そのとき。(5)
フードコートは、藤瑞センターの1階にある。
テーブルの並んだ広いホールは麺類、揚げ物やプレート系、サラダ、デザートなどの店で囲まれ、平休日問わず様々な人の憩いの場になる。
「あれからさ、井土くん大丈夫そう?」
他愛のない会話を2、3交わした後。小さなスプーンでカップアイスをすくいながら、向かいに座った小里が訊ねてくる。
「まあ、一応は」
四六時中メールをしているわけでもないので、あまりどうとも言えないのだが。それでも間違えたことは言いたくなくて、多くはない井土とのコミュニケーションを振り返り曖昧に答える。
「陽盟には落ちたんだよね」
「なんだかんだ、それで良かったってさ」
井土が陽盟高校を受けたのは、松木叶が受験し、間違いなく合格するであろう学校であるからという理由だった。松木を追いかけるための選択だ。
しかし松木は井土を選ばず、陽盟の合格ラインは井土を跨がせなかった。
受かったって、仲のいい知り合いは少ない。何よりも松木がいる。それは気まずい。何より、松木があの又従兄弟と仲良さげにしている光景など見れたものじゃない。合理化ともとれる現実的な話を、井土は僕にしてくれた。仲のいい奴が少ないことに変わりはないなら、気まずさを覚えずに済む方に行けてラッキーだとも。
「ん、でも……うん、そっか」
釈然としないのだろう。小里は一度大きく溜息を吐いた。
透明なスプーンはカップに置かれ、溶けだした紅茶味のアイスの中へとわずかに沈み始める。
「あれだけ、頑張ってたのにな」
人一倍、それ以上に井土は半年数ヶ月の間、努力を怠らなかった。間近で見ていたからか、小里は、フられて落ちてと井土が報われないことに納得行かないのだろう。
「すごい頑張ってたよね、井土くん。最後の学年末テストだってすごい良い点数獲ってたし」
なんでだめなんだろう、何がだめだったんだろう、何で何でと彼女は繰り返す。それだけ井土は認められてしかるべきでもあったから、彼女の気持ちは理解ができる。しかし、僕にはそこまで執着できる事でもなく、彼女といるのに何か面白くないものを感じていた。
「結果は結果だし、それで人生終わりでもないんだし」
外野が言ってたって仕方ないんじゃないのかと言ってみたところで、彼女の眉間は狭まるばかり。
肯きつつも、でもと口を開く小里。こういうところで、彼女は頑固さを顕す。納得のいかないこと、どうにもならないことに小里は執着する節があるということを、僕は最近知ったのだった。
それにしても面白くない。苛立ちにも似たひっかかりが心の中で蠢いていた。何がそんなに面白くないんだろうか。
小里がため息を吐く。そうして2人の間の言葉は途切れた。
会話が無くなって、思考に意識が割かれたのは自然な流れだった。そして気付く。
僕らはさっきから井土の話ばかりだからだ。
合格発表の翌日に会った時もそうで、顔を合わせる度に彼女は井土の話をしていた。そうか、彼女が井土の話ばかりして、あいつを褒めてばかりだからだ。
それがつまらないんだ。彼女が井土ばかり見ているようだから。
2人の間に言葉はなく、染み出してくる気まずさが自己嫌悪を増長させる。彼女が誰を見ていたとして、僕が文句を言える筋合いなんてどこにもない。
「ごめん。ちょっと飲むもの買ってくる」
「え?あ、うん」
おそらく咄嗟に何を言われたのか分かっていなかった小里を置いて、僕は席を立ち上がる。熱を冷まそう。頭を冷やそう。冷静になろう。
コーヒーがいい。ブラックの、缶コーヒーがいい。
覚えたての背伸びの様な味を求めて、フードコートにあるのはせいぜいカップの自販機で、それでは駄目で缶の自販機を求めてフードコートから踏み出した。
アホらしい。バカみたいだ。というかバカだ。
とにもかくにも自虐の言葉を並べ立てて、夢中になって自分を責め立てた。責め立てることで、ひとまず冷静になろうとした。なれると思っていた。
せっかく小里といれる時間なのに。あとどれだけこうしていられるかも分からないのに。貴重な時間であるはずなのに。
エスカレーターの脇にある自販機で、缶コーヒーを探す。必要なだけ硬貨を入れて、落ちてきた缶を掴んだ。
『進学したらさ、こうやって貸し借りするのも、できなくなっちゃうね』
小里に本屋で言われた言葉を思い出す。
プルタブに指をかけた。
小里はよく苦笑いをする。そのときもそうだった。彼女は苦笑いをした。
コーヒーを流し込む。ただただ苦さだけが、舌の奥辺りに触れて流れ落ちていった。
「戻ろう」
何やってんだ。
小里と居られる時間は、もっと大事にしなければ。
冷静さを取り戻すのに120円は安い方だ。これからのことを考える時間がそんな低価格で手に入った訳だ。
時は金なり。何か違うがしっくりくる。
即刻踵を返して、フードコートに戻ろうとする。
「……びっくりした」
戻ろうとして、戻れなかった。
しかしそれは決して、変な躊躇いや迷いや、つまらない感情のぶり返しのためなどではなかった。
誰からも好かれる優等生、白沢瞳が、僕のことを嫌いに嫌っているはずの女の子が、不機嫌そうな顔をしてそこに立っていた。