第6話 次の日
ブー、ブー!
微かに聞こえる振動音で、蒼はゆっくりと身体を動かした。右手で振動音の元を探る。そして、硬くて四角い物体が触れた瞬間それを掴む。
画面を起動させると、アラームを停止させるボタンを押した。
「――――」
蒼はスマートフォンを掴んだまま、頭だけを浮かせて目の前の壁の一点を見つめる。今日は珍しく、やけに目覚めが悪い。
普段ならスッキリと起き、そして着替えが終わればすぐに妹の羽美の部屋に行って起こす。
しかし、今日は何故かそんな気がすぐに起きなかった。
「――――起きなきゃ」
虚ろになりながら、蒼はなかなか動こうとしない身体を無理やり動かした。身体を起こしてベットから立ち上がった。
ふらふらと安定しない足で歩き、そして着替え始めた。
「おーい、羽美ー」
着替えが終わった蒼は、次は羽美を起こしに行く。しかし、普段よりも覇気がない。羽美の身体を揺らすこともなく、ただ呼びかけただけだった。それだけでは、羽美は目を覚ますわけがない。
「おーい。起きろー」
「うーん……」
仕方なく、蒼は倦怠感のある身体を何とか動かして、羽美の身体を揺らす。ようやく、羽美は目を覚ました。
「う、ん……。あっ、蒼おはよぉ」
「おはよう」
「ん、あれ? 蒼?」
普段ならもっと威勢良く起こしてくれるはずなのに、今日はやけにあっさりとしている。蒼はさっさと部屋の外に出て行ってしまった。
(今日の蒼、なんかちょっと変)
さすが妹というべきか、兄の異変にはすぐに気づいた。いつもとは違う一日の始まりは、彼女の目をすぐに覚ました。
今、部屋の中は羽美一人だけ。今日は珍しく、自ら身体を起こすと早速着替えを始めたのであった。
◇◇◇
「蒼、気をつけてね」
「ああ」
いつもより不安そうな声で蒼を見送る羽美。何が原因か分からないため、何も出来ない彼女はそう声をかけることしか出来なかった。
そんな羽美に見送られながら、蒼は溜め息に近い返事をすると、小野高校へと向かい始めた。
「――――」
いつもより明らかに足取りが重い、寝不足というのはこんなにも身体に影響をもたらすのかと感じた。しかし、彼の頭の中は無意識に、昨夜からずっとフル回転していた。
昨日に突然現れた『緋色世界』という別次元の世界。そこに現れた溶けたような姿の化け物、そしてそれを討伐した少女、藤原 あやめ。
情報量が多すぎて今も理解出来ていないことが多い中、真っ先に思い浮かんだのはやはりあやめだった。
まるで戦乙女というべきか、あの後ろ姿は勇ましさがあった。
和を感じさせる装束。何よりも一番印象深かったのは、稲妻が走るあの長剣。
見た目から日本刀であろう。
そして最後に見せた、彼女が自分に放ったあの目。睨みつけるあの顔は、普段のあやめには全く想像つかないものだった。
あれが本当のあやめの姿なのだろうか、はたまた――――。
(――――分からないな)
今の状態の蒼には、そこまで深く考えることは出来なかった。ただ、あやめの姿がずっと頭から離れない。
だからと言って、彼女に対して恋愛感情があるのかと言われると、それは全くない。
しかし、とにかく頭から離れようとしてくれないのだ。
「はあ、今日の俺はどうしちゃったんだ……」
蒼は小声でそう呟きながら、重たい足を動かして学校を目指していく。小野市は比較的平坦な土地であるが、通学路には見た目では分からないほどの若干の勾配がある。その勾配ですら、今日の蒼にとっては急な坂を登っているような気分だった。
「はあ、はあ……。つ、着いた」
やっとの思いで学校の校門に到着した蒼。最後の力を振り絞るように、教室へと向かっていった。
1年生の教室はすべて3階になっているため、階段を登らなければならない。10段強ある階段を計6回登り、やっと1年生の教室が集う3階へ到着した。
急いで自分のクラス、4組へ向かった。
4組の教室の中に入ると、周りはいつも通り活気に満ち溢れている。すっかり疲れ切ってしまった蒼は、自分の机に着くとドカッと勢い良く座った。一瞬だけぼーっとしていると……。
「よ、蒼」
横から自分を呼ぶ声が聞こえた。右隣を見ると、右手を小さく振る男子高生がいた。
「隆太、おはよう」
彼は田中 隆太。蒼の席の右隣にいるクラスメイトである。
「ん? 何か今日は随分とやつれてないか?」
「はは……。実は昨日から全然寝れてないんだ」
「ほーん。お前まさかエロいの見た?」
「見てねぇよ」
「嘘つけよ〜」
ニヤニヤとしながら蒼はからかう隆太。こうして仲良くなったのは最近のことだが、趣味が一緒だったこともあり、案外頻繁に話すようになったのである。
まだまだクラスメイトと話せていない人が多い中、隆太は貴重な友人の一人である。
「そう言えばさ……」
すると隆太は、蒼に耳打ちをした。蒼もよく聞き取れるように隆太に耳を傾ける。
「今日はあやめちゃん来てるぞ」
「――――!」
そう言われ、蒼は反対側へと視線を移す。教室の一番窓側、そしてその列からちょうど真ん中には、昨日は欠席していたあやめがそこにいた。
相変わらず一人で窓辺をずっと見ている。
「あやめちゃん、可愛いなぁ」
「今のお前の顔キモいぞ」
「え〜? 本人にバレなきゃ良いんだよ。うん、今日も良いなぁ。へへっ……」
「――――」
実は隆太も隠れ親衛隊の一人。だが彼の場合、親目線に可愛がるというよりも恋に近い感情を持っている。彼曰く、あの小さくて可愛らしくて静かな姿が刺さったようだ。
ニヤニヤした顔であやめを見る隆太に、蒼は呆れた顔をした。朝会うたびにこの話題を振ってくるため、聞き飽きてしまったのである。
メロメロになっている隆太を放って置いて、蒼はもう一度あやめを見た。
(でもまあ……可愛い顔はしているよなぁ)
高校生とは思えないほど幼い見た目をしているあやめだが、美少女の部類に入る顔の持ち主であるのは事実。
校内でランキング投票をすれば、間違いなくトップ3には入ってくるだろう。いや、晴れて1位になるかもしれない。
あやめが真顔で表彰台の一番上に立って、賞状を手に持っている光景が頭に思い浮かんだ。
「――――」
「――――っ!」
そんな事を考えていると、いきなり蒼とあやめの目線がバッチリと合った。じっと見つめてくるあやめに、蒼は思わずビクリと身体を少しだけ跳ね上がらせた。普通ならどちらかが目を逸らせてもおかしくない。しかし、お互いに目を離さなかった。
(な、何だ……?)
何故かあやめから目を離せない。明確な理由は全くない。ただ、あやめの虜になってしまったかのような感覚だった。
あやめはしばらく目を合わせたままにしていると、ゆっくりとまた窓辺の方へ顔を向けた。
「な、なあ見たか蒼! 今、俺達と目が合ったよな! やべぇ! これは始まりの予感!?」
「何言ってんだか。たまたまだろ」
と、蒼は興奮気味の隆太にそう言い聞かせた。そう、たまたま目線が合っただけだと。