を渡す。
「はい、これ。ごめんね、こんなのしかなかった」
「いや、こちらこそすまない。気を遣わせたな」
「迷惑かけてるのはこっちなんだし、あんまり遠慮されても困るかな」
「それもそうだ。なら有難くいただこう」
夏のむせかえる熱気の中、二人並んで腰を下ろして、ソーダ味のアイスキャンディを食べる。
もうちょっとお高く見栄えのするアイスがあればよかったのだけど、ひんやりと体が冷えてこれでも十分に美味しい。
甚夜の方も表情こそ変わらないが、多分喜んでくれているのだろう。体の熱を吐き出すように深くゆっくりと息を吐く姿は、いつもより幾分穏やかに見えた。
「夏はこの手のものが殊更美味く感じるな」
「ほんと。あ、でも甚夜は磯部餅の方がよかった?」
「確かに餅は好きだが、なにもそれしか食べない訳じゃない」
茶化すようなみやかの物言いに、甚夜は肩を竦める。
しかしあながち間違いでもないんじゃないか、とみやかは思う。なんといっても彼は学校のお昼にまで磯部餅を食べるくらいの餅好きだ。普段真面目で堅苦しい彼の子供っぽい部分は、何故だか少し安心する
参ったな、なんて言いながら頬をかく姿が余計に面白くて、みやかはくすくすと笑っていた。
「そう言うみやかは、なにか好物はないのか?」
「え、私? う、ん。ぱっとは思いつかないかな。好き嫌いあんまりないし」
食べられないものはない。
勿論イナゴの佃煮やらザザムシなんかを出されたら躊躇うだろうが、普通に食卓へ上る食材なら問題なし。
よくピーマンだのトマトだのを嫌いだという人はいるが、みやかは野菜全般平気だし、癖のある羊肉や青魚も美味しいと思う。
だから嫌いなもの苦手なものはほとんどなく、代わりに大好物というのも浮かばなかった。
「牛丼は?」
「ん、時たま食べたくなるけど大好物ってほどじゃ。……ああ、そういえば前一緒に食べに行ったっけ?」
「ああ。好物かと思ったが」
「どうだろ。あ、でも和食は好きかも。というかお米。お米食べないとご飯食べたって気がしないし」
「同意見だ。パンも旨いが腹に溜まらん」
「男の子だなぁ、そういうとこ」
好きな食べ物、なんてありふれた話題で話は続く。
元々社交的でないみやかにとっては、こうやってクラスの男子と何気ない雑談を交わしている今が不思議で、少しだけくすぐったく感じる。
こんなに親しくするのは中学からの友人である梓屋薫くらいのものだ。
「……あ」
そこまで考えて、大好物という訳ではないが、今まで食べたものの中で一番おいしいと感じた料理を思い出した。
急に固まってしまったからか、甚夜は怪訝な顔でこちらを見ている。
そんな大したことではないし、じっと見つめられるのが恥ずかしくて、みやかは誤魔化すように笑ってみせた。
「あ、ごめん。さっきの話。好物って訳じゃないんだけど、すごく美味しいって思ったのがあったんだ」
「ほう?」
ただ、言うのは若干躊躇われる。
以前クラスの女子に話した時は、「えー、変」「まずそー」なんて言われてしまったからだ。
多分そのせいで、好きなものと問われた時咄嗟に浮かんでこなかったのだろう。
ちらりと甚夜の方を見る。彼は興味があるのかないのか、何も言わずみやかの次の言葉を待ってくれている。
きっと誤魔化せばそこで話を終わらせる。そういう気遣いをしてくれる男の子だと、短い付き合いだが知っていた。
だから少し恥ずかしいけど、言ってみようかなと素直に思えた。
「あの、ね───」
◆
「あら、いらっしゃい」
毎晩のように桜庭ミルクホールで酒を呑んでいる為、迎える店長の挨拶も幾らか気安くなった。
ホールにはほたるの姿もあった。楚々とした振る舞い、彼女は丁寧にお辞儀をする。
こちらは親しみを感じさせない。あくまでも娼婦としての顔、代わりに常連への気遣いを忘れない辺り、本当に夜の女が染みついている。
「今日はどうする?」
言いながらも店長は既にグラスに手を伸ばそうとしている。
此処ではウイスキィばかり飲んでいた。今宵もそうだろうと考えるのは自然の流れだ。しかし生憎と今夜の用向きはそちらではない。
「いや、酒はいい。あけみはいるか?」
呆気にとられたように店長は口を開き、ほたるも意外な発言に普段の表情は崩れていた。
そのタイミングを見計らったように、あけみが朗らかな笑顔でこちらへと近づく。手を小さく振り、以前からは想像もできない気安い態度である。
「ホントに来てくれたのね」
「こちらから誘っておいて無碍にはせんさ」
「もうちょっと素直な言い方できないの?」
窘める言葉も親しみに溢れている。
それが、店の人間には意外だったのだろう。なにせ今まで女給には目もくれず酒を呑んでいた男と、そんな彼を誘いながらも袖にされた女の組み合わせだ。
その上随分と砕けた振る舞いをするものだから、皆一様に目を点にしている。
「っていうことで店長、ちょっと出てきます」
「え、ええ。気を、つけて?」
咄嗟のことに詰まりながらも何とか返事をした。
そんな店長にあけみはにっこりと笑顔を残し、軽い雑談を交わしながら玄関をくぐる。
なんだったんだ、今のは。店の者はしばらくの間二人が出ていった扉をぼんやりと眺めていた。
「あはは、店長びっくりしてたわね。それにほたるさんのあんな顔、初めて見たわよ。いい気味!」
店を出てから、あけみは先程の光景を思い出しながら笑い続けていた。
どうにも彼女は、ほたるとは仲が良くないらしい。唖然とした様子がおかしかったのか、大層ご機嫌だった。
しかしその笑みに嫌味なものはなかった。
あけみは明け透けな反面陰湿ではなく、いっそ清々しいくらい本音を露わにする。陰口に乗ってやる気はないが、さっぱりとして分かり易い彼女のことを嫌いにはなれない。
だとしても一緒に笑ってやれはせず、甚夜は黙って彼女の隣を歩いていた。
「あっと、悪いわね。あんた、ほたるさんと結構仲良かったっけ?」
自分の態度のせいで気分を害していると思ったのだろう。
ひとしきり笑い終えたあけみは、軽くではあるが謝罪を入れる。
どうやら勘違いさせてしまったらしい。そうではないと伝えるように、甚夜は同じ軽さで応じる。
「別段親しくはないな。彼女は何処まで行っても夜の女だ」
故に囁く愛も触れる温度も全ては夢。心さえも一夜にして消え去ってしまう。
あの手の女と親しくなるのは、多少骨が折れる。かつて夜鷹を射止めた友人を思い出せば、自然穏やかな心持になった。
「そりゃそうだわ。ちなみに、あんたから見たらほたるさんってどんな人?」
「頭は回るし義理堅い。嫋やかではあるが一本芯の通った魅力的な女性だな」
「へぇ……。男ってホント馬鹿よね、あんなのに騙されちゃってさ」
べーっ、と舌を出して悪態をつく様は、実年齢よりも子供っぽく映る。
夜の女には似つかわしくない所作も随分と慣れた。気分を害することはない。甚夜からすれば、それこそ近所の子供を相手にするようなものだ。
「随分彼女を嫌っているな」
「嫌いっていうか、まあ、嫌いね」
「嫌いというよりは苦手、といったところか」
「あのね、あんまり見透かさないでくれる?」
拗ねる彼女に此処らが引き際かと話を切る。
夜の通り、ぼんやりと揺れる店の灯。ちょうどよく目的地も見えて来た。
「ああ、そこだ。美味い蕎麦屋らしい」
「へぇ。って、らしい」
「私も人聞きだからな」
「なによそれ。女の子誘うんならちゃんと下調べくらいしなさいよ」
文句を言いながらも、顔には笑みが浮かんで。
奇妙な二人連れで食べるごはんは、それなりに楽しいものもあるだろう。
だけど、やっぱり思い出す。
ふとした瞬間、何故か大嫌いな人の顔が脳裏をよぎるのだ。
◆
コロッケが嫌いだった。
近所の肉屋さんのコロッケは妙に衣が厚くて、それが冷めたまま食卓に並ぶから、あんまり美味しくなかった
でもうちの食卓にはコロッケがよく並んだ。
父は厳しい人だったけど、母の料理にケチをつけたことはなかった。買って来ただけのコロッケがそのまま出されても、特に文句も言わず箸をつけていた。
私は、コロッケが嫌いで。
それ以上にお母さんが嫌いだった。
お父さんは普通の会社員だったけど、元々はいいところのお坊ちゃんだったらしい。お婆ちゃんは「戦争がなければ私達は……」とよく言っていた。
お母さんは普通の家の生まれで、お婆ちゃんはあんな馬の骨を嫁にするなんてと反対したらしい。
私から見た母は、なんというか、面白味のない人だった。
お父さんに何かを言われて「はい」。お婆ちゃんに何かを言われて「はい」。
小さい頃は気にしなかったけど、大きくなってあれは物分かりがいいんじゃなくて我慢しているだけだと気付いた。
多分、家柄だのなんだのからくる“引け目”だったのだろう。
お婆ちゃんがいつか言っていた「食わせてもらってる身で」という言葉を今でも覚えている。
だから、引け目。お父さんのお金で生きているという現状、名家の人間に寄りかかった一般人という構図。
落ちぶれた今もそれは変わらず、劣等感は消えない。
お婆ちゃんやお父さんに逆らわず、求められるままに良き妻、良き母親を演じようとする。
そういう人だったから、怒られた記憶はあんまりない。でも特別優しいと感じたこともなかった。
叩かれたり、理不尽に怒られた記憶はない。
母は自分が我慢しても私を優先してくれる。つまりは、いい母親だったんだと思う。
だけど嫌いだった。
お婆ちゃんに何を言われても反抗せずに「はい」と従う姿は情けなく感じられて、それなのに私には“勉強しなさいね”とか“危ないことはしないの”とか。
小さな私には、それが自分よりも下の誰かにしか強く出られない、つまらない人にしか見えなかった。
“娼婦になっても構わないからお金を稼ぎたい”
その原風景は、きっと母だ。
生活を支えられない女では、きっとあの人のようになってしまう。だから私は家を出ようと思った。
“そんなこと許しません!”
でもあの人は、まるでそれが悪いことのように責め立てる。
なんで? 今まで碌に怒ったこともなかったくせに。
もう子供じゃない、自分ひとりでやっていける。
誰かにすがって誰かを演じなきゃ生きていけないなんてまっぴらごめん。
私は、あんたみたいな大人になりたくないんだ。
思いつく限りの言葉でお母さんを傷つけて、振り返ることなく家を出た。
そうして居着いた鳩の街は心地良かった。
だってここでは逆。
男達が大金で私を買う。私に、寄りかかっている。
食べるごはんも着るものも、お母さんとは違って、全部自分で稼いだお金で買っている。
私は、お母さんとは違う。
だから、此処での生活は決して嫌いじゃなかった。
なのに、何故かふと思い出す。
嫌いだったコロッケと、嫌いだったお母さん。
ああ、そういえば。
家を出てったあの日も、夕飯はコロッケだったっけ。
◆
「甚さんって時々とんでもなく鬼畜っすよね」
むっとした顔で青葉はそう言う。
ここしばらく甚夜はあけみとの食事を繰り返していた。
蕎麦屋の次の日は焼き鳥屋、洒落た外観の洋食屋に行ってみたりと手を変え品を変え。
店についていろいろと教えてくれるのは、当然というかなんというか、案内役を買って出てくれた青葉だった。
「まさかちょっと目を離した隙に女の人引っ掛けてくるなんて」
「別に艶っぽい話ではないが」
「にしたって他の女の人と行く店を私に教えてっていうのはふつーにひどいっす」
よよよ、と泣き真似をなんぞしている辺り、本気ではないのだろう。
しかし最近あまり構っていなかったのも事実。調理担当は甚夜、出かける時もちゃんと青葉の食事は用意しているものの、確かにひどい扱いだ。
「そうだな。今度は、一緒に何処かへ行くか?」
「あ、それより前に作ってくれたきつね蕎麦がいいっす。あれ美味しかったんで」
「あんなものでいいのか?」
「はいっ。いやー、最初はうっすい汁だなーと思ってたけど、ああいうのもいいっすねぇ」
その辺りは単に地域差だ。
昔京都で店を開いていた為、甚夜の料理は白醤油とダシが基本である。関東の黒い汁のうどんやそばに慣れていると薄く思えるのだろう。
きつね蕎麦には思い入れがある。気に入ってもらえたのは素直に嬉しい。
「分かった、また今度作ろう」
「お願いします。……で、一応聞きたいんすけど。なんでその女の人、そんなに構うんすか? 美人だからとか?」
まさかだろう、と肩を竦める。
特別な感情がある訳ではない。それでも、此処が未練で出来た街で、あの娘が立ち止まったまま動けないでいるのなら。
一度関わりを持った以上、同類として背中を押すくらいはしてやりたいと思った。
「強いて言えば、この街にいるからだ」
「む、謎かけっすね?」
「そんな綾のあるもではないな」
彼女に関わった理由を端的に表現するならば、その大半は感傷だろう。
それはあけみだけではなく、ミルクホールの店長、ほたるに七緒。
目の前にいる見習い未満の娼婦である青葉に対しても、多分同じことをする。
この街にいるものは、皆捨てきれない何かを抱えている。同じく捨てきれないものを抱えてきた身として、感じ入るものがあったというだけの話だ。
「よく分からないけど、まあいいっす。そんじゃ、いってらしゃーい」
「……お前のそういう適当なところ、嫌いじゃないぞ」
「へへ、褒められたっす」
実際、深く突っ込んでこないのは有難いと思う。
和やかに居候先を出て、今日も今日とて女と逢瀬。
成程、これは鬼畜と言われても仕方ない。
今度改めて詫びを入れねばならないと思いながら、甚夜は桜庭ミルクホールへと向かった。
◆
蕎麦屋では天ざる。
“ここは天ざるが美味いそうだ”
“へえ。なら私もそれにしようかしら”
焼き鳥屋では適当に。
“ホントお酒好きね?”
“それなりには”
洋食店ではオムライス。
“美味いんだが、味噌汁がないのは寂しいな”
“おっさんか、あんたは”
夕暮れから夜に変わる頃合い、桜庭ミルクホールへ甚夜は訪れる。
案内されるまま店へと行き、あけみは彼と同じものを頼み、雑談を交わしながら和やかに食事をする。
一心地付けば夜のお仕事。ミルクホールへと戻り、今日も今日とて男を誘う。
少しばかり変化した一日の流れはそれなりに楽しい。そのおかげかどうかは分からないが、ここ最近のあけみは周りに驚かれるほど穏やかで、指名も以前以上に増えていた。
「へぇ、今日も洋食?」
「ああ。以前言った洋食屋よりは汚いが、フライならここらしい」
「相変わらず人聞きなのね」
それは、悔しいがこの男のおかげなのだろう。
鳩の街に来てから男は金を持ってくるだけの存在でしかなかった。けれど肉体関係のない彼との交流はいい息抜きになっているようで、立ち振る舞いにも余裕が出てきた。
その余裕が人気の向上につながっているのは、あけみ自身自覚している。
毎日は順風満帆といってよかった。
けれど相も変わらず、ふとした瞬間に脳裏を過る何かがある。
嫌いだったはずなのに、あの人のことを思い出してしまう。その頻度が増えたのも、彼とこうやって食事をするようになってからだった。
「すみません、これを」
「……あ。私も同じので」
少しボーっとしていた。
店に入り、席について、店員が注文を聞きに来たところでようやくあけみは意識を取り戻す。
考える暇もなかったので、とりあえず甚夜と同じものを頼む。
以前の店でも大抵はそうやって注文していたから、変には思われなかったようだ。彼はお冷を呑みながらくつろいだ様子で料理が来るのを待っていた。
「最近は洋食屋が増えたな」
「そうね。ま、流行りなんでしょ。結局日本人って新しいもの好きなのよね」
カレー、ハンバーグ、ナポリタン、オムライス。
西欧料理ではなく、かと言って和食でもない。和洋折衷の、日本独自の洋食は戦後急速に普及し、今では庶民のちょっとしたご馳走として地位を確立している。
カタカナの料理は、最近ではもう珍しいものではなくなっていた。
「いや、案外洋食の歴史は古い。カレーなどは明治の頃には既にあったぞ」
「うそっ、そんなに昔から? カレーってつい最近の料理だと思ってたわ」
「昔はそこまで一般的でもなかったからな。なんせ、家庭で作るには手間がかかる。此処まで定着したのは即席カレーのおかげだろう」
「はぁ。あんた妙なこと知ってるわね」
なにせその当時から生きていた、などと言える訳もなく曖昧に濁す。
その後も適当に雑談を続け、ちょうどいい区切りで店員が注文の品を運んできた。
待ちに待った、というのはこのことだろう。甚夜はあけみとこれを食べたいが為に、様々な店を巡ってきた。
「お待たせしました、メンコロ定食です」
白いご飯に味噌汁、漬物。メインには刻んだキャベツとメンチカツ、そしてコロッケ。
メンチカツとコロッケで、メンコロ。
青葉がフライならこの店だと紹介してくれた。確かに彼女の言う通り美味しそうだ。揚げたてのフライからは香ばしい香りが漂い、食欲が刺激される。
この一皿こそが甚夜の目的だった
「……え?」
「では、早速頂こうか」
あけみの方に視線を送れば、戸惑ったように目を泳がせていた。今迄の店でも彼女は甚夜と同じものを頼んでいた。だからここでも同じようにすると思っていた。
事実、彼女は確認もせず同じものを頼んだ。その程度には気安い間柄になれた今だからこそ、伝わる言葉もきっとある。
「ああ、そう言えば。君は以前、コロッケが嫌いだと言っていたな」
白々しいと自嘲しながらも、確認するように甚夜は言った。
端から此処に持っていきたかったからこその食事処巡りだ。あけみはこちらの意図には気付いておらず、しかし目の前に置かれたコロッケを見て固まってしまっている。
時々苦痛をこらえるように歪む表情。多分思い出したくないことを思い出しているのだろう。
「え、あ、うん。そう、コロッケ、嫌いなの」
「今からでも何かに変えてもらうか?」
「ご馳走になっておいて、それは悪いわよ」
甚夜を気遣いながらも、浮かべた笑みに力はなく。
あからさまな戸惑い、揺れた瞳には僅かな寂寞が見てとれた。
あけみは躊躇いがちに箸を伸ばし、コロッケを一口サイズに切ってからゆっくりと口に運ぶ。
「昔は全然食べられなかったけどね。もう子供じゃないんだから、我慢くらいできるわ。美味しいと、思えないだけで」
けれど一口食べただけで箸を止め、言葉を詰まらせ俯いてしまう。
甚夜は食事をするでも促すでもなく、ただ黙って待っていた。何を待っているかくらい、彼女にも理解できた。
脳裏には変わらず、大嫌いだった母の顔が浮かんで。
「昔から、好きじゃなかった。うちの母さん、なにかっていうとコロッケだったから」
逃れるように、弱々しく。
風に消えてしまいそうなくらい頼りない声音で、ぽつりぽつりとあけみは呟いていく。
「うちのお母さん、お婆ちゃんに弱くて、いっつも言いなりだった。嫁としてどうこう、一般庶民のくせに、なんて言われちゃって。でも反抗もせず良い妻良い母親ぶってた。多分そういうところが嫌いだったのよね。……そういう人だから家事は人並み以上にできたけど、なんでかコロッケだけはいつも出来合いのを買って来てたの」
今も覚えている。近所の肉屋で買ってきた、冷めたコロッケ。
父も祖母も何も言わず食べていたけれど、あけみはそれが嫌いだった。
母につらく当たっていた祖母は、何故か出来合いのコロッケには文句を言わず。だからなのか、結構な頻度で食卓に上っていたような気がする。
「近所のお肉屋さんが揚げたやつなんだけど、妙に衣が厚くて美味しくなかったなぁ。他のがいいって言うと、お母さんは怒らずにごめんねって謝って。でもなんだか楽しそうに笑ってた。そういうところも、ちゃんと話を聞いてくれていないような気がして嫌だったわ」
衣の厚い冷めたコロッケは、確かに美味しくなかった。
けれど同じくらい、お母さんのあの笑顔が嫌いだった。
そうして分かり合えないまま家を出て。
いつの間にかコロッケは、嫌いな母親や小さな頃のいやな思い出の象徴に変わった。
だから最初は衣の厚い冷めたコロッケが嫌いだった筈なのに、今では他の店で食べても美味しいとは思えなくなってしまった。
「ちっちゃい頃はホントにこれが嫌いだった。食べるなんてとんでもないって思ってたわ。だけどいつの間にか、嫌いだった筈なのに食べれるようになって」
もう一度箸を伸ばし、一口。
やっぱり美味しくない。カリカリの、揚げたてのコロッケ。それでも美味しくないと感じてしまう。
美味しく、ないのに。
「やっぱり、今食べてもあんまり好きじゃない。でも、なんでだろうなぁ。美味しくないのに、あの頃食べたコロッケとは全然違う味なのに……懐かしいって思うの」
喉を通る感触に、胸が締め付けられる。
郷愁にかられ、浮かぶのは母の顔。
料理の上手だったお母さん。なんでお母さんは、コロッケを作らなかったんだろう。
手抜きをしたかった? なら、なんでお婆ちゃんは怒らなかったのか。
お父さんも決して文句は言わないで。
幼い子供の頃は過ぎ去り、思い返す在りし日。
あけみは、食べられるようになっても、あのコロッケが嫌いで。
なのに、なぜこんなに懐かしく思うのか。その理由を未だに理解できないままでいる。
「君の両親となると、今は四十を少し過ぎた辺りといったところか」
黙って話を聞いていた甚夜がようやっと口を開く。
しかし出てきたのはよく分からない問い。場違いにも思えるけれど、その声は静かで穏やかで、どこか老練した印象を受けた。
「え? あ、う…ん。多分それくらい」
「いや、今でこそ子供の小遣いで買えるくらい安いが、コロッケも昔は結構な値段でな。トンカツやハンバーグと同じ、洋食屋で食べるちょっとしたご馳走だったんだ」
「そう、なの?」
「ああ、今の惣菜コロッケのはしりは昭和の初めだったか。それも大層人気で、銀座に有名な店ではコロッケを求めて客が押し寄せ、連日行列ができたくらいだ。私も希美子……知人が食べたがるものだから、行列に並んでコロッケを買い求めたよ。君のご両親もそういう時代を知っていると思うぞ」
私は君のご両親のことを知らないが、と前置きをして、甚夜は小さく笑みを落とす。
「君からすれば微妙な惣菜かもしれない。けれどご両親にとっては、コロッケは懐かしいご馳走で、思い出の味だったのではないのかな」
戦争の始まる前、まだ平和だった頃。
若かりし日に、ちょっと背伸びして二人で食べたコロッケ。
何一つ知らない甚夜では想像するしかないが、或いは、そんな日常の一コマがあったのではないか。
真実は誰も知らない。けれどあけみは彼の言葉に少なからず動揺していた。
「……そう、なのかな」
「さて。何度も言うが私は君の両親を知らない。だから今語ったことも想像にすぎない。ただ君に物語があるように、君の母にも物語がある。嫌いだと思っていた立ち振る舞いの裏に、何かが隠れていても不思議ではないだろう。……幼い君には、それが見えていなかっただけで」
人の知ることの出来る範囲には限りがある。
どれだけ聡明な人間でも、どんなに努力しても、人は自分の見ているものしか見えていない。
だから、復讐に身を窶した鬼の物語、その傍らに夜鷹の恋の話が合ったように。
鳩の街へ流れた若い娼婦の物語。その傍らには、コロッケにまつわる小さな恋の話があって。
良き妻良き母で在ろうと演じる誰かにも、幾度も食卓に上がるコロッケにも。
なにかしらの理由が、大切な想いがあったのかもしれない。
「まぁ、ただの手抜きかもしれんがな」
「なによそれ」
思わず微笑みが漏れる。
気楽な調子で話にオチをつけ、甚夜は箸を取って食事を始めた。コロッケにだぼだぼとソースをかけ、それをおかずにご飯を頬張る。「うむ、うまい」なんて頷いて、無表情でもどこか満足げだ。
「ふふ、ちょっとソースかけ過ぎじゃない?」
「そうか? 甚悟……先程言った知人の息子がな、コロッケはこうやって食べるのがいいんだと教えてくれた。これだと一個で飯が二杯食えるらしい」
「なにその情けない理由」
「そう言ってくれるな。君にとっては情けなくても、私には大切な思い出なんだ」
ソースをだぼだぼにかけたコロッケを、美味しそうに頬張る青年。その姿にあけみは心底思い知る。
ああ、こういうことか。
何気ない振る舞いの裏にも、ちゃんと誰かの想いがある。
嫌いだった、言いなりになるだけのお母さん。でも一度だってお父さんやお婆ちゃんへの文句を洩らさなかった。
だからきっと、あの人の裏にも、私の知らない何かがあったのだ。
それを知ろうともせず、そんなもの在るとさえ思わずに、家を出てしまっただけで。
「……思い出の味、かぁ。お母さんにも、お母さんじゃなかった頃があるのよね」
溜息交じりのあけみのぼやき。
甚夜は箸を止めないまま、雑談のような軽さで答える。
「多分、な。若い頃は悩み苦しみ、何気ない日々に喜び。そして、誰かに恋をして。大抵の母親は、かつてそういう普通の少女だった。親だからといって特別なことはない」
「でも小さい頃の私は、そんなことも分からなかった。だからお母さんを責めることしかできなかった。それで娼婦になって、家にも帰らず。……親不孝ここに極まれり、どうしようもないわね」
力のない、自嘲するようない笑みは彼女の心情をよく表している。
本当はあけみ自身分かっていた。自分でお金を稼ぐと言っても、娼婦が世間様に顔向けできないような仕事であることくらい。
けれどあけみは、母への反発から楽にお金を稼げる道へと逃げてしまった。
ああ、まったく。親不孝にも程があるというものだ。
「それは違う。君はちゃんと嫌いだと言ったコロッケを食べられたじゃないか」
なのに彼はきっぱりと。
ひどく優しく、嘆きの言葉を切り捨てる。
「野菜嫌いの子供は、いつの間にか人参や玉ねぎを食べられるようになる。山葵や生姜を美味しいと思うかもしれない。大人になれば味覚は変わるものだ。……けれど成長も変化も劇的なものばかりではない。嫌いなものを受け入れる為に、相応の時間を要することもあるさ」
子供がいずれ大人になり、大嫌いだったピーマンやトマトを、美味しいと感じられるようになるのなら。
いつか時が経てば、見過していた大切な何かに気付き、受け入れられなかった遠い昔を飲み込めるようになる日だって来るだろう。
ただ少し時間がかかっただけ。彼女は馬鹿だったのではなく、まだ幼かったのだ。
「君がコロッケを食べられるようになるまで。……見過してきた何かと向き合おうと思えるまでには、少しの回り道が必要だった。それだけの話だ」
だから今の君を卑下することはない。
この街で過ごした日々も必要なことだったと。ありきたりな慰めが、何故か心に染み渡る。
甚夜はソースでぼたぼたになったコロッケを食べて小さく頷く。
それに倣いあけみも一口、コロッケを恐る恐る頬張った。
「味はどうだ?」
口の端を釣り上げ、彼は意地悪な質問を投げかける。
言葉は言葉。所詮は食事中の雑談、何を言われたところで現状は変わらない。
コロッケが嫌いだったこと、母を傷つけたこと、娼婦になったこと。
積み上げてきたものは何一つ変わらず、過去と向き合ったとして、母のことを受け入れられるか、逆に家族が自分を受け入れてくれるかも分からない。
それでも一つの未練が、いつかの後悔が、ほぐれていくのが分かる。
「ふふ。やっぱり、美味しくないっ」
そう言ったあけみは、底抜けに明るい笑みで。
ああ、その表情をこそ見たかったのだと。甚夜は小さく安堵の息を吐いた。
◆
後日、桜庭ミルクホール。
カウンターでは店長が普段通りグラス磨きに勤しんでいた。
「あら、いらっしゃい」
変わらない、親しみを感じさせる軽い挨拶。
ホールにはほたるの姿もあり、こちらも相変わらずの夜の女、静々と頭を下げた。
青年はいつものように言う。
「済まない、あけみはいるか?」
近頃はあけみと一緒に食事をするのが日課になっていた。
けれど、返ってきたのはいつもとは違う答え。
「あけみさん、ですか?」
きょとん、としてほたるは彼女の名を繰り返す。
問いが意外だったからではない。そんな女性は知らない、ここにはいない。戸惑った彼女の表情が、言葉よりも雄弁に語っている。
ああ、なんとなく分かっていた。
ほたるは、あけみのことを覚えていない。
それも当然だろう。此処は未練で出来た街。ならば未練がなくなればいなくなるのは道理。
背中を押された彼女は、ちゃんと前を向いて歩いていくことができたのだ。
「あけみちゃんなら、もう出ていったわよ」
上手く返せなかったほたるの代わりに店長が答える。
それが意外なようで、しかしそういうものかと納得もする。この店に拘る彼ならば、店の女給のことくらい把握しているのかもしれない。
「そうか。貴方には、分かるんだな」
「まあね。この店のお客さんも女の子も、最後まで面倒見るって決めたから」
もう、顔を思い出すこともできないけれど。どこか寂しそうに店長は肩を竦める。
もはやあけみに未練はなく、この街に留まる理由はなくなった。
所詮は存在しない街、何が起ころうとも泡沫の夢に過ぎない。
青年も今はまだ覚えている。
しかしこの街が終わりを迎え、時が過ぎれば。
片隅に会った夢の記憶も、いずれは忘れ去ってしまうのだろう。
「あの娘、どこに行っちゃったのかしらね」
「家族の元だろう」
「家族?」
「ああ、きっとそうだ」
そうであればいいと思う。
存在しない筈の街ですれ違った女。いつかは忘れ去られる夢だとしても、今は彼女の幸福を祈ってやりたかった。
「店長、一緒にどうだ? 今日はいい気分で呑めそうなんだ」
「あら、いいわね。乾杯でもしましょうか」
互いの手には琥珀色のウイスキィ。
なにに、とは言わない。口にするのは無粋だし、どうにも気恥ずかしい。
けれど二人はきっと同じものの為にグラスを合わせる。
“捨て切れない未練に囚われていた少女の、輝かしい前途に。”
「乾杯」
ちんっ、と涼やかに響く音。
いつか何かの間違いで、彼女と再びすれ違う時があるのなら。
その時に、彼女のことを覚えていられたのなら。
ほんの少しの悪戯心を込めて、聞いてみようと思う。
“あなたの好きな食べ物は?”
その答えがコロッケであればいいなんて思いながら、グラスを煽る。
喉を通るウイスキィは、いつもよりも味わい深い気がした。
◆
2009年 8月
「あの、ね。ケチャップ焼きそば」
好物の話をしていて、思い出したのは中学の頃に食べたケチャップ焼きそばだった。
しかしそれが何か分からないようで、甚夜は微妙な顔をしている。
正直話すのは恥ずかしいのだが、一度言ってしまった以上はと勢いよく話し始める。
「中学の頃、日曜だったかな。薫とテスト勉強してたんだけど。お昼になって、どっかに食べに行くのも面倒だし。簡単なものでも作ろうってなったの」
それで冷蔵庫に袋入りの麺があったから、焼きそばにしようってなって。
キャベツとちくわ、豚肉とたまご。
麺を入れて、味付けってなった時点で、ソースが切れてることに気付いたんだ。
どうしよ、なんて言いながら二人で台所あさってもやっぱりなくて。
「で、目についたのがケチャップ。二人して、“大丈夫。ケチャップスパゲティーがあるならケチャップ焼きそばもいける筈!”って言いながら入れてみたの」
「ほう、それで?」
「出来上がったの食べてみたら、すっごい美味しかった。二人で私たち天才なんて褒め合って一皿完食しちゃった」
その時のことを思い出しているのだろう、みやかは普段よりもはしゃいだ様子だ。
何気ない昼食、けれどそれが彼女にとって大切な思い出なのだと伝わってくる。
「だから、それが今までで一番美味しかった料理。今も時々やってみるんだけど、なんでかあの時ほど美味しいのは作れないなぁ」
遠い目でそう言ったみやかは、興奮していた自分に気付き顔を少し赤くした。
ちょっとだけ苦笑い。以前もクラスメイトに話した時、「えー、変」「まずそー」などと言われてしまった。
彼の反応が怖くなり、気まずそうにその表情を覗き込む。
「あ、はは。ごめんね、変な話して」
「変? そんなことはないだろう」
「でもさ、結構いろんな人にまずそーって言われてるし」
時分では美味しいと思っているけれど、正直あんまり自信はなかった。
けれど甚夜は穏やかに小さな笑みを落とした。
同年代の少年がまるで父親のように思える。それくらい彼の纏う空気は優しかった。
「磯部餅は、養父が時々焼いてくれたんだ」
「え?」
「幼馴染や妹と、焼きあがるのを今か今かと待ったよ。だが、昔は今ほど保存技術がなくてな。がちがちに硬くなった餅を焼いているから、正直口当たりはよくなかった」
だけど、と。
彼は柔らかく息を吐き、紡ぐ言葉に万感の意を込める。
「……だけど、旨かった。三人並んで笑顔で食べた日のことは、今でも覚えている」
多分、磯部餅よりも旨いものは多くある。
同じ磯部餅でも現代の素材で作れば、あの頃より遥かに旨く作れるだろう。
だとしても甚夜にとっては、三人で食べた遠い日を。
そして再会した時にちとせが作ってくれた磯部餅を越えるものには、終ぞ出会うことはなかった。
「そんなものじゃないかな。多少雑でも無茶苦茶でも。心に届く味、というのはあると思う」
それがきっと、君にとってはその焼きそばなんだろう。
そう締め括れば、みやかは頬を綻ばせた。
クラスの女子にはまずそーと言われてしまったけれど、彼は違った。
馬鹿みたいな経緯で作られた料理を、大切なものだと捉えてくれたのがなんだか嬉しかった。
「そ、っか。……あの、ありがとね」
「いや。さて、十分に休んだ。最後の仕上げといくか」
「そうだね。終わらせたら、またどっか食べにいかない?」
ソーダ味のアイスキャンディを食べ終えて、二人は立ち上がった。
ゴミ拾いはまだ終わっていない。もうひと踏ん張りというところだ。
終わった後には、二人で昼ご飯を食べに行こうとみやかは思う。きっと今日は何を食べても美味しくなる、そんな気がした。
「いいな」
「じゃあ決まりね。今度はそっちに合わせるよ」
「そうか? なら」
一瞬甚夜は考え込み、思い付いたのか、どこか楽しげに口の端を釣り上げた。
歳月は過ぎ去るもの。
多くを積み重ねれば、零れ落ちるものも出てくる。
それは寂しくて、しかしどうしようもないことで。
「今日の気分は、コロッケだな」
けれど、心に届く味は、きっとある。
余談『あなたの好きな食べ物は?』・了