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鬼人幻燈抄  作者: モトオ
大正編

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124/216

『去りてより此の方、いつかの庭』・4




 もはやそれは戦いよりも蹂躙が相応しい。

 抵抗など殆どできず異形達は蹴散らされていく。

 その光景に驚愕する。

 井槌が目にしたのは、ある種の極致である。己の<力>を見せつけた甚夜ではあるが、彼の強さを支えるのは<力>のみに留まらない。

 寧ろ<合一>という新たな<力>さえ添え物に見える。それほどまで圧倒的だった。


「<血刀>、<不抜>」


 左の掌、皮膚を歯で食い破り、流れ出た血液を刀に変える。

 刀身は血液、ならば自身の体の一部。<不抜>で硬度を強化し、身の丈を超える大刀を左手一本で振るってみせる。

 薙ぎ払う。三匹の鬼の上半身がまとめて消し飛んでいた。

 彼の<力>が<合一>ならば、技術もまた合一。

 踏み込み、駈け出す一歩に<疾駆>を行使し、赤い大刀を振るう瞬間のみ<剛力>で全身を強化する。

 ただ使うのではなく、自身の技巧に組み込んだ、<力>を前提とした体術。

 鬼の<力>と人の技、その高次元での合一こそが甚夜の強さを支えている。


「土浦……やはりお前は強かった。同じ境地に辿り着くまで、数十年を費やしたぞ」


 マガツメに敗北し三十九年、彼とて何もしてこなかった訳ではない。

<力>に目覚めただけでは足らない。だから純粋な強さを求めた。

 辿り着いたのはかつて相見えた鬼、土浦の体術だ。

 土浦の<力>は<不抜>。壊れない体を得る反面、使用中は動けない。

 しかしあの男は攻撃が当たる瞬間にのみ<不抜>を使い、鉄壁の防御と高速の機動を両立していた。

 目指したのはそれと同じもの。動作に<力>を組み込んだ合一の技。

 踏み込みに<疾駆>、攻撃の瞬間の<剛力>。

<力>の行使をごく一瞬に区切ることで自身への負担を減らし、より効率的に肉の性能を底上げする。敗北からの三十九年で磨き上げた、<合一>に引けを取らない体術である。


「こんなの、ありえない……!」


 古椿は驚愕から立ち直れないでいる。

 ガトリング砲による銃撃は続いている。硝煙が立ち込め肺が燻されるようだ。

 しかし意味をなさない。降り注ぐ弾丸を避けながら、片手間で数多の異形が屠られていく。


『は、はは…ははは、はははっはは……!』


 それが、井槌には嬉しかった。

 あまりの歓喜に全身が震える。心はこの窮地に在って、どうしようもないくらいに浮き立っていた。


『はは、畜生、当たらねえ! 当たっても倒せねえ!はははははははっ!』


 鬼の体躯に、近代兵器。対して相手は刀一つ。銃と刀、比べるまでもない。こちらが優位に立っている、その筈なのだ。

 なのに、当たらない。避けられる防がれる。直撃しても無傷。

 故に戦いではなく蹂躙。

 なにをしても止められず、ただ命を踏み躙る為だけに在る怪異。

 古めかしい読本や説話に語られる、暴虐を旨とする鬼が其処にいた。

 

「随分と嬉しそうだな」

『当たり前だろう!すげえよ、あんたは俺の憧れそのものだ!』


 願ったものが眼前にある。

 重火器など意にも介さず、己が力で技で敵を葬る。

 これこそ井槌が願い憧れたもの。彼がなりたかった、古き鬼の姿そのものだ。

 鬼は、あやかしは、大正という時代に負けたと思っていた。

 それがどうだ。この男は、今もなお鬼で在り続けている。息をするように殺す、古臭い物語の中にだけ登場する、英雄と対になる悪鬼が目の前にあった。

 その事実が心底嬉しい。

 鬼は時代に駆逐されていくと思っていた。しかし此処に“今は昔”と語られた鬼がいる。

 そいつが立ちはだかるならば、ここはまさしく古の戦場。

 こういう在り方をこそ井槌は望んでいたのだ。


「憧れか、なんともこそばゆいな。だが手加減はしてやれん」

『誰がしてくれと言った! 憧れだからこそ此処で今、全力のあんたを殺すんだよ!』


 快活な笑みと共に降り注ぐガトリング砲。

 甚夜は手にした身の丈ほどある赤い大刀を、銃口に向けて投げ付けた。

 <不抜>が解けたせいで大刀は粉微塵になる。<力>に目覚め、体術を鍛え上げた甚夜であってもガトリング砲はやはり脅威だ。

 だからこそ躊躇や動揺は見せられない。足を止めることなくすぐさまに移動する。

 井槌は過大に評価しているが、実のところ甚夜にはそれほど余裕はなかった。

 そもそも<不抜>を使用する際は動けない。井槌は気付いていないが、いつ撃たれても無傷でいられる訳ではないのだ。

 異形を葬りながらも、銃弾を受けるどころか掠り傷さえ許されない。こちらが手傷を追えば相手は冷静になる。


“相手は強いが、無敵ではない。傷を負うなら倒せる”


 そう思われては少しばかり厄介。雌雄は可能な限り迅速に決せねばならない。

 故に<隠行>、<空言>。

 生み出される幻影。甚夜の姿が三人に増え、それぞれが別方向から井槌へと襲い掛かる。

 

『の、野郎がぁ!』


 薙ぎ払うように弾丸をばらまく。増えたとしても全てを撃てばいい、冷静さを失ったままの井槌はもっとも単純な対応を選んでしまった。

 しかし今見えているのは全て偽物。本体は<隠行>によって姿を消している。

 すり抜けていく銃撃、驚いている暇はない。

 再び姿を現した時には、間合いは既に零。

 井槌は歯を食い縛った。今更だ。如何な規格外も驚くようなことではない。右足を大きく引き、接近する古き鬼へ銃口を合わせた。

 至近距離から銃撃を。

 しかし甚夜もまた銃口を狙っている。


「少しばかり、派手にいくぞ……<剛力>、<疾駆>」


 クランクを回すより早い。

<剛力>により左腕の筋肉が膨張し、異形へと化す。

 ぎしりと音が鳴る程に拳を握り、肥大化した膂力を余すことなく乗せた正拳を、<疾駆>により速度を高めて打ち出す。


 響く金属音。


 ガトリング砲を撃つよりも早く甚夜の拳が突き刺さる。

 砲身はひしゃげ、捻じ曲がり、衝撃に耐えきれず破砕。たった一発の拳で重火器はただの鉄くずになっていた。


「ひぃ、ば、化け物……!?」


 ガトリング砲といった圧倒的な優位が失われたせいか、古椿は悲鳴を上げる。その声はか細く、そこいらの少女となにも変わらない。

 抵抗どころか戦うことさえせず彼女は一目散に逃げ出そうとする。

 しかし井槌は止めようともしなかった。


「いいのか、お仲間が逃げるようだが」

『構わねえさ、どうせ今回の襲撃は失敗、逃げりゃいい。俺は逃げないってだけだ』


 ガトリング砲を壊されても闘志は萎えない。

 それどころか鉄くずとなった銃を捨て、既に一歩を踏み出していた。

 ぐおん、と空を切る音。繰り出した拳はその音だけで練磨を感じさせる。重火器に頼っていただけではない。井槌の体術は堂に入ったものだった。


「南雲叡善への忠か」


 確かに、井槌は強い。

 並みの退魔ならばその体術だけで十分殺せる。が、それでも甚夜から見れば足らない。ガトリング砲を失った彼に勝機などないことは明らかだ。


『違えよ、尻尾巻いて逃げるなんざ趣味じゃねえって話だ。たとえそのせいで死ぬことになっても、なぁ!』


 正拳、肘、裏拳。

 息もつかせぬと攻め込む井槌をいなしながら、甚夜は落すように小さく笑った。


「嬉しくなるな、今の時代にお前のような鬼がいてくれたとは」


 “何故人に仇なす”。

 かつて対峙した鬼に問うたことがある。

 そいつは答えた、“鬼故に”と。

 己が為に在り続けることこそ鬼の性。ただ感情のままに生き、成すべきを成すと決めたならばその為に死ぬ。それが鬼だと。

 しかし今はそういう鬼はとんと見なくなった。

 曲げられぬ自分に拘る。そういう不器用な生き方は流行ではないのだろう。

 だからこそ、大正という時代にあって古き鬼の在り方を守り続けるこの男の存在が懐かしく感じられた。


「葛野甚夜だ。鬼よ、名を教えてくれ」


 接近戦を繰り広げる中、気付けば甚夜は問うていた。

 名は知っている。しかし彼の口から聞きたかった。この男は、“南雲叡善の手下”として斬り捨てるには勿体無い。他ならぬ“井槌”として斬り伏せたいと思った


『井槌、だっ!』

「そうか……」


 井槌は更に責め立てる。

 ごうぅ、と唸りを上げ、顔面に向けて繰り出される拳。

 しかし動揺はない。左足を斜め前へ、踏み込むと同時に井槌の腕、その内側へ自身の左腕を潜り込ませる。

 僅かに敵の一撃を逸らし、空いた隙間へ右足で地を蹴り潜り込む。

 腰を落して、狙うは鳩尾。突き出された左肩を中心に体ごとぶつかる、全霊の当て身である。


『ごふぉ…!?』


 苦悶の声とともに距離が空く。

 十分だ。夜来を手に、八相。刃より尚鋭く井槌を見据える。


「その意地、見事。さらばだ、井槌……大正に生きる“古き鬼”よ」


 甚夜の心からの賛辞に、井槌は目を見開いた。

 この鬼は、まだ<力>に目覚めてもいない若輩である俺を、古き鬼と。

 読本に語られる鬼達と変わらぬ、強大な鬼であると認めてくれた。

 歓喜に震える。そのせいか、動きがやけにゆっくりと見える。

 このまま切り裂かれる。そんなことは分かっている。けれど心が満たされて、避けようという気にすらなれない。

 ああ、違う。それは相手に失礼だ。

 そもそも避けられない。単純に、俺は、負けたのだ。

 勝敗は決し、しかし欠片も悔しくはない。

 最後に素晴らしい戦いが、憧れた古き鬼の闘争に身を置くことが出来た。

 だから勝敗を素直に受け入れ、



 飛び散る鮮血と、皮膚を焼く熱さ。



 一太刀の下に、井槌は斬り伏せられた。





 ◆





 夜は深く、星は瞬き、しかしここではその眩しさも目立たない。

 同じ時刻、深川にある住宅地は赤々と燃えていた。

 建物は燃え盛り、人々は逃げまどい、混乱の渦中にある。

 この大火事は、当然偶然ではない。

 溜那を狙う南雲叡善の配下によって引き起こされたもの。煙でいぶし、獲物が飛び出るのを待つ。原始的な狩りの手段である。


「……っ」


 原始的ではあるが、十分に効果はあった。

 ぱちぱちと音を立て火の粉が舞う。景色は赤く染まり、熱された空気に肺を焦がされるようだ。

 じっとりと汗ばんだ肌に張り付く着物が鬱陶しい。しかし立ち止まることなく、燃える夜の町を溜那は走っていた。

 甚夜の知り合いに預けられていたが、急な火災に見舞われ溜那は逃げ出した。目指す先は赤瀬の屋敷。

 この火事が叡善の手によるものだと理解している。だからこそ、あんな嫌な鬼の傍より甚夜の元へ行きたかった。

 その無謀な行動を、兼臣もまた肯定した。知人の屋敷も襲われたからだ。数多の襲撃者を相手取る知人を見捨ててでも、溜那を逃がしたかった。

 もしかしたら、既にあの鬼は死んでいるかもしれない。申し訳ないとは思うが、兼臣にとって優先すべきは甚夜の頼みであり溜那の命。あのまま心中する訳にはいかないのだ。


『溜那さんっ』

「……ん」


 腕に抱いた夜刀守兼臣が逼迫した声を上げる。

 既に深川一帯は大火事となっている。殆どの者は混乱していても逃げようと必死だ。にも拘らず、溜那の邪魔をするように立ち塞がる人影がまともな筈はない。


「ぉぉ」

       「あぅ……」

  「うぎ、ぁ」 


 幽鬼のように、ゆらゆらとにじり寄る。

 その眼に光はない。操られ自我を失っているのは明白だった。


『叡善様、貴方は……』


 兼臣の言葉はひどく固い。操られた者達の外見が、あまりにも普通だったからだ。

 彼等は普通の人間だ。鬼に作り変える技術を持ちながら、ただの人を遣わした。その理由に気付かぬ程彼女は鈍くない。

 中身がどうなっているかは分からないが、少なくとも外見は人。表情にこそ出さないが甚夜は斬るのを躊躇う。染吾郎なら逃げの一手だろう。

 溜那や兼臣も、操られただけの人間を斬れるほど割り切ってはいない。

 つまりこの追手は叡善の嫌がらせ。戦力よりも、気勢を削ぐことに重きを置いている。


『溜那さん、体を借ります』

「かね、おみ」


 だとしてもここで立ち止まる訳にはいかない。そう決めてからの行動は早かった。

 兼臣の<力>は<御影>。

 例え骨が折れていようが筋肉が千切れていようが、持ち手の体を傀儡と化し意のままに操る。

 溜那がその身を委ねてくれれば、彼女の体を“使う”ことができる。その為に甚夜は兼臣を貸し与えた。


『行きます』


 幼げな娘は、線の細さからは想像できぬ速度で駈け出す。

 踏み込み、正眼から胴を薙ぎ、返す刀で袈裟掛け、立ち塞がる者達を打ち据える。

 峰打ちとはいえ鉄の棒で殴りつけるのだ。骨が折れ臓器に傷がつくくらいはあり得るだろう。

 だが手加減している暇はない。今はこいつらを蹴散らして、早く逃げなければ。 


『ああ、本当に下らねえ』


 しかし響いた声に動きを止められた。

 それは前ではなく後ろ。しかも耳元で聞こえた。


『なっ……!?』

 

 弾かれるように振り向けば、其処には小柄で細身ながら相反して筋骨隆々とした、黒い鬼が一匹。鋭い牙と、それ以上に鋭い目がいやに印象的だった

 驚愕し距離を取るが、鬼は追撃をかけてこない。しかし周りからはまた操られた人間が多数現れ、溜那達は囲まれてしまった。


『お守の次は、少女誘拐。ここまで来ると嫌がらせかと勘繰りたくなるってもんだ』


 深い溜息を吐きながら、気だるげな様子を崩さない。

 黒い鬼……秋津染吾郎から聞き及んでいる。

 偽久。染吾郎曰く“不可思議な<力>を使う、厄介な相手”だ。


『貴方は……』

『大人しくついてくるならよし、抵抗するなら四肢を砕いて持ち帰る。生きているなら、多少の傷は構わん、らしいからなぁ』


 兼臣は甚夜と共に数多の戦いを乗り越えてきた。

 故に幾人もの強者を知っている。だからこそ一瞬で看破した。

 

 ───自分では、この男には勝てない。


 推測ではなく純然たる事実。尋常の勝負ならば百戦やって百戦負ける。それだけの気配というものを偽久は纏っている。


『あの屋敷にはお前らの護衛もいたそうだが、あれだけの数だ。生きちゃあおるまいよ。鬼喰らいは井槌が抑えているしなぁ。悪いが此処で終わりだ』


 甚夜が井槌に負けるとは思えない。

 しかしすぐさま倒しこちらに駆けつけることも出来ない。

 彼の知人も襲われた。

 つまり現状を溜那達は己の力のみで脱さねばならず、だというのに周りを囲まれ、勝てない相手が立ちはだかる。

 既に詰み。偽久の言う通り、溜那達は此処で終わっていた。


『状況が見えぬ阿呆でもないだろう。俺にしたって、小娘を甚振る趣味はない。素直に従った方が互いの為だとは思わないか』


 唯一の救いは、偽久が理性的な鬼だったことだろうか。

 南雲叡善の配下ではあるが、こちらを嬲るつもりはないらしい。決して善良ではないが、良識くらいは弁えているようだ。

 それでも従えない。溜那が向こうの手に渡ればすべてが終わる。

 コドクノカゴが生まれることだけは阻止せねばならない。

 だが逃げられない。残された選択肢といえば、溜那の命を絶つことくらい。いや、そんな道を選べる筈がない。

 どうすればいい、考えが纏まらない。


「……い、や」


 切迫した状況にあって、打ち破るように言葉を発したのは、兼臣ではなく溜那だった。


『ああ?』

『溜那さん……?』


 偽久は提案を否定したことに対して。兼臣はそもそもここで意思表示をするとは思っていなかったから。

 理由は違えど絞り出した彼女の意思に、彼等は同時に疑問符を浮かべる。


「従わ、ない」


 明確な拒絶。

 その眼には、幼い娘とは思えぬほどの力が籠っていた。


『はっ、そんでどうする』


 馬鹿にしたような偽久の態度にも怯まない。

 艶やかな唇はたどたどしくも言葉を紡いでいく。


「逃げ、る……」

『この状況でか』

「逃げるっ」


 力強く、言い切る。

 肩を震わせ、目を潤ませて。単なる強がりであると分かり切っている。

 それでも溜那は退かない。視線は真っ直ぐ前に向けられていた。


「分からないことが増えて、怖いものが増えた。でも、大切なものも増えた。今のわたしには、それが、いいことなのかは…分からないけど……」

 

 思い出すのは夜の語らい。

 頭を撫でてくれた暖かい掌。

 今まで知らなかったことを知る度に、いろんなものが怖くなって

 怖くなった反面、暖かいと思うようにもなった。


「いつか分かるって言ってくれた。みんな分かるって、嘆くなって。わたしにも、分かる時があるって言ってくれた。わたしにも先があるって、信じてくれた!」


 南雲叡善に弄られ、下手をすれば人とも呼べないかもしれない。そんな汚い娘を受け入れてくれた。

 でもまだ何も返せていない。

 何も言えてない。

 だからこんな所で諦められない。

 わたしには、つたえたいことがたくさんある。


「だからもう、暗い場所には戻らない! わたしは、帰るの……伝えるの! わたしのこれからを信じてくれた人に!」


 今まで何も言ってこなかった分、たくさんの想いを伝えよう。

 だから逃げる。無理でも逃げる。どうにかして逃げる。

 いつの間にか涙が零れていた。

 口にした言葉も滅茶苦茶で、意味が通じていない。状況からいって逃げるのも不可能。つまり彼女が叩きつけたのは、子供の癇癪と何も変わらない。

 しかし年端もいかぬ少女の叫びに感ずるものがあったのか、偽久は気だるげな表情を引き締めた。


『訳が分からねぇ……が、小娘と言ったのは訂正しとくぜ』


 軽く右足を下げ、腰を僅かに落し、拳を構える。

 それは敵対の意思表示であり、手加減はしないという宣言だった。


『お前も相応の覚悟を持って此処にいるのは分かった。侮ったのは詫びる。代わりに、無傷ではすませられなくなった』


 何を言っても従わぬ。その意は十二分に理解できた。

 多少乱暴になるが仕方ない。いや、寧ろそうでなくてはいけない。

 あれの意思を挫くには四肢を砕く程度では足らないかもしれない。下らない命令、戦力差があり過ぎるとしても。一切の躊躇も侮りもなく、彼女に相対しよう。

 偽久は溜那を鋭く見据え、


「かっ、かかっ。なんとも濁った娘よ……あの夜叉めが気に入りそうではあるがの」


 しかし場違いなほど気の抜けた声に、その動きを止めた。

 囲いの一角を散歩するような気安さで通り抜けた男が一人。手には刀、背後には転がる死体。操られただけの人間を何の躊躇いもなく斬り捨て、そいつは溜那の傍らに立った。


「それにしても数の多いことよの。有象無象とはいえこれだけの肉を準備してくれるとは。そこな若造には感謝せねばなるまいて」


 空気が抜けるような薄気味悪い笑い声。

 五尺程度の背丈、肩幅が広い訳でもなく決して体格は良くない。しかしその首は奇妙なほどに筋張っており、尋常ではない鍛錬を積んできたのだと分かる。

 ぎょろりとした目はまるで値踏みするように偽久を観察している


『てめえ、何もんだ』

「ぬしらの言う、鬼喰らいの知人よ。もっとも江戸の頃、一度斬り合った程度ではあるがの」

『……そうか、叡善の爺が言っていた護衛か』

「然り。一応この娘っ子はあやつからの預かりものでな。勝手に持っていかれては困るのだ、若造」


 侮るような呼び方が気に障ったのか、偽久の意識は完全に男へと向けられた。

 しかし悠然と立つ。ぶつけられる殺気を、心地好いとでも言わんばかりの態度である。


『名乗れ。墓石に刻むくらいはしてやる』

「名乗る程大した名でもないが、問われたならば答えねばなるまい」


 男は刀を構えず、だらりと放り出したまま。

 偽久の敵意に目を見開き。


「かっ、かかっ。岡田貴一……時代遅れの人斬りよ」


 にたりと、血生臭い笑みを浮かべた。





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