零零肆
その日は、珍しく暇な日だった。
魔族が現れることもなく、エルゼにパトロールに駆り出されるわけでもなく、姉さんに連れ回されたりすることもなく、その他諸々のどんなイベントも訪れず、のんびりとできる様な、そんな日であった。
こんなふうに言ってみると、そんな暇な日というのが俺にとってさも珍しいものであるかの様に思えるものだが、たまにはこういう日もある。今日がたまたまその日だったというだけで、今日が何か特別な日だったとか、そういうわけではなかった。
強いて言うのなら、日付けがゾロ目だった──くらいのものだろうか。
1年の内に、12ヶ月の間に、365日の中に、同じ数字が2つ以上並ぶ日というのは12日ある。ひと月につき1回というワケではなく、多少の偏りもあるのだが──俺がこちらの世界に戻ってきた10月以降の話をするのなら、それは2日しかなく、今日以降の話をするのなら、来年の頭である元日まで、ない。
いやまぁ、日付けがどうというのは究極的には何の意味もなく、ただその日が暇な上に記憶に残りやすい日だったという点で、ただ考えていただけに過ぎないのだが、俺は暇を持て余し、されど、家にいることというのがとある事情からできなくなってしまったため、たまにはと言うことで、1人で外を歩いていたのだった。
とある事情というのを勿体ぶらずに明かすのであれば、それは単に追い出されたということになる。勿論俺が親に追い出されるわけもないし──もしかしたらそうなってしまう可能性が今後ないワケではないのかもしれないが──兎に角、両親に家から放逐されたとかいうのではなく、それをしたのはやはり、姉さんであった。
しかし俺もそれをいつもの理不尽だと思って出てきたワケではない。追い出されたとは言っても、それは少し意地の悪い言い方をしてみただけで、実際は人が来る予定だから暫く出ていて欲しいというものだったのだ。
それも、姉さんにしては珍しく──とは言っても今日の朝のことではあるのだが、きちんと、あらかじめ俺に断りを入れてもきたのだ。
そうして、ちゃんと頼まれたから、俺も素直に家を出てきた。そうでなくとも結果は同じだったのかもしれないが、やはり頼まれてするのと嫌々なのとでは気分が違う。結局やることがないから寒空の下を何をするでもなく彷徨っているだけなのだが、それでもだ。
俺は初め、どこかネカフェでも漫喫でも探して時間を潰そうかと思っていたのだが、しかし、スマホを充電器に挿しっぱなしにしてしまっていたこともあり、どこへ向かえばいいのかが分からなくなってしまっていた。
こいういう時エルゼがいればまだどうにかはなったのかもしれないが、アレは家を出る前に植木鉢にブッ刺してきたため、それも叶わない。
しかし下手に動き回ると、今度は家に帰ることすら叶わなくなってしまいかねない。だからこそ近所で、俺が自力で家の場所を認識できる範囲内で、適当に時間を潰さんとしていたのだが、少し離れたところまで来てしまっていたらしい。知らない場所というわけでもないのだから問題もないのだが、帰るにしろ時間を潰すにしろ、ここらへんにしておかなければマズいだろう。
そう思った。
そしてその結果、俺は何故か公園にいた。
俺の家の近所にもあるのだが、そこではなく。何故かと言われれば、歩いていたらたまたま目についたのがその公園であったに過ぎない。何か理由があるわけではなく、なんとなく、気が付いたら俺の足はそちらに向いていた、というわけだった。
しかしその公園は、昼間だと言うのにも関わらず無人で、俺以外、誰1人としていなかった。寒い時期だと言うのも勿論あるが、今時の子供というのは近所の公園で遊ぶこともないのだろうかと、少し悲しくなったりもする。とは言っても、俺自身小学生の頃には公園に集まるにしてもその手には携帯ゲーム機が握られていたのだから、あまり責めることもできないのだが、オンラインで全て済んでしまうというのは、便利なようで、その実不便なのかもしれないと思ったりする。
まぁそれに、近頃では公園で遊ぶ子供の声がうるさいなどと言うおよそ頭に脳みそが入っているとは思えない様なクレームを入れる人間もいるらしいし、そう言ったことの弊害でもあるのかもしれない。ここらには普通に集合住宅もあるというのに子供達の姿がないというのは、やはりそう言った余計なトラブルを避けたいと言う親心などがあったりもするのだろう。
ただ、人がいないのなら。
俺もたまには遊具で遊んでもいいだろう──ということで、全力でブランコを漕いでいた。
小さい頃もどれくらい高く振り上げられるかといった遊びをした事はあったものの、この身この身体になってからはそうしたことをした覚えもない。そんな今ならどれくらい高くいけるのだろうかと、なんなら一回転くらい出来てしまうのでないかと、俺は遠心力の限界を試していた。
キコキコと錆びた鎖の音がして、俺はそれに少し不安を覚えつつも、俺は両側の鎖を掴み、板をしっかりと踏み締め、それを動かし始める。初めはゆっくりと、そしてある程度一定の感覚を掴み始めると、段々と振り幅を大きくしていき、30°、45°、60°と、その角度を大きくしていく。そしてとうとう直角を超え始めると、どうやらそれ以上は無理そうだと言う判断を下した。
100°程は行けたのだろうが、流石にそれ以上やると鎖が弾け飛びかねないと、俺の肉体の方ではなく、あくまで鎖の方が心配だと言うことで、それ以上は目指さないことにした。流石に公共物を破壊して、その処理を真に頼むのは違う気がする。やってくれそうな気はするものの、心象を著しく下げかねないだろう。
と、青空を見て、その景色がブランコの動きに合わせて動いていく中、公園の外に見知った顔を見つけ、俺はブランコから勢いよく飛び出した。昔もこんな遊びをしていたが、その時とは比にならないほど飛距離を稼げたのだろう。俺はブランコから一直線に公園の外まで飛んでいくと、そいつの目の前に着地した。
「よっ……と」
流石に衝撃を殺しきれず、じんとする脚に痛みを覚えながらも、俺は手を上げた。
「楽しそうだな」
「うん。久しぶりにやると結構楽しいわ、アレ。……で?傑は何してんの?こんなとこで」
公園の外を通りがかったのは傑であった。こいつと会うのはどうにも久々な気がしてならないのだが、思えば金曜日に会ったばかりなのだから、そう考えるのはおかしいハズだ。しかし何故そう考えたのかは、考えないことにする。
「別にここで何してたわけでもねぇけど、バイトだ、バイト」
「へぇ……バイトしてたんだ」
「あ?前言わなかったか?夏休みの頃に雇われたって」
「あ、アレ?まだ続いてたんだ」
「まぁ結構楽で割もいいしな、いいとこだぜ」
以前は顔の問題──これは当然悪い意味ではなく、とは言っても悪いと言えば悪いのだが──顔が怖いという理由でバイト選びも難儀していると言っていた傑だったが、今回は短期ではなく長期で雇われているのだそうで、俺は驚いた。悪く言いたくもないが、雇い主はどう言う思考回路をしているのだろうかと、そんな事を思ってしまい、しかしそんな事を直接訊く訳にもいかないので、
「どんな仕事なの?」
と、俺は言葉を変えて、意図を濁して、そう尋ねた。
これなら少なくとも失礼には当たらないだろう。職種を知ることができれば、それなら納得だと言える様な答えも出てくるかもしれないのだし、そうでなくとも、色々と類推はできるだろう。
しかし。
「霊能事務所だ」
返ってきたのは、俺の混乱を加速させるのには十分な答えであった。
それに対して俺は、
「は?」
──と。
「は?」
──と、二回重ねてそう訊き返した。今回に関しては聞こえなかったフリをしたとかそう言うわけではなく、1回目は単に訳が分からなかったから、2回目は返ってきた言葉を自分の頭で自分なりに処理してみたものの、それでもやっぱり理解することというのが難しかったがためのものであった。
霊能事務所──いや、それがどう言うものであるかくらいはなんとなく察しがつく。何をしているのかは知らないが、除霊とか、そういうことをしているのだろうと、勝手ながらイメージは持っている。あとは、塩とか壺とか売っているのだろう。
「特に塩とかは売ってねぇぞ?」
「そうなの?除霊が出来る霊験あらたかな塩とか、幸運をもたらす奇跡の壺とか、買ったら相手の思う壺なアイテムが色々と売られてるイメージなんだけど」
「颯がどう言うイメージを持ってるのかは大体わかったけどよ、まぁ姐さんはちと違うな」
「姐さん?」
「あぁ。雇い主だ。何でも公安の退魔課ってとこの人らしい」
退魔課。聞き覚えのないはずもない組織であった。今でも魔物退治くらいは彼らも行っている様ではあるが、なるほど、霊能事務所というのはその活動拠点としてのものなのか。そしてそこで傑を囲い込み、戦力として扱っていると。流華先輩とは別に強力な駒を手に入れたということか。
「あぁいや、姐さんは俺が力を振るうことをあまり良しとはしてねぇな」
「そうなの?」
「まぁ、今ではそうでもねぇみてぇだけど」
「ふぅん……で、結局その霊能事務所で何してんの?」
「ん?……あぁ、妖怪退治」
「よ、妖怪?」
「あぁ。怪異とも言ってたな」
「怪異……」
知らないわけではない。妖怪変化だとかそう言ったものは割とロマンがあって好きではある。しかしそんなもの現実にはいないわけで……一体傑は何と戦わされているのだろうか。
「いや、それがいるんだよ。魔力が流れ込んできた影響で、これまで存在はしても実在はしてなかった奴らが急に実体を持ち始めたんだと」
「魔力が……まぁ、そう言われると否定はできないな」
魔力という言葉は恐ろしい。それだけで、それなら仕方ないなという思考停止を可能にしてしまうのだから。魔法なら、魔力なら、何が起きても不思議じゃない、なんて、俺の脳で理解できる範疇を遥か遠くまで飛び越してしまっているせいで、どんな説明を聞かされても結局は、魔法ってそういうもんだよねで止まってしまう。
まぁしかし、こいつがここで嘘や冗談を言う様な奴でないことは知っているし、いるというのならいるのだろう。
「まぁでも、姐さんの話とかは聞いてて面白かったりするからな。いいとこだよ」
「面白いの?妖怪退治」
「俺が出来るのは基本的に殴って屈服させるってだけだからな。それ以外にも色々、妖怪ならではの倒し方ってのもあるみたいだが、基本的に俺の役割は暴力装置っつうか、戦争役だな」
「戦争役……こんな物騒な単語今後聞けるかな」
「そうか?颯よかよっぽど穏便にやってんぞ?」
「それを言われると否定もできないのが悔しいけど、どんな妖怪がいんの?」
「どんなって言われると色々いるけどな……願いを叶えてくれる鯉の妖怪とかがいたな。神や霊なんかも場合によっては妖怪の一種なんだとかで、そういうのの相手もしてるけどよ」
「適当なんだな」
「曖昧なんだろ。まぁ、人間の想いみたいなものが生み出す存在らしいしな」
「想い?」
「まぁ、想いって言うか、勘違いとか願望とか、色々あるけどよ、結局は皆がそういう存在がいると信じたり願ったりするから、いつしかそれが、いもしないのにいることになるんだとよ」
「人間が生み出してるってこと?」
「あぁ。姐さん曰く、妖怪は人間の心に生まれて、それが話される事で、つまりは放されることで、この世に存在し始める。言葉となれば言霊となり、そこに魔力が混じって実体を持った──んだとか」
「なるほど……言霊、か」
人間の勘違いを、願望を、想いと呼べるものを形にしたのが妖怪、あるいは怪異であると。そう考えると、俺の心にもまたそういう存在は生まれていたりするのかもしれない。例えば、俺の代わりに魔族をぶっ殺し回ってくれる怪異とか、そういう存在を求めたりすれば生まれてきてくれたりもするのかもしれない。
まぁ、言葉にしなければ、生まれることもないのだろうけど。
「あ、悪い。バイト向かってる最中だっけ?」
「ん?あぁ。まぁ、ちょっと遅れたくらいじゃ文句も言われねぇけどよ。それにまだ早いし。……でも、そろそろ行っといたほうがいいか」
「そ?じゃ、頑張ってね」
「あぁ。んじゃな」
そう言って、傑は走っていった。道でも聞いておけばよかったか、しかしこれ以上時間を取るわけにもいかないだろうと、その背を追うことはなかった。
「また1人か」
公園内に戻って呟いた。
もう一度ブランコに乗ろうとは思えなかったし、かと言ってそれ以外だと本当にすることもない。そうしてしばらく何をするでもなく彷徨き回り、俺は結局公園から出ていった。
「やっぱりスマホは持ってくるべきだったな……」
普段頼っているものの利便性を再確認するというのだろうか。スマホがなければ遠出することも叶わないし、それどころか、何時以降になら家に戻っても問題ないのかさえ、俺には分からないのだ。まぁ、そういった事情をきちんと懇切丁寧に、真面目に真摯に話しさえすれば、それこそ、姉さんだって怒ったりはしないだろう。
これは別に希望的観測とかいうワケではなく、あの人がそこまでの理不尽を俺に押し付ける様な人じゃないというだけで、しかし、それはそれとしても、もし今帰って姉さんとその客人が人に聞かせられない様な話をしていた時、俺がもしそれ聞いてしまったら、いや、この場合は聞いていたかどうか自体はさほど重要でもなくて、俺が戻ったタイミングでそんな話をしていたら、俺はそれを聞いてしまったものとして扱われかねないのだ。
俺が聞いていようがいまいが、そこに居合わせたというだけで、その人の秘密を暴いてしまったということになるわけで、気まずくなってしまう可能性だとかもあるし、怒られたとしても文句が言えない。事情はあれど、向こうも客が来ることは俺に伝えていたのだから、それが言い訳になるかは微妙なところだろう。
それを思えば、やはりしばらくはこうしてウロウロしているのがいいのだろうが──と、その公園から少し離れたあたりで、俺はチェーン店のドーナツ屋に入り──少し前に蟹による強盗被害に遭っていた店ではないが、そのことを思い出したりしつつ、俺はたまたま出ていた期間限定の物を含めた幾つかのドーナツを買うと、少しでも時間を潰す為、それをゆっくり食すことにした。
普段自分からこういう店に入ることというのはそこまで多くないのだが──それにしてもあれだな、人間、なかんずく日本人というのは期間限定という言葉に弱いらしい。そのドーナツの期間からしてまだ始まったばかりだったのだが、それなりに人が多く、俺が席に座れたのは運がよかったのだろう。
季節ごとに異なった行事や食べ物なんかを楽しむという文化もそうなのだろうが、他者と物事を共有したがる国民性の様なものがそうさせるのか。馴染み深い定番商品を軽視するわけでもないが、それ以上に限定という言葉にはそれだけの──俺がこういうのも何だが、魔力の様なものでもあるのだろう。
しかし問題なのは値段だ。残り少なかったから俺も思わず買ってしまったが、定番商品と比べるとやはり高い。勿論シンプルなドーナツに比べれば豪華なのだが、それでも少し高い。
いや、いいのだ。期間限定の商品なんて言うのは元々そういうものなのだろうし、短い期間で需要を作り出して一気に売りさばくというのが正しいのだろう。だがそれでも、足元を見られているなと感じてしまうのは、俺が庶民だからか、性格が悪いからなのか……。
まぁ、そんなことを考えながら食べると味が落ちそうなのであまり考えないようにはしていたのだが、俺がそれを半分ほど食べ進めたころ、俺が座っていた二人掛けの席、その対面側に、誰かが座り込んだ。
誰かとは言っても顔を見れば見知った顔ではあったのだし、別にそれ自体は問題なかったのだが、何故ここに。
「何故って……そりゃこういう店にくらい来るでしょ」
「魔族が?」
「今は人間として活動してるんだから、当然のことよ」
目の前に10個ほどのドーナツを持って現れたのは、珍しくメイド服を着ていないモンブランであった。
「ああそう。というか、何で座ったの」
「何でって、他がどこも空いてなかったから。いいでしょ?どうせ一人なんだし」
「どうせ……?」
「間違ってないでしょ。あのおっかない悪魔娘どころか精霊すらいないじゃない」
「まぁ、そうだけど」
おっかない悪魔娘……姉さんのことだろうか。帰ったら告げ口してやろう──いや、だめだ、こいつは名前を出してないんだ。おっかないという単語で姉さんの顔を思い浮かべたのだと知られれば、怒られるのは俺だ。
偉いぞ俺、よく気が付いた。
「にしてもお前、こういうの食うんだな」
魔族なのだし、人間の食べるような食事など別に食べなくても問題は無いと思うのだが──まぁ、魔族らしからぬといってもなんだが、学校でのコイツを見ている限り、なかなか女子女子した性格をしているというか、女子高生という生物に馴染んでいるあたり、やはりこういうものは好きなのだろうか。
「まぁね。太るっていう概念ないし、食べ放題よ」
「女という女を敵に回しそうだな」
「そう?結構支持されてるわよ?」
「支持……?それは何、メイド喫茶で?……まぁ、今日はいつもの格好じゃないみたいだけど」
珍しくメイド服を着ていないとは言ったものの、今日のこいつの格好というのは、ニット帽に髪を纏め、眼鏡に黒いマスクと、まるで自身の正体を隠すための変装でもしているかのようであったのだ。今はマスクこそ外しているものの、普段の出で立ちからは少し考えられないものであった。
いやまぁ、コイツの事をそこまで詳しく把握しているわけでもないのだが、それでも目立つことを避けているというのは新鮮である。学校でも制服を改造しているくらいなのだし、何を着てもいいという休日にわざわざそんな恰好をする意味とは──と、そんなことを考えていると、モンブランはポケットからスマホを取り出しながら言った。
「あぁ、そう言えば知らないんだっけ」
「何が?」
「私、アイドルになったのよ」
当たり前のように、そう言ったのだった。