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モブリーナシリーズ

彼女が愛される理由

作者: ひよこ1号

第三皇子のローレンツは、第一皇妃のアンヌ=マリーの第一子である。

穏やかでにこやかなアンヌ=マリーは、ザイード帝国の北のオーレンス国の侯爵令嬢だった。

嫋やかながら薬にも毒にも詳しい、いざとなったら暗殺も厭わない刺客としてザイード帝国に輿入れしたのである。

オーレンス国は中小国であり、大国であるザイード帝国とカザレス帝国の顔色を窺いながら生きていた。

両者がいがみ合っている間はそこまでの危険はないが、かといって安寧を貪っていられる立場でもない。

外交でも厳しい局面を何とか乗り越えている状態だ。


だからこそオーレンス国は二つの帝国に高位貴族の令嬢を側妃として送っている。

誤算があったとすれば、アンヌ=マリーがオスヴィン三世というザイード帝国の皇帝を愛してしまった事だろう。

政略であり、自国へ利を齎す為の政略と分かっていても、強く美しい獣の様な皇帝に愛を注がれ、丁重に扱われれば悪い気はしない。


苛烈な王だが、寛容さも持ち合わせていて、決して祖国で噂されていたような暴虐で残酷な王ではなかった。

皇后であるオリーヴィアも、女性らしい嫌味さはなく、公正であり皇帝の第一の臣下としての立ち居振る舞いを崩さない。

二人は夫婦であり、親しい友のようにも見えた。

そんな皇后オリーヴィアが治める後宮は、比較的他の国よりも落ち着いていたと言えよう。

身分や序列はあるものの、皇帝は愛情とは別に管理された予定スケジュールで妃の元に訪れるので、諍いが起きにくい土壌だったのもあるかもしれない。

そして訪れている間は、その妃だけのものとなる夫なのだ。


けれど、その皇帝が旅の踊り子に心奪われた時だけは、全ての妃の心に少なからず嵐が吹き荒れた。

奔放にして優美なアイリーナは、一目で皇帝の心を奪いながらも、その心はたやすく折れなかったのである。

初めて自由にならない女性に出会ったオスヴィン三世も、荒れた。

逆らった女をどうして良いか分からなかったのだろう。

殺してしまっては失ってしまうし、力づくで言う事をきかせたとしても虚しいだけだ。

廷臣たちが自らの派閥に引き入れようと金を積んでも、アイリーナは見向きもしない。

かと言ってオスヴィン三世ほどの男に愛を捧げられて、完全に心を離している訳でもない。

ただ、自由でいたいだけなのだ、彼女は。

籠の鳥となっている妃たちにすれば、眩しくも腹立たしくもある存在。

それが皇帝が初めて恋したアイリーナという女性だった。

あっという間に憔悴した皇帝を見かねて、皇后が手助けをしてどうにか二人の間が取り持たれ。

たった一年の蜜月を過ごし、子供を産んで体力が戻ってすぐに、アイリーナは元の旅暮らしに戻って行った。


「約束を違えるでないぞ」

「ええ、分かっているわ」


そんな簡素なやり取りが二人の別れ際の言葉で。

アイリーナは振り返りもせずに、後宮を去って行ったのである。


そして、残されたのが皇帝の最後の娘、モブリーナだ。

オスヴィン三世は、アイリーナを手放した反動とでもいうように、モブリーナを溺愛して出来るだけ側に居るようになってしまった。

とはいえ、他の妃の元へ通うでもなく、赤ん坊が相手では嫉妬のしようも無く。

既に嫁いでから皆、数年以上経っているし、アンヌ=マリーは既に十年も共に過ごしてきたのだ。

三男二女と、オスヴィンに求められるまま生み、医師にこれ以上はと止められるまで。

全員が愛しい子供で、大事な存在となっていた。

祖国の事などもう思い出せないくらいに。


王の訪れなくなった後宮では、少しだけ均衡が危うくなってきていた。

特に何か起きた訳では無い。

けれど、王の歓心が全て一人の娘に注がれていて。

その後ろ盾は皇后なのである。


城の背後にある王の宮殿の更に奥に後宮がある。

皇太后宮と皇后宮が並び立ち、その更に奥に皇妃たちの住まいがあった。

それぞれ区画を割り当てられて、年頃になれば皇女宮と皇子宮に子供達は住まう事になる。

だが、そのどちらにもモブリーナはいない。


皇帝の住まいと皇后の住まいから渡り廊下で行ける場所にモブリーナだけの小さな宮殿が建てられたのだ。

それは彼女を徹底的に守る為であり、溺愛の象徴でもある。

皇妃たちも側妾達もそこへの立ち入りは禁止されていない。

会いに行こうと思えば会いに行けるが、面会には必ず皇帝か皇后が立ち会う事になっていた。


アンヌ=マリーが初めてモブリーナを見たのは、公的な場である。

気になってはいたのだが、何となく会いに行くのが憚られたのだ。

新年の挨拶の時に、豪華な衣服に包まれて、皇帝に抱かれた愛らしい子供。

母譲りの黒髪に、ぱっちりと大きな桃色の瞳は、なるほど皇帝の愛を射止めるのが解るほどの愛らしさだった。

ぷっくりと膨らんだ頬は薔薇色で、何かしら言葉を発しては、皇帝を笑顔にさせている。

その穏やかな笑みは、アンヌ=マリーの心を温かく満たした。


女に向ける焦燥の顔よりもずっと良い。

子供達が幼い頃は忙しかった皇帝も、我が子を抱かなかった訳では無いのだ。

均等に公平に、彼は子供達にも触れていた。

今はもう、母親のいない最後の幼子が哀れで愛おしいのだろう。

小さな姫の生は彼だけの為に有り、母親に顧みられない小さな姫の悲しみは彼が生んだのだから。

腕の中の幼子は知ってか知らずか、父親へも周囲へも笑顔を向けている。


それから少しずつ、アンヌ=マリーはモブリーナの元へと訪れるようになった。


「おお、来たのかアンヌ」

「ええ、陛下。手慰みに作りましたの」


侍女に持たせた包みを受け取ると、オスヴィン三世へと渡す。

包みの中身はモブリーナへの贈り物だ。

小さく柔らかな外套ケープには、手編みのレースまで付けられている。


「良いな。これで外も寒くはないぞ、モブリーナや」


目を細めて幼子に語り掛ける姿は、やはりアンヌ=マリーの胸を癒す。

夫の精悍な頬が笑みに緩み、鋭い眼に優しさが灯る。


「来春には少し時間が出来る。其方の息子も含め、また修練を開始する心算だ」

「それは有難き幸せに存じます」


目線は娘に注いだままだが、アンヌ=マリーにもその子供達の事にもきちんと心はあるという言葉だ。

夫が戻って来たような温かさがじわりと胸に広がる。

其の日は幼い末姫を挟んで言葉を交わして、アンヌ=マリーは自室へと引き揚げた。

何気ない子供の成長に関する話。

まだ少し若かったころに交わしたような、他愛なくも愛しい日々を思い出す。

優しい眼差しを子供に注ぐ夫の傍にいるのは心地が良かった。



皇帝の時間が取れるようになった春。

カザレス帝国との鍔迫り合いの様な戦も一段落した頃に皇帝による皇子達の修練が始まった。

もう戦に出られない老いた元騎士達を教師に据えて、其の日の為に皇子達は修練に励んでいたのである。


特に第一皇子と第二皇子は鬼気迫る勢いで、お互いに剣をぶつけあっていて、皇妃や側妾達は眉を顰めるほどだった。

けれど、皇后はそんな様子を憂鬱そうに眺めている。


「やり過ぎでは、ありませんこと?」


第四皇妃のカルメンシータが形の良い眉を顰めて皇后に問いかければ、皇后はちらと視線をカルメンシータに当ててから、またすぐに息子達へと視線を投げた。


「皇帝陛下は苛烈な御方。王とは戦う者であり、強き者でないと務まらぬと仰せです。気を抜けば我が子とて嚙み殺されてしまうのですよ」


その言葉を聞いて、妃達は目を見開いた。

皇帝の剣の相手は、十歳を越えてからでないと許されない。

けれど、子供相手にそこまでするなどと思っていなかったのだ。

更に皇后オリーヴィアが静かに言葉を紡ぐ。


「オスヴィン三世にも兄が五人居りました。その内二人は先帝陛下との剣の稽古で亡くなられているのですよ」


皇妃達はその言葉に息を呑む。


「陛下は……身内の血を啜り、毒に身を浸し、生き延びてきておいでなのです。わたくしはそれを見て来たからこそ、せめてわたくしの権限を振るえる後宮においては平和を重んじているのです。ですから改めて言いますよ。モブリーナだけには決して手を出さぬよう」


苛烈な皇帝が恋い焦がれた女との唯一の子供である。

目に入れても痛くないほどの可愛がりようは目にしてきたし、母に置き去りにされた不憫な子でもあった。

愛嬌もあって、利発で可愛らしい。

歩き回れるようになってからは、皇妃や側妾の元へもよちよちと歩いて巡っていた。

それを追うように皇帝まで訪れる事も。

元々害する気はなくなっていたが、皇后の横顔は厳しい。


「皆の事は疑っていない。けれど、万が一にも其方達の祖国の者や召し抱えている者達が傷つけたとしても、国ごと亡ぼす程お怒りになるでしょう。身辺に注意を払い、努々警戒を怠らぬように」


国が亡んでいても復讐を希う者達もいる。

帝国との外交で気に入らぬ事や諍いがあれば、真っ先に狙われるのは母のいない末の娘だ。

だからこそ、皇后が後ろ盾となり守っている。

それでも陰謀というのは、そこかしこに張り巡らされているのだ。

一人で全てを防ぎきるのは難しい。


「お言葉に従います」


微笑みながらアンヌ=マリーは頷いた。

アイリーナに奪われた夫との時間を、その娘であるモブリーナが返してくれたのは皮肉だが、感謝もしている。

彼が怒り狂い、全てを滅ぼす姿など見たくはない。

アンヌ=マリーが同意した事で、皇妃達は揃って頭を垂れた。

それぞれに事情や野心を抱えながらも、平和な後宮に癒され守られてきたのは事実だ。



皇帝が現れると、皇后を先頭に皇妃、側妾達は淑女の礼を執る。

本日、皇帝の剣を受けられるのは三人。

第一皇子ユリウスに第二皇子コンスタンティン、そして第三皇子のローレンツだ。

兄皇子二人は皇后の息子で、ローレンツは第一皇妃アンヌ=マリーの息子。

刃を潰しただけの模擬刀では致死率が上がる為、木刀での訓練だ。

激しく打ち合いながら、厳しい皇帝の声が飛ぶ。


軽くいなしながら十分も経ったころ、剣を弾き飛ばされて第一皇子は膝を突いた。


「参りました」

「よい剣筋だ。励め」


短い労いの言葉に退出してきたユリウスの指は腫れ上がっている。


「治療を受けなさい」

「スタンの戦いを見なければ。指の怪我です。大したことはありません」


だが、皇后は眉を顰めて侍女に頷いて見せると、侍女は心得て医師を呼びに行く。

近くに待機させていた医師が慌てた様に侍女と共に早足で訪れる頃には、第二皇子コンスタンティンも跪いていた。


「……参り、ました」

「利き腕を守る為に犠牲にしたか。判断は悪くないが、対処が遅い」


上段からの攻撃を両手で木刀を持ち耐えていたが、弾かれて体勢を崩したのだ。

そこに容赦のない一撃が加えられて、負けを認める前に防ごうとした腕に振り下ろされた。

瞬く間に腕が腫れ上がり、医師はユリウスの治療にかかる前にコンスタンティンの腕の治療に入る。


「折れているかもしれませんな」

「治るよね?」

「治りますとも」


慣れた風に言う二人の兄弟を見ながら、ローレンツが皇帝の前に進み出る。


皇后は平然としているが、アンヌ=マリーは内心では気が気ではなかった。

表情に出せば侮られてしまうから、いつもの笑みを浮かべたまま息子と夫を見つめる。

容赦のない剣戟が始まって、一瞬も目が逸らせない。

何度も打ち合い、身を躱し、ローレンツも食らいついていく。

けれど、一瞬。

皇帝の目つきが鋭くなって、ローレンツは蹴り飛ばされた。

尻もちをついたローレンツに一瞬で間を詰めた皇帝が剣を振りかぶり、剣を振り下ろすその瞬間。

とととっと駆け寄った小さな影。


「だめ」


小さな両手を広げた小さな姫が、その間に割って入った。

皇帝はすんでのところで剣を止める。


「危ないではないか!乳母は何をしている!」

「申し訳ございません、急に走り出されて……」

「だめ!」


もう一度、今度は大声でモブリーナが言った。

今度は乳母を守る為に。


「分かった、分かった」


先程までの覇気を消した皇帝は、怒れる幼子を抱き上げる。

背を逸らして嫌々するが、逃れられないと知るとモブリーナは大人しくなった。


「力を制御せよ。思い切り打ち込んでいたら今の様に途中で剣を止められぬ。止められねば体勢を大きく崩して無防備となるのだ。戦い方を、もう少し学べ。だが、隙を見つける眼は良い。精進せよ」


訓示を与えると、皇帝は抱きかかえたモブリーナの指さす方へと歩き去る。


ローレンツは、は、と止めていた息を漸く吐き出した。

死ぬかと思った。

殺されるかと。

殺気に当てられて、身動きが取れなかったのだ。

皇帝の腕に一瞬剣先が掠った、その瞬間皇帝に殺気が漲るのを感じた。

蹴り飛ばされた腹も痛いし、何より。

殺す気の剣に晒された。

それでもあの豪剣を、御せる膂力と技術は。

何よりそんな父と自分の間に迷わず飛び込んだ小さな妹。

彼女に命を救われたのである。

父は剣を止めることが出来たし、止めない事も出来た。

そのどちらを選んでいたか、それは誰にも分からない。

確実なのは、幼い妹が命を拾ってくれたという事だ。


「モブリーナ……」


アンヌ=マリーは複雑な思いを穏やかな笑みに隠していた。

我が子が死にかけ、助けられたのである。

皇帝の溺愛する末姫、モブリーナが庇わずとも剣を止めたと信じたい。

けれど。

もしかしたら、見せしめになった可能性もあるのだ。

皇帝は父であるけれど、それよりも唯一の帝王であるという事。

強くなければ生き抜く事は出来ぬ事。

皇女達が緩慢に過ごす事を許されているのは、いずれ帝国の為に他国や有力貴族に嫁ぐからである。

けれど男子はまず、後継として争わなければならない。

強い王を作る為に妥協をしないという見せしめ。

その為の礎にされる可能性は、あった。

あの女の娘だから許されるのか、自分の息子だから殺されそうになるのか、複雑な思いが胸に去来する。

けれど、最終的には、命を顧みず止めに入った小さな子供が胸に残った。

彼女にとって些細な事なのだろう。

怒られる乳母を庇うのと同じくらいには。

それでも、あの小さな子供が確かな意思を以て「駄目」と制止したのだ。


「貴方の命の恩人ね、ローレンツ」

「はい。母上」


息子の顔は晴れやかで明るい。

殺されそうになった事よりも、小さな妹が庇ってくれた事の方が嬉しかったのだろう。


「せめて命を守れるように精進します。父上の訓示は正しい。思い切り打ち込んでいたら、絶対に剣を止めることは出来なかったのですから」


嬉しそうに言う息子に対しても複雑な思いが浮かぶが、アンヌ=マリーは何時もの笑顔で頷く。


「ええ、精進なさい」



それからというもの、修練の場にはモブリーナが同席するようになってしまった。

基本的には皇女達は立ち入らせないようにしているのだが、医師が向かった時に一緒に紛れ込んでしまったのだ。

そして、何やら父が兄をいじめているらしいと認識した様子で。

来ても何をする訳でもなく、観戦している皇后や皇妃や側妾達の膝に甘えたり、お菓子を食べたり、歌ったりと自由に過ごしている。

兄達が父と戦っても特に止めはしない。

皇帝が荒ぶった瞬間だけ、反応してじっと見つめる。

そして、だめ、と言うのだ。

その瞬間、皇帝ははあ、とため息を吐く。


「何と鋭い事か、モブリーナや。其方は稀代の軍師たり得るな」


モブちゃん2歳頃のお話。

後々モブちゃんガチ勢になるローレンツお兄様の原点です。

モブにデレデレしてる皇帝の側面を書こうかな~と書いたお話。

頂いた感想に触発されて書いたものです。いつも感謝しております。

皇后も皇帝も強いので、後宮は割と安定はしてて。でも皇妃も側妾も色々なタイプがいるのでおいおいエピソードを書けたらいいな~。

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― 新着の感想 ―
愛情をポッとでの踊り子に持ってかれて、なんやかんやでその娘に感謝? 自分は殺されかけたのに、反して溺愛される妹をこれまた溺愛? この一連の茶番を冷めた目でみる名もなきモブ王女かモブ王子のお話があったら…
女性陣視点ですね。 皇后様かと思ったら、第一皇妃(要は側室序列1位か)様視点ですか。 今後は皇后様視点も見てみたいですね。 モブちゃん覚醒前前日譚ですが、既に聡明の兆し有ったんですね。
軍神降臨で3歳の時に前世の記憶を思い出したってあるので2歳の時点ではまだ普通の子供だと思うんですが… この頃からそういった事に何か感じてたのですかね?
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