そのとき。(1)
「わたしの名前って、『こ』が3つも入ってるでしょ?」
響きがなんか変だからあんまり好きじゃないんだ、と小里は微妙な笑いを作った。
寒さが一層深みを増し、年の瀬が近づいてきたその日も、途中までいつもの4人で歩いて、いつもの場所で別れた後だった。
「なんとなく分かる、それ。俺の場合、『き』が2回、名字と名前の最後にくるから変な感じがするんだよな」
頭の上でなんとなく腕を伸ばしながら、道ばたをつつく雀を目で追った。
妙なところで気が合うのが、なんだかおかしい。
丸々とした雀に目をやりながら腹の内で独り言つが、どうやら表情に出ていたらしく小里が隣で首を傾げた。
「どしたの?」
「なんでも」
言うべきことでもない。それがどうやら伝わったのか、小里も「ふーん」とだけ返すに終わった。
自然と会話がとぎれ、2人は何も喋らないまま歩いた。
どれだけか歩いた頃、突然目に刺すような痛みを感じた。
「いたっ」
「え、なに?」
「目になんか入った……睫毛だ」
目元をこすった指には、長くしっかりした睫毛。しかも綺麗な曲線を描いている。
「宇垣くんってさ」
「なに?」
小里は拗ねたような顔をしている。それほど露骨ではないが少しばかり顔をしかめている辺りが根拠。
「睫毛長いよね。羨ましい」
「あー、まあ」
伊達に赤ん坊の頃に女子大生に羨ましがられた訳ではない。母親譲りのぱっちり目元は、一人息子に着実に受け継がれていた。
そのことを話すと、小里は大きくため息を吐いた。
「なっちゃんのくせに」
罵倒になってない、と僕は返す。
このころには、気恥ずかしくて拒否していた彼女の「なっちゃん」呼びにも慣れていた。なんとなく、そう呼ばれることが2人の特別さを強くする気がしていたせいもあるだろうか。
◇
松木叶は、基本的に残念だ。
背は小里より頭ひとつ分ほど小さく、顔のパーツはかなり高いレベルで整っている。下世話な話だが女性としての発育は小里よりも進んでいるようで、需要の高そうな容姿にまとまっている。
しかしだ。小柄で愛らしい容姿をしているのに、どこで何を踏み間違えたのか、サブカルチャーにどっぷりと漬かり込んでいる。言うまでもなく、腐ってやがる。
趣味の話に熱くなった瞬間纏う空気が変わり、目つきが怪しくなる。ついでに笑い方も怖くなる。口は三日月で、カタカタと震え笑う様は怪物もかくや。うっかり話の合った若い女性教員がその日の夢でうなされるという保証付きである。
おまけに、普段のただのゆるっとふわっとした雰囲気から一歩踏み込んだ途端に豹変する。悪いギャップである。
そしてどうやら小学校を卒業する辺りには既にその人格が形成されていたらしく、彼女に異性を求めて近づく者はエスカレーター式に上がった中学では既に居なかった。
それを承知で松木に惚れ込んだ井土という男は、僕の良く知る友人でありながら、その点だけ僕の理解を大きく超えている。
さて、報せが舞い込むのはいつだって唐突だ。
叔母の離婚も、友人の転居も、担任の入院も、何の脈絡もなく僕のもとに舞い込んできた。
今回もそうだ。
「この展開は読めなかった」
「井土くん、大丈夫かな」
年が明けて、卒業式も恙無く終わり、公立の受験が終わった辺りのことだった。
まさかである。
2人で夏祭りにも行って花火も一緒に見て、話に聞く分には十分好感触で。下校時の雰囲気も悪くないと感じていたのに、卒業式でも仲良さげにツーショットなど言っていたのにも関わらず、井土の告白への松木の返答は、「ノー」だったそうな。
しかもである。
理由を井土が尋ねたところ、「好きな人がいるの。陽盟の先輩でね、又従兄弟に当たる人なんだけど」と。
「わたしだって知らなかったよ!というか、あの子わたしに男の人の話したことなかったよ!わたしに聞いてばっかりだったし!」
小さくとも憤りを顕わにする小里は、少し珍しかった。
緊急会議という名目で呼び出されたのは、家から4駅ほど乗った市の中心地的駅ビル内の軽食店。
フライドポテトをつまみながら、小里は怒ったり喜んだり心配したりと、忙しなく表情を動かしている。普段はそれほど表情に出ないタイプの彼女にしては、珍しいことでもあった。
「これで陽盟落ちてたら、井土、踏んだり蹴ったりだな」
中学をもっとも長く共に過ごした友人の悲報に、僕はやるせなさを感じていた。
「でも、かなちゃんと居たいが為の陽盟だから、逆に受かってるとそれはそれで……ってならない?」
紙ナプキンで口元を拭きながら、小里も眉を寄せた。
「かなちゃんに好きな人がいたことはいい報せというか、応援したいけど……」
「あ、遠くても親戚となると、前途多難そうだよな」
そうだよねー、と唸って彼女は顔を両手で覆った。
覆ってから慌てて手を離した。指先がべたべたしていたようだ。