魔法鞄
学校への襲撃事件は、表向きには生徒たちを人質に取り身代金を要求しようとした犯罪者グループによるものだとして処理された。
あくまでも魔族絡みの事件として公表するつもりはなく、マスコミ等の生徒たちへの接触は禁じられるものとなった。
仕方がないと言えばそうだが、こうして口封じは行われるのだなと感じた。
それはそれとして、オメガがここまでの強硬手段に打って出たこともあり、退魔課による本拠地の特定作業はさらに急がれることとなったのだそうで、何故俺がそれを知っているのかと言えば、それは当然会長から連絡が来たからである。
拠点を2つ発見した、と。
夏休みに入ってからまだ数日しか経っていないが、会長をはじめとした退魔課は今月中にでもこの組織との決着を付けようと考えているらしい。
そうしてくれないと俺も旅行に連れて行ってもらえなくなるワケだから、早めに解決してもらうのが一番なんだけど。
それと、今更ながら親に旅行の事を伝えた。
3泊4日で島に行くことを2人は驚いていたが、せっかくなら自分たちも夫婦水入らずでどこかに出かけてくるよと、そう言って計画を練り始めていた。
伝えたつもりでいたとはいえ、すっかり忘れてギリギリのこのタイミングでの報告になったが、あまり驚いていなかったのには少し理由があった。
今朝、俺が忘れていたことを思い出し、両親にそのことを伝えると、2人は一度確かに驚いた。
しかし、誰に連れて行ってもらうのかと言う事を説明すると、父さんがそれを聞くや尋ねてきたのだ。
「聖園というのはあの聖園か?」
俺としては「あの聖園」が「どの聖園」かは知らないのだが、多分その聖園で合っていると答えると、なら大丈夫だなと笑っていた。
会長に父さんと何のつながりがあるのかと首を傾げていると、誤解を恐れてか手短に説明してくれた。
「アイツには昔世話になったんだよ」
アイツというのは会長の父親らしい。退魔課の人だったはずだが、父さんが世話になったのはどういうことかと気になり問い返した。
「警察関係者だよね。世話になったってまさか…」
ほんの冗談交じりのものであったが、人聞きが悪いと慌てていた。そして続けて、世話になったのは俺の方だと言った。
俺は小さい頃街中で両親とはぐれ、どこを探しても見つからずに時間が経過していったことがあったらしい。そこで父さんは昔からの知り合いの会長の父親に連絡を取り、監視カメラの映像など様々な情報から俺の行き先を突き止め保護してもらったと。
俺はよく覚えていなかったが、自分の親と他の大人を見間違えて着いていき、その道中にあったおもちゃ屋に入り込んで遊んでいたらしい。
全くどこのだれかと疑いたくなるようなアホもいたものだな。
△▼△▼△▼△▼△
俺は食後、久しぶりにエルゼと対面していた。
細かいことを言うのであれば普段から対面自体はしているのだが、こうして改まって話をするのは久しぶりであった。
何を今更改まることがあるのかとは思うが、頼みがあるとどうしてもこうするのが正しいのだと無意識のうちに考えているのだろう。
「頼み…というか相談があるんだが」
「相談?何ですか?」
「お前っていろんな魔法使えるじゃん?」
「まぁ…使えますね。それで魔物を退治するわけにはいきませんけど」
「そうじゃなくて、この鞄の事なんだけど」
そう言って、ベッドの脇に置かれた普段通学用に使用している鞄を手繰り寄せて見せる。
夏休み前に色々持って帰って来たので中身はパンパンで、鞄は大きく膨らんでいる。
「この鞄ってさ、容量増やしたりとかできない?」
「容量……ですか?」
前々考えていたことがあった。
普段鞄の中には必要な道具や貴重品、学校で食べるための弁当を入れているわけだが、エルゼと出会ってからはそこにステッキと台本が追加された。
台本は配られたプリントと思えば同じことなのだが、ステッキは普通に幅を取って邪魔だ。その上重量もそれなりであり、毎朝弁当箱を入れては鞄が閉まらないと奮闘していたりする。
しかもそこにエルゼが持ち運んでいるマヨネーズが入ってくると、マヨネーズが鞄の中で押されて大惨事になることを防ぐために中身を減らさなければならなくなる。
普通に考えれば自分で持てと言うだけの話だが、そうでなくても鞄の容量不足は以前からの課題だった。
しかし、その解決法になり得る案を思いついたのだ。それもこれもどれもこれも魔法前提のものではあるのだが。
「鞄を四次元空間に繋げられたりしない?」
画期的というか、考えればそれくらいしか思いつかなさそうな案だが、これもひとえに魔法という常識範囲外の存在あってのもの。
「出来るとは思いますけど…」
いつになく歯切れの悪い。と思っていると、言葉をつづけた。
「この世界は未だこの次元に到達していない訳ですから…下手をすると現行の文明に多大な影響を与えかねないと言いますか」
「俺1人が使う分には問題なくない?それでもダメなの?」
「うぅん…ダメとも言い切れませんが…良いとも言えないといったところでしょうか」
「じゃあやって。そもそもステッキが無駄に幅とるからこんなこと頼んでるんだし」
「そ、それを言われると……はぁ、仕方ない……ですよね。これは」
そう言うと、エルゼは鞄に向けて手をかざした。
「クアン・カウ・ニナツ・エタマゲ・ナントカナレ!」
呪文を唱え鞄が青白い光に包まれると、今度は俺に向けても手を向けてきて、俺の身体が少し光った。
もう呪文の最後に何とかなれと聞こえるのは気にしないことにしている。
「これは…?」
「颯くんが魔力を込めて開けた時限定で亜空間に繋げられるようにしました。間違って他の人が開けてしまうとマズいので」
「魔力を込めて開ける……こうか」
鞄のファスナーを引く時に手に魔力を込めてやると、鞄の中になんと表現すればいいのか分からない空間が広がっていた。
「入ったら自力では出られなくなるので気を付けてくださいね」
「えっ」
慌てて覗き込んでいた首を引っ込める。
「その空間は底がありませんし、空間内の時間は停止しています。手を入れるくらい何ともありませんが、全身放り込むとお終いです」
「先に言おうよそういう大事な事」
「言う前に首突っ込んだじゃないですか」
一度鞄を閉じ、今度は魔力を込めずに開けてみる。
すると、先ほどまで入っていたものがそのまま入っているのが確認できた。
いきなり大事なものを入れるのも怖かったので、適当にプリントを引っ張り出すと、再び亜空間を開き放り込んでみる。
プリントはゆっくりと亜空間の中に落ちていったが、手を入れるとすぐそこにあるかのように触ることができた。
なるほど、不思議空間だな。
「亜空間です。容量はあってないようなものなので便利だとは思いますよ。それに、その鞄じゃなくても魔力を込めて開けてあげれば亜空間に繋げられるようにしましたし」
「この鞄に入れたものがこっちのリュックからも取り出せるってこと?」
「そうなります。颯くんの鞄じゃないとダメですけど」
「メッチャ便利じゃん」
もっと早く頼めばよかったとも思うが、もうこの際それはいいだろう。
一度鞄を閉じてからもう一度開き、中身が無事であることを確認すると、あれやこれやと詰め込んでいく。備えあれば患いなしとは言うが、この亜空間ならその患いさえ詰め込めそうである。
因みに容量はあってないようなものと言っていたが、それはこの世の全ての物を入れることはできないというもので、確かにあってないようなものだなと思った。そこまでしないと一杯にできないというのが恐ろしいが。
ともかく、俺はこの鞄さえあればどこにでも行けてしまうわけだ。
例えば…キャンプなどはどうしても道具を運ぶせいで車が必須だったりして、それを嫌ってグランピングなどが流行ったりしたわけだが、俺はこの鞄に必要な物さえ入れておけば、後はそれを持っていくだけでいい。
そうと決まればと、俺は部屋を出ては家中にある様々な物を鞄に収めていく。とは言っても物置で肥やしになっているようなものの中から使えそうなものを見繕っただけだが。
その後、俺は鞄を片付けると、部屋に戻り課題を適当にこなしていくことにした。雑にではなく適当に、だ。
「速い!速いぞ!腕の動きが速い!どんどん埋まっていく!」
「テンション高いですね」
「自分で鼓舞しないとこんなにつまんない作業持たないから」
シュババババッと腕を高速で動かして課題をこなしていく。空欄はみるみるうちに黒くなっていく。
身体能力の向上のお陰で今までは追いつかなかった身体の動きが取れるようになっていたのだ。
ペンが四方八方を飛び回り何本にも分裂したように見える。
そも俺は8月に入る前に課題を全て終わらせるつもりでいた。昨日は流石に疲れが溜まっていたせいでそんな気にもならなかったが、今日の俺はひと味違う。後からやってないで焦るのは嫌だという一心で腕を動かし続けた。
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「お腹空いたな」
「お昼ですからねぇ」
「キリもいいし一回降りるか」
気が付けば昼だ。
あれから4時間近く経っていたらしいが、あまり疲労は感じない。
肩が凝ったり手が腱鞘炎になったりするんじゃないかとも思っていたが、精々手の横が黒くなっているくらいのものだった。
「ここなんて言うんだろうな」
黒ずんだ汚れをウェットティッシュで落としながら訊いた。
「境目とかじゃないですか?それよりもその、いいんですか?」
「いいって?」
「いや、楓さんですよ」
エルゼはベッドを指さして言った。そこにいたのはいつの間に俺のベッドで眠りこける姉さんの姿が。
小さく寝息を立てている姿を見ると、普段の凶暴さも噓みたいだな。
「えっ、なんでいるの」
驚いたが、俺は務めて小声で言った。騒いで起こしてしまえばどうなるか分からないからだ。
「颯くんが課題をやっている最中に遊びたくて来たみたいです。ただそれにも気が付かず課題を進めていたので終わるまで待つと言って横になって…」
「そのまま寝たと」
「まぁ、はい」
どうしようかと思ったが、結局薄手の毛布だけ軽く掛けて部屋を出た。
俺は取り敢えず腹が減ったのだ。受験勉強もせず惰眠をむさぼる者に構っている暇はない。
決して、寝かせておいてあげようとか思ったわけではない。
下に降りると、リビングやキッチンにも母さんの姿はなかった。どこかに出かけているのだろうか。
軽く昼食をとると、携帯が鳴った。
「副会長?」
それは副会長からだった。碌な事じゃなさそうだったので無視してもよかったのだが、あの人の行く先には大体魔物がいるからな。
知らないところでひっそり死なれても困るので話を聞くことにした。