そのとき。(2)
貴重な品であると同時に自分が欲しいと焦がれていた物が、ついにオークションで落札できそうだと思っていたら、どうしたことか自分の手の届かないような額で別の人に落札されていた。
別にそんな経験があるわけではない、ただふと思いついただけだ。
そんな話はさておき。
合格発表の翌日、僕は井土を誘ってカラオケに行った。
卒業式からずっと会っていなかった井土は、先の一件のせいなのか何なのか、以前よりも落ち着いて見えた。覇気がない、ともとれるかもしれない。
「お疲れさん」
そして案内された広い部屋で1時間くらい歌い続けて、僕らはマイクを手放した。
僕は、無事に鹿川高校に合格した。一方の井土は、陽盟に合格しなかった。
「いや、まあ……ちょうどよかったし」
親には悪いけど、と井土は苦笑いを浮かべた。私立になれば公立よりも金がかかってしまう。
曰く、滑り止めとして受かった立嶺に行くと決めたのだと。
立嶺は、小里の進学先でもある。そのことは気づいていたが、僕は今それに触れようとは思わなかった。
「意外だったなー」
井土は大きく背伸びをし、そのままソファーに倒れ込んだ。綺麗じゃないぞ、というと、気にしすぎだろとだけ返ってきた。
「まさか片想いがいるなんてさぁ」
「意外」も「まさか」も考えればだいぶと失礼な言い方だが、事実そう言えてしまう話である。井土から聞いていた限り、僕らが見ていた限りでは、井土と松木の2人はなかなかいい雰囲気だった。だから、今回の結末には驚かされた。
「親戚の、高校生なんだっけ?」
「そう、ハトコ。陽盟の2年だとさ。知的メガネの超イケメンだったわ。どう足掻いても無理ゲー」
勝てっこないー、と井土は腕を投げ出す。
「どうして知ってるんだ、会ったのか?」
「学校に居たんだよ。合格発表の掲示の側まで出てきてた」
「なるほど」
「松木さん、そいつといる時すっげえいい笑顔になんのな」
投げやりな調子で、井土はそう呟いた。
2人で使うには少し広過ぎる部屋の、やはり2人で使うには大きすぎる机が遮って、井土の表情は伺えなかった。
「諦めるなよ」などと言える訳がなかった。「次があるさ」なんて言葉は思いつかなかった。傷心の友にかけるべき言葉なんて、何一つ思い浮かばなかった。
「お前はさ、どーすんの?」
そう井土が低めの調子で訪ねてきたのは、部屋が手持ちぶさたそうにコマーシャルを流すテレビのワンマンショーになっていた時で、僕が未だに井土への気の利いた言葉を探していた時だった。
「言ったはずだけど、鹿川に行くよ」
「知ってる」
「じゃあ何?」
「小里琴子」
会話がぶつりと途切れる音を、僕は聞いた気がした。
「……お前らは、何もないの?」
「何か、あると思う?」
とっさに返したのは、誤魔化しの言葉。質問返しという逃げだった。質問にはまず答えろ、と言って拳骨を落とした祖父のことが頭をよぎった。
祖父の細くも力強い拳こそ降ってこなかったが、親友の一言は僕をしっかりと捕らえた 。
「思わなかったら聞いてない」
ごもっともだ。
「小里さんは、立嶺だろ」
「だから?」
「このまま何もなしでいいのか?」
告白をしろ、と暗に言いたいのだろう。余計なお世話だとは言えなかった。傷心中であろう井土への遠慮がそれを言わせなかった。だから、無言が返事になった。
起きあがってしばらく僕を見ていた井土は、おもむろにリモコンを操作しだし、マイクを引き寄せる。
軽快なようでどこか辛気くさいイントロが流れ出す。画面の中の制服姿の少年と少女は仲睦まじく手をつないでいた。