『終焉の夜』・3
火勢は留まるところを知らず、屋敷は煌煌と炎に飲み込まれていく。
終焉は近付いている。両者ともにそれを理解していた。
「大仰なことを。貴様如きにやれるか」
お前の命、この攻防にて削り切る。
力強く語る鬼喰らいが叡善には傲慢と思えてならない。現世に害為す化け物が何をいきがっているのか。
夜来は心臓に突き刺さったまま、不快だと言わんばかりに甚夜を睨み付ける。
「さて。その是非は転がる死骸で判断してくれ」
甚夜は静かに、気負いなくそう言った。
転がる死骸は私か、お前か。
どちらにせよこれで全てが終わる。ならば出し惜しみはなしだ。
「……っ」
漏れた声はどちらのものか。
二者ともほぼ同時に、僅かに後ろへ下がる。距離を空ける為ではない。間合いを調節し、確実に殺す為の動作だ。
甚夜は引き抜いた夜来でそのまま袈裟掛け。痩せ細った老翁の体を斜めに裂く。
だが動揺はない。
命なら余る程ある、南雲叡善は初めから相打ち狙いだ。二度目の斬撃を放ったその時には、既に黒い瘴気は凝固し、触手となって甚夜を捕えていた。
「大口を叩いた割りには呆気なかったのう」
叡善はにたりと気色の悪い笑みを浮かべ勝ち誇る。
反して甚夜は冷静。当然だろう、予想の範疇に過ぎない。
「なにを言っている? ……相打ち狙いはこちらもだ」
腕が足が腹が熱を感じている。痛みは裂傷ではなく火傷。皮膚が焼けただれ、肉が溶け落ちそうだ。それでも、やはり外傷はない。黒い瘴気は痛覚だけに訴えてくる。
何の仔細もない。普段なら痛みに動きを止められるが、今は妻の内助の功がある。
<御影>を以って無理矢理に体を動かす、痛みなぞ知ったことか。
刹那さえ止まることなく放つ一刀。狙うは右腕、まずは<鬼哭>の妖刀を切り離す。
「ぬるいわ!」
しかし狙い通りにはいかない。
叡善は手首を返し、鋭い一刀を受け、流れるように打合へと持ち込む。
流石に妖刀使いの南雲。剣の扱いには長けている。人の身で甚夜の太刀を捌くのだ、その実力は推して知るべしというものだろう。
「どうした、儂を殺し切るのではなかったのか」
嘲笑う老翁を冷静に見据え、甚夜はひたすらに剣を振るう。
その間に幾らかは命を奪っているのだ。それでも叡善は、右腕だけは守り切っている。
彼もまた歴戦の退魔、己が弱みをよく知っている。
命を貯蔵し、何度でも蘇生できるとしても彼はあくまでも人。妖刀を手放せば戦力の大半を失うと奴自身が誰よりも理解していた。
「そう急くな」
打ち合いの最中に在って、甚夜はゆったりとそう言った。
繰り返すが、世の中に都合のいい話は幾つも転がっていない。
兼臣を喰らい、必ず勝つと誓った。
しかしそれだけで勝てる筈がない。動けるようになったとて、普段通りの動きが戻っただけのこと。叡善を圧倒するには足らない。
故に、勝つ為には“仕込み”がいる。
ここからは詰め将棋だ。必要な仕込みを一つ一つ確実にこなし、覆しようのない盤面まで持っていかねばならない。
「一つ、<鬼哭>の妖刀は瘴気を発するのに相応の時間を要する。例えば今のように刀として使っている間は、黒い瘴気は使えない」
一瞬だけ、叡善の眉がぴくりと動いた。
推論だったがどうやら間違いではなかったらしい。剣に瘴気を纏わせることは可能。しかしそれを為すには時間がいる。このような打ち合いの最中には出来ないのだ。
まずはその前提があったからこそ、剣戟の応酬に持ち込んだ。
「それが、どうし……!?」
反論しようとして、叡善は急に体勢を崩した。
本人も予想外であり、驚きを隠せていない。動揺する敵に甚夜は無表情のまま淡々と告げる。
「<隠行><地縛>……流石に、警戒する余裕はなかっただろう?」
剣戟の応酬に持ち込みながら、本命は周囲に仕込んだ見えない鎖。態々動けないふりをしてまで張った罠だ、そう易々と見切られては困る。
腕を足を引っ張られて、よろけた体。単なる不意打ちで作った隙だ、二度目はない。
「さて、芳彦君の頼みだ。一発殴らせて貰おう」
甚夜は左腕を大きく引き<合一>──<御影><剛力>の同時行使。
肥大化した左腕、規格外の膂力を拳に乗せ、柳観の顔面を叩き潰す。
見るも無残にひしゃげる頭蓋、しかしその程度では止まれない。
夜来を逆手に、狙いすまして切り上げる。血を撒き散らし宙を舞う右腕。当然握られた刀も。
<鬼哭>の妖刀が、南雲叡善から離れた。
「きさ、まぁ……!?」
「二つ、お前の<同化>は人間を喰らい命を貯蔵する」
まだだ。
飛んでいく妖刀に手を伸ばそうとする叡善を、鎖で雁字搦めにして無理矢理引き離す。
今取り戻されては元の木阿弥。実力ではなく不意打ちで拾った好機、逃す訳にはいかない。
「三つ、溜めこむには上限がある。四つ、命が尽きた時点で自動蘇生。その際、脳や心臓など重要な器官が潰れていても問題はない。どのような状態であっても“南雲叡善”という形に戻し、脳を潰しても行われるのならば蘇生自体にお前の意思は介在しない」
しかしここで予想外、叡善が鎖を引き千切った。
これも浸食の影響か、膂力までも上がっている。本来なら<地縛>で動きを固定したまま事を運ぶつもりだったが、そうもいかなくなった。
「ただし、お前は首を斬られた時、態々拾ってきて付け直した。今も切り落とされた腕を拾って付けた。しかし頭蓋を叩き割られ脳を潰された時は、あまり時間をかけず再生した」
いや、問題はない。まだ修正がきく。
脱出し刀の方へ一目散に走るかと思えば、叡善の目は甚夜に向いている。
懐から取り出す短刀。いかな達人も百戦百勝とはいかない、もしもの時を凌ぐための武器くらい身に着けていて当然か。
「無法はここまで、死ぬがよい害虫」
踏み込む、一点、狙いは心臓。
叡善が繰り出す刺突は憤怒の形相に反して練度の高さを窺える丁寧なものだった。
避ける、否。既に幾つもの偶然を拾ってここまでこぎつけた。避けた隙をついて距離を空けられ、仕切り直しになればそこで終わりだ。
故に刺される。心臓、首、頭部以外なら支障はない。
腰を落とし、迫りくる切っ先を狙い。
「がぁっ……!」
刺突の先端に向けて、右肩からぶつかる全霊の当て身。
肩の皮膚を貫き、肉を抉り、骨まで達する短刀。痛みは顔に出さない。勢いを殺さず、そのまま当て身をぶちかます。
伝わる感覚。相手は老人だ。骨は易々と砕け、枯れ木のような体は吹き飛んだ。
逃さない。
吹き飛ぶ叡善に<御影><疾駆>で追いつき、全霊の拳、飛んでいく方向を調整する。
誘導したかったのは屋敷の土間。流石にこれだけの邸宅だ、土間も随分と広い。これで、半分。どうにかここまでこぎつけた。
「ぬぅ、小癪、なぁ……」
勢いよく土間まで飛ばされた老翁は、そのまま置かれている大甕にぶつかって止まった。
中に入っていた液体を頭から被る、水ではない。随分と粘性の高い……これは、油か。
いや、そんなことはどうでもいいと転がる叡善が立ち上がろうとする。
あれだけやっても未だ死ぬことはない。いったい、どれだけの命を蓄えたのか甚夜には予想もつかない。
「ぐ、あ……。それは、完全に、粉砕されたなら兎も角。重要な器官以外が体から離れた程度ならば、極端な速度での再生は行われないということ。つまり」
追いついた甚夜が立ち塞がる。
中腰になっていた叡善に向けて左の抜き手、その胸を容易く貫く。
ようやくだ。不敵に甚夜は笑い、振り絞るように声を上げる。
「五つ、蘇生する為の再生には優先順位がある……!」
肺の一部と気道、心臓を掴み、力尽くで引き抜いた。
気色の悪い、ぐにぐにとした臓器の感触。叡善の胸元は肋骨が砕け、臓器をごっそりと奪われ、赤い空洞が空いている。
がふ、と吐血し。それでも人喰いは哂う。
「それが、どうした……」
おそらくはそんなような内容だったのだろう。
肺と気管を奪われたせいで声になっていない。掠れた奇妙な音が零れるのみ。
けれど目を見れば分かる。
この程度で何を勝ち誇る。どうせすぐに再生するだけ。
結局お前は儂に勝てぬのだと、心底甚夜を見下している。
「お前の<力>は<同化>……偶然だろうが、何やら因縁めいたものを感じるよ」
それを平然と受け流し、まるで関係ないとしか思えぬようなことを語り出した。
少なくとも叡善にはそう思えた。
しかしこれこそが詰め将棋、その大詰めである。
「他者を喰らい我がものとする異形の業。こいつは案外と応用がきいてな。喰らうだけでなく、他者に己の肉体を<同化>させることもできる」
事実、甚夜の左腕はそうやって植え付けられた。
よいぞ、調子に乗って戯言を紡いでいろ。
叡善はにたにたと嘲笑う。その間にも、彼の心臓は再生していく。もうすぐ元に戻る。
そうすれば───ずぶり、なにかが、心臓を貫いた。
「がぅ、あ」
苦悶に顔を歪める。
何が起こったか分かっていない、驚愕と疑問が入り混じった困惑がありありと浮かんでいる。
それを見た甚夜は肩の荷が下りたのか、ほっと安堵の息を吐いた。
「血液ならば、私の一部だ。<血刀>……お前の体内に溶け込ませた」
これで、ようやく王手をかけた。
「心臓を潰そうが、肺を抉ろうが、気管を引き千切ったところでお前はいくらでも蘇生する。ただし蘇生の為の再生には優先順位がある。おそらくはより生存に必要なものから……ならば心臓の優先順位はかなり高いだろうな」
もがき苦しむ老人、悲鳴にもならない掠れた音。無残な姿だが手加減はしない。
無防備な腕を斬り落とし、両足を斬り落とし、達磨となって地面に伏す叡善を今度は甚夜が見下す。
両腕を失い、これで<血刀>を無理矢理外に出すことも出来なくなった。
「蘇生にお前の意思は介在せず、故に優先順位を変えることも不可能だ。心臓が治らない限りお前の肺や気道は再生しない。……<血刀>を、ちょうど心臓の位置に溶け込ませておいた。再生する度に心臓は血液の刃に傷つけられる。<血刀>は私の一部であると共にお前の一部でもある。再生の際に不純物として破棄されることもない」
そこで、少しだけ甚夜の顔が穏やかになった。
「いや、しかし。芳彦君には助けられたよ。油を屋敷に仕込み、火をかけてくれた。彼のおかげで一つ手間が省けた」
叡善は気付く。先程の大甕、あの油は先程の小僧が屋敷に仕込んだものだと。
大正という時代に真っ向から反対する南雲の家だ。電灯などはなく、代わりの照明として行燈や蝋燭が未だに使われている。
その為、当然ながら結構な量の油が必要となる。大甕に入っていたのは灯油、元々この屋敷にあったものである。
それをたっぷりと被り、鬼喰らいの手には適当に拾い上げた火種が。
「これで、詰みだ」
一転冷徹な声で、乱雑に火種を柳観へと投げ付ける。
叡善はぞっとした。しかし腕も足もなく逃げられない。
そして着火。彼の体は一瞬で火に塗れ、皮膚が焦げ肉の焼ける匂いが鼻を突く。
とはいえ、南雲の家に置かれていた灯油は神事でも使う為の椿油だ。血液を消し飛ばす程の火勢はない。つまり仕込まれた<血刀>は消えてくれず、再生する度に心臓は貫かれる。
「心臓が再生するまでは他の部位は再生しない。さて、その間にお前は何度死ぬ? 呼吸できず窒息死、体表を焼かれ焼死。ああ、出血死もするな。そして再生しても、すぐさま刃に貫かれる。溜め込んだ命を消費し切るまで、繰り返し死に続けるがいい」
安心しろ、この場で眺めていてやる。
締め括った言葉に戦慄する。
事実、鬼喰らいの言う通りの状況だ。
呼吸が出来ない。皮膚を肉を焼かれ全身に激痛、その痛みだけでも死んでしまいそうになる。
しかし死んでもすぐさま再生し、傷つけられた心臓が、刃に貫かれる。
止められない。死んで、蘇生する。死に蘇生し、死に蘇生し、死に蘇生し死に蘇生し死に蘇生し死に蘇生し、死に蘇生し死に蘇生し死に蘇生し死に蘇生し死蘇生死蘇生死蘇生……呼吸困難の苦しさと肉を焼かれる激痛の中、それでも意識を失わず叡善は死んで生き返り続ける。
「馬鹿な、この儂が……鬼などに、こんな、ことがぁ!」
何故こんなことになると、叡善は怨嗟を込めて叫ぶ。
途中までは確かに上手くいっていたのだ。
古椿から様々な情報を得て、誠一郎に希美子を育てさせた。
溜那を弄り、<鬼哭>の妖刀を得た。
相応に使える駒も集めた。
おぞましき鬼の技術で得た異形の業を、この身に宿らせもした。
それが、何故。たった一匹の鬼にこうもやられる。
儂が死のうとしている。
声にならない叫びは誰にも届かない。
なにが悪い、儂はただ戻りたかっただけ。
退魔の名跡と崇められたかつての南雲を取り戻したかっただけだ。
時流に乗り遅れた? ふざけたことをぬかすな、時代が勝手に流れていったのだ。
なのに、何故ひたすら人の為に在った我ら退魔が取り残されねばならぬ。
近代化だなんだのと目新しいものに飛びついて、古くから伝わるものを踏み躙って。
それが大正という時代ならば、そんなもの壊れてしまえばいい。
我ら退魔こそが人を守ってきた。ならば、人の命をどう使おうが責められる謂れなどない。
その命は我らが守ってきたのだ、我らが使うのは道理であろう。
望んだことはただ一つ、昔通りの日の本の国。
滅びではない、ただ当たり前に在ったかつてを欲した。
なのに何故それを認めぬ。
大正という時代とはそれほど偉いのか。
便利という言葉は、先人が築いてきたものを足蹴にしても許されるのか。
新しいということは、それだけで価値があるとお前達は本当に思っているのか!
「儂は、わし、はぁ……あああああああああああああああああああああ!」
切り捨てられたものの慟哭が響く。
聞き取れなくても込められた感情くらいは甚夜にも読み取れた。
「なにを言っているのかは分からんが、お前の嘆きには覚えがあるよ。私も時代に色々なものを奪われてきた……含むところがないと言えば嘘になる」
甚夜とて百年を生きた鬼だ。移り変わる景色を寂しく思ったこともあった。
廃刀令に復讐の禁止。
刀と共に在った日々、全てと信じた筈の想いを奪われた。
速すぎる時代の流れは心を置き去りにする。大切にしてきたものは、皆新しい世に否定されてきた。
「だが、いくら時代が流れようとも曲げられないものはある。同じく、譲れないものも。……変わり往く時代の中、一つでもそういうものを見つけられたなら。結末は違ったものとなっただろうにな」
それだけは不憫だと、甚夜は目を伏せた。
同情ではない、感傷だろう。
南雲叡善は同じ穴の貉。二者は同じく同種喰いで、同じく時代に多くを奪われたもの。
ならば炎に焼かれ朽ち果て往くその様は、或いは己の最後なのかもしれないと思えた。
「何故、なぐもは、なのに、わしは、かず、さ」
掠れた声も、聞こえなくなってきた。
本当の終わりが近づいている。
「……それでも、お前を許すことは出来ない。此処で消えていけ、古き時代の亡霊よ」
轟音と共に屋敷は崩落し。
平安より続く退魔の名跡、“妖刀使い”の南雲は。
此処に終わりを告げた。




