ザコの来日 7
すっかり日も暮れ、外の空気はかなり冷え込んでいた。
変身していればこの程度の寒さはあってない様なものなのだが、今は当然そうではなく、俺も周囲の人と同じようにして、ポケットに手を突っ込んでいた。
「これならカイロの1つでも持っとくんだったな」
身を縮こまらせながら呟いた。
鞄の中でも漁れば1つくらいあるのではないかとも思ったが、この鞄を手に入れたのは夏頃。その時色々必要そうなものを入れたこの鞄ではあるが、冬用のものなんかはあまり充実していない。当然と言えば当然だが、備えあれば何とやらである。帰ったらまた入れておこう。
そうして仕方なく、両手をポケットの中で擦るようにして熱を起こしていた。
しかし、そんな俺の左手は外気に晒されることとなる。
別に何かが起こっただとか、そんなワケではない。ただ俺の手がポケットから引き抜かれただけの事なのだから。
「寒いのなら……こうしてみてもいいのではなくて?」
そう言い結ぶよりも前に手は重ねられ、指は交差された。俺は真横で顔を上気させた声の主を見て、何も言うことなく再び歩き出した。
そこで改めて、自身に向けられた感情の大きさだとかそんなものを──そんなものといって片付けるのにはいささか大きすぎるそれを、再認識させられた。
ハッキリ言えば、平たく言えば、ありていに言うのならば、本気のそれであったのだ、彼女の浮かべる表情は。
エルゼには答えは考えてから出すように言われてしまっていたが、俺はそれができないのだと思う。考えることは出来ても、考えていくうちにドツボにはまって、答えを出すところまで上手くたどり着けないのだ。
いや、こんなものは言い訳に過ぎない。答えを出すことを恐れたが故の、情けない言い訳。
それでもやはり、それが例えすぐにじゃなくても答えは出さなければならないワケで、応えるにしろ、答えるにしろ、どちらにしてもこれは、堪えるのだろう。
そのまま俺達は夜にしてはまだ少し明るく、それでいて眩しすぎる街を歩いていき、昼間よりもさらに多くなった人の群れに圧倒されたりしながらも電車に乗って、何とか自宅に戻っていった。
玄関先で両親に出くわして焦ったが、姉さんがあらかじめ何か細工でもしていたのだろう。何の言及もなく普通に素通りできてしまった。これには世界が違えど思うところは同じなようで、かなり驚愕したような表情を浮かべていた。
「こう言うのもなんですが、知らない女が家に入って来るのを何も言わずに受け入れるってどうなっていますの……?」
「姉さんが何かしたんでしょ」
「何か……」
「考えても分かんないよ。あの人何しだすか分かんないから」
俺は再びカトリーナを部屋に招き入れた。再びとは言っても最初のアレ、昼間カトリーナをこの部屋に招いたのは颯であって俺ではないのだが。
「…………」
「…………」
話すことが無い。気まずい。時折チラチラと視線が送られてくる、そんな空気が漂っていた。
当然である。あの場で求められていたであろう答えを見送ったのは俺なのだし、それは自分の自業自得だ。
「……ちょっと待ってて」
俺は耐えかねて部屋を出た。何か飲み物でもと思ったのだが、それよりも、だ。
「エルゼ、どこだ」
「はいはい、ここですよっと」
「ねぇ……どうすればいいの俺」
「そんなこと僕に聞かれても……」
「その、考えてもよく分かんなかったんだけど」
「一日で答えを出そうとするのもどうかとは思いますけどねぇ……でも分からないなら分からないで、今はそれでいいんじゃないですか?」
「でも答えは出さなきゃいけないわけだし……」
「こればかりは僕にはどうしようもありませんよ。あの人に何をしたのかは知りませんけど、惚れさせたのは紛れもなく颯くんなんですよね?」
「惚れさせたって……」
「そこは事実なのでいいんですよ。こうなった以上はもう、颯くんが何を思いどう答えるかでしかないんですから。その一番大事な部分を僕に預けて、ホントにいいんですか?」
「そりゃ良くはないけど」
「ならもう分かってはいるんじゃないですか。……まぁでも、一つ言っておくとすればですが、あの人のあの提案は、あの要求は、妥協に妥協を重ねて、その上で勝算なんてほとんど無い状態でなされたモノなんだと思いますよ」
「断られること前提ってこと?」
「前提と言うとまた少し違うかもしれませんが、そうなる可能性の方が高いことくらい百も承知で、それでも諦めきれなかったから次元を超えるような真似まで……まぁ、アレはあっちの颯くんの協力がなければ成立しなかったとは思いますけど、諦めたくなかったからそのチャンスを利用して颯くんに会いに来てるんだと思います」
「悲壮……だな」
「他人事みたいに言ってますけど、颯くんの事ですよ」
「分かってるけど……」
電子レンジから温めた牛乳を取り出して、ココアを作っていた。粉をスプーンで適当に何杯か加えていくと、クルクルとかき混ぜた。
クルクルと、クルクルと。
「その、僕は人間じゃありませんし、日本人でもありませんし、颯くんではありません。なのでその価値観だとか常識だとかを理解することはまず不可能です」
「なんかそんなことも言ってたな、お前」
「ですからやはり、颯くんが何をそこまで悩むのかを、颯くんの気持ちになって考えてあげることはできないワケです」
「まぁそうだろうな」
「なので聞きたいんですけど、父親になるのはそんなに大変なことなんですか?」
手が、止まった。渦を巻いていたココアの水面も、それにつられて静止した。
「え、そこから?」
「まぁ……だって、父親と言っても、颯くんのお父上のような、子供育てると言う意味での父親になるワケじゃないじゃないですか」
「いや、まぁ、それはそうだけど」
「性交渉だけ済ませてしまえば後は向こうでどうにかやってくれると言う話で、そこまで悩むと言うのが僕的にはあまり共感できないと言いますか」
「せい……ん……んん……?」
「確かに僕達精霊は似たような性質の精霊同士を一族と呼んでいるだけですから、僕は父親というのがどういう存在か、あまり多くを知りません。颯くんのお父上を見る限り、子を育てるというのがそれなりに大変なことなのはなんとなく理解できましたが、故に、尚更、理解ができないんです」
「でも子供ってなるとやっぱりその、責任とかあるじゃん」
「責任……ですか」
「そう。だって、ただ恋人になるだけだとかとは訳が違うし……別の世界で暮らす子だとしても自分の子ならそこには責任があるだろうし……」
「颯くん、どの口が言うんですか」
何故だろうか。こんなにも激しく責められているような気がしてならないのは。口調自体はいつもとそれほど変わらないはずなのに、エルゼからぴしゃりと、一切の遠慮なく浴びせられたその言葉は、ただそう感じられた。
「え?」
「たしかに責任が産まれるのかもしれません。でもそれを言うのなら、そもそも颯くんは異世界の人間と関わるべきじゃなかったんですよ」
「…………」
言い返せなかった。勇者はともかく、カトリーナに関しては接触しなくてもこちらの世界には戻ってこられたのだろう。それは結果論なのかもしれないが、今そこは論点ではない。
「人と人とが関われば、多かれ少なかれ責任は生まれるもので、それは精霊同士でも同じです。そこの責任を放った颯くんが、どうして今更責任を感じ始めているんですか?だとすればもっと、他に感じるべき責任もあるんじゃないですか?」
「感じるべき責任……」
向こうで人を殺しまくったことだろうか。あの時は自分に関係のない世界のどうでもいい奴らが、自分がここに帰ってくるのを邪魔するから、今後も余計な事をされては仕方がないと殲滅した訳だが、それだって無かったことにはならない。
その事を言われているのなら確かに、都合よく責任を感じている俺は、理解できない生物として映るのだろう。
「別に責任を感じるなとは言いませんし、かと言って過ぎてしまった事をどう責めるわけでもありません。あの件に関しては僕にだって非が無いわけではありませんし」
「じゃあどうしろって──!」
「別に筋なんか通さなくてもいいって、昼間言ったじゃないですか。それが考えた末の答えであればそれでいいって、言ったじゃないですか」
「……言ってた……かな」
「都合よくていいんですよ、生物なんて。どうせ自分勝手に生きて自分勝手に消えていくのが世の常なんでしょう?なら、背負いたい責任だけ背負って、背負いたくないものからは目を背けてしまえばいいじゃないですか。それに、颯くんはそもそもそういう人じゃないですか」
そこまで言われると反論の一つもしてやりたくなるものだが、確かに、俺はそもそも責任感なんて強くはない。それはこれまでもそう、エルゼと出会って力を得てからもそう、これからもきっと、ずっとそう。
なのに今、これだけ強く子供がどうとか責任がどうとかとあれこれ思案しているのは結局、物事から逃げるための、答えを出すことから逃げようとする自分の、つまりはそんな、つまらない言い訳でしかないのだ。
「じゃあ……そうするべきなのかな」
「いや、だから僕はその決断には介入しませんよ」
「…………」
「何ですかその目は……僕は責任という言葉を盾にして彼女の想いから逃げるのをやめて欲しいと言ったまでで、その上でやっぱり嫌だと思うのならそれは颯くんの勝手ですよ。向き合って出した答えに文句をつけるほど、僕は偉くありません」
エルゼはそう言って首を横に振った。
俺はそんなエルゼをその場に残して、2つのココアを持って2階へと上がり、カトリーナに片方を渡した。
少し冷めたそれを飲みながら、俺は彼女に向き直ると、向こうも向こうでその空気のようなものに反応したのだろう、繰り出される言葉を待っていた。
そして言葉には詰まりながらも、俺は答えを、出したのだった。
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それから数日後、どこで何をしていたのか分からない颯が家にやってきて、再び部屋の中に靄のようなゲートを作り出した。
これがあればこの世界と向こうの世界限定ではあるものの、自由に行き来ができるようになるらしい。
とんでもない事をしているがその分消費される魔力や必要となるエネルギーは壮絶なものらしく、そう気軽に使えるものでもないという。その割にはな使い方を今回はしていたわけだが、それもあいつなりに色々考えてのことだったのだろう。
そうしてカトリーナは少し名残惜しそうにしながらも、俺と姉さんとに見送られて、ゲートの中へと姿を消していった。
「また会いに来たい」とそんなことを言っていたので、これが今生の別れになるわけではないのだろう。颯もそれを了承しているようであったし。
それと、俺が結局どう言った答えを出したのか、それについての言及はしないでおくことにする。
ただひとつ言えるのは、去り際のカトリーナはとても満足そうな顔をしていた──ということだろうか。
そうして彼女は再び元の世界へと戻っていき、俺達は俺達で、元の生活に戻っていったのだった。