そのとき。(6)
白沢瞳は答えない。
何の用だと問うたはずなのだが、彼女は不機嫌そうに俯いたまま答えようとしなかった。
「何の用?」
向かい合って立ち尽くしたまま、だんまりを決め込む白沢に次第に苛立ちを感じ始める。
こっちは戻って小里と話がしたいんだ。せっかく思考に修正を入れて、さあ今からと切り替えた矢先にこれで、出鼻を挫かれたと言わざるを得ない。
いい加減にしてくれ、戻りたいんだ。僕のことが嫌いなやつに構ってやってる暇なんてないんだ。そんなの笹本辺りが喜んで引き受けてくれるだろうが。
「そういえば、白沢もカラオケ行ったんじゃなかったのか」
地方都市の市街地はずれのショッピングモールなんて大したことはなく、ボーリングやカラオケや、ゲームセンターのようなところくらいしか遊び場所なんてない。ごく当たり前のように自然な流れで、バスケ部はOBも現役も交えてカラオケに行ったはずだった。もちろん、白沢もその集団に含まれていたはずだった。
なのに彼女は僕の目の前にいて、そして話題の転換にも応じる素振りを見せない。
「……わかったよ」
嫌がらせのつもりか。そうか。
バスケ部で唯一、学内でたった一人、白沢瞳という少女は宇垣夏生に対してのみ棘を向ける。宇垣夏生は、白沢瞳に目の敵にされている。遠回しな呪詛から明から様な暴言まで、言われた悪言は彼女が入部してからの約2年間ですでに数知れない。
そのくせとやかく絡んでくる。今朝のことがいい例だ。体育館に着くなり彼女は現れて、休憩中にもやってきては嫌味っぽい言葉を吐いていった。
受験が終わったからって、OB戦なんて行くんじゃなかったなという後悔が沸き上がる。笹本にしろ白沢にしろ、僕に何かしら恨みがあるらしい。人を不快にさせるくらいならわざわざそんな所に行きはしなかったのに。
「悪かったよ、調子に乗ってOB戦に出てきて。でもこんなとこまで追いかけてくることないだろ。素直にカラオケに付いてってグチでも言ってろよ」
いつの間にか、白沢は俯いていた。すでに彼女が何を訴えたいのかはさっぱり分からない。
「……もう行くわ。人待たせてるから」
だから付き合いきれないと、僕は彼女の隣を通り抜けようとした。
「小里さんですか」
そして腕を掴まれた。細めな腕、ドリブルの上手い手。白沢の手は僕の腕を確かに掴んでいて、ただ、それだけなら解くことも容易かったが、彼女が出した名前が、そうはさせなかった。
「は?」
小里のことを知ってるのか、というのが第一の感想だった。
「だったら、何」
白沢には関係ないだろ、というのが第二の感想だった。僕のことが嫌いならこれ以上関わらないでくれ。
「デートですか」
「違うんじゃない?そもそも白沢には関係ないよ」
なぜ白沢がそんなことを聞くのだろうか。言葉はだんだんと投げやりになっていくが、覚えていた苛立ちは、混乱へと変わっていく。
「デートじゃないなら私が今から着いていってもいいですよね」
僕の混乱への、とどめの一言だった。
訳が分からない、としか言いようがない。
「何でそうなる」
「私が先輩のこと好きだからです」
「ああそう、でもそれは関係ないよ」
お互いが、自棄になったような調子で発していたと思う。僕は反射的に、切り捨てた。関係ないよというのは、彼女が僕を攻撃してくる時の切り返しとしての常套句だった。ただ、口が動いてから何を言われたのかに気づいた。
白沢は、僕のことが好きだと言った。
そして立ちすくむ後輩は、唖然としていた。
僕のことを散々に嫌っていると思っていた相手は、何を考えているのかさっぱり分からなかった相手は、僕の事を好きだと言った。
言われてなお、僕は苛立っていた。関係ない、と勢い剰って切り捨てたが、実際のところ間違ってもいないらしい。こんなに感動しないものなのだろうか。
掴まれていた腕が、ゆっくりと離れていく。
「わ、悪い」
まず先に口走って、考えが追いついてから判った結果は失敗であった。
目を合わせることなく、顔を伏せたまま彼女は僕の隣を通り過ぎた。怒っていたかも知れない、泣いていたかも知れない。
掴まれていた手首には、彼女の手のひらの感覚と一緒に少しの罪悪感が残っていた。