桜色の1枚目
「ジリリリリッ!ジリッ」
目覚まし時計を慣れた手つきで止めた。心臓に悪いスマホのアラーム音をあまり聞きたくないので良い目覚めを手に入れるには一コール以内で止めるのが大切だ。
「今日から学校かぁ...」
春休みが明けた。この休みはずっとぐうたらしていたせいで体が重い。長い長い休み明けの登校日には絶対重力が二倍になっているだろう。この世界の偉い物理学者さんは、この現象を研究したらノーベル賞取れるくらいに実感する。
「早く用意しなさい!ご飯できてるわよ!!新学期早々遅刻したいの??」
一階からキーンとした母さんの声が響く。
「分かってるよ!!今用意してるとこだって」
負けじとお決まりのセリフを口にして、パジャマを脱ぎベッドの上に放り投げた。
ワイシャツに袖を通しながらドタドタ一階へ降りると、お腹を刺激する美味しそうな朝食の匂いが立ち込めている。今日の献立は焼いたトーストと味噌汁。そしてふりかけのかかったご飯と昨日の晩の残り唐揚げ。栄養バランスは皆無だ。栄養管理士が見たら助走を付けて殴るだろう。食卓には、すでに食べ終えたであろう親父が朝のニュースを見ながら珈琲を飲んでいる。
「よく苦いブラックなんて飲めるねぇ、おれには無理」
「この苦さが美味しいんだよ。お子ちゃまにはまだ早いだろうがな」
親父はからかう様に笑った。大人はなんでみんなブラックが好きなのだろう。珈琲を美味しく飲むには甘い砂糖とミルクがかかせないと思うのだが。
「時計を見なさい、遅刻するわよ」
母さんに言われるがままに時計をみると、針は7時45分を差していた。いつもなら既に朝食を食べ終えている時間だ。
「やべ、分かってるー!」
机に置いてある冷め始めたトーストを齧った。塗ってあるマーガリンが唇をテカテカにした。
丁度半分くらい食べた頃だろうか。「ピコン」と、置いてあるスマホが通知音と共にメッセージを届けた。誰からだろうと確認すると直樹からだった。送られた内容を確認すると「お前ん家着いたぜ!」とあった。そうだ、忘れていた。一緒に登校する約束があったのだ。
「やべぇ、直樹きちゃった!もう学校いくわ!」
「はぁ?あんたご飯は??」
「ごめん!パンだけ食べてく!残りはサランラップしといて!帰ったら食べる」
「絶対、食べないし遊んでくるでしょ…」
母さんは呆れた様子で引き出しからサランラップを取り出す。そして僕は窓から顔を出して
「直樹ー!ちょっと待ってて!」
と声をかけた。彼はニヤッとしながら手でOKサインを作っていた。残りのパンを一気にかき込み、パッサパサになった口の中を牛乳で潤した。そして流れるように歯を磨いて顔を洗い、登校の準備を整えた。
玄関のドアを開けると、緑の柔らかい匂いと少し冷たい風がお出迎えをしてくれた。
「おそよう!そろそろ遅刻の言い訳を考え始めようと思ってたとこだぜ!」
直樹は自転車のベルを鳴らしながら冗談混じりに言った。
「悪い悪い!さ、言い訳なんて要らなくなるように急いで学校いこーよ」
「お前が遅いからだぞー」
そうして僕たちは学校へ向けて一速にギアを叩き込み、軽いペダルを漕ぎ始めた。
直樹と春休みにあったことについて話しながら登校してるとあっという間に校門に着いた。そこには僕と直樹のように休み明けで久しぶりに再開したであろう学生たちが、テンション高めに談笑していた。
「ギリギリ間に合ったなー!」
「なんとか初日から遅刻は防げてよかったよ」
そんな事を言いながら、僕たちはざわつく校門をすり抜け、3-2と書かれた駐輪場に自転車を停めて足早に昇降口へ向かった。
休み明けの学校は、担任の挨拶と退屈な始業式、そしてめんどくさい掃除だけで午前だけで終わった。
「校長の最近リンボーダンスにハマってるって話、自慢ばっかですげぇつまらなかったよなー」
なんだそれは。そんな面白い話があったのか。
「冗談だよ。冗談!お前寝てたから信じるかなと思って」
「あの校長ならやりかねないからなぁ、、、」
「たしかに!!裏で本当に練習してたりして」
僕たちはそんなくだらない話をしながら下校していた。辺りには桜の木が立ち並んでいて、春が来たことをより強く感じさせてくれた。するとふと、何かを思い出したかのように直樹が
「そーいえばさ、春休み中に隣の街に温泉施設ができたらしいんだけど、この後いかね??」
と誘ってきた。
「そーなん??いいね!!暇だし行こうかな」
隣街までは最寄りの駅から出る電車で数分で行くことができ、この街よりも自然が多く、落ち着いた雰囲気が漂っていてお気に入りの街である。
「じゃあ、一回帰って家で準備したら行くか!」
こうして、隣町まで温泉に入りに行くことになった。
そして僕たちは最寄りの駅で集合し、電車に揺られること数分、僕たちは隣町に着いた。改札を出てやや西に傾き始めた太陽を浴びながら、思い切り息を吸い込むと、さっきまで感じられなかった緑の深い匂いと春独特の暖かくほかほかとした匂いが混ざりあって何故か無性に心がわくわくした。
僕たちは早速目当ての温泉に着いた。券売機に小銭を入れチケットを買い、抑えきれない楽しみが足を速く動かしていた。脱衣所に入ると、100人分くらいはありそうなくらいの数のロッカーが並んでいた。時間が少し早いからだろうか。お客さんの年齢層はやや高めだ。
「お前脱ぐの早ぇよ!」
直樹の声が後ろに遠ざかっていくのを感じながら、僕は我先へと温泉へ向かった。新しくできた温泉は、木材が主体に使われていて、温泉は数種類の湯が集まってできており、もはや半分温泉スパみたいな感じだった。
「すげぇ!!なにこれ!!プールじゃん!」
後ろで直樹がはしゃいでいる。無理もないだろう。ここはとてつもなく広く、なんか流れてる温泉もあるし、修行ができそうな威力の打たせ湯がある。その中で120センチメートルと看板が書いてある温泉に目を惹かれた。あとで入ってみよう。
「てか、とおる!さっきの店員さんめっちゃ可愛かったな!」
ボコボコ泡が噴き出ている湯に浸かりながら、直樹が興奮した様子で喋る。
「よく見てるな、、、見損ねちまったぜ」
「早足でお風呂行っちまったもんな!ざまぁ」
「後で覚えておけよ」
直樹に煽られてどうやって仕返しするか考えていると
「歳近そうだったよな!あんな子が彼女になったら最高だよなぁ、、」
直樹が悲しげに言った。確かに僕たちは、生まれてこの方彼女ができたことがない。もう高三になっているのにだ。今流行りのSNSには彼女とデートをしている友人の投稿ばっかなのに、直樹とデートしているなんて…悲しくなる。
「おれも帰りがけ探してみるわ」
そう軽口をたたいて、悲しさから冷えた温度を上げる為に十分に体を温めて僕たちは湯から出ることにした。
服を着て髪の毛を乾かし、脱衣所から出るとコンビニのアイスを売っているコーナーみたいな冷蔵庫に入った
牛乳が目に入った。
「これ飲むまでが温泉だよな」
直樹に当たり前だと言わんばかりに聞くと返事がなかった。
「あれ?直樹?」
もしやと思い、スマホに入っていた着信を見ると、やはりトイレに行っているようだ。お風呂の後のトイレってなぜか損した気分になるのは僕だけだろうか。
「仕方ないな、、直樹の分も牛乳買っとくか」
コンビニに良くあるアイスケースの中から牛乳瓶を2本取り出し、売店のレジへと向かった。
「牛乳2本ですね!240円になります」
心地よく透き通っている声の若い店員さんが対応してくれた。ふと見上げると、声音通りの若い子で女子高生くらいに見えた。とてつもなく可愛い。直樹が言っていた店員さんだろうか。
「電子決済でお願いします」
僕は理由もないのに少し照れた感じで返した。
「かしこまりました。そういえば!うちの温泉どうでしたか??まだ数十回しか入れてないんですけど、私!すっごく好きなんです!!」
「あっ、そうなんですね!!僕は初めて入ったんですけど、露天風呂が最高でした」
感想を求められるとは思っておらず、先程の120センチ温泉の深さとは似つかない浅い感想が出てしまう。
「露天風呂いいですよね!!私もお気に入りです!外の冷たい空気を浴びながら温かいお湯に入るの最高です!」
「めちゃくちゃ分かります!」
「お時間取っちゃってすみません、お品物です!また是非来てくださいね!待ってます!!」
牛乳2本を受け取ると、トイレの近くにあるソファーに座って直樹を待つことにした。可愛い女子と話す経験が全くない僕は、晩に見た夢を思い出すかのように、ふわふわと時間を巻き戻して幸せな時間を脳内で再生していた。
「おまたせしたー!!サウナの水風呂で腹壊しちゃってさー」
直樹が帰ってきた。
「いや良いんだよ、むしろありがとう」
「なんでありがとうなんだ?」
困惑している直樹を横目に僕は出口へと向かった。
自動ドアが開き始めると、まるで待ちきれなかったかのように、僅かな隙間から春の風が流れ混んできた。日が沈みかけている山際は青白く、すでに夜を迎えようとしている青と混ざり合い、そこに夜桜のピンクが加わり幻想的な風景を醸し出していた。
「直樹そこに立ってよ!温泉の前!」
直樹から距離を取る。
「お、いいカメラだな!!この辺?このポーズ?どう??この筋…」
「カシャッ」
直樹のやかましさを遮るように、この古臭いカメラは幻想的な時とポーズを迷いすぎて中途半端になった男。そして最高の温泉を刻んだ。
夜桜と夕空と直樹と温泉。これが僕に取っての桜色の一枚目となった。




