心斎橋から長堀への回遊
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お盆の連休に入り、宏は大阪に行こうとまた奈良駅に居た。
年季の入った地下のホームでトンネルの向こうに続いている白のライトを眺めながら、緩やかに吹き抜ける風の中、列車を待っていると
後から「こんにちは」という声が聞こえて振り返るとマリーが居た。
今日のマリーはワンピースを着ていた。
もはや宏は何も驚かなくなっていた。
どこに居るかはすぐわかるはずなので、現れるのは簡単だろう。
一応偶然を取り繕って
「最近よく会いますね」
と答えた。
それからマリーの服装を改めて確認した。
少しタイトな黒のワンピースの胸元には大胆過ぎる位の大きさの金文字でブランドのロゴが入っていて、右腰の部分からはやや太めの白のストライプがアンシンメトリーに上下左右に胸元の少し下まで入っていた。
いつもの黒とピンクのバッグと合わせて全部同じブランドだった。
宏は少し圧倒されながら
「名古屋城にある籠みたいなファッションですね」
というとマリーは
「さすが宏さんお目が高いですね。そのイメージです」
と答えた。
それからマリーは唐突に
「宏さんは少しマジメすぎていけませんね。今日は私にお供して下さい」
と、宏の都合も聞かず背中を押すと入ってきた特急に乗り込んだ。
宏も宏で
「なんか今日のマリーは色々準備していて本気っぽいし、面白そうだ」
と、軽い気分で同行することにした。
マリーは窓側の席に座ると首をかしげながら宏を見ると
「宏さんはどこか歴史のある所のご出身ですか?」
と宏に尋ねた。
宏は
「地元は鎌倉ですよ」
と答えた。
マリーは
「そうですか、なんかこの辺りとは雰囲気は近そうですね」
というと、ひっきりなしに入ってくるショートメッセージに返信を始め、時には神経質そうな顔で窓の外を見ると何かを考えてはまた返信していた。
難波に着くまで余り喋らず、ずっとそんな調子だった。
宏にも樋口から「原稿が出来たから確認して下さい」とメールが入った。
更に「また時間があれば三宮まで飲みに来て下さい」とメールには書かれていた。
宏は添付ファイルが開ける事を確認すると、「また確認して連絡します」と返信した。
マリーに案内されるまま難波から心斎橋に移動し、地下鉄の駅から地上に出ると、そこから路地裏に向けて歩きだした。
排水の酸えた匂いの漂う雑居ビルの古びたエレベーターに乗り込み、ボタンを押すと念を入れるように
「宏さんもしっかり楽しまないといけませんよ」
と言った。
宏がなにかと思っている間にエレベーターは目的階に到着した。
小さなエントランスを抜けると白い壁の通路がありバーやらスナックが軒を連ねていた。
マリーは一番奥まで行くと自動ドアの前に立ち、店に入った。
暗い店内の天井にはシャンデリアが吊るされていて、店には沢山のホストが居た。
宏は自分と全く系統の違う男達の集団に居心地の悪さを覚えたが、別に気にする事もなさそうだった。
様々なニュアンスの女性客の視線が刺さった。
マリーを先頭にテーブルに案内された。
席に座ると一通りの説明を受けた。
マリーはこの店が初めてではないようだった。
二人の横にホストが着いた。
二十代前半ほどのそれぞれのホストは挨拶がてら短い話をすると注文を尋ねてきた。
宏もマリーも烏龍茶を頼んだ。
宏の横についたホストはシトラスの香りを漂わせながら
「どういうご関係で?」
と尋ねてきたので
「友達です」
と答えるとマリーは含みのある笑いを宏に向けた。
しばらく話をしていて宏は自分のホストにマリーの横に着いてくれるように頼んだ。
ホストは少し残念そうな顔をしたもののすぐマリーの横に移った。
宏は三人の話に耳を傾けながら時折口を挟んだ、マリーは右の席に座った最初から三人目のホストを指名した。
左の席のホストはその後も交代し続けた。
先程から見ているとマリーは席に着いたホスト全員と名刺を交換していた。
とても機嫌が良さそうだった。
マリーは仕事の愚痴やらたまに宏に冗談を言っては両脇のホストと話をしていた。
一時間過ぎた頃、白のモエ・エ・シャンドンを注文した。
二時間少したった頃
「そろそろ出ましょうか」
と伝票を持って来させると確認して
「では、宏さんお願いしますね」
とそれを渡すと自分はどこかへ消えてしまった。
多分化粧室だと思ったが、なかなか帰ってこないので、宏はカードで支払った。
会計が終わったタイミングで上機嫌でマリーは現れた。
一階までホストに見送られ、少し歩いて姿が見えなくなった後、マリーは宏の腕に自分の腕を回すと
「確かにお預かりしました」
というと更に路地を奥に進み白と黒のスタイリッシュそうなホテルを指さし、
「疲れましたね、あそこで休みましょう」
と体重をかけて宏に組んだ腕を引っ張った。
宏はおおよその事情は察したので、そのままホテルに入った。
マリーはなお機嫌が良くなった。
部屋もまた白い壁にニューヨークのストリートアート風の装飾があり、天井は黒いウッドでダウンライトが、部屋を照らしていた。
ベッドの奥に鏡はあるが控えめだった。
マリーはソファにバッグを置くと、自分で思ったよりも払わせ過ぎたと思ったのか宏に言った。
「フフフ、ここのホテル私のお気に入りでしてね、宏さんにもぜひ使って貰いたいと思ってたんですよ。なのでキャッシュバックします」
そういって数万円ほど宏に渡した。
「そう」
と宏は計算しながら受け取った。
それからマリーは
「ちょっとコンビニエンスストアに行ってきます」
と言った。
宏は驚いて「え?」と聞き返した。
「まさか、そのまま帰るつもりじゃないだろうな?」
と思ったのだ。
マリーは宏を見ると「そんなに私に居てほしいのか」と肩の荷が下りた様に晴れやかな顔をすると、また含みのある笑みを浮かべ
「宏さん、そんなに私に期待しているんですか?大丈夫ですよ」というと
自分の財布から千円札を数枚抜き出し、封筒に入れると
「財布もバッグもスマートフォンも全部置いて行きます。すぐ戻りますから勝手に中を見たらダメですよ」
というと「フフフ」と笑い、上機嫌でウインクして軽やかなステップで部屋を出ていった。
宏はぼんやりピンクと黒のバッグのロゴを眺めながら両手を頭の後に回した。
マリーはコンビニエンスストアの袋を下げ十五分ほどで戻ってきた。
袋からフランクフルトとピンクのエナジードリンクを取り出すとテーブルに置いた。
宏は「妙な取り合わせだな」と思いつつもフランクフルトを齧り、エナジードリンクを飲んだ。
マリーは「少し静か過ぎますね」というとベッドの方に行き、スマートフォンとスピーカーのブルートゥース接続を確認するとMy Bloody Valentineの『Loveless』を四曲目の「To Here Knows When」から小さなボリュームで流し始めた。
宏は自分のクセを思い出しながら「人の頭から何を抽出して、どれだけ細かいデータベースを作ってるんだろうか?」思いつつ黙っていた。
戻ってくるとマリーはバッグから20世紀半ば風の軍帽、おもちゃの手錠とピストルを宏に手渡すと「これです」と言い
自分はクラシックな丸襟のブラウスを横に置き、髪をわさわさとかき分け七三にし、ボブカット風にまとめ始めた。
宏は少しの間「誰かのコスプレをするのかな?」と考えていたが、やがて察しがつくとマリーがなんでフランクフルトを買ってきたかも理解した。
意識の奥がねじ切れそうな目眩を覚えながらマリーの所に行くと
「あんね、もうわかった、もういいよ」
と言った。
マリーは瞳を爛々と輝かせて
「プロテスタント・モードです。
宏さんそういうの好きですよね?
この部屋は丁度窓もないし、隠れ家みたいでしょ」
と言った。
宏は
「いや、もうそんな複雑で微妙な設定はいらないから」
というとマリーを抱き抱えるとベッドまで連れて行った。
-33-
翌朝目を覚ますとマリーはまた気が済んだかどうかを宏に二回確認すると、身支度を整えながら
「物質界にあるものは全て周波数で干渉できます」と言った。
そして
「前にも言いましたが人には微弱な電力が流れています」
宏がうなずくと
「わかりますね、つまり人は全て無線接続可能なデバイスなんですよ。脳波を遠隔から拾えばマイクロチップなど必要ありません。不可能だと思いますか?」
と聞いてきた。
宏は
「もう確立してるんですよね?よくわからないけれど」
と答えた。
マリーは
「そうですね、ま、仮にマイクロチップを埋め込む形でも、思考の文字起こしができるということは、人体のハッキングが証明されることになりますね。
その位のところから世間は電波装置の認識を始めるでしょう」
と言った。
宏も身支度を整え、ホテルを出ると二人は御堂筋のコーヒーショップに行った。
それぞれバゲットサンドとアイスコーヒーを頼み
テーブルに座るとマリーは昨日のホストの名刺を整理しながら
「ディストリビューターの見込みリストです」
と宏に言った。
宏は
「ミイラ取りがミイラにならないように」
と言うとマリーは
「虎穴に入らずんば虎子を得ずですよ」
と答えた。
食後しばらくぼんやりしているとマリーは
「また、これから人に会わないとダメなんで」
というと席を立ち
「ではまた」と手を軽くあげると長堀から本町の方へ消えていった。
宏はマリーが見えなくなると「自分は少し酔狂過ぎるかも知れない」と思いながら、気分を落ち着ける為に樋口からのテキストをチェックし始めた。




