初盆
先ほどまでじんじんと鼓膜をふるわせていた蝉の鳴き声が、潮が引くかの如く、すうっと消えていった。不意に訪れた静寂の中で、軒から下げた風鈴がころん、と音を立てた。
「母さん、今日からお盆やし、孝明が帰ってくるで。」
庭に射しこむ夕陽と同じ色に染まった鬼灯を縁側に座って眺めながら、私はつぶやいた。蚊取線香の薫りが、つんと鼻をつく。
あれは去年の秋のことだった。琵琶湖へツーリングに出かけた帰りの、比叡山を貫く峠道。ふとした気の緩み。思っていたよりも小さかったカーブの径に、つい足に力が入ってしまったのだろう。急激なブレーキングで後輪にロックがかかったバイクはあっけなく力の均衡を失って転倒し、投げ出された体はその勢いのまかせるままにアイスホッケーのパックよろしく路面を滑っていった。そして山肌に吸い込まれた体は、その斜面を鮮やかに彩っていた紅葉とともに、その命を紅く散らしたのだった。
「なんやかんやあったけど、ようやく初盆やねぇ。好きやったおかず、ようさん作っといてあげんと。」台所から妻が顔を覗かせた。
別れの言葉も交わさないまま突然に家族を失った悲しみは、時の流れで癒せるものなのだろうか。初七日の法要が終わってからの妻は、魂の抜けたただの人形のようだった。通夜、葬儀とそれに続く挨拶回り。涙を流す間もなく張り詰めていた緊張の糸が、ご住職を玄関先まで見送った瞬間にぷつりと切れてしまったのであろう。中陰壇に飾られた白木の位牌の前で御骨を抱きかかえ、遺影を相手にぼそぼそと話しかける姿はとてもではないが正視できなかった。食事もろくに取らず、二七日、三七日と法要のたびに憔悴していった妻は、満中陰を迎えたあの日、雪のちらつく霊園で御骨を手にしたまま倒れ込んでしまった。骨壷をしっかりと腹に抱きかかえて守った姿に立ち並んだ親族からは嗚咽が漏れたが、遠くへ行ってしまった息子に代わって手助けすることも元気づけることもできず、ただ傍に居てやることしかできなかった私は亭主失格だった。
けれども、梅の鮮やかな香りが春の訪れを告げ、桃が薄紅色の暖かみのある花を咲かすにつれて、少しずつではあるが顔もほころぶようになってきた。そして桜の咲き乱れる頃には、花見にも出かけられるほどに回復した。円山公園から南禅寺、哲学の道。学生時代にデートで出かけたあの日も、産着にくるんだ息子をあやしながら歩いたあの日も、元気いっぱいに走り回る姿に手を焼いたあの日も。とうに私の背丈を追い越してしまった息子を夫婦二人で挟んで歩いたのも、このコースだった。そしてもちろん、今年も。妻が懐に写真を忍ばせているのを見つけた私は、思わず目頭を熱くした。
「そろそろ、お迎え火焚こか。」
焙烙皿に苧殻を載せた妻が庭へと出て行った。いつの間にか精霊馬も用意していたようだ。きゅうりに割り箸でつくった足を刺して、お馬さん。なすびに足をつけたのは、牛さん。こちらへ来るときは早よ来れるようにお馬さん、天国へ帰るときはお土産積んでゆっくり帰って欲しいし牛さんやねんで、と説明して聞かせたのも遠い昔のことだ。
ああ、そうやった、と一度居間へ引き返した妻が、大事そうに何かを掌に乗せて出てきた。鮮やかなライムグリーンのカウルに昆虫の複眼を思わせる四つのライト、一直線に雄々しく伸びたシルバーの排気筒。
「どうせ向こうでもバイク乗ってるんやろし、これ乗って早よ帰って来よし。」
生前乗っていたバイクのスケールモデルだった。そんなんいつの間に用意してん、と私は思わず苦笑した。てっきり、死へと誘ったバイクのことを憎んでいるのだとばかり思っていたからだ。
高校を出てすぐに取った二輪の免許。リアシートにテントや寝袋、調理道具を一切合切くくりつけてどこへでも出かけた。一度出かけたら何日も帰らない日さえあった。結婚してからはさすがに回数も減ったが、それでもバイクは止められなかった。この趣味だけは続けさせてくれ、と妻に頼み込んだ。
そんな父親の姿を見て育った息子が、自分もバイクに乗りたいと言い出したのはごく自然なことだった。しかし不思議なもので、我が子が乗るとなると親としてはにわかに反対したくなるものだ。もうちょっと先でもええんと違うか、せめて大学を卒業してからでも。夫婦二人で何度も説得してみた。けれども密かに教習所へ通っていた息子は、試験に合格すると同時にバイト代を貯めて買ったバイクにまたがって帰宅して、私たちを驚かせた。蛙の子は蛙て言うけど、ほんまにこの親子は、という妻の溜息混じりのお小言が耳に残っている。
ひぐらしのもの哀しげな鳴き声が、幾重にもさざなみのようにあたりに押し寄せていた。
「あれだけ気ぃつけてね、って言うてたのに。ほんまアホやわ。……まだ、許してへんのやからね。」妻の頬を涙が伝う。
そうだったのか。私は心を覆っていた瘡蓋を無理矢理ひき剥がされた気がした。針で小さく突いたような痛みと、じくじくと滲み出す血は自らへの罰だ。そんな妻の思いさえ汲んでやることもできずに、この数ヶ月間過ごしてきたのか。二度目の、亭主失格。
思い返せば、私や息子がツーリングへ出かける日は、どんなに出発が朝早くても妻は必ず先に起きていた。そして神棚に柏手を打って安全祈願をし、道中安全の御守を持たせてくれた。居間から玄関までのわずかな距離の間に、何度気をつけてと言われたことか。その度に、まるで出征兵士の見送りやな、と笑い飛ばしていた。けれども。
「すまんな、聡子。ほんま、堪忍やで。」震えるその細い肩を抱きながら、私はただ繰り返した。全ては、私が悪かったのだ。
時が悲しみを癒してくれる。本当のことなのかもしれない。けれども、それは決して、時間が悲しみを希釈するということではない。書き手の居なくなった日記に埃が積もっていくように、過ぎていった時間がただ悲しみの表面を覆っているだけなのだ。ふとした拍子に風が吹けば、いとも簡単に元通り、それは顕わになってしまう。日記の書き手が姿を消しても、それが埃にまみれても。読み手が表紙を開くたび、そこに刻まれた文字は書かれたその日のままに何度でも甦る。私は、妻と二人、哭いた。
素焼きの皿のうえに揃え置かれたおがらに、火が灯された。はじめは、爪の先ほどに小さく。やがてそれは掌ほどの大きさになった。山吹色の炎は、彼岸の魂を此岸へ手招きするかのように揺らめく。そして、次第に碧く深く染まっていく空へ、一条の煙が立ち上ってゆく。
孝明が帰ってくる。予感は、確信に変わった。鋭く響くクラクションは、酒屋の前の信号のない十字路を通過するときの習慣。聞きなれたエンジン音が家々の間をどんどんこちらへ近づいてくる。妻の耳にも届いたのか、たおやかな指で涙をぬぐって立ち上がった。そしてそれは、いつものように我が家の門前で一度短く吹かしてから止まった。間違いない、帰ってきたのだ。
誰そ彼時と呼ぶにふさわしい、ひたひたと忍び寄ってくる薄闇の中に彼は居た。フルフェイスのヘルメットに、真紅のライダースーツ。
「予定より遅うなってしもたけど、何とか帰って来れたわ。初盆や言うたら上司が帰してくれたし。」
「おかえり。さっきお迎え火焚きはじめたところえ。きっともうすぐお父さんも帰ってきはるわ。」
父さんはここに居るぞ。ちゃんと帰ってきたぞ。そう言ってやりたいが、私の声は彼らには届かない。私の姿は、彼らの目には映らない。けれども、それでもかまわない。いい歳をしてバイクでかっ飛ばした挙句に家族を残して独り旅立った、馬鹿な男への罰だと思えば。
それなのに、あふれ出るこの涙は何なのだろうか。せめて一言、感謝の言葉を伝えられたら。せめて一言、謝罪の言葉を伝えられたら。赤茶けた染みがあちこちに広がるライダージャケットの袖で、私は顔を拭った。
ちぃん、と涼しげなお鈴の音が仏間から流れてきた。さあ、今日は盆の入りだ。与えられた時間は少ない。ふっと蚊取線香を吹き消して、私は縁側を後にした。
(平成24年5月23日脱稿)