堅物勇者のおはなし
歩き通している内に街道を逸れ、今日の野宿が決定した。薪を拾って野営の準備をする者と、夕食を作る者に分かれて作業を始めてから結構な時間が経つ。
すでに日は暮れ、熾した火が煌々と辺りを照らしていた。が、今だ腹は膨れない。
ぐぅぐぅと空腹を訴える腹の虫を宥めつつ、ラジはため息をついた。
「あーもー、一体いつになったら飯が食えんだよ……」
「多分、まだまだでしょうね」
あっさりと残酷な返事をしたのは、ラジの隣で火にあたっていた女の子だ。名前をアキリという。
ラジはアキリに胡乱な目を向けた。
「まだまだ?」
「ええ」
「まじで?」
「あの二人が食事当番になった時点で、分かりそうなものだけど」
だよなぁ、とラジは苦笑しつつ調理組の様子を見やった。
現在進行形で料理をしているのは二人。我らが一行の堅物勇者様と、愛すべき白魔術師だ。
先ほどまで白魔術師セティが手をつけていた鍋からはいい匂いが漂い始めていたが、もう一方の堅物勇者ときたら。いまだに干し肉を削っているのだから恐れ入る。
「はぁ……何だってよりにもよって、あの二人で飯の準備?」
「くじで決めたんだから、仕方がないでしょう。いい加減、諦めたら?」
「ここで諦めたら餓死しちまうんだけど」
「そう。短い付き合いだったわね」
「ちょ、冷たすぎ!」
酷くね?と訴えても、アキリはそしらぬ顔で、手元の本の頁をめくっている。なかなかの強者だ。
「なー、アキリ」
「……まだ何かあるの?」
「あの二人の様子見に行ってみねぇ?」
「……」
アキリはラジをちらりと一瞥すると「どうぞお好きに」とだけ言った。どうやら付き合ってはくれないらしい。つまらない。
仕方なくラジは一人で立ち上がると、調理組のほうへと向かった。
漂ってくる匂いに、なるほど今日はスープかと納得していると、干し肉を几帳面な手つきで刻んでいた堅物勇者様がちらりと顔をあげた。
「なんだ?」
「腹減ったんだけど」
「見ての通り、まだ準備中だ。できたら呼ぶ」
「できたらって、一体いつなんだよ……」
呆れつつ、ラジは堅物勇者ことレヒトの手元をのぞき込んだ。どうやらスープに入れる肉を削っているらしいが、スープがもう完成しているのに、具である干し肉の準備がまだとか一体どうなっているんだろう。ちょっと泣けた。
「レヒト……。おまえ、まさかずっと肉を準備してたのか? セティがスープを作ってる間ずっと?」
「そうだが」
当然のように肯定されて、絶句してしまった。
恐る恐る刻まれた干し肉を見たラジは、唖然とした後、堪えきれないように吹き出した。レヒトが眉をひそめる。
「何がおかしい」
「何がって、レヒト……。おまえ、几帳面すぎるだろ。なにこれ」
ラジが指さした肉は、綺麗に刻まれていた。綺麗なのはかまわないが、綺麗すぎるのは問題だ。ひとかけらひとかけらが驚くほど細かく、まるで機械で量ったかのように同じ大きさだった。なにこれ。
「意味が分からん……」
「悪いか」
「いや、悪くない。悪くはないけど、ここまで几帳面に大きさ揃えなくてもいいだろ。腹に入れば全部同じなんだし」
「干し肉は細かく刻んだほうが消化にいいし、味だってよくなる。そもそも大きさに違いがあったら不公平だろうが。喧嘩になったらどうする」
「子供か!」
考え方が斬新すぎる。ラジが腹を抱えて笑っていたら、レヒトの機嫌が急降下した。
「さっきから何が言いたいんだ。おまえは?」
「ええーっと、腹が減った?」
「だからまだだと言っているだろう。大人しく待ってろ」
「全然終わりそうにないから来たんだろうが。つか、俺も手伝うし」
「断る」
レヒトの返答は早かった。
「おまえらの今日の仕事は野営の準備だろう」
「や、だからもうとっくに終わってんだって」
「だったら休んでいろ。体力を回復させるのも、重要なことだ」
話が通じねぇ!とラジと嘆いていたら、それまでおっとりと微笑んでいた白魔術師セティが、おずおずと口を開いた。
「あの、本当にもうすぐですから。もう少しだけ待っていてもらえますか?」
「セティ……」
セティは小さく微笑むと、レヒトへと目を向けた。
「レヒトさん。私、手伝います」
「いい。おまえの担当はスープだろう」
「今、煮込んでる最中で……他に何か手伝えますか?」
「……なら、皿の用意を頼む」
「はい」
ふたりでのほほんとした空気を醸し出されると、なぜか毒気が抜けた。
ちなみにこの日、食事にありつけたのは、夜がかなり深くなってからだった。
我が一行の勇者様は強い。強いが、変わり者だ。頑固で几帳面で融通が利かない。あと色々と細かい。結構口うるさい。
……散々な言い方をしてしまったが、彼が勇者で、とても強くて、世界のために魔王を倒そうとしているのは紛れもない事実だった。
土砂降りの雨だった。叩きつけるような雨が視覚と聴覚を遮り、ぬかるんだ地面が身体の平衡感覚を狂わせる。
「ラジ! 右だ」
鋭いレヒトの声に、思考より先に身体が反応した。獣を貫いていた剣を一気に抜き放ち、振り向きざまにもう一閃。急降下してきていた鳥型の魔物の翼を切り落とす。
ギャァ、という嗄れた悲鳴も構わず止めを刺すと、ラジは剣を振って血を飛ばした。降り止まない雨が、簡単に赤色を流してくれる。
散々な一日だった。
朝から雨が降り続き、にも関わらず雨宿りできるような集落が近くにあるわけでもない。
頭からかぶったフードでひたすら雨をしのぎながら進んでいけば、運悪く出くわしたのが魔物の群だ。どうやら自分たちと同様相手も腹を空かせているらしく、あっと言う間に交戦状態となった。本当に勘弁してほしい。
飛びかかってくる狼によく似た魔物を切り捨て、ラジは周りに視線を走らせた。小物ばかりの群だったが、いかんせん数が多い。
他の皆は、と剣を振るいながら目を凝らすと、思いのほか近くにレヒトがいた。自分と同じく戦い続けていたはずの彼だが、相変わらずの無表情だった。息を乱した様子もない。
「レヒト」
「無事か?」
「何とか。おまえは?」
「問題ない。……数が多いな」
全くだ、とラジは笑って返した。
ふとレヒトが眉を動かして、その場を後ずさった。ラジもその前触れに気づき、ぎょっとしながら後退する。
直後、バリバリっという雷のような音がして地面が揺れ、こちらとにらみ合っていた魔物の塊が、一瞬で消滅した。魔物が叫び声を上げる暇もない、一瞬の出来事だった。
「おい、こら、アキリ! 俺たちを殺す気か?」
離れたところにいたアキリに声を投げると、彼女は目を瞬かせた後、肩をすくめてみせた。綺麗な顔に騙されがちだが、アキリが使う黒魔術はなかなか容赦がない。
雨音と共に魔物のうめき声を耳が拾い、剣の柄を握り直す。もう一度周りを見渡したが、どこから沸いてくるのか数が減ったようには感じない。上空を見上げれば、旋回する魔物の姿も見える。
ああもう、本当に厄日だ。そう思ったラジは、飛びかかってきた獣に剣を突き立て、蹴り飛ばした。血飛沫がかかり、その臭いの酷さに顔を歪めようとしてーーその光景に気づいた。目を見開く。
「セティ! アキリ!!」
後方にいた二人に、魔物が迫っていた。魔術師である彼女たちには近づけないようにしていたのに、いつの間に後ろに回ったのだろう。いや、そんなことを考えている余裕はない。
今にも飛びかかろうとしている獣に、詠唱中のアキリは気づいていない。
彼女の後ろにいたセティはラジの声が聞こえたのか、魔物の姿を見つけ、顔を強ばらせた。にも関わらず、唇をかみしめると、アキリを庇うように前に飛び出した。
「っの、バカ! 何やってんだ!」
白魔術師であるセティに、魔物を倒す手段はない。そちらに気を取られていたラジは、自身に迫ってくる魔物に対する反応が遅れた。
気づいたときには、腕に激痛が走っていた。牙を食い込ませてくる狼に舌打ちして、その体を振り落とす。セティとアキリは、と再び意識を向けようとしたその瞬間、風のように傍らを通り抜ける影があった。レヒトだ。
彼は自分の左腕を犠牲にして飛びかかってきた魔物を受け止めると、逆手に持った剣で獣をそのまま突き刺した。聖剣だというそれは、易々と魔物の肉を貫通させると、そのまま持ち主自身の体も傷つけた。
何か冷たい物が額に触れた気がした。
沈んでいた意識がゆっくりと上昇する。レヒトが重い瞼を持ち上げると、木で作られた天井が見えた。
「……レヒトさん、気がつきましたか?」
声をかけられ、視線を向ける。そこには逆光になったセティの顔があった。目が合うと彼女は一瞬だけ何かを堪えるような顔をしたが、すぐにいつものように柔らかく微笑んだ。
「……ここは?」
「宿です」
「宿?」
怪訝そうに聞き返しながら、レヒトは体を起こした。目眩を覚え、軽く頭を振る。
「も、もう少し寝てたほうが……結構な出血量だったんです」
「いや、問題ない。あとの二人は?」
「アキリさんとラジさんなら、そこに」
セティが示した先にあったのは、簡素なソファだ。そこにいたラジとアキリは疲れたかのようにお互いに寄りかかって眠っていた。ぐっすり眠っているだけで怪我は見当たらない。
ほっと体の力を抜いたレヒトに、セティが小さな声で告げた。
「……あの、ありがとうございました。助けていただいて」
「いや。……あの後、何があった?」
魔物を串刺しにしたところまでは覚えているが、それ以降の記憶は曖昧だ。セティに尋ねると、彼女は少し困った顔をした。
「どこまで覚えていますか?」
「おまえたちの近くへ行って、魔物を何体か片づけたのは覚えてる」
正直に答えると、セティは神妙な顔で頷いた。
「レヒトさん、途中で気を失ったんです。出血のしすぎで……その後は逃げました」
「逃げた? どうやって」
「魔物の数は減っていましたから、アキリさんが足止めをして……レヒトさんはラジさんが運びました」
眠り込む二人を見やってセティが答えた。どうやら無事に逃げられたものの、随分迷惑をかけたらしい。ラジは体力馬鹿だからともかく、後衛のアキリやセティに負担をかけたのは少しだけ申し訳がない。
「悪かったな」
「いえ! そんな、レヒトさんが謝ることは」
「ほんとだよ」
不機嫌そうな声が会話に割り込んだ。そちらを見ると、どうやら目を覚ましたらしいラジが、ぶすっとした表情を隠さないまま言った。
「おまえ、ちょっとは反省しろ。ああいう戦い方はまじで迷惑だから」
「ああいう戦い方?」
「敵ごと自分を刺すような真似はやめろって言ってんの!」
睨みつけられて、ようやく何のことかを思い出した。確かにセティを助けるとき、勢い余って自分ごと刺したような気もするが、刺した脇腹はもう何の痛みもない。おそらくセティが治癒してくれたのだろう。そのことについてセティに礼を言うと、苛立ったようにラジが頭をかきむしった。
「違う! いや、合ってるけど! ありがとうは大事だけどな! 俺が言ってんのはそういうことじゃねーの。無茶すんなって言ってんだよ馬鹿!」
「無茶?」
「その『どこが?』みたいな怪訝な顔はやめろ! ああもうやだこいつ! アキリ助けて」
ラジが嘆きながら隣のアキリに抱き付くと、彼女も起きていたらしく大きなため息が返ってきた。アキリは呆れ返った目でラジを諭した。
「ラジ、あのね。馬鹿につける薬はないの」
「お、おう……」
「レヒトが無茶をするのは前からだし、そもそもこの人はあの戦い方を無茶だとすら思っていないのだから反省するはずがない。そうでしょ?」
真っ直ぐとアキリの目がこちらに向けられる。レヒトは少しだけ考えて頷いた。
「そうだな」
「ほらね」
「もうやだこいつ……」
ラジやアキリどころかセティにまで落胆されて、レヒトは居心地の悪さを感じながら説明する。
「悪いが、おまえらが何をそんなにこだわっているのかが分からない。あの状況で後衛を庇うのは当然だろう?」
「自分で怪我をしたのは?」
「別にすすんで怪我をしにいったわけじゃない。効率よく敵を仕留めようとしたらああなっただけだ。怪我をしたってセティの治癒魔法があるし、そもそも俺は回復力が強いんだから怪我のうちに入らない。みんなだって知っているだろう」
知ってるよ、とため息をついたのはラジだ。
「おまえが馬鹿強いのも、ちょっとやそっとの怪我じゃ死なないことも知ってる。セティがいれば大抵の傷が癒せることだって知ってるさ。でもそういう問題じゃない」
「というと?」
「俺たちの気持ちの問題」
ふてくされた表情のまま、ラジは続けた。
「おまえが敵ごと自分をぶっ刺して、血ぃだらだら流したままその後も戦い続けたと思ったらいきなり倒れて。真っ青な死人みたいな顔しやがって、セティは泣きそうだしアキリは慣れないしんがりですごい怪我したし、おまえを担ぎながら戦った俺の全身疲労といったら! 見せてやりたかったね」
そこまで言われてそうやくレヒトはまじまじと目の前の仲間たちを見つめた。
セティは治癒魔法を使いすぎたのか、少し疲れた顔をしていて、そして目元が赤かった。アキリはもう怪我は治した後なのか、いつもと同じように見えたが、普段着ている服装ではなく予備のローブを羽織っている。聞けば元の服はもう使える状態ではなかったので捨てたという。そしてラジはというと、こちらも予備の服装に着替えていた。軽い口調で状況を説明する彼だが、目だけは真剣な色をしていて、彼が本当に怒っていることを悟らせた。
自分が倒れた後のことなんてあまり考えていなかったレヒトは、ほんの少しだけ息を詰まらせた。それを目ざとく観察していたのはアキリで、容赦なく言葉で抉ってきたのもまた彼女だった。
「あなたは自分が正しいと思ったことをしただけでしょうけど、それが周りの人間にとって最善かどうかは違うということね。レヒトがそういう真っ直ぐな人だってことは知ってるし、それでもいいと思うけれど……そうね、セティを泣かすような無茶は控えてもらえると助かる」
「な」
幾分声音を和らげたアキリの言葉に、セティは顔を赤くして俯いた。否定しないということはやはり泣いたらしい。自分が泣かせたと思うととても居心地が悪い感じがした。
「……泣かせて悪かった、セティ。アキリも、怪我をさせたんだな」
「って、おい! 俺は!? 俺のことは!?」
「今後は二人に迷惑をかけないように努力する」
「人の話を聞け!」
怒りながら声をあげるラジからは先ほどまでの真剣さは抜けていて、いつも通りの彼に戻っていた。なんとも器用な男だとレヒトは思う。
「ラジはあれだろう。なんだかんだと言いながら人の世話を焼くのが好きなんだろうから、これからもせいぜい迷惑をかけさせてもらうさ」
そもそも同じ前衛で同じ男同士なのだから、気を遣う気になれない。そうはっきり断言した時の三人の顔といったら。てっきりふざけるなと怒るのかと思ったら、三人とも堪えきれないように笑い出したので、レヒトはまたしても意味の分からない置いてけぼり感を覚える羽目になるのだった。